辺境伯とその婚約者
たくさんの方に読んで頂き、その上ブクマや評価、感想を頂いてとても嬉しかったので、少しでもお礼をと書かせて頂きました。
レーヴとデュークのその後になります。
大きな琺瑯の鍋に木のヘラを突っ込んで、レーヴ・グリペンは丁寧に丁寧に鍋の中身を混ぜた。
くつくつと煮える甘い果実は、ハーディベリーという。この地でしか収穫出来ない珍しい果実で、こうして煮ることによってより一層その芳醇な香りを楽しむ事ができるのだーーそれは、レーヴが見つけた方法である。
「ふふ……うふふふふ……ふはっ」
煮えたぎる大鍋を前に不気味な笑い声を漏らす彼女を、調理台に頬杖をつきながらうっとりと見つめる男が一人。
彼はここ、辺境ハーディルを治める辺境伯、デューク・オロバスである。
漆黒の髪に黒玉のような目。通り過ぎる人が思わず『魔王降臨か⁈』と呟くほど魔王か堕天使かといった妖しくも麗しい風貌を、今はこれでもかとだらしなく緩ませていた。
厨房の奥では、ここを職場とする料理人が、主人とその婚約者の甘やかな時間を邪魔しないように、存在感を限りなく空気にして豆を莢から取り出す作業に没頭している。
料理人見習いは、普段笑みさえ浮かばない主人の顔が、有り得ない表情を浮かべていることが信じられないらしく、手元の豆が増えるにはまだまだ時間がかかりそうである。
デュークが辺境伯となってから、いくつもの季節を超えた。その傍には常に、レーヴの姿がある。
普通の令嬢だったら卒倒しそうな、娯楽の一つもないこの地で、彼女は小麦一つ、果実一つに目を輝かせ、こうして自ら試行錯誤を繰り返し、納得がいくものを領民に普及させていた。
人も住まない辺境の地であったハーディルは、今や小麦を扱う職業の者ーー特にパン屋のユートピアと称されるまでになっている。
村もなかったこの地に村を作り、麦を育て、国内のパン屋垂涎の、こだわりの小麦粉を作り上げるに至ったのは彼女の功績が大きい。
軍上層部からは「そろそろ首都に戻って来て結婚して、子作りに励んだらどうだ」と新たなポストを提示されたが、果たして彼女はどうだろうかと、甘ったるい笑みを浮かべたその内面でデュークは思案する。
「ハーディベリーは酸味もあるから、パンに塗っても良いし、ミートボールに添えるのも良さそう。ねぇ、デューク。ちょっと、味見してもらえる?」
相変わらず馬の尻尾のように結ったポニーテールは愛らしい。
くるりとこちらを向いて木ベラを差し出してくるレーヴに、デュークの不埒な手が疼いた。
レーヴの手首をそっと掴むと、デュークは「え?」と相変わらず初心な反応をしている彼女の唇に、キスを落とした。
「んんっ⁈」
しっとりと重ねられた唇の隙間から、ぬるりとデュークの舌が潜り込んでくる。
調理場には二人の他にもいるのに、と息継ぎの合間にレーヴが抗議の声を上げると、料理人が顔を真っ赤にした見習いをひょいと担いで「ごゆっくり」と手を振って出て行くのが視界の端に見えた。
実力行使しようにも、調理台越しではレーヴの分が悪い。グイグイと力任せに腕を動かしても、デュークはキスの合間にくつくつと笑うだけでちっとも敵わなかった。
キスをしながら耳や首筋をくすぐられて、レーヴは堪らず体を震わせる。
腰を中心に体を震わせるものが快感と呼ぶものだと教えられたのは、彼女がデュークとこの地にやってきた夜だった。
あれから、ずいぶん時が過ぎた。
婚約期間にしては、長過ぎる時間である。
王都にいるデュークの仲間、元獣人たちが彼に戻ってきて欲しいと言っていることを、レーヴはマリーやジョージとの文通で知らされていた。
ジョージからは「いつまで恋人期間を楽しむつもりだ?いい加減、おばさんを安心させてやったらどうだ」と呆れられている。
レーヴとしても、いつまでもこのままでいるつもりはない。
甘やかされることに慣れた体は、それ以上を求めるようになっていた。
結婚するまではダメだと自分が言った手前、婚約の身ではしたなく強請ることも出来ず、不完全燃焼のまま二人で悶々と眠りにつくのもそろそろ限界である。
辺境伯としての仕事は、十分成しただろう。
なにもない荒地をここまで盛りたてたのだ、あとは軍部に任せて問題はない。
(次の任務まで、少しだけお暇を頂いてデュークと新婚生活を楽しんでも良いよね?)
