01 一人と一頭の出会い
大陸の北方に位置し、世界でも有数の豪雪地帯であるロスティ国。白き地を意味するその名の通り、広大な国土は半年もの間、雪で覆われる。
長い冬と短い夏。人々は少しでも冬の蓄えを得るために余念がない。
国境の大仰な要塞も、幼い頃から男女問わず「優秀な軍人たれ」と教育されるのも、他国から軍事国家と恐れられるのも、全ては冬ごもりの準備に少しでも時間を割くためであり、決して他国を侵略しようとかそういうわけではない。
小国が乱立し、領地を巡る争いの絶えない大陸にあって、この国の広大な土地は魅力的なのかもしれないが、冬のことを考えれば大した益もない。
早く落ち着けばいいのに――と多くの国民が願ってやまないのである。
ロスティの夏は短いが、春もまた同様に短い。
雪が解け、花が咲き、蝶や蜜蜂が飛ぶ頃になると、王都で開催される大きな行事がある。
春の訪れを祝い、軍事大国と言われる国の威信と他国への牽制をかけた、軍事パレードだ。
鼓笛隊を先頭に、徒歩隊、騎馬隊、近衛騎士隊、王族の馬車、近衛兵隊、そして最後に学生部隊が列を成す。
正式な礼服を身に纏う彼らはとても煌びやかで豪華だ。
冬ごもりの間にチクチクと頑張った甲斐もあり、刺繍や装飾の施された衣装は芸術作品のようだとも称される。
軍事パレード開始まであと十五分という時刻。
今、一人の少女が馬に乗り、王都郊外の草原を必死の形相で走っていた。
「あぁ、もう。どうしてこんなことになってるの」
舌打ちしたところで、何も変わらない。軍事パレードに遅刻だなんて、どんなお咎めを受けることになるのだろう。
「どうか、どうか、間に合ってぇぇぇぇ」
不安と緊張でイライラしながら、少女――レーヴ・グリペンは叫んだ。レーヴの声に応えるように、馬が嘶く。
ビュンビュンと風を切るようにスピードを上げていく馬に、レーヴはやるじゃないとたてがみを撫でた。
早く、早く。間に合わないといけない。間に合わせないといけない。
どうしてこんなことになったのか。分かりたくもないが、分かっている。
彼女の幼馴染に恋する少女が、彼女に嫉妬して酷い嫌がらせをしたせいである。
まず、用意していた新品の軍靴が切りつけられていた。器用に『大尻女』なんて刻まれていたから、どうせあの子の仕業だろうとイライラした。
おかげで朝から使い込んだ軍靴を磨く羽目になったのだ。自室に侵入されても気付かない、自分の寝汚さにも腹が立つ。
なんとか寮の朝食の時間に間に合ったものの、遅いせいでメニューを選べず、大嫌いな緑色の野菜ジュースを飲まなくてはいけなかった。
残すという選択肢もあるにはあったが、どこであの子が見ているか分からない。
女の嫉妬は最悪だと呟いて、レーヴはドロリとしたそれを意地で飲み干した。
口に残る青臭さを消そうと、トイレでうがいをしていたら閉じ込められた。
ガタガタと音を立てて扉を施錠するものだから、驚きもしない。またか、もっと静かにやれば焦りもするのに――とレーヴは慣れた様子でトイレの窓から脱出した。
既にその段階でけっこうな時間を食っていたので急いで厩舎に向かったのだが、レーヴの乗る予定だった馬は何故かいなくなっていた。どうせあの子だ。
清々しいほど、やられっぱなし。
正直なところ、軍靴とトイレと馬の計三件があの子の仕業だろうけど、他のささやかな不幸もあの子のせいにしたくなる。
もういっそ救護室に逃げ込んでやろうかとも思った。
だけど、自分が筆頭で悪口を言っているくせにレーヴが悪く言われると途端にキレる幼馴染を思い出したら、どうにかしてやろうという気になった。
すっかり人気のなくなった厩舎には馬の気配すら感じられないが、とりあえず代わりの馬はいないかと見渡してみる。
軍事パレードの日に放置される馬なんているわけがないけれど、まさかのまさかでロバとかいないだろうか。
「万事休すってやつかなぁ」
ロバどころか普段は好きなようにうろちょろしているニワトリさえおとなしく小屋に収まっているのを見て、レーヴは悲しくなってきた。
あの子の嫌がらせはしつこくて、本当に嫌になる。
ただ、幼馴染と一緒にいるだけなのに。
相手はこちらを女とも思っていないというのに、どうしてこうなるのか。
