第63話-ミーナ-
※今回の注意事項※
・The堂々脱線
・目標が一万文字以内の為、短め
手抜きとかじゃないんです。前々からやりたかっただけなんです。はい……
「薄い?」
コントンが消えて1秒後だった。
何らかの攻撃を終えた四凶が展開した世界は、色と輪郭にテレビの砂嵐が掛かったかのような光景であり、しかし、全神経をフル稼働させてもコントンが攻撃を仕掛けてくる気配がない。視線を左右へ、周囲をぐるりと見回しても色世時という人間以外誰も見当たらない。
(取り残された? 精神攻撃ってやつか?)
自分より下の階へと視線を移す、無人。
螺旋を見つめても、無人。
しかし、トキの耳は足音をひとつ、拾って有人の証拠を探さんと模索を続けさせた。
(何処かに誰か居るけど、一体何処だ!?)
螺旋階段に木霊する足音は上下左右から反響してきている。
もしかすれば、同時に歩を刻んでいるだけで複数の敵が存在するのではないだろうか。そんな予感が頭をよぎった時だった。
「 」
冷たいモノが、冷気を放つ何かが背後から首筋に近付いてくるのを悪寒した。
「――うっ!」
それは火照り始めた体へ凍る直前まで冷やした物を当てた時の感覚に似ていた。背中に走る鋭い感覚が、身体へのダメージを予感させる。
極めて危険、避けろ。
武装切り替え。持ち柄分解、素手解放。
振り返りざまに、右手のクロノセプター掌底で向かい来る鋭利を殴る。
(あれ!?)
敵が居ない。
同時に、クロノセプターで分解できなかった、軽量剣だけが殴り上げられて宙を舞う。見覚えのないその形状は明らかに他人の物であり、自分以外の生命を証明する決定因子となっていた。
「弱い……」
女性の声、再び背後。
まるでコントンのような仕掛け方をしてくる敵の強大さを理解した。
常識的時間を抜けて行動するコントンのような能力者が、まだ四凶の軍勢にいたという事も驚きだ。
頭部に付きつけられた銃口と続く銃撃を躱し、その最中に気付く。
(こ……双剣!?)
先程殴り飛ばしたのと全く同じ形の剣が、軸足とした左足の甲を貫き、地面と縛り付けられている。
痛みに気付くと同時、銃撃の主は再び視界の外へ移った。
辛うじて服の裾だけを目撃することだけに成功する。
(右――いや!)
瞬時に左側の視界へと防御の腕を回し、銃撃と斬撃を防ぐ。
右腕の肘から先を切り飛ばされ、心臓への銃弾を反らした骨は砕かれ、脇を掠めた弾丸が皮膚と肉体に裂け目を入れる。
それだけで思い知らされることがあった。
(コントンより、少し早い!)
驚異的な速度で繰り出される、あえて急所を狙わない攻撃。
最初から首を刎ね飛ばすつもりでくるわけでもない敵の真意も気になるが、それよりも姿を見せようとしないことの方が気になった。
敵は誰だ、どんな姿をしている、武器や姿を見せてはいけない理由でもあるというのか。
次弾は背中、左掌に銃創を受けて直撃を避ける。
同時に聞こえた不思議なソレを、攻撃よりも優先して意識は拾う。
(……っ、数字!?)
振り返ると首筋に銀色の得物が当てられているのと、それを構えた攻撃の主である銀髪黒衣の女性が景色のあらゆる要素を吹き飛ばすほどの存在感を放ちながら視界に飛び込んできた。
(棍棒!)
対峙する彼女が前進すると思っていたトキだが、眼前で後退を始めたことに“長柄”を握った彼女の腕が引くことに、その武器が棍棒や槍の類ではないという事実に気付いた。
あれは刺突の武器ではない!
