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Second Real/Virtual  作者:
68/72

第67話-刻の檻-

【あらすじ】

 戦場の中央上空に現れた協会長の切り札、秘龍ノア。

 それを機点に、協会の防衛戦を一気に突破した四凶軍は烏合の衆を用いた最後の攻勢に移る。協会も必死の抵抗を試みるがキュウキの切り札、カテゴリーキルの最大攻撃魔法陣:ノアの箱庭が徐々に防衛戦力を削ってゆく。

 一方、上空のノア体内で繰り広げられていた戦闘も終盤戦を迎えようとしていた。



 

 

 -ノア直下-


 広域選別式除外魔法陣:ノアの箱庭。それは使用する術者自身を代償とし、魔法陣内に存在するあらゆる現象を一時、あるいは永久に消滅させてしまう、人ならざる身であっても神業と言い張れる攻撃力を持った奇跡である。



『有翼』



 戦場全体に響き渡る術者、キュウキの声に容赦なく絶望が降り募る。

 真っ先にそれが終局への加速を誘う策であると気付いたのは、哭き鬼の長女:カンナであった。



「空の奴ら、大丈夫か!?」


「ダメだ!」

「すまない、援護はもう……!」「もう消えちまう、クソッ!」



 一度は意気消沈とした四凶軍だったが、キュウキの広域魔方陣の発動と同時に再度の猛攻を仕掛けてきた。

 最後の切り札たる魔方陣“ノアの箱舟”を見せつけ、更に死体を“機動力を欠いても数だけは不足しえぬ駒"として駆り出し、終始見せていた数による圧倒を再開する。個々の戦力は生身の人間以下と言えるゾンビではあるが、それでも数が絶望的に多く、しかもその中に戦力温存に成功したSRや武装兵が紛れているのだ。単純な足止めさえ困難な状況下、ノアの箱庭と残存兵によるカテゴリーキルやスナイピングにより協会側の被害は秒針の歩みと共に拡大の一途を辿った。



「何としてもここを死守します!」



 既に五百を切った協会の戦力の中で、残存兵力を鼓舞しつつ果敢に侵攻を防ぐ第一人者たるジャンヌは、解放したSRのフィードバックたる空腹が腹痛に変わり、内臓が痙攣し始めるのを堪えながら剣を振り続けていた。



(ノアの時間吸収は止まったみたいだが、キュウキのこの術はもっと厄介じゃないか!)



 ジャンヌと共に螺旋回廊塔の入り口を護る哭き鬼の長兄アサも、押し返すことさえ敵わぬ軍勢を前に焦りを隠せなかった。ノアに制御を奪われていた螺旋回廊とその中にはびこる木目兵が消えてくれたことが数少ない朗報であり、司令塔のあったその場に生まれた空間に恵まれた回廊塔は、協会側にとって援護と延命を両立させるに都合のいいオブジェとして機能していた。逃げ場を空中に、それも外壁に覆われている螺旋回廊は文字通り退路のない協会にとって唯一の活路。



「……?」



 ジャンヌとアサが討ち漏らしたゾンビが螺旋塔へ迫る。が、回廊内で隊列を整えた防衛部隊の弾幕に数度目かの終わりを迎えて地面を隠し、その上にまた新たなゾンビが次々と倒れこみ、崩れこみ、それらを利用して銃撃を防ぐ伏せ場を形成する。



『……結界』



 その時、艦砲射撃がゾンビもろとも防衛線に紅黒蓮曜の柱を立てた。本部を護っていた対狙撃・砲撃魔法が消失したことを耳で、直撃を受けた外壁の樹木片が回廊内部に降り注ぐ状況に直面し、辛うじて回廊に逃げ込んだ大半が土嚢形成を中断する。

 降り注ぐ恐怖に駆られて上へ逃げる者がいれば、思わしげな状況に痺れを切らして外へと突撃を再開する者もおり、中には砲弾を受け止めんと外壁を登り始める者も出始めた。だが、そんな分かりやすい混乱が渦巻く只中において、セブンス・ヘブン・マジックサーカスの副団長であるゲイリー・ポルシカの視線は哭き鬼の長女の佇まいにキツく注がれているばかりだった。

 獣の視線に気付いているのか怪しい彼女の口からは何か言葉が漏れていた。



「そういうことか」



 この戦場において万獣王の名を欲しいままにするポルシカの他に、徒手空拳でゾンビの群れに立ち向かっていた鬼の、カンナの動きがいきなり鈍ったのを多くの者が目撃したのだ。

 大多数には不可解な減速だが、はっきりいって、彼女と過去に面識のある――とはいっても微々たるものだが――ポルシカは、リクトウヤカンナという人間が考えごとの得意な人間ではないということをそれなりに理解しているつもりだった。哭き鬼の一族の中でも特に喧嘩っ早いのは、単に口よりも手が早いからだ。しかし、単純な戦闘能力だけで言うなら間違いなく、鬼の種族の中でも上位である黒鬼にさえ匹敵する腕っ節を誇る。



「……お前、消えちゃいなかったんだな」



 そんなカンナが考えることは稀であり、厳密に言うなら体感して初めて気付くというケースが日ごろの常である。予習よりも即実践。それが手っ取り早いと主張するのがカンナである。だが、得意な『戦いの中』でそれに遭遇するということは滅多に発生しえない、レアケース中のレアケースと言える。

 故に、



「私の力――!」



 その感覚を手に取ったカンナは最初疑った。疑いつつも間違いなく新たに発見できた自分の力に意を突かれたからこそ動きが鈍ったのだ。



「アサ!」



 哭き鬼4兄妹。

 それはある意味で有名な呼称であった。長兄と三姉妹は鬼の中に於いて陰陽術を模した魔法や、伝統性を完全に断絶させるような、到底金棒とは言えない金棒を使うのだから。



「大丈夫かカンナ!?」

「私のソウエンあった!」



 その中でただ一人、金棒:リカイソウエンを持たずに戦い続けてきたのが長女のカンナであった。



「ぇ……なん、何だって!?」

「聞こえたんだよ、藍の“蒼媛”みたいに声がさ! やっちまえって言うんだ!」



 徒手格闘だけで喧嘩を続けてきたカンナのスタイルは八つ当たりを起源としていた。どうして自分だけ金棒を振ることができないのかと、最も身近にある力だけで暴れ回ってきた。

 鬼にとっての金棒とはつまり個性や力のステータスでもある。それを持たない鬼は無力か病気持ちとして差別される風習があり、それをカンナは戦い続けて否定して力を主張し続けてきた。だが、いつでも導き出す結論は軋轢や破綻でしかなかったのだ。



「見てくれよ、これがアタシの――!」



 カンナの全身を砲弾の巻き上げる粉塵紅蓮が巻き隠す。

 完全に爆風に飲み込まれたカンナを、目を見開いてアサは生存を認め、我が目を失う光景が次の瞬間から始まったことに意止められた。

 爆炎の赤とは違う、もっと暗い赤色の発光をみせる霧状の何か。それに纏わり憑かれたカンナが不透明の中から飛び出す。両腕を広げ、プロレス技でいうダブルラリアットの体勢でゾンビの壁に激突していく。肉壁の厚さは数十メートルでは収まらない、数百メートルにわたって形成されている人津波だが、それをカンナは一人で押し返して止まらなかった。

 まるで巨人の攻撃を思わすその現象こそ、カンナだけの『リカイソウエンハカイ』、その音が持つ名は――



「理潰、装煙(ソウエン)覇界ぃ!」



 彼女に纏わり付く紅が、彼女の一挙手一投足を意のままに延長させて暴れ始める。



「うげっ!」



 アサはつい嗚咽にも似た悲鳴を漏らした。

 腕の一振りで四凶軍の人型がウェーブと舞う。



「あれも鬼の力!?」

「ジャンヌ、今のうち医療部隊と合流しろ!

