第三話 吸血鬼、抱き合う
家の中が暗くとも、吸血鬼もダークエルフも、支障はない。
そのため、明かりをつけることはなく、話は自然と元の持ち主の件へと移行する。
「しかし、本当に買っちまうとはなぁ……」
「仕方ありませんわ。まさか、エルミアさんが森林衛士を辞めてしまうとは思っていませんでしたもの」
なるべくスーシャを喜ばさないようにコフィンローゼスを移動させながら、アベルはクラリッサとともにため息をついた。
どうやら、すでにクラリッサの機嫌は直っているようだ。引きずらないでいてくれるのは、正直、助かる。
「俺も、初めて聞いたときはびっくりしたぜ」
一番驚いたのはクレイグだろうが。
「思い切りが良すぎるんだよな、エルミア」
「それを言ったら、ルシェルさんだって、なかなかのものですわよ?」
「だよなぁ」
そしてまた、ため息。
生まれも育ちもまったく違うはずなのに、常識という部分で一番話が合うのがクラリッサだった。
「結論としては、ここを買えて良かったと言う他ないな」
森林衛士の特典として、領主から貸し出される住居。
一時期、エルミアとアベルの愛の巣だった場所。
本来は辞任とともに返却が必要なのだが、『スヴァルトホルムの館』への中継点とするために、買い取ったのだ。
資金はハーネスレースの配当金なので、あるべき所へ戻っただけという気もするが、それもこれもクラリッサの仲介があればこそ。
「ちゃんと定価を支払ってますし、お父様も納得ずくですわ」
「そういや、領主様ってクラリッサの父親でもあるのか……」
今さらな事実に、アベルは思わず身を震わせた。
いつか、挨拶をするような事態になったりするかもしれない。
もしかすると、すでにそういった申し込みを待ち受けられているのかもしれない。
「いやいやいや。ないないない。それはない」
「どうかしましたの?」
クラリッサが不思議そうにするが、アベルはなんでもないと首を振った。
逃げているわけでも、目を背けているわけでもない。
ただ、口にしたら実現しそうな予感がするのだ。
立派な自衛行動である。
「長居しても仕方ないから、さっさと行こうぜ」
「そうですわね」
そのまま無人の家を通過して、裏口を抜ける。
出たのは、家の裏手でも森でもなく、それどころか、ファルヴァニアの街ですらない。
ゴーストを消滅させ――浄化ではない――手に入れた、スヴァルトホルムの館。その正面玄関前だった。
マリーベルの執事である、女性型ウォーマキナのウルスラがゲートを調整し、エルミアの家の入り口と、『スヴァルトホルムの館』をつなげたのだ。
ファルヴァニア側の家は、登録した人間しか入ることはできず、裏口の扉も、許可のあるものでないとゲートは出てこないらしい。
アベルにはどうやったのか分からないが、目の前の巨狼より重大事とは思えない。
「ゥワンッ! ゥワンッ!」
「クルィク!」
ファルヴァニアの夜空とは対照的な青空の下、主人の帰宅に反応してクルィクが大きな尻尾をぶんぶん揺らしている。
しかし、事情があってクルィクは動けない。
ならば、こちらから行くしかない。
アベルは、コフィンローゼスを食べ終えた焼き鳥の串よりぞんざいにリリースし、クルィクへと駆け寄っていく。
「ああ、ただいま」
「クゥゥンッッ」
鼻先を擦り付けるクルィクに、アベルは満面の笑顔を浮かべた。
お返しにと、クルィクのあごの下を両手全体で撫でてやる。
「フゥゥゥンッ……」
気持ちよさそうに目を細めるクルィクと、満足そうなアベル。
その光景を、さすがのクラリッサも、引きつった笑顔で見つめていた。とても、立ち入れる雰囲気ではない。
「マリーベルは背中か?」
「ゥワンッ!」
元気に返事をするクルィクとは対照的に、アベルが顔をしかめる。
精神的な疲労を回復させるため、最近、小さなマリーベルはアベルと同行せずクルィクの毛皮に埋もれていることが多かった。
「クラリッサ、先に入っててくれ」
「分かりましたわ」
クラリッサと別れ、コフィンローゼスを背負ったアベルがクルィクの背に乗る。
「マリーベル、生きてるか?」
「汝より先に死ぬ気はないわ」
