3.俺はいらないってことですか
淡々と作業が進められていく。笑みを浮かべる者はなかったが、涙を流す者もいなかった。
通夜ともなれば、いくら月が丸いからと言っても、来ないわけにはいかない。翌朝、母親と鈴加も本家にやって来た。一族の他の女たちも。
そうして、皆の前にゆずるが姿を現せたのは、昼を過ぎてからだった。
口を閉ざした。皆、一斉にゆずるを見やる。
ゆずるは和装だった。黒羽二重の染抜き五つ紋付きに羽織袴。
直久と数久は黒のスーツだが、父親や叔父たちはゆずる同様、黒羽二重の染抜き五つ紋付きに羽織袴を着ている。
ゆずるだけが特別なのだと思い知る。ゆずるは子ども扱いされないのだ、と。
ゆずるが上座に着くと、口を開く者があった。肉のない躰は枯れ枝を思わせる老人だ。
正月に本家に行くと、よく見る顔だが、いったい誰だっただろうかと直久は眉を寄せる。
すると、隣に座る数久が、日暮らし神社の当主だと囁いた。
九堂家の分家は8つ。姓は『大伴』で、その8つの家は皆、神社を経営している。
先見、風通い、刀守り、火刈り、迷い土、黒水、鈴鳴り、日暮らし。
それらは神社名であると同時に、その神社に住まう妖狼の名前でもある。
九堂家当主は8匹の妖狼を式神とし、8つの家の当主の長となる。
九堂家の経営する神社は、朝霧神社といい、朝霧という名の妖狼の住処とされているが、実際には朝霧はここにはいない。その姿を見た者は、ここ数百年、一人としていないのだという。
日暮らし神社の当主だという老人は、ゆずるに向かって、ゆっくりとした動作で頭を下げると、ゆずるだけではなく、その場に知る者たち皆に聞こえるように言い放った。
「決めなければならないことがあります」
空気の色が変わるのが分かった。
――もっとも空気に色があるとしたら、だ。
ゆずるの座る席は、直久たちよりもずっと上座であり、遠い。
長方形の和室に勢揃いした一族。 皆、上座の方を、固唾を呑んで見守っていた。
「九狼様が亡くなられて、結界が乱れています。新しい九狼が貼り直さなければなりません」
「この家の結界のことではありませんよ。裏の山の結界のことです」
老人の隣に座していた老婆が口を挟む。数久が言うには、鈴鳴り神社の者らしい。
「あの山だけは結界を貼り続けなければなりません。それが九狼の責務です」
承知していると言うように、ゆずるが頷いた。
「次代殿にそれができるというのであれば、我ら老人は次代殿を九狼と認めましょう」
隣で数久が息を詰めた。
『九狼』というのは、九堂家の当主の別称だ。
はるか昔、九堂家の始祖が9匹の妖狼を従え、『九狼の巫女』と呼ばれていたことが始まりだという。
老人達はゆずるの年若さを懸念している様子だったが、ゆずる以外にいないのだ。
九狼は九堂家の直系男子が継ぐことが決められている。ゆずるの父親がいれば、彼こそが継ぐべきものだが、今、ゆずるしかいない。
――ゆずるしかいないと思われている。
ゆずるが少女だと知っているのは、祖父母と実母、そして、直久の家族たちだけだ。
もしかしたら、他にも気付いている者がいるかもしれないが、事が事なので、気付いていない振りをしている。ゆずるは少女であってはならないのだ。
ゆずるが九狼を継げないとなったら、そこで血は絶えてしまうから。
――ゆずるしかいない。
老人達が再び口を開こうとした時だった。何かが家の中に入ってきた。
何か――生ある者。そして、自分たちとごく近い者だ。
皆、互いの顔を見合わせた。一族は皆、この場に揃っている。 ならば、いったい何者がやって来たというのだろうか。
廊下が軋む。近付いてくる。 カラリと障子戸が開くと、祖母が姿を現せた。
直久は息を吐く。
そう言えば、祖母は祖父の遺体を守って、この場にいなかった。だが、彼女ではない。何者かは、家の外からやって来たのだ。
祖母が部屋の中を見渡し、それから廊下に振り返った。
足音。一人ではない。 ――子ども?
