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9.それぞれの出番、それぞれの変化

 迎えた運動会当日。


「頑張って」

「ああ」


 俺の出番であるスウェーデンリレーは、午前中にあった。応援席を離れ、集合場所へ向かおうとした俺に、雲雀が声をかけてくれた。


「一応、綾矢に隣にいてもらうよう頼んでるから。ちょっとの間、辛抱な」

「うん。いってらっしゃい」


 にこ、と雲雀が微笑んでくれる。

 自分を偽って、わざと明るく振る舞うのはやめてくれ。そう雲雀に言ってから、雲雀は元通り落ち着いた態度になった。昔の明るくて気さくな雲雀は隣にいてすごく気持ちがよかったから、寂しい思いもある。が、これでよかったと思う。雲雀も完全に元通りになったわけではないからだ。

 具体的に言えば、雲雀の温度が少し上がった。人間の体温が上がるなんて、病気の時くらいしかないだろうから、あくまで比喩だが。隣にいて感じる、雲雀の心の温かさが違うのだ。雲雀が薬剤師になるのを諦める、と言ったあの時、雲雀の心はひどく怯え震えていた。今でも少し不安そうな『揺れ』は残っているが、それを優しい温かさがそっと包み込んでいる。この短い間に、雲雀が本当は何を思っているのかと、心の扉を何度も叩いたからかもしれない。


「うっす。お疲れ」

「あんたがスウェーデンリレーだなんてね。ま、ガンバ」

「ああ。雲雀をよろしく」

「おっけー」


 雲雀の事情はクラスメイトなら知っているが、他の学年で知る人はほとんどいない。もし事情を知らない人とトラブルになったら面倒だ、ということで、運動会のようにたくさんの人が一堂に会する時は、俺か綾矢が隣にいるようにしている。これは去年の運動会や文化祭も同じだった。

 二つ前の競技、女子800メートルで見事優勝した綾矢と交代で、俺はグラウンドの真ん中に出る。


「とりあえず転ばないようにだけ頼む。転びさえしなけりゃ、いくらでも逆転できる」

「ああ、ありがとう。順位キープできるように気張るわ」


 俺と同じ側に並んだ、第三走者の奴に声をかけられた。彼もサッカー部で、アンカーほどではないが足にはそこそこの自信がある、とのことだった。早くもなく遅くもない俺を、完全に他の三人がカバーする形だ。


「ま、仕方ねえな。今宮のためなら」


 余計なトラブルを避けるために、俺か綾矢が雲雀の隣にいてやることになっている。が、陸上部のエースである綾矢は出る競技が多く、なかなか雲雀と一緒にいられる時間が少ない。となると、俺が出る競技を調整することになる。その結果リレーにはあまり向いていなさそうな俺が、スウェーデンリレーに出ることになったのだ。それを雲雀のためだからと納得して、協力してくれることほど嬉しいことはない。


「じゃ、頑張れよ」


 俺がスタンバイしたのとほとんど同じタイミングで、第一走者が走り出す。最初は100メートルだから、すぐに出番が回ってくる。六クラス中の二位でバトンを受け取って、俺は走る。グラウンド一周は200メートル。すぐ後ろの奴に距離を詰められたが、綾矢と楽しそうに話す応援席の雲雀を見て何とか踏ん張り、順位キープで次につなげた。

 俺さえしのげばあとは何とかする、と意気込んでいたものの、一位のクラスが陸上部や他の運動部の足の速い奴ばかり投入していたせいで、結局差を詰められないまま終わってしまった。


「ま、仕方ねえな。他で頑張るしかない」


 応援席に帰るなり、海にそう声をかけられた。俺たちのクラスが所属する団は、幸いまだトップとそれほど差がついていなかった。午後の種目次第で十分巻き返せる。


「お疲れ様」

「ああ。ありがと」

「……ハル、頑張ってた。すごい」

「……!」


 それは雲雀の本心からの言葉だった。前に俺に異様に甘えていた時と違って、心の軋みを感じない。雲雀はいい意味でも悪い意味でも分かりやすいから、嘘をついていたり、何かごまかしていたりするとすぐに分かってしまう。それは長い間一緒にいるからこその特技かもしれないが。


「……どうしたの?」

「いや。雲雀が何かしら褒めてくれるの、珍しいなって思って」

「……とりあえず、小さなことからハルのことを褒めることにしたから。ハルの言う通り、元の私には戻れないけど……ハルのいいところを見つけるくらいなら、私にもできる」


 ちょっと二人でラブラブしないで、あたしのことももっと軽率に褒めてよ、とぶうぶう文句を垂れる綾矢をよそに。俺は幸せな気分に浸ってしまう。雲雀に何か褒めてもらえるなんて。


