第70話-セカンドリアル-
※今回の注意事項ですが、
①
予定していた第70話+第71話の複合話です。
そのおかげで投稿日の予定まで狂いに狂いまくって前回の投稿から実に3ヶ月……orz
間違いなく作者の管理ミスです、はい。
②
またしても誰コイツ?成分が多分に含まれています。
ちまちま作っているキャラ一覧(?)ファイル(?)が完成したー!という夢を見たんですが、現実はまだ半分ほど。キャラ出し過ぎだ……orz 結構リストラしたのに。
③
読んでて違和感を覚えた方はコメントなり感想なり念動波なり脳量子波なり、なんなりとお送り下さい。そこに正解なり現実なりが見出される可能性があります。
それでは、本編。
色世家でのドタバタの続きです。
ある男の声が胸に刺さった。
「次の問題が浮上した」
「そうか。遅かったが、その理由は?」
色世家。
差し入れのバゲットとフルーツジャムの小瓶がいくつか入った紙袋を、落とさないようしっかりと腕に抱えたメイトスの真横には、傍らにジャンヌを伴った協会長バースヤードが立っていた。メイトス同様、差し入れが入っているであろう紙袋を抱え、ただし、覗いた中身から疑問を抱かざるを得ないが、あちらはアルコールを差し入れるつもりらしい。
学生に何を飲ませる気かと、指摘するよりも早くバースヤードはある現実を口にした。
「完全に眼中になかった連中が水面下で連絡しあった形跡を見つけてな」
「日本の鬼にキュウキの親衛隊、か」
メイトスは舌を打つ。
戦勝祝いどころではなくなったと色世家の玄関で踏みとどまり、目を閉じて思考する。
その横でバースヤードは独白のように続けた。
「日本の鬼は戦力が未知数。
キュウキの親衛隊は未知数の上に実態が掴みづらく、現状でどれだけの戦力を有しているかも不明だ。
しかし、両者共通して強大であるということだけは分かる。お前も把握している範囲は同じだろう?」
メイトスには否定の余地がなかった。
協会ですら現実がそれほど逼迫していると捉えるなら、ここで割ける時間は大幅に減る。そうと分かれば伝える内容を切り詰めねばなるまい。
「会長……日本の鬼は分からぬが、親衛隊については僅かながら情報を有している。必要とあらば連絡を寄越せ」
「そりゃあ、大いに助かる。てっきり否定されるのかと思ってたよ、いつも通りに」
一睨みされた会長が口笛と共にその輪郭を霞ませ、壁に吸い込まれるかのように消える。
傍らで無言を貫いていたジャンヌは、
「不躾な行為をお許しください。
これは特殊な謝礼にございます。異例の形ではありますが、どうぞお使い下さい。あなたの無念にいま一度のチャンスを」
事務的な口調に僅か感謝の念を滲ませながら一通の手紙を差し出し、空中にそれを固定して自身も会長を追って消える。
残された手紙を受け取り、外装を否定して中身を広げてみたところでメイトスは片眉を釣り上げた。
(“マティス・フォーランド
復活の恐れあり
形跡、9210のBD”
――何だ、これは?)
後半は意味不明。
前半は理解できる名前だ。
しかし、中段。不可解はそこに集っていた、何故か日本語で綴られた、復活を意味する単語がその名前に連動していた。
(馬鹿な……なぜ死人が?)
夏の陽光をもろに受けながら、汗一つ浮かべずにメイトスは考え続けた。
日本の鬼、キュウキ親衛隊。
協会はそれらを次の敵と定めた。
ならば、いま手渡された手紙に名を記されたコイツは、誰が相手にするのだ。
かつて、SR開発の第一人者と呼ばれた狂人を、怪物だろうが魔女だろうがおかまいなしに人体を破壊し続けてきた誘拐殺人犯を、一体誰に止めろというのだ。
(いや……)
とても恐ろしい敵が蘇ったらしい。
この界隈で死者が蘇るということはそれなりに有り得て、考えられることもできる事態なのだが、いかんせん蘇生を果たした相手が最悪だ。
マティス・フォーランド。
そいつの相手を出来るSRなんて滅多にいない。
その上、単純すぎる破壊力はどんな兵器や理論をも発破してしまう威力がある。更にSR本人が論破不可能なくらいの――そもそも論破どころか会話すら成立しない――奇人である。
だが、
(……復讐のチャンスが舞い戻ってきたと思えばいいか)
男は乗り出す。
不可解なのは、鬼とキュウキ親衛隊を敵と認めた協会が、どうして死んだはずのマティス・フォーランドの足跡を追っていたのか。
誰が思っているよりも広い範囲で素早く行動する協会の体勢は、その多彩な情報網を掴みきれないのが強みであり、今ではかつてない歯がゆさを覚わす。
ならば、行くしかないのではないか。
(やはり、トキに合わなくては)
その頃、色世家のリビングではバースヤードが他の来訪者たちの注意を引いていた。
その内に一切の音を否定しつつ、ドアを潜ってトキのベッドの前まで一切の障害なく辿り着く。カーテンの締め切られた部屋を一通り見回し、転がる文明品の数々に溜息をもらしたい衝動を覚えながら、布団の中に隠れたトキへ視線を固定して耳を澄ます。
(その“拒絶を否定”する)
一切を受け付けないトキの結界は非常に脆い。しかし、瞬間的な否定力は物理現象まで引き起こすほど強かった。
これではまともな通路を介しての接触など不可能に近いだろう。
生命体を否定している。
誰も近づけない。
しかし、トキに結界の知識があるとは思えない。
無意識的に意識体を弾き出す結界を生成したのだろう。
部屋の中、トキのベッドの前の否定力は廊下の比ではなかった。言ってしまえば何者をも近づけない大炎が如く、そのエネルギーは近づくに増し、空気に重たさや濁り、不自然な圧力を覚えさせる。
「トキ、手短に話すがいいか?」
少年は跳ねるようにして起き上がり、同時に結界が消えてなくなった。
Second Real/Virtual
-第70話-
-Second Real-
コントンに殺された夜のことを思い出した。
異常な天気の奇妙な色彩の中で、常識とはかけ離れた冷熱の狭間で意識を奪われていくあの時。抵抗の意思が即死を回避したのだろうと言われた、あの戦いを、それでも最初から勝てないと踏んでいた自分が、間違いなく無謀に挑戦していたことを覚えている。
死にたくないのに、負けたくないのに、戦ってしまった。
「それがお前の理想だったのだろう」
メイトスがこちらを見透かして言う。
だが、自分自身にも分からないあの時の心情を、どうして今になって知ってしまうのか。それが答えである保証なんてないのに、それでも信じ込んでしまうであろうこの空間にいることが、選択肢のない現実を無慈悲につきつけてくる。知りたくない、でも知らずにこれからを生きていけるのか。
そもそも、自分自身をわかりきっていない自分と向き合って、未来へいけるのだろうか。
「本当に、お前は自分自身が何者かわかっていないのか?」
色世時。
ただの子供として生まれ、親の事故を機にSRとしての種を受継ぎ、気弱な人間として高校生になって、途中で引きこもってみたりなんかして、生身の自分の――将来なりたいもの、なりたくないもの、本当に好きなもの、嫌いなものとか、そんなこととかの――ことさえちゃんと把握できない内に、SRとしての人生を歩み始めた、本当は歩み始めていたことを知った。
「トキ。
お前の周りには、お前に影響を及ぼす人間がいなかったのか?