小さな足音がやや大きな足音に隠れるように響く。
祖母は障子戸を大きく横に開いた。
すー。
軽い音が響き、その人は現れた。空気が張りつめた。 皆、息を呑み、その人を凝視した。
ガタン、と音が鳴り響き、硬直した皆の躰がようやく自由になったようだった。
直久が振り返ると、ゆずるは立ち上がり、困惑した表情をその人に向けていた。
「なぜ、貴方が……」
最初に口を開いたのは、ゆずるの実母、綾香だった。かつての夫、浩一を青ざめた顔で見上げた。
彼は薄く笑った。
「黒水から父さんが死んだことを聞いた」
「貴方は勘当された身ですのに……」
よくもこの家の敷地を跨げたものだと、彼女だけではなく、その場の空気が言っている。
浩一は薄い唇に淡い笑みを浮かべた。 細い糸のような明るい茶色の髪。
伏せた瞳は茶色だが、顔を上げると黄金色に輝く。
ゆずるとよく似ていると、直久は思った。 ゆずるの瞳も、ふとした時に黄金色に輝く。
綺麗だと思うが、同時に、やはり人以外の血がその身に混ざっているのだと思い知る瞬間だ。
「焼香しに来たというわけですか?」
浩一と眼が合い、ゆずるはグッと唇を噛み締めた。彼は微笑む。
「君を助けに来たんだよ、ゆずる。――夢で伝えただろう?」
「夢で……」
「もうすぐ会いに行くと言っただろう? 君の代わりを用意したから」
「代わり……?」
震える声で聞き返すと、浩一は微笑んだまま廊下に振り返った。
「太一」
子ども。7つくらいだろうか。呼ばれて、男の子がひょこりと顔を出した。
ゆずるの顔が凍り付く。一目で分かる。あまりにも似すぎている。あれはゆずるだ。幼かった頃の。
言葉を失っているゆずるに、浩一は目を細めた。
「この子が必要だろうと思って、君のために連れてきた」
「どういう意味……」
「この子は直系男子だ。君とは違って」
ざわめき。
直久の目に、思わず腰を上げる己の父親の姿が見えた。あの父親にしては珍しく慌てた様子だ。
「浩一!」
直久の父――彰久と浩一は従兄弟だ。互いに幼い頃は、今の数久とゆずるのような関係だったらしい。
その親しさを頼りに、諫めるような声を上げる。
「何を考えているんだっ」
「何って……。このままでは、あの子が可哀想じゃないか。あの子は女の子なのに」
「浩一!」
誰も口にしなかった真実を、サラリと口にして、涼しい顔をしている。
信じられないものを見るかのように、ゆずるは浩一を見上げた。
その顔は青白い。 今にも倒れそうだと見て、直久はゆずるの元へ駆け寄った。 数久も付いてくる。
二人でゆずるの腕を左右から掴んで、その身体を支えた。
「彰久、わたしはね。今更、この家に戻るつもりはないんだ」
「当然だ。帰りたいと言っても、お前を迎え入れる者など誰もいない。お前がした綾香への仕打ちは、何年経っても許せるわけがない」
「だけど、わたしがいなくなったおかげで、幸久の綾香への想いは報われたわけだし……」
「浩一、殴られたいのか?」
それ以上言うなと、彰久。
幸久は彼の弟であり、綾香が再婚した相手だ。ゆずるの異父妹である優香の実父でもある。
自分のおかげで幸久と綾香は結婚できたのだから、むしろ感謝して欲しいと言った浩一に、彰久は眉を吊り上げる。
浩一と綾香が従兄妹であると同時に、彰久と綾香も従兄妹であった。
幼い頃から共に育ち、妹のように思っていた綾香が、子どもを作るだけの道具として扱われ捨てられたとなれば、彰久に怒り以外の感情が湧くはずがなかった。それが例え、浩一だったとしても。
――いや、むしろ、余計に強く怒りが湧くというもの。怒りに任せて、彰久は浩一の胸ぐらを掴み上げた。
だが、彼は涼しい顔を崩さなかった。彰久が何をそんなに起こっているのか分からない様子だ。
「わたしは義務を果たしに来たのに……」
「義務?」
「綾香が生んだ子が女の子だったと知って、これはマズイと思ったんだ。てっきり男の子が生まれたと思っていたから」
ゆずるの躰が小刻みに震える。
