第九話 ロートル冒険者、飲む
「ああ……。働かずに飲む酒が美味い……」
『一応、自らの働きで手にした賞金と言えなくもないはずなんじゃがなぁ』
ハーネスレースで、見事、万馬券を当てたアベルは、即座に換金。質に入れていた装備を取り戻した。
今は足下にあるバックパックの存在が、アベルの精神に安定をもたらす。腰から吊したショートソードも頼もしい。
ベルトポーチには、大量の金貨……ではなく、滅多にお目にかかることがない白金貨が収められていた。
もちろん、属性石に振り込んでもらうこともできたのだが、不正が発覚したときのことを考え、現金にしたのだ。
しかし、それはそれで問題。
その重みが、盗まれやしないかという不安をかき立てる。
後から不正がばれやしないかと心配で仕方がない。
それらの要素が組み合わさり、アベルは酒場に駆け込んだ。
まあ、『孤独の檻』の呪いがあるため、許可をもらってからの入店にはなったが。
「こいつは、いいワインだなぁ」
そんな過去は忘れ、ボトルからグラスに中身を注ぎながら、アベルはうっとりとした声で言った。
その息は甘く、すでにボトルの半分以上飲み干している。ダイアラット退治の報酬に換算すると、恐らく十日分以上はあるワインをだ。
そんないい酒が置いてある店は、場末の酒場などではない。
高級店など行ったことも当てもなかったが、せっかく大金を手にしたのだ。祝勝会ぐらいは派手にいきたい。
だから、領主の城館近くにある、それなりの店を選んだのだ。
接客のしっかりした店なら、『孤独の檻』の条件も自然とクリアできる見込みもあった……というのは、後付けの理由だ。
一番の理由は。
『競技場の近くじゃと、気が気がないからじゃろ』
『うるせー』
思念で抗議の声をあげつつ、アベルはまたグラスを干した。
酸味やら甘みやら香りやらいろいろあるのだろうが、感じるのは美味いという身もふたもない事実だけ。
それには、この名前も知らない店の環境も一役買っていた。
玻璃鉄に、魔法の明かりを封じた照明。
椅子やテーブルもがたついていない。
店自体清潔感にあふれ、ウェイトレスも、普段行くような酒場と違って露出は控えめだが、美人度は数倍増し。
なにより、客層が違う。
お世辞にも上品とは言えないアベルがいても、絡んでくることなどない。他の客も、静かに酒と肴を楽しんでいる。
それは、隅のテーブルを一人で占拠するアベルも同じだ。
たとえ、壁を向いて呑んでいても。
『他のヤツらを呼ばなくて、正解だったぜ』
昨日の朝少し話をしたジョルジェや、斧使いのカッツといった顔なじみの冒険者を誘うことも考えたが、実行には移さなかった。
ルストを誘うと、彼のパーティメンバーからすごい視線を向けられるので、最初から誘うつもりはない。
どちらにしろ、下手に人を呼べば金の出所を詮索される。痛くもない腹を探られるのは、ごめんだった。
『その腹、真っ黒じゃと思うがのう』
『そいつは恐ろしい。吸血鬼って、みんな腹黒なのかよ』
『我が子は、心に棚を作るのが上手じゃなぁ』
マリーベルの対応が、生暖かいが優しい。
その理由は、続く言葉で判明した。
『吸血鬼も、普通に飲み食いはできる。実感して安心したか?』
「あ……」
『本当に、ただ飲みたかっただけかーーー!』
アベルは答えず、明後日の方向を向いた。
マリーベルが心配。あるいは、祝福してくれていたことぐらい、アベルにも分かる。
それを台無しにして、なにを言えばいいというのか。
『ええと、そう。あれだ。マリーベルも肉食うか? 美味いぞ?』
牛肉をかりっとローストした一品は、焼き加減が絶妙。ニンニクの風味も効いている。
噛むと肉汁があふれてくるのに、しつこさはまったくない。値段さえ考えなければ、おかわりしたいぐらいだ。
それをフォークに突き刺してマントの中へ入れてみるが、当然と言うべきか、反応はない。
『……もしかして、普通に飲み食いできるんだったら、血とかいらないんじゃ? なんて思ったりなんか、してみたんだけど?』
何事もなかったかのように肉を自分の口へ入れてから――吸血鬼になっても、味覚の変化は特にないようだ――アベルは、次の話題を振った。
『それは別じゃ』
『そっかー。別かー』
そんなに甘いものではなかったらしい。
まあ、それは想定内。マリーベルの機嫌が直ったことを喜ぼう。
ワインで肉の脂を洗い流し、さて、次はなにを頼むかと思案したところ……。
『飲み食いが終わったら、南の大森林へ行くのじゃぞ』
マリーベルから、小言が発せられた。
『分かってるって。マリーベルも飲むか?』
『飲めんわっ』
この姿だから、なのか。それとも、元々、そうなのか。
どちらかは分からないが、アベルは追及はしなかった。
『夜は長いとはいえ、有限なのじゃからな』
『はいはい』
『余も、嫌がらせで言っているわけではないのだぞ? じゃが、我が子に吸血鬼の真価を感じさせるのは夜しかないゆえ是非もなし』
『それは、まあ、そうだな。実際、眠気も疲労も感じないし』
ハーネスレースで興奮して昂ぶっているだけかもしれないが、アベルは、活力のようなものを感じていた。
ここ最近、ご無沙汰だった感覚だ。
『なあに、大船に乗ったつもりで安心するが良い。余の言うことに従っておれば、間違いはないわ』
『根本的な問題として、別に、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないかなーって思ったりなんかしちゃったりするんだが……』
『困難だからといって、進まぬ理由にならぬ。その先に、たどり着くべき未来があるのであれば、なおさらの』
『お前、吸血鬼なのに、なんでこんな前向きなんだよ……』
外見に似合わず説教好きな血の親を懐に入れたままでは、潰れるまで酔うわけにもいかない。
アベルは控えめにもう何品と何本か注文し、それをすべて平らげて、いい気分で店を出た。
支払いもかなりのものになったが、大勝ちした今では、大した金額ではない。
それよりもなによりも。
「やった、金が減ったぜ!」
少しでも、手持ちの金貨が減るのが嬉しかった。
なお、白金貨は、酒場程度ではどうしようもないので、意識の外に追い出すこととする。
『どんだけ小心者じゃ、アベル……』
『うるせぇ。大金なんか、持ち慣れてないんだ!』
思念で言い合いをしつつ、足早に南の大森林へと移動を再開……しようとしたところで、向こうから歩いてきた女性と肩がぶつかった。
「おっと、すまない」
「いえ、こちらこそ考え事をしていて……って、アベルではありませんの!?」
そのまま通り過ぎようとしたアベルは、聞き覚えのある声に、思わず足を止めた。
止めてしまった。
冒険者ギルドの受付嬢、クラリッサ。
白髪のダークエルフから鋭い視線を向けられ、アベルは思わず身がすくんだ。村の神殿学校のシスターから説教を受けたときのように。