ニヤニヤしながら「三十路になっても嫁にいけなかったら俺が貰ってやろうか」なんてふざけたことばかり言ってくる幼馴染にどうして恋することが出来るのか謎なくらいだ。
顔だけは良いが、性格はちっともよろしくない。
こっちはただの惰性で付き合っているだけだ。腐れ縁でしかない。
それなのに、勝手に敵認定してきて迷惑極まりない。
そういえば告白しに来た時も運悪く居合わせてしまって最悪だったとレーヴは嘆息した。
「おーい、うまー。どこかにおらんかねー」
投げやりな気持ちのまま、力なく声を上げてみるとどこかで馬の声がした。
「え、いるの?」
やった、とやっと巡ってきた好機にレーヴは瞳をギラギラと輝かせた。
悔しがるあの子の顔を思い浮かべ、さぁ反撃の時間だと復讐を誓い、声のした方に走り寄った――のだが。
「……お前かぁ」
戦意喪失したように、レーヴの瞳が落胆の色に染まる。
目の前には、馬。
黒々とした毛艶の良い青毛の馬が、「お呼びでしょうか」と臨戦態勢でこちらを見ていた。
待望の馬だというのに、レーヴが気乗りしない理由は一つ。
この馬、遅いのよね。
さっと飛び乗って駆けていきたいところではあるのだが、目の前にいるこの馬は誰が乗っても遅いと評する馬――つまり駑馬だった。
馬にしてはイケメンな顔立ちなので人気はあるのだが、残念なことに駑馬なので専ら観賞用になっている馬だったのである。
「反省文だけで済むかな。最悪、懲罰室行きとか……?」
やる気に満ち溢れた視線を送られても、レーヴは乗る気になれない。
パレードだけ参加するのであれば見目だけは良いので自慢になるかもしれないが、今は緊急事態なのである。
王都にある大通りまで駆けて行って、学生部隊の列に入らなくてはいけない今、見目ではなく速さが必要だった。
「いくらイケメンでもなぁ……」
レーヴの言葉に、「そんな……照れます」と言うように馬は控えめに鳴いた。
「いっそ厩舎の床に寝転んで糞まみれになったら、落馬したように見えないかな?でもなぁ……女の子的にないよねぇ」
とんでもないとばかりに馬がブルブルと首を振る。なんだか会話が成立しているように思えて、レーヴはこんな時だというのに面白く思ってしまった。
いけない。うっかり現実逃避するくらいには追い詰められているみたい。
しかし、馬が先を促すように首を傾げるものだから、レーヴもついつい愚痴りたい気分になってきた。
「私の幼馴染に恋する女の子がさ、私に意地悪してくるんだ。今日は朝からいろいろされて、もう疲れちゃった。これから軍事パレードに参列しなくちゃいけないのに、私、どうしたら良いのかな」
寄りかかるように青毛の艶やかな肌に頭を押し付ければ、ひょいと頭を下げてきた馬に頭のてっぺんを甘噛みされて、くすぐったさに身を竦める。
よしよしと頭を撫でるような仕草は、本当に分かっているように見えるから不思議だ。
「きみの精一杯で私を王都のパレードまで運んでくれないかな?」
無理なのは分かっていた。レーヴが普段乗っている馬だって、きっと無理。
それでも、糞まみれになって落馬のふりをするより、慰めてくれた馬に希望を託してみる方が悪くないように思えた。
お願いと小首を傾げて黒々とした目をじっと見つめれば、分かったというように馬は頷く。
「……まさかね」
馬に話が通じるわけがない。半信半疑でレーヴはその背に飛び乗った。
「あと三十分しかない。近衛騎士の鍛え抜かれた駿馬でも間に合うか分からない距離だけど……やるだけやってみよう」
とん、と馬の腹にレーヴの足が当たる。
勇ましく嘶いて走り出した馬は、間違いなく近衛騎士の鍛え抜かれた馬より速かった。
「すごい……!」
予想外の速さにレーヴは驚いたが、願ってもないことである。
「こんなスピードで走るの、生まれて初めて!」
すべてが吹っ飛んでしまうくらいの衝撃だった。
うっかりしていたら落馬しそうなくらい速いのに、乗り心地はちっとも悪くない。
びゅんびゅんと風を切るのはとても気持ちよくて、興奮に嫌な気分も消し飛んだ。
「やるじゃん!見直したよ!」
高揚して頬を染めるレーヴに、馬は誇らしげに嘶いた。
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