 不本意だが、カンナのあれなら四凶軍を防げるはずだ!」



 正拳突きの一撃が、人波を縦に割って後方に控える駆逐艦までの道を一時的でも拓く。足場も味方の防衛陣地も破壊することなく、四凶の軍勢だけを的確かつ大胆になぎ払うカンナの攻撃に、未知の攻撃を目撃したジャンヌが目を見張る。



(私の拡散斬撃よりも速い!)



 それは誰にも止められない四肢、体躯を問わない巨人さえ殴り落とす腕力。 理潰装煙覇界。 気付けばすぐ隣に降り立っていたアサに腕を引かれながら、ジャンヌはカンナの金棒の正体を耳にする。

 カンナが物心つく前に封印していた最高の攻撃範囲を誇る、金棒らしからぬ金棒。子供にでも持ち上げられる球状の軽金属ではあるのだが、そもそも力を発揮すれば形状を失うそれは、使い方も鈍器としての金棒とは一線を画し、鬼どころかあらゆる武芸者から陰陽師、呪術師、魔法使いに到るまでが使用権の獲得を諦めた、ひねくれどころかネジレた代物だった。

 しかし、それの所有に成功した者には絶大な破壊力を約束する。そんなキャッチフレーズに長きに渡ってこの得物はもてはやされた。



「凄い……まるで巨人の腕が振り回されているみたいだ!」



 前線へ狙撃を続けていた防衛部隊からも感嘆の音が飛ぶ。逼迫する状況下で遅滞し始めていた弾薬の補充と再装填、更に隊列の再生や負傷者の治療などを施す十分な時間を受けつつ、戦況を五分に留め返してくれたカンナに装填の終わった者から負けじと戦線復帰する。



「あれを纏っている間はカンナに近づくな!」

「邪魔になるからですね!?」



 頷くアサの険しい表情はジャンヌの予想していたものとは別の可能性を強く示していた。

 医療兵二人が作業を始めるのを見届けてからアサは戦線を視線を戻す。



装煙覇界(あれ)の、最初の犠牲者が僕なんだよ!

 今はどうか分からないが、カンナに制御し切れるのかどうか……!」



 金棒を両手にとって身体も前線へ向け、ジャンヌへ守護の意志を宿した背中を残してアサは大きく深呼吸した。



「俺達がいつまで消されずにいるかは分からない。

 ジャンヌ、協会ナイトメア連合の司令官である君とミギス・ギガントは存命だ。上空の戦場が如何なる状況であろうと……絶望に塗れていようとも、生きてさえいれば全てを覆すことだって出来るんだ。

 いまここに心音を刻んでいる私や、集団の機能を失っていながら我らを追い詰めているキュウキのように、たとえ希望皆無の地獄であろうと、生きてさえいれば、生き延びた先にいつかは巡り合える奇跡がある!」



 足元より襲い掛かる見えない衝撃が四凶軍の群れの中にいくつもの人柱を立てる。理潰装煙覇界によるアッパーカットだった。

 螺旋回廊の麓に設えられた最前線医療地点より、防衛線に戻ろうするアサにジャンヌは一言だけで応じた。



「分かっています、信じる心を曲げずに立ち向かう。万民のための剣は決して欠かさない!」



 総大将の意気を一時は疑っていたアサだが、背後で回復の陣地へ素直に座り込んだジャンヌの声を拾い、思わず笑みが浮かぶほど、どこかに疑念を見失った。

 脳裏に蘇る幼少の頃のトラウマに僅か震えながらも、戦線を保っているカンナの金棒を見つめる。

 理潰装煙覇界――その正体は、霧状に展開され武装された呪われし鬼の断片。生きる金棒。

 集団を問わずに鬼の間では生死綴繋と並び神器扱いされてきた特別武装。藍やスミレが持つ生死綴繋の二振りが、生死への悟りを拒絶する幻想から具現される得物に対し、理潰装煙覇界は鬼の誰もが持ちえるはずのステータスでありながら特別な具現条件を持つ目に見える幻。



「どこにいるキュウキ!」



 最寄のゾンビ軍に突撃したカンナの拳足が死体を再起不能なまでに撲り散らしていく。

 元々、理潰装煙覇界は誰にも扱えないということでその力が信憑性を皆無に等しい程まで落としていた。程なき信頼のなさは力としてのステータスとしても無力なる者へというレッテルを貼られて、鬼の種族において力争いや闘争を拒絶する傾向にある哭き鬼に、嫌味として他族の鬼が送りつけ、それをどういう経緯でか誰にも分からないが、当時大人でなく十代に成り立ての子供であったカンナが所有し、



「援護するぞ、カンナ!」



 力無き者として絶望していた子供のカンナに、全ての現実を捻じ伏せるだけの破壊力を与えた。



「応!

 アサ、反対側の防御は任せた!」

「何割だ!」



 半径数百メートルという範囲が一瞬で“殴り/薙ぎ”払われる。



「2割の範囲でも守ってくれればそれでいい!

 あとは全部私がぶっ飛ばしてやるよ!」



 ゾンビに放った回し蹴りが、理潰装煙覇界の力で拡大強化され、遥か後方に控えているはずの空母を中心としたの艦隊に一針割撃を与え、大小転覆させ、縦横を破断させ、肉と鉄を藻屑と飲み込み、更に強烈が過ぎるインパクトに立ち上る水柱が数隻の船を転がした。動作の一つで数百から数千もの戦闘単位を減らすカンナの攻撃を、より長時間続けさせるためにアサや防衛部隊も侵攻阻止に参加する。



「上のノアさえ止まれば勝てるんだろ!」

「藍やトキを信じよう!

 メイトスやコントンも向かったんだ、おそらく……!」


『勝てる!』

「いや、勝つんだ!」






 -ノア内部 脊髄通路-


 決着は、誰が想像するよりも遥かに早く訪れていた。

 無数に転がる残骸躯の中で堅く黙したメイトスと、白純血神殿から退避した藍の視線が一点にとまる。そこには全身を返り血で汚し、木片の粉塵を髪や肩に引っ掛けながら、それらを一切払おうともまばたきの一つもせずに最後の吸血鬼を切り捨てる鬼がいた。

 スミレがメイトスを戦力として期待していなかったのと同様、哭き鬼たる三女のスミレも、メイトスからは戦力として認められていなかった。しかし、現実に双方は認識を改めなければいけない事態に陥っていた。

 哭き鬼が思うに、メイトスは協会の方針に反発した勢力の筆頭を飾る孤独な実力者であり、思慮深い人物でもあることはなんとか知っている。対してメイトスは哭き鬼の三女、スミレの実力を叩きつけられて驚愕に声を失っていた。



「すげぇ……」



 白純血神殿から戻ってきた藍にもハッキリと“脅威”を伝える光景が脊髄通路に広がっていた。

 防衛部隊、部隊長SR、そしてメイトスに欠員は皆無、全員がほぼ無傷で残骸の海に佇んでいた。それがスミレの叩き出したスコアであり、結論を言えば要所を制圧し終えていたのだ。



「脱出口ができたぞ!」



 防衛隊からの歓声は、直後の震動で緊張を取り戻し、戻ってきた藍へと質問を絞らせた。



「トキはどうした!?」

「決闘中よ!」



 見当たらない出口を探す藍は、左腕で吸血鬼を担ぎ、右手で茫然不動の妹の手を引く。

 入り方こそ情報として、確かではないが仕入れていた藍だが、出口に関する情報は皆無であった。逆にそれを知り、確信して行動する防衛部隊の迅速さも理解が及ばないところではあった。が、とにかく白純血神殿内外の戦闘で大扉がすでに半壊しているいま、脊髄通路さえ安全地帯とはいえなかった。神殿内の白純血が室内にのみ展開するという都合のいい物質とはとても思えなかった。


 ――やはりトキの戦いへ助勢すべきだろうか?


