4.本当のことを言い合えるように
「……雲雀」
まさか雲雀がまだ学校にいるとは、思いもしなかった。いったいどこにいたのか、そう訊こうとしたが、それより優先すべきことがあった。
「あそこにいたってことは。俺と先生の話、全部聞いてたんだよな」
幸か不幸か、雲雀は悩み事があったり、嫌なことがあって落ち込んでいたりすると、はっきり表に出てくる。小テストの点数を見るだけでもすぐ分かる。普段満点か、満点に近い点しか取らない雲雀が半分も取れないなんて、何かあるに決まっているのだ。それは綾矢の言う通り、雲雀が何か俺に隠している、ということ。
「……うん」
「別に責めるつもりはない。雲雀だって、テストで悪い点くらい取ることもあるだろ。そんなことで怒ったりしない。けど、俺は隠し事はされたくない。特に、雲雀には」
雲雀ははっとした顔をしてから、黙ったままうつむく。きっと雲雀は、俺がいつの話をしているのか把握している。
「さっき、綾矢と話した。鈍くて気づけなかった俺も俺だけど、ごまかす雲雀も雲雀だ。本当のことを言い合えなきゃ、俺たちがいつも一緒にいる意味がない」
「……っ」
雲雀が色を認識できなくなったあの時。雲雀は嘘をついたわけではない。俺や両親に、勇気を出して相談できなかっただけだ。ようやく相談を持ちかけた時には、手遅れだった。それでも、あの時から俺は雲雀に、嘘をつかないように言ってきた。年頃が年頃だけに、親には反発して本当のことを打ち明けられないかもしれない。だからこそ、せめて俺たち二人だけは、本当のことを言い合おう。三年前のあの時、改めてそう約束したのだ。
「……ハルは」
「うん」
「ハルは、私とずっと一緒にいて、不安にならない?」
「不安?」
「今はまだ、高校生だけど……この先私は、大学に行きたいって思ってる。ハルは?」
「俺も。だから俺は、やく……」
「受験なんて、何があるか分からない。ずっといい成績とってた人が、当日急に調子悪くなるかもしれない。逆だって普通に起こる。私たちだって、たぶん同じ大学の薬学部に行きたいって、そうなると思う。でも、どんなに同じくらいの成績でも、どんなに当日の調子がよくても、同じ大学に行けるとは限らない」
雲雀の言う通りだった。高校受験だって、たまたま俺たちは同じ高校に行けたのだ。公立高校の受験は倍率が大して高くないから、当日何とかいつも通りに受験を終えられた俺たちは、同じ高校に入ることができた。でも大学はどうか?倍率はもっと高いし、へまをする確率だって上がる。仮に同じ大学に行けたとしても、片方が浪人していたら、一緒にいるのは難しくなるだろう。
「雲雀……」
「私、本当は嬉しいって思ってる。最近は少しだけ分かるようになってきたけど、色が見えなくなったばかりの頃から、ハルはずっと、私のことを助けてくれた。たくさん、ありがとうって言いたかった。ごめんなさいばかりじゃなくて、もっとハルも前向きになれるような言葉を、言えればよかった……けど、言えば言っただけ、ハルに迷惑をかけてる気がして。ハルだって、私のことばっかり構ってるわけにはいかないはずなのに」
「何言ってんだよ」
俺は決めたのだ。本当のことを言い合うと同時に、どちらかが困っている時は助けようと。どっちも困っている時は、二人で力を合わせようと。もちろん困った回数で言えば雲雀の方が圧倒的に多い。それは事実だ。でもそれでこそ俺たちらしいくらいに思っていたし、ましてうっとうしいなんて思うはずもない。
「……そりゃ、俺だっていつもニコニコして雲雀に接することができるとは限らないけどさ。それでも、雲雀のことをうっとうしいなんて思ったことはない。これからだって、思わない」
「それでも。それでも……私、いつまでもハルに頼ってばかりじゃ、ダメだから」
「そんなことないだろ。雲雀は……」
「私は、一人で頑張らなきゃ、いけないから」
