表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/14

第五章 千年前の物語(1)

   第五章 千年前の物語


     九月十二日


 メキアはシザウィーと少し似た造りの国で、国境が石造りの塀で囲まれている。シザウィーの塀と違うのは、高さが三メートル程とやや低めで、乗り越えようと思えばいくらでも方法がありそうなこと。それから、石の材質がもろく、ところどころ崩れてしまって、補強や修復をした跡がありありと見て取れること。とは言え、国境全てを塀で囲むのは、並大抵のことではなく、メキアの国力みたいなものを感じることができた。

 で、塀の中はどうなっているのかというと、一見ありふれた街の風景が広がっているのだが、通行人から商人、老いも若きも男も女も例外なく、腰に剣を挿していたり、ロッドを携えていたり、鎧を身に付けていたりしている。つまりは、全国民が武装しているわけで、メキアのお国柄を知らない者が見たら、戦争中と思うより他ない。

「いや、メキアは今、一番平和な時なのだ。」

 ミーナが戦争中なのかと案の定聞いてきたので、アルディスは生真面目に答えて言った。

「平和でなかったら、塀を越えることなどできない。出入国の許可が下りないからな。この国は、他国とも良くやり合うが、他国とやり合う理由がない時は、国内でもやる。内戦の方が多いかもしれん。好戦的な国民で、ちょっとでもきっかけがあれば、すぐに戦だ。いつでも事を起こせるようにと、常に武装して過ごしているのだ。」

 変わった国民性だった。しかし、そこに暗さはなく、好戦的という言葉の通り、戦いが楽しくて仕方がない、毎日が戦日和と言った風情のお国柄なのだった。

「今の国王が即位してから六年経つ。若いがなかなかのやり手でな。メキアの国民性を上手く利用して、纏め上げることに成功したのだ。少なくとも内戦はしばらく起きないだろう。」

「何で?」

「国営のコロシアムを建て、トーナメントを行うようになったのだ。優勝者は賞金を手に入れ、上級騎士に登用される。観客は一位を予想して金を賭けることができる。国は民衆の欲求を満たせる上に、その収益で潤うことができる。一石二鳥だ。……ほら、あれがそうだ。」

 アルディスが顎で示した先に、塀と同じ石造りの円い建物がある。コロシアムだ。今日は開催日ではないようで、周りには疎らに人影が見えるくらいだった。コロシアムを横目にやり過ごして、一行はひとまず、レオンハルトが言うところの友達の家へ向かうこととなった。

「この大通りをまっすぐ行けばいいだけだから。」

 馬を操るガストンに、甥が簡単に道筋を伝える。この大通りを真っ直ぐ……アルディスの脳裏に浮かぶものがあった。

 到着した先は、入国時に見たものを超越した規模の塀が左右にそそり立つ、巨大な門扉の前。こういう感じのは、少し前にも見たことがある。ガストンが門兵に何事か囁くと、門扉はすぐに開け放たれ、一行はどうぞどうぞと招き入れられた。

 馬車を途中で降り、馬鹿げて大きな建造物へ向かって歩いて行く。その建造物の周囲は、極彩色の花々が咲き乱れる、美しいと言うより豪華な庭園で埋め尽くされていた。建造物の中へ恭しく通された直後、エントランスホールの奥にある真紅のベルベットが敷かれた階段から、どたどた降りてくる足音が聞こえる。

「レオン! 全くおぬしはいつも急にやって来る。不意打ちが趣味なのだな?」

 飛びつくように駆け寄って、レオンハルトの手を掴んだ男の姿形を、残りの四人はじろじろ観察した。

 男は、男の目でも惚れ惚れするような色男だった。シャープなフェイスライン。褐色の肌。目尻が凛とした切れ長の目。藍色の瞳が白目に滲むようだ。スッキリとした鼻筋。形の良い唇から覗く、並びの良い白い歯。背丈はアルディスほどではないが、充分に高く、群青色のマントの下には引き締まった肉体が白の装束に包まれている。胸まで伸びる豊かな深い銀髪が天然の見事な縦ロールとなっていて、この男の好奇さを象徴しているみたいだった。この、紛うことなき色男を、負けじと見つめ返すエメラルドの瞳。

「何も、下まで迎えに来られなくても……こちらから会いに行くところだったのに。」

「何を言うか! 下々がおぬしに近づく口実を与えてなるものか。案内はオレ様一人で充分。自分の客人を自分でもてなすのは当然のことであろう。」

「いえ、その、下々というか、今日は連れもおりますので……」

 レオンハルトは何だか恥ずかしくなってきて、視線を下に落とした。男は言われて初めて気づいたと言うように、四人を藍色の瞳で見回した。で、長身の剣士に目が留まる。

「? おぬし、アルディス・フロントではないか。騎士隊長として招き入れようという、オレ様の申し出を蹴ったおぬしが、何故異国の王子に付き従えておるのだ?」

 剣士は冷や汗を滲ませて縮こまった。レオンハルトがフォローする。

「いえ、彼は付き従えているわけではありません。旅の同志なのです。」

「何、同志! 羨ましいことだ。オレ様もおぬしと共に旅をしたいぞ。それにしても、親子二代に亘って母国に仕官しないとは、残念だ。アルディス・フロントよ。また、この頑固な逸材をあっさり仲間に引き入れる辺り、さすがとしか言いようがない。レオンはやはり只者ではないな。」

 握られた手、握っている手を睨みながら、ミーナが言う。

「ちょっと、いい加減、その手を離したら? 馴れ馴れしすぎるわよ。」

「? この娘は?」

「立ち話も何ですから、上へ行きましょう!」

 レオンハルトの提案に、快く部屋へ案内する男。女性をエスコートするみたいに、手が背中に添えられている。途中何度も振り返っては笑顔を送り、レオンハルトも困ったように微笑みで答えていた。

 男の部屋は、センスの良い調度品が設えられた、豪華だが品格ある雰囲気で、低いソファーに座ると、否応なしにゆったりできる仕掛けになっていた。男もソファーの一角に腰を降ろし、自己紹介を始めた。

「申し遅れたな。オレ様はこの城の主、カロス・バーランド・ネヴェル・ド・メキアだ。」

 ミーナはぎょっとした。

「あんた、王様なの?」

 ガストンが無礼者の頭を殴ろうと手を挙げたが、カロスが制した。

「いかにも、オレ様は王様だが、カロスと呼んでくれ。レオンの友はオレ様にとっても大事な友だ。かしこまる必要はない。」

 なかなか気さくな王様であった。ミーナとサラも自己紹介して、ガストンもしようと口を開きかけた時、カロスが口を挟んだ。

「おぬし、ガストン・ウィリアム・シャルル・ド・シザウィー卿であろう?」

「何故それを?」

 驚くガストンに、にやにやして答える。

「おぬしの風貌についてはレオンから聞き知っていたのでな。どういう性格かもだ。城を出る時、目立つから止めろとレオンから言われたにも関わらず、その、シザウィー人丸出しの格好で来たのであろう? 叔父が言うことを聞かず困ると、レオンがよく申しておったわ!」

 豪快に笑うカロスに圧倒され、二の句が継げない。ひとしきり笑って満足したカロスは、ふむ、と一つ息をして、レオンハルトに問いかけた。

「して、何か用があって来たのではないか? まさか新しい友人を紹介しようと思ったわけではあるまい?」

 レオンハルトは声を低くして旅の趣旨と、メキアで用を足すまでの宿の提供を願い出た。カロスは切れ長の目を、精一杯見開いた。

「な、何と。そうか。この城には気が住むまで泊まっていくと良い。ふうむ。しかし、おぬしが魔法を……似合うだろうとは思うておったが、使っているところを見たいものだ。いや、見せてもらおう!」

 急に立ち上がって、ぐい、とレオンハルトの腕を引っ張る。これにはさすがに抵抗を見せる。

「その、お見せする程のものではありませんし」

「大丈夫だ! 誰にも知られぬところがある。オレ様専用の練習場なのだ。魔法剣士としての、オレ様の姿も見せたい! さあ、さあ、皆もついて来るのだ!」

 強引ではあるが、確かに魔法剣士という台詞には魅力を感じて、大人しくついて行く一行だった。

 練習場は、だだっ広い石造りで、天井は屋根まで吹き抜けていた。随所に丸太が立っていたり、ぶら下がっていたりして、どうやらこの丸太を相手に腕を磨いているようだった。

「シザウィー人に魔法など見せるのは、幼気な子供に暴力を振るうようなものだと思って、敢えて使わずにいたのだ。だが、もう遠慮はいらぬ! さあ、まずはこれを見よ!」

 カロスの右手が、バリバリと帯電し、一行は慌てて後ずさった。

「サンダー!」

 右手が振り下ろされると、前に立っている丸太に、雷がけたたましく落ちて、真っ二つに割れてしまった。一行は、ほえー、と感嘆の声を上げた。発動時間が短く、威力もあり、正確なところから、カロス王の魔力が相当なものであることは誰の目からも明らかであった。賞賛の眼差しに気を良くしたカロスは、雷と風の合わせ魔法も見せてくれた。風が細かい雷をはらんで、渦を巻きながら進み、丸太に触れると爆発的に雷が炸裂する仕組みで、丸太五、六本が次々となぎ倒されていった。

「合わせ魔法とは、凄いですね。」

 レオンハルトに、そういう発想はなかったので、とても新鮮に映った。カロスは得意げに白い歯を光らせた。

「そうか、そうか。珍しいか! 魔法は武器と合体させることもできるのだぞ。」

 そう言って、腰に挿していた剣を抜いた。鞘と柄に宝石が鏤められていて、刀身も中央に一つ、黄色い宝石が嵌められていた。

「オレ様は雷の魔法が得意でな。雷の魔法と連動して、増幅するまじないがこの剣にはかけられている。魔力の消費が少なくて済むし、魔法が使えない者でも使いようによって、この剣から雷を打ち出すことができるのだ。」

 カロスが剣を構えて、丸太に斬りつけると、雷が切断面に流れ、火花が弾け飛んだ。一同、またも感嘆の声を上げる。強力な魔法を使ったり、剣を振るったおかげで、カロスの額に薄っすらと汗が滲んだ。爽やかに笑いながら額を手で拭い、レオンハルトに向き直る。

「さあ、次はおぬしの番だ。得意なところを少し、見せてくれ。」

 ここまで気前よくやられたら、お返しをしないわけにもいかず、渋々皆の前に進み出た。


 ――得意なところ、ねえ……。

 

 彼にとっては、全ての魔法が難しく、苦手だった。悩んだ挙句、危険を伴わない、あの魔法を使うことにした。掌を合わせて、ゆっくり広げていき、光のループを作る。いわゆる天使の輪である。ふわふわと掌擦れ擦れに浮かぶそれを見て、いつもの旅仲間三人は大して感動もしなかったが、ガストンと、殊更カロスは目の端が切れそうなほど光の輪を凝視した。

「これは、もしかして光の魔法ではないのか?」

 興奮気味のカロスに首を傾げる。

「はあ……たぶん、そうなんでしょうね。光っているし。」

「たぶん? おぬし、誰かに教わったものを使っているわけではないのか? 自分から自然と発動しているのか?」

 レオンハルトは力なく頷いた。

「教えてくれる人がいないもので……。」

 あいつが教えてくれないもので、と言いたかったが、止めておいた。

「こいつは驚いた。妖精魔法でも妖魔魔法でもなく、人間界の自然魔法を使うものがこの世に僅かばかり残っているとは聞いたが、まさかおぬしがそれとはな……」

「珍しいのですか?」

 カロスは呆れて言った。

「珍しいとも! しかも光の魔法に関しては使える者は絶滅したとさえ言われているのだ。まあ、しかし、これでおぬしが部族の城を巡っているわけが分かったような気がする。土の城か……オレ様も行ってみたいが、どこかの王子のようにおいそれと城から出られぬのでな。ここで留守番とは残念だ。」

 肩を落とすカロスにかける言葉を探していたが、すぐ元のように生き生きして、命令した。

「次は? 次の魔法を早く見せるのだ!」

 ゲッ、と顔を顰めるレオンハルト。全く好奇心旺盛なんだから……。

 自分が使える魔法について、いくつか候補を上げている最中、カロスがあまり急かすので、取り敢えずかまいたちにしようと指を打ち鳴らした。それで、失敗した。雑念が沢山入っている状態で発動してしまったのだ。

 かまいたちが金切り声をあげて石造りの床や壁もろとも丸太を切り刻み、その後を光線が乱舞。次いで、さっき見たばかりの雷が場内中央に太い柱となって現れ、天井を貫き、床に大穴を開けたのだった。

 もちろん、その場にいた全員が吹っ飛んだ。あまりのことに誰も口が聞けず、小刻みに震えて立ち上がることも忘れ、天井から見える空や、床の穴を眺めていた。

「王様ぁーっ! 何ですか、これは? いくらなんでもやりすぎですぞーっ!」

 床の穴から階下の兵士が抗議して叫んでいる。カロスが穴を覗きこんで叫び返した。

「おーう! すまん、すまん。客人にいろいろ見せてやろうと張り切り過ぎたのだ。」

 カロスがやったわけではないが、ここは彼のせいにしておく他ない。

「オレ様もここまではできぬわ。」

 汗を拭いながら、呟くカロスの手に血がついてくる。頬や足など、あちこち切ってしまっていた。他の連中も同様だった。大怪我でなかったことが不幸中の幸いと、カロスは立ち上がって、まず自分に治癒の魔法をかけた。それから手あたり次第、目を回している客人たちにも魔法をかけていった。軽い魔法だったが、さっきから散々使っていたこともあり、さすがに疲労した。

 さて、最後の一人、と手を翳したとき、その相手が怪我をしていないことに気付いた。いや、よく見ると、服がところどころ切れて、下の肌が見えている。服の切れた部分には血がついている。一体これはどういうことか?

