第十五話 ロートル冒険者、血の親の交友関係を知る
結論から言うと、クラリッサのそれは護身術というレベルを遙かに超えていた。
「《ダーククラウド》」
ペンダントにした闇の属性石が妖しい光を放つと同時に、相対するアベルの顔が闇色の雲に包まれる。
吸血鬼の視力でも、完全には見通せない濃い暗闇。
「ハアァッ!」
砂が撒かれた地下訓練場の地面を蹴って、クラリッサが矢のように飛び出す。
無理矢理作り出した隙を逃さず、両手で持ったショートスピアで突きかかった。ぐんっと伸びた槍の柄が鞭のようにしなる。
「随分と、慣れた動きだなっ」
武器を持っていないアベルが、首を軽くスウェーして鋭い穂先を避けた。こめかみのすぐ側を、銀色の輝きが通過していく。
吸血鬼でなければ、試そうとも思わなかっただろう見切り。
しかし、クラリッサは止まらない。
アベルのは避けられるのは当然。その程度織り込み済みと、素早く身を屈め、風を切るような足払いを放つ。
それもアベルが軽く飛んで避けると、軸足をバネにして追撃。無理矢理、蹴りでアベルを追う。
「……防がれてしまいましたわね」
「意外と重たいな!」
アベルは、片手でその蹴りを掴んだが、意外な打撃の重さに驚きを隠せなかった。まともに食らっていたら、吹き飛ばされるか、あるいは地面にたたき伏せられていたかしていたかもしれない。
ローグやライトウォーリアというよりは、モンクに近い動きだ。属性により与えられた能力まで組み込んでいるのが、えげつない。
『アベル坊ちゃまのお相手は、皆お強いですね』
『含みありすぎだろ!』
お互い本気ではなかったし、本気でやれば今のアベルが勝つだろう。
しかし、事実は事実として認めないわけにはいかなかった。
「Cランクぐらいなら、余裕で叩きのめせるんじゃねえか? いや、俺もCランクだけどもよ」
クラリッサの足を離しながら、アベルはマリーベルへうなずきかける。
「ダークエルフであれば、魔法的な抵抗力も高かろうし……。まあ、足手まといになることはなさそうじゃな」
ウルスラに抱きかかえられた小さなマリーベルが、意外そうにではあるが、合格を言い渡した。
「やりましたわ!」
槍を両手で掲げ、珍しくストレートに喜びを露わにするクラリッサ。アベルは、ちょっと可愛いなと思ってしまう。
しかし、それよりも疑問のほうが大きい。
「それはいいけど……。これだけやれんのに、なんで受付嬢なんかやってるんだ?」
マリーベルの決定に異論はなかった。
異議があるとしたら、クラリッサの高すぎる実力そのもの。
「親子間でギリギリ妥協できた職業が、受付嬢だったのですわ」
「そっか。お姫さまだったな……」
「もう、アベルったら上手なんですから」
クラリッサが嬉しそうにアベルの肩を叩きながら、満面の笑みを浮かべる。
ともあれ、これでメンバーは確定した。
「アベル。私も、クラリッサと連携を確かめたいのだが、いいだろうか?」
「そうですね。私も姉さんに賛成です」
「わたくしは、お二人の能力をある程度把握していますが……同意ですわ」
三人がうなずき合って同意した。
直接アベルが絡まないと、実に普通だ。
「……俺は?」
「シャークラーケンとの戦闘を見る限り、義兄さんは私たちを気にせず、自由に動いてもらったほうがいいと思います」
「本気でやらなければ意味はないが、ここでは本気を出せないだろう」
「さすがに、訓練場を壊されるのは困りますわ」
「そう言われたら、そうか……」
理屈は分かるが、疎外感は否めない。
「ふむ。では、余らは今のうちに買い物をするか」
「……そうだな。必要そうな物を見繕うか」
「頼む」
出発は明日の夜。集合はアベルの宿と手短に決定し、アベルたちは冒険者ギルドをあとにした。
「さて、クラリッサもそうだが、ルシェルがどれだけ成長したか見せてもらおうか」
「姉さんにもクラリッサさんにも、負けませんよ」
「ふふふ。現役の冒険者にも引けを取らないところ、見せて差し上げますわ」
本当にあとにして良いものか不安がないではなかったが、そこは信じることにする。
本気でアレなら、マリーベルがなにか言うはずだ。
そのマリーベルはアベルのマントの中ではなく、ウルスラがどこからか取り出したバスケットの中に入っていた。
ピクニックだったら、弁当が詰まっていそうなバスケットにだ。
それでいいのだろうかとアベルは真剣に悩んだが、まあ、自分とぴったりくっついているよりは快適だろうと気にしないことにした。
それに、念話も届く。
『なあ、マリーベル』
『スヴァルトホルムの当主について、聞きたいのであろう?』
夜でもやっている武具店――一般的な冒険用品も置いてある――泥酔する木陰亭へと移動しつつ、切り出そうとしたところ。
あっさりと後の先を取られ、街灯に照らされた通りで、思わずアベルは立ち止まった。
『そんなに分かりやすかったか?』
『当然の帰結よ。まあ、分かりやすかったが』
『言葉の順番を逆にしてくれるだけで、かなり優しくなると思うんだけど!?』
ウルスラから含み笑いの雰囲気を感じつつ、アベルは歩みを再開する。
冴えない冒険者崩れにしか見えないアベルと、一歩下がってついていくウルスラの組み合わせは、ちょっとだけいかがわしかった。