 決闘という誇りある戦いに水を差すのも気が引けるが、ここが戦場の一部でしかない上に逼迫した現状では誇りも誓いもあったものではないはずだ。勝たなければ一切の意味が無へと帰す。それが戦争するということであり、あらゆる常識を極端に尖らせた場所であるのだから。



「スミレちゃんをお願いします、あとこれも」

「もどれ哭き鬼、お前如きが及ぶ時間はすでに、ない……!」



 妹と吸血鬼を防衛部隊に預けた次女の背中にぶつけられた否定の叫びは、一刻を争う只中で全員の足を止めた。



「会長も中にいるんだ! この世界のため、正しい流れのためにも手出しするな!」



 初めて目撃する完全否定の男、見据えるその一面を前にして藍は無言を通した。

 背に選択を受け止めつつ蒼媛を手にして踵を返し、メイトスの横を通過してゆく。

 力づくで止めに入るかと思っていたが、メイトスは共に歩み始めるだけだった。



「言っても聞かないのなら確かめるがいい、それだけであれば問題はない」



 理想は、現状が悪化する前に会長とトキを白純血神殿内から救出すること。

 だが、いざ出入り口に到達して中を覗き込んでみれば神殿内に動く人間はなく、粘度の高い白純血が時間に比例し、重力には反逆して足場を凍りつかせていく光景ばかりが眩しかった。

 会長の姿はどこにも見当たらない。

 目視できるトキとコントンは至近距離で向かい合ったまま微動だにしない。神殿のなかに居る人と呼べるものは静止した二人だけだった。



「トキ、起きて! 白い血が!」



 しかし。

 静止していながらトキとコントン、二人の戦いはひそかに続いていたのだ。






 -遠く閉ざされた場所(クラシックケージ)-


 トキが我に返ったのは、景色とコントンの表情が変化してからだった。

 闇の中の白い息。

 硬く冷たい石造りの道の上。

 濡れた夜闇の中に聞こえる息遣いは二人分だけ。

 周囲を建物に囲まれているものの、その場に生活感は皆無だった。周りは全て廃墟かなにかだろうで、今いる場所は路地らしいが。



「何を……したんだ?」



 そんな場所で3人は覚醒したのだ。

 尻餅ついて息を荒げながら困惑と恐怖の入り混じった視線を投げかけている少年期にあるフィング・ブリジスタス。その身に纏う布が辛うじて服として機能し、次いでやせ細った彼の身体に気付いたトキは眉を僅かにしかめた。

 同時に、フィングとトキの間で膝をついていたコントンが立ち上がる。



「……何をしたんだ、トキ?」



 フィングの視線を受けながら、立ち尽くしていたコントンは幽鬼のように振り返り真相をトキに求めた。それまで脅威とは何ものぞといわんばかりの威勢を保っていた――例え虚勢であろうとも――コントンの強気だった表情が、いまこの瞬間ばかりは血色も失くしたような、まるで悪夢にうなされて起床したかのように汗水を流している。

 いや。暗闇で分からなかったが、よく見ればそれは赤黒くて粘度の高い、血液のようなものだった。そして、それを浴びているのはコントンだけではない。コントンを見上げているだけのフィングも、ぼろきれ同然の衣服を赤黒く染めていたのだ。



「なぜ、これが今更!」



 吼えて殴りかかってくるコントンを、トキはひたすら見守った。

 危機感皆無の理由はその直後に展開された。



「違う、俺じゃない、俺じゃない俺じゃない!」



 不動のトキも含めて景色は回っていた。

 トキに殴りかかったはずのコントンは拳を空振りに終わり、尻餅をついていたはずのフィングは隠し持っていた何らかの凶器を手に握ってコントンの懐に潜り込んでいた。

 刺したらしい。まるで映像のシークバー操作によるスキップのようだった。アングルが時間軸ごと飛んで変化している。



「何が違う……お前が殺したんだろう……」



 怒りか恐怖か、とにかく微かな震えをあらわにコントンは眼下の子供(フィング)を見据える。



「違う! 俺じゃない、これは――!」



 トキは気付く。フィングが手にした得物は、遥か後方の闇に置き去りにされた“誰かの死体”が持っていた能力、錬金術で作った刃物だったと。



「お前の、妹のものだと、またそうやって言い訳するか?」



 ステージが変わる。

 闇も骸も、飛血さえ消えて、炎に揺らめき火の粉舞う森が広がる。

 遠くに悲鳴と凶声を、近くに赤く映える水溜りを震わせ、響かせ、闇夜を切り裂いて浮かび上がる戦火の森。そこは絶望に奥深く、しかし無数の怨嗟が熱気と溶け合う熱き闇であった。

 フィングとコントンの正面対峙は、焦げ(くすぶ)る土の上。

 炎にも負けない熱意を持って互いに短剣を向け合っていた。



「フフン、いい加減に認めたらどうだ?

 お前は人殺し。

 俺と同じSRという人種でもあるのだ。仲間だ」


「俺じゃない……俺じゃない……」



 否定が歪に変換した怒りを切っ先に束ね、フィングがコントンに斬りかかる。

 初撃をいなして難なく懐に入り込んだコントンの刺突が太股に深く突き刺さる。

 熱風荒ぶる秋森の中で、黒焦げの地に片膝付いてフィングはナイフを投げつける。が、コントンはその刃を素手で掴み取り、鮮血と共にフィングへと返した。



「おい、もう消えろ」


(フィングさんが負けて……コントンがここで生き延びるのか?)



