5.深雪と深冬と初めてのデート2
ゆるやかに回復していく天候に伴い雲の隙間から夏の陽射しがさぁっと射し込みやや荒れているままの海面を照らし煌めきを私たちに届けてくれる。すぐには晴れないだろうけれど蒸し暑く鬱々とした雨の世界から暖かい陽射しと爽やかな陽気に変わろうというその心地よい光景は少し前のイヤな雰囲気を一掃させてしまっていた。
「綺麗……」
「うん。雨上がりの海って綺麗よね」
ちらりと深冬の手首をさりげなく確認すればまだ少し赤いもののそれほど目立つというわけでもない。館内はそんなに明るいばかりじゃないだろうし、秋兄がきっと目立たないようにエスコートしてくれるだろう。
「お、見えてきたぞ」
「えっと……あのガラス張りの展望台みたいなのがある建物がそうなの?夏生」
「ああ。……そういや二人は別に高所恐怖症とかじゃないよな?」
「私は大丈夫よ。深冬は?」
「私も大丈夫だよ、夏くん」
私たち三人を先にエントランスに降ろして車を駐車場に置きに行った秋兄が戻ってくるのを待つ間に私はバッグから人数分の招待券を取り出して準備する。裏面にはすでにお父さんのサインが記入されているので特に問題はなさそうだ。
「それにしてもさすが人気の水族館だね。行列がすごいよ」
「招待券はこっちだぞ」
「深冬、いくわよ」
「あ、うん。なんかみんな私たちのこと見てるね」
「気にすんな深冬。二人が可愛いから見惚れてるだけさ」
一般の来場者待機列は家族連れが大半だったがカップルも結構いて確かに男性からの視線は感じていたが秋兄や夏生への女性からの視線も絶対にあったと思う。でも確かに夏生の言う通りいちいち気にしていては疲れるばかりだしせっかくのデートが楽しめない。
招待客向けのゲートをくぐり受付のお姉さんに招待券を差し出し受付に置いてある名簿に代表者として私が名前を記入する。そして身分証明書としての学生証を提示して手続きはおしまいだ。お姉さんから人数分のパンフレットと館内の飲食店での優待割引パスをいただき中へと案内される。
「じゃあここからはペアで別行動……とはいっても目に見える範囲にいそうだが」
「秋兄、深冬をよろしくね。深冬、楽しんでらっしゃい」
「任せろ深雪。お昼過ぎのイルカショーで合流でいいな?」
「いいんじゃないか、兄貴」
「じゃあまたあとでね」
秋兄にエスコートされつつ私たちに手を振って先にいく深冬を見送ってから私と夏生は何とは無しに顔を見合せお互いに頷き合い歩き始める。最初のフロアはエスカレーターで下へと降りていくみたい。多分深海のエリアなのだろう、だんだんと辺りが薄暗くなっていく。全く見えない暗黒の世界というわけじゃないけれど水槽の光源があるとはいえ、かなり暗い。いつの間にか私の心拍数は上がりちょっと息苦しい。そんな私の目の前に夏生が左手を差し出してきた。
「ほら、右手」
「え?」
「深雪暗いところ苦手だろ、それに混んできたし」
そう言いながら夏生は有無を言わさずに私の右手を左手で握り、更に指までしっかり絡めてくる。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
「ほらいくぞ」
「え、あ、ちょっ」
「なんだよ、俺と手を繋ぐのがそんなに嫌か」
「…………そんなことない……ありがとう、夏生」
「おう」
いきなりの展開に私はどぎまぎしてしまい自分でも熱っぽいのがわかるくらいには頬を染め焦りと照れが混じりあって混乱しそうになっていた。けれども夏生の言葉にあわてて返事をする頃には暗所恐怖症からくる動悸や息苦しさは消え失せていて、しっかりと握られた夏生の手のひらからくる温もりに私は心から安心を感じていた。
そのまま手を引かれて薄暗い通路を順路に従い水槽から水槽へと展示されている深海の生物や海月などの発光生物を見学していく。二人とも黙ったまま。ふと淡い光源に照らされた夏生の顔を見上げればその頬はやや赤みが差していて少し照れているような気がする。
「……もしかすると照れてる?」
「まあ、な」
「もう落ち着いて来たから大丈夫だよ?」
「いいだろ、別に。それにしても女の子の手って柔らかいんだな。痛かったりしないか?」
「大丈夫よ、気を使ってくれてありがとう」
初めての手繋ぎはしかも恋人繋ぎできっとお互いにドキドキしているんだと思うけれども、なぜか安心感がしっかりと存在してもう少しで薄暗いゾーンが終わりを告げるというのに離したいとは思わないくらいに心地よい。本当にくせになりそうなくらいに。夏生もまんざらではないのか私の指に絡めたままゾーンを抜けてもしっかりとお互いの温もりを感じたままに歩調を私に合わせて歩いてくれている。
「ねえ、夏生」
「ん?」
「手を繋ぐってさ、こんなにも安心して心地よいなんて思わなかった」
「……そうか」
「うん。大好きな夏生の手だというのが大きいとはおもうけど、さ」
「ん。じゃあ二人の時はしてやるよ」
もうこれだけで今日一日の幸せを堪能したような気分になってしまった。
***
お姉ちゃんたちに見送られて私は差し出された秋兄さまの左手に右手を添えて薄暗い闇の中へと降りていくエスカレーターに乗る。そう言えばお姉ちゃんは確か暗いところが大の苦手だっけ、大丈夫かなぁ?
「どうした深冬。深雪の心配か?」
「え?……あ、うん」
「もう少しで終着だから足元に気を付けろ」
「ありがとう、秋兄さま」
思ったよりも薄暗い。それに周囲のお客さんの流れもゆったりとしていて気を付けないとぶつかってしまいそうな気がする。そんなことを考えていたら秋兄さまが私の背中から左腰のあたりに腕を添えてそっと私を抱き寄せて、
「深冬、俺にもっと寄り添え。なんなら腕を組んでもいいんだぞ」
「えっ、あっ…………」
あっという間に私は秋兄さまの細身ではあるけれど鍛えこまれた筋肉質の身体のそばに引き込まれてしまいました。腕を組んでもいいと言う秋兄さまの言葉に甘えて私はそっと自分のただ細いだけの腕を絡めて、そして思い切って大きな秋兄さまの左手に自分の右手の指を絡めてしまいました。
「おやおや、今日の深冬は積極的じゃないか」
「こういうのに、憧れていたんです。……だめ、ですか?」
絡めた指から力を抜いて離そうとすると逆に秋兄さまの指が私の指に絡まってきてもう捕らえて逃がさないぞとばかりに包み込まれてしまいました。
「せっかくだした深冬の勇気なんだ、今日はこのままいこうか。それにしても本当に深冬は華奢すぎるな……抱き締めたら折れてしまいそうだ」
「頑張ってはいるのですけれどどうしても……」
秋兄さまのそばに、特に身体に寄り添っていますと身も心も安らかになって気を緩めてしまいますとそのまま呆けてしまいそうなくらいになってしまいます。普段の秋兄さまは口調こそ少し荒いですが仕草や態度には優しさや気遣いに溢れていて安心して身を任せてしまえるのです、サービスエリアの時のように。
「もう少し深冬は肉をつけろ。じゃないと身体がもたないぞ、色々」
「それは秋兄さまの好み、ですか?」
「好みというか、そのほうが深冬はもっと綺麗になれるぞ」
少しだけ秋兄さまの視線が逸らされました。やはりもう少しお肉をつけなければならないようです。頑張らないと。でも取り敢えず今はこの幸せをたっぷりと享受していたいと思います。