「止まれ!」
ほんの一瞬の空白を作って屈み、停止世界に介入してきた彼女の斬撃を紙一重で躱す。
頭上を通過したそれは、大鎌。
「なっ……!」
厳密には大鎌だったもので、たった今、トキの眼前でその得物は先に弾いた軽量剣が2本へとすり変わる。急接近からの一歩後退、そして再び近接と、相手の進離の速度にペースを失う。そんな自分を自覚しているからこそ、本命のコントンですらないこの女性に負けることが悔しく、そのまま延長線上にある敗北が輪郭を得るほどに見えてしまったからこそ、あらゆる汗を隠せない。
「くぅ!」
肘から先が軽くなった右腕で斬撃を防ぐ。しかし、即効力のある右腕を失ってろくな防御も叶わず、精一杯弾くように斬撃軌道を反らせた所で、三度踏み込んだ彼女の掌がバランスを失ったトキの体へと正確に伸びる。
身動きを封じる、そう思ったトキの思考を比喩なき電撃が走り抜き、必死の回転を妨害した。一瞬感じた喉への衝撃、それを圧倒的に上回って全身を駆け巡る無に近い刹那の感覚。それが電撃による攻撃だと気付けたのはすぐだった。それも、彼女のSRなのだろうと理解したのもほぼ同時。
問題は、その電撃を二回食らってしまったことだ。一撃目は呼吸器官の収束個所破壊のために喉、そして視界の直接破壊の為に顔面へと二撃目が続いたのだ。
「ぐあぁッ!」
それまで辛うじて耐えて来た右腕切断面の痛みに声が漏れる。
三撃目の電光が流血を焦がすほどの出力で断面に押しつけられた。クロノセプターで誤魔化してきたダメージも、即効性の望めない左腕だけではリカバリーしきれない。
暗闇の中で、悪あがきと分かっていながらも彼女から距離を取らなければと飛ぶ。
螺旋回廊を下へ、斜面を後ろへ。身を、受け身のことなど一切考えずに投げ出したが、それでも次なるダメージが体に刻まれる。
「ハッ………ぁ!」
着地は、視界を暗闇のまま地面に背中をワンバウンドさせてなんとか上下前後感覚を保ったままこなせた。が、膝をつくようにして体勢を保つトキの背後から鋭いモノが二本、感覚が完全に左右を取り戻す前に両肩を貫いた。
途切れそうになる意識が、涙に曇っているのかさえ分からない闇染めの視界で、意志の中枢へと訴えかける悔しさが――負けたくない、だが立ち上がることさえできない、力さえ失いかけている、何も見えなくなっている――あらゆる闇が、渾沌と渦巻いていた。ゴールになるべき敵が自分の頭上に控えていた。それを分かっていながら進めなくなる。
(こんな……チクショウ……)
分かっているからこそ、自分の生命がどれだけ危うい線上にあるのかを正確に把握できない、したくない。そう、只管悔しい。最後を前にして挫けたくない。努力を無駄にしたくない。決意が浪費だったという結末を受け入れたくない。
(こんな終わりって……!)