 ナイフが心臓を捉える。

 それを押さえて倒れこむフィングを見送ったコントンが、踵を返して改めて視線を送ってきた。

 正直、どんな因果がこの二人にあるのか正確にはわからないが、



「俺達の記憶を傍らから見守る気分はいかが―――ぁかッ!?」



 額に水玉を浮かべたコントンは、言い切るのと同時に悪寒を覚えたらしい。一瞬だけ作った笑みを失くして振り返る。

 それをずっと見ていたトキは無言の姿勢を護っていた。見届け、見極めなければ“事”を成すことはできない。そんな予感がした。



「お前が消えろ、消えてくれ!」



 傷口の塞がったフィングが、今度は二本のナイフをコントンに突きたてた。

 頚動脈と脇腹。

 それはがむしゃらに放たれた殺意ではない。決意を溜めて打ち込んだ一歩、大きな矛盾を抱えた一撃であった。

 『人殺しを拒む故の人殺し』

 だが、圧倒的に相手が悪すぎた。



「妹も、そうやって刺し殺したのか?」



 四凶の放つ響きが、脆き人殺しの凶を深めていく。心を殺していく。

 よろめく四凶がついには前のめりに倒れ、フィングもその上に重なるように、重すぎた心労に意識を失って倒れ込む。

 はたして彼の痛みは如何ほどだったのだろうか。

 理解が追いつく前に、またしてもステージが変わる。


 青、白、また闇。

 四凶と錬金術師はそこに溶け込む。

 先ほどまでの遠い喧騒のあった焼黒の森から一変し、今度は足元に水面が広がり、周囲には無数の結晶が散りばめられた浅瀬である。温度差はそれほどないが、冷涼感の強いこの場にはつい寒気を覚える。

 そんな場所で“コントン”は二本腕で上半身を水面から押し上げた。うつ伏せていたせいで前髪が視界を塞いだ。滴る水に瞼を上下させ、髪を掻き分けながら立ち上がり、石の座につくローブの男に気付き、しかし――



「これは誰だ?」



 四凶の問いに黒いローブの男は無言だった。

 男の隣に佇むトキも、全身ずぶ濡れのコントンを静かに見守る。



(そう言えばフィングはどこ? あの森で死んだのか?)


「誰だ、誰だオイ!」



 コントンが自分の顔に手を運び、そのつくりを確かめるかのように頬や鼻や額から、耳や顎、頭髪から眼球に到るまで触れ、そして最後には全身に高熱を灯して大声を上げて叫んだ。

 水面に鏡面を求めるが、狼狽によって波立ったそこには歪んだ光が弱々しく乱反射するばかり。



「――誰なんだこれは!?

 俺の身体はどうなったんだ!?」



 無言で石の上の男が指差す。

 その先にあるものは、浅瀬の結晶の間にある輝石の中でも特に大きく、また特に輝く最高級に人工的と言える結晶の姿見であった。



「目覚めたお前は、果たしてコントンか?」



 そこに映った姿を見たコントンの思考が、行動が、呼吸から感情までが、しかし最も溶け出して欲しいはずの“輪郭”だけを残して全てが凍結した。



「それとも錬金術師のSRたる妹を殺した、再現のSRか?」



 結晶の鏡面に正常な怒りを取り戻した拳が、否定に塗れて自身を見失った頭が、嗚咽とともに感情のままに、打ち込まれ吸い込まれ取り込まれ、ついには暴走を始める。



「……哀れな」



 その一言。

 束の間の混乱の只中でありながらもコントンを呼び戻す。

 姿見を打ち砕いた拳が掴み取る、殴り壊した結晶の破片が散弾のようにローブの男へ迫る。

 また流血が始まる。ステージの変化が訪れたのは、ふとそんなことを感じたタイミングであった。



「ぐ!」

「何だこれは!?」

「水、いや血だ!」



 破片は景色の変化と共に形状を変え、血液で固形化されたスローイングナイフへと変わっていた。それらは正確に突撃してきた三人を射止め、風に砂煙をたてる地面へと伏せてゆく。

 その後もトキに向かってくるナイフは全て、背後より輪郭を透過して突撃する彼らに吸われるよう突き刺さっては命を刈り、役目を終えると同時に硬質を失って本来の血液に戻る。



「ハハ、誰の血だと思う?」



 困惑の表情に笑みを混じえたコントンが涙を流しながら投擲を続ける。

 月下に冷める砂漠の町中で殺戮はクライマックスを迎えた。

 特殊部隊らしき装備の面々に混じり、見るからに現地民の自警団らしき武装した老若男女が、たった一人の四凶を仕留めんと命を散らしていく。

 何が目的の戦闘か。

 何を求めての殺戮か。

 繋がろうとしていた経緯の点と点、予測を遥かに上回る異常に現実までの距離が開いた気がした。トキはそれに焦りを覚える。



「なぁ、教えてくれよ。何だ、これは?」



 殺す相手に問うてか、あるいはこの術者に問うてか。

 自動小銃を手首ごと奪い取って乱射するコントンは問い続ける。



「これが現実で、いつか過去になる出来事で本当にいいのか?」



 彼は、厳密に言うところのフィング・ブリジスタスだとトキは思った。

 返り血と涙が混じる戦場の禍央に在る四凶。

 そいつに取り込まれて生きている人格が在るという現実。

 否定しきれない殺人を数え切れないほど行っている、取り込まれた彼らの現状。

 もしくは、コントンに身体を奪われているという屈辱だろうか。

 コントン・フィングの笑みは、ただ悲しさばかりをトキに伝えた。



「なぁ……」



 弾切れの自動小銃を握り締めて俯くコントン・フィングは足元の死体に涙を落とす。笑みを残した顔で。



「誰か、応えてくれよ……」



 そして、誰もいなくなった町の中で一人。

 砂風に返り血を隠しながら四凶は本当に独り。

 すべての熱がなくなったも同然の町で月を見上げ、怒りに震える拳を自動小銃と共に空へと掲げる。



「俺が、殺したいんじゃないんだ」



 握られた得物を下ろす時、更に時間が進む。

 ステージが変わる。

 震えていた手は赤黒く染まり、頭上に現れたらしい誰かの頭部を切り離されて墜落するのを目撃する。

 首根っこから下が落ちる。手すりに絡まろうとする首なし体は、重力に飲まれて螺旋階段の吹き抜けを進み、四肢を幾度か手すりにぶつけて終わりを迎えた。

 白黒タイルの踊り場から見上げてトキは、目の前にいる男がフィングなのかコントンなのかよく分からなくなっていた。

 螺旋階段に目視できる死体は五つ以上。水場と縁遠いこの場を滴らせた上に直立する混沌は、惨劇の中心にいた。それら全ての死因が斬撃によるもので、このフィールドにおいてそれを装備しているのは引きつった笑顔の四凶ただ一人しかいない。



「お前らが殺されに来ている」



 一人呟き、踊り場に降りてくる四凶がよろめくように一歩、弾痕の連なる石の壁に身を預けるようにし身体を預ける。

 散らばる破片は壁の石粉から手すりの木片、人肉までさまざま転がっているが、四凶はそれらに(つまづ)いたわけではない。



「違うだろ、違うだろう?

 俺が行っているんじゃない、彼らが逝っているんだ、だから俺は彼らに言ってやっているんだ」



 優しい日差しが頭上から降り注ぐ無人ホテル。

 その中で繰り広げられた殺人は、カビの匂いを覆い隠すほどの血臭を漂わせ、視認できる以上の死人がこの箱の中で発生しているのだと気付かされるほど、耐え難い異臭で満ちていた。



「……誰に、何を言っているんだ?」



 トキは聞く。

 彼は死にかけているのだ。

 コントン・フィングに外傷は一切見られないものの、なぜかそういう予感があった。


 四凶は答える。

 死に掛けの己を自覚している。

 だからこそ、誰かの評価が欲しかった。

 自分ひとりだけのものと胸を張って言える輪郭が欲しかった。

 その殺人への否定が唯一、安心の拠り所であるのだから。

 殺す意思はない、でも自分の前で人が次々と死んでいく。だから、これは俺のせいじゃない、と言い聞かせるのだ。


 しかし分からない。

 思い当たる節はいくつかあったが、トキが知る限りコントンとフィングの身体操作権利は両者にあるらしい。だが、クラシック・ケージ内の彼らを見るに、意識はフィングの側にあっても、身体を操っているのはコントンのように思えた。

