第71話-色世 時-
「
『また随分と間隔が空いてしまいました。
最終話拒絶症候群患者の作者です。
ハッキリ言います。
“かなり中途半端です”
とりあえず、本編を、全力出して中途半端に仕上がった本編をどう、ぞ。』
って、作者は言っているけど、どう思う芹真さん?」
「現実はどこまでも続いているんだよ。そういうことだろ」
「ふぅ~ん?」
風だと思う。
それを明に知覚したわけではない。
ただ、持ち上がった長髪が嵐を呼ぶ男の接近を告げたことにこそ、本当の意味を見出す。
静寂の大地に一人静かに瞑目を溶き、己の心音だけに耳を落としてみると、他の全ての感覚は一人の生命の探知のみに全力を注いで震えていた。
耳を澄ませばきっと誰かの声が聞こえてくるかもしれないが、そんな予感はあっても実行することはない。
己の内に高まった戦意は、いまなら航空機さえ叩き落とす威力を予感できる、高熱どころではない領域に到達していた。
全ては一人の男の為に準備したものだ。
一度は全力で戦おうと、立ち会ってみようと。
交わした約束を付きつけ、素直に受け取る。
その為に備え、整え、時を選んだ。
「哭き鬼、話がある」
伏していた瞼を静かに上げて、怒りへと揺らごうとする心を深呼吸で押さえ込み、背後に回った彼女へ言葉を返す。
「色世トキは“来る者拒まず”の姿勢で戦うつもりだけど……」
「知っているわ」
こぼれた二つ、ため息は偶然の一致だった。
その二人の前に新たに一人、ため息を連れて現れる。
「トキが来るぞ、これでいいのか?」
「……」
「いいって、どういう意味?」
あくまで藍は、突如現れた奈倉に対して不快を覚えることはない。邪険にするつもりもないが、崎島同様に、この現実を質さんとする意味が解けない。
これから始まることはトキと私が望んだことである。
少しだけ、我が儘をさせてもらうが。
「誰にも邪魔をさせない。その為にこの結界を準備した」
言って再び目を閉じる。
そんな藍に呆れながら、崎島と奈倉はシンプルに構成されたこの結界内を見回す。特定の人間だけの進歩を許可されたこの青空は、穏やかに吹く風がどこに咲いてるのかもわからない桜の花びらを運びつつ、彼方まで広がる水面に静かな波紋を描いていた。
優しい日差しと暖かな風の中、沈むことなき水面の上で佇む藍の制服姿に違和感を覚える奈倉と、その凛とした姿勢にかつて鬼の一族の頂点を約束された力を感じ取った崎島は、それ以上の言及をやめて結界の外へと隠れる。
(無茶すんなよ)
(藍、間違っても彼を殺さないようにね)
「分かっているわ」
いつになく落ち着かない自分を自覚している藍は、再びトキが来るのを待つ。
膨張しきった闘争心は、今日これからやってくるトキだけに向けて放出するのだ。
無駄にしてはいけない。
(やはり、私の四凶もトウコツの属性か……)
しみじみと自分の異様な闘争心と向き合った時に、目の前で結界が歪むのが感じられた。
トキが来た。
新たに吹き込む風に流される髪が肩に戻ってくるのと同時に目を開け、結界内に足を踏み入れて唖然としているトキに、間髪入れずに突きつける。
「約束の勝負、行くわよトキ」
「あ~、はぁ……」
若干の寝癖を残したトキは、聞くだけ聞いたと言わんばかりだが、気の抜けた雰囲気を醸し出しながらも両手を静かに戦闘態勢へと移している。
「なんかのサプライズ?」
「それならこんな正々堂々仕掛けない」
ですよねと、肩を竦めてみせるトキの両手に二振りの剣が現れる。
それにこちらも“ソウエンハカイ”二刀流で答える。
トキが右手に星黄、左手に畏天を順手で構え、対してこちらは右手に理壊“双焔破界”、左手に理壊“奏淵破界”を装い、距離を測る。
「確かに約束はしたな。まぁ、考えてみればウォーミングアップも終わっているし」
「……もしや、来る途中で襲われた?」
頷くトキの表情は、間違いなく高揚に向かっている気色があった。
まったく疲れを見せず、しかも結界内に踏み込んだ時の困惑は既に彼方へと去り、この世界の色さえ上塗りするほどに充溢した気炎が両手の得物を歪ませる。
「まぁ、3人に勝負挑まれたけど、それが丁度いい!」
「ありがとう。では、参る」
無造作に走り出す藍に倣い、トキも得物両手に桜の花びらが散る少しだけ舞う数を増やした無限の水面の上を走り出す。
理由なく嬉しいこの瞬間を高めていくために。
Second Real/Virtual
-第71話-
-セカンドリアル、色世トキ!-
あなたはどちらを望みますか。
その言葉にC組の全員が思考を巡らせ始める。
早朝のクラスで、自分たちの席に腰を落ち着けながら、すでに軽い瞼を擦ったり朝食を取りながらしたり、それぞれの朝を受け入れながら黒板の映像に食いつく。
(改めて見ると、やばいな)
黒板に投写された映は、リアルタイムで送信されている藍が敷いた結界の中のもの。
二本の金棒と剣が高速でぶつかり合い、火花と水しぶきを散らし、万丈と燃える闘志が桜を焦がす。
そんな映像を見せつけながら、担任に車椅子を押されて登場した、いかにも重い病気にかかっているという出で立ちの少女は質問したのだ。
“これはもう一つの現実です。
これはもう一つの仮想です。
どちらを信じてもいい。それが事実になっていく”
意図不明、意味不明な問いかけの後、担任の登龍寺蓮雅は「さぁ、考えろ」と言った。
それはつまりこの映像を現実と信じるか、或いは現実でないということを証明しろということなのか。
「肝心なのは“あなたが欲しいのはどちらか”です」
これが現実だと仮定しよう。
私たちの世界には常識の通じないバケモノが身近に潜んでいる。それも殺意や闘志に覚醒することにより、いつでもどこでも非常識な破壊が可能な、認めたくない現実が。
なら、これを仮想だとする。
私たちの世界はやはり常識の範囲内でことが動き、その範疇を脱する・上回るものを進化・進歩と謳い、研鑽しようとして、自力で新しい壁を見つけ、広めようとし、その過程で予想の範囲内の喜怒哀楽を繰り返す。
現実なら、未知への恐怖がある。または興奮かもしれない。
仮想なら、繰り返しへの怠惰がある。或いは諦観だろうか。
「あなたたちは既に遭遇していると聞きました。だから、彼女とトキの戦いを見守って欲しいと思い、とても大きな罰を覚悟でこの二人の対話をお見せしようと思います」
車椅子の少女は風間小羽と名乗っていたが、クラスの誰もがその名を覚える余裕を失っていた。
この戦いは本当に現実のものなのだろうか?