『スヴァルトホルムの当主――スーシャは、余の幼なじみのようなものでな』
『へ~。吸血鬼にも、幼なじみがいるのか』
アベルの幼なじみは、とっくに結婚して子供もいることだろう――という悪しき思考は振り落とし、マリーベルの話に集中する。
『うむ。余がアベルを抱擁したように生まれる場合も、普通の生き物のように生まれる場合もあるゆえな』
愛し合って生まれるとは言わなかったマリーベルの表情が、どうなっているのか。
アベルは下手に想像もせず、余計なことも言わなかった。
『吸血鬼で生まれた時期が近いって。そりゃ確かに、仲良くなれそうだな』
しかし、相手は、悪徳のスヴァルトホルムと呼ばれる一族。
『なるほど。昔は、マリーベルも悪だったってことか』
『違うわっ。スーシャが、スヴァルトホルムの者とは思えぬほど、物静かで大人しく、まともだっただけじゃ』
亜種や、変異種などと呼ばれる特異なモンスターを思い浮かべながら、アベルは納得した。
今のマリーベルしか知らないアベルにとっては、そのほうがしっくりくる。
『今のって、マリーベルもまともアピールしてることになるよな』
『アベル坊ちゃま、それを指摘しないのが優しさというものです。ヴェルミリオ神の創世の書にも記載があります』
『おだまれー!』
マリーベルが意図せず可愛らしい抗議をするが、それよりも重大な事実が判明した。
『……念話って、割り込めたんだ』
『お嬢様と坊ちゃま。そして。私めだからこそですが』
通常は無理だと言われても、あまり安心できない。
今回の被害者はマリーベルだったが、とりあえず注意しよう。アベルは、心にメモをする。
『まったく、そっちから聞いておいて……』
ぶつぶつ言いながら、マリーベルが仕切り直す。実際の会話だったら、咳払いをしているところだ。
『スーシャは、その内面が形になったような美人でな。水色の髪を目元まで伸ばして、目を隠しておって……。触れれば折れてしまいそうな感じじゃったぞ』
『深窓の令嬢って感じか。マリーベルと並ぶと、さぞや可愛らしかったんだろうな』
『……アベル。汝、このサイズで想像しておらんだろうな』
『もちろん、してる』
『おのれ……』
想像力が貧困なアベルでは、リアルサイズで思い浮かべることができなかった。
アベルだから仕方がないと、マリーベルはバスケットの中でため息をつき、話を続ける。
『まあ、そういうこともあって、そこそこ仲が良かったのは間違いないの』
『いえいえ、そこそこなどとんでもない。一番のご友人でした』
『イスタス神に、改心の余地ありと判断されたのも納得だな』
『くっ。やりにくい……』
マリーベルが怨嗟に満ちた声をあげる。念話だが。
これ以上は危険と判断したアベルが、話をシリアス方面へ向かわせる。
『……というか、それなら館を接収とか言わず、友達に会いに行きたいとか、救いに行きたいとか言えば良かったんじゃないか?』
『余計なお世話じゃ。結果として、同じことじゃし』
『それ、助けた恩で館を手に入れようとしてるって聞こえるんだが』
素直になればいいのにと思いつつ、アベルは立ち止まった。
他意はない。泥酔する木陰亭にたどり着いただけだ。
『まあ、そういう事情なら気合いを入れるかっ。あー、仕方ねーなー』
『久しぶりのクズムーブじゃな。死ね』
『では、私めはお嬢様と外に』
昨日に続いて泥酔する木陰亭に足を踏み入れたアベルは、前回とは異なり、てきぱきと必要な物を購入していく。
痛んでいたので、ロープを思い切って新調。ランタンの油も、新しいものに。ついでに、まきびしも買ってみた。なにかの役に立つかも知れない。
武器も、この前ショートソードを補充したが、追加でハルバードを購入した。
扱いは難しいが、斬る・突く・引っかける・叩くと多彩な攻撃が可能な万能武器だ。最悪、筋力に物を言わせて叩き付けるだけでもいいだろう。
軽く1,000Rほど散財し、アベルは荷物を背負って店を出た。
『意外と、早かったの』
『やることが決まれば、こんなもんだぜ』
『やはり、プレッシャーがないと、まともに動かぬタイプであったか』
『そういや、借金を返済した途端に動きが悪くなるやつとかいたなぁ……』
荷物は多かったが、それでも足取りは軽い。
『私めがお持ちするべきなのですが……』
『いや、マリーベルを頼む。落としたら、ものすげー文句言われそうだし』
『落とす前提ではないか。もっと大切にせぬか!』
アベルたちは、荷物を置くため宿へと帰った。
その後、様子を見に冒険者ギルドへ戻ろうかと、すぐに出て行くと――
「……エルミア様のことを放っておいて、なにをしているのだ?」
「……あっ」
――クレイグ・フォン・ラインブルク。エルミアの同僚である森林衛士に出くわした。
いや、待ち受けていたのだろう。
アベルが、エルミアを説得するだろうと信じて。
一方、アベルは、すっかり、完全に、完膚なきまでに忘れていた。
というより、意識の外だったと、アベルが目を逸らす。
それを後ろめたさと解釈したのか、クレイグが剣の柄に手を置いた。
「もしかして、私めの存在が、火に注ぐ油になりはしないでしょうか?」
緊張感はあるが、切迫感に欠けたウルスラの平坦な声。
それが、アベルとクレイグの間を通り過ぎていった。
次回、間男死す。