「家を継げと言われて連れ戻されたくなかったから、ゆずるの代わりを用意しなきゃと思ったよ。わたしには雪姫との生活が一番大切だからね。邪魔されたくない」
浩一はそう言って、太一の背を押しやった。小さな躰が一斉に多くの目に晒される。
――雪姫。
直久が呟くと、数久が答えてくれる。
「浩一さんと一緒に逃げた人の名前だよ」
「……人じゃない」
震える声。振り向くと、ゆずるが頭をわずかに左右に振った。
「人じゃない。……鬼だ」
退治するべき鬼に心を奪われてしまったのだ、とゆずるは吐き捨てるように言い加えた。
それじゃあ、と直久は太一の方を見やった。ゆずるは頷く。
「あの人と鬼との間に生まれた子だ。――忌々しいが、俺の異母弟というわけだ」
鬼の子。
細い糸のような髪に被われた頭に、もしかしたら角があるかもしれないと見やったが、それらしきものは見当たらなかった。普通の男の子に見える。
だけど、ゆずるの言葉を信じれば、鬼を母親に持つ子どもなのだ。
「鬼の子を九堂家当主に据えろと?」
「女を男と偽って当主に据えるより、よほど良い」
彰久が言うと、浩一は間を置かずに言い返した。 二人がゆずるに振り返る。つられるように、一族の老人たちもゆずるに振り返った。
「女……」
バレた、という思いよりも、誰もが目を背けていた真実を無理矢理見させられた気分だった。
場が寒々しく静まり返ってしまったことに気付き、浩一は場違いな素っ頓狂な声を上げた。
「まさか、本気で、ゆずるを当主にしようと?」
皆の顔を見渡して、呆れたように頭を左右に振る。
「この子は女の子なのに? 女の力が不安定だということを知らないわけではないだろうに。――裏山の結界が消えてしまっても構わないってわけではないんだろう?」
答える者はなかった。一族の女達の力が月の満ち欠けに影響されることは、今更指摘されることではなかったからだ。
満月の夜、完全に力を失う。
それは、ゆずるも同様。女であるからだ。
九狼の務めが裏山の結界を保ち続けることであるのならば、月に一度力を失うゆずるには不可能なことだ。
分かっていた。それくらいのこと、指摘されなくとも容易に分かることだ。分かっていた!
それでも自分しかいないのだと、ゆずるも、ゆずるを女だと知っている者達は思っていた。
――代わりがいる。男の子が。
突然、それまで黙っていた祖母が太一の手を引き、上座の方へと移動してきた。
ゆずるの前まで来ると、太一の手を放す。そして、ゆっくりと、ゆずるに向かって頭を下げた。
「ゆずるさん、今までご苦労さまでした。これから先は貴方のお好きなようになさって下さい」
抑揚のない声。ゆずるは息を詰めた。数久も。 返す言葉がない。
言い渡された言葉を、どのように扱ってよいものか、分からなかった。
ただ、分かること。それは、ゆずるに上座から降りろと言っているということだ。そこに座るべき者はゆずるではなく、太一なのだ、と。
「俺はいらないってことですか」
悲鳴のような声だった。血の気が引いた顔が一瞬にして朱色に変わる。
「ずっと、ずっと、九狼を継げと言ってきたのは、貴女なのに? お祖父様と貴女が、俺をこんな風に育てたのに!今更どうして言うんですか? どうして……」
「ゆずるさん、何を怒っているのですか?」
祖母は淡く微笑んだ。
「これから男の振りをする必要はないのですよ。――そうよ。買ってあげましょうね、貴方に似合う可愛らしいお着物を。その着物に似合うように、髪も長くのばしましょうね」
「お祖母様っ」
やめて欲しい、とゆずるは首を振ったが、彼女は続けた。
「貴方がそうしたいと言うのなら、綾香さんと一緒に暮らしてもいいのよ。やはり親子は一緒にいないといけないわ」
「俺に本家を出ていけと、おっしゃるのですか」
絶望の色。
――だったら、今までの自分の人生は何だったというのだ?
九堂家の当主になれと言われ続け、九狼に相応しい力を身に付ける努力をしてきた。
男にしか継げないものだと言うから、女を捨てたのに!