あれが本当にトキだったのか?
藍はあれほどの怪物だったか?
本当にこの映像は現実なのか?
創りものでないにしても凄い。
それを見せる意図は何なのか?
トキは白黒つけてくると戦いに出て行ったが、帰ってきていたのか?
あいつはあんなに強かったか?
あれだけ強いのに、今まであえて弱いフリをしていたのだろうか?
どうして彼女と戦うのだろうか。
もっと優先的にリベンジする相手がいる気もするが。
そもそも現実でなければトキのリベンジは夢。
まさに仮想。
バーチャルに塗れた男で終わるだろうに。
「委員長、どう思う?」
担任に指名された委員長は、腕を組んでから視線を上げて担任に率直な言葉で告げた。
「まず、トキがここに居ない理由を聞かせろ」
「推測は立っているでしょ。もう一人の委員長は?」
もう一人のクラス委員長(裏)は、少し考えた。
トキもそうだが、藍も異様だった。
編入してきた時から独特の雰囲気を醸し出していた。
只者じゃないという気もした。
警察官の親がその名に身を竦ませたこともあったから、何か裏があるものと疑っていた。
実際におかしな挙動も何度か確認してきた。
そして今日実際に、真剣に、真っ直ぐに、彼女の現実というものを見たのだ。
「これが現実だとして、どうして二人にはあんなことができるの?」
「望んだからです」
車椅子の彼女がシンプルに答える横で、映像内の二人が加速する。
「この世界は、一人一人違う現実を持って向き合い、向かい合い、重なり合い、離れ合い、探り合うことで成り立っていた」
自分の目の前にある現実。
自分の知らないところで進んでいく世界。
自分たちにこれから降りかかってくるであろう未来。
「もし、その全てに上手く立ち向かえたとして、その時一人一人の心が常識を保っていられるものでしょうか?」
個々という現実。
たった一人でそれを向き合っていくという、それぞれ違った難易。
未来をより幅広く構築して行くために必要な認識とは、果たして己を盲目的に鍛え上げるだけでいいのだろうか。
「皆が支えあっていく世界は強い。
でも、そのためには多くの現実と向き合う必要がある。
自分という世界。
相手という世界。
どちらにも属さない現実。
どこまで認めて、どこから否定するか。誰もその平等に口出しする権利は持たない。
全て自分たちで決めること」
現実とはどこか。
仮想とはどこからか。
目の前の映像はどちらか。
誰もがそれを考える。
現実か、仮想か。
トキの戦いは本物か。
藍の存在は現実なのか。
「目を逸らすこともできる。
でも、私はオススメしない。
それを解決しないでしまうと、心が死んでいく」
そんな時、一人の生徒が答えを出した。彼は曲がることを意味不明なほどに嫌う男、宮原蓮太。クラスを代表するほどの馬鹿野郎というのが共通認識の彼だが、
「何が起こってようが、トキはクラスメイトだ!
それ以外の何があるってんだ!」
大分間の抜けた回答に二大委員長が大きな溜息をついた。しかし、それは否定ではない。
「宮原くん、あなたはこんな現実を認めるの?」
「目の前に来ればなんでも現実だろう!」
「……宮原、後でトイレにツラ出せよ。
で、他の奴らはどうだ? そこの車椅子のお嬢ちゃんと先生の質問に答えられそうな奴はどんどん答えていけ」
委員長ミツルの言葉に数人が挙手なり起立するなりして意見を告げていく。
現実だったら怖い。
少し憧れるが、現実であるのか疑わしい。
現実であったら困る。
是非欲しい。
そんなことより、あの二人はどこで戦っているんだ、などなど。
「どんな意見でも構わない。それが、私達なりの現実ってことでしょ?」
現実か非現実か。
その境界が極端に揺らいだこの空間で、どうにか意見をまとめようと裏委員長マイコも呼びかける。
それに呼応した生徒たちが次々と現実を挙手し、または仮想への守勢を明示し、一通りの意見が出揃ったところで現実と非現実についての論議が、誰が指示するわけでもなく飛び交い始めた。
数人の外野と画面の中の二人を除いて。
炎が数枚の花びらを焼き焦がす。
触れただけで僅かでも水気を含んだ桃色を黒化させる金棒の熱量を警戒しながら、トキはもう一丁の金棒の音叉攻撃を防いだ。
大気を震わす破壊振動を伝える金棒を受け止めてその先端を水面に逃し、反撃の黄金剣を大きく横凪に振る。だが、切れるは虚空のみ。
(加速した!?)
トキは完全に失念していた。藍にもタイムリーダーのような加速の術があるということを。
奏音の金棒を食わせた藍は、火力を増した炎の金棒を高速で振り回す。その威力は宝剣にすら容易く亀裂を走らせるほどの重さを有しながら、達人ですら繰り出せるかわからない刃速があった。連続した点と単調な線の攻撃も、そこに炎と粉が焼き舞うことによって実に躱しにくい連携攻撃が見えてくる。線と点がいつのまにか面の攻撃を実現しているのだ。塵も積もれば山を創るように、少しずつくすぶっていた火の粉が、気付けば水面に消えない炎を生み出している。
(足元の限定!)
逃げ足を読まれやすくなった状況で、トキも加速する。
タイムリーダー。しかし、それを発動した瞬間に藍の獲物が劇的変化を見せる。
音の金棒が消え、代わりに日本刀が左手に握られる。
(あれは……!)
「応えて、生死繋綴。 理壊――」
時間という保護膜を、その日本刀は突き破る。
「“蒼媛覇界”」
(クローズド、クロノ!)
その切っ先が炎と入れ替わって水面を切り裂きながらやって来る瞬間に、静止時間空間を纏わせた黒峰白刃の畏天で受け止めながら一時的に行動を完全に止めてみる。しかし、受け止めた瞬間に悪寒が走り、それが実現する。藍が持つ最大の切れ味を誇る得物が、易々と畏天を折って首筋へ迫った。
寸前で畏天を放棄して上体を反らすことで刃を躱すことには成功したが、体勢を崩しているところへ炎の金棒による容赦ない追撃が走った。それは爽快感を覚えるほどシンプル、且つスピーディーな横凪ぎによる左足への痛烈な打撃。
たった一発。
それだけで制服は焼け焦げ、左足は火傷よりも深刻なダメージに感覚麻痺する。一瞬だけ痛みが消え、次の瞬間には骨が音を立てて砕けた感覚を識る。一体いくつもの筋が断絶しただろうか。
(クロノセプター!)