両脚にも激痛が走る。
慣れているという意味での違いはなくとも、両肩の痛みとは明らかに異なるその衝撃は銃弾によるものだった。
背後から膝を撃ち抜かれ、両肩は鋭い得物でもって地面に縫い付けられている。つまり四肢の自由を失ったという現実を、トキは押し寄せる証明とそれに反する意志のせめぎ合いの中、僅かながらも自らに迫った敗色を認めた。
「……」
静かな、起伏の無い声――いや、声じゃない何かが届く。
銀髪黒装束の女性から。
振動でも光でもない。
光の戻らぬ視線のまま顔を上げようとしたが、見えない女が突き付けた銃口に頭を抑えつけられる。
「お前……四凶……か?」
「…………」
「違う?」
それは即答でも返答であり、
「 …… 」
明確な異変でもあり、納得のし難い認識の変換要求でもあるようなないような響きで、
「あんた誰だ? 何が目的だ?」
通じない言葉に苛立ちが、圧倒的力量差に焦燥が、ただでさえ余裕を失った頭を冷静から遠ざけていった。
「あんたはッ――!」
天へと指差し女は動かなかった。
あまりにも突然過ぎ且つ理解できない行動に衝撃を受け、トキは思考を取り戻すだけの時間が空いたことに気付いた。そして、両目が見えないはずなのに、彼女が取った行動を理解できてしまうという摩訶不思議に。
(攻撃が……攻撃を止めているのか)
四肢を損傷して動けぬ的であるはずなのに、彼女は攻撃してこない。
1分あるかなしかの攻防で知った彼女の実力から測るに、この位置・姿勢の関係から彼女が反撃を一切受けることなく命を断つことは容易だろう。だが、それをしてこないのは、
「本気じゃないのか?」
聞いては見たが、回答は予想通りの静寂。ただ黙ってトキの前に立ち、冷たい瞳の奥に深く暗い闇を佇ませ、螺旋回廊を吹き抜ける昇風が繰り出す乱気に、それまで正確に掴めなかった長髪の銀色を泳がせている。僅かな変化と言えば、彼女が身につけている漆黒のコートが、一瞬だけ水色の波紋を見せ、肩口から先が分離して蛇のように彼女の腕を伝い、双手に収まる頃にはコートの一部だったものが今まさに両肩を貫いている双剣と同じ鋭利を象った。
しかし、彼女は攻めようとしない。
(どういう敵だ?
急所を的確に狙ったり、全く攻撃してこなかったり……通せんぼするつもりか?)
頭を垂らしたまま切創で汚れた左手を全力駆使して時間を集める。この螺旋回廊は、異常と言えるほどの時間密度を秘めていた。一度のクロノセプターでオートバイの一台くらい余裕をもって作れるほどの、時間流動が。普段ならコップひとつが出来る程度のショートクロノセプターも、ここでは圧力鍋さえ創造できる。
それほど特濃な時間がこのステージ全体に流れているのだ。
(左腕、回復――)
最初に施す順序は、回復手段の完全確保と体を地面に縛り付けている剣の排除。
(右腕、再生&……)
腕を切り飛ばされた時に落とした武器を拾う。
右手のクロノセプターと星黄、左手のクロスセプターと生死繋綴。
(筋力回復――!)
肩から取り除いた剣を黙って立ちはだかっているに投げ付ける。二本も。
だが、物理法則に反して剣は何もないはずの空中で止まった。
(サイキック……彼女たちの世界で言う、コントローラーってやつか! それもこの人、オールコントローラーとかいう類だな!)
手にした星黄を足元に突き立て、片膝ついて右手クロノセプターで武装時間を集める。
時間による加速をフェイクにでもしない限り突破できない。
(止まれ!)
トキの突撃とそれへの迎撃。その結果は、僅差で銀髪の彼女に軍配が上がる。
突き立てた星黄をすぐに持ち直してクラウチングスタートにも近い低姿勢から足元へ横薙ぎの斬撃を放つトキ。それを女は空中に留めていたトキの肩から返って来た二振りの軽量剣で阻害した。一本が剣筋を阻み、もう一本が刺突の為に顔面へと飛翔、危うくも頭部を反らすことで串刺しを免れる。
間は不味い。
それを悟ったトキは生死繋綴を、対抗の刺突で繰り出す。
奇襲は失敗に終わるが、そのおかげでトキは気付いた。今までの、訓練をも含めたあらゆる戦闘経歴の中で、眼前の銀髪無口ほど脅威だと感じた女性はいない。訓練の中で戦っていたからという理由もある。命のやり取りという意味ではこれまでと変わらないが、藍やボルト以上の脅威を隠せずにいるのは実戦と言う理由以外にもあるはずだった。
(敵……)
「 」
声のような、振動も光もない意志が伝わってくる。
デッドオアアライブ。
短いそのメッセージが直接頭に響き、ふと気付いた。
トキの双剣と彼女の周囲を浮遊する双剣が激突する。それと同時にトキは彼女自身が手にした得物の射線から逃れながら、そのあまりにも冷めきった双眸を目撃する。
(まさか、この女性……!)
