10.人を好きになること
「お前……最近ずっとニヤニヤしてんな。ちょっと気持ち悪い」
「そんなこと言ったって、なあ?」
「なあって何だよ……」
運動会からいくらか日が経ったある日。俺は休み時間、海にそんなことを言われた。
雲雀にとって、俺は一番大切な人。
借り物競走のあの時、綾矢に背中を押されたとはいえ、雲雀は俺を選んでくれた。
俺が雲雀のことを大切だと思っているのは、ずっと前からの話だ。でも雲雀にとってどうなのかは、直接確かめたことがなかった。いつかはそれとなく確かめてみたいと思っていたが、俺は自分のことをどう思っているか、と他人に聞けるほどキザではない。つもりだ。
「今宮とイチャイチャすんのは、そりゃお前の勝手だけどよ……」
「イチャイチャ……イチャイチャ?」
「まともな日本語を話せ。それにお前と今宮の様子がイチャイチャじゃなきゃ、何なんだよ」
俺は雲雀の方をちら、と見る。本を読む雲雀がこちらの視線に気づいたのか、おそるおそるといった様子で俺を見てくる。が、すぐにぷい、と目を逸らした。顔が真っ赤だった。
「あーあ。お幸せに」
「お、おう」
一瞬の出来事だったとはいえ、それなりの覚悟が要ったはずで。雲雀の態度がまた少し変わったのは、俺も分かっていた。
「ただ今のうちに告っとかないとダメだろうなー。今宮にとって一番大切な人はお前かもしれないけど、一番好きな人とは誰も言ってないからな」
「……一番好きな人」
「ああ。俺もお前のことはまあ、大事な友達だと思ってるけど。別に好きってわけじゃないからな」
「唐突なツンデレやめろ」
「ちげえよ。一応お前のためを思って言ってんだからな。お前が今宮のことを好きなら、突撃するのは今だ」
雲雀のことが好きなら。
そう海に言われて、俺は何かもやっとしたものが心の中にあるのを感じた。そしてそれは、運動会の日の昼休み、赤面する雲雀を見た時に感じた不安と同じだった。何が不安なのかは分からない。分かるのは、何か心の中にしこりがある、ということだけだった。
「雲雀、今日は?」
「うん、大丈夫。帰れるよ」
雲雀は以前よりさらに、何でもないことを話してくれるようになっていた。しかも今まで女子と話すとなればほとんどぎこちない会話になっていたのが、かなり自然な感じに変わっていた。
「ハル……ハルは、さ。付き合ってる人って、いたんだっけ」
「付き合ってる人? いないけど」
「……そっか」
帰り道、突然雲雀がそんなことを聞いてきた。俺はぎくっとする。さすがに雲雀のその質問の意味が分からないほど、俺もバカではない。
雲雀は俺のことが、好きなのだ。
少なくとも。俺にもし相手がいないなら、その相手になりたいと思って、その質問をしたはずなのだ。それに俺が嫌いなら、こんなに何度も何度も、一緒に帰ったりはしないだろう。
では、俺はどうか?
俺は本当に、雲雀のことが好きなのか。いや、人間的には間違いなく好きだ。それは明るかった昔も、おしとやかな今も変わらない。雲雀は雲雀、一人の幼馴染の女の子。だが俺は、雲雀のことを愛していると、言い切れるだろうか?