覚悟を決め、炎の金棒に右手の黄金剣で触れる。
足りないリーチを剣で補いながら、クロノセプターの効果を覚えた黄金剣:星黄が炎の金棒を時間分解する。その途端に藍が持つ右手の得物は半分以下の長さになり、こぼれ落ちる火の粉も劇的に少なくなった。ついでに、分解し、手の中に回遊し始めてた金棒の時間を左足の回復に充てる。筋力回復を優先して痛みは我慢する。
吹き出した汗をさらうかのように舞う桜の花びらの中に青いものが一枚。まったく青ざめる威力だと、トキは藍の鬼の力に、藍はトキの時間分解の応用力に驚きながらも、二人は揃って青色の一枚を目で追い、同時に体勢を直さんと一歩だけ後退して距離を置く。
「星黄畏天!」
出校前にストックしておいた時間の全てを用いてトキが創り出す武器は“双刃剣”。二本の剣の柄を繋ぎ合わせた対集団戦用近接兵装。
「蒼媛生死繋綴!」
これまで何度もぼやかしてきた切り札をトキに晒す藍の得物は、金棒をそのまま峰としながら日本刀の切れ味を持った巨大なナタのようにも見える“蛮刀”である。但し、これは本来、形など持たない概念武装であるが、いまはトキに向けるために具現化した。
(もう一手! クローズドクロノ!)
双刃剣を右手に両手を外側へ開いて透明な球体を空間上に設置する。触れれば相手を拘束できる超低速空間だ。一種のブラックホールとも言える。鬼の力でも捉えてみせる自信はある。あるのだが、そもそも藍がそれに捕まるイメージが浮かばない。
同時に藍も一手。
(一段:茨!)
右手の蛮刀を背負うように構えて左手をトキへ向ける。
牽制や妨害、あるいは直接攻撃に多用するオリジナル陰陽術の一つ茨が、トキの足元で具現化と捕捉の為に忙しない波紋を生むが、あれではトキが捕まることはないだろうという予感があった。
「強くなったわね」
「お陰様で、って言う所?」
二人の重心が落ちる。
同時に駆け出し、それぞれの異変に気付く。空中で動きを止めた桜色、連続して響く波紋。
最初だけ、透明な何かを避けた藍が、蛮刀で虚空を薙ぐ。そこにはクローズドクロノを仕掛けていたことを覚えており、想像通り藍には通用しなかった。それも見破られるだけでなく、突破までされている始末。
『やっぱり強い!』
二人同時に抱いた感想である。
これが陸橙谷藍か、と。
見えない仕掛けを易々突破する藍は、単純な腕力や手数、対応力の高さが他のSRとは比べ物にならない。一芸特化していないのが唯一の突破口というゲームのボスは何度も経験してきたが、藍にはその知識がまるで通用しない。敵にしたくない相手そのものだ。そもそも基本火力がすでに一芸特化レベルな上に手品が底なしではないかと疑いたくなるくらいに多い。近接戦闘は元より中距離戦もこなし、遠距離技まで有していると聞くうえ、守りの術にも困らないし、回復の術だって見たことがある。
あらゆる現実と正面から戦える実力者だと思う。
対し、色世時はここまできたか、と。
いくら波紋が攻撃のサインとして感知出来るとはいえ、その攻撃速度はボクサーの拳並かそれ以上に早いのだ。それを視認することなく避け、しかも圧倒的に腕力で劣っているはずなのに真正面から突撃し、また防ぎにもくるのだ。出会った頃の彼はここまでの勇気を持っていただろうか。そもそも日常生活すら投げ出すにも等しい行為をとっていた学生が、どうして本物で本気の鬼を前にして臆することなく、全身全霊をもって前進できようか。しかも攻撃に迷いがない。一般人や即席の少年兵に比べ、あらゆる行動から無駄が削ぎ落とされている(それでもまだ無駄は多いと思うが)。時間という特殊な力の使い方も正確で、学習速度だけで言うなら芹真事務所随一と言える。
(私がトウコツの属性だから……!?
嬉しいよ、強くなって、トキ!)
衝突。
繰り出される藍の刺突を受け流す。
円を描くように受け流したトキの流れに合わせ、ない。
強引に押し込まれた刃同士が火花を散らして甲高い音をあげる。
足元の波紋に気付いて飛び退きつつ、蛮刀を握る右手の甲へ浅く切りつけるよう切っ先を走らせる。
僅かな熱を右手に感じながらも、茨を避けたトキを追う。
一歩、踏み出した藍に向けて、半身になりつつ左手を掲げる。
クロノセプター、しかし関係ない。
予想通り突撃してきた藍に気付かれないよう、見えないよう隠した右手の双刃剣を時間分解する。
次の瞬間、トキの左手から双刃剣が生まれでてきた。
その高さ、藍の胸元。
心臓の位置。しかし、甘い。
蛮刀による防御は間に合わないはずなのに、刃は押し下げられた。
本気を出していたつもりで、肝心のモノをトキに見せるのを忘れていた。これぞ、鬼の象徴というモノ。
(結晶角!)
(自分から言い出しておいて後出しとは……いや、むしろ最後まで出し惜しみしないほうが、後悔はしない!)
優しい陽光を受けて輝く結晶の角は、藍が鬼のSRであるという確たる証拠。
双刃剣の奇襲を回避し、トキの懐へ手を伸ばす。
逃げる。
そうだ、タイムリーダー。この加速がトキの最大の強み。
捕まればもれなく殴り殺されるなり投げ殺されるなり、いいようにやられていくだけだ。
流れを掴ませないつもりね。
流れを掴まなくちゃダメだ。
トキの決定打は弱い。
藍は全てが決定打。どうにか掴み手を逃れて、背後からなら。
おそらく背後。それはシンプルで間違いない死角で理想的ポジションだ。故に、決定打の弱いトキがそこを取る可能性は極めて高く、読みやすい。
読まれやすいのだ。背後とは、戦闘中に誰しもが警戒する最重要角度だと、訓練と実践で気付いた。だから、次の死角だ。
二人の刃は熱を得ることに失敗する。
トキの刃は茨によって受け止められ、藍の蒼媛生死繋綴は空を切った。
藍がこちらに気付いた。
振り向きざまの一撃。トキは確かに背後にいたのだが、高さが予測していたよりも低い。低すぎる。
腰の高さよりも頭を下げ、威力よりも次への布石となる牽制斬撃を足元へ放ったのだが、止められた。
茨の防御で一瞬止まったトキの頭上へ、蛮刀の振替しを見舞う。
(クローズ!)