 不思議な男、レオンハルトの背中を動かして、こちらを向かせると、彼は目を開いたまま気絶したような状態になっていた。揺り動かすと瞬きを一つして、カロスの藍色の瞳に焦点を合わせようとした。それが上手く行かず、何度も瞼を瞬かせた。

「ああ……すみません。ちょっと失敗してしまいました。

「ちょっと?」

 寝ぼけ眼の彼には、状況が分かっていないらしい。分かっていたら、仲間を傷つけてのんびり構えているはずがない。

「意識の中に無意識が流れ込んでしまって……」

 カロスは周囲の惨状をぐるりと見回していった。

「レオンよ、魔法は無意識に使ってはならん。くれぐれも気を付けるのだぞ。」

 ここぞとばかり、抱きしめる。その仕草があまりにも愛おしそうだったので、誰も咎めることができなかった。

「レオンなら大丈夫。絶対に目的を成し遂げることができる。オレ様もおぬしを信じているぞ。」




 レオンハルトが親善大使として、メキアへ訪れたのは、五年前の晩秋のことだった。当時、カロスは王になって日が浅く、戦争ばかりに熱中する国民に頭を悩ませ、内戦を押さえることに躍起になっていた。

 何もこんな時に来なくたって、とカロスは憤慨して伝達に怒鳴ったものである。

「顔を洗って出直してこい、そっちの国のことなど知ったことか、こっちは忙しいのだ、と言ってやれ!」

 程なくして、伝達がまた戻ってきた。びくびくしながら彼が言うには、カロスの親戚筋のドゴール国王より紹介があって、大変な時と知りながらも挨拶だけはと参じた次第、ドゴール国王の顔に泥を塗ることになるが、致し方ない。帰るとしよう、とレオンハルトが言い残して去ろうとしているのだ、と。

 カロスは肘掛を、ばん、と叩いた。

「そういうことは早く言えい! ええい、忌々しいわ! 連れ戻して、ここへ案内しろ!」

 伝達が飛んでいくのを見てから、カロスは身体を背もたれに沈ませた。

「全く、何と性格の悪い。あの厳格な叔父上を懐柔して、紹介までさせるとは。一体どんな顔をしてやったのか?」

「こんな顔をして、でございます。」

 カロスは飛び上がって、玉座に座りなおした。静々と謁見の間に現れたレオンハルトは上品に微笑んで見せた。

 カロスは茫然とシザウィーの王子を見つめた。背中に届く、プラチナブロンドは僅かな空気の動きに敏感に反応して、揺れている。艶やかな睫毛から覗くエメラルドの瞳。しっとりと透明感のある白い肌。もぎたての果実みたいな唇。こんな美しい人間を、男でも女でも彼は見たことがなかった。側用人や兵士たちも同じらしく、皆、魂を抜かれたように、口をポカンと開けていた。

「え……と。立ち話もなんだ。オレ様の部屋で話をしようではないか。」

 いきなり部屋に連れ込むのか?と非難の眼差し。もっと見ていたかったのに。

 まだ日も高いうちから二人は酒を酌み交わした。天使みたいな少年を前に、緊張して上手く話ができなかったカロスは、酒の力を借りることにしたのであった。まだ十四歳のレオンハルトは、舐める程度にたしなんで、相手に注ぐことを重点としていた。

「そうか、どこの国も苦労しているのだな。」

 諸国を渡り歩いているレオンハルトから、色々な国の話を聞きながら、カロスは癒されるような気がしていた。この少年には、人を素直にして肩の力を抜かせる力があるな、と。

「メキアも酷いものだ。どいつもこいつも、戦いたくて仕方がないようでな。今の内戦中に父上が死んでしまって、オレ様が跡を継ぐはめに……。敵国が相手ならやる気も出るが、よりにもよって身内ともいうべき国民が剣を振るってくるのだから質が悪い。やってられるか、全く……。」

 ソファーにごろりと横になるカロス。そのまま寝に入ろうかという体勢のカロスの側に、レオンハルトが屈み込み、優しく囁きかけた。

「良い方法がありますよ。」

「良い方法?」

 レオンハルトのきれいな顔が、とても近くにあって、カロスは酒も手伝って胃の腑から燃えるように熱くなった。

「まず、内戦の首謀者と話合いの機会を持つのです。」

 カロスは鼻で笑う。

「それができれば苦労は……」

「スパイを紛れ込ませて、首謀者の最も信頼する人物に近づくのですよ。その人物が首謀者を説得してここへ連れて来るよう仕向ける。例えば、国にのっぴきならない問題が発生するから、一時休戦しなければならないとか言ってですね……」

「のっぴきならない? 内戦以上の問題とは何だ?」

「他の国が攻めてきたら、内戦どころでないでしょう?」

 カロスはガバッと起き上がった。レオンハルトは涼しい顔で笑っている。

「もちろん、信憑性を持たせるために、他国が攻めてくると言う噂を流布しておくのです。例えば、それはシザウィーと言っても良いですよ。今までのシザウィーなら、充分にありえますからね。」

「その後はどうする?」

「うわさがデマなのは、良くあることです。誰も悪くない。誰も責めようがない。ただ、放っておくと、また内戦が再開されてしまいます。そうなる前に民衆の気を逸らす餌を撒きましょう。」

「え……さ……?」

 それが、コロシアム、というわけだった。まさか、そんなことで、民衆の気持ちが収まるものだろうか、と疑問を口にするカロスに、レオンハルトは微笑む。

「大丈夫です。何故なら、あなたには王として民衆を纏め上げる素質がある。始まり方が悪かっただけです。一度軌道を修正できれば、後はその人望、人徳を民衆の方が放っておきませんよ。民衆に理解があること。それがカロス王最大の武器です。私はそう信じます。」

 信じる、と言う言葉、何と頼もしくて力が出る言葉なのだろう。それを言ってくれた少年をまじまじと見つめる。少年は、ただ優しく笑っている。






     九月十三日


 次の日、朝食が終わって間もなく、レオンハルトはカロスにこの日の予定を告げた。ミズラ・ミズルをまず訪ね、アルディスの剣を鍛え直してもらうこと、それから土の城へ赴くこと。カロスは顎を一撫でしていった。

「ふうむ。ミズラ・ミズルはともかく、土の城へ行くのは難しいのではないか?」

「と、言うと?」

「メキアに土の城、などというものがあるとは聞いたことがない。曲がりなりにも、城、と呼ばれるものをオレ様が知らないわけがないだろう? アルディスよ、おぬしはどうだ?」

 アルディスは首を振った。

「確かに、メキアの外でも中でも聞いたことがありません。ただ、今までの経験から言って、部族の城は、一般的に認識されている形状ではないので、それと気付きにくいのかも知れません。少し大きな建物、少し立派な屋敷という程度なのです。」

「ならば、なおのこと探すおは大変だろうに。メキアにそういう建物が何件あると思うのだ?」

 レオンハルトが咳払いして、話の中に入る。

「ご心配には及びません。場所の見当はついていますから。大体が辺鄙なところにひょっこりと建っている物なのですよ。」

「まあ、おぬしがそう言うのなら……だが、見つからない時はすぐ戻ってくるのだぞ? メキアの辺鄙なところは危険が一杯だ。」

「はい、ありがとうございます。」


 一行は、馬車に乗り、ミズラ・ミズルの鍛冶屋兼、武器・防具店へ向かった。王室ご用達というから、どんなに立派な佇まいかと思っていたが、実際着いてみると簡素な石造りの二階建てで、店の中も商品が疎らに並ぶばかりであった。しかし、店内をくるりと一度見回しただけで、レオンハルトは言った。

「うわあ、これは逸品ぞろいだ。」

 皆の視線を集めながら、今度は手近に置いてある剣に触れようとした。

「勝手に店の中のものを触らないでちょうだい!」

 店の奥から、若い女が出てきて怒鳴った。

 こげ茶色のショートカット。右に流した長い前髪が右目に少しかかっている。少女と大人の女性の間で揺れているような顔立ちで、表情には険しさがあるが美しい。黒のタンクトップにショートパンツにブーツといういで立ちのお蔭で、健康的な小麦色の肌が良く見える。この、露出度の高い美女を見て、ミーナとサラの方が赤面した。ガストンはバツが悪そうに咳払いして、そっぽを向く。メキアの女性には珍しいことでもないので、アルディスは大した驚きもなかった。そして、怒鳴られた本人は、ツラッと澄まして振り向き、

「ああ、すみません。あんまり見事な出来栄えなので、つい手に取って見たくなってしまって……」

と、謝罪した。かんかんに怒っていた女だったが、レオンハルトの顔を見た途端、はっと息をつめた。

「あなたは……」

 瞬きしながら、女の顔を見つめてみる。思い当たる節はない。にっこり微笑む。

「どうも、初めまして。ここの品にも興味がありますが、今日は彼の剣を鍛え直して欲しくて……ミズラ・ミズルさんにお会いしたいのですが、いらっしゃいますか?」

 初対面だし、年上の女性だから、取り敢えず丁寧な言葉遣いで切り出したつもりだったが、相手は顔をみるみる赤くして、憤怒の形相になった。怒りのあまり、体が震えている。

「ミズラ・ミズル? ミズラ・ミズルが誰だと思ってんの? 毛むくじゃらのムキムキのジジイだとでも言うつもり! 馬鹿じゃないの!」

 女は奥へ引っ込んでドアを乱暴に閉めた。後には水が引いたような静けさ。

「ちょっと、あんた。何かあの人に悪いことしたんじゃないの?」

 ミーナが小声で尋ねる。周りから、疑惑の眼差しが注がれる。

「まさか! 冗談じゃないっ! 今会ったばっかりだぞ? さっきのオレの品行方正な話しぶり聞いていただろう? 何で怒鳴られなきゃならないんだよ!」

 レオンハルトはオーバーリアクションで皆の疑問に答えた。それでも霧が晴れない中、奥のドアが開いて、女が再び顔を見せた。表情は硬かったが、熱が冷めた様子で呟く。

「来なさい。会わせてあげる。」

 顔を見合わせて、一同、女の後をついて行く。店の奥は工場となっていた。窓は開け放たれているが、とても暑い。原料となる金属や、それを溶かす炉、伸ばしたり叩いたりする道具などがあって……。それにしても、随分こじんまりした工場であった。しかも、誰もいない。今日は休みのだったのだろうか、と一同が思うのも無理はなかった。

「見て。」

 女は革のグローブを手にはめ、鋼鉄の大きなペンチで徐に金属の棒を掴んだ。棒を炉の中へ突っ込み、しばし待つ。取り出すと、煌々と鮮やかな山吹色に熱された棒の先が溶けかけて、形が少し歪んでいる。眩しさに目を細めている矢先、金属は台の上の乗せられ、金槌でガンガン打たれる。

 一同、唖然と見守っていたが、ふと、金槌を握る女の手が青白く輝いていること、それから金属を打つ瞬間、金槌の先も青白く光り、飛び散る火花も青白いことに気付いた。

「魔法の鍛冶屋さんなのですね!」

 サラの高い声に、女が初めて笑顔を見せる。

「すると、ミズラ・ミズルさんは……」

「そ。あたしが、その、ミズラ・ミズルよ。」

 女はあっさり認めた。筋肉質とはいえ、女性が鍛冶をするなど想像も付かなかったが、魔法で、となると納得がゆく。に、しても、さっきの怒号は何だったのか?

「あんたの剣、見せてごらんなさい。」

 ミズラ・ミズルはアルディスの剣を受け取り、鞘から抜いてみて、目を丸くした。

「うわぁーお! これは酷い。」

 アルディスの仏頂面が一層曇る。

「治らないのか?」

 ミズラ・ミズルは赤毛の剣士に一瞥をくれた。

「治らないですって? 誰に向かって言ってるの? あたしはこれで生計立ててんのよ。いわばプロよ。治るに決まってるでしょう!」

 皆、ホッとして胸を撫で下ろす。剣を眺めながら、ミズラ・ミズルがため息交じりに言う。

「だけど、これはちょっと時間が掛かりそうね。二、三週間は欲しいけど……どうせ、急ぎなんでしょう?」

 横目で見られて、レオンハルトはつい、びくびくしてしまう。

「はあ……よくご存知で……」

 ふん、とむくれながらミズラ・ミズルが言う。

「十日で片を付ける。それまで待ってて。」

 レオンハルトは眉を顰める。

「いや、先を急いでいるので……」

「先を急ぐったって、ろくな武器もなしにどこへ行こうってのよ! 待てって言ってるでしょう? 分からない奴ねぇ!」

 顔に唾が飛んでくる。よく怒鳴る人だ。ミーナ以上、いや、ガストン以上かもしれない。

「分かった。分かりました。えーと。お代は先払い? 後払い?」

 ミズラ・ミズルはぷいっとそっぽを向いた。

「いらないわ。」


 ――えっ?