そう、髪の色さえ判別が難しいほど色の沈んだこの螺旋回廊の中、初めて覗いた彼女の瞳はあまりにも生気と言うものに欠いていた。まるで、
「お前…………戦う気がないんだったらどけよ!!」
斬撃二つに銃撃が加わる。
弾道自体は見切れるが、問題は低速化を彼女自身が無力化できるうえに、身につけている武装全ても彼女の能力の対象に入っているということ。つまり、弾丸は低速に捕まることなくトキの身体へと突き刺さっては貫いて行く。
「クロス、セプター!」
トキは、女の斬撃・銃撃両方からの防御を諦めて、唯一の身を差し出した。
右手で収集した全ての時間を回復に充て、コンマ1秒ごとに刻まれる銃痕と切創を高速で修復させ、痛みの信号を和らげることで、最短距離を辿り、名乗ることさえない彼女へと左腕を届けることに成功する。
( ――興味がない)
(何だと!?)
時間を共有させるクロスセプター。
その力が最初に読み取った彼女の意志、彼女の気持ちが、無関心の一言だった。
この戦場にある勝敗や生死、世界の整調作用やバランスの重点、優先思想や意義など“全く異なる世界から来た彼女”には無意味なものでしかない。
(何者だ……!)
ストック時間で零距離から散弾銃の一撃を腹部へと叩き込む。
警鐘。
一瞬の間もなく、放たれた散弾は全て彼女の纏う漆黒のコートに弾かれて散った。
(死者に名乗る名前などない)
空中で独自に動いていた剣を一本手に取り、今度は拳銃:Auto 9を空中へと放り投げる。
銃撃と斬撃が入れ替わる。
乱打が如き斬撃が、今度は銃撃に代わって乱射と成り、実に防ぎにくい角度からトキへ銃弾を送った。
脳天めがけて数発、辛うじて防ぐ。
内腿動脈、斬られた瞬間に高速再生。
右肩から右手に掛けた銃創、躱しきれないそれらを全て回復で賄う。
そうして、がら空きになった胴体へ次の攻撃が突きささった。
「がっ……!」
電撃と打撃。
間髪いれず同時に胸へ突き刺さったそれらは、物理衝撃の手応えは薄かったものの電気による衝撃は効果大であり、刹那の駆け引きが勝敗を分けるこの場で、全身への血液共有の要たる心臓の機能を一時的にでも麻痺させたのだ。その影響がすぐに出る。眩暈と立ちくらみが一緒に襲いかかり、霞む視界情報のノイズを取り除かんと異常稼働する働く脳が、次弾に備えよという信号の発令に遅れる。
彼女の零距離射撃が膝を砕き、肘を貫き、内臓を滅多に穿つ。全身に隈なく刻まれる一方的攻防の証明に、どの痛みがどこから伝わってきたのかすら判別できないほど混乱していた。
「ここに」
正常を逸した意識が拾う彼女の言葉はあまりにも不可解だった。
最初は、母が持ち逃げして隠した黒い破片の事かと思ったが、
「置いて行きなさい」
彼女が求めたモノはまるきり別にあった。
言いながらも大鎌を鉤爪へと変形させ、体を掬って投げ飛ばして見せる。
吹き抜けを飛び越す。ゆうに20メートル以上は飛ばされていたと後から気付く。