低速空間が刃を止める。しかし、トキはすぐに後退を決めた。確かに蛮刀は止まったが、時間にしてみれば1秒あるかないかの停留である。逃げずに攻撃にこだわっていたら、藍の一撃が確定的な敗北を招いただろう。
それを見た瞬間に確信できたことがある。いま藍が使っている刀は、時間をも切り避ける能力を有している。
(腕力じゃ圧倒的、武器を創造しても迂闊に近付けない、時間展開しても切り裂いて突破される。ならば、やれることで最も効果がありそうな“二手”は……!)
転がり逃げた所へ蛮刀の切り返しが迫った。
(ヤバッ!)
水面を叩き割った蛮刀が、藍の腕力を反映して足元を根刮ぎ掘り返す。その一撃が、わずかな水しぶきと、地面を構成していたらしい大量の桜色の花びらを宙に踊らせた。
紙一重で躱すと、今度は追ってきた茨に足を絡め取られそうになる。すんでのところで双刃剣を双剣へと分解し、黄金剣を地面に突き立てて残して囮とする。辛うじて追撃を逃れたところで、これ以上の追撃を防ぐために白峰黒刃の畏天を分解して拳銃を創り出し、乱射で藍の足を止める。
やはり、藍が銃弾程度でダメージを負うことはない。そもそも直撃弾が全て蛮刀によって叩き落とされるなり、防がれるなり逸らされるなりして躱されたのだ。おそらく重機関銃くらいでやっとダメージを期待できるものだと思い知る。だが、
間隔は空いた。
距離じゃない。
トキが時間使いのSRとして覚醒して以来、時間を武器とするSRを仮想敵として対策を必死に考えたことがある。その結論を導き出すまでに訓練や仕事を共にし、ついに“時間を与えてはいけない”というシンプルな攻略法を見つけたのだ。が、改めてそれを口にした瞬間に理解した。
――無理だ。
だが、無理と諦めるには早すぎる気がした。
間髪を与えずに攻撃し続けさえすれば、刹那を突いてくるトキから余裕を奪うことはできる。
初動を見極めろ。
どこで仕掛けてくるか。
(来た、加速した!)
想定通りというべきか、それしかないと言うべきか、トキにはクロノセプターという武器があっても、その他は生身の人間のまま変わらずSRとして戦うには弱い。だから、超高速という鎧を得て、始めて現実から一歩踏み外せるのだ。何者にも追い縋られることのない圧倒的な速度で。
「一段:菖!」
速度に数をぶつける。
青い天上天下を埋めるように舞う桜を押しのけ、百の黒髪がトキの行く手を阻むように乱舞する。攻撃も連携も何もない、障害物として敷いた一手。予想通りトキが一瞬後に現れない。ほんの微かな時間稼ぎだが、それだけで十分だ。
トキの展開した低速時間を蒼媛生死繋綴が破る。
破魔の力を持つ刃を前方に構え、同等速度で分身を討ち消しながら突撃してくるトキに向けて必殺の一撃を供える。
「二段の上:鈴蘭、芙蓉」
低速時間を無力化されたことに気付いたトキが物理的に加速する。
おそらくクロノセプターで分身を撃破する際に時間を奪い取っているのだろう。物理攻撃も一応可能な分身だが、実質張りぼて同然の質量しかない。いくら数を撃破したところで、トキは拳銃を創造することすら危ういはず。
「追加――天段:鎖斬渦」
黒髪の障壁が破れる、それと同時に風が吹いた。いや、吹き付けた。
(あ、コレも忘れてた……!)
気がつくと、トキは斬撃突風に飲み込まれていた。
必中とも言える攻撃範囲を持つ藍のオリジナル陰陽術の一つ、あじさい。それは斬撃の風を相手に向けて放つもの。
それと同時に放った二つの術、二段の上。鈴蘭と芙蓉も、それぞれ風と、斬撃の属性を付加させる術であり、これを併発させるということはすなわちカマイタチのような無形の斬撃を生み出すということなのだ。
(身体強化で正解……ここまでは、見えていた!)
藍の誤算は一つ、トキのSRの核心を知らないこと、“理解しきれていない”ということ。
無限のSRという力がなす反則とも言いたくなるような攻略。
(一瞬だけ、藍が3人に増えて、それぞれ違う攻撃をしてきて――でも、一人に戻った!
現実に戻った藍が1、2秒くらい後に同じ攻撃をした!
まるで予知夢のような光景を戦いながらにして見たんだ!)
それは、トキの義父である佐倉躑躅こと、チート・ザ・フルスロットルが有していたSRである。発展するであろう未来の中から最も有効であろう時間を覗き見ることができる能力。しかし、完全に使いこなせていないトキは、何を以て抵抗するのが一番か、という部分のみが見えたのだ。
突風に全身に朱色の線を受け、転がりながらも微動だにしない藍へ向きあうトキだが、
「天段:瞳断銃矢!」
追撃は四凶の乱を、まるで海上の戦争を想起させる、そんな光線だった。戦艦の装甲も貫いてしまいそうな熱量と純粋な破壊力を持った光が、眼前に迫っていた。
それは絶望的な火力を有しているだろう。
だが、いまのトキには震える理由と立ち向かう勇気が揃っている。
(借りるよ!)
トキは動かなかった。
(回避していない?)