 つっけんどんな態度とは裏腹に、何という気風の良さ。育ちの良いレオンハルトは困ってしまう。

「十日も時間と労力を割いてもらうのに、代価を払わないなんて、ありえないよ。」

「いらないったら、いらないの。どうしてもって言うなら、王様にでも請求するわ。喜んで払うでしょうよ。」

 レオンハルトは血の気が引いて、くらくらした。王様が、カロスが喜んで払うとはどういう意味か? 尋ねるより早く、ミズラ・ミズルが続ける。

「私も見たいのよ。この剣が鍛え上げられたところを。できれば、魂が注がれたところもね。」

「魂?」

「魂よ。ただ、鍛えればいいってもんじゃないわ。私にできるのは、魂を入れる器を治すことだけ。器だけでも斬れ味は問題ないわ。でも、この剣の真価は、魂が入ることで発揮されるの。いつか、あたしの言っている意味が分かる時が来る。待つともなしに待ちなさい。あたしもその日を楽しみに待つわ。」

 終始ミズラ・ミズルの勢いに圧倒されつつ、一同は工場を後にした。土の城を探すのは、彼女の言う通り、剣が仕上がるまで待つことにした。


 メキア城に戻って仔細を説明すると、カロスはとても不思議そうな顔をした。ミズラ・ミズルにではなく、レオンハルトに対して。

「レオン、おぬし」

 そこまで言って、口を噤んだ。


 ――記憶がないのか?

 

 一体、レオンハルトの身に、何が? カロスは彼に代わって、過去を掘り起こしていた。






 コロシアムが完成した時、カロスは是非見てもらいたくて、レオンハルトをメキアへ呼んだ。喜びの再開を果たし、コロシアムを見て回った後、二人は日が高いのをいいことに、忍びで街をぶらぶらすることにした。一見すると、街の人には美男美女カップルにしか映らなかったことであろう。

 その二人が街はずれに差し掛かった時、女の怒鳴り声がして、トラブルの臭いに吸い寄せられるみたいに、声のする方へ歩いて行った。見ると、若い女が男数人に絡まれて、抵抗しているらしかった。

「商品に触るんじゃないわよっ!」

「触らねぇで、どうやって品定めすんだよ?」

「ていうか、誰の許可で店開いてんだ?」

「自分でたたまないんなら、こっちでやってやるって言ってんだよ!」

 商品というのは、道端に置かれた台の上にある数本の剣のことか。

 男たちはどこからどう見てもやくざ者。女は、気は強そうだが、腕っぷしは大したことがなさそうだった。

 レオンハルトはにこにこしてカロスに言った。

「レディがどうも難儀しているようですよ。」

 カロスはにやりと笑った。

「そのようだ。助けてやらんと、紳士の名が廃るな。」

 二人は腰から剣と棒を抜き放ち、つかつかとトラブルの元へ近づいた。二人を見た男たちは

「何だ、何だ?」

「カップルで助太刀しようってのか?」

「面白い、やってやろうじゃねぇか!」

と口々に囃し立て、各々武器を構えた。

 女がぽかんと口を開けて見守る中、戦いの火ぶたが切って落とされた。銀の巻き髪の男は剣士、プラチナブロンドの美女は棒使い。二人共かなりの強者と女は見た。

 剣士の太刀筋は豪快だが正確で、男たちを次々と峰打ちで倒していく。棒使いの方は、芸術的な動きで、舞い踊りしているうちに敵がひっくり返っているという感じだった。

 男たちは太刀打ちできないことを知って、一目散に逃げて行った。

 武器を納めると、二人はレディの方を爽やかに振り返った。

「女性の武器商人とは初めて見たな。」

「手に取って見ても良いか?」

 許可する前に、二人は商品の剣を手に取り、はしゃぎ気味に愛で始めた。助けてもらったお礼を言う隙もない。

「これは素晴らしい!」

「どうやったら、こんな風に剣を作れるのだろう?」

「たぶん、魔法仕込だ。」

「魔法! ウチの国では使えないな。」

 などと、次から次へと会話が勝手に進んでいく。

 プラチナブロンドの……彼女と思っていたが、声と素振りから察するに、「彼」であるようだ。その彼が、突然、女の方を向いて言った。

「こんな逸品をどうしてこんな所で売っているの?」

 女は肩を落とした。

「後ろ盾がないの。両親は戦争で死んでしまって、店も燃えてなくなって。剣の修理で細々とやってたんだけど、思い切って開業しようと思ったの。手始めに露店からと……」

「どこで仕入れている?」

「どこも、ここも、あたしがこの手で打って作ったんだもの。」

「一人で?」

「そう。作るのも、売るのも、あたし一人。」

 男二人は顔を見合わせた。

「この剣を……?」

「凄い! 彼女、天才だ!」

「名は何と申す?」

 女は奥歯が急に痒くなるのを感じた。

「ミズラ・ミズル。」

「良い名だね。」

「ふむ。見知りおこう。」

 凄く偉そうだ、と思う反面、二人の高貴さに薄々気づき始めていた。偉そうなのではなく、とてつもなく偉い人なのだ、と。

「カロス。私の国では無理ですが、あなたの国なら……」

「オレ様も同じことを考えていた。」


 ――カ・ロ・ス?


 聞き覚えのある名に、ミズラ・ミズルは身震いした。

「ミズラ・ミズルよ。おぬしの剣をかような所でバナナの叩き売り同然に売りさばくなど、もっての外だ。望みの場所で望みの店を建ててやるから、そこで商売をするように。そして、メキア軍に武器が入用となったら、おぬしに見積もる故、いつ注文がきても良いよう、準備しておくように。手始めに、オレ様の剣を作ってもらおう。雷系の魔法を込めた剣が良いが、それも可能か?」

「は、はい。」

 雷系と聞けば、もう間違いない。雷帝と異名を持つ、あのお方。

「申し遅れたが、オレ様はカロス・バーランド・ネヴェル・ド・メキア。で、こちらは」

「レオンハルト。レオンハルト・セオドア・フィオ・ド・シザウィー。」


 ――シザウィー! すると、この方は!


「君の剣を使えなくて残念だ。メキア軍と戦わなくて済むように、カロスとはますます仲良くしておかないと、これからが怖い。」

 悪戯っぽく、カロスを見上げる。カロスは一流の微笑みで返す。

「これ以上、どうやって仲良くするのだ?」

 あまりの親密ぶりに、ミズラ・ミズルは再び身震いした。やはり、カップルにしか見えない。




 一方、鍛冶職人の工場。時を同じくして同じことを思い浮かべていたミズラ・ミズル。あれから二年。今の自分があるのは、紛れもなくカロスとレオンハルトのお蔭。恩人に忘れられたのはショックだが、力になるのは嬉しい限りであった。まさか、金など取るはずもない。

 それにしても、忘れるなんてあんまりだ、と、彼女は何度も怒りを新たにしていた。






    九月十四日


 十日も足止めされるのだから、出来ることをやっておこうとレオンハルトは魔法の訓練に明け暮れた。カロスの練習場は滅茶苦茶にしてしまった。そこで、危険だと言われたメキアの郊外、人気のない岩場に出掛けた。皆、カロスまで付き合うと言ってくれたが、丁重に断った。正直、皆を傷つけないという保証はない。

 強い魔法を使えても、確実にコントロールできなければただの災害。そうならないように訓練が必要だった。今まで、色々な魔法の素、部族の結晶を吸収してきた。時の城の老人は言った。センスを手に入れたのだ、と。その意味を飲み込めないまま、ここまで来てしまった。

 とにかく、自分の魔力がどれくらいあった、どんな魔法が使えるようになっているのか、確認しておきたい。その場合、仲間は邪魔なのだ。一人を除いて。

「アルフリート」

 声に出して呼ぶのは久しぶりのことだった。そして、彼も久しぶりに竜のペンダントから姿を現した。相変わらずの黒ずくめ。相変わらずの無表情で。

「オレ、これからありったけの魔法を使ってみるから……」

「馬鹿な真似は止めろ。」

 抑揚のない声が遮る。

「何で?」

「メキア城での件を思い出せ。少し意識が飛んだだけで、あの有様だ。ありったけの力など出そうものなら」

「出そうものなら?」

「国単位の破壊が起きる。場合によっては大陸単位で……」

「分かった、分かった! もういい。ありったけはなしだっ!」

 これ以上、自分の恐ろしい話など聞きたくもなかった。

「じゃあ、どんな魔法が使えるか、色々やってみる。」

「時間の無駄だ。種類と強さは訓練の必要がない。」

 レオンハルトは足元の小石を蹴り飛ばした。

「他にどうしろって言うんだよ!」

「何度同じことを言わせる。感性を研ぎ澄ませ、イメージを確かなものとするのだ。それさえ出来れば、後は自ずとついてくる。」

 この数か月、ずっとやってきたことだった。しかし、結果が見えてこない。成果が表れているのかも、分からない。魔法を使っている実感すら湧いてこない。あるのは、魔法を使った後の虚脱感だけ。暗い沈黙の海に心が流されていく。しかし、海の底にも小さな光はあった。カロスもディーンも言っていた、あの言葉。意識して魔法を使えと。それなら理解できる。まずはそれを突破口にやっていこう。

 周りには手ごろな大きさの岩がごろごろしている。動かしたり、切ったり、砕いたり、意識的に魔法をかけていく。何十回、何百回と続けるうち、何か掴めそうな気がしてきて、ますます気合が入ってきた、そんな時、邪魔者の気配が彼の集中力を削いでしまった。

「いいところだったのに!」

 憤慨して、辺りを見廻す。自分が散々痛めつけた岩岩が、ぐら、ぐらりと揺れている。


 ――あれ? もしかして、これって、ただの岩じゃなかったのかな?


 岩が重低音を轟かせて、地面から迫り出してくる。無骨な姿ではあるが、人型をしている。

「ゴーレム?」

 かの有名な魔物、いや、土の精霊とも言われている、岩の巨人。どうやら、眠っているところを起こしてしまったらしい。頭部を傷つけられたゴーレムは、ルビーの瞳に怒りを滲ませて、逞しすぎるその腕を、ゆっくり持ち上げ、レオンハルト目がけて振り下ろした。飛びずさった背後から、また拳が唸りをあげて襲いかかってくる。地面を転がりながら、回避。すると今度は巨大な足が踏む付けようとしたり、蹴り上げようとしたり、絶え間なく続く攻撃に逃げ惑うばかり。これは意識を集中させるどころではない。

 空間を確保しようと風圧をかけても、岩の巨人はびくともしない。ならば、とかまいたちを無数に散らしたが、切れ目が少し入る程度。敵の闘争心を掻き立てるばかりだ。

 窮地に立たされたレオンハルトは、威力があり過ぎて好きになれない魔法を咄嗟に弾き出した。レーザービームだ。

 自分を中心に、細い光線を拡散させ、回転。光の渦を形作る。渦に巻き込まれたゴーレムたちは、なす術なく、光線に切り刻まれ、ゴオオォと叫び声を上げながら、崩壊。乱切りされた岩が、瓦礫となってレオンハルトの周囲に積み上げられた。もう、襲いかかる者はいなくなった。レオンハルトは、両腕を抱え、その場にへたり込んでしまった。そして、思い出したように呼びかける。

「アルフリート?」

「ここにいる」

 竜のペンダントから声がした。レオンハルトは安堵し、次いで肩をガタガタ震わせた。


 ――追い込まれたら、何をするか分からない。仲間も殺しかねない。このままでは・・・!

