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10 思案する少女とむっつり獣人

 パン屋に寄り道をしてから出勤したレーヴだが、午前中は仕分けしておいた郵便物を馬に乗って配達し、今はランチタイムである。


 ポカポカ陽気に誘われるように中央公園へやって来たレーヴは、いつもの定位置である丘の上のベンチに腰を下ろしていた。


 東公園に小川があるように中央公園には噴水があるのだが、その周辺にはレーヴは近づかないようにしている。

 なぜなら、そこにはレーヴがなるべく関わりたくないと思っている人たちがいるからだ。


 盛り場というかナンパスポットというか、指定された区域でもないのに見目麗しい男女や地位の高い者が交流する場となっていて、暗黙の了解で相応しくない者は叩き出される。


 レーヴの地位はそう高くない。名前こそ有名だが、彼女にはまだ実績がないからだ。

 これが大戦中であったなら違ったかもしれないが、レーヴが生まれる前あたりから大きな戦はないのでこれからも位が上がることはないだろう。


 そのことにレーヴが不満を覚えることはない。

 平和なのは良いことだ。王都の端に居を構え、選りすぐりのパン職人が揃うここで生活出来ることは何よりも代え難い。レーヴとしては大満足なのである。


 さらさらと遠くから水の音と共に騒がしい声が聞こえてくる。

 いつもだったら眉を顰めて迷惑そうな顔をしてレーヴはパンにかぶりついているのだが、今日は違った。彼女には珍しく、思案顔で大好物のパンを片手にかぶりつこうともしない。


「デューク」


 ぽそりと口から漏れる名は、昨日のデートの相手だ。


 レーヴとデュークの初デートはなんやかんやありながらも無事に終了した。

 思いがけず恋人たちがするようなことまでしてしまったが、仕掛けたのはレーヴなので文句は言えない。


(子供と戯れるデューク……素敵だったなぁ。イタズラして驚かせてくる子供っぽさも可愛いし、普通にしている時のキリッとした威圧感も慣れてきたらカッコイイ……指先を舐められたのは恥ずかしかったけど。でも、あの色気に失神しなかっただけでも私は偉かったと思う。うん。私、頑張った!)


 面倒なことを押し付けられたと思っていた初日とは大違いだ。たった一回のデートでレーヴはすっかりデュークへの好感度を上昇させている。

 さすが美形と言うべきか、それとも恋愛経験ゼロ故の諸々の耐性のなさがそうさせたのか。どちらにしても警戒心がなさすぎである。


 ここにマリーがいたら上品そうな笑みを浮かべつつ内心ではしてやったりな顔をしているのだろう。その後ろでウォーレンは幸せそうな妻に満足しながらも、


『どうして誰もレーヴに教えなかったんだ。男は狼なんだぞ?あ、いや、あいつは馬なんだが』


 なんて心配していたに違いない。残念ながらここに彼らはいないし、彼女に注意するような人物もいなかった。


(なんか……思っていたより大丈夫そう?)


 恋なんて出来ないと思っていたけれど、そうでもなかったらしい。

 デュークは分かりやす過ぎるくらい好きだと全身で訴えてくる。

 どこぞの誰かのようにレーヴを悪し様に言ってこないし、いたずらはするけれど意地悪はしない。

 そのままでいいんだよと言われたわけではないが、デュークのそばにいるとありのままの自分でも大丈夫だと思える安心感があった。


 レーヴにとって恋愛市場にいる男とは、どんなに可愛い女の子を手に入れても『自分の好みに近づいてほしい』『自分の影響を受けてほしい』と求めてくるものだと思っている。

 そして、女性側が努力して要求に応えてもあっさり捨てる。

 大事にされるのは一過性のもので、そんなものだと思っていた。


 だから、彼女は最初からいろいろ諦めてしまったのだ。

 だって、報われないじゃないか。

 どんなことをしても満足してくれず、満足出来たと思っても次々に欲が沸く。


 女性を取っ替え引っ替えしたり、好きなら好かれるように努力しろだなんて一方的すぎる。

 好いた相手に誇りを持ってもらえるような人になりたいと自主的に頑張るならまだしも、俺のために云々と強要するのは頂けない。


 レーヴがそう思うに至ったには訳がある。

 彼女が知る男なんて多くない。

 最も近しい父親は浮気性で滅多に帰宅せず、母は随分と苦労した。


 父親以外だと幼馴染のジョージが一番近くにいる男だったけれど、ひどいものだった。

 俺が好きなら努力しろと亭主関白を気取り、彼を恋愛対象として見ていないので当然努力もしないレーヴにはブスだなんだといちゃもんをつけ、挙句に結婚できなかったら嫁に貰ってやるなんて偉そうに言ってくる。

 そんなにモテるならさっさと結婚すればいいのに、歴代彼女をポイ捨てしてきた顔と地位だけは優秀な最低野郎。


 父親不在の女系家族で育ち、長らく男性と接してこなかったレーヴにとって、一般的にはそう多くないタイプのジョージが男の典型だと思うようになるのは致し方無いことかもしれない。