諸々の感覚が戻る頃には――激突――自分の状況をよく理解できた。意識と呼吸の瞬間的遮断から隙を作られ、再び四肢を無力化され、得物と不可視の力のコラボレーションによって螺旋回廊の吹き抜けを飛び越え、限りなく岩石質に近い木目の壁に激突、冷温様々な破片を撒き散らしながら粉塵の中で途切れそうな意識を辛うじて繋ぎとめている。
殺される。
そう直感してしまった。
「あなたの」
そして、一飛びに吹き抜けを越えた彼女は眼前に立つや、
「死」
左掌を向けてきた。たったそれだけの動作で、ぼろ雑巾のように傷ついた四肢の首がセーブラインを無視して回り曲がる。
とどめは次だった。
音もなく鉤爪を大鎌に戻し、頭上に振りかぶってから心臓へとその切先を落とした。
「忘れるな」
何が痛いのか、何処が痛いのか。一度大きく痙攣してからというもの、感覚らしい感覚がつかめない。
壁と盛大な衝突を果たしてからというもの、痛覚までもが正常運転に戻っていた所為で新たな激痛に苛まれていた。彼女の声さえ半ば耳で拾えない程に。幸いだったのが、麻痺しきった痛覚が心臓への最も致命的な一撃を殆ど痛みとして伝えなかったことぐらいである。
「あなたは既に死人だった」
痛みが戻った次は寒さが認識できた。体内から温かい液体が零れていく時に伴う熱が、胸や背中を冷やして震えを促進させる。
冷た過ぎる刃が破った肉の壁を抜けて彼女の手元に戻る。朝の夕焼けの中に佇む彼女が、その一瞬だけ銀色を許された死神か何かのように見えた。
「これから戦う相手は強大か?」
「……」
意識が薄れていく。
重たい瞼が、鎮まる意識が。
こんな時でも頭の隅に浮かぶゲームオーバーのスペルが、自分の人種がどんなだったかを暗示しているような気がした。
「……そう」
このまま死ぬのだろう。
そう分かってしまったが故に、頷こうとしたがうまく伝えられた気がしない。
さっきまでは悔しいという感情もあった。
しかし、クロスセプターで彼女を知った今、圧倒的過ぎる戦闘力と覆しきれない経験差を見せつけられ叩きつけられてしまい、更には反撃も不可能と言う現状、残された選択肢は死を認めるしかない、その流れに従うしかない、終わりを受け入れるしかないのだ。
(無理ゲー過ぎる……)
「ならば、今のその感覚を最後と決めなさい」
敗北も引き分けも許されない敵を前に、冷たい手が背筋を這いあがってくる。
手足の感覚も痛みを忘れたかのように穏やかで、しかし眠っているかのように意識を汲んではくれない。
「アナタはここで“いつか来るべき死”を経験した」
そう、死ぬんだ。
人質同然と宣告されたクラスメイトをどうにか救わんと意気込み、母の守ろうとしたモノを貫かんとし、強くなる為に違う世界を生きる人々にまで助力してもらい、多くに支えられ、そしてそれをぶつけるために戦場へと乗り込んで来た。
「現実的に、これ以上の死はあるまい。創造はできるだろうが……」
目的に達していないのに首へと手を回している。ソレは心臓へと掛かり、理想を残したまま無念の刻印を捺し、零へと帰らんとする肉体は熱に見放されていく。
(何の為に……今まで……)
この戦場に来てからも相当な危機を乗り越えて来た。
会長室でのコントン、続く織夜秋、ドールズ・フリーフォーム、木目の兵隊。
(その終わりが、これかよ……!)