そんなハズはないだろう?」
その通り、居たのである。
ただ、自分が周りの人々の個性と、そこから放たれる数々の言葉や行動や意味を拒み、例え受け取ったとしてもネガティブに、そして何よりそこに価値を見出そうとしない姿勢のまま、寂しいくせに冷たく付き合ってきた。
そこにどれだけの悪意があったか、分からない。
だが、現実は悲観すべき状況ではなかったはずだ。
色世時は弱い。
周囲の人間に劣等感を抱き、不幸な出来事に心が暗がりへ沈み、受け止められない現実から目をそらす。
「だから、変わった」
そう、気付いたのである。
自分だけの現実を手にし、様々な人や状況に出会い、遭遇した。その最たるが芹真事務所。それから、コントンである。非現実的な知り合いと、超常的で最恐の敵。
新しい現実と向き合ってから、どれだけの死線を見せつけられてきただろうか。周囲がどれだけの危険に巻き込まれてきただろうか。その都度気付かされた新境地は、それまでの人生に比べてどれだけ新鮮で、怖くて、しかし期待に溢れ、力を与えてくれただろうか。
「今更、自分の現実に怖気づいたか?」
時間を手繰る、それが自分の力である。
時間の流れに緩急をもたらし、物体を時間という側面から分解し、その解体した時間をもう一度組み直すことで別のモノを創造する。時には命でさえ直すこともやってきたが、果たしてだ、それは人間の所業と言えるだろうか。
触れただけでモノを消すことが、手の中に銃を創り出すことが。手を添えるだけで対象を脆くすることが、自分の体を鋼のように硬くすることが。相手の思考を勝手に覗くことが、止めることが、総じて時間の概念を抜け出すことが、本当に人間の本来の姿だろうか。
「ならば、お前はモンスターか?」
と、メイトスは質問し、その単語に不覚ながら納得してしまった。
それ以外の何と言えばいいのだろうか。
人とは言えない、化物だ。
みんなとは違う。
「だが、それだけだ。結局は人間じゃないか」
メイトスは言う。
怪物とは、何ができるかではなく、何を決意して一線を超え、人ならざる所業を成し得てた者かを指す言葉なのだと。
その一言は、否定ではないらしく、メイトスの理論で言うなら成り行きでSRになったトキは怪物足りえない。強くはなったが。
「その持論で私は化物の類だが、本気で世界を正すにはそれだけの覚悟が必要だったというだけの話だ」
メイトスは、かつて弱い人間であった。
初めて“聴く/語る”話だ。
逃げ腰の青年時代を送っていたメイトスは、徴兵によって世界大戦の最前線へ送り込まれ、地獄を見てきた。
奇跡的に自分だけ生き残る――色世時のように生かされたと気付けず――そこに伴う罪悪感から心が死んでいき、そのまま次の地獄も何故か生き延び、五感の各所に異常が生じてきた頃に、守りたい生命を見つけたのだ。が、その生命を最後まで守ることかなわず、戦火の中でメイトスはずっと抱き続けてきた疑問に爆発し――この世界で自分にできることは何だ、自分がやりたいこととは何だ?――答えを見つけた瞬間に、目の前で鉄条網と人肉と泥がミキサーされ、それらがメイトスを塗りたくった。
繰り返すと、メイトスもかつては弱者だった。
「新しい現実を始めた。
それだけだ。
人間の誰もが可能な一種の“リセットボタン”――それこそが、セカンドリアルというものの本質ではないのかと、私は思うことがある」
命に人生にリセットボタンなど存在しない。同じ価値観を持ったまま、最初から人生をやり直すことは不可能だ。
だが、メイトスの言うリセットボタンは違う。
同じ価値観を持ったまま、生き方を変えていくことを指す。
メイトスの場合は、拒絶と受容の範疇の意識的変化、拒むものと受け入れるもの少しだけ考え直すことから始めたらしい。
「かつて、自分を殺しにきた者に怯えるだけだった私は、いまや名のある国際犯罪者だ」
言い方を変えるなら強者、または変革者。
戦場でリセットボタンを見つけ、あるSRを追い、その過程で変化を重ね、いつしか否定のSRとして独立し、脅威認定され、協会長オウル・バースヤードという友を見つけたという。
(メイトスも、同じだったんだ)
メイトスも一人の男を敵として追っていたという。まるで、コントンに負けたくない一心で訓練に打ち込んだ自分みたいに、戦いと鍛錬を繰り返し、自分だけのSRを磨き、何者をも寄せ付けない否定力を手に入れた。
同じように、色世時は時間の新しい使い方を次々と覚えた。
「その根底に生きたいという衝動があると感じたことはないか?」
頷く。
日々の生活や戦いの中で摩耗していく心が、壊れそうになりながらも、それでもバラバラになりたくないと叫び、衝撃を手にしたい衝動に駆られる。
所謂、感情爆発。喜怒哀楽を始めとした衝動的な行動。
それは犯罪の原因たる要因とも言えるだろう。
「そこに付け込み“SRを作り出す”実験をしていた男がいてな」