そんなわけで、本日、レーヴにはとても大切な仕事が一つあるのだ。
「なっ……も、もう、デューク!」
「たしかに。酸味があるから、肉料理にも合いそうだね」
うんうんと頷くデュークに、レーヴは子供のように頰をぷくりと膨らませていたが、鼻をくすぐる香ばしい匂いが石窯オーブンから漂ってきたのを知ると、あっさり気持ちを切り替える。
ガチャリと金具を外してオーブンの中を見れば、自慢の小麦粉で作った飾りパンがこんがりキツネ色に焼きあがっていた。
デュークから見えない位置にパンを置いたレーヴは、それを隅々までしっかりとチェックする。
パン生地で作った花や葉で彩られたプレートには、文字がついていた。
『結婚する?』
結婚しようじゃない辺り、恋愛に関してどこか気弱なレーヴらしい。
どこにも問題はないと確認し終えて、レーヴはさてどうしようと考えた。予定では、執務室へワゴンに載せた飾りパンを持って行って、サプライズでプロポーズをするつもりだったのだが、予定に反してデュークは背後にいるのである。
心の準備のための時間は、取れそうにない。
(ええーい!女は度胸!)
「レーヴ?パンがうまく焼けなかったの……って……えっ?」
覚悟を決めて振り返ったところで、レーヴの様子を見ようと屈みこんでいたデュークの鼻に、彼女の唇が当たる。
なかなかないレーヴからのキスに、デュークは分かりやすく興奮した。
彼女の焼いた飾りパンなど目もくれず、ギュッと抱きしめたかと思えば、欲望に忠実な手がレーヴのお尻をやわやわと揉みしだく。
「あ……デューク、あの、今は違くて……その、話が……」
レーヴの声なんて、もう睦言くらいにしか聞こえていないのだろう。黒い目は欲望に潤み、彼女の唇を物欲しげに見つめている。
「ごめん、レーヴ。止まれそうにないから、許して?」
(そんな顔、ずるい)
欲望に翳る端正な顔で、子供みたいに甘えておねだりされたらたまらない。
(あぁ、好き……)
調理台に押し倒され、首筋に噛み付くようにキスをされる。
何度されてもレーヴの体は素直にそれを受け入れて、与えられる全てが欲しいと、求めるようにデュークの背に手が回るのだ。
(プロポーズってむずかしい)
結局、デュークの腕の中でしつこいくらい愛を囁かれたレーヴはくったりしてしまって、プロポーズどころではなくなってしまった。
日を改めてプロポーズをしようと計画したのだが、デュークが悉く発情するせいで上手くいかず。最終的に、業を煮やしたジョージがデュークにお叱りの手紙を送り、なんとかデュークはプロポーズするに至った。
のちに、ジョージはげんなりとした顔で言う。
「あり得ない……生まれた子供が男の子だったらレーヴを取られちゃうかもしれないとか、あの顔でそれを言うか?あんな、魔王みたいな顔して……」
果たして二人の第一子はどちらだったのか。
それが分かるのは、二人が王都に戻って一年半後のことだが、マリーが歓喜したのは言うまでもない。
読んで頂き、ありがとうございました。
今、新しい作品の連載をスタートしております。
そちらも読んで頂けたら嬉しいです。