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契約変更

すっかり慣れた校門での待ち合わせ。

シオンは憂鬱な気分で文庫本を開いていたせいか、何も内容が入ってきていなかった。


昨日の今日だ。

いつもの仏頂面を保てるか自信がなかった。


いいように搾取されるしかない貧乏貴族の跡取り。

数の多い弟妹の将来を心配するばかりで、自分のことは二の次、三の次だった。

なんとか立て直す方法を捻り出すために勉学に勤しむばかりで、地元には多少の友人がいるものの、甘酸っぱい青春を謳歌することもなく、話題に上がっても自分には遠い話だと思っていた。


興味を持てるようになるには、奇跡的な貧乏脱却をしてからだろうけど、それよりは爵位返上の方が現実味があった。

なんにせよ、自分が求めるのなら穏やかな平穏さ重視で、糖度は必要としていないと信じていた。


ところがだ。

台本にある押せ押せな甘ったるいセリフを羨ましく思い、芝居に乗じて自分の言葉みたいに語っていた己が間違いなく存在していた。

それに対して、しどろもどろな彼女を心浮かれて眺め、最終的には想いを乗せた告白まがいを吐き出した。


いったい、どんな顔を合わせればいいというのか。


幸いなのは全部が演技だと思われていること。


そう。

それは確かに、幸いなことのはずなのに、少し残念だと感じてしまうシオンは重症化の一途を辿っているようだ。


ため息を堪えて、頭に入らないページを眺めていると、シオンの前に立つ人が現れた。

清潔感のある着こなしと、いつも使用している淡い香水。

けれど、待っている人物ではなかった。


「ごきげんよう、シオン様」


「ごきげんよう、マグノリア侯爵令嬢。今度は、どんな苦情ですか」


極上の笑みを返したシオンに、グレースも淑女の笑みを返した。


「本日は、あなたの騎士として出向いたのよ。正確には本日から、というのが相応しい表現だけれど」


「どういう比喩ですか?」


「そのままの意味だけれども、ここでは目立ちますから、詳細は昼休みにでもいたしましょう」


「昼休みは……」


「問題はありません。ジェニファー様なら、本日はお休みになられるそうですから」


「わかりました」


ちっともわからないけど、シオンは了承するしかなかった。


「あら、一人で行かないでくださいませ。囲まれてしまいますよ」


グレースの言い分に、シオンは顔をしかめかけたが、全てを飲み込んで腕を差し出した。


ふふっと笑んで並ぶグレースに、誰かさんよりも軽い接触にも関わらず居心地の悪さと違和感が拭えなかった。





その日の午前、シオンは黒板をくまなく書き写しながらも、頭の中は忙しなく今朝のやりとりを解析していた。

結果――


「一方的な意向で契約者を変更したわけですね」


侯爵令嬢の権力なのか、美術準備室を確保して鍵で開けたグレースに、シオンは扉を閉めるなり言った。


「つまらない方。もっと、狼狽えてくださればよかったのに」


「約束通り、説明してください」


「せっかちはモテないわよ。まあ、いいわ。どちらとも約束したのは私だもの。そうね……簡単に言えば、あなたの推測で正解よ。ジェニファーに事情ができて契約を続行できそうにないから、私に引き継いでほしいと頼まれたの。ああ、私が聞いたのは契約内容だけで、きっかけについては教えてもらってないわ」


シオンは推測を的中させ、それがはっきりしたというのに胸のムカつきが増した気がした。


「わかっていると思うけど、今日だけの代理じゃなくて、卒業するまで、あなたに必要ないと言われるまで続けてあげる」


「彼女は?」


「ジェニファーは数日したら、普通に登校してくるわ。多少、噂になるでしょうけど、公爵令嬢のわがままで通すそうよ。クラスが違うから、あなたも、それほど気にしないでいられるでしょう」


「……」

 

「そうだ、一つだけ。私、婚約者がいるから、そこは理解しておいてね」


「だったら、こんなことを引き受けなきゃいいだろう」


「こんなこと、ね。こんなことだから、わざわざ引き受けたんじゃない。もちろん、あなたのためじゃなく、ジェニファーのためよ」


「どういう意味だ」


「私が引き受けないと、他に適役な身分がいないのだもの。きっと、ジェニファーは家に引きこもってしまうに決まっているわ」


「……」


「氷の賢者様、これまでを聞いてのご感想は?」


グレースの嫌味な物言いに、シオンは何も言えなかった。


「煮えきらない男。なんにも知らないからこそ、どれほどの幸運を享受してたのか思い知るがいいわ」


何かは知らないけれども、グレースがシオンを気に入らないのはよくよく理解した。


「わかった。だったら、契約は解消でいい。代理はいらない」


「へえ、囲まれるわよ」


「公爵令嬢に振られた傷心を装えば、気を使ってもらえるだろう」


「そうね。これまでの設定とはズレてるけど、ある意味、事実だし」


含みを持たせた顔つきで、グレースはシオンを見つめてくる。


「彼女に何があったんだ?」


「さあね。じゃあ、私は、もう必要ないみたいだから失礼するわ」


「おい、待て。まだ、説明が不十分だろ!」


「ちょっと、怒鳴らないで。レディを引き止めたいなら、乱暴な言葉は最悪でしょ。それに、全ての事情を知ったら、あなたは立ち直れないかもしれないわよ。それでも知りたい?」


「……知りたい」


深く考えるより返事が声になっていた。


「そう。私からは約束で言えないから、こちらに聞いてみるといいわ」


そうして、グレースは折りたたんだ紙切れを弾き飛ばして、今度こそいなくなった。

残されたシオンは、床に転がった紙をのそりと拾ってみる。

開いてみれば、男の名前とクラスが書いてあった。

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