 

 自分の力に怯える。魔法が、怖い。その恐怖心が成長の妨げとなって、しばらく彼を苦しめることになる。仲間の命を脅かすことにもなるのだが。






     九月二十三日


 レオンハルトが毎日ボロ雑巾みたいにくたびれて帰って来るのを、仲間たちは心配していた。だが、彼が慰めの言葉を求めていないことを知っていたので、誰も何も言わなかった。

 レオンハルトは、ベッドに仰向けになって顔を覆った。十日かけて無理だった。この先ずっと、ダメかもしれない。焦りの色が濃くなって、彼を脅迫し続けた。


 ――ああ・・・今日はアルディスの剣が仕上がっている日なんだし、取り敢えず出掛けないと・・・。

 

 起き上がって、部屋に備え付けの洗面台で、顔をばしゃばしゃ洗う。あまりの冷たさに、顔も手も痺れて引きつれる。もう秋なのだ。

 外はとても良い天気で、空は高く、澄み切った青が美しかった。木の葉の色も、黄色に変わり、日の光を受けて、眩しく輝いている。

「皆はこの十日間、何をしていたんだ?」

 自分のことで手一杯で、仲間を放ったらかししていたことを思い返す。皆もそれぞれに、己の鍛錬に勤しんでいたのだと言う。

 しかし、サラとアルディスだけ、二人して出掛けた日があったことを、黙っていた。当然と言えば当然のことだった。故郷に戻って来て、アルディスがしなければならないこと。母の墓前に鼻を手向けるのだ。生家は焼けて跡形もない。大切に育てていた花畑も、今は荒れ放題。雑草に浸食され、枯れ野原と化していた。花の間に、父の遺品、花辞典をそっと置く。こと、と寂しい音を立てたそれを、サラはアルディスに寄り添って静かに見つめていた。


 ミズラ・ミズルの店を尋ねると、彼女はカウンターに例の剣を横たえ、神妙な面持ちで立って待っていた。

「今朝、仕上げたばかりなの。間に合って良かったわ。」

 鞘も柄もきれいに磨いてくれたらしく、新品の輝きを取り戻していた。触るのがもったいないくらいだ。

「さあ。手に取って見てちょうだい。」

 許可を得て、アルディスは剣に手を伸ばした。鞘から慎重に抜き取る。スィー、と何か特別な弦楽器のような音を奏で、刀身が姿を現す。塩釜は消え失せ、代わりに白銀の滑らかな刃が、濡れるような艶を見せている。こんな美しい剣を、誰も見たことがない。

「宝石みたい……」

 剣にも宝石にも疎いミーナですら、うっとり見とれてしまう。

「前にも言ったけれど、これで完成ではないわ。もちろん、このままでも充分に使える。でも、これの真価は、魂が入ることで得られるの。それを忘れないで。」

 アルディスは頷いた。

「手入れはどのようにするのだ?」

「特別な方法はないわ。ただし、常に大事に持ち歩くこと。使う用事がない時も、一日一回は取り出す。この剣はとても寂しがり屋なのよ。魂が入れば、寂しくなくなる。一年だろうと十年だろうと放っておかれても色艶を失うことはない。恋愛みたいなものね。」

 剣と恋愛のたとえ話は、釈然としなかったが、剣の仕上がりは申し分なかった。ミズラ・ミズルは口の端を上げた。

「試してみるといいわ。工場尾奥は庭になってて、試し斬りできる場所にしてあるの。」

 庭はそれ程広くはないが、試し斬りには十分な空間だった。木の棒に、布や藁がしっかり巻かれ、地面に突き立てられている。

 アルディスはぎこちなく剣を抜き放ち、まずは空で振ってみた。物凄く軽い。空気抵抗を感じない。皆が期待と不安の目で見守る中、試し斬りの巻物に最初の一撃をくれる。切れ味が鋭すぎて、切断音はせず、その代わり空を裂く音がキュッと鳴った。続けて、その下を斬り、隣の巻物もスパスパ斬る。アルディスは鳥肌を立てて剣を見た。剣の柄が手に吸い付くようだった。ずっと昔から使っていたみたいに馴染んだ。父も同じことを感じていたのだろうか。

「うーん。素晴らしいわ。我ながら惚れ惚れする出来ね!」

 腕組みして鍛冶職人は言った。誇らしげな笑みがとても似合う女性だった。

「これからどこへ行くの? どこでこれを使うのかしら?」

 彼女に他意はないのだが、一同は答えを躊躇した。視線が自分の方に刺さって、レオンハルトは迷いながらも素直に答えた。

「土の城という所へ行くんだ。」

 ミズラ・ミズルはその言葉を頭の中でゆっくりと反芻させた。

「それがどこだか、どういう所なのか知っていて言っているのね?」

 真剣な顔。レオンハルトは頷いて見せる。本当は知らない。忘れてしまった。でも、目的ははっきりしている。

 ミズラ・ミズルはしばらく考え込んで、あっちを向いたりこっちを向いたりした。やがて、意を決して言った。

「入り口まで案内するわ。支度するから待っていて。」

 誰もすぐに反応できなかった。その中で、ミーナが鍛冶職人の小麦色の手を取った。

「えっ? ちょ、ちょっと、どういうこと?」

 振り返った彼女の顔に、緊張の色が滲んで見えた。

「あたしは、土の一族の末裔なの。土の結晶を必要とするものが現れたら、そこへ案内する。土の一族の使命なのよ。」


「入り口までで悪いけど、そういう約束なの。」

 街の外、黄色やオレンジに色づいた林を先頭切って歩きながら、ミズラ・ミズルは説明した。

「入り口から先が、既に試練の始まりというわけね。実はあたし自身、中へ入ったことはないの。入りたいとも思わないわ。あたしは武器を作る方が専門で、使うのはあんまりだから。つまり、中は……」

 一瞬、続きを言うべきか悩んで口を噤む。しかし、迷いはすぐに取り払われる。

「中はゴーレムの巣になっていて、腕に自信のないものや、用事のないものは近寄らないに越したことはないってこと。死にに行くようなものよ。」

 一行の歩みが止まる。ミーナは空色の瞳を丸くした。

「ゴーレムって何なの?」

「土の精霊らしいわ。あたしも詳しいことは知らないの。でも、土の一族が衰退して、結晶を守り切れなくなったのを、ゴーレムたちに助けてもらってるみたいよ。ゴーレムは普段土の下で静かに眠っているの。眠りを妨げるようなことをしなければいいんだけど、起こしたらもう最後。岩の身体で襲いかかって来て、自分か相手が死ぬまで地の果てまでも追って来るんですって。しかもゴーレムは集団で生息していて、一つ起こしたら、全員起き出して……」

「そんな所にあたしたち行くの?」

 さすがのミーナも身体を硬直させた。サラも顔面蒼白だ。ミズラ・ミズルは肩を聳やかした。

「余程の衝撃を与えないと目を覚まさない、という話よ。それに、目を覚ましてから起き上がるまでかなり時間が掛かるの。ダッシュで逃げればゴーレムに見つからない。襲われずに済むわ。」

「そうだったのか……。」

 レオンハルトの遠い呟き。

「だったのかって、何?」

「まさか、もう既にやり合ったのか?」

 質問に沈黙で答える。皆を不安にさせると知っていても。サラは不安を振り払おうとおかっぱ頭を一振りした。

「あの、滅多に起きないし、簡単に逃げ切れるのでは、守り役としては些か役不足ではありませんか?」

 ミズラ・ミズルはため息を吐いた。

「言っていいの? あたしの考えを。」

 聞きたくはないが、聞いておいた方が得策だろうと、嫌々ながらも首を縦に振る。

「あくまでも、考えよ。城の中には彼らを強制的に起こす仕掛けがあるんだと思う。そうじゃないと意味がない、でしょ?」

 野鳥が奇妙な鳴き声を上げてバサバサと羽ばたき林の上を飛んでいった。女性陣はぶるぶる震えて寄り添い合う。ガストンは寒いくらい涼しい獣道で、やたら汗をかきだした。背の高い剣士は、静かにレオンハルトの出方を待っている。レオンハルトは……

「オレは行く。行かなきゃならないんだ。」

 伏し目がちだが、強い意志が横顔に窺えた。アルディスはほっとして肩の力を抜いた。しかし、

「だけど、今回は……」

 その一言が、緊張を呼び戻す。

「今回は皆を……」

 殺してしまうかもしれない、なんて言えるはずがない。

「守り切る自信がない。」

 違う表現に擦り替える。

「だから、ミーナとサラは、ミズラ・ミズルと入り口で待っていてくれないか? いや、何なら、ガストンとアルディスも」

「何言ってんの!」

「今更引き下がれませんわ!」

「わしを馬鹿になさっておられるか!」

「何のために剣を鍛えたと思っている!」

 矢継ぎ早に責め立てられる。さっきまで震えあがっていたクセに、何だ?と、顔を歪ませていると、傍で聞いていたミズラ・ミズルが笑いだした。

「あなたたち、面白いわね。気に入ったわ。一緒について行きたいくらいよ。」

 ついには大笑いとなる。レオンハルトは不服そうに抗議する。

「笑い事じゃないよ。全く、もう。どこからその勇気と自信が湧いて来るんだか。オレの方が分けてもらいたいよ。」

 ネガティブな彼には到底理解できない、仲間たちの根拠なきポジティブさ。羨ましい限りである。


 徐々に木立が疎らとなって、岩だらけの空間に出る。レオンハルトがやたら慎重に歩き始めたので、仲間たちは気になったが、案内人のミズラ・ミズルがお構いなしにずんずん行ってしまうので、彼女と逸れないようにするので精一杯だった。

「ここよ。ここが入り口。」

 彼女の指す岩には、ぽっかりと穴が開いていた。暗くて中がどうなっているのかは分からない。何とはなしに、全員レオンハルトを振り返る。出番が来た、というわけだ。入り口と呼ばれた穴の縁に手をかけ、中を覗く。

「ここを抜けると、土の城に辿り着くのか。」

 背後でミズラ・ミズルが訴える。

「違う、違う。ここが土の城の入り口なんだってば。」

 逆光の彼女を振り返り、岩の周辺を見渡す。建物らしきものは見当たらない。ミズラ・ミズルは腕組みした。

「何てったって、土の城だもの。土の中にあるのよ。」

 当然でしょ?と言わんばかりだ。レオンハルトはうんざりした。地面の下。ゴーレムの群……。強い魔法なんか使ったら、天井が崩れてぺちゃんこ。ところが弱い魔法なんかゴーレムには通用せず、これまたぺちゃんこだ。高い空を見上げても、良いアイディアは浮かばない。行ってみるしかないのか。

「ありがとう。ミズラ・ミズル。行ってくるよ。」

 ミズラ・ミズルが笑顔で返す。

「気を付けてね。あたしはここで待っているわ。夜になってももどらなかったら、王様に応援を頼んであげる。」

「あの人、絶対、直々に来るから、言わないでくれよ。頼むから!」


 ミズラ・ミズルが言うところの土の城の内部は天使の輪で照らしてみると、洞窟そのものにしか見えない造りで、まるで鉱山の採掘現場を歩いているみたいだった。一本道をひたすら進むこと三十分。急に開けた空間へ出る。照度が足りないと思うより早く、部屋全体が明るくなり、一行は目を細めた。

 百メートル四方の広がり。灯りが煌々と灯る天井は、十五メートル程の高さ。壁は四角い石を人工的に積み上げているのに対し、床は何の加工もされていない、表で見た岩だらけの状態だった。嫌な予感で胸が締め付けられる。静か過ぎて耳鳴りがする、その背後で、岩と岩とが擦れる音がして、皆、振り返る。入り口が岩の扉で閉じられてしまった。

 鼓動の高鳴りに合わせるように、地面が重低音と共に揺れ始め、五人は軽くパニックを起こした。揺れる地面を崩しながら、岩が上へと迫り出していく。どうにもしようがなく、地震に耐えながらその光景を見守る一行。揺れが収まる頃、ついにそれの姿が露わとなる。岩の巨人ゴーレムだ。十体はいる。女性陣は悲鳴を上げるのも忘れて、ゴーレムの赤い目を見た。ガストンは狼狽えながらもロングスピアを構える。アルディスも出来たてほやほやの剣を背中から抜き放つ。

「ミーナとサラは後ろに下がって!」

 それだけ言うと、レオンハルトは魔法を使うため、意識を集中させた。

 ゴーレムが動き出す前に、アルディスが踊り出る。空を裂く、キィンという音を奏でながら岩の腕を斬り落とす。次いで、もう片方にも取り掛かる。

 ガストンもロングスピアでゴーレムの足を突いてみる。シザウィーホワイト製の刃先が岩にめり込む。一応刺さることを確認した途端、ゴーレムの足が動いて、ロングスピアを持っていかれそうになり、慌てて引き抜く。尻餅をつく頭上に岩の足が近づいてくる。横に転がって回避する。

 意識を集中できたレオンハルトは、掌を重ね、ゴーレムに向けて差し出す。掌から光芒が真っ直ぐ伸びて、ゴーレムの頭頂部に到達する。そのまま掌をゆっくり下に下ろして、縦半分に切り裂く。岩の巨体が左右に割れて倒れる。断面が溶けて黄金色に輝いている。レオンハルトとしては上手くいったと思っているのだが、仲間たちは必ずしも成功したと喜べない。

 光芒は彼が危惧した通り強力過ぎて、岩の体を貫通。もう少しでアルディスを引っかけてしまうところだったし、割れた巨体は、ガストンを下敷きにするところだった。計算はしていたのだが、指鳴らしをしない分の、声掛けが不十分であったようだ。

 殺されかけたアルディスが文句を言おうとする間もなく、レオンハルトが掌から第二弾を出そうとしているのが見えて、アルディスもガストンも壁の方へ飛び退いた。レオンハルトは意識を集中させるあまり、周りが見えなくなっていた。

 すると、ゴーレムの群の向こう側で、地響きが始まり、新たに岩がせり上がって来る見えた。またゴーレムかと見ている中、現れたのはゴーレムはゴーレムでも、その三倍はあろうかという程、超特大のゴーレムだった。アルディス、ガストンが対応にまごついている間、レオンハルトは集中力を途切れさせることなく、迷わずに矛先を超特大の方へ向けた。照準を合わせられたゴーレムは巨大な腕を大きく振って、口らしきところから何やらごもごも叫んでいる。怒っているような、困っているような……。とにかく、必死さだけは、一行にも届いた。