コントンを倒せた自分と違い、メイトスはついにその男を討つことができなかった。
星の巡り合わせが悪かったとも言っていたが、そもそもメイトス自身がその実験者に対して多大な恐怖を抱き、それに打ち勝つことができなかったために負け続けたという。最後の最後まで。
それが勝者と敗者の違いである。
「……コントンを討ち、お前はまだSRを必要とするか?」
「あぁ」
色世時は必要と答えたが、私にはその見当がつかない。
「メイトスさんは、今回の四凶たちの戦争をどう思います?」
学生に問われるがまま、私は答える。全世界を巻き込んで、誰もが決められた未来から逃げられなくなった世界になってしまった。その発端となる一大事件だった、と。四凶軍所属のSRたちの暗躍による世界同時反抗デモ、国家中枢へのピンポイント攻撃、あらゆる資源の浪費と莫大な環境汚染。
この世界を修正して元の姿に戻すのに、本来なら数百年の年月を要したであろう。
しかし、
「俺が、あんまり考えもせずに“世界を直しちゃった”と言ったら、どう思います?」
俯くトキは告げた。
無関係なのに殺された人間は蘇生させたし、汚染された環境もすべて元通りにした。武器弾薬から、皿やフォークの一本に至るまで、四凶の乱が起こる数日前の世界が、いまここで進んでいる世界なのだという。
パラレルワールドとも違う、もうひとつの現実世界。
本来訪れていたかもしれない可能性の一つ。
つまり、色世時は世界に対してリセットボタンを使ったというのだ。
「それは、僕だけの力じゃない。協会長の力と、ノアの破片が共鳴して、やれそうだからやってみて……」
それは歴史を食った、とも言えるだろう。
結果、世界中の多くの人間は救われたが、ある代償を一人に押し付けることになった。
「その時に、前の世界を見たんです。
無数の人間が死んで、その中にはSRもいて、大人も子供も関係なしに殺し合って、世界中が大きな光に包まれて、それを止めようとした協会長がずっと一人で泣き叫んでいて……」
そいつは、この世界で最も初めの弱虫のことだ。
過ぎた力に翻弄されて世界を壊す羽目になり、再生させるという宿命を自らに課した男の面影。
オール・バースヤードという名前の、かつて協会長だった人格。
色世時はそれに触れたのだ。おそらくクロノセプターで。会長の無限に近い死別と、失敗に塗れて世界を終末に導いた日々、煉獄の住人の記憶を。
「俺は、現実を壊しちまった」
一度死んだ者は帰らない、この世界にリセットボタンはない――そのはずなのに、時は世界を直してしまった。すでに死人として認識された人間を再生し、世界に新たな混沌をもたらそうとし、会長がそれを修正したらしい。
なるほど、たかが学生程度にしか心の備えが整っていない人間が、世界を背負ってしまったのだ。一人の命でも重いこの世界で、果てを知らないかのように増え続ける人類の半分以上の生死を、色世時は抱え、操ってみせたのだ。
「メイトスさんは、そういう人間を殺して正している、って聞きました」
不正に長生きした命、SRに目覚めずに有り得ない生を与えられた者たち。テロリストであるメイトスがこれまで狩ってきた犯罪者というのは、そういう自然の摂理に反した生命体である。
今まではそうだったが、人類の半数近くが不正に生命時間を変えたこの世界で、そのルールは果たして貫き通せるのだろうか。正直自信がなかった。
「メイトスさんは、人類を皆殺しにするんですか?」
否、断じて違う。
私は、マティス・フォーランドやコントン、魔女たちのように、無駄に多くの血と知を求めて世界を巻き込む要因を容認できないだけなのだ。
言うならば、今回のような戦争を起こさないために、戦争の火種となる不正な人物を追い続けていた。白状するなら色世時もその一人なのだが。
「わからない。
私がいつか壊れれば、人類を皆殺しにするかもしれない。
その時はトキ、私を止めてもらえるか」
あまりにも不安そうな顔のトキに、危険を直感して質問してみたが、返ってきた答えは予想外なことに首肯だった。
「……じゃあ、止めます。はい、わかりました」
トキは自分にもその役目を言い聞かせる。
その時、閉め切った部屋の中で、携帯電話のバイブレーターが響き始めた。
紛れもない自分の携帯であることを理解し、少し気不味い雰囲気が部屋にあふれるのと同時、メイトスは携帯に応えなくていいのかと促してきた。
画面には新着メールが数件溜まっているというお知らせテロップが走っていた。
「………………トキ。
改めて聞く。
お前は“どちらの現実(リアル/バーチャル)”に戻りたい?」
二択は単純だ。普通の人間として生きていくか、セカンドリアルとして生きていくかのいずれかであり、いずれも性質が全く異なる人生を約束される。
色世時の選択は、
(戦うか? 退くか?)
