第三話 ロートル冒険者、受付嬢と面談する(前)
対話の機会は、翌日、早速訪れた。
「良く来てくれましたわ、アベル」
「お、おう」
約一週間ぶりに、入り口のスイングドアを開いて冒険者ギルドに足を踏み入れたアベル。過去に一度入った場所であれば、『孤独の檻』も関係ない。
にもかかわらず恐る恐る入ってきたロートル冒険者を出迎えたのは、クラリッサのまばゆいばかりの笑顔だった。
ダークエルフ特有の白い髪と、褐色の肌。そして、エルフ特有の美貌。その繊細な顔立ちは、吸血鬼の視力にも充分耐えうる。
領主一族の出身だと聞いてからは、その美しさに高貴さも加わっているように感じた。
待ちかねていたのだろう。今にも、カウンターから身を乗り出そうとするほど前のめりだ。見るからに、歓迎されている。
発作的に、アベルは踵を返した。
「アベル、なぜ出て行こうとしていますの!」
「クラリッサが輝いてるもんだから、つい」
寿命のことは、この際関係ない。
はつらつとした若さと活力に、気後れをしてしまった。
だが、クラリッサは別の解釈をしたようだ。
「まったく。輝くように美しいなどと。お世辞でないのは分かりますが、他に人がいる場では謹んでもらいたいものですわ」
言われて他の窓口へと目をやると、夜間担当らしい一人の受付嬢が、興味津々とこちらの様子をうかがっていた。
「なにも見ていませんので、どうぞどうぞ」
「なにが、どうぞだよ。どうもしねえよ」
「もう、ピークも過ぎて人もほとんどいませんから……ね?」
「ね、じゃねー。仕事しろ」
この世にアベルらしくない言葉のランキングがあるとしたら、無条件で上位に入るだろう台詞。
『仕事しろ……のぅ』
いつものようにマントの中に隠れているマリーベルが、意味ありげにつぶやく。念話だが。
『はっ。生憎、鏡には映らない体質でな!』
先読みして自虐で対抗するものの、ノーダメージとはいかなかった。だが、その甲斐はあったようだ。
眼鏡をかけたショートヘアの受付嬢は、すました顔で正面を向いて無関心だと主張していた。
「むうう。アベル、余所に目移りしてるんじゃありませんわ。こっちに来なさい、こっちに」
「分かったよ」
不機嫌さを隠そうともせず、頬を膨らますクラリッサ。彼女が待つ窓口へ、アベルはことさらゆっくりと移動する。
そもそも、明るいオーラに気圧されただけで、美人だと誉めたわけではない。
輝くものから、逃げ出したくなる。
それはある意味、吸血鬼の本能のようなものではないか。
……と、ゆっくり歩きながら言い訳を用意したものの、正確なところを説明する勇気は存在しなかった。
『アベル、汝は、こう、前から思っておったが、一言足りぬな』
『……でも、あながち嘘でもないんで、訂正するのもな。クラリッサが美人なのは間違いないだろ?』
『そういうところじゃぞ、アベル』
念話でダメ出しされ、アベルは、とりあえずうなずいた。
本当のところはよく分かっていないが、理解した素振りを見せれば、とりあえず追及からは逃れられるものなのだ。
偉大なる大人の知恵、処世術である。
『まあ、良い。さっさと用件に入るぞ』
マリーベルも、とりあえず矛を収めた。アベルの勝ちだった。否、知恵を手にした、人類の勝利だ。
それに、マリーベルの言葉も一理ある。
アベルが行動できていることからも分かる通り、すでに日は沈み、冒険者ギルドも夜間シフトに切り替わっていた。
つまり、クラリッサは残業をしている状態。
夜間の依頼も存在するため冒険者ギルドは深夜まで開いてはいるが、時間の無駄は避けるべきだろう。
「とりあえず、今日はシャークラーケンの件でいいんだよな?」
「ええ。まずは、その件の最終的な処理についてですわ。けど……本当に、討伐報酬を受け取る気はありませんの?」
「ああ。その分は、ルストたちや訓練生への保障に当ててくれ」
シャークラーケン復活事変。
この顛末は、冒険者ギルドが作成した報告書にいくつかのごまかしが存在し、その作成者すら嘘を信じ込んでいる部分があった。
イスタス神が地下に封印した魔獣の一体が目覚め地上に現れたが、とある冒険者の活躍により撃退された。
シャークラーケンを倒したのは、アベルが発見した吸血鬼の財宝であるマジックアイテムのお陰である。
その際、兵士の一部などに負傷者出たものの死者はなし。封印自体も、神殿関係者が補修を行い、再発は防がれた。
これが、最も表面的な事実。
