17 美形獣人と黄薔薇の騎士の試合①
レーヴが目を覚ました時、そこは早馬部隊王都支部の応接室だった。客用の二人掛けのソファはふかふかで座り心地抜群なのは知っていたが、寝心地も悪くない。
(馬車に乗っていたはずじゃ……)
「あら、起きた?」
テーブルを挟んだ向かい側のソファに腰掛けていたアーニャが、目を覚ましたレーヴに気付いて声をかけてきた。
テーブルの上には消印待ちの手紙が山積みになっている。そして、彼女の手にはスタンプ。どうやら、レーヴが目覚めるのを待ちながら消印を押していたらしい。
「アーニャ?」
「よく寝てたわねぇ」
答えながらもアーニャの手は止まらない。ぺったんぺったんとリズム良く消印が押されていく。さすが先輩、見事な手さばきである。
「なんで、私……」
「うふふ。みーたーわーよー!」
スターンッと勢いよくスタンプを押し付けたアーニャは、その勢いのまますっくと立ち上がった。まるでオバケかなにかを見たような台詞だ。
しかし、ホクホクとした様子からして、彼女が見たのはオバケなんかじゃないと分かる。
「デューク君!とっても美形ねぇ。眼福だったわぁ」
頰に手を当て、キャッキャと笑うアーニャは心なしか若返って見える。ふっくらとした頰をほんのり上気させ、まるで憧れの人に声をかけられた少女のように興奮していた。その目はキラキラと輝いているようである。
(うん、分かる。デュークはとんでもない美形だから)
アーニャの反応は女性として当然だと思う。あんな美形、滅多にいない。
そんな美形とついさっきまで同じ馬車で二人きりだった。
しかも、彼の膝の上で抱かれ、お尻を揉みしだかれたのである。
レーヴは気を失う直前までのことを走馬灯のように思い出して、ソファに突っ伏した。
(うっわぁぁぁぁ‼︎)
失神なんて、訓練で絞め技を食らって以来である。攻撃されて意識を失うならともかく、羞恥による酸素不足で気絶するとは。
自分の耐性のなさに、レーヴは悲しいやら情けないやら複雑だ。
『愛しいレーヴ。誘っているの?』
首筋に当たる獣のような吐息、耳をくすぐる甘ったるい声。思い出すだけで頭が沸騰して爆発しそうだ。
レーヴは残滓を消すように耳から首筋にかけて、手で擦った。
「首、どうかしたの?」
「ううん、なんでもない」
誤魔化すように笑って、レーヴはソファから起き上がった。「これ以上思い出すな」と呟きながら、湧き上がる羞恥心を振り落とすように首を振る。
「ところで、おじいちゃんはどこ?デュークとは会えたの?」
アーニャだけ会ったとなれば、ジョシュアが拗ねるのは必至だ。
応接室に見当たらない彼はどこにいるのだろうとレーヴがアーニャに問いかけたその時だった。
ーードォォォォォォン。
「な、なにっ⁈」
「あー……なんというか、うーん……洗礼?」
「洗礼⁈」
アーニャはなんともいえない表情でぎこちなく笑った。その笑みに嫌なものを覚えて、レーヴは慌てて応接室を飛び出す。
どちらに向かえばいいのかなんて考える必要もないくらい、大きな音は何度も鳴り響いていた。
「なになになに!何が起きてるの⁈」
アーニャが動かないところをみると、仕事に支障をきたすようなものではないのだろう。
しかし、嫌な予感しかしない。
レーヴが音を頼りに向かった先は、厩舎がある郵便局の裏手だった。馬の訓練場を兼ねるそこは、広々とした空き地になっている。
その真ん中に、三人の人物がいた。一人は地べたに座り込み、もう一人はその人に手を差し伸べ、起こそうとしている。残る一人は二人からやや離れたところに立ち、レーヴを見つけた途端キラキラとした視線を向けてきた。
「デューク」
レーヴが名前を呼ぶと、デュークは忠犬の如く従順に彼女のそばに走り寄ってきた。腰から流れる尻尾が嬉しそうに揺れている。さらさらとした毛並みは触り心地が良さそうで、レーヴは思わず梳いてみたいと思った。
「何をしていたの」
「ジョシュアさんが、レーヴとの交際を認めてほしければ勝負に勝てというから」
苛立ちが滲むレーヴの声に、デュークはばつが悪そうに答えた。
嬉しそうに持ち上がっていた尻尾も、途端にしゅんと萎れる。
レーヴの良心が僅かに傷んだが、それよりも心配なことがある。
「勝負したの?老人相手に?」
レーヴは信じられないとデュークを責めるような目で睨んだ。
ジョシュアは歴戦の猛者である。正直、この支部で一番強い。
とはいえ、初老の年齢である彼が戦うのは無謀だろう。なにせ、つい先日もぎっくり腰で数日休んでいたくらいだ。そんな老人相手に、獣人が戦うのはどうしたって弱い者いじめでしかない。
「していないよ。さすがに、ご老人とは出来ない」
