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ウィリアムとアン

ウィリアムからはこんな風に見えていた




 僕には人ならざる者の血が半分流れている。


 親の顔は知らない。ただ、気がついたら生きていた。単純明快、それだけ。けれどどっちつかずの僕は人ならざる者には受け入れられなかったし、僕には人間の持つ情というものがなかった。


 ひたすら、美しいものに惹かれた。


 中でも人間がバタバタと足掻いて描く恋愛という絵が好きだ。キラキラと幸福に満ちたものもあれば、憎悪渦巻くどす黒いものもある。十人十色な感情はなかなか腹を満たしてくれる。腹が減っては、そこらの女に色目を使ってつまみ食いを繰り返していた。幸い、人外の造形は人間の女が好む外見だったしね。


 あ、ちなみに男の恋愛感情なんてまずくて食えたものじゃないから。


 人間の感情があんまり美味しいので、手っ取り早く人間に化けて混ざっていたら、いつの間にか魔王討伐軍なんてものに加えられてしまっていた。面倒なことになったと思う反面、必然的に様々な人間が集まって来るからつまみ食いし放題だなとも思った。


 けど、聖女エレアノーレが勇者ジョルシュに向ける恋愛感情をつまみ食いしたら、あるかどうかも怪しい胃がもたれた。口直しになんかさっぱりした感情が食べたいなと思ったら、真っ先に浮かんだのが軍師アンの顔だった。『神の声』の代弁者。なかなか淡白だったよなぁと思いつつ、ある日会議で彼女の心を覗いてみた。


『眠い……さっさとこの会議終わんないかな……。聖女の茶番がクソ長い』


 思わず吹き出してしまいそうになった。確かにエレアノーレの話し方は過度に装飾されており、聖女像を上手く構築している。だがいかにエレアノーレが巧みに言葉を操ろうとも、動かされるべき心がない僕から見れば『茶番』と形容するしかない。まさか同様に感じる人間がいたとは。


『聖女って勇者のこと本当に好きよね。見てるだけで胸焼けがするわ。まあそれもこれで見納めだと思うとせいせいする。だって勇者は次の作戦で死ぬし』


 僕はおやおやと思ってアンの顔を見た。だが不機嫌そうに眉間にシワを寄せたまま、ぴくりとも表情を変えない。そこに憎しみや恨みといった感情はなかった。ジョルシュが死ぬという事実を受け止めただけ。

 自分も大概だが、アンもなかなかの人でなしだ。僕はアンに興味を持って会議の後に呼び止めた。


「アン」


 振り向いたアンは微かに翡翠の瞳を見張った。


『魔術師か。名前は忘れたけど、確か女に次々手を出してるとかいう』


 心の声に応じるように、アンの眉間のシワが深くなった。


「なんでしょう。先程の作戦でわからないことがありましたか?」


 返す声音も低く不機嫌さが滲み出ている。僕は警戒心を解くようににこりと笑いかけた。


「いや、少し君と話したいと思っただけだよ。……そう警戒しなくていい。君が聞いたその噂はデマだから」


 ぱちぱちとアンの瞳が瞬く。僕が心を読んだことに気づいた。単純な神の代弁者という訳ではなく、賢い娘であるようだ。


「僕は多少、人の心が読めるんだ。アン、さっきの会議の間ずっと『眠いから早く終われ』って思っていただろう?」


 わざわざ開示してやったというのに、アンは疑ったままで更に『心が読めているとしたらキモいな』とまで思っていた。


「疑ってくれて構わないが、キモいというのはちょっと酷いな」


「キモっ」


 今度は口に出された。それは小声だったにも関わらず、聞き耳を立てていた女の子達に拾われた。彼女達が聖女の天幕へ向かうのを見て溜息を吐いている。僕はその唇に人差し指を押し当てた。


「口は災いの元。特に神の代弁者たるアンの言葉は重い。発言には気をつけて」


 触れたことで深層心理にまで踏み込めるようになる。覗いてみて驚く。


『いや』

『本当は誰にも犠牲になって欲しくない』

『神の言葉なんて無視して』

『誰かに助けてもらいたい』


 ああ、なるほど。弱さを鎧って隠す娘なのだとわかった。小さいながらも純粋なそれを千切って味見してみると、綿菓子のようにふわふわと甘かった。


 予想以上に美味だったので反応が遅れた。アンが私の指を掴んでぐいっと曲げた。嫌がらせだろうが、痩せた小娘の力程度で痛んだりはしない。


「忠告、痛み入ります。今後は気をつけますね」


 口ではそう淡々と述べておきながらも『触るなこの気障男』と心の中からメッセージを送ってきた。踵を返して自分のテントに颯爽と戻っていった。


――――


 端的に結果だけを述べれば、ジョルシュは死んだ。


 神とやらが決めたことなのだから当然だが、知らされていなかったエレアノーレは怒り狂ってアンをぼこぼこにした。野次馬も殴る前に止めてやればいいのにと思いながら、水辺へ向かったアンを追いかけた。フラフラと歩くアンの頬に手を当て、深層心理を覗く。