――代わり?
代わりができたから、そんなにあっさり捨てられるのか。
「認めない」
気が付くと、そう、ゆずるは言葉を放っていた。
認めない。認められるわけがない。
どうして、いきなり現れた弟に、今まで時が来れば与えられるものだと疑いもしなかったものを奪われなければならない?
欲しい、欲しくないの問題ではないのだ。
確かに、心のどこかで、いらないと思っていたかもしれない。 だが、目の前のものを急に奪われたら、惜しくなるのが当然ではないだろうか。
なぜ、突然、現れた弟に?
それも、つい数分前まで、その存在さえ知らなかった弟だ。
幼い弟が憎いわけではない。憎む相手は他にいる。父だ。
捨てたくせに。母も自分も、この家も。
捨てたくせに、どうして今頃帰ってくるんだ。
なんで、今頃、弟だなんて!
今頃。
どうせ帰ってくるのなら、手放した時に自分が悔しいと思うようになる以前に帰ってきて欲しかった。
遅い。遅すぎるのだ。
悔しい。手放せない。
九狼となれと言われ育てられたのだ。他の何になれると言う?
九狼しかなれないのだ、自分は。それを取り上げないで欲しい。取り上げられたら、生きている意味がない。
グッと力を込められた。右を見れば直久が、左を見れば数久が、腕を支えてくれていた。
不意に席を立った者がいた。鈴加である。
「私も納得できません! なぜ、女ではダメなんですかっ。女が九狼になってはいけないんですか?」
声を張り上げる鈴加の隣に、貴樹も立つ。
「九堂家の始祖、小夜も女性でした。ご存じの通り、最初となる九狼は女性だったのです」
そう言えばと息を呑んだのは右側の直久だけで、後の者は言われるまでもないことだった。
小夜は泰成の子で、泰成が妖狼との間につくった娘だ。『九狼の巫女』と呼ばれていたのも彼女で、九狼家とその分家の始祖となる娘である。
九狼を継ぐことを許されるのは直系男子のみとされたのは、小夜の子らの代からで、以来千年以上それは守られている。
千年という長い年月守られてきたことは、始めとなる者が女だったからと言って、どうという問題ではなくなるらしい。長く守られていたものの方が大事となるのだ。
しらけた老人達の空気に、少年達は舌打ちをしたくなる。特に鈴加は今にも式神を放ちそうな表情をして、日暮らし神社の老人を睨んでいる。
「確かに、ゆずる君は女の子です。ですけど、九狼の第一の責務は、裏山の結界を保ち続けることだと言いましたよね? それが可能であれば、女でも九狼として認めてくださいますか?」
「女は無理だと、承知しているだろうに」
「小夜は可能でした。小夜にできたことですもの。ゆずる君にもできるはずです。方法はあると思うのです!」
「方法とは。さて。そのようなものがあるのならば、聞かせて頂きたいものだね、先見神社のお嬢ちゃん」
老人は低く嗤う。
未だかつてそのように嗤われたことのない鈴加は、きつく拳を握った。橙色に光る。小さな稲妻が拳の回りに走った。
「鈴加」
貴樹が鈴加の拳を上から抑えると、ジュッという音と共に焦げ臭さが辺りに漂った。
「お前は正しい。きっと方法はある。だから、抑えろっ」
老人から鈴加を背中で隠しながら、貴樹は静かな口調で語り出した。
「九堂家の家系図を調べ、疑問に持った点があります。九堂家には代々、男子が必ず一人生まれているということです。必ず一人。二人でも三人でもなく。また、男子が生まれなかった代もない。これは確率的に奇跡としか言いようがないことです」
一代に一人だけの男子。
ゆずるの父には妹はあっても、兄弟はない。祖父もそうだ。姉妹はいても、兄弟はいない。
貴樹が言うには、過去千年どの世代を遡り調べても、ずっとそうなのだという。
もちろん、これは分家である大伴家には当てはまらない。本家である九堂家のみの話だ。
「これがどういうことなのか、自分なりに推測を立て、調べてみました。――結論を言いましょう。後継者争いを防ぐためです。先に生まれた男子は本家に残し、その弟は分家に養子に出していたのでしょう。ずっと不思議に思っていました。日暮らしの家には長い間、本家の血が混じっていないのに、なぜ貴方の発言力は強いのか、と」
