8.俺を見てくれない、お前が悪い!
もう帰って来なくていいぞ、という父親の言葉は、その口調とは裏腹に絶対命令だったらしい。
家に入れて貰えないので、本家に居候することになった直久は、以前は祖父の自室であったその部屋で横たわっていた。眺めるわけではなく、ただ天井を見つめる。
祖父とゆずるの封印が解けてから、直久にも人ではないモノたちが見えるようになっていた。
力も使える。数メートル離れた場所のペンを持ち上げることさえできるのだ。
朝霧の力を借りれば、もっといろんなことができる。
空を飛ぶことも。時空を越えることも。手のひらから炎を出すこともできたし、水を動かすことも、風を止めることもできた。
直久は天井から目を離すと、横目を流した。
「なあ、ゆずる」
同じ部屋の中にいながら、手の届く場所から離れた場所に座っているゆずるに声をかけた。ゆずるは本から目を離さずに、適当な返事をする。
――そんなに面白い本なんだろうか。
「せっかくそこにいるんなら、ついでに膝枕してくんない?」
「なんで?」
「ついでじゃん」
寝転がっている直久と異なり、ゆずるはきちんと正座をして読書をしている。
――本くらいもっと楽な姿勢で読めばいいものを。
だが、せっかく正座をしているというのなら、その膝に頭の一つくらい乗せさせてくれてもいいはずだ。
「嫌だ。重い」
目すら合わせてくれない。
――こいつ、本当に俺のこと好きなのかよっ!
疑いたくなるが、疑いだしたら止まらなくなるのでやめておく。
遠くの方で子どもの声が聞こえた。優香が友達を連れて遊びに来ているのだ。その中に太一が混ざっている。
太一はあれからずっと本家で暮らしている。妻との生活を邪魔されたくないと言って、浩一が本家に置き去りにしたのだ。
彼は再びどこかに消え去ってしまったので、追うこともできず、太一は本家にしか居場所がなくなってしまったのだ。
異母弟なのだ。それでなくとも同じように父親に捨てられたゆずるが哀れに思わないはずがなく、ゆずるは太一を本家に置くことに決めた。
鬼の血が混ざっていることを理由に一族の者は反対したが、ゆずるが当主なのだ、ゆずるが決めたことが覆ることはない。
ゆずるは九堂家当主になった。以後、『九狼』と呼ばれる。
だが、一つ条件があり、裏山の結界は彼女ではなく、彼女の夫となる直久が守り続ける。直久が彼女の側にいることが条件なのだ。
なあなあ、と直久は起き上がり、ゆずるの側へと膝で歩み寄った。
「なあ、ゆずる」
「ん?」
顔を上げない彼女にイタズラをしてやろうと、覗き込んだ。ちゅっ、と頬に唇をあてる。
「うわっ、何を!」
「おっ、やっとこっち見たな」
ニッと歯を見せてやると、ゆずるは怒って眉を吊り上げた。 だが、顔は赤らんでいるし、瞳も潤んでいる。ぜんぜん迫力不足だ。
直久は声を立てて笑った。バコンッと後頭部を叩かれる。
「直!」
「痛いなぁ。――けど、俺を見てくれない、お前が悪い!」
「……」
ふいっと、そっぽを向いてしまったゆずるを振り向かせるために、再び声をかける。
「なあ」
「……」
「小夜、本当に転生しているよな?」
「……小夜?」
「ちゃんと捜してやらないとな。朝霧と約束したから」
そういう約束で、彼は直久の式神になったのだ。
直久に振り返ったゆずるが、こくりと頷いた。
「見つけよう、ちゃんと」
朝霧が人間を嫌うのは、人間が小夜を殺したからだ。
だが、小夜も半分は人間であり、小夜の子もその子孫達も人間として生きている。
彼らに奉られて朝霧は人間の世界にいるわけなのだから、彼の想いも複雑なのだろう。
山に籠もるより仕方がなかったのかもしれない。
小夜の子は、半分は小夜の血を、そして残り半分は小夜を犯した憎むべき人間の血を持っていた。
その子孫達に小夜の面影を求めながらも、小夜ではないと否定し続けていた。
矛盾。
混乱と苦しみの。
――だが、もし小夜の魂を見つけたのならば、朝霧に何かが起こるかもしれない。
何か変化が。この九堂家にも。
ゆずるが自身の膝を二度軽く叩いたので、直久は再び寝転んだ。
天井ではなく、ゆずるの顔を見上げる。
だが、すぐに、『うざい』というあまりにも冷たい言葉が降ってきて、顔の上に本を乗せられてしまう。
そんなことをされても、今の体勢に不満はなく、直久は安心した心地で瞼を閉ざした。
【完】
『風花』(http://ncode.syosetu.com/n6813d/)へ続く。