『誰も死なないで済む方法が』

『神に聞いても』

『沢山の人が死ぬよりは』


 混乱しているせいか思考が定まっていない。首を竦めたアンになんでもない風を装って話しかける。


「水より冷たいと思うけど、どう?」


 喋ると切れた口の傷が痛むのか、心の中で呼びかけて来た。『なにしに来た』というので、最もらしい理由を選ぶ。


「手当てが必要だろう?」


『だからって文字通り手を当てるやつがあるか。回復法術でも使ってくれてもいいじゃないかこの人でなし』


「人じゃないからね、僕は」


 腫れた頬に体温のない手が心地よく感じられるようなので、もう片方の手も添えて頬を挟む。


「僕は半分人ならざる者の血を引いている。そのせいか、人間らしい情は持ち合わせてはいないのだよ」


「……嘘」


 ポツリと呟いて否定された。心の中では下衆と罵ってくれていたが。ああ、火遊びはアンの感情が大分美味しいので最近はめっきりしていないのだけれど。


「僕は情があるように振る舞っているだけさ。アンが僕を下衆と思おうがどうでもいい。勇者という最小限の犠牲であの場を切り抜けた判断も、合理的な判断だよなって思うだけ」


「……魔王は自分一人でも倒せるから?」


「そう」


 やはりアンは知っていた。人でなしの僕は、必要な対価さえあればそれを単純に魔力として使うことができる。五人も犠牲にすれば魔王までの道のりは三日で踏破できるくらい。けれど、それは面白くないのでやらないだけ。


 もしかしたら、アンはそのことに気づいているかもしれないけれど。


「相手が望む言葉を掛けるのに慣れてるのね」


「そうだね」


 たった一人犠牲にしたくらいでアンが気に病む必要はない。神の言葉なんて聞こえなくても、あの作戦でジョルシュを犠牲にしなかったらもっと沢山の人が死んでいた。

 けれど、アンの深層心理は急に凪いだ。


『たった一人の犠牲で済んだなんて考えたくない』

『それをわざわざ言ってくる魔術師なんて嫌いだ』

『大嫌い』


 大嫌い、と初めて向けられた感情に驚いていると、手を払いのけられた。


「人間馬鹿にするのもいい加減にしろ。私は私の判断を誰かに肯定してもらいたい訳じゃない」


 よろよろと歩いていくアンはどす黒い感情を靡かせている。見るからに不味そうな『大嫌い』の感情を興味本位でつまみ食いしてみると、頬が蕩けそうな程美味だった。


 おかしい。


 なんで、だって、どうして?


 もう一口、と確かめてみても変わらず飛び上がるくらい美味しくて、僕は『大嫌い』の虜になった。


――――


 でもアンはなかなか『大嫌い』を出してくれなかった。


 『大嫌い』でなくともアンの感情はさっぱりした甘さで美味しいのだけれど、やっぱりあの味が忘れられない。『うざったい』は喉にイガイガが残るし、『しつこい』はねちゃっとしている。『なんだ魔術師か』とか『またお前か』はふかふかしているから割と美味しい。

 もっと、もっとと夢中になって、もしかしたら両親もこんな感じだったのかなと思いを馳せた。


 再び『大嫌い』をやっと味わうことができたのは、魔王を倒すほんの少し前のこと。


「ねえ。自爆戦法で魔王を倒して欲しいんだけど」


 珍しくアンから話しかけられたと思ったらとんでもないことを言われた。


「それは神の言葉?」


「うんそう。だから死んで」


 嘘なのはわかっていた。神の言葉を曲げて僕に自爆を指示してきたのだと。

 僕はといえば背中を刺すような歓喜に間髪入れずに頷いていた。理由は簡単、アンが死ねと言ったから。アンは言葉を扱う役目なだけあって、どれだけ悪態を吐こうが『死ね』と『殺す』だけは絶対に言わなかった。


 どうしようもなく頬を緩ませる僕にアンは眉間のシワを深くした。その瞬間『大嫌い』がアンから発せられた。僕は夢中で貪った。


 僕は生に執着することはない。だから自分の命を使って魔王と相討ちになるのに全く抵抗はなかった。


 自らを魔力に変換し魔王を倒した僕は、消滅することのない人でなし部分しか残らなかった。人間でいう魂のようなものになって宙を漂う。自分の半分を引き裂かれたようなものなので、筆舌に尽くしがたい架空の痛みがあった。それでもその後のことはしっかり見届けた。


「人でなし! 貴女のように心がない人を、わたくしの国に連れ帰る訳には参りません!」


 エレアノーレは容赦なくアンを水晶の中に閉じ込めた。そんなことをするエレアノーレの方がよっぽど人でなしと呼ぶに相応しいよなぁ、と宙をふよふよ漂いながら思った。

 ふと、アンの心が凪いだ。これは『大嫌い』をくれる予兆だと理解した僕は、体があるつもりでなんとかアンの側に寄ろうともがいた。


 でも、アンがくれたのは『大嫌い』ではなかった。


『ありがとう』

『愛してる』


 それは黒い感情ではなかった。キラキラと眩く光るその感情は、僕が触れた途端に弾け、僕の欠けていた部分を満たし、癒した。『大嫌い』よりも甘く、美味で、極上の味。

 もっと! もっと!

 もしも肉体が残っていたのなら、アンに飛びついていただろう。けれど僕は宙に舞う埃の一片よりも儚い存在に成り果てた。失って初めて、肉体がないのは不便だとしみじみ思った。後悔してももう遅い。


 後悔?


 はて、と首を傾げたい気持ちになる。気持ち、そう、気持ち。僕はどうやら、アンの置き土産で情を得てしまったらしい。




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