36 失恋しかけの魔獣の助け方
魔獣保護団体に雇われた男たちの手伝いもあり、準備はバタバタと進められた。
準備と言っても、大掛かりなものではない。主にデュークの準備だったので、レーヴはラウム親子と一緒に応接室に通された。
「……」
「……」
応接室に、重苦しい空気が立ち込めている。そんな中、最初に口を開いたのはレーヴだった。
「エカチェリーナ。ジョージが私の身代わりになってるよ」
「……ここに来る前に開錠してきたわ」
「そう……あんた、悔しそうだね」
「悔しいわよ」
「私はジョージと婚約しない」
「でも、デューク様とだって出来ないわ。だって、彼は馬になってしまったもの」
「リーナ!」
この期に及んでまだレーヴに嚙みつこうとしている娘に、ロディオンは痛む頭を押さえて叱りつけた。
可愛い娘だが、育て方を誤ったのかもしれない。
国家プロジェクトとも言える、獣人の保護及び支援を阻害したのだ。
軍事国家であるロスティでは厳しい沙汰が下されるだろう。いかに王族に気に入られていようと、軽い罰では済まされない。
エカチェリーナはどうなるか分かっていながら、好きな男に尽くすという名目で手を汚した。
いや、もしかしたら本心は違うのかもしれない。好きな男が手に入らないのなら、男が心を寄せる女にもエカチェリーナと同じ目に遭わせてやろうと、そう思ったのかもしれなかった。
やはりロディオンとその妻は、娘の育て方を間違えたのだ。そうでなければ、説明がつかない。
「そうかな?法が許すなら私は馬でも構わないけれど」
「はぁ⁈」
頭がおかしいんじゃないの、と金切り声を上げるエカチェリーナを、ロディオンは鋭い視線で睨みつけた。
ケロリと答えたレーヴを、ロディオンは信じられない気持ちで見た。見目麗しい獣人に恋をするのならまだしも、魔獣の姿でも構わないとは。ロディオンの妻以上に、レーヴの愛は深い。
レーヴの愛に感銘を受けながら、ロディオンはソファから腰を上げ、深々と頭を下げた。
「私の娘が、大変なことをした。本当に申し訳ない。あなたを拉致監禁し、更にデュークにあらぬことを吹き込んで、二人の恋を阻害したことを、謝罪する」
「デュークに吹き込んだ?……エカチェリーナ!あんた、私だけじゃなく、彼にまで手を出したの⁈」
「そうよ、悪い⁈」
「悪いに決まってるわよ!」
レーヴは、二人の間にあったテーブルを飛び越え、ソファに座るエカチェリーナに殴りかかった。
頭を下げたロディオンの前で、キャットファイトのゴングが鳴ったようだった。
持ち得る体術を駆使して戦う彼女たちは、もはやキャットという可愛らしいものではない。刃物を持っていないだけ、マシなのかもしれない。
もしもエカチェリーナが帯刀していたら。そう考えるとロディオンは血の気が引く思いだった。
「リーナ!やめなさい!」
「お父様は黙っていて!」
あっという間に応接室は乱れた。ソファもテーブルもひっくり返り、花瓶も壁にぶつかって粉砕されている。
ロディオンはどうにか彼女たちを引き離そうと手を出したが、レーヴに当たりそうになって引っ込めざるを得なかった。
キャットファイトは、次第にレーヴの分が悪くなってくる。近衛騎士と早馬では、明らかに近衛騎士の方が実戦向きだ。
フラつくレーヴを見て、ロディオンは致し方ないと帯刀していた剣を手にした。
狙いは娘、エカチェリーナである。
そっと二人の視界から消えると、彼はあっという間に娘を昏倒させた。
エカチェリーナがレーヴを拉致する時に使った技を、今度はロディオンがエカチェリーナに向けたのだ。
レーヴからしてみれば、納得のいかない結果だろう。
結っていた髪は解け、グチャグチャになっている。引っ掻かれたのか、頰にはミミズ腫れが出来ていた。
レーヴはムスッとした顔でロディオンを睨みつけてくる。
ロディオンも彼女が納得するまで戦わせてあげたいのだが、今はそうも言っていられない。
彼女には任務があるし、デュークの消滅を食い止めて貰わねばならないのだ。
「この通り、娘は事の大きさを理解していない。私が至らないばかりに、申し訳ない。娘には然るべき罰を受けさせる。だが今は、デュークのことでお願いしたいことがあるのだ」
ロディオンは倒れていたソファとテーブルを並べ直し、レーヴに着席を促した。
デュークのことと言われたら、応じないわけにもいかない。渋々といった様子で、彼女はソファに腰を下ろした。
乱れた髪を、乱暴な手つきで再び結い上げる。
気持ちを切り替えるように深呼吸をした彼女は、しっかりとロディオンを見据えた。
「お願いしたいこととは、なんでしょうか?」
「デュークが今、魔馬の姿をしているのは、あなたへの恋が実らないと絶望しているからだ。娘は、あなたが黄薔薇の騎士を選んだと吹き込んだ」
(なんで……!)
本当に、エカチェリーナは最悪だ。昔から、そう。レーヴに対して容赦がない。
(私だけならまだいい。デュークにも手を出したのは、許せない!)
