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1.白黒の世界

 色が失われた世界、全てが白黒に見える世界って、どんなのなんだろう。


 教室の窓から見える夕暮れの景色をぼんやり見ながら、俺はそんなことを考えていた。えー、あー、と言いすぎて、結局何が言いたいのか分からない古文の先生の授業が、何となく聞こえる。


「……」


 特に楽しい光景というわけではない。古文の授業が退屈というわけでもない。ただ、何となく外を眺めたい気分だった。二年生になってから、いやにそんなことが多くなった気がする。


「……ん」


 俺はふと、外の景色に飽きて、右斜め前の席に座る女の子を見た。まっすぐ前の方を見て、熱心に授業を聞いている。見ているだけでふんわりした印象を抱かせる、肩にかかるかかからないかという長さの黒髪。

 授業聞いてないのは俺だけか、とふと我に返ったところで、チャイムが鳴って授業が終わる。交代で担任の先生が入ってきて、手短にホームルームを済ませた。途端、教室が賑やかになる。


陽道(はるみち)。今日はどうする?」

「悪い。雲雀(ひばり)と帰る」

「了解。じゃあな、お疲れ」


 中学からの付き合いである(かい)が、俺の下の名前を呼んで近づいてきた。学年が上がって顔なじみがほとんどいない中、海は気を遣って声をかけてくれる。が、俺はその誘いを断って、さっきまで見ていた女の子に近づく。


「雲雀、帰るぞ」

「……うん」


 気弱な返事。だが、これがいつもの雲雀だ。俺の幼馴染の雲雀は、そんな女の子なのだ。雲雀が荷物をまとめ終わるのを待って、一緒に教室を出る。


「……」

「……」


 一緒に帰るからといって、あれやこれやとたわいもない話をするとは限らない。雲雀と一緒にいると、そんなことを嫌というほど感じさせられる。


「雲雀、今日は?」

「……二人ともいない」

「了解。適当なタイミングでうちに来てくれ」

「……うん」


 雲雀は俺の方を見ることなく、ぼうっと前を向いて、聞いているのかいないのか分からない返事をする。が、それは今に始まったことではない。仮に話を聞いていなかったのだとしても、俺に雲雀をとがめるつもりはなかった。


「雲雀」

「……ん」

「……いや、なんでもない。今日の晩メシ、何がいい?」

「……オムライス」

「分かった」


 夕食の希望を聞いて、何か足りない食材はないかと頭を巡らせる。記憶の限りでは間に合っていそうだったので、そのまま雲雀と一緒に帰る。俺と雲雀の家は、マンションの隣どうし。玄関のドアを開ける直前まで、二人で帰ることになる。


「じゃ。また後で」

「……うん」


 雲雀はこちらを見ることなく、うつむいたまま返事をして玄関を入っていった。向こうのドアがぱたん、と閉まるのを見届けてから、俺も家の中に入る。

 俺も雲雀も、共働きの家だ。しかも母親は両方看護師、夜勤のある職業ときた。たまにこうして、双方の母親の夜勤がかぶったりする。その時はどちらかの家に集まって、夕食を一緒に食べることになっている。


「雲雀……」


 家の中にいても、こうして独り言を言っても、何の返事もない。俺が小学生の頃からだから、家に一人だけ、というのにもだいぶ慣れた。慣れたとはいえ、どこか不安に似たものを感じる。

 しかしそれにしても、今日は特別だ。別に問題が分からないわけでもないのに、やたらと宿題をやる手が止まる。何かもっと、重たい不安が俺を支配している。その不安を感じ取ってはいけない、と感じさせるほど。それくらいに重いものだ。


「ふう……」


 今日は二年になって初めての授業だったし、いろいろ疲れているんだろう。俺はそう思い込んで、少し休憩を入れることにする。

 俺たちが通う高校は、地元では進学校と言われていたりする。毎年の大学合格実績も周りの高校より頭一つ抜けている。そんな実績を維持するためか、授業のスピードもなかなかのものだ。受験までに何とか、範囲を終わらせなければ。そんな思惑を、少し感じる。