どちらの答えが返ってこようと、SRの世界に大きな波紋を呼ぶことに間違いはない。
例えばトキが戦い続けるとするなら、“どんな立場で戦うのか”という問題が付きまとう。四凶の反乱があったとはいえ、いまだ世界は協会を中心に複数の組織が睨み合っている。かといって、前線から退こうにも絶大な戦力を欲する組織は少なくない。未だに協会の仕事や態勢そのものに疑問を抱いている組織は多く、しかし弱く、孤独で、そのくせ戦う力ばかりを求めている。
どちらの現実にも、約束された平和などありえはしない。
掴み取る方法はあるだろうが、それをやるに色世時はあまりにも多くの者と接触しすぎ、また強くなりすぎた。
「現実に、帰ります」
そう答えた色世時の顔には、僅かながら迷いの色が見て取れた。
二人が中で会話している最中、色世時の私室の前、扉に背を預けたアキと壁にもたれかかる協会長オウルは、漏れ出る二人の会話で、複雑な心境にそれぞれ到達していた。
「トキは戦わないそうだ」
「そう」
協会長としては戦力に迎え入れたかった一人として、トキを見ることができる。
しかし、オウル個人とアキの意見である『一般人としての何ら害をもたらすことのない人間』としてトキが生きていこうというのは、現在持ち得る力から見ても、迎えられるべき高校生の目覚しい変化でもあった。
「いま、トキが戦おうとしているものがわかった」
「へぇ? 理解が早いな」
階下から拝借してきた麦茶を少しずつ口に含むオウル。
汗で重みを増したシャツを無造作に脱ぎ捨てながら、アキは無言に俯いたまま壁に背をあずけ、裸足の両親指を揃えた先を見つめたまま、会長の言葉に耳を傾ける。
「色世時もそうだった。
まるで何も知らないまま、何もできないまま、ずっと生きることを諦めなかった。
いまこの瞬間も生きているということが、彼の戦ってきたということの証。
彼だけじゃない。
人として在る我々は、常に生きるという風に導かれて進み続けるし、変わり続けるし、大切なものを見出していく。
生きているからこそ在り、戦っているからこそ変わり、諦めないからこそ、生きて大切を見つける。
支配も、無限も、終焉も関係ない。
皆、戦っているんだ。
己と相手と。
世界と時間と。
否定と、受容と。
時には自分が戦っているもの、戦うべきものを見失うこともあるが、諦めずにアクションするからリアクションに気付き、それを新たな点として次を発見する。或いは見えすぎて萎縮してしまうこともあるだろう。または、確定要素もなしに断定することも。
俺は迷ってもいいと思う。萎縮したっていい。周りが見えなくなるような戦い方だっていいと思う。
――僕らは人間だ。
それぞれ違う戦い方があり、その過程で身につく特性が無数にあり得るからこそ、個性という概念の独立にも繋がる。
個性が他人を磨き、他人の個性が自分をも磨く。
相互作用が折り重なって、戦い方に変化が生じる。
それをどう名付け、定義しようと、戦いがあったことに変わりはない。
人であるならば、目の前にそれが在るならば、つまり人は戦い続けているということだ。
言い方を変えるなら“生きる”ということ。
単純なようで難しい。
何故なら、動機がなければ人は輪郭を失ってしまう。
生きるというのは戦い続けるために必要な最低限の選択肢だと思う。
生きる理由がなければ食事も睡眠も、学習も変化も、文明も個性も必要ない。
それはただの自然現象となる。
水が空気中に生まれて、いつの間にか消えていくのと同じだ。
ただ生まれて、何をするでもなく滅んでゆく。
人間は持っているのだ。
紛れもない戦い続ける理由を。
――願望だ。
それを持っているからだ。
いつかはチャンスが巡ってくると、いつかは理想域へ到れると、いつか、死ぬと。
分かっていながらも望みを諦めないからこそ、人は強く、生き続けて何かを生み出しては次へと繋げていく。
その連鎖は何ものにも止める権利はない。
何故ならそれが人間の戦い続けてきた歴史だ。
そうし始めた者がいて、それを続けてきた者達がいて、次にそれを継ぐ戦いが在るのだ。
世界中の誰しもが循環を担っているのだ。
始まり、継ぎ、終わる。
まるで君達みたいに。
――生きる理由がそれぞれ個別なのは、本当は悲しいことなんじゃないか?
もしかすれば人類はもっと仲良くなれていたかもしれない。
でも、そうじゃない現実がこの世界の実態だ。
色世時がSRの世界から抜けるのだって、“僕ら”の助けてというメッセージを正しく伝えさえすれば考え直してくれるかもしれない。
或いは君に協会に入ってというスカウトを下せば、明日の世界は今日よりも悲しみが少なくなっているかもしれない。
――でも、彼には彼の考えがある。
戦いを無意に増やしても、結局それを処理するのが人間なら、誰かが犠牲になる以外ない。
傭兵だ、戦争屋だ、兵隊だと言っても、それは本当に正しいことと言い切ることは出来ない。
無駄に増えた戦いは、赴いた全ての心に何らかの痕を残すもの。
トキは戦いを増やさない選択肢を見つめていたんだと思う。
――彼が戦わないのはさみしい。
――だが、闘わずに戦い続けて欲しい。
――結局はこうだ。
――見苦しくも、私を含むオウル・バースヤード達がいまここで表現したように、トキの退役を惜しむ者もいれば、賞賛する者もいる。
その選択肢が何に連結するのか誰にも分からないが、しかしそれこそが正しく“おもしろい”んじゃないか。
分からないからこそ、試してみる価値がある。
どんな結果を導き、それをどう伝えていくか。
色世時にそこまでのことを望みはしない。
今まで通り、頑張って、へこんで、傷ついてもいい、間違ってもいい……“生き続けて欲しい/戦い続けて欲しい”。
私はそれこそが“色世時だけに許された時間”であって欲しい」
(多重人格が発現している)会長の長い語りがいつ終わるともわからず、意も半ばにアキはトキへの言葉を考え続けていた。
いま、アキは色世秋であることに不思議と落ち着きを感じていた。
最初は殺したいほど欲したトキという名前。
トキは戦いの舞台に幕を引く。
でも、世界はそれを黙って見過ごしはしないだろう。
奇妙なことに、確信できてしまったのだ。
争いがトキを縛る。
まるで蛇のように。
そんな世界で、トキは安心して戦い続けられるか?