途絶えかけ呼吸に、記憶が走馬燈の風に吹かれる。
僅かでも諦めで上塗りしていた悔しさが、途端に沸き上がる。
やはり、後悔せずにはいられない。
死ぬ瞬間にまで自分を押し殺せるほど器用な人間ではないし、そんなことをする理由も持ち合わせていない。
「時間と並び歩く少年――粗相ながらお前の死は、私が持っていこう」
彼女が何かを言っているけど聞き取れない。
きっと、主人公なんかにはなれない人間なんだろうと心底で思う。
頭が悪い上にかっこ悪い。
ゲームの為に引き篭もるし、現実も直視できない、やたら否定したがる軟弱者だ。
友達も少ないし、彼女もいない。入手方法だって分からない。そもそも関係性を億劫だと思うことだってある。
将来なりたいものでさえおぼろげだし、人間として建設的人格ではないと思う。
「――え?」
死ぬ間際にカッコいい台詞を残すこともできない。
「何だコレ?」
そもそも死ぬんだと思った瞬間に、何か知らんがステータスが完全回復している。そんな状況に付き纏われるているのが、現在の俺。色世時である。
「傷が、どうして……?」
断言できる、クロノセプターを使っていないと。
使いたくても、両腕両掌は目の前の彼女に潰されて発動できない。
ならば何故、突如として全身の傷が消えたのか。失った四肢まで、瞬きの間に元に戻っているし、武器も足元に揃っていた。何よりもハッキリとした違和感は、景色の中のノイズと白黒が完全に取り払われたことによって目撃された。
「だから立ちなさい。ここで支えを待ち、万全で臨むのよ。それが最善の作戦」
斬り飛ばされたはずの手を確認すると、まるで何事もなかったかのよう元通りになっていた。
痛みも残っていない、傷口さえ見つからない。
これは、彼女の仕業だろうか。
「あの……アンタは俺を殺さないのか?」
その質問への返答は無興味の一言。
少ししてから思い出す。彼女がこの世界の人間ですらないという情報が、クロスセプターで流れて来たことを。
上体を起こしたところで、手放していた武器を不可視の力で返される。受け取りつつ次の質問をかけた。
「……名前、教えてくれないか?」
大鎌が、彼女の漆黒のコートに溶けて消える。
「名前はない」
「いや、何かが見えた。
勝手で悪いかもしれないけど、あんたには名前が“あった”ハズだ」
武器を手に立ち上がり、改めて彼女の前に立つ。
自分よりも背が高く冷たい目をしてはいるが、どこか凛としたその顔立ちは、平和な時間と戦うことの虚しさを合わせて経験してきた齢を醸し出しつつ、戦火の真っ只中で誰よりも平穏を願っているかのような、どんな世界でも人間が関わっている以上戦争が絶えないという事実に直面した悲しさに、落胆の色をなんとか夕陽に隠していたような哀愁が見て取れた。
そう、見えなかったのは、無数の感情や記憶の奔流に流れ隠れた名前だけ。
彼女の経験してきた戦いも、喜怒哀楽も部分的に知ってしまったわけだが、肝心の名前だけは見つけられなかった。なぜなら、圧倒的矛盾の連鎖情報に押し潰された彼女、銀色の髪をした女性に流れる名前に関する時間は、戦慄を覚えるほどに大きな闇を抱えたままであったのだ。
しかし、
「あんたは、敵じゃない」
「味方でもない」
分かっている。
今のこれが“訓練”の一環であったことを解した。
決闘を目前にした、最終チェックかなにかであるということを。
「仲間を待ちなさい」
「あぁ、それまでにあんたの名前を教えてくれないかな?
頭が冷えたっていうか、ちょっと周りが見えていなかったっていうか……」
再度問うが、彼女は反らす。
「それよりも、味方のことを考えなさい。
先頭を走るあなたが後ろとの距離を開け過ぎるのは良くないことよ。分断されれば終わり」
言いながら彼女は頭上を指差す。コントンと、ノアがある頂上を。
視線を彼女に戻す。
「俺は色世時。あんたは“クリアスペース”の人だろ?」
「……」
握手を求めても彼女は反応しない。
感謝の意を込めて、真心からのありがとうを彼女の名前に乗せる為に差し出した手だが、そこに差し伸べられる熱は風の冷たさだけだった。
「あなたには無駄が多い」
「まぁ、はい。よく言われる」
「私の名前に気を取られるな。
頭上の敵と、階下の味方に気を配るべきよ」
「……分かってる。
