第57話-次がれる脅威-
【 現在状況 】
<芹真事務所>
芹真:北部 で四凶大軍を足止め中
アイ:南西~南部 でトウテツと交戦中
トキ:中央塔頂上 で休憩中
ボルト:中央塔上空 でトウテツと交戦中(準備中)
<黒羽商会>
瀬賀:東部 へ移動中
ウラフ:北部 で四凶大軍と交戦中
ジュリー: 〃
ギムレット: 〃
<セブンスヘブン・マジックサーカス>
団長:四凶軍の艦長に変装して一服中
アサ:南西~南部 でトウテツ及び四凶軍と交戦中
他団員:西部 にて、やりたい放題
<ナイトメア非武装派>
ミギス:協会司令部 でジャンヌとの交代準備中
リデア:風向き検討中
ケイノス:上空に湿度ある空間を収集中
シーズン:ココアで一服中(ヴァン○ーテン)
<四凶(所属)>
キュウキ(四凶軍):前線の艦隊中を空間移動し続けながら適宜指示
トウテツ(四凶軍):南部~南西部にて、アキ+哭き鬼兄妹らと交戦中
トウコツ(協会):ジャンヌの指示を待っている
コントン(四凶軍):隠密活動中
<Others>
会長:会長室にてメイトスと会話中
メイトス:会長室にて会長と会話中
ディマ:海底部 にて魔力の回復中
コルスレイ:東部海上 で欲望を収集中
...Now Totaling_■
太陽光を背に浴びながら、両腕を晴天の空へ掲げ、二つの拳を揃えたら振り下ろす。
接地と同時に立ち上がる土煙は敷き詰められた煉瓦道と、その周辺に建立された時間的伝統を有する倉庫群を粉砕して震わせた証拠。
動作は腕を上げて振り下ろしただけ。
しかし、それだけの動作でありながらも被害は艦砲射撃一発分の範囲に及んだ。
衝撃波は地面を伝い、風圧は塵芥を散布。
飛散する破片は散弾と化し、現実にいくつかの命を絶命に追い込んだ。
「ゲホッ……」
「大丈夫ですかカンナ姉様!?」
「石飲んじまった……!」
南西部より移り変わって南部。
港湾エリアの真ん中にある倉庫と居住を区分けするメインストリートに、トウテツより変化した合成獣が巨体のままに四肢を振るっていた。
「大きいな」
キメラ。
ボルトはそれが狙いだと言ったが、その性質を知らない者には疑い深い言葉だった。
何せ敵は目に見えて戦力を巨大化させているのだ。
しかし、普段のトウテツなら取り込んだインスタントSRをただのエネルギーとして扱い、それを生命力や持続力となるスタミナに変換して長期戦に持ち込んだであろう。
ボルトはトウテツの口を壊して特性を殺したのだ。
「ボルト、さっきの光は回復の……!」
『うん。その光だよ。生命を与える光』
多くの者が戦慄を覚える中、ボルトに選抜された半数は異なる視点から巨大化したトウテツを観察していた。
人外の黒い肌は混沌を表したかのように渦巻き、その身体には皮膚や肉を思わせるものがなく、表面を黒い霧状の流動体に覆われていた。
巻けた角に、猛獣の如き生命への渇望に溢れる双眸と混濁に因る涙流。
人と獣に挟まれたかのような輪郭。
全身の殆どを黒色に染め上げた中で、右腕だけに薄く浮かぶトウテツ紋。その形態は不安定、特に指とその先は全体的に見ても、形は不安定で流動的、煙が集合して辛うじて形作っているかのようだった。
(あの右腕……それと口が口か)
ボルトが説明する以前にアキとアサの二人は気付いた。
確かに、巨大化したトウテツは質量的な強化にこそ成功してはいるが、その代償として“全身過食”の名が示す全身の食事口を失っている。
但し、右腕と顔にある口を除いて。
(大きくなってリーチと火力が増大……どうしろって言うのよ、ボルト)
『放置してもいいんだよ~♪』
「はぁ!?」
「カンナ姉様、落ち着いて!」
(やはり、魔女はキメラを知っているか)
「……どういう事か教えてボルト」
各々が体勢を整えた所で巨大な二撃目が降ってくる。
掲げ左、引く右。
振り下ろされる左拳が足場を砕く。
引き左、薙ぎ右。
広範囲を横薙ぎに飲み込む右腕を、生存者達は揃って飛び躱していた。
『トウテツの口を二点に集めたの。
確かに、大きくて重くて硬いかもしれないけど、それは皮膚だけ。
中身は吃驚するくらい柔いんだ』
「藍!大丈夫か!?」
「藍姉様!トウテツが――!」
離れて戦っていた姉妹と、無言で駆けよって来た兄の無傷を確認し、まだ無事を確認していないアキを探す。
右腕がもたらした一帯への被害は、平原と化した周囲を見れば瞭然。
左腕の攻撃は見た目通りの打撃に対し、右腕は相変わらずの消滅力を有しており、飛んで躱し切れなかった者の足を見れば分かる通り触れた分だけ削られていく。
避け損ねれば一片の肉片も残らず、それこそ神隠しのように逝去することになる。
「藍、彼女なら上だ」
目まぐるしく視線を移す藍に気付いたアサが上空を指差す。
その延長線上にアキは居た。
朝空を、誰よりも高く、誰よりも平等に、トウテツの頭部と同じ高さまで跳躍し、意思の有無を読ませない視線を正面から受け止めている。
(食べることが、生きること?)