案の定、小さなマリーベルが背中の真ん中で丸まっていた。
抜けた毛がドレスにつかないか心配になるところだが、そこはウルスラがきちんと処置しているようだ。
「マリー」
「……スーシャか。準備はできておるぞ」
コフィンローゼスから出てきたスーシャが、とてとてとマリーベルの下へと――速度は遅いが――駆け寄っていく。
目元まで伸びた髪で表情は分かりにくいが、色素の薄い瞳は心配に揺れていた。
「ご主人様と念話もできるようになったし もう少しで終わると思う マリーごめんね」
「気にするでないわ。スーシャを我が一族に加えられるのだから、むしろ、誉れじゃ」
クルィクの背中で抱き合いながら、数百年来の親友が言葉を交わした。
そう。抱きついている。正確には、抱き合っている。マリーベルとスーシャが。
「くっ。余にかつての力があれば……」
「復活した途端にやられる魔王みたいなこと言ってんぞ」
といっても、親愛の情の発露として抱き合っているわけではなかった。
直接血を介さず、スーシャをマリーベルの子として迎え入れる。スヴァルトホルムの血をデュドネの血に書き換えるため、接触して力を送り込んでいる……ということらしい。
「そのために必要なのが抱き合うことなのが、俺みたいな常識人の想像を絶するわけだが」
「仕方があるまい。余の本体は封印されておるからの。緩んでおったアベルのときのようにはいかぬ」
牙を使わずに済むが、その代わり、マリーベルがかなり疲弊する。どうやら、接触して力を送り込んでいるようだ。
アベルからすると、疲れるんなら止めてしまえと言いたくなってしまう。
だが、スーシャを子にしなくては念話のパスの他、クルィクの扱いなど難しい部分が出てきてしまうためと言われては、反対もできなかった。
「でも マリーを抱きしめられること自体は嬉しい 申し訳ないけど」
「お、その申し訳なさを少しでも俺に向ける努力をしような?」
「今はいい時代 したかったけどできなかったことができる イスタス神万歳 イスタス神万歳」
「当主のために死んだ、一族の吸血鬼たちが泣くんじゃねえか?」
「ご主人様それは逆」
「逆?」
「スーシャを生贄にして粛正から逃れようとしたから儀式をちょっといじった」
「お、おう」
その結果が、族滅。
悪徳のスヴァルトホルムと呼ばれるに相応しい末路だった。ゴースト……は、別として、レヴナントを仕掛けた連中なので、同情はしない。
「大丈夫 怖がらないで 引かないで ご主人様と奥様たちには 絶対の隷属を誓うから」
「そこ、せめて、忠誠にしてくれねえ?」
正直なところ、それも嫌ではある。だが、妥協とは、往々にしてそういうものでもある。
「それに もうすぐスヴァルトホルムじゃなくなるから安心して ご主人様お兄ちゃん」
「それちょっともう、わけわかんねえな。あと、奥様方たちとかやめような」
「奥様という呼び方と奥様たちと複数並べた部分のどっちを?」
「…………」
アベルは、答えられなかった。
小さなマリーベルを抱きしめ、気持ちよさそうにしているスーシャを見つめることしかできない。
この光景だけなら微笑ましいのだが、実態は異なる。現実は、アベルに厳しい。
「まったく、余の心配までして、どうするんじゃ。相変わらず他人が傷つく事態に弱いのう」
「そ、そういうんじゃねーし」
図星だった。
「別に、ただ、スーシャ相手にこうなら、他の誰かを吸血鬼化させるときは、どうするつもりだったのか気になっただけだぜ」
「そういうことに、しておいてやろう」
実際にはスーシャに隠れて見えないが、アベルは、マリーベルがふてぶてしい笑顔を浮かべているように思えた。
「余はなんともない。いつまで見ておるつもりじゃ。さっさと家に戻らぬか」
「……なにかあったら、念話で呼べよ」
「心配せずとも、終われば呼ぶわ。棺を引きずってもらわねばならぬからの」
「マリー 棺じゃないコフィンローゼス ここは重要なところ譲れない」
これ以上ここにいる理由をひねり出せず、アベルはクルィクから飛び下りた。
家も家で、心配がないわけではなかったのだ。
スーシャはどっちもいけるわけではなく、マリーベル限定です。