昏倒し、床に寝かせられたエカチェリーナを睨み、レーヴは唇を噛んだ。
意識のない相手に暴力を振るうほど下衆ではないつもりだが、今だけはそうしたくて堪らない。
怒りを無理やり押さえつけるように、レーヴは震える息を吐いた。
「このまま放っておけば、消滅する。あなたが側にいれば、多少保つだろう。だが、いつかは消滅する。もしあなたがデュークとの未来を願うなら、ある儀式をしなくてはいけない」
「儀式って、何ですか?」
ロディオンの話に、レーヴは食い気味で返答した。
やはり、デュークが魔馬になっていたのは、レーヴへの恋ごころが原因だったのだ。
もしかしたらエカチェリーナに取られたかもしれないという危惧もあったので、レーヴはほんの少し安堵した。
エカチェリーナはどんなことを彼に吹き込んだのだろう。どうして彼はそれを信じてしまったのだろう。
きっとレーヴが監禁されていなければ、こうはならなかった。
いや、もっと早くにレーヴが彼への恋ごころを自覚していれば良かったのだ。
軍人として、情けない。自分の気持ちにも疎い、自身の鈍さが憎らしい。
レーヴは悔しげに手を握りしめた。
「端的に言うと、呪いをかける」
「呪い?」
物騒な手段に、レーヴは険しい顔をした。呪いとは穏やかではない。
「そうだ。我々は命を繋ぐ呪いと呼んでいる。その名の通り、君の命とデュークの命を繋ぐ呪いだ。君が死ねばデュークは死に、デュークが死ねば君も死ぬ。まぁ、恋する相手が死ぬと生きていられない我々には不要な呪いなわけだが……」
いつ消滅するか分からないデュークと命を繋ぐことは、君にとってとても危険なことなのだ、とロディオンは言った。
命を繋ぐ呪い。それをすることで、どうなるというのか。
魔術を使えないレーヴには、さっぱり分からない。
そういえばデュークはレーヴに水属性の魔力があると言っていた。それを使うのだろうか。
「呪いは時に別の効果も生む。命を繋ぐ呪いを施すくらいの覚悟があなたにあるのならば、デュークへの気持ちも本物だということ。どういう原理かは解明されていないが、この呪いを施すことで、魔獣は人になることが出来るのだ」
命を繋ぐ呪いとは、獣人という過程を一飛びして人になれる術らしい。
「え……それ、反則じゃないんですか?」
ポロリとレーヴの本音が漏れた。
だって、そうだろう。命を繋ぐ呪いとは、そういうことだ。
消滅の可能性がある獣人になる危険を侵さずとも、人になる術がある。
「反則ではない。緊急措置だ。それに……人は獣に恋などしないだろう?そういうことさ」
(あぁ、そうか)
そうだ。人は、獣に恋をしない。
レーヴだって、デュークが獣人でなかったら恋にはならなかっただろう。
(今だから、出来ることなんだ)
デュークに恋をしている今だからこそ、この呪いは成立する。
ちょっとズルかもしれないけれど、デュークが助かるのなら、レーヴに躊躇う理由などない。
問題は、その呪いの掛け方だ。
レーヴは魔術を使ったことがない。そもそも、使えるのかも怪しい。
上手に出来るのか、それだけが心配だった。
失敗してデュークに何かあったら、レーヴは死んでも死に切れない。
「……呪いは、どうやってかけるんですか?」
「そう難しくはない」
そう言って、ロディオンは一枚の小さな紙をレーヴに差し出した。几帳面な字でチマチマと書かれているのは、詩のような呪文のような言葉たち。
「彼に触れながら、これを言うだけでいい。結婚の宣誓とそう変わらないだろう?」
ーー死が二人を分かつまで、二人の命は繋がれる。悪魔オロバスの名の下に、この契約を結ぶ。
「死が二人を分かつまで」
「おっと。ここで読み上げてはいけないよ。デューク用の呪いの文言だが、誤作動したら大変だからね」
ロディオンの制止に、レーヴは慌てて口を噤んだ。手にある紙片に、もう一度目を落とす。
「物騒な言葉ですね。悪魔の名の下に、なんて……」
レーヴは敬虔な信者ではないが、この国には女神の加護があるとされている。
悪魔は人を堕落させる悪いもの。悪魔との契約は、禁忌とされているのだ。
ふと、レーヴはデュークが貰うはずの苗字を思い出した。確か、彼の苗字はオロバスだったはずだ。
馬の姿をした悪魔の名前。
獣人はみんな、悪魔の名前を貰う。
(デュークの名前なら、怖くない)
「いえ、撤回します。デュークの名前なら、ちっとも怖くない」
レーヴは貰った紙を大事そうに内ポケットへしまい込んだ。
「準備できたわよ」
ちょうどいいタイミングで、マリーが顔を覗かせる。
ハリケーンが通過していったような室内の様子に、彼女は相変わらずおっとりした口調で「あらあら」と言った。
読んで頂き、ありがとうございます。
次話は5月9日更新予定です。
次回のキーワードは『突撃』。
よろしくお願い致します。