貴樹は日暮らし神社の当主を真っ直ぐに見つめた。
「貴方は本家から日暮らしの家に養子に出されたのでしょう? 亡き当主の弟だった。違いますか?」
否定の声はない。貴樹は言葉を続けた。
「逆に、本家に男子が生まれなかった場合のことも調べてみました。何人もの側室を持っていても、男子には恵まれないこともあるというのに、歴代の九堂家当主には本妻以外がいた例がない。それでも、千年間、必ず男子が生まれているというのは、すごいとしか言いようがない奇跡です」
男子が生まれなかった代もあったはずだと言い切り、貴樹は一同を見渡した。
「男子に恵まれないと判断した時、最後に生まれた女子が男子として育てられる。そして、表向き嫁を娶ったことにし、婿を迎えたのでしょう」
「推測だな」
「確かに推測です。――ですが、裏付けもできます。一族の中、家系図に未婚と記されている多くの者は妖と婚姻したと言われています。その内の多くは子を儲け、その子を一族の者と婚姻を結ばせています。しかし、中には子がいない者もいて、その者の従兄弟にあたる当主は決まって末子です。更に、その当主は従姉妹以外の者を妻にしています。このことから推測できることが何であるか、分かりますか?」
沈黙の中、つまり、と貴樹は言葉を放った。
「本家に男子が恵まれず、女子ばかりが誕生した場合、その姉妹の中、末の子どもが男子として育てられたのです。そう、ゆずるのように。――そして、従兄弟にあたる人物を婿に迎えたということです。ただし、男子として育てられた者が婿を迎えるわけにはいかないので、表向きは嫁とし、系図上では名前も女子の名で記されたのです。九狼は男子ではければならないというものと同じくらい、当主は従姉妹を妻にしなければならないということは固く守られてきたことですよね? 従姉妹以外の女性が当主の妻になっている記録があったので、おかしいと調べて気が付いたことです」
当主が末子であること。その当主が娶った女性は従姉妹ではない。そして、その当主の従兄弟には未婚者がいる。
一例ならば偶然で片付けられる範囲だ。だが、数例もあることなのだと貴樹は言った。
「過去に女性で九狼になった者の前例があるのであれば、ゆずるが九狼になることに問題はないはずです。また、小夜が女性だったことを考えれば、九狼が男性でなければならない理由が何であるのか疑わしいです。――俺は、いずれ刀守りの家を継ぐ者として、ゆずるが女の身で九堂家の当主になることに、不都合があるとは思えません。彼女が小夜と同じように裏山の結界を保てると言うのであれば、当主としての彼女を否定する要素はないと思います」
ゴクリと直久の咽が鳴る。
貴樹が普段寡黙に見えるのは、おそらく鈴加がうるさいからなのだろう。鈴加が騒ぐから、貴樹は彼女を止める側になり、口を開く余裕がない。本来ならば、言う時は言う彼なのだ。
日暮らし神社の老人がギロリとゆずるを見、貴樹を見やった。
「小夜と同じようにとは?」
「我ら年寄りを納得させられるだけのことをして頂きたいものです」
「そうでなければ、安心して死ぬこともできませんからねぇ」
鈴鳴り神社と迷い土神社の老婆も口を揃えた。貴樹はゆずるを振り返った。
無言で数秒目を合わせ、再び老人達に振り向く。
「朝霧は他の8匹の妖狼の力すべてを足しても尚、それ以上の力を持っていると、古い書物で読んだことがあります。そして、過去に彼を式神にできたのは小夜だけだ、と」
「なるほど」
老人達は浅く頷いた。
「小夜以外の主を認めず、裏山のどこかに籠もってしまったという妖狼――朝霧。千年来、その姿を見た者はないと言われている朝霧を式とした際には認めずにはおられまいな」
「時間がない。できるとあれば、今夜中に」
「そう、今夜中に朝霧を従えることができるのであれば、我らは認めよう」
できるはずがないと、その口調が言っていた。貴樹はゆずるに振り返ることなく、言い放つ。
「できるだろ、ゆずる?」
4つ年上の貴樹の背は、頼もしいくらいに大きく見える。 おそらく貴樹は、この話をし始めた最初から、ゆずるの力を信頼すると決意していたのだろう。
