39 任務完了
途中で緩やかな走りになったとはいえ、ロスティからディンビエまでの距離を半日もかからずに駆けるのは強行である。というより、前例がない。歴代の早馬も驚きの記録だろう。
乗馬に慣れているレーヴであっても、辛いものがあった。
朝は脱獄を試み、昼は任務を受け、夕にはディンビエにいるなんて、過密スケジュールにも程がある。
情けないが、レーヴは今ちょっとでも休めば確実に立てなくなる自信があった。
気付かないふりをしているが、本当は膝はガクガク、明日は筋肉痛を覚悟する有様である。
乗っているだけだが、乗馬にはそれなりの技術が必要だ。ましてや、デュークのような魔馬を乗りこなすとなれば尚更である。
ディンビエの首都に着いてから、デュークはポクポクと優雅な足取りで街中を歩いていた。
薄暗い中でも、デュークの美馬っぷりは人々の目を引く。道行く人誰もが美しい馬を見て、その背に乗るレーヴに羨ましそうな視線を注いだ。
ディンビエの民は、そのほとんどが騎馬民族と言われている。
そんな彼らは、デュークの良さを一目で見抜くらしい。異国の少女が乗っていると見ると男たちは強気になるのか、レーヴは数人の男に「馬を置いていけ」と脅迫めいた言葉を掛けられた。
だが、それに黙って従うレーヴではない。
デュークを取り上げられてはたまらないと、馬上から殺気を込めた視線を落とし、不埒者を黙らせた。
女性にそんな視線を向けられたことがないのだろう。男たちはあっさりと怯え、逃げていく。
ロスティの女を舐めてはいけない。もしも全世界怒らせたらいけない女性ランキングがあったら、確実に一位か二位になると自信を持って言える。
(早く着けばいいのに)
レーヴには、やることがいっぱいなのである。こんなところで力を使い果たしている場合ではない。
不埒者の対処をするくらいなら、疲れた体に鞭打って街中を走り抜けたい気持ちだった。
だが、ここはディンビエ。ロスティのように早馬が来たら道を譲るなんていう文化は存在しない。
理性的で紳士的なデュークはそれを分かっているから、おとなしく歩いているのだろう。絡まれる度に後脚で蹴りたそうにしているのを、彼女は見ていた。
レーヴはデュークが敢えてそうしていると思っているようだが、実のところ理由はそれだけではない。
レーヴが自分のために戦っている。
それがデュークには嬉しくて仕方がなかった。
軍人である彼女が戦うことを厭わないのは知っているが、国のためでなくデュークのためにキレているというのが堪らない。
彼女がそれだけ自分に執着してくれているようで、紳士的ではないと自身を諌めながらもついつい足が遅くなる。
レーヴの冴え冴えとした殺気に満ちた目は、デュークをゾクゾクさせた。それを真っ向から浴びる男たちを、蹴り殺したいくらい羨ましく思う。
レーヴに悪いと思いながら、デュークの足が駆け足になることはなかった。
ディンビエの首都にあるロスティの大使館は、首都の外れにあった。
門の前に停まる馬車は、今すぐ走り出せるように準備がしてあるようだ。その周りには護衛らしきロスティの軍服を着た軍人たちが、整列している。
今か今かと待っていたのだろう。整列していた軍人の一人が、レーヴに気付くと一目散に走り寄ってくる。
レーヴは笑い出しそうな膝を叱咤し、デュークの背から降り立った。疲れなど見せない素振りで、彼女は向かってきた男へ敬礼する。
「早馬部隊王都支部所属、栗毛の牝馬ことレーヴ・グリペンと申します!ただ今、総司令部からの任により、書状をお届けに参りましたっ」
「あなたが……!」
ここにもレーヴの伝説を知る人がいたようだ。感激したように握手の手を差し出してくる男に、レーヴは苦笑いを浮かべて手を握り返した。
それを見たデュークが、威嚇するように嘶く。男はデュークの声に慌てて敬礼すると、レーヴから書状を受け取って馬車へ走っていった。
ほどなく、待機していた馬車が走り出した。
馬車の窓から顔を覗かせた男が、レーヴを見る。年齢はジョシュアと同じか、少し下くらい。灰色の髪を撫で付けた、上品そうな好々爺だ。おそらく彼が、この国で大使を務める者なのだろう。
「大切な書状を届けてくれてありがとう。まさかこんなに早く到着するとは思わなかった。おかげで話を通しやすい。ここからは私がなんとかしよう」
「はっ!ありがとうございます!」
「大使館に部屋を用意した。今宵はゆっくり休むと良い」
そう言って軽く会釈をしてきた男に、レーヴは感謝を込めて敬礼を返した。
ガタガタと音を立てて、満足に舗装されていない首都の道を馬車が走っていく。
首都だというのに、その道はロスティの田舎町のように舗装が雑だ。道だけでなく、街並みも、その空も、レーヴが育った田舎の町に似ている。
キラキラと星が瞬き始めた空を見上げ、レーヴは達成感に満ちた吐息を漏らした。
「ふぅー……なんとか、終わった」
レーヴの隣で、デュークが褒めるようにブルルと鳴く。
「ありがとう。でも、まだ一仕事あるんだよねぇ……」
レーヴの言葉に、デュークが不思議そうに首を傾げた。
今にも生まれたての子鹿のようにガクガクしそうな膝を踏ん張り、レーヴはデュークの顔を両手で捉える。
黒々とした目を、真正面から見据えた。
「デューク。ここまで連れてきてくれて、ありがとう。それから……話があるの。二人きりになれるところに、連れて行って?」
レーヴの精一杯のおねだりに、デュークはドキリと胸を高ぶらせた。
小首を傾げて見上げてくる瞳が、甘く蕩けているように見えるのは思い違いだろうか。
「だめ?」
何がダメなものか。
デュークは今にも崩れてしまいそうなレーヴに、そっと寄り添った。
疲れてはいるが、走れないほどじゃない。
言葉を言えない代わりに、背を向けてせがむように尻尾を振ったら、意を汲んだ彼女がひらりと背に跨った。
「大丈夫。きっと、上手く行くから」
そう言ってデュークのたてがみを撫でる彼女の手つきの、なんと優しいことか。
気持ち良さそうに目を眇め、デュークは満足げに鼻を鳴らした。
レーヴは何を話すのだろう。
魔の森で聞こえた彼女の呟きが幻聴でないのなら、もしかしたら良い話かもしれない。
人通りが疎らになった首都の道を、行きより速い足取りでデュークは進む。
しばらく行けば、草原に着くだろう。
あんなに夕日が綺麗だったのだ。夜の草原もきっと、星が瞬いて美しいに違いない。
読んで頂き、ありがとうございます。
次話は土日を挟んだ5月14日更新予定です。
次回のキーワードは『呪い』。
よろしくお願い致します。
とうとう、二人の物語を書き終えました。
処女作だからでしょうか、寂しさを覚えます。
43話で、この物語は幕を閉じます。
あと数話、お付き合いよろしくお願いします。