藍は動揺した。
いくら本気で向き合っているとはいえ、結局のところこの戦いは演習だ。
やがてしぼむように消えた破壊光線が蒼天の下に生み出した巨大な波紋と水柱を中心に、焼けた花びらを落ち着かせるように霧散する蒸気が視界いっぱいに広がる。
緩やかな風が白煙を退けるのを待ちながら、右手の蒼媛生死繋綴がざわめき続ける異様を噛み締める。安心したが、これは悔しい。
「僕の勝ちだ」
次に彼が目の前に現れた時には右手が視界を塞いでいた。
クロノセプターか、クロスセプターか。
いずれかが準備を終えているであろう掌が僅かな空間を残している。
「刹那の差で先をいかれる……そうかもね」
出し切ったとは言えないが、最善は尽くしたつもりの藍を前に、トキは警戒し続けていた。
藍がトキのSRを把握しきれていないように、トキも彼女のSRを把握しきれていない。クロスセプターで得た情報も、結局は過去のもの。努力を得意とし、あえて苦手分野に手を伸ばして我が物とすることで今日まで戦い続けてきた藍は、まさしく可能性の塊と言える。自分のSRの本質とも言える性質を核心に秘めているのだ。
「あなたが強くなってくれて嬉しい。
それで質問が二つある。
まず、どうやってドウダンツツジを避けたの?」
「否定した、とだけ言っておくよ。誰の助けかは言わないよ」
真正面から迫る大口径の光線は刹那の時間停止では回避不可能である。かといって、クロノセプターで正面から受け止めることは出来ない、光撃に対して相性が悪いのだ。
だから“無敵時間”を使って回避した。
たった一言“いま光撃を否定する”とだけ。
その結果、トキは無傷で光線をやり過ごし、悠々と低速時間を展開し、煙幕のように拡散する水しぶきや蒸気と共に藍の眼前へと歩み寄り、手をかざした。
大事なのは殺気を完全にぬぐい去ること。
容易なことではないが藍に、蒼媛生死繋綴に感知されない唯一の方法だ。こちらの殺すに対し、持ち主を生かすという意志ある武器を封じるために、無防備を装い、チェックメイトを宣言した。
「そう。
じゃあ、二つ目。
進路は決まった?」
「………………まぁ、な」
少し照れるように視線を逸らすトキの足元から、結界が消えていく。
水面と入れ替わるように灰色のアスファルトがのぞき、結界の消失が広がっていくと、そこが校庭の真ん中を突き抜ける中央通路の上であることを理解する。
「最近、変わったわね」
「おかげさまで、な」
二人同時に武装が解ける。
朝日の中で右手を下ろしたトキは、同じく右手を解放した藍と握りを交わす。
「最初はあなたに期待していなかった。
メイトスの命を奪うSRだなんて信じられなかった。
どうしようもない弱い者だったのに、いつの間にか大きくなった」
「未だに勉強はからっきしだけどね」
握手を解いて玄関へと向かう。その道も半ばに差し掛かった時、二人はクラスメイトの面々が玄関で待ち構えていることに気付いて微笑した。はたして何を言われることやら、と。或いは殴りかかってくるかもしれないな、説教が始まるのかもしれないと。
「おはよう、二人とも。それから、おかえりなさい」
開口一番で裏委員長のマイコは二人に挨拶した。
それは意外以外の何ものでもなく、紛れもない歓迎のつなぎ。
対することもなくもう一人の委員長も祝詞を漏らす。
「改めて、よく帰ったなトキ。それに藍も」
陰陽際立つ朝日の中で、誰もが睡魔を忘れて現実に暮れようとした。
「皆に、謝らないといけない、ことがある」
ある者は二人を賞賛した。
ある者は二人を危険視した。
また、ある者は藍に落胆した。
また、ある者はトキを理解した。
だが、ある者は藍に恐怖を抱いた。
そして、ある者はトキに苛立っていた。
「お、俺は……この世界を少しだけ戻してしまった」
トキの告白を理解する者は居ない。というより出来ない。
高城も、奈倉も、崎島も、藍ですら。
沈黙が降り始めようとしたその時、一人の男が踏み込んだ。
「ちゃんと、言えよッ!」
一歩。
振りかぶった右を目標点に届け、接触。
そこから力任せに殴り抜ける。
たったのそれだけで、トキは倒れた。
(熱い、痛い。眩しい。生きている。今度は違う痛みだ……)
その光景を見守っていた数人は、確かにトキの語尾が窄んでいくことに気付いてはいたが、
「さ、佐野代!?
なにも殴ることはないだろうが!」
「もっとハッキリ、分かりやすく言えよトキ!」
ただでさえ善人に取られない人相が、これまで相容れなかったトキに対して蓄積してきた苛立ちを燃料に爆発して歪んでいた。
背中から倒れたトキは上体を起こし、殴られた頬を抑えながら佐野代を見上げた。
「喧嘩には勝ってきたんだろうな、どうなんだ!?」
「……勝った」
「それ以外に喋んな、面倒臭ぇ……」
「……ダメだ」
昔、トキは佐野代にクラス恒例のタイマンで大敗を喫した。
今に思えばそれが引きこもった原因だったのかもしれないが、上手く思い出せない。
それほどに彼の眼光は鋭かった。暴力団組長の息子である表委員長にも匹敵する、猛禽類かそれ以上に獰猛な生命体を連想させる視線に震えが蘇る。
「これは皆に伝えなくちゃダメだ、俺の“責任”だ」
「少しは根性付けてきたのか? でも今、いらねぇんだよボケ」
トキは立ち上がる。
佐野代は二発目を構えたまま歩み寄る。
「頑張ってきたんだろ? じゃあ、もうちょっと夢見てこいよ」
藍は不思議に思わなかった。
トキが殴られた。また。
躱すことも容易いはずの彼が、あえて受けにいった。そこに彼は現実を見ている。
遅れて数秒して、他のSRたちも気付く。
トキは宣言しているのだ。
スタイルを。
(……なんで倒れない、どうしてあのおかしなスピードを使わねぇ!?)
「夢なんて、もう始まっているんだ。だから――」
佐野代の二回目の拳は、額だった。おそらく脳震盪でも狙っていたのだろう。高校入学時にジェイソンの異名を付けられた彼らしい、容赦を知らない一撃だったが、トキは受け止め切った。
それどころか、いまは反撃の手をつくっている
「――このままで“生くんだ/行くんだ”!」
拳ではない、掌。
それを勢いよく、生身一つだけが生み出す速度のみで佐野代にぶつける。
直撃は頬。
逆に脳震盪に陥った佐野代が、地面に寝転がって起き上がろうともがく。
その姿を見て無様とは思わない。
誰もが、いつか、どこかで経験するであろう現実。
トキはその先を経験した、その先を逝った記憶がある。
佐野代以上の恐怖と向き合った自負があり、乗り越えて身に付いた自信がある。
肩を上下させながら、自然と声が出ていることに気付かされる。
(頑張ってトキ)
(言ってしまえ、トキ)
(言いたいことがあるなら今だぞ!)