「ねぇ、あのヒト、何か訴えているみたいじゃない?」

 壁にへばりついていたミーナが意見する。隣のサラも瞬きしながら呟く。

「言われてみれば、そうですね。」

 レオンハルトは掌をゴーレムに向けたまま、意識を高め続ける。

「岩の言葉なんてわかるもんか。とにもかくにも、やっつけないと先に進めないんだから」

「あ、待ってください! 私、何となく分かります。」

 サラの声で、意識が緩む。分かるって、何だろうと。

「攻撃しないで欲しいと言っているみたいです。それから、怒っています。酷いじゃないかって……」

 手を降ろしてサラを振り返る。そう。サラは人の心を読める。訓練すれば魔物の心も読めるようになると言っていた。今がその時なのだ。

「その、ラエルさんも言葉が分かるくせにって・・・。」

 レオンハルトは冷たい水を浴びせられたような顔つきでサラを見た。それから、ゴーレムのくぐもった野太い声に耳を欹てた。


 ――な……で……こと……ひ……聞こえ……こ……


 岩に染みこむような声。次第とはっきり、語彙を捉えられるようになる。

「……本当だ。分かる。でも、どうして……!」

 一秒の間に二度驚く。シザウィー城でサラが手渡した黒い土。あれは何かの結晶だったのではないか。それを吸収したことで、魔物の言葉を理解する能力が身に付いたのだ。そして、かつて自分は動物や花や風や物の声を聞いたきた。魔物の声だって……! 元々備わっていた力だ。それを思い出した。

「ねぇ、何て言っているの?」

「まだ、はっきりとは……ラエルさん、分かりますか? 通訳していただけますか?」

 通訳は可能だが、そのまま言うには気が引ける内容だった。ゴーレムはこう言っていた。

「こらぁあああ! お前、何で攻撃して来るんだ。試練なら去年とっくに終わっているだろうが! 我らゴーレムを絶滅させる気かぁ! 何の恨みで滅多切りにされにゃならんのだ。結晶はくれてやると言っているではないか。それを預かっておいてくれと頼んだのはお前だろう。忘れるにもほどがあるわ!」


 ――そうだったのか……。


 聞いても思い出すことはできず、俯く。一体どうやって、魔法もなしに、去年の自分は試練をパスしたものだろうか。言い訳だけはしてみる。

「いや、だって、表のゴーレムが凶暴だったからさあ。やらなきゃやられると思って・・・」

「あんな魔物化した輩と我ら土の精霊を一緒にするな! 似て非なるものぞ! それを証拠に、先手を打ったものがここにいたか? いないだろうが!」

 唾の代わりに石つぶてがぺっぺぺっぺと飛んできて、結構痛い。

「悪かった。許してくれよ。」

 ミーナが我慢できないと言う風に、レオンハルトの肩を揺さぶった。

「ねえ。だから、あのヒトなんて言ってんのよ!」

 仕方ない。掻い摘んで説明する。

「試練をパスしたから、結晶をくれるって。」

 随分短く纏まったので、皆怪訝にレオンハルトとゴーレムを交互に見る。

「岩の言葉って長いのね。」

「怒っていらっしゃるようでしたけど……?」

 レオンハルトは手をぱたぱた振って苦笑いした。

「ま、いいじゃん。皆無事だったんだし。ゴーレムたちも襲って来なくなったし。」

 ゴーレムたちは口々に、バカヤロー、この乱暴者!と罵声を浴びせてきたが、聞こえないふりを決め込んで、特大ゴーレムに歩み寄り、声を掛けた。

「結晶はどこに?」

 ゴーレムは、鼻息も荒く答える。

「こっちだ。ついて来い。」


 部屋の奥の壁がぱっくり開いて、小部屋(と言っても十メートル四方はある)に通される。奥の祭壇に台座があって、台座の上には栗色の玉が載っていた。ゴーレムの赤い目を見る。ゴーレムが頷く。栗入りの玉、土の結晶をそっと手に取る。今回は、何も起きない。もう一度、ゴーレムの目を見る。ゴーレムは巨大な彫刻みたいに微動だにしなかった。どうしてすぐに吸収して消えてしまうものと、しばらく経ってから急に消えるものとがあるのだろう。必要性の問題と考えていたが、サラがくれた何かの結晶の件を思い返すと、そういうわけでもなさそうだ。何か、きっかけがあるのかもしれない。

「ゴーレム。お前を何と呼ぶのが正しいのかな? 名前があるといいんだけど。」

 レオンハルトが穏やかに尋ねると、ゴーレムは赤い目を細めて言った。

「去年も同じことを聞いたな。人間は記憶が一年と持たぬ生き物なのか? まあ、よい。我々に限らず、妖精も妖魔も、魔物も精霊も個々の名前など持ち合わせておらぬ。必要がないからだ。名前を必要とするのは人間だけだ。去年、お前はこのわしに名前をつけた。そうじゃないと不便なのだと言ってだな……」




   ゴーレムの一年前の話


 お前は去年の夏、ここへやって来た。数人の兵を連れて。土の城の入り口は、普通、土の部族に案内してもらうのが筋だが、お前は表のゴーレムか、それとも他の何者かから聞き出したのだろう。心の準備もできないうちに、さっきの大広間まで兵も一緒に入ってきてしまった。まさかここが土の城だとは思わなかったのだろう。人間が大広間に来たら、扉を閉めて、試練を開始する。それが我々の使命だった。どういうわけか、お前を含め、全員が魔法を使わず、剣や槍で応戦する構えを見せ、何の冗談だ、我々をなめているのかと思ったものだ。兵たちは右往左往して逃げ惑っていた。その中でお前だけは俄然やる気で斬りかかってくる。兵を守るため、必死だったようだ。シザウィーという国の、白い鉱物でできた武器は、岩をも斬り裂くと言われているのは知っている。しかし、特殊な人間にしか、そんな芸当はできぬ。どれだけの技術と力と丈夫さが必要なことか。普通は、最初の一撃で腕の骨を折るか、良くてしばらく痺れるかだ。ところがその、特殊な人間を初めて見た。お前は一撃どころか何十、何百と我々を斬った。シザウィーの剣とはそんなに強力なのかと目を見張ったものだ。しかし、よくよく見ると、お前の持っていた剣は、淡く光っておった。恐らく、何らかの魔法が働いておったのだろう。ならば合点が行く。我々は試練を終了して、地下に潜り込んだ。全滅させられては堪らないからな。お前は息も絶え絶えに疲れ切っていたが、休む間もなく兵たちに詰め寄って凄んでおった。今、ここで見たものは他言無用。もし、口を滑らせようものなら、どうなるかわかっていよう、と。兵たちは誰も逆らう様子を見せなかった。命の恩人の言うことだ。胸にしまって黙っていると皆が約束した。かなりの怯えようだったが。お前のしたことに、何か問題でもあったのか? わしには良く分からん。

 わしが声を掛けると、お前は兵たちを所払いして、一人でここに残り、話をした。そして、名前がないと不便だと言って、わしに名前をつけた。ユピテルとな。神話から取ったそうだ。名前だけでは飽き足らず、さらに愛称なるものを作りおった。お前はわしをユピと呼んだ。呼ばれると、わしはどうにも耳の裏が痒くて仕方なかった。もしかすると、これが喜びの感覚なのかもしれぬな。

 お前は言った。ユピは他のゴーレムより随分と大きいが、どうしてなのか、と。

 わしは答えた。他の者より長く生きている分、大きくなった。

 お前は言った。長生きして大きいからには、ここのボスなのだろうね。

 わしは答えた。特に上下関係はないが、わしが一番人語を介しているし、一番人見知りをしない。人間と話すのがわしの役目なのだ。土の結晶を守るよう頼まれ、やって来た人間に試練を与え、それを乗り越えたものに結晶を渡すことになっている。土の結晶はもうお前のものだ。持ってゆくが良い。

 お前は言った。来年まで預かっておいてくれ。今は結晶をもらう時ではない。試練はパスしたから、次に来た時は免じてくれるように頼む。

 わしは二つ返事で快諾した。我らは体をバラバラにされても、この眼が残っていれば、再生できる。それには時間が掛かるのだ。十年、いや、百年かかるやもしれぬ。これ以上、斬られるのは御免だ。なのに、お前ときたら、自分で約束させておいて、この仕打ちは何だ? 人間など懲り懲りだ。結晶を持って早く行くが良い。


「ああ、ユピ……本当にすまないと思うよ。」

 今までは、顔を見たり話を聞いたりするだけで、少しずつ戻った記憶。なのに、これだけ過去の情報を聞かされても、何の引っかかりもない。こんなことは初めてだった。急に思い出せなくなってしまった。一体どうして?

「ユピは他に昔話を持っていないか?」

「昔話?」

「例えば、千年前の話とか。」

 岩が軋む音がする。

「ふむ。大地を伝って漏れ聞く話はあるが、人間の話は人間から聞くのが筋と言うもの。表で待っている娘に尋ねるが良かろう。」


 来た道を難なく戻り、外にでる。陽は南中に差し掛かるところだった。

「あら、随分早かったのね! もう用が済んだの?」

 朝日のように元気一杯で出迎えてくれるミズラ・ミズル。一行は夕方のように疲れた顔をしていた。それを見たミズラ・ミズルはちょっと眉を顰めたが、すぐに明るい声で言った。

「ねえ。あたしの家に行きましょう。ランチをご馳走するわ。料理も得意なのよ。」


 本人が言う通り、ミズラ・ミズルの料理はとてもおいしく、家庭的な温かさがあり、一行は心を寛がせることができた。

「将来、いい奥さんになるよ。」

 レオンハルトがスープを口に運びながら素で言った言葉に、全員驚きを隠せない。ミズラ・ミズルはコーヒーを運びながら、くすりと笑った。

「あなた前にも……ううん。何でもない。」

 席に着いて手を組み、顎を乗せ、嬉しそうに正面のレオンハルトを見つめている。全員、もぐもぐ口を動かしながら、二人の様子を窺っていた。

「ミズラ・ミズル。君は昔話を持っている?」

 コーヒーで喉を潤してから、レオンハルトは本題に入った。ミズラ・ミズルは、穏やかに微笑む。

「ええ、そうね。してあげてもいいわ。」




    ミズラ・ミズルの昔話


 昔々、あるところに、それはそれは美しいお姫様がいたの。お姫様にご両親はなく、その国の正統な女王様になる予定だったけれど、まだ若すぎて、政治のことは宰相に任せていたわ。お姫様は女王になる前にやっておきたいことがあったの。

 世界は自然のバランスが崩れて、とても不安定な状態になっていてね。いつ歪みが起きてもおかしくなかった。お姫様は知能も魔力も優れたお方。世界を救うために、部族を結集して、色々な方法を考えていたわ。

 ある部族の提案で、妖魔王に戦いを挑んだこともあった。妖精王に会いに行って、教えを乞うたこともあった。でも、結局、人間界のことは人間たちで何とかしなければならないんだってことを、思い知らされただけ。

 そんな中、お姫様は自分で温めていた案を、皆に言ってみたの。自然の力を人間がコントロールするのは無理がある。部族の血を薄めないようにするにも限度がある。だから、部族の力が強いうちにそれぞれ一つところに固めて保存してしまおう、と。それが結晶というわけね。うまくいくかどうかわからないし、失敗したらどうなるのか、成功しても部族は大丈夫なのか、不安は尽きなかった。で、お姫様は皆の疑問や不安を解消するために、まずは自分の部族の力を結晶化させてみることにしたの。お姫様は光の一族最後の生き残り。反対する仲間もいない可哀想な人よ。

 結晶を造るには、土の一族の力が必要だったわ。光の力をギュッと凝縮させて、それを特別な鉱物に移すの。その鉱物を造るのが土の部族の役目なのよ。大きな力をそこに留めて、あらゆる刺激から守る鉱物。竜の骨からヒントを得たと言われているわ。

 光の結晶は見事に完成して、悪影響は全く見られなかった。お姫様の能力も保たれていた。それで、他の部族たちも安心して、次々と結晶を造っていったわ。全ての結晶が出来た時、お姫様は言ったの。部族の力を統べる者がそれまで各々の城で結晶を守りましょう。かの者が結晶を必要として訪れたら、結晶を受ける資格があるか調べるために、試練を与えるのです。

 部族たちはお姫様の言う通りにしたわ。時が経つにつれ、守り方はそれぞれ変わっていったけれど、人からも魔物からも侵害されないように、工夫を凝らしてきたわ。中には、結晶本来の球体じゃなくなったものもある。妖魔に守ってもらっている所もある。二つに分けてしまった、なんて所も。結晶がどこも奪われていないって確証はないわ。

 でも、結晶は人を選ぶらしいの。正しい人が持たないと反応しないのよ。だから、例え他の誰かが持って行ってしまったとしても、悪用されることはないわ。見つけるのは難しくなるでしょうけど、結晶の方でいずれ引き寄せる。結晶は自分を使ってくれる人を、ずっと待っているのよ。それが、あなたというわけね。

 全ての結晶を統べる者。世界に安定をもたらす者。千年目の奇跡よ。あなたの手助けができるのは、あたしたち部族の喜びなの。皆があなたを味方する。そのことを忘れないでね。

 

 

 