刹那の狭間。
トウテツという自我を見失った生命。
そこでアキは、充溢するほどに与えられた生命力と、他命さえ口にすることを厭わぬ超食力に挟まれ苛まれるトウテツを見破った。
消滅力と溢れる生命力。
これが痛みを伴う矛盾と化し、儚いほどに細りきった自我を見失うまでに追い込まれていた。
同じ空気を吸い、同じ空間にあって、互いに視線を結ぶことにより、互いの共通と差異を認め合う。
そんな経過の果てに、様々な意味での戦いに大きな白黒の星がつけられようとしていた。
「私も?」
黒球を放つ。
それに抉られた皮膚や筋肉の狭間から鮮血を飛び散らしながら、トウテツは反撃の拳を繰り出す。
同時に、四凶の意が空気のようにアキへと伝る。
ボルトやアサ、ジャンヌ、またトウテツ自身が、四凶の死を確信していた。
巨大化してしまったという意味を解し、自身の存在感をコントロール出来なくなったことだと諦め――しかし、アキと言う人間が、人でなくなった巨体の前に闘志を纏って目を向けて来た――心の奥底の、更に最底辺と言える場所から止まらぬ憤怒が湧き出してくる。
人は誰しも四凶を持つ。
どんな聖人も、その者が人として生まれたのなら、それは避けることのできない宿命。
協会長にもある。
純度の高い四凶であった人間はもちろん、まだ四凶やその概念を理解できていない子供たちにも、何時かは四凶としての覚醒が訪れる。
老人も赤子も、男性も女性も、名を変えようが、性を変えようが、国や言葉や文化や流れを変えようが、どんなことをしようと四凶は必ず付き纏う。
特に、トウテツという四凶は多くの人間の中に眠っている。
拒食も過食も、鵜呑みも盗意も、偏食も整食も、人が生きようとするなら社会の内外さえ関係ない。
そもそも生に対してトウテツは憑くもの。
『だから、内外が相互に作用し合うようにしたんだ。
活発すぎるお口に自分自身を食べて貰うの』
(そこにSR界隈でのキメラが持つ弱点が加わる……)
(そもそもキメラというSRを創ろうという計画は昔から存在した。
複数のSRを融合させ、より強力なSRを生むキメラ計画。後のパンドラや器プロジェクトの前身とも言えるSR発現計画が、ナイトメア武装派と呼ばれる者達中心に計画・進行されていた)
強さを求める。
上を目指す。
変化を望む。
言わば変化の過程であるソレらにトウテツは必要不可欠。
言葉を知るも、暴力を覚えるも、それら混ぜ合わせて越えてゆくも、時というものが人の成長に付き添う限り、トウテツが離れることはない。
(特に、トウテツの属性に早くから目を付けていたシリウス・フォーランドはキメラ実験の祖として有名だ。より多くのモノを取り込む力を持ったSRを中心にキメラ作成を実行したが、結果は失敗)
『そもそも、キメラの生命はどんなに長くても1日程度なんだ。融合素体が双子であってもそれだけしか生命維持できないのに、赤の他人同士から創るキメラの活動時間はもぉ~っと短いんだ。
生体兵器として用いるにはとっても効率の悪い存在なの。生きた無誘導ミサイル程度の取り扱いが限界なんだ。
それにこのサイズだと……』
「アイ、カンナ、スミレ。
これからトウテツを転ばす。手伝ってくれ。
今のトウテツ――キメラのサイズだと、生命活動時間は1時間と動いてはいられない筈だ」
朝日の中で巨体が動く。
『皆聞こえる?