素早い対応により、混乱は収拾され、ファルヴァニアは以前と変わらない状態になっている。
ただ、ここには、アベルが吸血鬼であることも、マリーベルの存在も含まれていない。
暫定報告書を作成したクラリッサが隠蔽したからだ。
現場が混乱状態でアベルが吸血鬼であることを、エルミア、ルシェル、クラリッサにしか知られなかったからこそできた荒技。
こんな状態では、討伐報酬など受け取れない。
アベルがそう言ったとき、エルミアもルシェルもクラリッサも、驚きはしたものの、反対はせず。逆に、納得したぐらいだった。
「正直、助かりますわ。未来ある冒険者たちの芽が摘まれずに済んで」
「まあ、報酬は他で補填できてるからな」
「吸血鬼の財宝ですわね」
「……そんなところだ」
そんな彼女たちすら、吸血鬼の財宝の存在を信じていた。
これは、カッツに武器の補償として渡した白金貨の出所――ハーネスレースでイカサマをした――を説明できず、適当にでっち上げたためだ。
そして、アベルが報酬を辞退したのには、もうひとつ大きな理由があった。
『まったく、もらえるものならば、もらっておけばいいではないか』
『くっ。分かって言ってやがるな』
マリーベルの言葉も、一理ある。
もはや蘇生費用など必要ないアベルではあるが、一流の冒険者となれば、高レベルの装備品で全身を固め、高額な消耗品を湯水のように使う。
そのため、資金はあればあるだけいい。
それでも、なぜ報酬を受け取らないようにしたかというと。
『まさか、大金をするのを怖がったとは思うまいて』
『違えし。これも、善行ってやつだし』
『そういうことに、しておくかの』
マリーベルとアベルが念話でやりあっているとはつゆ知らず、クラリッサが石板を操作してシャークラーケンの件の最終報告書を呼び出した。
「では、これに押印をお願いしますわ」
「あいよ」
依頼の契約書面同様、ろくに読みもせず……というよりも、読む素振りすら見せず生命属性の属性石で判を押す。
「では、これで今回の件は終了ですわ。やっと、通常の依頼に戻れますわよ」
「あ、ああ。そうなる……か」
ずっと、考えないようにしていた。
先送り、後回しにしていた。
これから、どうするのか。
本当に、冒険者を止めてしまうのか。
自暴自棄だったとはいえ、一度口にした決意は、アベルに重くのしかかっていた。
「その件なんだがな……」
「そこで、これからのキャリアプランについて、話し合いますわよ」
「えええ……」
アベルは、これ以上ないほど情けない顔で後ずさった。思い切り、腰が引けている。続けるのか否かという決断を突きつけられたから、というだけではない。
ギルドと冒険者たちの間で、定期的に行われる面談。
それ自体は、非常に重要なものである。
依頼に無理はないか。報酬は適正か。装備を用意するため、無理な借金をしていないか。ランクアップへの道筋を、どう描いているか。パーティ内の人間関係に問題はないか、等々。
担当の受付嬢とパーティ全体と、冒険者個別に行うことで、きめ細かいサポートが可能となるのだ。
これには、冒険者の街と呼ばれるファルヴァニア独自の事情もあった。
ファルヴァニアは、南に大森林、西に大平原、北に大山岳、東に遺跡群と、冒険者が活躍する舞台に事欠かない。
ゆえに、どこをメインフィールドにするかはっきりさせないと、思わぬ不幸に見舞われることもある。
その辺りのノウハウを蓄積している冒険者ギルドは、善意で面談の場を設けていた。決して、冒険者の活動に関して欠点や問題を指摘することだけが目的ではない。
そこまで理解していてなお、アベルは、この面談が大の苦手だった。
面談日が近づくと、心臓の鼓動が早くなり、指先が冷たくなるほど。
結果として、ほとんどまともに受けずに逃げ回っていた。
「じゃあ、面談はまた今度ってことで」
「逃がしませんわよ」
アベルが踵を返すと同時に、クラリッサががっちりと、アベルの肩を掴んだ。シャークラーケンを倒した、あのときのように。
「遠慮は要りませんわ、アベル。ちゃんと、談話室も押さえてありますわよ」
「……それはどうも。ご丁寧に」
アベルがうなだれながら降参し、素早くカウンターの前に回ったクラリッサは、背中を押して冒険者ギルドの二階へと移動する。
ショートカット眼鏡受付嬢が、そんな二人を怜悧な容貌で見送った。
眼鏡の奥の瞳に、笑みと好奇心をたたえて。
怒られるわけじゃないと分かっていても、面談って嫌なものですよね。