 殆ど空になったコーヒーカップを両手で持ちながら肩に重みを感じて、項垂れるレオンハルト。その横でミーナが大きな目をきらきらさせて質問する。

「ねえ。妖魔王に戦いを挑んで、その後どうなったの? 勝ったの? 負けたの?」

「さあね。引き分けってところだったんじゃないかしら? 勝つの負けるのしてたら、たぶん歴史は変わっていたと思うわ。あたしが不思議なのは結晶のことね。」

「どの辺りがですか?」

 サラが瞼を瞬かせる。

「結晶は何でできているのかしら? 部族の力? 自然の力? どちらにせよ、結晶の中にありったけの力を凝縮させているわけよね。そんなことしたら、自然のバランスもへったくれもないじゃない? この世から自然のエネルギーが消えてしまうわ。部族の能力もなくならないっていうんだし、不思議でしょ?」

 ミズラ・ミズルの話の途中から、何とはなしに視線がレオンハルトに定まっていく。レオンハルトは、懐から栗色の球体を黙って取り出して見せる。テーブルの上に置かれたそれを、一同、穴が開くほど見つめた。

「確かに、そんなエネルギーをオレが……とは思えないけど……。」

 吸収した、の部分は濁す。

「時の城のお爺さんは、結晶をセンスと呼んでいた。」

「センス?」

 皆が一層混乱する中、ミズラ・ミズルの関心は土の結晶へと移っていった。

「これが、土の結晶? あたし、初めて見たわ。」

 土の部族でありながら、ゴーレムの巣窟になってしまった土の城へは足を踏み入れずにいたのだから、初めて見るのも当然なら、興味を持つのも当然のことであった。

「触ってみていい? 爆発とか、しないわよね?」

 しばし、考える。ミーナは時の結晶を持っていたが何ともなかった。サラも多分、何かの結晶を持っていた。平気だった。土の一族の彼女が土の結晶に触れたって同じことだろう。

「どうぞ。」

 テーブルの上をゆっくり転がして、土の結晶をミズラ・ミズルへ渡す。彼女は指先で止めてから、大事そうに、少し震えつつ持ち上げた。

「凄い! この中に土のエネルギーだか、センスだかが詰まっているのね。これをどうやって使うの?」

 聞かれても困るのである。奥歯を噛みしめる。

「取り敢えず、消えてなくなるんだ。」

 確かな情報だけ言ってみる。ミズラ・ミズルの形の良い唇が歪む。

「消えてなくなる? どこに。」

 どこに? こっちが聞きたいよ、とは言えない。面白くなさそうに背もたれに凭れ掛かったレオンハルトを見て、聞いては悪かったのかと思い、質問を止める。土の結晶をもう一度、愛おしそうに観察してから、持ち主に返そうと、わざわざ傍まで歩いて行く。何せ、祖先の千年分の想いが、これには込められている。あだや疎かにはできないのだ。

「見せてくれてありがとう。」

 大事そうに差し出すので、レオンハルトも落とさないよう、両手で受け取ろうとした。そして、結晶が自分の手に渡った途端、体中の神経が爪弾かれるような、激しい感覚に襲われて、椅子ごと後ろにそっくり返って、倒れてしまった。

「ちょっと、大丈夫?」

 全員、立ち上がって、駆け寄る。レオンハルトは結晶を持った形のまま、受け身も取らず仰向けに倒れて、天井をぼんやり眺めていた。その手に、結晶はない。

「あら?」

「結晶が……」

「ない!」

 皆、テーブルの下などあちこち探し出す。レオンハルトそっちのけである。

「消えてなくなったわ!」

 呆けたまま、レオンハルトは口を動かした

「取り敢えず、ね。」


 レオンハルトは、外の空気を吸いたいと、一人外へ出て行った。結晶を吸収した直後は、いつも具合が悪くなる。自分の身体に異物を取り込んだことで、拒絶反応を起こしているみたいだった。苦しんでいる姿を誰にも見られたくない。人に心配や迷惑をかけることは、彼の一番苦手とすることであった。レオンハルトの思惑とは裏腹に、仲間たちは彼の身を案じていた。彼のこのような姿を幾度となく見てきたわけだが、回を重ねるごとに、疲労の度合いと言うか、心の陰りのようなものが色濃くなっていく感じがしていた。分かち合うには役不足な自分たちが悲しかった。と、そんな陰鬱な気分を吹き飛ばすように、ミズラ・ミズルが豪胆に笑い出して、何事かと目を見張った。

「こうも徹底的に忘れられると、悔しさを通り越して、返って気持ちいいわね。」

 笑いすぎて涙が出てきた目を指で拭う彼女に、サラは問うた。

「忘れられるとは、どういうことでしょうか?」

 ひいひい言いながら答える。

「だから、忘れられちゃったのよ、あたし。あの人、レオンハルト王子様に。」

 動揺が伝わって、椅子がガタガタ音を立てた。


 彼女の話はこうだった。

 二年前、露店で剣の商いをして、やくざ者に絡まれた時、カロス王とレオンハルトに助けられた。それが縁でメキア軍に剣を卸す許可までもらって、彼女としては何としてもお礼をしたかった。王様や王子様に金は要らないだろうし、満足させられる額など用意できるわけもない。だからといって、露店でその辺の庶民に売りさばこうとした剣など、差し上げるわけにもいかない。

 で、彼女は剣を造る以外の、もう一つの特技を披露することにした。料理だ。副業として、料理屋で働いており、そこの料理長にもお墨付きをもらっている。王侯貴族の舌に合うかどうか分からないが、真心だけでも伝われば、と思ったのだ。

 今にしてみれば、前に住んでいた借家は風が吹けば倒れそうなあばら家で、そんな所に高貴な人々を招くなど、とんでもない話であった。しかし、王様も王子様も育ちが良いので、ボロ屋見ても、中に入っても、悪い感想がまるで出てこない。

「木の家は良い匂いがするね。」

「うむ。それに小奇麗にしている。そういう細やかさが仕事にも表れているな。」

 料理ができるまでの間、席に着いて二人はにこにこして待っていた。レオンハルトは調理師の免許を持っていたが、それに関して決して触れなかったし、手伝いを申し出ることもしなかった。そんなことをしたら彼女の行為が台無しになってしまうことくらい、分かっていた。

 ミズラ・ミズルは手際よく料理を済ませ、客人の目の前に並べた。チーズ・ドレッシングを添えたサラダ。ひき肉とハーブをハムで包んで焼き上げたステーキ。魚介のマリネ。鳥や野菜で出汁を取ったスープ・・・次々と料理を口に運び、飲み込む度に賛辞を彼女に浴びせた。

「うん、おいしい!」

「城の食事に勝るとも劣らないぞ。」

「彩りも盛り付けもきれいだね。」

「さすがは女性だな。」

「こういうのってセンスが出るよね。」

「うむ。味付けも繊細だ。複雑な味が混然一体となって、深みを感じる。」

 そして、レオンハルトが止めの一発とばかりに言い放つ。

「将来、いい奥さんになるよ。」

 ハーブティーを淹れていたミズラ・ミズルは、手元が狂って危うくカップから零すところだった。カロスは口を動かすのを中断して、横のレオンハルトを見て、口の中のものをごくんと飲み込むと、呆れたように言った。

「おぬしから、そのような色っぽい台詞を聞こうとは思わなかったぞ。」

 レオンハルトは少年のような眼差しでカロスを見つめ返した。

「どの辺が色っぽいのですか?」

「男が女性にそのような発言をするのは、半分、告白したも同然だ。責任を取れと言われても仕方ないぞ?」

 カロスは熱心に答えた。

「責任? 褒めただけなのに何の責任をとらなければならないのですか?」

「いや、だからな……」

「ありえないわ。」

 ミズラ・ミズルが口を挟む。とても残念そうに俯いていた。

「あたしみたいなはすっぱなんて……第一、こんな男勝りの職業だし、相手にしてくれる人なんかいるわけないわ。女として見てくれる人なんか……」

 男二人はびっくりして、フォローの言葉をあれこれ引っ張り出した。

「おぬし、自覚がないようだが、なかなかの美人だぞ!」

「そうそう! それに、鍛冶職人は素晴らしい職業だよ。男も女もないって!」

「スタイルも申し分ない。男なら誰でも欲情する。街を歩けば皆振り返って、涎を垂らすぞ。」

「カロス、それは生々しいよ……」

「生々しいくらい、いい女だと言いたいのだ、オレ様は。」

 二人のやり取りに気を良くしたミズラ・ミズルは笑顔を取り戻し、噴き出しそうになる。で、レオンハルトがまだ言う。

「笑顔がとってもいい。」

 ハーブティーはついにカップから溢れ出した。カロスのフォークが皿の上に落ちる。

「とてもきれいだ。場が華やぐよ。唇にちょっと紅を引いたら、形の良さも引き立って、一層魅力的になると思う。それで微笑まれたら、男は皆その気になってしまうかもしれないよ。」

 そう言って、口元を引き上げ、上目づかいで悪戯っぽく見つめるレオンハルトの方が数段麗しいことは、ミズラ・ミズルにも分かっていた。おべんちゃらと、言った本人は思っていないだろうが、単なる褒め言葉だということも。それでも、ミズラ・ミズルは本質的に女性だった。自分より五歳も若い男に、胸が高まってどうしようもなかった。カロスは目も口もぽかんと開けている。

「おぬし、何という罪作りな。そう言われては、女性はそれこそその気になってしまうぞ。」

 レオンハルトは心外そうである。

「え? どこが罪なのですか!」

「他の部分はいくら褒めても良い。だが、唇はどうもな。あまりにもエロスが強すぎる。」

「エロ……?」

「ふむ。というか、おぬしの存在自体、とてつもなく罪作りだ。思わせぶりは出会った時から感じておったが、悪気がない分、質が悪い。」

 カロスが冗談めかして、しかし眼だけは真剣に言う。ああ、この人は王子様のことを男とか女とか抜きにして、好きなんだな、と彼女は思った。

 こうして、楽しいひと時はあっという間に終わりを告げ、王と王子は帰って行った。残された彼女は心にぽっかりと空洞ができてしまったような、足が地に着かないような、妙な感覚にしばらく悩まされることになる。カロス王とは同じ国でもあるし、良い剣ができたと言えば会えるような気がした。しかし、レオンハルト王子の方は……。

 要するに、ミズラ・ミズルは恋をしてしまったのだ。いや、恋と言うと、また少し表現が違うのかもしれない。いずれにせよ、美しい男二人に褒め殺され、骨抜きにされ、それまで剣一筋で生きてきた彼女の鋼みないな心は溶鉱炉に放り込まれて、色も形も変わってしまったのだ。彼女はこの、何とも落ち着かない状況を打開すべく、ひとつ、あることをやってみた。毎朝鏡の前で、口紅を付けるのである。そうすることで、あの日の出来事全てを素晴らしい思い出として捉えることができ、前向きに生きていけるような気がした。あれから二年。まさかまた会いに来てくれるなんて、思いもよらなかった。忘却のおまけつきで。


「全く、失礼しちゃうわよね。こんな美人を忘れるなんて。」

 前髪をさっと掻き上げるミズラ・ミズルの顔を、一同見つめずにいられない。正確には、彼女の唇を、だ。気にも留めていなかった。というのも、彼女にとても似合って馴染んでいたから。彼女はこの時も口紅を付けていたのだ。嫌味のないバラ色。その唇が、またきゅっと引き上げられる。

「ふふ。気にしないでね。そんなに深刻じゃないの。王侯貴族に本気で相手にしてもらえるなんて思ってもいないんだから。こっちが勝手に憧れちゃっただけ。もう一度、顔を見られたんだもの。それで満足よ。少しはお役に立てたみたいだし。……でしょ?」

 一同、うんうんと頷く。全く彼女には世話になった。

「お礼の言葉もありませんわ。」

 サラが律儀に頭を下げる。剣を治してもらったアルディスは、上手い言葉が見つからず、サラに倣って頭を下げた。ミズラ・ミズルが花のように微笑む。

「お礼はいいわ。その代り、剣に魂が入ったら、いつか見せに来てよね。」

「お安い御用だ。」

 彫刻みたいな表情を緩ませるアルディスだったが、内心、その「魂」の件を、どうやってレオンハルトに切り出そうか、悩んでいた。彼の様子を見るにつけ、今はその時ではなさそうだった。

「ね、さっき、私が言ったこと、王子様には内緒よ。」

 ミズラ・ミズルがちょっと真顔で唇に人差し指を当てる。

「あら、どうして?」

「だって、言って聞かせて、やっと気付かれるっていうんじゃ、癪でしょ? それなら時間がかかってもいいから、自分から思い出して欲しいの。」

「そういうものかしらね。」

 サラとアルディスは、願ったり叶ったりと思っていた。


 小一時間もすると、レオンハルトは戻って来た。すっきりさっぱりと言うには程遠い、浮かない表情をしているが、何とか持ち堪えられる状態にはなっていた。メキア城でもう一泊休ませてもらうため、一行は馬車に乗り込んだ。

「王様によろしくねー!」

 両手を上で大きく振って、見送るミズラ・ミズルはとても生き生きと輝いて見えた。彼女の姿が見えなくなって、皆前に向き直る。その刹那、横にぴったりと座っていたミーナが、レオンハルトの太腿を抓った。飛び上がる元気こそなかったが、爪で抉るような、かなり痛い抓り方だった。抗議の声も弱々しい。