だから、振り向きもしない。
信じて疑わないのだ。ゆずるならできる、と。
きっと彼は、ゆずる以外の九狼は絶対に認めないだろう。
できないなんて言えない。――否。できない自分なんて認められない。
「できる」
ゆずるは双子たちの手を払って己自身の力で立つと、きっぱりと言い放った。
どよめき。
老人達は嘲笑と頷きをゆずるに返したが、双子たちの親世代は動揺を露わにした。
「しかし、今の君には力がほとんど使えないのではないのかね? 今夜が満月だろう?」
「昼間のうちは、わずかですが、使えます!」
「裏山に行かねば朝霧には会えまい。だが、裏山にいるのは朝霧だけではないぞ」
「確か、次代殿は5匹の妖狼を式にしているとお聞きしました。他の3匹のことも忘れてはなりませんよ」
「日暮らし、鈴鳴り、黒水、そして、朝霧。この4匹の妖狼を今夜中になど、不可能だ。おやめなさい」
「不可能でもやります。いえ、不可能かどうかなど、やって見もしない内には決められません!」
「下手をすれば命を落とすことになるぞ」
「構いませんっ」
どちらにせよ。九狼を継げないとなれば、死んだようなものだ。
だが、首を横に振られる。双子達の父親である彰久の首だった。
「母親を悲しませるようなことを言うものではないよ。それに、本家の血筋を失うのは我々にとって惜しいことだ。君を死なせるわけにはいかない」
直久、と彼は息子に振り向いた。
「お前も行け」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げた息子を横目に、彼は一族を見渡して言葉を続けた。
「すでにご存じでしょうが、この息子は我が一族らしい力を何一つ持っていません。満月の夜の女たち同様に無力です。ですが、一つだけできることには、これはこれの双子の弟と繋がっているということです」
「うわっ。ちょっと待て。嫌な予感がすんだけどっ!」
「これを傷付ければ、弟の方にも同じように傷が付くという術をかけられます。よって、次代がどのような状況にあるのか知る手段になります」
「また、それかーっ」
叫んだ兄に、弟は大きく頷いた。
「春に僕が、優香ちゃんのお友達が眠ったまま目覚めないという事件を解決した時に使った術だね。さすが、お父さん! 直ちゃんの使い方をちゃんと知っているね」
「無力な息子を持つと、あれこれ考えてしまうものだからな」
「そうだよね。無力な兄を持つと、ホント考えちゃうよ」
「おい、コラ!そこの親子!!」
大声を上げる長男は横に置いておいて、なるほどと母親と長女も頷き出す。
「直ちゃんなら、ゆずる君に手を貸したのではないかと疑いをかけられることもないのよね」
「数久ともツーカーだし。無能だけど、使い道はあるわけね」
そういうわけだから、と彰久はゆずるに振り返る。
「使ってくれるかな、これを」
と、直久をゆずるの方へ押しやった。
トンッと、直久の躰がゆずるに軽くぶつかる。
いらないと言いかけて、ゆずるは口を閉ざした。触れ合った部分がやたら熱かった。
「直を連れて行くことが条件だ。でなければ、わたしは君を裏山に行かせることはできない」
いつか彼の息子も同じようなことを言っていたなと、ゆずるは眉を寄せた。
数久が父親似ならば、その父親は数久同様自身が一度言った言葉を覆したりはしないだろう。
何だかんだ言って、ゆずるは口で数久に勝ったことがないように思うのだ。彰久には更に勝てないような気がする。
ゆずるは両手を直久の胸について躰を離すと、彰久を見上げ頷いた。
「分かりました。直を連れて行きます」
「危険を感じたら、遠慮無く直をぶん殴ってくれて構わないからね。数が痛みを感じたら、わたしがすぐに駆け付けよう」
瞬間移動で、と彰久は微笑む。
「とにかく無事に帰ってきて欲しい。無理はしない。分かったね?」
ゆずるは頷いたが、何が起きても直久を殴るようなことはしないと心に決めた。
もしもそうなった時。その時は、自分から九狼を継ぐ権利を失われた時だ。
必ず無事に戻ってくる。朝霧を従えて、必ず。