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12.雲雀の勇気、俺の勇気

 三年前の花火大会は特に変わったことのない、普通の日だった。


 今宮家と鶴居家は、家族そろって一緒に花火大会に行くのが慣習になっていた。それは同じマンションの同じフロア、隣どうしに住んでいて、俺と雲雀が同い年だからこそのことだろう。時代が違えば、俺たちは許婚(いいなずけ)の関係だったかもしれない。


「ね、ハル」

「ん?」

「また来年も、一緒に来れるかな」

「……来れると、いいな」


 当時は中学二年生。異性の幼馴染という関係がいかに特別で、いかにやりづらいかを身をもって実感していた時期だった。

 今思い返せば、あの時の俺はちょっと粋がっていた。他のみんなと同じように、早く大人になりたいと思っていた。大人になればもっと自由に生きられると、根拠もないのに思っていた。けれど一方で、このまま子どもでいたいと思うこともあった。大人になりたいと無性に思ってしまうこと自体が、まだまだ子どもなんだと言われている気がして、混乱していた。


「唐揚げ食べる?」

「食べる」

「あっ、ちょっと……ふふっ。私がかじったとこ食べた」

「え……あ、ごめん」

「いいよ、大丈夫。私もハルがかじったとこ食べちゃおー」


 高校生になった今、少しあの時のことが分かった気がする。あの時混乱していたのは、雲雀という存在があったからかもしれない。それは雲雀が悪いということでは一切ない。雲雀との付き合いが、中学生になったことで変わったのだ。いや、変えざるを得なかったのかもしれない。

 小学生の頃は男女だろうが男どうしだろうが、普通の友達として割と誰とでも付き合えた。雲雀も例外ではなかった。小学校に入ってできた男友達より、生まれた病院も同じ雲雀の方がずっと距離が近かったし、何でも相談できた。一緒に登下校するのは今以上に当たり前だと思っていたし、雲雀にだけした話もたくさんある。それを雲雀が覚えているかどうかは別として。

 だが中学生になって、同じように雲雀に接することはできなくなった。小学生の頃までは、俺と雲雀のことをとやかく言う奴なんていなかったのに。俺が男で、雲雀が女だからという、たったそれだけの理由で、お前ら付き合ってるんじゃないか、と言ってくる奴が出てきた。あるいは直接言わなくても、そういう視線を向けてくる奴が増えた。


「ハル?」

「ん?」

「私たち、さ。付き合ってるって、言うのかな」

「……どうだろな」


 本当は誰に何を言われようと、堂々と付き合ってるぞ、と言い返してやるのがよかったのかもしれない。今から考えればそれが正解だった気もする。事実雲雀は、ニコニコと変わらない笑顔でそう尋ねてきた。そのことを覚えている。


「ハルは、カップルってどんなのだと思う?」

「どんなの……」

「私は、お互いのことを大事に想い合う関係かなって思う。束縛するってことじゃなくて、自分が困った時とか相手が困った時とか、ケンカした時とか。そういう時に、あなたがいてよかった、ってふと思える関係が、理想なのかなって」

「あなたがいてよかった、か……」

「ハルは?」


 だがあの時の俺には、勇気が足りなかった。雲雀を付き合っている女の子として、自分に認識させるだけの勇気が。口に出せば、俺と雲雀の関係が、もっと変わってしまうような気がして。今だって、その勇気はないかもしれないが。

 あの時堂々と言えていれば、何か変わっただろうか。雲雀が白黒しか見えなくなることは、なかったのではないか。


「……俺も同じ考えだって言ったら、怒るよな」

「……いいよ。お隣さんだからね。考えが似ちゃうのは仕方ないよね」


 仕方ない、仕方ない、と言いつつ、雲雀の声は妙に嬉しそうだった。


「……私は、ハルのこと大事に想えてるよ。ハルが困ってるなって分かったら、一緒に心が痛くなるし。ハルが嬉しそうにしてたら、私も嬉しくなる。まだハルとケンカしたことはないけど、たぶんケンカしたら、すごく嫌な気分になる」

「ケンカしておいて?」

「まあね。たぶん自分のことは棚に上げちゃうと思う」

「……そうか」


 あれはもしかして、雲雀からの告白だったのではないか。雲雀との関係が大きく変わってしまった今、そう思えるようになった。カップルとは互いを大事に想い合える存在、そして雲雀は俺のことをすごく大事に想っている。少なくとも自分は、カップルになるだけの条件を満たしている。そう言いたかったのだとしたら。