「何するんだよ、ミーナ。痛いじゃないか。」

 ミーナの横顔に反省の色は全くない。

「あんたって、誰にでもいい顔するのね。」

「?」

 アルディスとサラは知らんぷりを決め込んで、各々外を眺めていた。八方美人と言うことか? しかし、自分はいつ、そんな言動を取ったものだろうと腕組みして考える。考えても無駄である。彼女が怒っていたのは、もっと別の次元のことなのだから。




 レオンハルトの気分があまり優れないようなので、今回最後の滞在の夜であったが、夕食後、カロスは特段構ったりせず、放っておいてくれた。彼はそういう配慮ができる大人であった。一方、大人の心なら子供の時から持ち合わせていたアルディスだが、彼の配慮の種類は少し違った。

 冴え冴えとした三日月が西へ西へとゆっくり藍色の空を滑っている頃、レオンハルトに充てられた寝室のドアを、聞こえるか聞こえないかの小さな音でノックする。はい、どうぞ。気のない返事が返って来る。ドアを開けると、眠っていないのも予想通りなら、何か手作業をしているのも予想通りの状態で、彼はロッキングチェアに凭れ掛かっていた。

「やあ、アルディス。そこにソファがあるから座るといいよ。」

 手作業に夢中と言う風に、顎で目の前のソファを示す。何をしに来たのか、聞く気はさらさらないようだった。アルディスも、来訪の理由を言う気はない。静かに示されたソファに腰かける。

「今さ、皆の防寒着を作っているんだ。もう秋だし、寒くなって来ただろう? 店で仕立ててもらう時間がないから……」

 大きな布と布の間に平たく均一に伸ばした綿を入れ、ずれないように格子状のステッチを施しているところだった。気が遠くなる作業だとアルディスは思った。

「コートの内側に付けるんだ。取り外しできるように、ボタンで留めるようにする。洋裁学校で習ったことをそのままやっているだけなんだ。自慢じゃないけど、デザインのセンスないから。」

 かつて彼が描いた甘草の絵を思い出す。確かに、あれはふざけた代物だった。好意で作ってくれているものとはいえ、おかしなアレンジを加えられては堪らない。彼が美的センスのなさを自覚しているのは実にありがたい話であった。木綿の布に針を通しながら、やはりアルディスには目もくれず、話を続ける。

「こうやって、皆のことを思い浮かべながら何かを作っていると、心が安らぐよ。最近やってないけど、料理も凄く楽しい。いや、楽しいっていう表現はちょっと違うな。やっぱり、ホッとする、落ち着くって言う方が正しい。救われるような気持ちになるんだ。」

 彼が嫌々やっているとはもちろん思ったこともないが、救われる、とまで感じていたのは意外であった。針先に向けられている緑色の瞳をじっと見つめる。

「ほら、魔法ってさ、オレが使っているのが攻撃系だから余計になんだろうけど、要は、破壊だろ? 物を切ったり、燃やしたり、凍らせたり、場合によっては魔物や生き物、酷い時には人に使うわけだ。」

 キースの最期が脳裏に過ぎる。彼は炎に包まれ、レオンハルトによって氷漬けにされてしまったのだ。不可抗力とはいえ、レオンハルトの心に、いつまでも深く鋭く打ち付けられた記憶。その心は永遠と新鮮な血を流し続ける。時は彼の記憶を消してくれない。これから思い出す、ろくでもない記憶の数々を押し止めることもできない。果たして、耐えられるだろうか?

「オレは、今、その破壊の力を確かなものとするために、必死になっている。必死になってもがいているんだ。物凄く虚しいよ。なかなか上達しないのは、そのせいかもしれないな。本気で学ぶ気になれない。なれるわけがない。だって、破壊の力だ。破壊なんかしたくないさ。」

 縫い物に疲れた、と言う風に手を休め、目を閉じ、ため息を吐く。瞼の下で眼球が絶えず動いている。

「アルディスはどうだ? 剣をぴかぴかにしたばかりで、何だけど」

「?」

 瞼から、緑の瞳が現れて、アルディスの青い瞳を捉える。

「剣は、木や岩を斬るために作られたものじゃない。一番の存在意義は、人を斬ること。魔物は二の次だ。剣を極めることは、殺しを極めることになるわけだ。」

 アルディスは唇を震わせた。子供の頃、父に教わった当時は、剣の存在意義など全く念頭に置かず鍛錬したものだった。たまたま父が剣の達人で、たまたま剣が家にあったから、そして、たまたまメキアに生まれ育ったから、当たり前のように剣術を学んできた、ただそれだけのことだった。傭兵となって、初めて剣が人を殺すための道具なのだと思い知る。けれど、彼に選択の余地などなかった。人殺しをしているのではない。国を守っているのだ、と考える。あるいは、自分を守っているのだ、と。相手の立場とか、人生とかについて、一瞬でも考えてはいけない。命取りとなるから。レオンハルトは、今更そんな問題を蒸し返して、どうしろと言うのだろうか。アルディスに言えることなど何もなかった。

「オレは、最初から人を殺すのが目的で、剣を学び始めた。殺さないと殺されるから。極めるところまではいってないけど、かなり必死で訓練したから、それなりの力は身に付いたと思う。」

 きっぱり、淡々と語るレオンハルトを見つめることしかできない。

「今、魔法に本気で取り組むことができないのは、そういう切迫感とか、生命の危機とかを感じられないってこともあるのかもしれないな。とにかく、あの時の葛藤をまた繰り返すのかと思うと、うんざりする。」

 思い出したように、縫い物を再開する。

「だから、こうやって何かを作るのが癒しになるんだ。アルディスが花を眺めて癒されるみたいに。」

 口元がほころぶのをみて、つられて少し笑う。しかし、それは束の間の笑いだった。

「でも、オレは最近、作ることをしながら思うんだ。作ることも破壊の一つだなって。」

 アルディスの深刻そうな顔を見て、先程とは違う笑い方になる。悲哀と苦悶を織り交ぜた笑みだ。そして、作業に戻る。

「物を作るには材料が必要なんだ。料理には野菜と動物の肉がいる。服を作るには鋏と針と糸、それから布。布は木綿とか麻とかの植物性の繊維か、蚕の繭から取った絹、それから羊毛に毛皮に革にと、色々な動物性の素材もあるよな。植物や動物の命をもらわないと、オレたち人間は生きていけない。命を削ることで創造を行う。料理をしたり、寒さをしのぐために木を切り倒して薪にして燃やす。家を建てるために岩山を切り崩す。数え切れない程の破壊を素に、創造するんだ。なあ、子供の時、悩まなかったか?自分が食べている物が、元、生き物で、例えば鶏や牛や豚なんだって思ってさ。直接手を下したわけじゃないにしろ、殺してしまったんだ、何て残酷で罪深いんだろうとかって。それから、こう思う。野菜だけ食べたらどうかなって。だけど、野菜だって、動きはしないけど、やっぱり生き物だ。じゃあ、どうしよう、何を食べたら、生き物を殺さないで済むのかな? 牛乳ならいいかな、卵は無精卵なら生き物じゃないからいいかな。そうして、終いには、食べ物以外にも目がいってしまう。今、身に付けている服は何から出来ている? ノートは? ペンは? インクは? で、使い古された言葉が登場する。人間とは、生きているだけで罪深い存在なのだ。生きることは罪だ、とね。生まれたその瞬間から罪を犯し始める。いや、生まれる前からかな? 罪を贖うことは、はっきり言って、無理だ。死んだ者は生き返らない。豚を育てても、殺した豚と全く同じ豚にはならない。死んだ人間の代わりがいないのと同じように。その辺で、神様ってのが必要になってくるのかもな。オレはシザウィー人だから、イマイチ、神仏に頼る風習は理解しがたいけど、命の大切さを説きながら、その命は別の命を奪うことで成り立っている矛盾を何とかするためには、人間がいくら頑張ってもだめなんだ。神様に丸投げすると、実に楽だよ。こういう難しい問題は。シザウィーでは、神様のように便利な思想がない。じゃあ、どう処理してるのかっていうと、取り敢えず無視することになっている。考えるだけ、無駄。それで片が付く。気楽な国民なんだ。凄いだろう?」

 返答に困って、眉間の皺を深くするアルディス。レオンハルトはひたすら布に針を刺し、糸を通している。

「破壊と創造を繰り返すことで人は生きている。その連鎖がいやなら、生きることを止めなきゃいけなくなる。それも、自分一人が止めたって意味がない。つまり」

 糸が短くなった。丸い玉ができるように糸を結び、余分な糸は鋏で切る。そして新しい糸を針穴に通し、また元の作業に入り始める。

「つまり、人間は滅びなくてはならない。破壊と創造の連鎖を止めるために。」

 心臓に冷たい針が刺さったようだった。

「そういう発想になるよりは、馬鹿みたいに何も考えない方がマシだろう? オレはシザウィー人らしく、難しい問題から目を逸らして、食事を真面にするし、服を着る。料理を作って、皆に振舞う。何も悪いことなんてないんだって思いながら。だから」

 目を閉じて、息を一つ、長く吐く。

「だから、魔法も自然に、何ということもなく使えるようになると思う。何の抵抗もなく。剣を振るって人の命を奪うことに慣れるように。物を作って癒されるほどの感覚にはならないと思うけど、破壊に慣れることはできる。少し、時間はかかるだろうけど……。」

 再び、目を開き、布に針を刺し、糸を通す。穏やかに、静かに、和らいだ表情で。諦めて、冷めてしまった感じにも似た、その表情で。

「お休み、アルディス。」

 部屋に戻る合図だ。返す言葉が見つからないまま、アルディスは立ち上がる。拳を握りしめ、けれど弱々しく。伝えたいことがあった。今のレオンハルトには意味をなさない言の葉の数々を告げようとして来た。

 彼は、冷たく暗い海溝の奥深くに迷い込んだ貝なのだ。海面を掠め飛ぶ鴎の自分が、その貝に何をしてやろうとしたのだろう。何かができると思ったことが恥ずかしいくらいだ。口を閉ざしたまま、部屋を出る。レオンハルトは針を動かし続ける。世界の循環の輪を繋ぎ止めようとするみたいに、絶え間なく。


 アルディスが後ろ手に扉を閉めて、深いため息を半分吐いたところで、真横に初老の男が立っているのに気付き、危うく大声を上げそうになった。ガストン卿だ。ずんぐりむっくりの体を少し曲げ、しかつめらしく眉間に深い皺を刻んでいる。さすがシザウィーの騎士団長。気配を消していたのか、見た目よりできる男だと感心しつつ、王族が盗み聞きとは、と呆れ返る。

 ガストンはアルディスの横目をしっかり見据えて、口を「ついて来い」というように動かし、顎と目で促す。歯向かう理由もない。ガストン卿の後を無言でついて行く。

 案内されたのは、ガストン卿に充てられた客室で、中では既にサラとミーナが椅子に座って静かに待っていた。二人共、アルディスを見るや、どういうことなの?と目で訴えてきた。オレが知るか、とアルディスも目で答える。アルディスを女性二人の横に座らせると、ガストン卿は一人掛けのソファにどっかりと腰を降ろし、腕組みし、苛立った様子で力こぶを人差し指でとんとんとんとん連打し始めた。三人はお互いの顔をそっと見合わせた。誰も、何も思い当たらない。教師に呼び出されて叱られるのを待っている子どもみたいだった。

「まったく、何でわしがこんなことを……!」

 初老の戦士が、やっと口を開く。斜め下を睨んでいたから、独り言を言っているように見えた。

「大体、お前たちがしっかりしていたら、わしがこんなお膳立てをする必要もなかったのだ。」

 ミーナが声を荒げて応戦する。

「ちょっと、それってどういうこと? あたしたちに何か文句があるわけ?」

 忌々しそうに、空色の瞳を睨みつける。

「文句だと? 大有りだ! ようも聞けたものだな。お前が一番……」

 吐き出すのを我慢するように、口を噤むガストン。こめかみに血管が浮き出て、ぴくぴくしている。ミーナは続きを聞く気満々で睨み返している。ガストンが何を言おうとして何を言わないことにしたのか、大凡分かったサラとアルディスは、ガストンではなくミーナを宥めにかかった。

「まあまあ、ミーナさん。ここはひとまず、ガストンさんのお話を伺いましょう。」

「そうだ。反論するのはその後からで構わんだろう。」

 ガストンに年若い娘を傷つけたり詰ったりする趣味はない。彼にも娘がいる。既に結婚して子供もいるが、娘は娘だ。その娘に手を挙げたことも、怒鳴ったこともない。必要なかったからだ。サラもミーナも、自分の娘とは随分違うタイプだった。即ち、気が強い割に、それに匹敵する能力がお世辞にも備わっているようには見えなかった。明らかに甥の旅のお供として不足だ。いや、それ以下だ。しかし、甥が彼女たちを邪険に扱うことはないにしろ、不必要と感じている様子もないのには、何か特別な意味があるのだろう。彼女たちなりの役割があるに違いない。甥が選んだ人物を、自分がとやかく言う立場ではない。だから彼はずっと黙ってきた。けれど、黙ってばかりでいられなくなった。この若者たちには、是非とも甥の役に立ってもらいたい。甥は、シザウィーの次期国王だし、世界の命運を動かすような使命を帯びているようだし、何より、自分の可愛い大切な甥っ子なのだ。血は繋がっていなくとも。