「じゃあ、誰としたっていうの」
デュークの視線が訓練場の中央にいる二人へ向けられる。つられるようにレーヴも視線を移した。
よく見れば、起こしているのはジョシュア。起こされていたのは彼女の幼馴染であるジョージである。
「え……まさか、ジョージと戦っていたの?」
「そうだよ。ご老人と戦うわけにはいかないって断ったら、ジョシュアがジョージを呼びつけて、それで戦った」
「えぇぇぇ……」
レーヴは迷惑そうにジョシュアを見て、それから面倒臭そうな顔をして深々とため息を吐いた。
(なんて面倒なことをしてくれたんだ)
面倒というか迷惑というか。いっそジョシュアと戦ってくれた方が良かったとさえ思えてしまう。それはそれでレーヴはデュークを責めただろうが、まさかジョージと戦うなんて。
ジョシュアとしては幼い頃から鍛え上げた自慢の孫を、自分の代役に立てただけだろう。確かに彼は近衛騎士として立派な働きをするだけの能力を持っている。
しかし、しかしだ。彼はジョシュアの目が届かない場所ではレーヴを見下し、「仕方がないから結婚してやろう」なんていう高慢な男なのだ。いくら強くてステキで王都の乙女憧れの黄薔薇の騎士様だろうと、レーヴは願い下げなのである。
(よりにもよってジョージと。デュークが負けることは獣人だからたぶんないだろうけど、もしもジョージが勝っていたら、ジョージとの婚約が確固たるものになるじゃないのっ。もう、もうもうもう!おじいちゃんのバカ!おたんこなす!)
罷り間違ってデュークがジョージに負けたら。そう考えるだけで、恐怖と嫌悪感にぞわりと鳥肌が立つ。
(おじいちゃん、婚約は破棄するから安心しろって言ってなかった⁈)
そうなのである。デュークのことを伝えた際、確かにジョシュアはそう言っていた。なのに、何故。
(負けず嫌いなジョージが異議を申し立てたとか?)
黄薔薇の騎士として乙女から熱烈な支持を集め、警護する王族からも覚えがめでたい。腕も立ち、先輩後輩からも一目置かれている。
まさに才色兼備な彼は、それはそれは高いプライドを持っていらっしゃる。
そんな彼が、お情けで婚約していた幼馴染に婚約破棄されたのである。
ジョシュアがどのように説明したかは知らないが、ジョージのプライドは傷ついたに違いない。
そして矛先はレーヴではなくデュークへ向かったのだろう。
「コラー‼︎勝負はまだ終わっとらんぞ!デューク、戻ってこい‼︎」
ガシャガシャと剣を振りかざしながらジョシュアが叫んでいる。
初老の域に達してるのに、元気なものである。その目はギラギラとしていて、戦を前にした戦士のようだ。
レーヴは見ていないが、デュークとジョージはなかなか見応えのある試合をしたのかもしれない。
ロスティの国民は、圧倒的な強さに憧れる者が多い。血筋よりも強さが重視され、国王よりも総司令官の方に人気が集まるくらいだ。強い者同士の試合など、血湧き肉躍るイベントなのである。
その証拠に、訓練場を囲む柵の向こうではギャラリーが形成されつつあった。
「勝ったんじゃないの?」
「三回勝負なんだって。さっきのは二回目。これから、三回目だよ」
「一回目はどっちが勝ったの?」
「僕」
「二回目も勝ったのに、まだやるの?」
「そうみたいだね」
三回勝負で二回勝利しているというのに、どうしてまだ戦う必要があるのか。騎士なら一回で決めろよと思うが、もしかしたら見応えのある試合にジョシュアが駄々をこねたのかもしれない。
(それほどまでの勝負……気になる)
レーヴを奪い合って戦う二人の美形。
なんてロマンチックなシチュエーションだろう。
ここは「私のために争わないでっ」と目を潤ませたか弱い乙女であるレーヴが両者を止めるシーンなのだろう。
だが、悲しいかな、彼女はそんな可憐な乙女じゃなかった。
見たことのない獣人の戦いぶりを観戦したくてたまらない。
こそこそと喋る二人に、ギャラリーから「まだかー‼︎」と声が上がる。勝手なものだ。
しかし、気持ちは分かる。レーヴとてロスティの国民だ。デュークの戦い方は非常に気になるところである。
(うぅぅぅぅ、気になる。どうしようもなく、気になってしまうぅぅぅぅ!)
デュークはレーヴの期待に満ちた視線にゆったりと微笑み返した。
余裕たっぷりの魔王のような不敵な笑みは、とっても悪そうに見える。
勇者なんて軽く一捻りしそうなデュークに、レーヴの期待は膨らむばかりだ。
読んで頂きありがとうございます。
次話は4月12日更新予定です。
次回のキーワードは『決闘』。
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