「私が守る」
織夜秋のつぶやき、色世秋の決意を耳にし、オウルが静かに壁を離れて階段を下りていく。
その意思が固まった時だった。
会長を始めとした幾人もの訪問者が色世家を後にし、アキが背負っていた扉は静かに解放され、中から一切の力を自らの意思で完全に封じた色世トキが、泣き腫らした顔のまま、それでも必死に泣き顔を隠そうとして出てきたのだ。
「……」
「……」
いざ面と向かってしまうと、アキは言葉につまり、トキは視線のやり場に困った。
泣いてたであろうトキ。
考え込んで暑くなったために上半身裸になったアキ。
『おはよう』
数秒の沈黙を破って二人が口を開いたのは同時だった。
トキは笑う。
アキも、どうしてか可笑しくなって笑みをこぼす。
トキが一歩引く。
同時にアキは一歩、大きく前に出ていた。
「トキ。私が守るよ」
腕を伸ばしたアキ。
抱きつかれたトキは慌てた。
いままで味わったことのない温もりが、大きく響く。
それは同時にアキにも伝わり、これまでにない平穏をもたらしていた。
「ぁ、あの、ありがと……なあ、俺のでよかったらTシャツ貸すけど、着ないか?」
「シャツ、うん。ありがとう、トキ」
こそばゆい感覚に視線や言葉、どんな態度だったら焦りが悟られないか――でも、そんな赤裸々もいいんじゃないか――なんて考えながら、二人はそれぞれシャツを着替えてからリビングに降り、藍の作り置きをテーブルに並べながら向かい合って、二つの事だけ言葉を交わす。
「なぁ、アキ。
君は色世アキだよな?」
「うん……よろしく、トキ」
満面の笑みを見せつけるアキに対し、トキの表情は苦笑いで、それが二人にとって初めての兄妹生活のスタートであった。
その日の夕方、色世家には魔法使いが3人。しかも、アポもなければ礼儀はないくせに、戦勝祝いと銘打たれた酒盛りが2tトラックでこれでもかといわんばかりに、迷惑9割有り難味1割くらいの感情カクテルで届いた。
「あの……置き場ないから(あるけど)」
「いやいや! 此度の戦いも君あってこその勝利だ!
協会の連中が君にどんな褒章を賜ったか計り知れぬが、私も君の勇気に敬意を払いたく馳せ参じた!」
何故わざわざ馳せ参じる必要があるのか、携帯ゲーム機を片手に言葉を失っているトキと、リビングから顔だけ覗かせるアキ。
絶句した二人にかけるべき次の言葉を、魔法使いのリデア・カルバリーが自分の失言に気づくまであと2秒というところで、痺れを切らせた背後の二人によって押しのけられ遮られる。
「すみませんね、うちの隊長が」
「戦勝祝いとは別に相談がある。聞かないか?」
夏であるにもかかわらず黒一色で統一された、まるで葬式にでも出向くかのような3人を、面倒の濁りを押さえ込みつつ家の中に招き入れ、アキに大人しくしているように釘を刺して新たに作った麦茶を魔法使いたちの前に差し出す。
眼帯の四十路くらいに見える男がリデア・カルバリーと名乗り、次いで最も若い青年がベクター・ケイノスと名乗った。
いつの間にか麦茶の両脇に酒瓶と小さな樽と、何故か見覚えのないPS●3000と、芳醇な香りを放つチーズが並んでおり、アキは興味津々にそれらを見回していた。頭の片隅で組み立てていた今晩のメニューを切り替えたほうがいいということを察したトキは、青年ケイノスが両手の中で弄び始めたP●Pが気になるが、とりあえず話を「相談がある」と切り出した老人、ミスター・シーズンに向ける。
割と本気で戦勝祝いを響かせたいリデア、飲酒飲食に加えて遊戯ご所望らしいケイノス、一人深刻な表情で佇んでいた老人シーズン。
「それで、話ってのは?」
「俺たちの仲間にならないか、というスカウト。それが用件だ」
色世時は頷く。なるほど、と。
それに呼応したアキがすべての意識を殲滅へとシフトするが、同時に立ち上がったケイノスの差し出す右手に行動を止める。
(……強い、でもトキはあげない)
「行きません。
アキ、大丈夫だよ」
十秒にも満たないやり取りで、深刻な面持ちだった老人の顔に光が差し込む。
どうやら始めから答えを知っていたようで、潔いどころではない淡白な言葉をシーズンは返してきた。たった一言、分かったと。
「よし!
ならば次は私だ!」
「その前に隊長、少し摘んでいてもいいですか?」
「う?む! 存分に食すが良い!」
「はい」
おい、ちょっと待て――なんて発言しようとしたトキに先んじ、リデアは室内に微かにしか感じ取れない弱い風を呼び起こした。
「シーズン殿の用件は君への非武装派参加だ!
しかし、私の相談はもっと自由!
トキ、私の風を受けないか!」
「嫌です」
きな臭い話に乗れるほどこれからの生活に余裕があるとは思えないので、即断させてもらう。
ミスター・シーズンの話もそうだったが、俺はもう自ら戦火の中には飛び込まないと決めた。
ごく普通の日本人の、一般人として、立派な社会人を目指して頑張ってみるんだ。
「確かにシーズン殿はある意味での戦いに参加して欲しいという要望ではある。
だが、なにもそれは君が体験してきた惨たらしい殺人から虐殺までが日夜繰り広げられているような、過酷な世界で共に戦線を押し上げて行こうという、ハードかつデッドオアアライブな戦いではないのだ」
「例えば?」
麦茶の中身がいつの間にかカクテルに変わっていることに気付きながらも、トキはそれを無理矢理に流し込んでグラスを空にする。
「ボランティア活動である。
協会を目の敵にするだけが非武装派のやり口ではない」
「まぁ、たまに犯罪の片棒をいつの間にか担がされていました~なんてヘマをやらかすんだけどね、主に隊長が」
八等分されたチーズの一欠片に大きくかぶりつきながら説明するリデアに、ケイノスが肩を竦めながら横槍を入れつつも、やはりその手からPS●が離れることがない。
色んなものに集中力を削がれていく現状でどうにか意を絞り――と思ったらいつの間にかシンクに移動し、何故か包丁を握っているシーズンに意識を奪われ――そんな散漫な状況打破を手伝おうとしているのか、手を握ってきたアキの高熱に視線を前へと戻す。グラスを傾けるリデアも一呼吸おいて自分を落ち着けているのだろうか、リデアの横口を手で制しながらグラスに新た、ブランデーを注ぎ足す。
「我々三人は、ボランティア要員として世界を股に掛けている。
その輪に加わらないかという提案が我々の総意だ」
「僕は少し反対意見ですけど」
「そう。
例えば、ここにいるケイノス君だが、実は過去にオンラインゲームで君にフルボッコにされたというのだが、記憶にはあるかな?」
なさすぎる。
「そうだ。
誰もが過去を振り返らなければいけない時代が来ているのだ。
君はケイノス君の敗北を知らないが、ケイノス君は明確に君と戦い、破れたという記憶を持つ。
しかし、君たち二人の中間地点にいる私はその事実を一切知らない。これは、或いはトキ君の味方のようにも見えるが、現実はケイノス君の上司だ。なにより私はオンラインゲームについて知識皆無で、二人が戦った歴史を知らない。
すなわちである。
もしここで、ケイノス君がこれまで育んできた報復の念が、違う形で具現化されるとして、君はどう立ちむかう?」
「私が守る」
「隊長、この娘……」
「うむ、頼もしき盾だ!