「良いか。わしがお前たちに話しておきたいことはだ、レオンハルト王子がシザウィーにやって来た、その経緯のようなものだ。」

 三人は背筋をぴんと張って、ガストンを凝視した。

「そ、そんなこと、お話しされて大丈夫なのですか?」

 やっとのことでサラが尋ねる。さっきまでいきり立っていたミーナでさえ、緊張して膝の上の手をもじもじさせている。

「お前たちは知らなくてはならんし、これを話せるのはわしだけだ。口外の心配はしとらん。ただ、王子本人に聞いたり確かめたりするのではないぞ。ただでさえ苦しんでいるのだ。傷口に塩を擦り込まんでくれい。」

 三人は静かに頷き、それを見たガストンも頷いた。

「わしの話をしっかりと心に留めておくのだ。しかる後に、きっと役立つことがあるだろう。王子のために、役立てるのだ。よいな?」

 月が漆黒の山に落ちて、残された星々が輝きを増していく。冴え冴えと痛い程に。






    九月二十四日


 次の日、朝食の席に着いた時、レオンハルトは仲間たちが皆、揃いも揃って泣き腫らしたように目をしょぼしょぼさせているのに気付き、一人驚いていた。同じ感想を抱いたカロスが、声を掛ける。

「おぬしたち、どうした? 夜更かしでもしたか? それとも、何か、辛いことがあったのか?」

 誰も曖昧に首を振ったり俯いたりするばかりで、要領を得ない。

「出発を遅らせてはどうか? そんな状態で魔物に出くわしたら、事だぞ。」

 カロスの提案にレオンハルトが同意しようと頷くより早く、アルディスがはっきり拒否の言葉を告げる。

「いや。心配は無用に願います。我々は先を急いでおります故……」

「そうか?」

 カロスの視線が、レオンハルトに移る。どうする?と言う風に。肩を聳やかして答える。

「私に決定権はありません。皆が行くと言うなら、行くしかないのです。」

 苦虫を噛み潰したような顔のレオンハルトを見て、カロスは噴き出した。

「おぬし程の男を屈服させるとは、大した輩だな。」

「笑ってないで、私の代わりに何とか言ってやってくださいよ。」

 レオンハルトが口を尖らせる。

「他力本願とはおぬしらしくもない。」

「私はいつでも他力本願ですよ。知りませんでしたか?」

 掛け合ううちに、笑顔が戻ってくる。いつもの調子が完全ではないが出てきたようだ。ある程度吹っ切れたのだ。ガストンが、神妙に頷いている。その姿は、レオンハルトの目に映っていなかった。


 食事を終え、準備も整って、さあ、馬車へ乗り込もうと言う時、ガストンが突然言った。

「わしは、シザウィーへ、城へ帰ります。」

 レオンハルトは叔父の頭の先からつま先まで、何度も眺めまわした。他の三人はしょぼしょぼした目でただぼんやりとガストンのずんぐりむっくりした全体像を見ていた。

「帰るって……今?」

「今です。」

 あんまりきっぱりと言うものだから、返す言葉を探すのに時間が掛かってしまう。おかしな気持ちだった。ついて来る、と言われた時は、邪魔だとか面倒だとか、あまり良くない感情を抱いていたものだ。しかし、いざ帰ると言われると、何やら心細いような寂しいような、置いてきぼりを食らった迷い犬のような惨めな気分になるのだった。そういう感情をストレートに人へぶつけることができない性格なので、無理矢理作り笑いを浮かべる。情けない笑顔しか作れなかった。

「もう? シザウィーを出てからまだ一か月くらいしか経ってないのに」

 見捨てられる、叔父にさえも。そんなつもりはさらさらないガストンは微笑んで頭を振った。

「充分です。むしろ、遅すぎたくらいですな。王子が何をしようとして、どこへ向かっておられるのか、やっと分かりました。わしがこれ以上ついて行っても、足手まといになるばかりだということも。それくらいの分別はあります。」

「叔父上……!」

「わしのすべきことは、シザウィーの安泰を保つことです。王子がいつ帰って来ても良いように、安心して戻って来られるように。シザウィーで待っておりますぞ。元気で戻られる日を、首を長くして……」

 叔父の、頼もしい笑顔が眩しい。心の中のかじかんだ部分が温められていく。

「ありがとう、叔父上。」

 やっと、表情を和らげたレオンハルトと対照的に、表情を引き締めたガストン。

「さてと、これからが大変だ。何せ、一か月以上王子もわしも不在の状態で、シザウィーは、城はどうなっていることやら。事務処理が溜まっていることだろうて。厄介なことだ。」

 困り顔の自分をくすくす笑って見ている若者たちに、ガストンが一瞥をくれる。

「人のことを笑っておる場合か! しっかりするのだぞ。王子を任せるには頼りないが、これも縁と言うか、王子が良しとされているのだから、仕方がない。お守りしろとは言わん。くれぐれも足手まといにだけはなるのでないぞ! よいな?」

 ミーナはムッとしていたが、食って掛かりはしなかった。自分たちを馬鹿にしているのではない、ただ、甥っ子の身を案じているだけなのだ。始めから、彼はそうだったのだ。表現の仕方がちょっと悪かっただけなのだ。

「こやつらには、昨夜、良く言い聞かせております。王子はご自分のことを、まずしっかりなさいませ。気遣いしている場合ではございませんぞ?」

 何を言い聞かせたのだろう、と思ったが、聞かなかった。彼が言うように、まずは自分のことだった。真摯に受け止める。

「馬車はこのまま旅にお役立てくだされ。わしは、どうとでもなります。娘たちに折を見て馬車の操作を教えると宜しいでしょう。難しいことはないし、できることは何でもやらせてやることです。娘たちのためにも、王子のためにも。」

 確かに、女性陣にも、旅の力となることは必要だった。それが自信に繋がるし、彼女たちを守ることにもなるだろう。

「ガストン、シザウィーのこと、よろしく頼む。」

 レオンハルトが差し出した手を、固く握り返す。

「王子もご達者で。ご武運をお祈りしますぞ。」

 こうして、ガストンはシザウィーへと一人、帰って行った。涼しい風が胸の奥を吹き抜ける中、一行は旅を再開した。立ち止まっている余裕はないのだ。






     九月三十日


 いくつかの村や街、魔物との戦いを潜り抜けた後、サラが操る馬車に揺られながら、レオンハルトは言った。

「闇の城は、サルナバにあったらしいんだ。」

 ミーナとアルディスは旅の疲れでうとうとしかけていたところだったが、現実の世界に急に引き戻され目を見開いた。

「サルナバって、サラの故郷よね?」

「あったらしいとは、どういうことだ?」

 二人がほぼ同時に尋ねてくる。レオンハルトはたじろぐことなく、平等に順番できちんと答える。

「そうだよ。サルナバはサラの故郷だ。サラの家に寄ろうかとも思っている。先生にも会いたいしね。闇の城は、地図上ではサルナバの中心に位置しているんだけど、随分昔に取り壊されたみたいで、跡には円形の石畳の広場が造られている。市民の憩いの場だな。どうしてそうなったのかは、分からない。もしかしたら、よそに引っ越したのかもしれない。いずれにせよ、闇の結晶はどこにいったのか? それがわかるのは闇の一族だけなんだろうね。」

 アルディスは自分の質問に対する答えよりも、ミーナの答えの方が余程気になって仕方がなかった。サラの生家は既に引き払われている。移り住んだ所には、ドッペルン医師の亡骸が葬られている。その事実を、彼に今、知らせるべきなのだろうか? 馬車の前の小窓から、手綱を握るサラの後姿を見つめる。彼女の耳に入れなくてはならない。

 いや、そもそも、闇の結晶を探す必要もないのだ、とアルディスは思った。それはもう、彼の中にあるのだから。彼に掻い摘んで説明しなければならないのか。肝心なところで鈍感な奴だ。これまでの流れでいけば、すぐに気づきそうなものを・・・口惜しくて、目頭にぎゅっと指を押し付けるアルディスを、ある意味呑気にレオンハルトは見ていた。

 日も陰ってきたので、今日はここでコテージを広げようと、レオンハルトが提案し、皆、それに従って馬車を降りる。

 夕闇の迫る荒野は見るもの全てが黒く、気味悪く映る。冷たい風はせせら笑う。一行は身震いしてそそくさとコテージへ入った。この夜は冷え込みが強くなると感じたレオンハルトは、暖炉に薪をくべ、マッチを擦って焚き付けの木切れに火を点けた。その光景を他の仲間たちは不思議そうに見守っていた。火の魔法を使える彼が、敢えてマッチを常備し、利用している意味について、施策を巡らせる。視線に気づいて、振り返った彼は、暖炉の炎みたいに温かい笑顔をする。悪いことは何もない、と言う風に。

「皆、お腹空いただろう? すぐ作るから、待ってなよ。」

 辛い旅の途中とは思えない、素晴らしい料理の数々に、心和ませる一行。後片付けは女性陣が担当した。今日はこのまま終わるのだ、と思っている矢先、レオンハルトが昼間の話を持ち出した。しまった、とアルディスは顔を強張らせた。サラは、水が皿に跳ね返って自分の服を濡らしているのに気付きもせず、しばしレオンハルトを振り返って動けなくなってしまう。隣で洗い終わった皿を拭いていたミーナが、慌てて蛇口を捻って水を止めた。サラの胸から下がずぶ濡れになって、床にぽたぽた滴を落としている。レオンハルトと初めて会った、あの雨の日のように。

「サラ、大丈夫か? 濡れた服を着替えておいでよ。風邪ひくぞ。」

 風邪を引いたように青ざめて、サラは声を上ずらせた。

「あの、私の家は、もうないのです。」

 自分でも嫌になるくらい下手な言い訳をしようとしていた。

「私は、この旅をするにあたって、家にいつ帰れるかわかりませんでしたし、父も、別の用事で長い旅に出ることになりまして、それで家を長いこと留守にするよりは、他の人に住んでもらった方がいいだろうということになりまして、人手に渡したのです。」

「それじゃ、あんた帰る家がないの?」

 ミーナが口をあんぐりと開けて突っ込みを入れてくる。サラの顔色はますます悪くなる。

「は、はい。そうです。ですから、私の家に寄ることはできません。お心遣いはありがたいのですが。」

 水の冷たさよりも、精神的な理由が彼女を震わせていた。

「闇の城については……」

 サラが次なるでたらめを吐き出す前に、レオンハルトは言った。

「そのことなら大丈夫。心配ないよ。」

 え?と皆がレオンハルトに顔を向ける。

「サルナバには有名な占い師がいるだろう? アルテイシアって言う。その人に闇の結晶のこととか、聞こうと思っているんだ。」

 サラとアルディスの時間が止まる。時の一族たるミーナは、その流れを止めることなく、ずけずけと物を言う。

「あんた、占いに頼ろうって言うの?」

 レオンハルトはそっと微笑む。

「その人、どうして有名だと思う?」

「どうしてって……占いが良く当たるから?」

「当たるなんてもんじゃない。本人が分からないことまで、ずばり的中させてしまうんだ。失せ物探しならピカイチだってさ。過去の出来事が全部見えてしまうらしいよ。占いに訪れた人の血筋も分かるから、親子鑑定や、祖先のことを知りたい時に重宝する。つまり、オレが予測するに、この人は特殊な能力の持ち主なのさ。例えば、闇の一族の末裔、とかね。」

 次の質問をしようと口を開いたミーナだったが、びしょ濡れのサラがぶるぶる震えながら棒立ちとなっているのが気になって、彼女のブラウスをぐいと引っ張った。

「何、ぼーっと突っ立ってるのよ! 早く着替えなさいよっ!」

 上手く返事ができないサラ。涙目になっているのを、お構いなしに、ミーナが二階へと押しやって連れて行く。

「もう、しようがないわね!」

 階段の足音が消えてすぐ、アルディスが静かに話しかける。

「ネガティブなお前が珍しいな。心配ないとは。占い師が闇の一族と決まったわけでもあるまいし。シザウィー人は占いなど見向きもしないのではないのか?」

 口元は薄く笑っているが、目だけは真剣な光を放っている。

「感じるんだ。」

「感じる?」

 エメラルドの瞳は、どこか遠くを見ている。

「アルテイシア、という名を耳にした時から、胸の奥に引っかかるものを感じるんだ。オレは、彼女に呼ばれている。引き寄せられている。占いなんか信じてないさ。闇の一族かどうかなんて関係ない。オレは、オレの感覚に従う。ただ、それだけなんだ。」

 頬杖をついて付け加える。

「だけど、ドッペルン先生に会えないのは残念だったなぁ。家がないんじゃ、しようがないか。」

 アルディスは端正な顔を歪めた。あんな口から出まかせを、よくも鵜呑みにできたものだ、と。こいつは、ミーナ並みにお人好しだ。人を信じすぎる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