34 再会①
「え……」
レーヴは、驚いた。あんぐりと開けた口から、咥えていた指をそろりと出す。
景気付けのつもりで指笛まで披露してみたが、まさか馬が来るとは思わなかったのだ。
(え、ちょっと待って。あの馬、今、二階から来なかった?なんで、厩舎じゃなくて城内にいるの?おかしくない?……もしかして魔獣⁈捕獲しなくて大丈夫なの?いや、それよりなんだか見覚えがありまくる馬なんですけどーー⁈)
しなやかな筋肉に、艶やかな黒の毛並み。耳も長すぎず短すぎず理想的。無駄なものも足りないものも何一つない。
美馬コンテストがあったら、間違いなくぶっちぎりの優勝だ。誰も彼もが賞賛するに違いない。
歳を重ねて、彼は美しさを増したようだ。レーヴの持つ言葉では、褒めきれないほどに。
(待って。いや、待って⁉︎まさか、いや、そんな、まさか!)
レーヴの混乱も無理はない。
目と鼻の先に、もう一度会いたい、乗せて欲しいと思っていた馬がいるのだ。出来すぎだろう。
会いたいと思うあまり、幻覚を見ているのかもしれない。
レーヴは分かりやすく混乱していた。
無意識に頰へ向かった指先が、ぎゅむっと抓る。当たり前だが、痛かった。
「えーっと……まさかだけど、デューク?」
目を瞬かせながら、レーヴは言った。
彼女の問いに、馬は「よく分かったね」と言うように鳴く。その耳はピンと立ち、尻尾はブウンブウンと鞭のようにしなっている。彼の仕草は、喜びを表していた。
「嘘ぉ……」
呟いたレーヴの顔は、信じられないと言わんばかりだ。
もう会えるはずのない魔馬のデュークが、目の前にいる。
ぶるりとレーヴの全身が、震えた。
まるで、前世で離れ離れになった運命の相手を、再び見つけた瞬間のようだと思った。
雷に打たれたような衝撃とは、まさにこのことを言うのだろう。
彼女の体は、歓喜に打ち震えていた。
そんな一人と一頭を見つめ、マリーは「愛の力ね」と感動に目を潤ませる。
ロディオンは「さすが、デュークが見初めた女」と頷き、エカチェリーナは諦めたように握りしめていた手をパタリと落とした。
「わ、わぁぁ……」
キラキラと目を輝かせて、レーヴは手で口を覆った。
(信じられない……)
ふらふらとした足取りで、彼女はデュークに歩み寄る。
(夢だったらどうしよう。それなら、覚める前に堪能しなくては)
そう思ったら、足は止まらない。心許ない足取りはしっかりとしたものになり、レーヴは床を蹴りあっという間に階段を駆け上がった。
踊り場で佇む馬の首に腕を回し、ぎゅっと抱きつく。
はしたなくもすぅっと匂いを嗅いだら、獣の匂いに森の匂いが混じっていた。
木々の爽やかな香りにハーブのすっきりとした甘さが混ざったような彼の匂いは、レーヴにとって鎮静効果があるらしい。
不安に浅くなっていた呼吸が、途端に楽になった。
「デュークだ……」
艶やかな毛並みは、天鵞絨のようだ。
触り心地抜群のそれを、レーヴは頰を押し当てて堪能する。
デュークは、人の姿をしていた時よりも情熱的な接触に、複雑な思いだった。
しかし、恋い焦がれた彼女に触れられて、嫌悪感なんて湧くわけもない。むしろ、嬉しいだけである。
エカチェリーナによって押し潰された恋心を隠し、彼は慎重に、おとなしい馬でいた。レーヴにこれ以上嫌われないように。
馬の姿でいることで彼女が喜ぶならば、それで良かった。
恋する魔獣は恋した相手にとことん弱い。
恋のためなら死んだって良い、恋した相手になら殺されたって構わないとさえ心のどこかで思っている。
そうでなければ、こんな大博打のような成人の仕方などあり得ないだろう。
どこまでも健気な馬は、恋する少女のしたいようにさせた。
人の姿だったならば、彼女をぎゅっと抱きしめることが出来るのに。そのことを残念に思いながら、デュークは首筋にしがみ付くレーヴの髪に鼻面を押し付けた。
恋しいと告げられない代わりの、キスだった。馬の姿ならば、キスだと気付かれることはない。
これくらいは、許してくれるだろうか。
だって、もうすぐお別れなのだ。少しくらい餞別を貰ったって、バチは当たらないだろう。
馬であってもデュークはデュークだ。たとえ嫌悪の対象になったとしても、恋した人に触られたら理性が揺さぶられる。
キスくらい、と思っても仕方がないのかもしれない。
「……ふぅ」
滑らかな毛に顔を押し付けて堪能したレーヴは、満足したように顔を上げた。馬相手とはいえ、無遠慮すぎたかもしれない。
この馬はデュークなのだと思ったら、人の姿をした彼に抱き着く自分を想像してしまい、今更ながらに恥ずかしく思えた。
頰を染めたレーヴは、慌てて距離を取る。
視線を感じて見上げれば、物言いたげなデュークと目が合った。
しかし、それもほんの束の間。何気ないそぶりで、フイッと視線が外れる。
濡れたような黒い目は、人の姿をしていた時よりも優しげだ。
馬の姿だとまつ毛が長くなるから、余計にそう見えるのかもしれない。
けれどレーヴには、どこか違和感を覚えてならなかった。
(目を、逸らされた……?)
