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38 魔の森の先は、赤の草原でした

 初めての魔の森を眺める余裕もなく、慌ただしく駆け抜ける。


 あれほど乗りたいと熱望していたデュークの背に乗っているというのに、レーヴは目の前で起こる有り得ない現象に驚くばかりで堪能する暇もなかった。


 後に彼女は語るーーあれは一生の不覚だった、と。


 ともあれ、危惧していたようなディンビエの伏兵や斥候に会うことはなかったし、魔獣が襲ってくることもなかった。


 きっと、森の木々が協力してくれたからだろう。よくは分からないが、木々の協力はデュークの力に違いない。

 三葉のクローバーを四葉に変化させる彼だから、慣れた魔の森の木々に道を開けさせることも可能なのだろう。


 レーヴは謎の現象にそう結論づけて、「ありがとう」と呟いた。デュークの尻尾が、少しだけ高く上がる。


 森を進むにつれ、次第に木々の合間から光が漏れるようになってきた。出口が、近いのかもしれない。

 もう日が落ち始めているのか、紫色の霧と混じる夕陽の赤が毒々しかった。


 入る時と同じように森を囲む低木を飛び抜けたら、柔らかな夕陽の光がデュークとレーヴを包んだ。

 目の前に、朱色に染まった広大な草原が広がる。


「わぁ……!」


 まるで赤い海のような風景に、レーヴは思わず小さな歓声を上げる。

 凍りつく白い海は見たことがあったが、こんな真っ赤な景色を見るのは初めてだった。


 嬉しそうな声を出すレーヴに、デュークは走る速度をやや緩めた。


 頰を刺すような風圧が、和らぐ。

 速度を落として景色を見せてくれる心遣いに、レーヴは頬を緩ませた。


「ありがとう、デューク」


 そんなレーヴへ、「どういたしまして」と言うようにデュークは鳴いた。


 任務中だから。

 デュークはまだ、レーヴの気持ちを知らないままなのに。

 そう思って何度となく気を引き締めているのに、デュークが一緒だとついつい気が緩む。


 いけないと分かっているのに、甘やかされることに慣れ始めていたレーヴの心は、彼がそばにいるというだけで勝手に弛緩してしまうようになってしまった。


 これが良いことなのか悪いことなのか、レーヴは計りかねている。


 レーヴは、警戒心が強いタイプだ。まるで毛を逆立てて警戒する猫のように、容赦がない。


 誰にも甘えず、なんでも一人でこなす。

 そんな彼女は一匹狼タイプとか優等生タイプとかいろいろ言われているけれど、本当は構われたがりの甘ったれ。特にデュークはそれを歓迎する節があったので、家族以上に甘えている自覚があった。


(デュークが悪い)


 これは、八つ当たりだ。気軽に八つ当たりするくらい、レーヴは彼に甘えている。

 何をしたって良いと思っているわけではないけれど、どうでもいいと思っている人より、だいぶ気が緩んでいる。


 けれど、ここまでレーヴを甘ったれにさせたデュークもいけないと思う。

 レーヴは他人に、ここまで心を許したことはなかった。ましてや、家族にだって、こんな無意識に甘えるようなことはなかったのだ。


 父親は最低のクズ野郎。母親は苦労している。となれば、残された妹の面倒を見るのはレーヴの役目になる。母を見れば我儘も言えず、妹のためならと大抵は我慢した。


 そうして彼女の忍耐力は、鍛え抜かれたわけである。理不尽な嫉妬にも耐えうるくらい、彼女は強い。

 そんな彼女が、我慢のがの字も忘れて気安く接するなんて、だいぶ珍しいことだ。前代未聞と言っても過言ではない。


(すっかり、落とされた)


 降参だ。改めて、認める。

 レーヴはデュークが好きで好きで仕方がない。彼がいない未来なんて考えられないし、有り得ない。


 少々残念なのは、呪いをかけると人になってしまうことだ。獣人の彼は、耳や尻尾で感情が丸分かりなところが可愛かった。人になると、それが見られない。


 無くなる前に少しでも覚えておきたくて、レーヴは嫌がられるのを覚悟でそっとデュークの耳に手を伸ばした。


 通常の馬ならば、走っている最中に触られることを嫌う。もしかしたら振り払われるかもしれないと思ったが、予想に反してデュークの耳はレーヴが指先で擽ってもおとなしい。


 レーヴとデュークの間に、どこか和やかな雰囲気が流れ始めていた。

 甘さを含んだそれは、遠慮し合いながらも気にかけずにはいられない、もどかしい空気だ。


「……」


「……」


 探り合うような視線が、絡み合う。絡んでは離れ、絡んでは離れ。まるで初顔合わせの時のように、落ち着かない。


 甘さを増していく空気に耐えかねて、デュークは再び加速した。レーヴも火照り始めた頬を冷ましたかったので、ちょうど良い。


 ドドッと地を踏みしめながら走るデュークの足音を耳に感じながら、ここにきてようやくレーヴはデュークに再び乗れたことに感動することが出来た。


 腿にデュークの筋肉の躍動が伝わってくる。

 獣人の姿をしていた時と同じような体温にホッとしたのも束の間、どうしてそんなことが分かるんだと悶えた。


(あぁぁぁ……私ってば、なんでこう……任務中!任務中なのよ、レーヴ!盛り上がるのはあと!あとなのよ、レーヴ!)


 分かるのは、彼女が獣人の彼に抱っこされたことがあるからだろう。芋づる式にお尻を揉みしだかれたことまで思い出して、レーヴはブルリと背を震わせた。


 ふとしたことで、彼との触れ合いを思い出してしまう。

 離れていた反動かもしれない。


(まるで欲求不満みたい)


 いつからレーヴは、こんなにふしだらになってしまったのだろう。

 レーヴはエカチェリーナへ「馬のままでも構わない」と言い切ったが、それだけでは物足りないと思ってしまっている。

 手を繋ぎたいし、ハグしたい。それ以上だって、したことはないからちょっと怖いけれど、してみたい。


(私って思っていたより欲しがりなのかな)


 好きならば当然の欲求も、初めてのレーヴにはいけないことのように思えた。

 けれど、馬車の中でされた恥ずかしいあれこれや逃げ出したくなるような濃密な甘ったるい空気は、デュークがしたことだ。


(デュークも同じなら、大丈夫か)


 レーヴが膝に乗せられてお尻を揉まれたように、デュークに何かしてみたい。

 そんな風に思うことは、淑女としてはいけないことだろう。ふしだらだと、紳士なデュークは顔を顰めるだろうか。


 けれど、レーヴは軍人であって淑女じゃない。

 それに、デュークならレーヴがちょっとくらい欲しがりでも許してくれそうな気がした。


(……って、あぁもう。また、こんなこと考えて!)


 いかんいかんとレーヴは首を振った。煩悩が、溢れている。

 いくらここが見渡す限り安全そうな草原だったとしても、気を抜きすぎた。


 まるで発情期みたいに、デュークのことばかり考えてしまう。

 落ち着けと言い聞かせるレーヴの下で、デュークもまた悶えていた。


 レーヴは馬の扱いには慣れているが、馬の性事情までは慣れていない。

 牝馬の発情で牡馬の発情が促されることを覚えておくべきだったと後悔するのは、その夜のことだった。

読んで頂き、ありがとうございます。

次話は土日を挟んだ5月13日更新予定です。

次回のキーワードは『異国の地』。

よろしくお願い致します。

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