 だが、デュークの出現でそれがひっくり返ったのである。

 レーヴをありのまま受け入れ、何も求めて来ない。出来れば好きになって貰いたいのだろうが、それをおくびにも出さない。

 レーヴよりも遥かに価値のある存在なのに偉ぶらない。

 そうしてレーヴの偏見を掻い潜り、彼女の伴侶候補に躍り出たわけだ。


 それは彼が人間と違う感性を持つ獣人だから出来たことなのかもしれない。

 彼らの恋は盲目的だ。人族のようにフラフラしない。

 これと決めて魔獣から獣人になるので、余所見なんてしないのだ。


 恋なんてするものじゃないと無意識に自分を戒めていたレーヴだが、少しくらいはいいかもしれないと思い始めていた。


 レーヴにとって、これはとても良い変化に思えた。

いつも自分なんてと卑下して生きてきたけれど、そのままを受け入れてもらえることはこんなにも心地よいのかと驚くばかりだ。


「もっと一緒にいられたらいいのに」


 デュークの隣は陽だまりのように暖かくて安心する。

休みの日といわず、休憩時間や勤務後も会いたいと思う。


「また、手を繋ぎたい」


 レーヴより大きくて少しだけ体温の高い手に優しく握られると、ドキドキするけどとても穏やかな気持ちになれる。


 こんなことは初めてだった。

王都の乙女が一度はロマンスを夢見る『黄薔薇の騎士様』である幼馴染だが、一度だってときめいたことはないし、安心したこともない。


 小さな頃はたくさん手を繋いだけれど、その度に悪戯という名の虐めを受けていたので今となっては忘れたいくらいなのだ。水溜りに突き飛ばされて、彼の前で着替える屈辱はいくつになっても忌まわしい記憶である。


 しかも、見目もよく王族の覚えもめでたい幼馴染はとんでもなくモテるので、レーヴは彼目当ての女性陣に不要な嫉妬を浴びせられる羽目になっていた。


「あぁ、なんだか腹が立ってきた」


 もしレーヴが転んで泥まみれになっても、デュークは目の前で着替えさせるなんてことはしないと思う。


「デュークなら、優しく抱き上げて家まで送ってくれそう」


 デュークのことを考えるだけでワクワクする。

胸がときめくということはこういうことかしらと思いながら、レーヴはようやくパンを食べ始めた。


 クリームチーズとスモークサーモンのベーグルサンドは相変わらず美味しい。爽やかな香りのするハーブが良いアクセントになっているとレーヴはしみじみ思ったーーその時だった。


「それは、僕が貴女を優しく抱きかかえて家に帰っても良い、ということ?」


 ひょこりと背後から現れた美声の持ち主が、レーヴの頭に頰を寄せる。すり、と鼻先を寄せてくる馬のような仕草に、彼はやっぱり馬なのだなとレーヴは改めて思った。


「どう思います?レーヴ」


 デュークの声が頭に響く。

甘い響きは腰に響くのでやめて欲しかった。

レーヴはなんだかムズムズしてお尻が落ち着かない。腰をモゾモゾさせながら、レーヴは困ったように唇をへの字にした。


 頭上でデュークがねっとりといやらしい視線で彼女の腰つきを眺めていても、大きなお尻が実にキュートだと美形が鼻を伸ばしていても、レーヴは露ほども疑わないのだ。純粋すぎるのも考えものである。


 レーヴは、腰に纏わりつく謎の感覚に戸惑いながら、それでも困惑を打ち消すようにツンとして答えた。


「わ、私が泥まみれになったらの話だから、大丈夫」


「なんだ、残念」


 ふわりと頭頂部の髪に何かが押し当てられて、離れていく。

羽が掠めるような微かな感触に、何をされたのか思い至ったレーヴは、恥ずかしさに小さく唸りながら意味もなく左手を握ったり開いたりした。


 そんな彼女の隣に当たり前のように腰掛けたデュークは、忙しなく開け閉めされている彼女の左手をしばし見つめて、おもむろに握った。

驚いたレーヴの右手からベーグルサンドが落ちる。デュークはそれをひょいとキャッチすると何事もなかったように彼女の手へ戻した。


「はい、どうぞ。お昼、終わっちゃうから早く食べようね」


 言い聞かせるような言葉に、レーヴは子供扱いをされているような気分になった。

一体彼が何歳なのかは分からないが、子供扱いをされるほど年の差があるのだろうか。

探るようにデュークの顔を見つめれば、余裕たっぷりに嬉しそうな微笑みを返されて、レーヴは『絶対年上!』と思った。


 年下にしろ年上にしろ、恋愛に関して言えばデュークの方が先をいっている。今のレーヴのような『好きかも』程度の気持ちでは獣人になんてなれないだろう。


「デュークはもう食べたの?」


「僕はもう済ませてきた。少しでも君と一緒に居たくて」


 するりとデュークの指がレーヴの指に絡んだ。所謂、恋人繋ぎというやつだ。

あんなにべったり繋いで恥ずかしくないのかと思っていたが、体験してみて分かる。

やっぱり、恥ずかしい。誰が見ているわけでもないのに、レーヴの心臓がドキドキと早鐘を打つ。


「レーヴの手、温かい」


 嬉しそうに微笑まないでほしい。そうでなくとも一杯一杯なのに、これ以上どうなれというのか。


(温かいのはそっちでしょ⁈安静時の馬の体温は三十七度から三十七度八分っ。私より体温高いっ!)


 頭に血が上ったレーヴが、デュークの指がさわさわと彼女の手を撫で回してその柔らかさを堪能していたことに気がつくのは、大分経ってからのことだった。

読んで頂きありがとうございます。

次話は4月3日更新予定です。

次回のキーワードは『幼馴染』。

少しずつブックマークも増えているようで、ありがとうございます。

これからもよろしくお願い致します。

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