 そこに絶望が生まれるよう、コントンが彼の四凶を意図的に深化させているとう見解もできる。意思に反して行動し、それが心を壊していく。だが、それ以前に疑問が多々残っているのだ。



「コントン、お前は何年生きているんだ?」



 クラシック・ケージで最初に見た湿気った路地裏。その時の二人の服装から推測するに、現代から数えて数百年も前の時代なんだろうとトキは思った。

 焼けた森でも二人の容姿や服装に大差は見られなかったが、結晶の間で見たコントンは間違いなく年輪を十年単位で重ねていた。服装や凶器、周囲の構造物から髪の色まで、間違いなく背景が変化するごとに年代は飛び進んでいる。螺旋階段のステージに至っては、ついにマシンガンという兵器が登場するほど現代時間に近づいている。転がる死体の握ったシカゴ・タイプライターの様子から少なくとも百年以内であるということは分かる。



「俺は死んで、そう、死んでいるから殺すことなんてできないんだ」



 引きつった笑顔が崩れる。

 右手に収まった剣を杖代わりにして、辛うじて倒れないよう前屈みになって支えられる四凶。

 コントンが顔を出すと、まるで呼応するかのように景色が変わった。陽光が消え、闇が広がり、不思議な温もりが全身にまとわりついた。



「お前は俺の生を拒むか?」

「……いや、分からない」



 手から剣が消え、代わりに木でできた長椅子の背もたれが、疲れたコントン・フィングを支える。

 燭台の炎が寂しげに揺らめく次のステージは異国の教会であった。



(フィング)は拒まない。むしろ歓迎しよう。

 だが、(コントン)はダメだ」



 声の主は祭壇の前でこちらに背を向けたまま、手にしていた指し棒を丹念に拭いている。

 その神父は頑強な体躯でありながら、年齢を悟らせるに充分な貫禄ある白毛を見せる老人だった。



「俺の何がいけないっていうんだ?

 それを是非とも教えてくれよ、反抗勢力の真の覇者たる神父様よ」


「自覚があるのなら言うまでもなかろう。

 四凶の渾沌たる君は再生のSRと出会い、犯し、吸収して己が欲望のままに走り続け、何者の良心をも跳ね返すよう深化を重ね続けている、まさに混沌そのものではないか。

 さて聞くが……コントン、一体君の中にいくつの個性が消えていった?」



 決して振り向こうとしない男の声は、だが不自然なほど鮮明に聞き取れた。



「君の中の現実はどれが本物だ?

 あるいはそれら全てを束ねたカオスこそが真の現実と強調するか?」


「我思う故に我在り、なんて言えば認められるかな。そんなワケないよな?」



 長椅子に腰を落として大きく溜息をつき、コントンは視線を真横のトキに向ける。



「我思う故というなら、どうして俺の中の者達は反抗を続けているのか。体と心の主導権を一時的に奪っていくのか。

 アンタが言いたいのはその辺だろう、疑問に抱いているのはそこだろう。

 この身体は誰のものか、この意志は誰のものか。

 故に、俺という混成輪郭は個人を主張する権利を有するのか、存在を現実として、個々と認めていいのか」


「まさしく、だ。

 君は魂と輪郭に破滅的な不一致をきたし、それが関わる人々の悪性を深め、生命を根絶やし、個人という神性を渾沌とさせる。

 君の現実(さいしょ)はどこか、どんな因果(のうりょく)から始まったのか、正直私には分からない。

 ただコントンとして動く君は間違いなく何らかの方法で他人を取り込む力を有している。だからフィング・ブリジスタスの能力も入手できた、そこから爆発的に他人のスキルやパワーを我が物として再現するようにもなり、取り込んでは輪郭の混濁化という事態に到った」



 ヒビが走る。

 石造りの柱やアーチから石片が飛び出し、ステンドグラスが砕け落ち、木製の長椅子が小さく一度だけ震えた。教会内に響いた一瞬の破壊痕から目を戻すと、長椅子を離れたコントン・フィングが神父の背中に回り込んでリボルバーを向ける瞬間だった。



「あんたは俺という色を認めるか?」


「はて、どうかな。

 ここまで聞いた話からの推測ではあるが、現状で君は内側を整理し切れていないようだ。そのことから相当数の個人が君に取り込まれたのだろうな。人は一生のうちにどれだけの人間を正確に記録できるか、その平均数値を知らない私でも、200以上の友人を覚えているわけだが、君のはそれをも上回るっている可能性が高い。なにせ輪郭制御が追いついていないようだからな」



 殺意を神父に向けたまま、コントンのエンフィールドが銃弾を吐き出し、祭壇上の十字架に弾痕を穿つ。それが神に対する意志表明なのか、あるいは焦燥や否定など負の感情の表現であるのか。

 その心情こそトキには分からなかったが、コントン・フィングが答えに急いでいることだけは漠然とその姿勢から理解できた。



「神父、お前は何年、何百年生きれば気が済む?」



 それはコントンの質問だった。



「わかった。君が真実を聞くなら答えよう」



 対して、神父は職務を放棄して四凶へ、一個の四凶として対話する。



「真実……俺なんかにそんな現実が訪れるのか?

 それは俺だけの輪郭なのか?

 それとも完成した個なのか?

 回り続けて止まらない世界が、終わりを迎えるっていうのか?」



 食いついたのはフィングだった。

 神父に向いていた銃口が一度床に向き、役割を思い出したのかフィング・コントンが持ち上げるリボルバーの銃口は、自らのこめかみへと向く。



「――その混迷、肯定と受け取った。

 よかろう。

 “君は望まなかった現実の、歪んだ幸せを手にする”

 それは離別であり、決着でもある」



 神父がゆっくりと振り向く。

 手にした指し棒の先端をコントンではなく、トキへ向け、更にその背後に控える大きな扉へ、そして宣言する。



「聞き給え。

 力の源を探すならその方角へひたすら真っ直ぐ進むのだ。

 そして全てをあえて受け入れろ。それが君の願望が一つ、真実への道。そして――」



 一瞬、コントン・フィングの記憶の中にいるその神父の視線がトキと交わる。



「――フィング・ブリジスタスが果たせなかった 決着への未来路 だ」



 神父の前で、四凶は自身の頭部を吹き飛ばす。

 一般的に見て自殺以外の何者でもないこの行為は、しかしSRさえも複数渾沌させている男にかかれば死に到るほどではない。流血の一条さえ発生しない自身への発砲は、超硬質化された頭皮によって弾丸を跳ね返しており、破壊どころかかすり傷一つありえない。高速物質が頭部に激突したという現実に間違いはないが。

 衝撃で脳を揺さぶられたコントンはあぼつかない足で出口へと向かった。



「ククッ、ハハハ!

 上等なんだよ、パパ・テスタメント!