「聞いてくれ、みんな。俺はこの世界を戻してきた」
一瞬の沈黙。
そして、彼らはそれを発破した。
『うるせぇ!お帰りだトキ!』
いまの一言のために蓄積した勇気とは何だったのかと小一時間自問自答できそうな無視っぷりを見せるクラスメイトに、トキは埋まった。
- エピローグ“1-2nds”.-
-日本 芹真事務所-
芹真は椅子の背もたれに身を深く預けながら考えていた。
その思考を二人の魔女が読み当てながら会話が続く。
藍とトキが事務所に顔を出し、早朝にもかかわらず早々に学校へ出向くと言ってから、すでに一時間ほどこうしているのだ。その間、芹真は心休まる時間など与えてもらえるはずもなく、常に頭の中を解読されて解釈の一々に赤ペンチェックが入るものだからモーニングコーヒーが自白剤に思え始めていた。
「そうね、結局コントンがどうなったか、私も聞いていないから教えて欲しいわ、ボルト」
「死んでないよ」
「おい、まさか、ノアの保存機能か?」
「うん、当たり」
賓客用のソファに座った幼い姿の光の魔女は、その容姿とは裏腹に暗闇を吐き出していた。
「トキは倒したつもりになっているのか、もしかすれば知っているかもしれない。
コントンは死んでいないし、寄生されていたっぽいフィングも消滅していない」
「生きているとも言えないけどね」
ボルトの言葉を、芹真のワークデスクに腰を預けるように寄りかかっている闇影の魔女が補足する。
「会長はまんまとノアを四凶に晒し、機能麻痺――混乱と言うべきかしら、とにかく正常に作動しないように破壊工作を受けてしまった。
四凶軍の狙いは最初からそれだった可能性が充分に見込めるけど、そうすると不可解な点がいくつも浮かび上がってくる」
「キュウキか、それともトウコツか?」
角砂糖を小さな手で要求してくるボルトに小瓶を渡す。
芹真がコーヒーを注ぎ直すのを見守ってディマはそれを肯定しつつ、否定した。
「トウコツはジャンヌが仕込んでいた二重スパイよ。四凶でありながら協会に属し、それでいて四凶側に加担する素振りをして情報を流していた。
気になるのはキュウキの方よ。戦力を残しているのよ、世界各地に。それは何のためか、もし敗走した際に立て直しをはかろうにも、相手が協会では雀の涙よ」
「結局、トキも骨折り損だったわけか……」
三人が一斉に手元のカップを空ける。
無理矢理流し込んだ液体の香りをどうにか味わい、焼けたラスクをトースターから皿の上に移動する芹真に、二人の魔女が言葉を並べる。
『逆よ』
彼女たちは言った。
あの戦場で最も多くのモノを得た数少ない人物がトキであると。
「ボルトの言うとおり、トキに至っては得た物が非常に多い」
「まず大きいのが“織夜”――あ、いまは“色世秋”だったね」
「今朝本部でDNA鑑定の結果が出たけど、各種配列の特徴から二人を腹違いの兄妹と断定。というより、否定のしようがないくらいだったそうよ」
椅子を軋ませ、芹真は溜息を吐いた。
「それから“勇気”ね」
「今までの訓練の成果が出て、それ以上の試練を乗り越えて、自分以上の存在と向き合っていく強い精神を磨き出した」
「ねぇ、おねえちゃん。トキさ、いまなら軍隊に銃口を突きつけられても動じないんじゃないかな?」
「……それはないわね。ただ、警察程度なら軽く屠れるでしょう」
「物騒なことさせんなよ?」
ボルトが満面の笑みを、差し込む陽光に負けじと輝かせた。
「うん。だって、そんなことしたら“お父さん”が悲しむもん」
「そうね。トキの父親:色世境も手柄を立てて、しかも五体満足での生還を果たした。あれほどの戦場に赴いておきながら、ヒーローズにも匹敵する活躍をしたのよね」
「うんうん!だから、トキも自分の父親は、実は凄いんだぞ、って胸を張れるようになったんだ!」
(そういや、そのお付きの小娘が何か小包置いていったけど、何が入っているんだろうか?)
今まさに芹真が思考した小包を、ディマは数分前に間違って開けてしまったのだ。その中身がお中元などで用いられるようなビールだったと、白状すべきかどうか迷って数秒したところでボルトが起きてきたものだから、寝ぼけたボルトのせいにしてしまおうとして、黙殺。そして現在、気まずさからボルトの話に続くかのように装いながらトキを思い出す。
「あとは人脈、就職先、おホモだちとか、“他の人たちのSR”とか“自分のSRの本当の性質”とか……」
「うん!もっとも四凶の思惑から遠くにいると思われていた彼だけど、どうやら私たちの予想に反してあらゆる場所で絡まれていたみたい。いつの間にかマスターピースの“糸配”なんて使えているし」
「おいおい、マジかよ。じゃあ何だ、トキは戦えば戦うほどSRを習得できるってことか?」
二人の魔女が頷くのを確認して芹真はコーヒーにシナモンを落とす。
「何らかの条件はありそうだけど、うん。多分そうだよ」
とんでもない事態に陥っているんじゃないかという疑問も然ることながら、芹真はふと一人のSRを思い出して名を挙げる。
「さぁ。おねえちゃんはどう思う?」
「“否定のSR”――そうね、メイトスとトキが接触したと仮定して、トキの能力再現をメイトスが封じることができるかどうか。こればかりは私たちにも測れないわね」
本日未開の新聞を手に取り、芹真は最近活動を聞かない否定のSRと、そいつを殺すだろうと予言されたトキの未来に憂いて視線を落とす。
ボルトの腕が伸び、手の中には空になったカップが包み込まれていた。呼応するかのようにディマもカップを差し出してくる。
コーヒーと紙面に落ち着くこともできない朝に、芹真は二人に新しいコーヒーカップを渡して電話に手を伸ばした。
-太平洋 協会本部 第二防衛輪状海岸-
「変化した?」
『はい、先程』
四凶の乱によって大破した防衛設備の修復作業を指示していた協会長秘書、兼戦闘総司令のジャンヌは思わず声を漏らしていた。
「確定情報ですか?