我々には眩しすぎる!
だが、ここで肝心なのはトキ君の意見だ。アキ君がトキ君を守るのは結構。女性でありながら、その男性騎士にも劣らぬ魂はさぞや澄み切っているに違いはなさそうだ。だが、それではトキ君が弱くなる一方だ!」
「弱く? トキほんと?」
威勢良く前に立ちふさがってくれたアキだが、困惑の表情を浮かべて振り返る彼女が、何に不安を覚えたのかわからない。
だが、期待されていると思い込むには十分だった。
弱いままではダメだ。
それは、自分が一番よくわかっている。
「あぁ、リデアさん(だっけ?)が言っていることは本当だよ。
それから、ケイノスさんと戦ったことを覚えていないのも」
「………………よっぽど、記憶に残らない弱さだったんでしょうね、僕」
トキは考える。
これほどの状況、いままでになかった。
自分を守ってくれると約束してくれる家族がいて、これからも安心して戦うことができる。
でも、頼り切るつもりが自分の中にない。
たぶんこれを正々堂々と呼ぶのだろう。引きこもっていたトキが見失っていた脊髄。
自分が死ぬ瞬間までの人生をつくり、かざり、或いは貶すかもしれないが、一心で一筋に生きるために必要な標。
だからこんなにも堂々と言える。
「はい。多分、弱すぎて記憶にないのかと」
ケイノスの右手でワイングラスが空間と共に凝縮を始める。
自虐しておきながら激情を隠しもしないケイノスは、これから違う戦い方を身につけなくてはいけないと考えていたトキにとって都合が良すぎる相手だった。
一方的に押し付けられる因縁を(真偽の程はともかくとして)持ち、感情的で掴みやすく、そして滑稽なほど分かりやすいヒントまで持参している。
「では、ここで白黒つけますか、色世時」
「ケイノス君、平等な条件で戦いたまえ。ここは彼の家、彼の故郷。人質は許さんぞ」
風の魔法使いがケイノス以上に酷い“フラグ”を発言する。
耐えかねたトキは一息、笑いをアキに向けて立ち上がり、キッチンから立ち込める芳しい香りの原因たる大皿を取りに足を運ぶ。
「じゃあ、所望の“ソフト”を言ってくれ」
「……マジか。噂以上のゲーム好きか?」
不自然なほど短時間でつくられたスモークチキンとペペロンチーノの皿をテーブルの上に残し、トキはリビングの出入口で足を止める。
ケイノスが勝負を望むゲームは何だ。
いま、現実のトキは弱いかもしれない。
だが、ゲームの世界なら無限に死ねるし、無限に戦える。
長くバーチャルの世界と付き合ってきたトキには、その世界で勝負を挑まれても負けるという感触がなかった。
つまり、なんでも来いだ。
「ちなみに聞くけど、わざと、ですか?」
ケイノスのリベンジと、それをSRや肉体の限りを尽くす戦闘に持ち込まずに、勝負の方法を制限して相手の土俵に乗らない。
それはトキが漠然と抱いていた不戦の勝敗像である。
問題は多々あるが、これで戦い方は決まった。
「それならソフトを言うぞ。古いソフトで持っているか不安だが、『戦●の絆P』で勝負願おう!」
「持っている」
そして始まる二人のショウ・ダウン。
真剣に取り掛かるケイノス。
(さて、どんなものか)
二人を見守っているアキを見守っているリデアを見守っているミスター・シーズンの手際の良さを見守っているトキは、
(うわ……弱!)