「大人になっても、一緒に花火見てくれる?」

「高校とか、大学が同じだったらな」

「高校と大学は一緒に見る前提でしょ。だってハルなら、下宿しても夏休みにはちゃんとこっちに帰ってきてくれそうだし。働き出してからの話」

「働き出してから……どうだろな」


 だがあの時の俺には、告白し返すことができなかった。俺も雲雀のことを同じくらい大切に想っていたはずなのに。俺には、その勇気もなかったのだ。

 雲雀は優しかった。それだけ俺にヒントをくれていながら、気づけなかった俺を責めることは決してしなかった。


 そして、――雲雀は色を失った。


 雲雀が病気になってから今までの三年間、雲雀に思いを打ち明ける余裕など俺にはなかった。雲雀と一緒にいて、雲雀が不自由なくできるだけ今まで通りに生きていけるよう、手助けするので精一杯だった。たとえ俺に一歩踏み出すだけの勇気があったとしても、俺は何もできなかっただろう。

 大人になっても、夏になれば二人で花火を見に行く。それを毎年続ける。雲雀が病気になって、色が見えなくなって、俺はそのことに囚われて。一緒に花火を見ないまま夏が終わってしまった――そう気づいた時には、遅かった。俺はもう、雲雀との約束を守れないものだと思っていた。


「……聞いてる?」

「え? ……ああ」

「知ってる。絶対聞いてない顔だったから」

「……ごめん」

「で、どうする? フランクフルト食べる?」

「……食べる」


 雲雀と一緒に花火大会の会場に来て。三年ぶりなのか、と思った瞬間に、当時の記憶が一気に脳裏に流れ込んできた。俺と雲雀はこの三年で随分変わったのに、周りはやっぱり変わらないんだな。そんなことを考えながら、雲雀が持っていたフランクフルトをかじった。


「やっぱり、抵抗ないんだね」

「何が? ……あ」

「ん、別に気にするほどのことじゃないと思うんだけど……」


 俺は何も意識せずに、雲雀がかじったところにかぶりついていた。何も言われなければ意識さえしなかったはずなのに、指摘されて急にどくん、と心臓が跳ねる。


「……っていうか、一度かじってから聞いてきたのかよ」

「だって食べちゃうよ、って言っても全然返事してくれなかったし。そんなに昔が懐かしかった?」

「え……それは、ごめん」


 昔の雲雀と今の雲雀は違う。無理をして昔のように振る舞わなくても、雲雀は雲雀だから今の雲雀らしく振る舞えばいい。俺はそんなことを言った気がする。だが結局、心のどこかでは昔の雲雀にあこがれているのかもしれない。多少つらいことがあっても笑って受け流す明るさと、臆病で何事にも一歩踏み出せなかった俺の背中を押してくれる勇気を持った、三年前までの雲雀に。


「……私ね」


 俺がかじったところを敢えて一口食べながら、雲雀がつぶやいた。雲雀の上目遣い。背丈の違いで雲雀が上目遣いで話しかけてくることなど、これまで何度もあったはずなのに。これまでとは段違いに俺はドキドキしていた。


「……今でも時々、昔の自分に戻りたいな、って思ったりする。昔の私の方が、ハルも好きなのかなって思う。すぐ思ってることが態度に出るってハルは言うけど、ハルも結構出てるから」

「……ごめん」

「ハルが悪いとか、私が悪いとか。そういう話じゃないから、大丈夫。でも、もしも昔の私のままなら、もっと上手くハルと一緒に花火見に行きたいって誘えたんじゃないかって思う。……なんだか、下手になっちゃった」


 えへへ、と笑う雲雀。それで俺の心の中のもやが晴れた。すう、と自分の身体が軽くなった感じがした。雲雀のその笑顔を見るのに、俺はどれだけ遠回りしたんだろうか。


「……ホントはね。色が見えなくても、花火は見に行きたかった。確かに色が見えなかったら楽しさ半減だとは思う。それは私も分かってた。けど、二人共通の思い出を作りたいって思いは、変わらなかったの」

「……そうだったのか」


 雲雀はもう花火を見に行きたいと思わなくなってしまったのだと、勝手に思い込んでいた。色が見えないなら花火なんて楽しめないに違いないと、俺は雲雀の思いを決めつけてしまっていた。


「……私も、勇気が足りなかったんだね。こんなになっても、ハルと花火に行きたいんだって、言い出す勇気」

「勇気……」


 俺は雲雀と一緒に一通り屋台を練り歩いてから、たまたま空いていたスペースに立って、花火の打ち上げを待つことにした。座って花火を見るためにとレジャーシートも持ってきていたが、使う必要はなさそうだった。


「……でも、今日は勇気出せる。ハルと一緒に、花火大会に行けたから」


 フェンスにもたれかかって、俺たちはその時を待つ。そんな中で、雲雀がフェンスに置いた顔をこちらに向けて、甘い顔をしていた。それはこれまで雲雀がどんな時も見せたことのない、幸せそうな顔だった。


『それではただいまより、花火の打ち上げを開始します!』


 アナウンスとともに、ひゅう、と空を切る花火の音が鳴る。ほとんど同時に、雲雀が口を開いた。



 ……ハルのことが、ずっと好きです。もっと、ずっと、一緒にいてくれませんか。

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