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8.急に近づく、二人の距離

 雲雀が退院して一週間もしないうちに、運動会の練習が始まった。

 練習が始まる前に、各々が出る競技を決める話し合いがある。その時にはまだ雲雀は入院していたが、色を認識できない雲雀は出られる競技がだいたい絞られる。

 例えばバトンを受け渡しするリレーは難しい。バトンの色の判別が難しいから、バトンを受け取らないトップバッター以外は務められない。前の走者の顔を覚えればいい話ではあるが、運動会自体がまだクラスメイトを覚え切れていない状態で行われるし、一年生の時のクラスメイトが他のチームの次の走者にいると、勘違いしてしまう可能性がある。


「じゃあ今宮は、借り物競走か。どう思う、鶴居」

「まあ……たぶん、大丈夫だと思います。お題によるかもしれませんけど」

「それは要相談、ってところだな。よし、じゃあ今宮にも伝えておいてくれ」

「分かりました」


 二年生は毎年、借り物競走をすることになっていた。高校の運動会にもなって借り物競走というネーミングはどうなんだ、と思うが、生徒会がそう決めたのだから仕方ない。

 雲雀の出る競技が決まったことを伝えたのが、ちょうど一週間ほど前。雲雀が退院した頃には、早速練習が始まっていた。とはいえ競技自体は走ることがメインなので、それほど練習することはない。あるとすればどういう流れで競技が進むかとか、どういう動きでグラウンドの真ん中の方へ入退場するかとか、そういう競技とは直接関係のないところの確認だ。競走自体もピストルの音ともに走り出し、お題の書かれた紙を取って指示に従いゴールするだけ。


「大丈夫だった?」

「うん……特に問題はなさそう」


 雲雀本人に聞いてみても、そんな返事が返ってきた。あとは生徒会がお題としてどういうものを選ぶかによる。一応俺たちは二年生になって、そういう学校行事を主体的に決められるようななったこともあり、割と融通がきく。雲雀は生徒会の会議に参加し、生徒会メンバーの出した意見を聞いて、できそうなお題かどうか判断することが特別に許されている。


「……ハル」

「わっ」


 それより俺にとって問題なことがあった。今までじりじりと離れ続けていた俺と雲雀の距離が、急に近づいたのだ。いや、近づくこと自体は大いにいいことなのだが、ちょっと近づきすぎだと思う。今までの雲雀なら、


「……ハルが隣にいないと、嫌」


 とか言って、休み時間にぱふ、と俺の椅子を半分占領してくることなどなかったのに。俺も俺で、そんな雲雀の変わりように驚き、そして雲雀が異性なのだということを嫌でも意識させられて、心がざわつくばかりだった。雲雀がいつも隣にいて、周りが俺たちをカップルだと思っているせいで、そんなにくっつくような経験がなかったのだ。


「雲雀、ちょっと……」


 しかしせっかくそんな態度を取ってくれているのをむげにするわけにもいかず、やんわりと言うしかない。そしてやんわりと言うだけでは伝わらない。毎日こういうことをされては心臓がもたないと、何とか雲雀に伝えたいのだが。


「ん……」


 雲雀が意味もなく何か行動を起こすというのは見たことがないから、おそらく急に俺との距離を詰めてきたのも、何か理由があってのことなのだと思う。が、その理由に心当たりはない。雲雀の手を取って俺をもっと頼ってくれていい、と言ったのは自分でもだいぶ大胆なことをしたな、と思ったが、それにしては俺に対する信頼度が上がりすぎな気がする。


「……ね、ハル。今日は一緒に、帰れそう?」

「え……まあ」


 まるで前からやっていたかのように、雲雀は俺の机にゆるゆると突っ伏して、上目遣いでこちらを見てそう言った。俺はいよいよ態度に出るほど動揺して、何とかそう返事するのがやっとだった。

 雲雀を好きかどうか、という感情は抜きにして。正直雲雀のことは、だいぶ可愛いと思っている。幼馴染だからとひいきにしているわけではない。むしろ幼馴染という関係は、ただの友達以上の特別なものだと思っている。そして互いを判断する時も、ただの友達以上に厳しいフィルターがかかる。にも関わらず俺は雲雀のことをそうやって、モテても仕方ないな、と思っているのだ。いまだに雲雀が誰とも付き合ったことがないというのが、奇跡なくらいだ。