 混沌が終わるだって?」


「あぁ。

 ところで、私はここで来るべき終わりを待ち続けているよ。それが私の寿命だ。いつまで生きていられるか、それは私にも分からない」



 有り得ないと(わら)いながらコントンが教会を後にする。


 トキは、心許ない足取りで去る四凶の背中を追って扉を潜る。その視界に、いかにも都会の路上といった雑踏の濁りと騒音に埋め尽くされた次なるステージが飛び込んきた。

 そこは完璧に現代の自動車や人波が行き交う大都市、その電気とコンクリートと金属に包まれた交差点である。

 人ごみに紛れたコントンは頭を押さえながら交差点を大股で歩きゆく。



「有り得んさ……!」



 混沌が絶えるなど、実現しうるはずがない。

 それはつまり人間の根本の否定であり、変化・進化の拒絶だ。

 パパ・テスタメントは言っていた。終わりへの道だと。フィングの願い“混沌の消滅路”だと。

 ありえないのだ。捨てられる混沌に到るそれらの意思は、決して都合よく拾われることがない。

 そういった意見の回収、蓄積、検討のシステムが不完全である現代で、切り捨てていいハズの変革など神話でしかない。

 混沌とは文明と本能の子供であるのだ。



「人間の全てが繋がって、繋がって、繋がって……!」



 交差点のど真ん中で、人ごみに巻かれながらコントンは快晴の春空を見上げる。

 すでに混乱も極まり暴走しそうな頭に陽光は毒も同然だった。

 大小様々な電光掲示板も、行き交いぶつかり会う人々の波も、けたたましいクラクションさえ意に介さず四凶は視線を正面へと、トキへと戻した。

 しかし、トキの意識は四凶でなく、その中間地点に居る、本来このステージ、この時間、この場所にいた二人の、決して赤くはない他人に向けられていた。



「それが哀落へ到り、それでも前進を、方角も解らぬまま進むのが人間なのだ!

 そうして重ねてきた経験の具現こそがこの文明ではないか!」



 呆然とするトキにコントンは叫んだ。

 交差点に立つ4人の視線が、二本に交差し、世界は三つに分断されていた。



「ねぇ、キョウ――結婚しよう!」

「……あぁ、あぁ! 誰にも邪魔されない一緒になろう、一緒になろうよサツキ!」



 学生服の二人はトキの両親だった。

 色世境(シキヨキョウ)佐倉皐(サクラサツキ)――後の絶対神判こと色世皐に向かって、コントンは大股で歩み始める。



(……コントン!?)



 四凶の腕が二人に向く。

 その手にしたデザートイーグルが春の日差しのもと、大衆のど真ん中で凶悪に黒光りする。

 銃口が、コントンの反対側から見ているトキにはどちらに向いているかが分かった。

 佐倉皐――母だ。



「お前さえいなければ……俺の未来は死ななかった!」


「やめ――!」



 怒りに顔を歪ませた四凶の指が動く。

 静観を決め込んでいたトキの足が急稼動を始める。

 だが、そんな二人を拒絶するかのように、春風一番のような強烈な衝撃が走った。



『な――!?』



 その衝撃波は二人のみならず、スクランブルに居合わせた全ての人の目を集めるほどの威力を有していた。

 突風にしては強く、また発生源は不自然極まりない。

 ビル風ではない。

 交差点の中央で口付けを交わす二人から生まれた風は、SRであるトキとコントンの四凶二人にあることを気付かせた。



(SRの解放――いや、覚醒か!)


(ここが、母さんがSRになった瞬間。

 当時まだ目覚めていなかった父さんの覚醒予兆。

 しかし……最も影響を受けたのはコントン、お前だったんだな)



 熱烈に抱き合う二人を、すれ違う誰もが祝福なり軽蔑なり珍妙を見る目を向けては無言に去ってゆく。

 そこには何者も侵犯できない絶対領域が展開され、コントンやトキさえ近づけなかかった。

 気付けば二人の世界が時間の概念さえ吹き飛ばし、世界の色を変えていた。

 次なるステージは……



「くそ! あいつさえ、色世さえ……極災式さえ存在しなければ!」


「お前は何を知っている?」



 景色の全てが崩壊して吹き飛んだ後に訪れたのは、見慣れた我家の玄関であった。

 そこで前掛けを外す母と拳銃片手に肩を震わせる、フィングが対峙していたのだ。



「色世サツキだな?」

「ずいぶん顔色悪そうですけど、救急車持ってきましょうか?」



 それはトキが初めて目撃する母の殺意だった。

 かざした右手はすでにSRの展開を終え、フィング・コントンの次のあらゆる行動に備える。



「頼む、俺に裁きを!」

「生憎ですけど、死にたがりの相手はしないって決めているの」



 作り笑顔にしては上等な、しかし明確な敵意を向けられた男の内外が入れ替わる。



「では死に向かわぬ裁きで頼もうか。俺は誰にも負けないと」



 土足で二歩、踏み出したコントンの顔面にサツキの拳がめり込む。

 骨の砕ける音と金属のドアに後頭部から激突する音を重ね、コントンは一撃で意識を断たれつつ、次なる審判をくだされた。



「絶対神判の力にて告げる “生き続けて全ての可能性に触れよ” その果てに尽きるべし!」



 景色が変わって訪れるラストステージ。

 やって来たのは上下左右という概念が通用しない完全な闇であった。

 それはどこか秘竜ノアの白純血神殿の見せた暗さに似ていた。

 どんな常識も通じない場所。

 だが、希望の香りがする庭。

 コントンは銃を落とした。

 四凶の自白が、告白が、コントンの動機が明かされたのは同じくトキも踏み出して決着を望もうとした時だった。



「四凶に代わる災厄――それが一番最初の人格を持つオール・バースヤードが発見した存在だ」



 暗闇の中で輪郭だけあらわにする二人。

 その距離は1メートルもない。



「その名を“極災式”という。

 万に著す個性がSR開花を伝染拡大させ、

 線化具現がそれらに系譜を与え、

 同時への成発がSRへの条件を分散拡張し、

 矛盾呑む因果がSRの静脈たる因果律を乱したが、

 根源隠蔽がそれらを世界の裏側としてしまい込み、

 乱流結束が一般人とSRという線引きされた両者を極化させた――」


「それが、ゴクサイシキ?」



 暗黒の中で二人は言葉を重ねる。



「――そうだ。

 活力と境界限度によって世界は加速して暴走し、

 始終繋綴によってどうにか収まったその混乱も、

 表裏一連のせいで新たな混濁の時代を向かえ、悲惨の再現が始まった。

 分かるか?

 会長が創り直したというこの世界、その中でもう一つの主導権を握っているのは四凶ではないのだ」


「それが極災式だな?」


「そうだ、極災色だ!」

「お前はそれが憎いのか?」


「あぁ、言ってしまえば四凶の系譜延長のくせになぜ――」

「お前はそんな世界を認めたくないのか?」


「ひとつの家系がそれを支配し続けている?

 なぜ、ひとつの家系が世界の悪たり続けているのだ!?」

「……俺も、そのうちのひとりだと言うんだな?」



 四凶は涙を流した。

 或いはコントンでないのかもしれない。



「“シキヨ”――それが世界を呪う系譜の文、厄災をもたらす呪いの響き……最先端は、お前なんだよトキ。色なき系統の時間使い」


「フィングさん、ですか?

 俺は本当に悪いんですか?

 こんな世界で今みたいな状態になって、でも本当に俺は悪いんですか?

 こんなことして、色々メチャクチャにして、俺を殺して……そうしてあなたはどうしたいんですか?