 俺が麦茶をちびちびと飲んでいると、インターホンが二回連続で鳴った。誰が来たのか見なくても雲雀だと分かるための、二人で決めた合図だ。俺はカギを開けて、雲雀を迎え入れる。


「まだ早いぞ。全然作り始めてもないし」

「……うん。分かってる」


 雲雀はすたすたと入っていったかと思うと、テーブルに数学の宿題を広げ、すとんと椅子に座って何食わぬ顔で勉強を始めた。雲雀のリラックスした部屋着姿に少しどきりとする。


「何か分からないとこがあるとか?」

「……ううん。大丈夫」


 雲雀はノートから目を離すことなく、俺にそう言った。

 雲雀は成績優秀だ。先生が多少無茶な授業進行をしてもうまくついて行っているようだし、飲み込みも早い。むしろ俺の方が雲雀より下で、教えてもらわなければいけないくらいだ。だがいつも夕飯前にやってくる雲雀が、今日はやたらと早く来た。それは雲雀が何か分からないところでもあるんじゃないかと、可能性の低いことを想像させるほど珍しいことだったのだ。


「……ハルは?」

「俺? 俺は、大丈夫」


 嘘だ。何で今日に限ってこんなに不安になっているのか、分からなかった。どうしてなのか雲雀に尋ねたかった。解決しないかもしれないのに、重くのしかかるものが自分の中にあって、早く抜け出したいという思いでいっぱいだった。

 俺はそんな気分を紛らわせるように、雲雀の向かいに座って同じ数学の宿題を広げる。問題集のページが指定されていて、答え合わせまでやってくるというものだ。


「……ハル」

「うん?」

「……これ、何色?」


 ふと、雲雀がちょうどテーブルの真ん中に転がっていたボールペンを指差して聞いてきた。


「それは青」

「こっちが赤?」

「そう」

「……ありがと」


 雲雀は俺が赤だと言ったボールペンを手に取って、丸つけを始める。俺たちにとっては、日常的な会話。けれどよく考えてみればおかしい掛け合いだということは、分かっているつもりだ。

 それがボールペンなのかシャープペンなのか、という質問ではない。ボールペンであることは認識した上で、その色を聞いている。しかも青と赤なんて、対照的と言えるほど色が違う。


 一足先に宿題を終わらせた雲雀が、テレビのリモコンを持って俺の方をじっと見てきた。俺ももうすぐ終わるところだったから、どうぞ、とジェスチャーを送る。そのまま夕方の情報番組をぼうっ、と雲雀が見始めた。あなたの街のいいとこ再発見、みたいなコーナーで、出演者の一人が地元の人と触れ合いながらいろいろ取材をしていた。


「……終わった?」

「終わった。どうする? 父さん七時くらいに帰ってくるらしいけど。一緒でいい?」

「うん。大丈夫」


 俺が問題集を閉じ、スマホの相手をし始めたのを雲雀がちらりと見て、またぽつぽつと会話が交わされる。しかしそれだけで、長くは続かない。雲雀はぼうっとテレビを見つめていて、内容を理解して見ているのかさえ怪しいほど。


「……ん」


 ふと雲雀が立ち上がって、冷蔵庫から飲み物を取ってきた。ペットボトルのオレンジジュースをコップに注ぎ、こくっと一口。


「……!!」


 途端、雲雀が目を丸くした。その反応はしかし、俺が過去に何度か見たことのあるものだ。


「それ、オレンジジュースだぞ」

「……りんごだと思った」

「まったく。ちゃんと確認してから飲めって、いつも言ってるだろ」

「色が、同じだったから……」


 オレンジジュースとりんごジュースを、色が同じだからという理由で間違える。それはきっと、雲雀でしかあり得ないような話だ。


「置いといていいよ。俺が後で飲む」

「……ううん、いい。飲む」


 雲雀には、色が見えない。それが、答え。


 目は見えるし、視界もメガネが要らないほどにははっきりしている。それなのに、世の中のあらゆるものの色を白黒と、色の濃淡でしか判断できない。


 そんな症状を抱えているのは、世界でただ一人、雲雀だけ。俺の幼馴染は、白黒の世界に生きる、ただ一人の人間なのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 取り扱うのがかなり難しそうなテーマですが、これからどんなストーリーになるのか気になります。
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