第十一話 ロートル冒険者、夜の森を行く
「それでアベル。クラリッサという女子とは、一体どんな関係なのじゃ?」
「冒険者と受付嬢だよ。話聞いてれば分かるだろ?」
「話を聞いて分かるのは、クラリッサとエルミアとやらとの間で、なにやら確執があるということだけなんじゃがのう」
「ねえよ」
明かりも持たずに森へと分け入りながら、アベルは不機嫌そうに言った。
ない。なにもない。あるはずがない。
言葉から、そんな感情がにじみ出ていた。
「ま、本人が気付いていないうちに……ということもありえるしのう」
「なんだよ、その『……』は。やめろよ、『……』は。縁起でもない」
「縁起がないのは仕方あるまい。なにせ、余は吸血鬼であるからのう」
アベルの肩に腰掛けながら、からかうように言う血の親。
これ以上の深入りは避けるべきだろう。
二人の女性のことは一時忘れ、アベルは周囲を取り囲む木々へと視線を彷徨わす。
「南の大森林に行くのは構わねえけどよ」
「一体、なにをさせられるのか気になっている。そんなところかの? おっと、その先は右側に折れて、道なりに進むのじゃ」
「分かってるんなら、もったいぶらずに言えっての。そういうところだぞ、マリーベル」
もっともらしくうなずきながら、アベルは指示通りに下生えを踏み越え森の奥へと進んでいく。
その足取りに、迷いはない。
吸血鬼の視覚は夜でも関係なく、吸血鬼化したことによって底上げされた筋力と耐久力が下支えする。
結果、夜の獣道をかなりのスピードで進んでいくこととなった。森林衛士に目撃されたら、モンスター扱いされるかもしれない。
「確かに、モンスターの一種ではあるか」
「なんの話じゃ?」
「いや、なにを遠慮してるのか知らねえが、俺にやらせたいことがあるんなら、好きに命令すりゃいいと思うけどな……と思っただけだ」
考えたいたことを正直に言えば、マリーベルから不興を買うことは間違いない。そのため、アベルは話を元に戻す。
「ほう。血の絆に気づいておったか」
「いや、それがなんなのかは知らねえけど、なんか逆らえないところがあるのは分かる」
「そこまでの強制力もないがの」
「それも分かる」
思いのままに操るというレベルであれば、酒場で飲み食いなどできなかったはずだ。
行動を示唆し、それが無理なものでなければ自然と受け入れられる。その程度のものなのだろう。
「……怒らぬのか?」
「実害はないからなぁ」
なにに対して怒ればいいのかと、アベルがうそぶく。
「余は、打ち明けることもできたのじゃぞ?」
「世界中の秘密を全部知らなきゃ生きていけないか? ナイーブすぎだろ。生きるのに向いてねえよ」
「……器がでかいのか、単なるあほうなのかよく分からんな」
「あー。体は疲れないけど、なんか、歩くのが面倒くさくなってきたな」
下手な照れ隠しに、肩の上のマリーベルが苦笑した。
あきれたような表情のまま、アベルが作った流れに乗る。
「こらえしょうがないのう。……っと、このまま行くと、大岩に出くわす。そこを左に曲がるんじゃぞ」
夜の森は、静かだった。
虫も動物もアベルと小さなマリーベルに遠慮をしているのか、二人の話し声だけが静寂に響いている。
「とりあえず、夜でもはっきりと見えるのは便利だな。色は付いてないけどよ」
「あの街は、やたらと明るいからの」
アベルの肩に座っている小さなマリーベルが、小さく唇をとがらせた。
魔法の明かりに実害はないが、思うところはあるらしい。
「じゃが、吸血鬼の力は、それだけではないぞ? 今はまだ、汝の体は眠っている状態。これから一気に目覚めるのじゃ」
「いぎたないにも、ほどがあんだろ」
その声には、不信感が満ちていた。
そもそも、大きく変わってはいないというだけで、体の調子はすこぶるいい。陽光に当たれないことを除けば、若い頃――全盛期と比べても遜色がないくらいだ。
「バカオロカ!」
「意味かぶってんだろ、それ……」
「余の継嗣たる汝の力が、その程度のはずがあるまい」
「そうなのか? というか、マリーベルって、そんなにすごい吸血鬼なのか?」
肩に乗っていた小さなマリーベルの動きが止まった。
アベルは変わらず夜の森を進んでいたため、マリーベルが肩の上でつんのめる。
しかし、それに文句を付けるでもなく、真剣と言うよりは深刻な顔で恐る恐る口を開く。
「……言うておらなんだか?」
「名前ぐらいしか聞いた記憶がないが」
マリーベル・デュドネ。
王とか自称していた気もする。
それから……。
「アンテなんとかヴィアンとか言ってたか?」
「前世界より生ける者じゃ。文字数増えておるではないか!」
「ああ、それだ。神様とやり合ったみたいな話もしてたし、長生きなんだろうなとは思ってるけど……」
そもそも、言葉通りにすべて信じろというのは無理がある。
そんな昔から生きているだなんて、吸血鬼にしても、盛りすぎだ。
「デュドネといえば、闇の社交界では知らぬ者なき家名ぞ?」
「知るわけねえだろ、太陽の下に出てきてから物言え」
自分の境遇を棚に上げ、アベルは辛辣な正論をぶつけた。
前世界より生ける者として、イスタス神群による世界再編以前より長らえてきた、貴種のプライド。
それを完膚なきまでに破壊されたマリーベルは、孫に昔話をする祖母のような語りで自らの存在をアピールしようとする。
