愛は双方向に向かうものか?
「………?」
私は困惑していた。
膝を打ちつける痛みで反射的に目を開けたら、そこは一面の花畑だった。そして、なんだろう。銀髪に紅の目をした少年が駆け寄って来て私をがばりと抱きしめた。
「ああ! よかった。目を覚ましたんだね、アン」
「ここはどこでお前は誰だ」
早口で問いながら抱擁を解こうと試みる。が、明らかに年下といえど男女の差なのかびくともしない。
「ここは夢魔の里、僕はウィリアムだ」
むまのさと。うぃりあむ。
夢魔ってあれだろうか。昔読んだ絵本に出てきた、人の感情を食べる妖精。それでウィリアム? はて、誰だ?
自称ウィリアムさんはそこでやっと抱擁を解いて顔を見せてくれた。とはいえ肩を掴まれているのでそれでも目と鼻の先だが。
「夢魔に関してはそんな感じでいいよ。そういえば、アンは僕の名前を忘れたとか昔言ってた気がする」
あ。この口に出さなくても通じてる感じは。
「魔術師?」
「そうだよ」
はーーーーーーーーー?????
自爆した……もとい、させたはずなのになぜ生きている? しかも若返って。そしてなんだこのよくわからないシチュエーションは。
「混乱しているね? ええと、僕は半分夢魔だから、死んでもその夢魔部分が残って漂っていたというか。それを母が捕まえてなんとかしてくれたというか」
「お母さん?」
「初めましてこんにちは」
唐突に乱入してきた声の方を向けば、魔術師とよく似た色味の美女が手を振っていた。どうもと会釈してはみたものの、やっぱりよくわからない。
「別にわからなくてもいいさ。なんとかなったってことだけ理解してくれたら。……それより、僕を愛してくれてありがとう。だから僕もアンをいっぱい愛してあげる」
「は!?」
一瞬思考がフリーズしたが、すぐに思い出した。そういえば最期だしと思ってそんなことを言ったような。
顔が火照るのがわかったので、俯いた。「アン?」と呼びかける魔術師に私は俯いたまま言葉を叩きつけた。
「最低。大っ嫌いだもういっぺん死んでこい」
――――
その後どうなったかはあまり覚えていない。
魔術師のお母さんが仲裁に入った気がする。そして魔術師を置き去りに森の中の家に連行され、気がつけば魔術師のお母さんが出した茶をご馳走になっていた。あれだけ晴れていたのに外は嵐になっている。木の葉を雨粒が叩く音が聞こえるくらいに。
「魔術師のお母さんも物好きな方ですね。仮にも息子さんに暴言吐いた娘を家に上げるなんて」
さっきやらかしたばかりだというのに、懲りずに刺々しい言葉を吐く。けれど魔術師のお母さんは「いいのよ。もっと罵ってやって」などと言いながら向かいに座った。もしかして。
「魔術師のお母さんも、心が読めたりしますか」
「読めるけれど、意識的にやらないように努めてるわ。あんまりやると夫が可哀想だったし。……でも見えるのは仕方ないと思ってもらえると」
「見えるんですか」
「ええ。貴女の周りは今にも降りだしそうな曇天って感じね」
それはわかりやすすぎて自分で泣ける。茶の水面に視線を落とした。
「魔術師もなにを考えてるかわかればいいのに」
「なんにも考えてないわよ。貴女が生きてるだけで大喜びするもの。……でもそうねぇ。あそこまで愚直なお馬鹿さんだと思っていなかったわ」
「魔術師のお母さんもですか」
「私がいけなかったのかしらねぇ……。愛してもらったならお返しをしなさいとはくどくど言っていたのだけれど。アンさん、貴女はうちの子に愛されるのはお嫌?」
正面から尋ねられて苦い顔になってしまう。
「さあ? なんなんでしょう。単純に混乱するといいますか。今までの女癖の悪さを知っていると騙されるものかという気持ちが先に立ちますね」
「あー……。それはあの子の自業自得ね」
私もそう思うが、まさか『死んでこい』と口にするとは自分でも驚いた。言葉がいかに重いものであるか承知しているが故に、『死ね』とかの類は絶対に口にしないよう心がけていたのに。照れ隠しにしたってやりすぎだ。
自爆して魔王を倒せと言ったら笑顔で頷いたのを思い出す。……本当に死んでしまったらどうしよう。
「でもいつまでも雨だと鬱陶しいから、気は進まないかもしれないけれどあの子を慰めてあげてくれない?」
「え?」
魔術師のお母さんは窓を指差した。
「これ、あの子がショック受けて落ち込んでいるが故の嵐だから」
「はい? 落ち込む? あれがですか?」
「その気持ちはわからなくもないけれど、確かにあの子のせいよ。貴女から心をもらったら半分人間の癖にどの夢魔より強い魔術が使えるようになっちゃって、コントロールに苦心しているみたい。百年経ってもこのザマよ」
「魔術師は心がないと自分で言っていましたが」
「今はあるわよ。貴女が愛情をあげたからね。私達はそういう種族なの。傘はそこにあるから。悪いけど、お願いね」
――――
貴女が起きた時は憎らしいくらいに晴れていたのにね。
傘を広げて森の中を歩きながら反芻する。道がわからないしと言ったら「夢魔の里は思うだけで行きたいところに行けるわよ」と教えられた。なので一応魔術師のことを思い浮かべながら歩いているのだが、一向に見つからない。
そして思った。これ、傘要る?
傘が傘の役割を果たしていない。風で吹き込む雨で既に頭以外はびちょびちょだ。脚にまとわりついてくるスカートが気持ち悪い。これが私の一言によってもたらされたものだと考えると、済まなく思うと同時に腹立たしい。とうふメンタルすぎないか。
「……ウィリアム! どこ!?」
意を決して声を出すと、あっさり目の前に現れた。ウィリアム母も呼べばいいと教えてくれればよかったのに。
ウィリアムは私を見つけた途端、目を見張って近寄って来た。突然ハグされた記憶が新しい私は逃げ腰になるけれど、踵がコツンと木の根に当たった。
「アン、ずぶ濡れじゃないか!」
「それを言うならウィリアムもでしょ。そっちは傘ないし」
ウィリアムはまた目を見張った。あれ、風が少し弱まったかな。
「と、とりあえずなんとかしよう。人間はすぐ体を壊すんだから」
その慌てぶりは女性慣れしているとは到底思えなくて、おかしくて。少し笑ってしまった。
「はいはい。責任取ってなんとかしてください。……あれ?」
傘を退けた。空に向かって手を差し出す。
「晴れたね」
あまりに単純すぎてこれも笑ってしまう。なんだ。くそ、可愛いな。
顔を向ければ不機嫌そうなウィリアムと目が合った。そうだろうそうだろう。心の中を覗かれるというのはそれだけ嫌なことなんだぞ。
だから言葉を大切にしていたんだ。
「ウィリアム。愛してあげるとあんたは言ったけど、私はこの通り正面から受け止められない。それは許して欲しい。でもちゃんとあんたに届くように、私もなんらかの形で返してあげる。それでいい?」
『死ね』『殺す』が『好き』『愛してる』であるように、私の愛情は相手と逆方向にぶん投げて、世界をぐるっと一周してから届くくらいに面倒臭い。私が男だったらこんな女願い下げだけれど。
「いい……いいよ!」
ウィリアムは笑った。ちゃんと心があるとわかる笑顔で。それが私があげた愛情による産物っていうなら、うん、悪くない。