パパ・テスタメントはなんと?」
『同じ状況のようです。
“色世トキがメイトスを殺す”という未来が大きく変化し、“色世の家系がメイトスを殺す”ということになりました。
これに、テスタメント様も釈然としないらしく、しばらくは情勢の見極めに時間を割くとのことでした』
潮風に前髪を遊ばれながら、ジャンヌは考える。
色世の家系といえば、トキ、アキ、キョウの3人が今のところ確認されている。もし、未確認の色世が居たとしたら、それは果たしてどこで、どんな力を有しており、どの勢力に属しているのか。場合によっては排除も選択肢に入ってくるだろう。
まだまだメイトスには抑止力として役だって貰いたいし、ジャンヌ個人としてもSRという力に溺れた者を教導する教師で在って欲しい。更に言うなら、協会がメイトスにつくった借りの全てを帳消した上で、潔白な他人としての別れを告げたい。そうでなくては彼の戦歴を知る一人として、ジャンヌは大いに動揺するであろう予感があった。
「了解。
では、引き続き千里眼部隊はメイトス、色世家、両対象の監視を続行」
英雄の名前を継ぎ、古き名を捨てた一人の女性は今日もまた世界に挑む。
「世界各地で次の動きが始まる前に準備を整えるわよ。
四凶残党、四凶の乱に参加しなかった反抗勢力――特に、日本の鬼とヨーロッパの妖精団、それから魔術図画の動向は逐一報告を。もし最速で攻めてくるとしたら彼らの可能性が高い!」
無線に呼びかける彼女に応答する者たちの意気は良好と言えた。
世界に挑む彼女と共に、その仲間たちも世界と対峙する。
「世界の現実を守るため、全力で現実にぶつかりに行くわよ」
「応ッ!」
びたり、とジャンヌは凍結する。
どうしてか聞こえてはいけない声が、真後ろから届いたものだから、とりあえず殴る準備を整えてゆっくりと振り返ると、
「ん、どした?」
数分前に日本から連絡を寄越してきたはずの現地調査員の副隊長――を務めているはずの――トウコツが何食わぬ顔で挨拶を交わしてきた。
顔面に空手式裏拳が一閃。
惜しくも白羽取りの要領で止められた拳越しに、トウコツへ質問する。
「……どうして、あなたがここにいるのですか?」
「あぁ、そりゃ忘れてたことがあってな!」
意気揚々と語るトウコツは白羽取りを解いてリラックスを推奨してきたかと思えば、どこか落ち着かないのか、背中に収めた二本のツーハンドソードの柄をいじくりながら視線を空へ、横へ、彼方へと泳がせていた。
武器を忘れたにしては場所がおかしい。武器庫やトウコツのオフィスは本部の一角。間違っても第二防衛海岸に来るはずがない。
まさか辞表、それともここで三重スパイでした、手土産に御印頂戴、なんて言い出すものではないかと思案を巡らせていると、
「なぁ、ジャンヌ」
泳いでいた視線がこちらに固定されていた。
「忘れ物っていうのかな――」
はてな、と首を傾げたのが間違いだった。
トウコツはその角度に合わせて顔を近づけ、気付けば口吻の交わり。
「ん」
「――!!?」
それがあらゆるモノを吹き飛ばしているではないか。
周囲で作業をしていた面々の集中力も、ジャンヌの作業意欲も、冷静も、本日のスケジュールも、疲労感も、少し冷たく感じていた潮風も。
「――こういうのはよ、ハハッ!
それとも忘れ者ってか?
それじゃあ、行ってくるぜ!」
その場から颯爽と飛び退き、風に乗って任地へ戻ろうとするトウコツは随分と愉快そうだった。
「……ぶ」
「って、おい待てコラ!?」
震える肩で、腰に帯びていた聖剣を静かに抜き取り、英雄の名を少女時代に継いだ、現ジャンヌは叫んだ。
「無礼者ぉおッ!」
「それでエクスカリ――!」
空を飛んで逃げたトウコツに、ジャンヌの放った拡張斬撃がクリーンヒット。それはまさしくプロの選手が放つような見事なジャストミート&クリティカルヒット。
少しだけ目尻に浮かんだ涙を隠すように拭うジャンヌは、呼吸を荒げながら振り返って手を止めてしまった作業員たちを促す。
「言ってくれればいいものを……!」
など、呟くジャンヌに、あんたもまんざらじゃないんだなと、大多数が言ってやりたい衝動に駆られたが、みな命が惜しい。とにかく、彼女の赤面が怒りではなく羞恥から来るものと知って誰もが胸を撫で下ろした。
-日本 白州唯高校 トキ&藍&アキ -
「そうなんだ」
「えぇ。当分は姉妹三人で生活していこうと思うの」
体育館裏で紙パックのぶどうジュースを飲み干したトキは、藍のこれからにしっかりと耳を傾けていた。
「スミレちゃんの――妹の勧めで協会に所属を戻そうと思うの。協会から提供される任務なら正式に給与を受け取ることも可能だし、任務の内容によっては一回の仕事で二月は食べていくことも可能だし。適材適所とまでは言わないけど、お祭り好きの姉さんも退屈せずに済みそうだし、それでお金が貰えたら一石二鳥」
「いいと、思う」
コーンの部分までとろけ出してきたバニラを必死に舐め止めながら相槌を入れるアキが視線を上げる。
「トキは?」
「まだ決まっていない。けど、いくつか候補はあるんだ」
中身を飲み干したペットボトルを吸いつぶした藍が、紙パックをかすめ取る。
「藍と同じ。協会の一員として生きていくか。
それとも、風の魔法使いやサーカスの人のところで“アルバイト”から始めてみるとか。
もしくは、メイトス」
相槌を用意していた二人の思考が止まる。
「彼みたいに、世界中の何者かと戦ってみるっていうのも、憧れないわけではない」
「トキは何と戦う?」
「それは悪?」
首を横に振る。
ただし、否定ではない。
どちらかと言えば霧散である。
「わからない」
これまでがそうだったように、これからもそうだろう。
「ただ、今の俺にはゲームみたいに幾つかの選択肢が用意されているんだ。
どれを選んでもきっとハズレなんてない。
これは俺の主観だし、間違っているかもしれないし、ずれているかもしれないけど、きっとなるようにしかならない。
ならないけど、それでもその現実が全て、なんてことは決してありはしない。
いつか、そこで感じた限界が他では何てことない些細で、当たり前な答えだったりもするだろうし、その先に進むきっかけと出会うことだってあるかもしれない」
しかし、行動しなくては限界にすら至れない。
これまで何度も打ちのめされ、叩きのめされ、撃ち止められ、死に掛けてきたからこそ、トキは時間の重さを何度も思い改めた。
「人生はいつでも最高難易度だ。一度しか挑戦できないのに、分からないことが多過ぎる。でも、悲観するほど解読不能なステージじゃない」
異人と戦い、異界を踏み、異常と生死を問い、それでも生きるというスタートラインに立ち続けることを諦めなかったトキは、易易と砕けない精神を身につけた。