トウテツの口は暴走状態で、身体はキメラ化している。今なら銃とか大砲撃ってもちゃんと喰らうよ』
アキの黒球を受けたトウテツが咆哮を上げる。
風圧を伴う音声に、多くのSRが目を細める。それを止めんと、ボルトの声を受けた防衛部隊の一人が無反動砲を構えてトリガー。トウテツの肩口を爆撃し、そこから飛散した血肉を朝日の中に撒き散らしてみせた。
『大体5分くらいで勝手に絶命すると思うから、出来るだけ被害を最小限に抑えて戦って頂戴。ここからは持久戦だよ』
キメラの右腕によって均されたメインストリートとその周辺に、巨獣を討たんとするSRが集う。
アキはその最前線に着地――咆哮を間近で聴いて三半規管は若干の麻痺――失敗しつつも、その両脇を藍とカンナに支えられて視線をどうにかトウテツに固定できた。
バズーカ、アサルトライフル、スナイパ―ライフルで装備した防衛部隊8名。
リカイソウエンという名を持つ鈍器諸々を装備した鬼が4名。
上空で光を集める魔女が1。
借りた日本刀を片手に、刀身に黒を纏わせる少女が1。
対してトウテツは1、しかし合成された生命。
周囲を無数に囲まれながらも、双方眼前の敵の見に向かってそれぞれ得物を構え放った。
最初に掛けたのは藍とアサの遅延陰陽術:薄。
しかし、活性化した生命力で迫るキメラに対して現れた遅滞効果は微々たるもの。
僅かでも速度を緩めたキメラの足元に向かって、次の二チームが動き出す。
無反動砲を装備した防衛チームと、強化の術を施されたスミレが、それぞれ左右の足へと攻撃を加える。片や脛への砲撃、片や足首への金棒による打撃。
抉れる血肉に顔を濡らしたスミレと、再装填を手早く終えた砲撃チームが入れ替わり、逆の足を攻撃してキメラの足元から離脱する。
まるで破城鎚の如く巨大な打撃が迫った。
体感時間は生体のサイズに反比例して伸びるという概念を覆すような速度。拳のサイズは縦にも横にも広く、大型ダンプカーとの衝突よりも効果範囲は広い。
逃げ損ねた防衛隊員が一人肉塊へと早変わり。
「固まるな!個々に惑わして撹乱しろ!」
防衛隊長一声に、全員が武器を扱いながら個々に移動と攻撃を開始する。
足元からの砲撃と銃撃。
跳躍してキメラの左腕に乗って肩まで登り、人で言う頸動脈の通っている首筋へ斬撃。
手榴弾の投擲――を横から飛び出したスミレが金棒で殴り飛ばし、キメラの顔面を爆風が襲う。
踏付け(ストンピング)を躱し、飛散した破片の被弾を極力避ける。
「リロード!」
「右肩だ!撃てッ!」
「カンナ姉様、アレ!」
「応!」
撹乱戦法を採りながらも、その中で少しずつ連携は生じていた。
『華創実誕幻』
「ロケット行くぞ!」
「思っクソにぶち込んでやれ!」
「右腕が来るぞぉぉっ!」
「……!」
大振りを予想させる予備動作に入るキメラ。
絶対とも言える消滅力を誇る右腕が、溜めの動作を終えて次過程に移る。
が、
「オラ!喰ってみやがれ!」
鬼の投擲がそれを阻害した。肉体強化の術を何重にも施して一っ飛びに港まで跳んで移動したカンナは、両腕の力をSRの解放と共に全開、停泊していた半壊のコンテナ船を持ち上げ、キメラの顔面に投げ付けたのである。
絶大な質と重量による激突に、首を曲げたキメラは全身のバランスまで崩し、振らんとした右腕で虚空を裂く。
「二段:芙蓉!」
「二段:鈴蘭」
一撃離脱を繰り返す最中、キメラの全身に斬撃の風が見舞われた。藍とアサの連携術がキメラの全身に無数の切創を刻み、そこへタイミングを見計らっていた防衛部隊が焼夷手榴弾を一斉に投擲した。
そこへ三体の鬼も火炎と電撃の術追撃した。
「一気に焼け!」
『おぉ!』
「三段:向日葵!」
「三段:蒲公英」
「二段の上!飛燕!」
榴弾とロケットの爆発がキメラを転倒させ、アサによって大量増加した藍の灼熱召喚がキメラの足から背中までを燃やす。アサや防衛隊が背面を焼く一方で、カンナは両手から発生した雷にも近い質量を持ったエネルギーをキメラの側頭部に叩きこんで見せた。鬼が持つオリジナル術のなかで、特に殺傷の具合を加味する術が多く存在する二段において、取り分け飛燕の速度は朝顔と並ぶ攻撃速度を誇る。
合成獣の上げる咆哮に連動するかのように、転倒した際に人工島の地面に大穴が穿たれる。噴出する爆炎と海水、背に走る激痛と電撃、頭を支配する生への欲求と絶え間ない激痛に苛まれる自我。
重なる激痛に比例する悲鳴を変えゆくキメラ。
そこにアキは想い気付いた。
トウテツが自分と似通った人間を己の中に見ていた、ということを。叫ぶ度に伝わる激情が耳朶と言わず、心と言わず、生命としての根底を打つ。それが食べるということ。出会いも別れも、全て戦いのような引きと押し。駆け引きという言葉に至らないアキでもそれだけは実感した。生きるための食、進むための食、変わるために欠かせない補充と備えの姿勢。人は己の内側に生成機構を持たない。人が創った、例えば乗り物のエンジンがそうであるように、外からエネルギーを生む何かを喰らわせることにより、金属の心臓は初めて鼓動を打つに至る。
だからこそ、食べる。生きて行くため、目的を持った以上、価値を知っている或いは知らないが為。自分という生命体を知ったからこそ、それを保とうと潜在意識は呼びかける。食料を食って蓄えろ、他人の話を聞いて応用しろ、邪魔者を殺して自分の生命時間を確保しろ、限られた時間の中を精一杯に生き延びろ――そのための手段なら無数に転がっている。何を喰らい、何を得るか、それは己が欲するままに喰らい選べ。
(私も、アレと似ているのか)
『皆気をつけて~!