「あのな、吸血鬼というのはの。長く生きれば生きるほど、神祖に近ければ近いほど強力な力を持っておってな」
「へー」
「汝は生まれたてじゃが、血筋は神祖にかなり近いんじゃぞ? 羨望の的じゃぞ?」
「ほー。そうなのか。すごいな」
「雑ッ!」
ぞんざいだと言われても、アベルは涼しい顔。
エルフやドワーフの持つのと同等な暗視能力に感心しつつ、歩みを止めない。
「でえい! その身にしっかりと我が一族の歴史を刻みつけてくれるっ!」
「そういう家柄自慢とか流行らないぜ。もっと未来を生きようぜ」
「適当に吸血鬼のあり方を否定するでないわ!」
神祖から数えて、何代目なのか。
どの氏族に属し、誰の血族なのか。
それは吸血鬼社会では、なによりも重要なファクター。少なくとも、マリーベルは、彼女の血の親から、そう教えられた。
それをアベルは取るに足らないもの……とすら考えず、その場のノリで否定した。
「これだから、最近の若者は……。これが、応報の世代か。ゲヘナの炎に投げ込まれても知らんぞ」
「専門用語で嘆かれても、リアクションに困るなー」
吸血鬼社会には、いつか神祖が目覚め、ゲヘナの炎で子孫を罰するという伝説がある。応報の世代と呼ばれる、伝統や格式をないがしろにする吸血鬼が増えるのがその予兆だとされていた。
アベルはそれを知らないが、とりあえず、炎に投げ込まれたくはなかった。今となっては、きちんと死ねるかも怪しい。
「まあ、良い。そこの大木は左側から進むのじゃ」
「はいはい」
「うむ。きりきり進めい」
何度かマリーベルの指示を受け、夜の森を進むこと約一時間。
唐突に、視界が開けた。
森の中にぽっかりと出現した空白地。
広場と呼んで差し支えない空間は木々の侵入を拒んでいるようで、建物の基礎部分だろうか。欠け、朽ちた石材がぽつりぽつりと点在していた。
「こんな場所があったなんて、聞いたことねえな」
南の大森林には、アベルが訓練生だった頃。それに、教導役として訓練生を連れて何度も来ているが、こんな場所は噂にも聞いたことがない。
伸び放題の雑草を月明かりが照らし、なんとも物悲しい雰囲気だ。
アベルはバックパックから火口箱を。ポーチから紙巻きの煙草を取り出して、火を着けた。
夜の森に、蛍のように微かな明かりが生まれる。
「ふう……。古い砦かなにかの跡か?」
「いや、離宮だった場所じゃよ」
どうやら、旧時代の遺跡だったらしい。
基礎部分しかなく、金目の物も見当たらない。となると冒険者ではなく歴史学者の領分だが、貴重なことには違いなかった。
「ここなら、多少暴れても人目につくことはあるまい」
「神さまが世直しに来る前は、遊びに来たりしてたのか?」
「うむ。叔父上主催の夜狩りに興じたりの」
「それはそれは」
狩りの対象が、なんだったのか。
容易に想像できるが、口にするのははばかられる。
ごまかすように、アベルは紫煙を吐き出した。
「む。誤解しておるな? 余らは賭けるだけだぞ。奴隷からの解放を餌に、人間に人間を狩らせていたのじゃ」
「あー。そりゃ、イスタス神に粛正されるわ」
「うむ。余も、今は反省しておる」
今となっては暗黒の歴史ではあるが、それでも、マリーベルにとっては懐かしい思い出なのだろう。
それに、過去の行いを現代の倫理で裁くのは誤りだ。冒険者稼業だって、何百年も先の人間からは、野蛮な行為だと非難されるかもしれない。
「なに、他に心当たりの場所がなかっただけよ。思い出など、下らぬ単なる感傷でしかないわ」
「感傷だって、拠り所のひとつだろ」
肩のマリーベルに煙がいかないよう配慮しつつ、アベルは肯定した。
吸血鬼が感傷を抱く? どこに問題があるというのか。逆よりよほど、人間味があって良い。
「いいじゃねえか。吸血鬼だって、地上に思い出の場所がひとつぐらいあるさ」
「ふんっ。新参者に心配されるとは、血の親失格じゃな」
「失格の場合、親子関係解消してくれたり……」
「せんわっ!」
と、マリーベルが吼えたせいではないだろうが。
のそりと、そのとき、一頭の魔獣が姿を現した。
ドラゴンのような鱗と、虎のような肉食獣の優美さを兼ね備えたモンスター。
闇の中赤く輝く瞳には、憤怒が宿っている。
「うげっ、ランド・ドレイク」
「ほう、知っておったか」
「実際に戦ったことはないが、有名だぜ」
アベルの言う通り、冒険者たちの間の知名度は高い。
もちろん、悪い意味で。
ドラゴンは金銀財宝をため込むが、その亜種とも下位種とも呼ばれるランド・ドレイクは異なる習性を持つ。
「やつら、宝石でも金貨でも、バリバリ食うって話じゃねーか」
「ともに、金銀財宝を愛していることには変わるまい?」
「大違いだよ、バカたれ」
金銀財宝を美女に置き換えてみれば、その違いは歴然。
「なんじゃ、さっきは金が減って喜んでおったくせに」
「使って減るのとは違うんだよ!」
誰かに奪われるとなると、途端に惜しくなる。
これは、美女と同じだろうか。
「こんなに早く出てくるとは思ってはおらなんだが、ちょうど良い。余のアドバイスを聞いて、しっかり励むんじゃな」
「ちっ」
どうやら、逃げるという選択肢は選ばせてくれないらしい。
というよりは、戦う以外に選択肢はないのか。
身をかがめ、ショートソードを抜いたアベルが、ランド・ドレイクと対峙する。
まだ半分以上残っている紙巻き煙草を地面に投げ捨て、恨めしそうに踏み消した。