有言実行したトキは、ケイノスを相手に真剣勝負するどころではない。
よそ見をする余裕があるほどの実力差に全力を出しかね、つい弄んでしまう。
どういう表情でケイノスをうかがえばいいのか、圧倒しすぎてまたやりづらい空気をつくっていたことに不覚を後悔しつつ、ケイノスが反省のリプレイを血眼で凝視して考察しているのを、ひたすら待って次戦に備える。なるべくケイノスと顔を合わせないようにテーブルのカクテルをやけくそに胃袋へ収める。広がるライチの味に何か食べ物で誤魔化したい衝動に駆られて台所へ視線を移すと、はかったかのようなタイミングで皿を運んできたシーズンが見えた。いつの間にか黒いノースリーブシャツを脱ぎ、引き締まった上半身を覗かせるよう小さな前掛けのみという、老人にしては体つきがいいと突っ込めばいいのか、変態ですかと突っ込めばいいのか、それとも心が読めるんですかと突っ込むべきか、真剣に悩む立ち位置を行ったり来たりしている。
「ところで、アキ君。
君は私たちの風を受けないか?」
「えぇ、知らない」
トキとケイノスがゲームで向かい合ってる最中、リデアの知的好奇心はアキに集中していた。
只ならない力の持ち主なのではないかという予感と、肌が感じている危機感が、しかし危機感を理解不可能なタイミングでしか示さない彼女をある意味で見失っていた。
色世アキという少女の根幹はどこだ。
色世トキと生きていくその理由とはなんだ。
何をするつもりで、将来何になろうとしているのだ。
「君は、学校に行っているか?」
「いいえ」
ブランデーのグラスを渡して自らはワイングラスを傾けるリデア。
それを無言で受け取る彼女には、まったくの警戒がない。
まるで動物である。
そんな印象を拭えないまま、リデアはブランデーを一口で飲み干し、一拍の間をおいて眼前で大きめのTシャツを脱ぎ捨てるアキが、やはり掴めずに困惑した。
果たして、どんな育て方をすればこんな羞恥心を微塵も抱かない娘が出来上がるものだろうか。
「……君の生まれは、ジャングルか?」
「?」
アキは次に手渡された冷水をブランデー同様一気に飲み干して、機を見計らって登場したミスター・シーズンの差し入れたるレッドチキンに手を伸ばす。
「おそらく、君はトキ君を強くするだろう。
だが、失礼な言い方をするなら、アキ君。君は、色世トキ以下だ。
強いくせに、弱すぎる。
認めなくてもいい。むしろ、君くらい若い者はどんどん反発するくらいのほうが将来有望だと、私は思う」
リデアは言う。
「反発して、それを反発されて、次に挑もうとする姿勢は、どんな苦境をも乗り越える原動力となりうる。
誰かの言葉に反発する。
誰かの行動に反発する。
自分に降りかかる状況に反発する。
自分が目を背けてきたものを反発する。
目の前で起こっている悲劇的なものへ反発する。
すべて裏返すなら、そこには明確な“意思”がある。
物事を正そうとする意識がある。
生きようとする意思がある。
変える意思がある」
室内に微風が流れ始める。
それは夏の夜の室内に流れる空気にしては鮮やかすぎて、トキもアキも、頭に血の登っていたケイノスさえ、顔を上げて深呼吸し、まるで日本の春先の冷たさをわずか残す、穏やかで暖かな日差しを連想させる風を感じ取った。
「さぁ、反論はあるかい?」
「隊長、それにシーズンさんも、あんまり無駄にSR使わないでください。また協会に注意されますよ」
「少しは冷静になったかね、ケイノス君」
三人の魔法使いが同時にグラスを空ける。
「……アキは、焦らなくてもいいと思います」
「トキ??」
ゲーム機を置く。ケイノスも。
「僕が変わって、彼女を助けます」
「うむ!」
「トキ、なに?」
「トキ君、その支援に私の風を受け取らないか!」
「うわ~隊長しつこい」
「だが、便利ではあるな」
「そう!
シーズン殿とケイノス君が言うように、私の風とはニュースペーパーのようなもの!
つまり無害!
ツ○ッター未満ゴシップ紙以上といったところの情報収集手段なのだ!」
グラスを掲げ、その中身が満たされていることに気付いたトキは我が目を疑い擦る。
「つまり、どういうこと?」
テーブルを一度叩くアキ。
彼女の上半身裸という状況に、やっと気付いたケイノスがグラスを投げ捨てて掴みかかる。
「……な、おい! はしたないだろ! ちゃんと着れ!」
脱ぎ捨てられたアキのTシャツをひっつかみ、テーブルを回り込んで手渡そうとするが、
「分からない!」
なおもリデアとトキに詳しく教えやがれと食いかかるアキに、
「 い い か ら 着 れ !!」
ケイノスが大声張りつつアキの肩を掴み、
「ィ――ヤっ!!」
否定され、
「君は女性だろうが! 恥ずかしくないのか!?」
それでもアキの手首を取り強引に着せようとするが、
「いや!」
膨らみのあるアキの胸を直視せんとプライドを掲げ、かたくなに目を閉じていたケイノスは、動物的に拒絶行動を続けるアキの繰り出す鉄拳を顔面に受けた。
グラスから皿から梱包された瓶に至るまで、盛大にもろもろをブチまけては床の上に無秩序なカクテルを赤色混じりに作る。
テーブルの上で身悶える彼に降りかかる言葉といえば作りたてのストレートよりは冷たかった。
「おぉ、ケイノス君が女性にタッチとは珍しい!」
「随分とハードタッチだな?
大丈夫かベクターの?」
流石にトキもアキの説得に入り、新しいシャツを取ってきてあげると渋々ながらそれを着てくれた。
リビングに戻ってきた時にはケイノスも鼻血を止め終えて髪を濡らしていた。たぶんアルコールだろう。着火するかな?
(あんまり暴れられても困るし、無害ならいいかな?)
と、階段を往復しながらリデアの風なるものを受け入れるかどうか悩んでいたトキだが、一階の惨状を目の当たりにしては、素直に頷いて大人しくしてもらって、できることなら穏便に魔法使いの三人にとっとと帰ってほしかった。片付けが楽になると予測し、ふと、心が読める疑惑の魔法使いが一人いることを思い出して冷や汗をかいた。
しかと目が合っている上に、妙な表情を浮かべてしかも、リデアとケイノスに目配せして肩を竦めているのだ。間違いなく心読まれている。
「トキが受けるなら、私も受け取る」
と、魔法使いに負けず劣らずの読心術を見せつけてくれるアキの戯言に、思わず「おい、どうしてだと」と言葉が出てしまう。
「トキは反対か!
それも面白い!
では、本人の意見を聞こう!