「ごめん、海。今日一緒には帰れなさそう」

「ま、そうだろな。見てる感じが完全にアレ」

「アレって何だよ」

「二人だけの世界、ってやつだよな。お幸せに」


 少し嫌味っぽい感じで海に言われてしまった。それも仕方ないとは思う。俺と雲雀の今のやり取りは、完全にラブラブのカップルそのものだったから。その自覚はある。


「雲雀」

「うん」


 放課後になって、クラスの連中が部活に行ったり帰ったりする中。名前を呼ぶだけで、雲雀は俺の隣に来てくれた。海はしばらく教室に残るつもりらしく、自分の席に座って、雲雀が見ていない間に俺に向かって親指を立て、にっと笑いかけてきた。若干恨み言を言ってきたが、何だかんだで海は俺と雲雀が距離を近づけてゆくのを素直に応援してくれる。異性がらみの話になってもそうしてくれるあたり、海はやっぱり根がいいやつなのだろう。


「もうすぐ運動会だな」

「そうだね……ハルは、スウェーデンリレーだったっけ」

「そうそう。第二走者」


 第一走者は100メートル、第二走者は200メートル、第三走者は300メートル、というふうに、後の走者になるにつれてだんだん走る距離が延びてゆくのがスウェーデンリレー。短距離も長距離も、得意ではないが不得意というわけでもない、要は微妙な位置の俺は、第二走者として出ることになっていた。ちなみに前に走るトップバッターには野球部の足の速いやつ、アンカーは陸上部の長距離専門が構えているから、俺が多少他のクラスから遅れても巻き返せる仕様だ。


「今年は優勝できるといいね」

「そうだな」

「去年は午前中から、優勝できないの分かってたから……」

「……雲雀」


 俺は雲雀に呼びかける。声が少しだけ低くなった。


「……」

「……無理、してるだろ」

「……そんなことない」

「嘘つけ。もうさっきので、声が変わった」


 雲雀が急に俺との距離を詰めてくれて、嬉しかったのは間違いない。でもそれは雲雀の変化を喜んだのではない。おそらく自分でも意識しないうちに、前の雲雀を思い出していたのだ。色が見えなくなる前の、明るい雲雀を思い出して、その時と重ねて懐かしんでいた。感覚では分からなかったが、こうして頭の中で言葉にした今、それが真実なのだと気づいた。


「……もっと頼っていいって言ってくれた時、嬉しかった」


 引き下がらない俺を見て、雲雀は諦めたように話し始めた。それが正解だったのかどうか、俺には分からなかった。


「……今までずっと、ハルに頼ってばかりだったから。ずっと依存するのはやめなきゃいけないって思って、たぶん、そのことしか見えてなかったんだと思う。車にぶつかって、寝てた時も夢を見てた……夢の中でも、一人でいろいろできるようにならなきゃって、思ってた」

「夢の中まで……」


 病室のベッドに横たわるあの時の雲雀は、安らかな顔をしていた。でも夢の中では、そんなことを考えていた。夢にも影響するほど、雲雀は苛まれていたのかもしれない。


「……だからハルの方から、もっと頼ってくれていいって言われて、嬉しかった。呪いから解放された感じがした。ハルには何とかして、お返しがしたいなって思った」

「……あの時の感じを思い出しながら振る舞ってた、ってことか」


 雲雀がこくり、とうなずく。

 雲雀が頑張って昔の自分を演じていた。そのことを聞いてもなお、俺の中には嬉しいという気持ちがあった。昔の雲雀と、今の雲雀。俺たちが通っている高校に、昔の雲雀を知る人は少ない。それこそ俺と海、綾矢くらいかもしれない。そしてどちらがいいかというのは、俺には決められない。昔は昔で、今は今だから。昔の雲雀がいいところばかりだったわけではないし、逆もしかり。


「……俺は、昔の雲雀みたいに振る舞ってくれるのも、嬉しかった。かもしれない」

「……」

「けどそれが雲雀の本心からの行動じゃないなら、やめてほしいかもしれない。嘘をつきたくてやったわけじゃないのは分かってるし、そもそもこれは雲雀が嘘をついたわけでもないと思う。でも自分をだまして振る舞うのは、たぶん雲雀が思ってるより、ずっと苦しい」


 俺は雲雀の手を取って、並んで歩く。温かいその手は、わずかに震えていた。


「……今の私は?」

「誰も嫌いだなんて言わない。昔は昔だし、今は今だ。それが偽って、昔の雲雀みたいに振る舞うのをやめてくれって話にもなるけど……でも雲雀が、わざわざ昔に戻ろうとする必要はないと思う。これから先も、雲雀がどんどん変わっていったとしても、俺は雲雀の隣にいたい。いさせてもらえるなら、だけど」


 たぶん、俺の言いたかったことはうまく言葉にできた。昔の雲雀と、今の雲雀。そこに優劣はない。どちらも雲雀には違いないから、どちらがいいとか悪いとか、そういう順番はない。けれど『今の』雲雀が、『昔の』雲雀のように偽って振る舞うなら、それは今より昔より、劣った雲雀だ。


「……分かった」


 雲雀は俺の言葉を受け止めて、そっとそう言ってくれた。雲雀が俺の手を握ってくるのを感じて、俺ももう少し、強くその手を握った。

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