第八話 ロートル冒険者、結成する
アベルたちが、ゴーストとその他の障害を排除し手に入れた館。元は『スヴァルトホルムの館』と呼ばれていた建物。
その応接室は、どんよりとした空気に覆われていた。
もちろん、空気が見えるはずがない。色が付いているわけでもない。
だが、エルフの姉妹とダークエルフが、ソファにだらりと体を預け一言も発していない状況を目の当たりにすれば、認めざるを得まい。
空気には重さがあり、人は、その空気を悪くすることができると。
「…………」
「…………」
「…………」
エルミアも、ルシェルも、クラリッサも。誰も、喋ろうとしない。
目は虚ろか、あるいはじっと閉じている。
肉体は完全に弛緩し、意識どころか、魂が抜け落ちてしまっているかのよう。
そそくさと食事を終えたアベルが、館を出てからずっとこの状態だ。
「…………」
「…………」
「…………」
重症。
他に言葉がなかった。
「……義兄さんは、戻ってきてくれるでしょうか」
久々に発せられた言葉。
放心状態でも、耳を塞ぐことはできない。
エルミアとぴくりと笹穂型の耳を動かし、クラリッサは指を肘掛けからわずかに浮かせて反応を示す。
しかし、それだけ。
思いを言葉にする元気もない。いや、存在しないのは勇気だ。
アベルの反応が気になるのであれば、実際に確かめればいい。否、それしかない。
分かっていても、実行はできなかった。
追いかけて拒絶されたら?
そう思うと、体がすくむ。心が怯む。
もちろん、最初からここまでの惨状を見せていたわけではない。
正確には、アベルが忙しなく館を出た直後は驚き、事態を把握していなかったと言うべきだろうか。
やがて、衝撃から立ち直った三人は、思い至る。
冒険者を続けるのであれば、昇格するチャンスを棒に振る理由がないことに。
吸血鬼になったアベルなら、なおさら。
アベルは、冒険者を続けるつもりがないのかもしれない。
いや、それならば、コフィンローゼスを武器にする必要などないはずだ。
否定材料は、他にもある。
だから、そんなことは杞憂。
それは、エルミアもルシェルもクラリッサも分かっている。
それでも、彼女たちは気付いた。気付いてしまった。
今のアベルとのつながりは、冒険者という部分に集約されていることに。
受付嬢であり、アベルをギルドマスターにしようとしているクラリッサは言うまでもなく。
ルシェルから、義妹という立場を取ったら一緒に冒険者をやりたいという関係しかなく。
エルミアの吸血鬼――ひいては、血の花嫁になるという目標も、アベルが冒険者を続けるという前提があってこそ。
アベルが、冒険者を辞める。
そうなると、エルミアもルシェルもクラリッサも、必要ない。
アベルと一緒にいる理由がなくなってしまう。
気付いてしまった以上は、もう、無視などできない。
「気付いていなかった……。いえ、薄々気付いていたからこそ、多少無理にでも話を進めようとしたのかもしれませんわね」
「私も、拒絶されるのを恐れて、一方的に……」
「……言われてみると……だな」
以前から、アベルの意思を推し量らず、強引に選択を押しつけてしまっていた。
――嫌われたかもしれない。
それは、三人に心臓が氷漬けにされたような恐怖を与えた。
「くっ」
「ルシェル……?」
「どうするつもりですの?」
よろよろと、ダウン寸前の拳闘士のように危なっかしいが。
それでも、ルシェルは立ち上がった。
「行きます」
顔には、決意の色をにじませている。
「確かめに、行きます」
蛮勇。
けれど確かな勇気に、エルミアとクラリッサは羨望に近い感情をにじませる。
「クラリッサ」
「エルミアさん」
出遅れた二人はうなずき合い、全力を振り絞って、ソファから立ち上がった。
ルシェルにだけ任せるわけにはいかない。全員の責任だ。
ゆっくりと。
けれど、止まることなく歩みを進め、応接室から出よう――としたところで、反対側から扉が開いた。
「ああ、ここにいたのか」
アベルだった。
アベルが戻ってきてくれた。
それに感動し、身を打ち振るわす三人。
「……なんだこれ?」
子供の遊びのように一斉に立ち止まった三人を、アベルは怪訝な顔で見つめていた。
不思議そうなアベルへ、さらにエルミアが頭を下げる。ルシェルとクラリッサも、それに続いた。
「アベル、すまなかった」
「おう? 突然だな」
「私だけではないが、強引に話を進めようとしてしまった部分が多々あったと思う。許してほしい」
見捨てないで欲しい。
本当は、そう言いたかった。だが、エルミアはギリギリで踏み止まる。
それではあまりにも、アベルに申し訳ない。
「そこは、まあ、そこはお互い様だろ。俺も、悪かったよ。なんも言わなかったし」
しかし、エルミアの――ルシェルやクラリッサも同じだが――決意に反し、アベルの返答はあっけらかんとしたもの。
「それよりも、聞いて欲しい話がある」
三人揃ってびくんっと、肩をふるわす。
恐る恐る頭を上げるが、尋常なリアクションではなかった。
「え? なんだ?」
「いや、なんでもない。話を聞こう」
痛々しいまでの笑顔を浮かべ、エルミアはごまかした。
ここで逃げるわけには、いかない。
「エルミア、ルシェル。俺とパーティを組もう」
「アベ……ル……?」
「義兄……さん……?」
惚けたようにアベルを呼ぶ、エルフの姉妹。
続けて、アベルはクラリッサに向き直る。
「クラリッサ。俺の専属になって、サポートしてくれ」
一緒に、冒険者をやろう。
内容は、これだけ。
にもかかわらず、エルミアたちは、全身に歓喜の電流が走っていた。
「あ、ああ……」
「もちろん……」
「そのつもりですけど……」
言われなくても、そうする。
しかし、言われたほうが。はっきりと言葉にしてくれたほうが、何倍も嬉しかった。
「俺が吸血鬼だから制約あるけど、冒険者として一旗揚げようぜ」
恐怖に負けて、これを遠ざけていたとはなんて愚かだったのか。
「ああ。正式に再結成だな」
「では、私は新規追加メンバー1号ですね。」
「任せなさい。Bランクと言わず、Aランクにだって道筋を付けてみせますわ」
夢なら冷めないうちにと、口々に賛同する。
アベルは、その三人に手のひらを向け、ただしと、条件をつける。
「ひとつだけルールを決めておきたい」
主神イスタスの右腕である法の神ホワイト・ナイトは、政治体制に関して、従属神にこう言い残している。
『有能なる独裁者は、最善であり、甘美なる毒である。法による支配は次善であり、苦い薬である。前者はわずかであれば薬となり、後者に依存しすぎれば毒に変わる』
そして、この後に『いかなる政治体制も人が人である限り完全でなく、総体としての民衆は自らよりも有能な為政者を持ち得ない』と続く。
この訓話に則り、王といえども法によって縛られ、また、基礎教育も各国で奨励されている。民衆を啓蒙せぬ王は、自らも暗愚であると言われているようなものなのだ。
アベルでも知っている有名な話。
だから、マリーベルから主導権を握れと言われたアベルは、ルールを作ることにした。
「なにかするときは、きちんと言葉にすること。できれば、賛同を得てから行動すること」
これだけは、守るようにしよう。
反対する者は、誰もいない。
――いや、違う。
全員が、賛成をした。
ヒロイン、意外と打たれ弱かった。