「……雲雀は? 気になる奴とか、いるのか」
「え? 気になる……人、は、……いない、かも……」
明らかにうろたえる雲雀。絶対に嘘をついている。つまりいるということで、これはおこがましいかもしれないが、たぶん俺のことなのだ。同性でさえほとんど綾矢としか話さない雲雀。異性で話したことがあるのは、俺だけだろう。事務的な話しかしたことのない男子を除けば、間違いなく俺だけになる。
「……俺さ」
「……うん」
「なんか……人を好きになるとか嫌いになるとか、分かんなくなってる気がする」
「……」
そこまで深刻な雰囲気にしようとは、思っていなかった。が、雲雀が黙ったことで強制的に場が重たくなる。
「……私も、なのかな」
他人から見れば、すぐにでも早く告白して付き合えと言いたくなるような関係だろう。少なくとも海には、そう言われると思う。だが俺の雲雀に対するこの気持ちは、本当に『異性として大切に思う』ものなのだろうか。幼馴染としてなら、誰より大切にできる自信があるのに。
「……今日は?」
「お父さんは出張。お母さんはいるよ」
「うちは父さんだけだな。雲雀の家に行っていいか?」
「分かった」
気を紛らわせるように、いつもの会話を交わす。ささっと父さんに雲雀の家でご飯を食べる旨をメッセージで送って、雲雀の顔を見た。
「……ずっと一緒にいたいとは、思ってるよ。大丈夫」
前触れなく、雲雀がそう言う。その時の表情は、すごく柔らかかった。
「雲雀……」
* * *
その夜。
「陽道。ちょっとだけ、仕事を持って帰ってきてるから。先に向こうに戻るぞ」
「分かった」
「あまり遅くまでお世話にならないようにな」
「了解」
俺と雲雀の他に、俺の父さんと雲雀のお母さん、という取り合わせは時々ある。そういう時は決まって、俺の父さんが居づらそうにする。そして晩ご飯を食べ終わると、こうしてそそくさと鶴居家に戻っていってしまう。
その気持ちが分からないわけではない。俺も父さんよりは、雲雀のお母さんと話したこともあるし同じ空間にいたことのある時間も長いが、いまだに慣れない。俺の父さんと母さんは二人とも、俺が雲雀と一緒にいるのを許しているし、何なら快く思っているのだが、もしかすると雲雀のお母さんは心の中では反対しているのかもしれない。ほとんど生まれた時から見知っている仲だからこそ、娘を俺には預けたくない、と。
「ハルはこの後、どうするの?」
「雲雀とお母さんがいいなら、ちょっとゆっくりしていこうかなって思ってる。風呂は向こうに戻ってから入る」
「……うん、分かった。じゃあ落ち着いたら、お風呂入ってくるね」
「ああ」
夫婦のような会話だ。当たり前のように風呂にいつ入るかという話をするのは、俺たちにとっては珍しくなくても、きっと世間一般的には珍しい。そして俺たちにとって何でもない会話をしているからか、雲雀のお母さんも特に俺たちのことを気にする様子はなかった。
テレビを見たり、しゃべったりして少し時間を過ごした後、雲雀はすたすたと浴室の方へ向かった。ぱたん、とドアが閉まったのを見て、雲雀のお母さんも用事があったらしく別の部屋に行ってしまった。
「(俺が雲雀を好きなのかどうか……か)」
お昼に抱いた疑問を、俺はもう一度自分の中で繰り返す。
もしも俺と雲雀が、結ばれるかもしれないというところまで来たら。俺は雲雀を心から、愛することができるだろうか。付き合うとか結婚とか、そういうものにはカップルの数だけ形があるということは分かっている。俺は困っている時だけでなくて、普段の何気ない瞬間でも、相手のことを思いやり助けてやれるような、積極的に助けたいと思えるような関係でありたい。今の雲雀を、俺はそういう視点で見ているのだろうか。
俺は雲雀の部屋に行って、そっと勉強机に備わった椅子に座ってみる。妙に懐かしさを感じた。昔は俺の方からこっちに来て、よく隣どうし座って勉強していた。最近ではご飯の時こそ、こうして互いの家に行っては一緒に食べているが、勉強するときは雲雀が俺の家に来るばかりになっていた。それは雲雀が、どんどんただの幼馴染から魅力的な異性の幼馴染に変わっていくのを、俺が感じ取っていたからなのかもしれない。
「(これは……?)」
ふと、俺は雲雀の机の端に積んである教科書に、何かにぎやかなチラシが下敷きになっているのを見つけた。引っ張り出して見てみると、それは近くの河川敷で行われる花火大会のお知らせだった。
『絶対 ハルを誘う!』
どくん、と心臓が跳ねるのを感じた。そんな雲雀の字がでかでかと、マジックで書いてあったからだ。おまけに日付にはぐるぐると囲いがしてある。チラシの中で一番大きな日付の文字は、七月二十六日にその花火大会が開催されることを知らせていた。机の真ん前の壁にかけてあるカレンダーも、七月二十六日に星がつけられていた。
「雲雀……」
七月二十六日。それは俺の誕生日だ。
 