そうなのである。
デュークはいつだって、レーヴの目を見て接してくれていた。
思いの丈が込められた好意に満ち溢れた視線は、時に居たたまれなくて、でも安心感を与えてくれたのに。なのに今は、少しすれ違う。
レーヴは、少し悲しくなった。
もしかしたら何か誤解をさせてしまっただろうか。それとも、何の前触れもなく消息を絶ったことで嫌われてしまったのか。
よくよく考えてみたら、彼は馬だがあのデュークである。不躾に触りすぎたのかもしれない。
どれが原因なのか、分からない。
それでもなんとか彼と目を合わせて話をしたくて、レーヴは言葉を言い連ねた。
「疑っていたわけじゃないよ?でも、ごめんね。せっかく獣人になってくれたのに、私、どうしてもまた馬のあなたにも会いたかったんだ」
合いそうで合わない視線。勘違いなんかじゃないと、レーヴは確信した。
けれど、なぜ、どうしてと心の中は疑問符でいっぱいだ。
思い当たることがいっぱいあり過ぎて、どれを謝ればいいのか分からない。
自身を過小評価するきらいがあるレーヴは、恋をするに値する人間だと未だ自信がない。
恋をするのに資格も何もないのだが、悲しいかな、彼女はそう思っていた。
それでも、デュークへの想いを自覚してからは、そんなことを脇に置いて告白しようとしていたのだ。だというのに、デュークがそんな態度では告白する覚悟が揺らぐ。
「えっと、あの、デューク?どうして、目を合わせてくれないの?」
しょんぼりとデュークが項垂れる。
どうしてデュークはレーヴの問いに項垂れているのだろう。
出会った時はあんなにも意思疎通が出来たのに、今日は全然伝わってこない。
(ううん、違う。私は気付きたくないんだ。もしかしたら、もう、告白しても遅いのかもしれないって)
不慣れなレーヴだって、恋はタイミングが大事だということは知っている。ほんのちょっとのタイミングのズレが、致命傷になり得るのだ。
恋とは、とても繊細なもの。
人の気持ちの移ろいやすさは、身近な人たちを見て十分過ぎるほど知っている。
だけど、デュークは獣人だから、違うと思っていた。
恋に不慣れなレーヴをいつまでだって待っていてくれると、思い込んでいた。
けれど、そう違わないのかもしれない。
(そうだよ。そもそも、どうしてデュークは馬の姿になっているの?それこそ、彼の気持ちが私にないっていう証拠なんじゃない?)
グルグルと考えれば考えるほど、悪いことしか浮かばない。
(怖い。怖い、怖い、怖い!)
ついさっきまで、魔馬のデュークに会えて嬉しいと頰を赤らめていたのに。レーヴの頰は、可哀想なくらい青ざめていく。
(あぁ、なんてこと。私は、こんな時になって気付くなんて)
いつだってレーヴは自覚するのが遅い。今までそうと思っていなかったが、かなりの鈍チンなのかもしれない。
間抜けなことに、今になってレーヴは気付いてしまった。
ジョージにナイフを投擲されて怖かった理由。
か弱い乙女ならいざ知らず、軍人として生きる彼女にとって、殺気もナイフも大したことじゃない。
ならば、彼女は何が怖かったのか。
(私は、デュークを失うのが怖かった)
気付いた所で、どうなるというのか。
もうデュークの気持ちはレーヴにないというのに。
もうどうしたら良いのか分からない。
混乱するあまり、レーヴは感情の制御が出来なくなった。
(私は子供じゃない。ちゃんとした大人なんだから。だから、泣いちゃいけない。きちんと向き合って、冷静に対処しないと)
そうは思っても、レーヴの理性に反して涙が浮かんでくる。
伸ばした袖で乱暴に目元を擦って、涙をなかったことにしたかった。
けれど、どこまでも優しいデュークがレーヴの袖を噛んで引っ張るから、それも出来ない。
ポロポロと涙を流しながら、レーヴはどうすることも出来ずにただデュークを見つめた。
水の膜を介して見ていても、彼と視線が交わることはない。それが、とても悲しい。
間違っているのは分かるけれど、好きにさせておいて、甘やかしておいて酷いと思った。
もう好きじゃないくせに、こんな時でも優しくしてくるデュークが憎らしくも思えて、レーヴは腕を振り払う。
それがますますデュークの誤解を深めるとも知らずに。
読んで頂き、ありがとうございます。
次話は5月7日更新予定です。
次回のキーワードは『不可解』。
よろしくお願い致します。