 世界のためと言って俺を殺して、あなたは――」



 繰り出す質問を押し退け、フィングはその目に確たる意志を輝かせて白状する。



「死にたかった、死にたい!」



 向き合うトキは清聴の姿勢を保って、男の遺言に立ち向かった。










 Second Real/Virtual


 -第67話-


 -刻の檻【Classic Cage】-










 その理由は、負けず嫌いの男との共同再生生活にあった。

 フィングは言う。

 死への熱望。

 それはコントンによる世界への報復を防ぐ最良の手段であるのだと。



「コントンは僕の再生能力を手に入れ、その悪事を邁進させた。

 悪いことに、そんな状態でシキヨと出会ってしまったんだ」



 この世の悪の原因を担う四凶だが、それを上回る悪性は男に更なる渾沌願望を芽吹かせたのである。

 つまり、人間の本性たる一面、「進化」を求めて男は世界に喧嘩を売ったわけだ。



「彼らを取り込むことで自分の四凶を深化させたい……だが、それを極災式が断絶した。

 最初の“万に著す個別”これで境界線が曖昧だったSRを取り込みづらい、ルール・時流・世界をつくり出した」


「それも俺の家系が?」


「あぁ。

 次の“線化具現”が更にルールを明確化したおかげでコントンの成長は劇的に落ち込んだ。他人のSRを取り込むために必要な無意集団化の流れがパーソナルリアリティーの強調によって難くなり、他人の再生もろくにできなくなり、何度も死に掛けた。

 だが“同時への発成”の時代にもなると明確化されていた世界のルールに弛緩が現れ始めたんだ。そこに突破口を見出したコントンは、新規能力の記録ではなく、過去に取り込んだ能力の強化・拡張を目論見だした。

 でもね、爆発的成長速度を取り戻したコントンを再び暗黒時代に叩き落としたのが“矛盾呑む因果”と“根源隠蔽”だ」


「…………くだらない」


「――全てお前らのせいだ。

 会長が創り直した世界に波風を立て、嵐を呼び、破壊力の禍央を植えつけた!」



 ハッキリ言ってトキには四凶の言葉の半分も理解でき、共感でき、感動する部分がなかった。

 完全に他人の事情。

 完璧に興味の外。

 しかし、無関係と言い切れない事実が腹立たしい。



「だからだよ。次の極災色が現れる前に世界を殺す」

(でも、それだと今度はお前が会長の世界に波風立てるんじゃないか?)



 ふと、周囲の変化に気付く。

 たまに映画のワンシーンで見るホワイトハウスの内装、その最も重要な場所でコントンは血涙をこぼしながら銃を向けていた。



(クラシック・ケージ、まだコントンの記憶は続くというのか?)


「あぁ、続くんだよ」



 重く沈んだ男の声に我へ返ったトキは、自身の前で伏せっていた男に気付く。



「混沌は続くさ。いつまでも。

 それに抗い続けるのが人の業だと私は考え、そして抵抗していくことこそ『人の強さ』なのだと思う」



 何代目だったか思い出せないが、とにかく就任したての黒人大統領の眉間に弾痕が開く。

 しかし、彼がトキに倒れ掛かるよりも早く、景色は変換を終えていた。



「終わらせるために始め、始めるために終わらせる。

 その理屈は分かるが、そろそろ疲れてこないか?」



 イギリス首相。

 否定。射殺。

 そして今度は中国の首相がコントンの背後に現れた。



「人が内に育む四凶は、反転させれば人の豊かさの証明でもある。

 それを否定するということがどういうことか分かるか?」



 射殺――に失敗し、デザートイーグルが輪切りにされて指ごと落とされる。



「プログラムのように立ち回り続ける世界が君の理想とでも?」



 しかし喉笛を手刀で貫かれた首相が命をこぼす。



「で、否定し続け、殺し続けてここまで来たというわけか。

 ちょっとした好奇心で聞くが、君が最後に仕留めようとしているのは『世界』か、それとも『個人』なのか?」



 オーストラリア軍の将官を前に、引き金に掛けていた指が止まる。

 コントンは個人とだけ答えて将官の頭部を吹き飛ばした。



「くだらん」



 テロ組織の幹部を射殺。

 デザートイーグルの銃口が揺らぐ。



「そんなことよりも大事なものがあるだろう」



 将軍を刺殺。

 頬が引きつる。



「言わなくても分かるよな?」



 大使を撲殺。

 四肢が震える。



「……いや、それだけ長らえた命を未だに灯し続けている限りは認めようがないか」



 革命家を圧殺。

 汗が止まらない。



「だが、よく聞けよ。

 俺達は限られた時間の中を生きている。

 誰もがその条件の中で生きているんだ。

 だから何事に対しても必死になれるし、文化的にもなれる。

 お前みたいに数百年も彷徨える人間なんていやしないんだよ、本来は。わかるか、この化物め」



 英雄だった者を絞殺。

 体中が痛みを訴えている。



「それが“現実”なのよ」



 岩間でコントンは膝を折った。

 そこに佇む女性を見て、トキは絶望的な感覚を覚えた。

 誰かも分からないその女に――彼女に触れるな、近づくな。いや、遠ざかるな、逃がすな――細胞が警告していた。



「誰もが自由な思考を有し、己の生の尺を知ることもなく思うがままに時間を消費し、自己を満たすべく自由の定義を見出していく。

 そんな学生にだってできることを。愚かしいものね、あなたは未だに己の自由を(わきま)えていない」


「お前……お前も元凶だろうが!」



 景色が戻る。

 現実へ、現在へ。

 コントンが哭き、女が笑うのと同時に世界が天より白色に飲み込まれたのだ。



「すっげぇ分かりづらかったが、そういうことか」



 膝を突いたまま項垂れるコントンに、トキが得た真実を告げる。

 真実と言えば聞こえはいいが、率直に言えばトキ自身もコントンに大口を叩ける立場ではないのが――



「――現実。

 それが嫌で、認めたくなくて、んでもって長生きして、結局余計に認めたくないものばかりが目に付いて、そんな悪循環から抜け出せなくなったんだろ、お前。

 違うか?

 取り戻そうと思った時にはもう遅い。全部が遠い過去で、嫌なものばかりが未来に待ち構えている。だから変えようとして、でも余計に循環が悪くなって、最終的には世界ごと、何もかもを丸ごとごっそり変えなくちゃいけなくなった。その結果がこれだ」



 性質の悪いことに、この世界にはコントンの願望を成すだけの“SR/能力”が秘められていて、コントンはそれを知ってしまったのだ。だから最悪への道を歩み出すこともできたし、実行もできた。

 血涙が目頭より流れる。

 憎悪の熱を秘めた双眸を持ち上げ、コントンは無言で耳を傾ける。



「誰かのせいにしなきゃ気がすまないし、誰かを殺さなきゃ理想には近づけない。

 全部自分のためにやりたいこと、思ったことを有限実行してきた結果がいまだ。世界規模の戦争みたいなことを引き起こしちゃってさ。

 余計に自分の嫌なものばかりが目立っただけじゃないか……」



 フィングを押し黙らせているのであろうコントンが、ゆっくりと白闇の中で幽鬼の如く立ち上がる。



「お前は、フィングに負ける前に現実で負け組だった――でも、俺も多分そっち側。

 笑いたければ笑えよ、いつもみたいにさ」



 ここに到ってトキは、そこはかとなく切なさを感じていた。

 憎たらしいほど笑いまくっていた敵が笑わなくなってしまったことに、言ってしまえば自分と同じ引き篭もりだったと気付いた敵の本質、それ故に。

 現実を弁えているからだろう。

 死を理解しているからだろう。

 ここが戦場でもなければ笑顔のひとつでも残して死に行くだろうが、生憎とここは遺書や遺品を残せるような生易しい場所などではなく、悔恨や呪詛を明確に敵に刻み込める戦闘空間なのだ。そんな場所で自分の終わりを、目的も果たせず消えていくという結末を自覚してしまった以上、笑える人間はいないだろう。

 しかし、トキはそれが早合点であったことを次の刹那に気付かされた。



「現実から目を反らした、心の引き篭も――ォゴッ!?」



 見えない何かが、強烈な衝撃となって腹部に襲い掛かった。

 影のない白闇の世界で、コントンが小さくなっていくのを見たトキは、どれだけ飛ばされたのか分からなくなるほどの勢いでコントンから離れていた。



「分かっていたさ」



 空中で背後へ回り込んだコントンの手が首筋に触れる。



「自我を守るために他人を殺し、その行為(さつじん)が他ならぬ俺自身を息苦しくさせる。

 現実とは何だ。

 文明と共に歩む?