雲雀が俺の言葉を遮ってまでそう言う。この三年で一番激しい雲雀の感情が出ていて、そしていつも以上に重たい言葉だった。俺は雲雀の思いを聞いて、驚いて。それ以上の言葉を、何もかけてやれなかった。
一人で頑張る必要なんてない。
それは雲雀にとって、甘い誘いでもあり、厳しい言葉でもあったのだ。困った時に常に助けてくれる存在がいるというのは、つまり依存できる相手がいつも隣にいる、ということでもある。依存はもしかすると、言い過ぎかもしれない。でも隣に頼れる存在がいることに慣れてしまって、それを当たり前と思ってしまったら、それは依存しているということだ。少なくとも俺は、そう思う。
「(……俺は)」
俺は、雲雀に依存されていると思ったことはない。雲雀に頼られっぱなし、なんてことはなかった。雲雀には劣るかもしれないが、俺も雲雀をよく頼ってきた。海や綾矢と同じくらいには、雲雀を頼っている。成績を何とかそこそこいいところで保てているのは、三人のおかげと言ってもいい。
俺は雲雀と一緒にいたい。小学校の時も、中学校の時も一緒にいられた。高校生になった今でも、一緒にいられている。可能なら大学生になっても、社会人になっても、雲雀と一緒にいたい。他の誰にだってそう言えるほど、俺は雲雀を信頼している。でも、それは。
「(……依存してるのは、俺の方なのか)」
一人で生きていかないといけない、自立しないといけない。雲雀がそう思った理由が、もし俺の依存がうっとうしくなったからだとしたら。それは紛れもなく、俺のせいになる。俺は気づかないうちに、雲雀の負担になっていたのかもしれない。
「……じゃ、お疲れ様」
「……お疲れ」
結局雲雀には何も言うことができないまま、俺たちはそれぞれ自分の家に入った。今日は俺も雲雀も両親がいて、一緒にご飯を食べることはない。
「ん~、ああはるみちー、おかえりぃ」
「母さん……」
明らかにさっきまで寝ていたと分かる声で、母さんが俺の名前を呼んだ。今朝学校を行く時にはいなかったが、その後に帰ってきたのだ。夜勤明けの母さんは、いつもこんな調子でだらんとしている。
「父さんがいつ帰ってくるか、聞いた?」
「聞いてなーい、いつも通りじゃないのー?」
「まあそりゃ、そうだろうけどさ」
父さんが残業で遅くなる時には、必ず早めに連絡を入れてくる。遅くとも俺が家に帰ってくるくらいにはメッセージが来ている。見ていなかった、ということがないように、母さんと俺の両方に。それくらいマメな父さんの性格を、俺も受け継げているといいのだが。
「俺が適当に何か作るから。寝てていいよ」
「ごめんはるみちー、よろしくー……」
母さんはまたすう、すう、と寝息を立て始めた。確かに母親としてはもうちょっとしっかりしてほしいところだが、不規則に夜勤がある職業だから、仕方ないとも思う。夜勤明けは必ず休みで、月にそう何度も夜勤をぶつけられることがないだけ、看護師の労働環境としてはまだマシなのかもしれない。
「……先に、作り始めないとな」
ぱらぱらと見る感じ、今日やらなければいけない宿題はどうやら面倒そうだった。夕飯を作る前に軽く終わらせる、というのはできそうになかった。俺は冷蔵庫の中をのぞいて、時間のかからなさそうなメニューを優先して頭に思い浮かべる。
「……雲雀」
そうやって手は夕飯の支度のために動かしながら、頭では雲雀のことを考えていた。俺が雲雀に依存しすぎているせいで、これ以上頼られるのはもううんざりだ、と思って、違う道を目指すことで一緒にいる状態から逃れようとした。それが本当なら、俺は雲雀に、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。もしも俺が、薬剤師という道を諦める原因になったのなら。俺は明日から、雲雀に合わせる顔がない。
「俺は……」
夕飯を作って食べて、風呂に入って。あれこれしてベッドに潜り込んでも、まだ頭から離れない。その夜は、あまり寝付けずに朝を迎えてしまった。