「雲雀も頑張れよ。応援してるから」

「うん……!」


 それからいくつか競技を見て、お昼の時間。俺と雲雀、綾矢、海の四人で食べることになった。


「それにしてもお弁当まで一緒とか、もはや夫婦じゃないの」

「それな」


 綾矢と海の両方から指摘され、俺と雲雀はしばし見つめ合ってしまう。

 普段は自分の弁当は自分で作るか、母さんに作ってもらう。学校行事の時だけ、雲雀と一緒に二人分の弁当を作る。二人でキッチンに立つ今朝の光景を思い出して、なるほど確かに夫婦みたいだな、と俺は納得してしまう。


「ち、ちが……そういうのじゃない……」


 隣の雲雀は絵に描いたように真っ赤になっていた。少しだけ、俺はその光景に不安を覚えたが、すぐに頭から消えてしまった。そうこうしているうちに、自分の分を食べ終わってしまう。


「……やっぱり好きなんだな、エビフライ」

「……うん」


 雲雀の好物はエビ。特にエビ天とエビフライに目がない。自分の弁当には入っていないのに、俺の方にエビフライが入っていると途端に不機嫌になるくらいだ。そういう時はおかずを交換して、何とか雲雀のご機嫌取りをしている。俺にとっては当たり前になりつつあるが、雲雀のいじらしい一面が見られる貴重な時間だったりもする。

 さくさくさくさく、とエビフライを食べて、雲雀も完食。ほどなくして綾矢と海の二人も食べ終わり、俺たちは応援席に戻った。午後の競技をしばらく観戦して、海の出る部活対抗リレーが始まった段階で、雲雀が準備することになった。


「じゃあ、雲雀。頑張って」

「……うん」


 雲雀を入場門の集合場所に連れて行って、俺はトイレへ行く。タイミング的にトイレから出た時にちょうど雲雀の出る借り物競走が始まるだろう、と思っていた。実際に俺の思った通りに、入場門近くまで戻ったタイミングでピストルが鳴った。位置的に応援席より、その場所が雲雀を近くで見られると思った俺は、しばらく居座ることにした。

 借り物競争に足の速い人を出しても、結局お題に合った物や人を借りてくるのに時間がかかれば意味がない。それを他のクラスも分かっていたのか、お題の書かれたくじが入った箱まで少し走らないといけないのだが、そこまでで大した差は出なかった。そして雲雀がごそごそと箱の中を探る。事前に生徒会の会議に参加して、雲雀ができそうなお題ばかりになるようにしているとはいえ、いざ本番で何が出るかは雲雀も分からない。意を決して最初につかんだのだろう紙を引っ張り出して、雲雀はしばし目をぱちくりさせていた。


「(可愛い……けど、今はそんなことしてる場合じゃないぞ)」


 俺も心の中でなら、雲雀にちゃんと素直に可愛いと言えるようになった。考えてみれば、当たり前のことなのだ。もう十何年も隣にいるから何も思わなくなってしまったのかもしれないが、雲雀は可愛い。感覚は完全に、長年連れ添って愛してる、を言わなくなってしまった熟年夫婦だ。

 さすがにすぐに我に返って、とてとてと雲雀は走り出した。まっすぐ、俺たちの応援席の方へ。俺がそちらの方を見やると、雲雀は綾矢に話しかけていた。何やら話しているということは分かるのだが、内容までは聞こえない。が、雲雀が何かを言って、綾矢が首を横に振ったのは見えた。


「……ハル!」


 かと思えば次の瞬間には、入場門近くにいる俺をすぐに見つけて、声をかけてきた。


「雲雀?」

「……一緒に、来てくれる?」


 俺に拒否権はない。というより、拒否するつもりもなかった。俺はグラウンドの中に入って、雲雀と手をつなぎ、ゴールテープを一番にくぐった。


「雲雀……」


 審査員、という役割の生徒会役員が、雲雀の持つお題の紙を開く。そこに書いてあったのは。


「あなたの、一番大切な人……」


 俺は雲雀にとって、一番大切な人。


 そして奇遇にも、雲雀は俺にとっても、一番大切な人だ。


 その関係が、審査員にもよく伝わったらしい。正式に、俺たちは借り物競争で一位になったと認められたのだった。

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