 他を導く?

 流れに従う?

 守るべきは何か?

 唾棄すべきは何か?

 感情の反動は必要か?

 必要なのは、本当に生きているということだけでいいのか?」



 万力を錯覚させる怪力を見せ付けるコントンを背後に、どうにか反論したいが乱れた呼吸が戻らない。



「そもそも“俺はどうしたかった”のか。

 回帰した場所は結局そこだ。

 そして答えは絶望的……あまりにも下らなかった自分の行動起源は、まさしく混沌に拠るものだったわけさ」


「っ――かった」



 首筋から手が離れて解放される。

 すかさず面と向かって回答してみたが、うまく声が出てくれない。



「お前なら分かるだろう、(カオス)の答え。

 そう――」


「わ……っ、答えは“分からなかった”だろ」



 それが彼である。

 自分の理想を持てず、期待によって膨張した夢想に突き動かされながら、現実を前にうまく物事が進んでくれない。始まりの、その理想と現実像のズレは時間の流れに比例して拡張し、ついには思考や行動、果ては感情さえ侵食するようになった。

 だから、無意識の内に抑えられない何かが爆発し、身に余る過ちを抱え込んだ。



「俺が何かをする前に、時代が何かを成している方が早かった。

 俺が何かをする前に、他人の思考が俺に影響を及ぼす方が強かった。

 俺が気付いた時には、理想が他人の現実になって俺から遠ざかっていた。

 俺が気付いた時には、他人の嫌うものが自然と俺に集まり始めていた。

 俺が駆けたはずの道がなくなっていて、

 俺が駆けたはずの世界が何事もなかったかのように回り続けて、でも、

 俺が仮にそれらを否定しても、誰かが振り向いてくれるはずがない。だからといって、

 俺が仮に世界の暗闇に、まるで神隠しみたいに消えても悲しんでくれる知人はいない。だからせめて、

 俺が此の世にあった証を絶対保存のシステムの中に残したかった。

 俺が此処に居ることを、俺という個が存在していたことを、俺じゃなくてもいい俺と一緒に居る誰かであろうとかまわない、認めて欲しかった」



 コントンの手刀が肋骨を押しのけて内臓に達していることに気付いたのは、振り返ってから数秒後のこと。

 痛みをまともに感受できない衝撃を受け、トキはカウントストップ寸前の思考凍結に陥っていた。



「お前、友達いないのか?」



 だが、辛うじて搾り出せたその言葉に、今度はコントンが思考凍結した。



「なに?」



 クラシック・ケージが終りを迎える。

 一瞬で二人は反発するよう見えない力に引き込まれて現実に戻る。

 次に視界に飛び込んだ白は、ノアという龍の体内でありながら人工物にしかみえない神殿と、そこに侵食を始めた白純血。



(クラシック・ケージが終わったのか?)



 現実に戻ってきたのだ。

 トキとコントンは心層の世界から、狂気的に白い血が流れる神殿の中に。

 見紛う事なき実線の世界に。

 しかし、互いの左腕を相手の首の後ろに伸ばすようグラップリング状態で意識を取り戻したのである。それは明らかに心層へ入る前の体勢とは異なっていた。



「――?」

「なぁ、コントン」



 白純血神殿の出入り口から藍ら、聞き覚えのある叫びがたくさん聞こえてきた。

 半身ほどの感覚を白純血にもっていかれて気付くのに遅れたが、ノアは大きく揺れていた。会長やコントンが言うようにここが生物の体内であるのなら、そこで戦闘するということはつまり病原菌として活躍するも同然である。それら機関のなかでも重要な場所と言われていたここ、白純血神殿で派手に戦ってしまった自分達のせいでこうなっているのだという原因が頭のどこかから自白してきた。



「――!?」

「ちょっと聞きたいんだが」



 白い血液が物理法則に反して足元から登って触れた身体の部分から時間停止させていた。

 口を塞がれているコントンに、すでに後退が非現実のものとなったトキは、死を覚悟の上で同じ末路を辿るであろう男に聞いた。




「長生きって辛いのか?」

「――!」



 コントンの視線の先に協会長が佇んでいることに気付き、それでもトキは視線をコントンに注いだまま外さない。

 そこにどれだけの殺意が込められているのか分からないが、白純血がクローズド・クロノと同等かそれ以上の時間停滞能力を有する物質であると理解してしまった以上、トキは感情的になるだけの熱意を失ってしまった上に、すでに半身が凍結した現状では助かる可能性はない。クロノセプターも効かないこの物質には対抗手段がない。



「もう殺さなきゃ生きていけない、そうなっちまうもんなのか?」



 冷ややかな眼差しで見下ろすオール・バースヤードは何を思っているのか。

 ふと、そちらに視線を送り続けるコントンの呼吸が荒いことに気づき、トキも倣ってそちらへ目を移し……




 

 

「逃げるな!」



 白色の神殿内に白色透明の時間凍結空間が現れる。

 Lv.4:クローズド・クロノ。

 トキがそれを向けた先にいた協会長の姿を装っていたコントンが、半透明の中に凍りつく。

 驚愕に固まった表情を残して他人の姿を失ったコントンが全ての力を停滞させる。



「止まらないか!」



 両手で目の前のコントンの姿を被せられた会長にクロスセプターを流し込む。



(ダメだトキ、この白純血は簡単に殺せない、剥がせない、触れた時点でもう……!)

(それでもやってみますから、諦めないでください会長!)



 クロノセプターで両足の白純血に意識を集中させる。



(コントンも完全に無力化したのだって一瞬のことなんだろう!?

 奴の力ならいずれは時間凍結からも抜け出すぞ! そうなる前にお前自身だけでも抜け出せ、そうでもしないとコントンはまた世界に――!)


(いま攻略法を考えるので黙ってください!

 絶対に助けて、コントンも止めます!)



 脇目に指先が微かに動き始めているコントンを見つけて焦りを覚える。

 会長の言うとおり、時元脱存の異名を取るコントンはこれまでに見たどんなSRよりも早くクローズド・クロノから抜け出し始めていた。再び戦力として行動開始するのは時間の問題だ。

 クローズド・クロノをもう一度コントンに上掛けしたいが、クラシック・ケージによりストックしていた時間が底を尽きてしまった。



「その生方(なんいど)を諦めたくないんです!」



 会長を助けてコントンを止める。しかし、トキはこの状況に攻略方法を見いだせずにいる。

 コントンは既に肘まで動き始めていた。



(間に合え!)



 

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