アキ君! トキは君が風を受け取ることを望んではいないぞ!」
「ダメなの?」
「俺が試しに受け取ってみる。新聞にだって化粧品にだって、お試し期間ってのはあるもんだろう?」
「なんと! 私の風が化粧品とな!」
「いや、割と正しい判断だと思いますよ、隊長」
言ってしまえば世界の情報が手に入る。
しかし、それは金融情報や災害情報ではなく、世界各地でのSRの動きに関するものだ。戦いから退く心づもりでいる今、そしてこれから、事前に起こりうるトラブルを察知・予測の要因になりうる情報を得られるのは強みだろう。
だが、アキにそれら情報を使いこなすことはできるだろうか。
自分もそうだ。
情報を有意義に活用しきる自信はない。
ましてや、日常生活や会話、そもそも常識というものが圧倒的に欠如しているアキだ。入手した風を受け流してしまう恐れだってある。
「うむ! 存分に悩めばいいのだ!」
大仰に両腕を開いて酒宴の再開と謡う魔法使い。
それから時間と酒を重ねた果てに、ケイノスと仲良く一本の酒瓶を抱えて眠るアキの横で、風使いは独りごちた。
「世界とはそういうものだ。
誰かがつくり、誰かがこわし、その狭間であらゆる人々が揺れうごく。
在るものに線を、ゼロである点と点に流れを。
誰かが創り、誰かが壊し、その中間には感情や思惑や願望が無数の交差を繰り返し、革新・進化・昇華・選出し、或いは退化や衰退、ありとあらゆる万象を実現していく。
世界中では常に繰り返されてきた。
今日まで。
名前も知らない誰かが何かを生み出す。
国籍も定かでない誰かがそれを終わらせる。
その二つを“始まりと終わり”とした時に、始まりから終わりに至るまで携わったすべての人間が線であり、当事者であり、その時を駆け抜け、生き抜いて引き継いだ流れであり…………私は、そんな輝き方をする全ての人間が、まるで風のようにどこからともなく現れ、奇跡のような引き継ぎを絶えることなく続けているこの世界が、泣きたくなるほどに好きだ。
こんな現実、辛いことはたくさんある――」
――だが、それは君だけかな?
そんな言葉を耳にした次の瞬間、アキに続いてトキの意識も夢に刈り取られてしまった。
翌朝。
色世家は非常に喧騒な事態に伴い、憚ることを知らない刃が飛び交っていた。
「ざけんなよゴラァ!」
ハルバートが酒瓶で埋まったフローリングの表面を薙ぐ。すると、その斧槍の刃から生しえた半ば実体化した戦霊たちの手が何十本もの空き瓶を掬い上げ、一本残らず正確に燃えないゴミの箱と袋に投げ込み(半分以上割りやがりながら)、足場の確保が終了したところで急いで台所を片付ける。
「なんで俺たちが人様んちの家事を手伝わなきゃいけねぇんだよ!
聖霊長官の謝状を届けにきただけだろうが!」
吼える犬面人のアヌビス・ハルバートの刃を飛んで躱しながら、アキはペットボトルを集めて部屋中を回っていた。
筋骨隆々でありながら大物の得物を振り回すハルバートに邪魔と漏らしながら、アキと、それに続いてもう一人のアヌビス:ジャベリンが、
「黙れ」
ハルバートの顎にムエタイ特有の威力の有りすぎる膝を見舞った。そんな彼女も燃えるゴミの袋を片手に色世家の廊下に繰り出した。
倒れてテーブルを真っ二つに割って、おまけに壁にハルバートを突き刺してしまうアヌビスに眩暈を覚えながら、二日酔い気味の頭を抱えることもできず、時間との競争に敗色を見出しつつある色世トキは、“5分後”には到着するであろう担任の登龍寺蓮雅によるアルコールチェックに引っかからないように全力で昨夜の飲み会の証拠を消している最中であった。
「ハルバートの分はやるから、急いで!」
台所には洗いでトキ、濯ぎでケイノス、拭きにシーズン、そして最後の乾燥にリデアが、それぞれのSRを如何なく発揮して取り組んでいた。
「ベクター、濯ぎも私がやろう。君はゴミ掃除に合流を」
「了解!」
「む!ケイノス君だけズルイぞ!」
「リデア、拭きながら私の夏風を吹きつけろ」
話を数分前にもどすと、酔いつぶれたトキを覚醒に導いたのは担任からの着信であり、平日の登校日に堂々たる遅刻を犯した理由を問い詰めるため、今から出向くという死刑宣告を受けたことを端に発し、今に到る。
とてもではないが、酒宴の形跡を消しきれるという気がしない。
むしろ、ここに居る勝手な訪問者達に罪を擦り付ければ簡単に逃げることはできるだろう。
だが、トキには逃げるつもりがなかった。
「素晴らしい速度だな、色世の」
褒め言葉を左の耳で受けて右の耳から放つトキの顔には、頭でやばいと分かっていながらも笑みが浮かんでいた。
「どうも」
ふっきれたとは違う。
自分で思っている以上に冷静でいるし、これから怒られると分かっていても嫌な気にはならない。
強いて言うなら不満しか口にしないアヌビスがうざくて仕方ないが、でもそれだけだ。
食器洗いを手伝ってくれるシーズンリデア、酒器を片付けるアキやジャベリンやケイノス、文句ばかり言いながらも誰よりも片づけが早いアヌビス・ハルバート……いつの間にか混じっている、父:色世キョウとその部下(?)であり前髪が水色のメッシュというアリス・アンダーグラウンドによる食器の収納とテーブル修復と換気と冷房のスイッチオン。
それらを視界の隅で認識しながら、倍速で食器を洗ってシーズンの担当エリアに泡だらけの器具を次々と放り込んでいくトキは、その騒がしさにやっと、安寧の理由に気付いて、しかし、その背後に、いつの間にか訪問と潜入を終えていた担任――しかも飲み干して転がっていたであろう酒瓶を一つ握り締めて肩を震わせている――登龍寺蓮雅の存在に気付くことなく一言。
「(家族って)温まって、いいかもしれない」
この発言が「(お酒って)温まって、(略)」と担任にある程度誤解させ、後頭部に制裁の踵落としを食らうまでに5秒もかからなかった。
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それが彼女の抱く感情である。
確かに終わりが近づいている。
一人の物語の終わりが。
(いや、終わるだろうと思ってしまっているのは私だけか)
ある意味で、その者は終わる。
そして、次を迎えるのだ。
また始まる。
それまでとは異なる新たな人生。
自分自身の力で変えてみせた、二つ目の人生。
かつての自分を振り返りながら、彼はこの先も困難と立ち向かい、喜怒哀楽に暮れながら、現実という荒野を進み続けるだろう。
「最後に、付き合ってもらうわ、トキ」
陸橙谷藍。
鬼の子として戦い続けてきた人生で、初めて自分から結んだ約束を果たすために、一通の書状を投函した。
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