だから、何て言うか、メリハリを付ける為にも、ありがとうって言わせてくれ」
あなたの名前と共に。
「……」
「あ、もしかして名前に何かコンプ――」
彼女は名乗った。
ふとして遠慮に気付いたトキの配慮を、無碍にするかのように、吹き飛ばすかのように。
「ミーナ」
「――レック……あ」
完全に間を外されたトキをよそに、銀色の髪を風に靡かせた漆黒のコートに身を包んだ戦士は応える。
「元、第三特殊空師団:クリアスペース所属。
アタッカー“隊長”:ミーナ……アミナスキャル。
決して私の名を覚えるな。
一切の価値など無いのだからな」
「……はい、ありがとうございます」
瞼を落とし、彼女は踵を返す。
「負けてもいい。全力で立ち向かい、生き続けなさい」
逃げようとする自分に。
強大過ぎる敵に。
有り得ないとタカを括ってしまいたくなるような現実に。
トキが完全に時間を取り戻す時、ミーナは吹き抜けへと落ち、消えて行った。
Second Real/Virtual
-第63話-
-最終訓練:vs.ミーナ-
見送りのつもりでミーナが降りて行った吹き抜けを覗くと、もう何処にも彼女の姿はなかった。
別の世界から来た住人。
今回が初めてではない。
これまで幾度か経験してきた。それも常に強者との遭遇を。
「死を置いて行け、か」
励まされたのだろうかという疑問を抱きながらも、落ち着いている自分に気付く。
もし、ミーナに遭遇する前の、戦場の熱に当てられた状態でコントンに挑んでいたらどうなっていただろうか。味方が足下に、周囲に沢山いるかと調子に乗って暴走のように走り続けていたら、最強の敵に足元を掬われなかっただろうか。
今なら分かる、気がする。
(俺は、戦争をしているのか)
だから彼女は現れた。
自分よりも明らかに戦争を知っていたミーナ。彼女のあまりにも冷めきった瞳が、おそらく感情の起伏も含め、何もかもが凍りついているのは戦争と言う異様な高熱にグリーンゾーンを見失い、ボーダーラインを崩され、常態を維持するべくあらゆる防衛概念がゲシュタルト崩壊を迎えておきながら、それでもなお現実という戦いを受け入れてしまったからである。
クロスセプターで見えたミーナの現実はそれだった。
(ミーナさんは、戦う意志を強制された)
どこか、自分にも共通するものがある。おそらく彼女もそれを感じたのだろう。
クロスセプターでの時間操作は、相手と自分の時間を共有させることを骨頂とする。おそらく、伝わっているだろう。
(でも、俺は違う)
最初は強制に近い感じがあった。
自分が狙われていることを知り、でも芹真事務所と出会って憧れを持つようになった。強くなりたいと本気で願った。変われるかもしれないという予感に恵まれ、ちょっとだけ頑張ってみたら、嫌なことの方が圧倒的に多いけど、それでもちょっとだけだろうと報われた。
無駄にしてたまるか。
(俺は……)
生きて帰る。
日常を取り戻す。
まるで二次元媒体の帯に付いている煽りのようだが、つまるところそれが本題だ。
コントンに人質同然の見方をされているクラスメイトを助ける。
その為にコントンを討つ必要があるのだ。
「生きろって言うんだろ……さんざん死にまくっているのに」
以前ある呪術師に言われたことを思い出す。
例え独りであろうと生きてゆけ。
そうだ。生きてさえいれば、またどうにか頑張って何かをすることができる。
いまは独りじゃない。
(藍達は、下の木目に掴まっているのか!)
白黒剣と日本刀を握って軽く振り、階下を駆ける後続の援護に飛ぶ。
そこには仲間がいる。
引きこもりだとか、頭が幼いとか、日本語以外に喋れないとか、そういう概念に囚われずに援護してくれようとする人々が。
「止まれ!」
空中で叫ぶ。
木目の槍兵を斬り伏せると同時、眼帯をした魔法使いの周りを片付ける。
(あれ?)
ふと、この戦争とは全く関係の無い、些細な、しかし、振り返ってみれば恐ろしく重大な疑問にトキは気付いた。
(そう言えば……何で俺の言葉は、この人たちに通じるんだ?)
低速時間が解けると同時に、一度だけアイパッチしたアイルランド人魔法使いを見やる。
(……まぁ、後で考えよう)
時間が流れ始めると同時に、トキの出現は多くの味方に衝撃を与える。その合流は風毀之塔の半ばより若干上あたりでのことだった。