「だから、誰もが全力で生きているんだ。
俺もいまはその実感がある。
喜怒哀楽の全てに、自分から挑んでいける。
得意分野には簡単に踏み出せる、苦手分野には克服や必要性を見い出せるし、未開の分野も知的好奇心ってやつで近づける。
俺は頑張っていけるよ、藍。
たぶん、負けたくないと思っている」
「えぇ、応援するわ。同時に挑戦も」
頷き合う二人を交互に見回しながらアキは真夏の空を見上げる。
蒼穹の下にトキは強い意志を示した。藍もそうだ。
ならば、
「私はどうなればいい?」
色世秋は尋ねた。
何者になればいいか。
何色に染まればいいか。
「どうって、アキは何かやりたいことない?」
「わからない」
「好きなものは?」
「トキ」
まさかの即答。
「そうじゃなくて、いつかこうしたいなっていう願望は?」
「ガンボー?」
「まぁ、じゃあ、焦らずに考えていこうじゃないか」
「……クロノセプター」
藍は耳を疑い、トキは絶句だ。
「どうして?」
「わからない」
「叶うといいわね」
困惑するトキとは対照的に、藍はすぐに微笑み返した。
気のせいかもしれないが、藍はアキがお気に入りのように見える。
「トキだって、前は喧嘩のひとつだってまともに臨むことができなかった。あなたも変われるわよ」
「うん」
「ありがとうだろ、アキ」
可能性。
たしかに、それは不確かで不明瞭な概念だ。
一切が約束されているとは限らない現実において、誰もが平等に持つ信仰。
時にそれは裏切ることもあるが、多くとして人々を前へと進ませる。
そうやって、誰もが何かを信じて進んでいくみたいに、トキや藍も、可能性を信じて今日まで戦い抜いてきた。
「ありがとう」
だから、日々を全力で戦う。
だからこそ、
「さて、再開といこうか」
3人は水分補給を終えて傍らに置いていた携帯ゲーム機に手を伸ばす。
トキをリーダーにオンラインゲームプレイに興じる二人は、最近手に入れた新鮮な遊びに灼熱の陽の下で、季節も忘れてリアルと隣り合わせのバーチャルの行き来する。
どちらが現実かと迷わず。
どれが間違いかと答えばかり求めず。
けれど、自分の求める理想がどこにあるかと迷いはする。
それを嘆きはしない。
間違いだなんて思わない。
或いは本物の間違いかもしれないが、進み続ければ可能性は潰えない。
その先で暗闇に足踏みしようと。
もしくは白闇に押しつぶされそうになろうとも。
リアルもバーチャルも、誰かを見放すことはない。
自分から否定することはできても、現実と仮想がそうすることはないだろう。
「今度こそ、全員でゴールし――」
現実を見て夢を得る。
夢を以て現実に臨む。
夢を現実にしたいから戦う。現実に夢を持たせたいから変える。
現実も仮想も、個人が観測する分には最果ての理想郷であろう。
絶対に諦めたくなる。しかし、それが正しい。
何故なら、それは現実を手に入れたことの証明。
「シキヨ、トキ……だな?」
「誰?」
「……ふしん、なんとか?」
「あぁ、俺がそうだけど?」
夢と現など、どちらが先行しているか程度の些細な違い。
「相手を、してもらおう」
「わかった、強盗」
「違うよアキ、追い剥ぎってやつだろ」
「……二人とも、帰ってから仲良く辞書でも読みなさい」
それが現実。
そして夢だ。
「あぁ、わかった。二人とも少しだけ待っててくれないか?」
色世時は手に入れた。
現実と、夢。或いは仮想の中に描いていた時間を。
「あんたも、俺と“ゲーム”をしたいんだろ?」
これは色世トキが広げた時間である。
-END-
【セカンド リアル/バーチャル】
○ジャンル
「コメディ」 ⇒ 「執筆練習用小説」
○話数
全72話(外伝除く)
○テーマ:現実と非現実
テーマ完遂率:5%(もっと頑張りましょう!)
○不完全燃焼率:約75%
【以下、その例の一部】
・メイトスとトキの決着
・車椅子に乗った風間小羽とクラスメイトたち
・四凶キュウキがバラまいた毒薬
・家族の増えた(戻った?)トキの家
・ノアを見失った協会の動き
・中華料理店の坊やと孫悟空
・ボルトとディマのおやすみシーン...etc
なによりも、
★まだ出てきていないキャラクター
【テスタメント、ナナカ、リン、ベイスノア、マヌエラ、裏BOSS】...etc
★まだ投稿していないシナリオ
【五人衆編、結晶侵食編、疑天編】
でも、SRVを終わらせると言った以上、あえて、ここが、区切りなのです。
ここが一人の物語の一区切りなのです。
現実にそんなものがないように。
曖昧な瞬間に差し込む休息を区切りと言うように。
-----反省会-----
ひとっっっっっっっっっっっっっっつも設定を準備していなかった段階で、突発的に考えた設定だけをぶち込んで出来上がったこの世界観。
まさにカオスの一言。
そして、最初はコメディとして作っていたはずなのにいつの間にかシリアスになっていて、しかもコメディ・シリアス、どちらを見ても面白みが薄いやら、迫力に欠けるやら、全体的に読んでみて意味不明な表現がこれでもかってくらい散らばっており、しかも作者自身にも解読不能だったりするという超素人仕様。
ただ、色々文章の中に仕込んでみて(浅慮ながら)楽しかった記憶はある。
小説のために、というモチベーションで精神的にも肉体的にも鍛えてもらったこともあった。無駄ではなかったし、元々勉強嫌いの私が自ら書物に手を伸ばすようになったのも、ひとえに小説のおかげと言っても過言じゃない。
それもこれも、この作品を(一応)最後まで見送ってくれた読者の方々あっての奇跡だと、作者は思っています。読み返してみて、よくこんな小説読んでいるよな、って思うような場所が相当目につくのに、それでも読んでくれている読者様方がいたおかげで、もっと頑張ろうってなれました。
本当にありがとうございます。
----- 反転 -----
では、残念なお知らせを。
この作品『Second Real/Virtual』には続きがあります。
またキャラが増えてます。と、同時に相当“死んで/消えて”いきます。
と、同時に【SRV】以外にも幾つか小説を同時進行で書いています。
まだ未完【SRV外伝集】も増やしていきたいと思います。
気が向いたら。
ふと覗いてみれば。
そんな気軽さで触れてみたら、よく分からん何かが転がっているかもしれない。 そんな小説家が私です(いや、結構居るとは思いますが)。
---というわけで謝辞---
投げやりがスタンスの作者ですが、全力でこの作品に触れてきた読者様、
並びに「このキャラを出してくれ」「キャラあげるよ~」「もっとこいつを書くべきだ!」等などたくさんの助言をくれた作者の方々にも、ごちゃごちゃあっちこっちになりながらも頭を下げさせてくださいませ。
ありがとうございます。