トウテツのボルテージが良い感じで上昇しているんだけど、多分右――!』
海水を飲み込んだ腕が地中から迫って二つの命を飲み込む。
地を割って空に伸びた右腕が再び重力を得て降下を始める。全員が回避に移ったのと同時に、防衛部隊の長が粉砕された足場に移動を阻まれ、体の前面だけを振り来る右腕に攫われてしまう。
ボルトが警告を発し終える前に、キメラの右腕はそれまで蓄積された怒りを発散でもさせるかのように暴れ回った。現実には、激痛に苛まれながらもアキという馳走を混濁する意識と視界の中で探そうとしたため狂乱という行為に印象付けられている。しかし、それでもキメラは足場に無数の穴を空けて足元を走るケーブル類を露出させ、海への落とし穴を穿つ。
それが無意識に近いキメラの“行動範囲の限定”という攻撃であることに気付いた防衛部隊の面々が出来るだけ足場の続く場所へと避難した。
そんな状況下で鬼達は、戦域を離れることもなく、逆に攻勢も見せずにキメラを見上げているアキの元に駆け寄った。行動の全てを紙一重に、荒れ狂うように唸るキメラの右腕を躱しながら、妖刀を握りしめたまま相手を見上げているアキの肩を掴み、藍は問う。
「ここの危険が分からない? 下がるわよ!」
しかし、引く手を振りほどいたアキは、立ち直ったキメラの足元へ全力で向かって走った。
不思議極まりない少女との共闘に、藍は以前の自分を重ね見、かと言って見殺しに出来る人物でないと悟ったが故に、右腕が頭上より迫ろうとしている戦域に飛び込んだ。
「魔女、さん。聞くけど、トウテツがこれ以上食べ続ければどうなる?」
『痛んで死ぬ』
「それ以外は?」
『以外って、どうして?
私のやり方が気に入らない?
もちろん、それならそれで別の葬り方も存在するけど、とても大変だよ?』
「え……あるの?」
アキの代わりに返答したのは藍だったが、それを聞いていたジャンヌやアサを含める全員がボルトの言葉に自らを疑った。
『キメラを深化させるんだよ』
「しんか?」
「それって、更に生命力を与えるってこと?」
藍の返答にボルトは肯定する。
その方法を言葉として並べればシンプルだが、実現にはボルトのように生命力を与えることのできる能力者が必要になってくる上に、対峙している敵を更に強大化させることを意味するのだ。しかし、本当の問題はその先にあった。
『でも、やり過ぎればトウテツだけじゃなくて~、付近の戦場も消しちゃう可能性があるんだ』
「……ちなみに、それは光撃による可能性?」
『ううん、トウテツが消える瞬間から巻き込まれて消えるだけ』
「巻き込まれるって?」
『歪曲ブラックホール……あ』
鳴き声が上がる。
右腕を闇雲に振り回して破壊を続けながら、一秒たりとも止まない激痛の波に、しかし自ら発する体液さえ表面に現れる前に体内で消化されてしまう。
コンテナ船を投擲する際に零れ落ちたコンテナを鷲掴みし、キメラの顔面に再び投擲するカンナを見守りつつ藍やスミレはボルトの漏らした小声に悪寒を覚えた。
『やってみる?
トウテツのキメラ化を深化させる――つまり、生命として超過した質量とエネルギーを与えることが必要があるんだけど』
『こら、ボルト。皆が必死になっているこの場で遊び心は禁物よ』
キメラの地団太によって巻き上がる粉塵の中、藍らに安心を与える声が――ジャンヌの指示によって――登場する。ボルト・パルダンと双璧を成す最上級のSR、闇影の魔女:ヴィラ・ホート・ディマ、その人である。過去にボルトの姉として生活を共にしていたこともある彼女には、見過ごせないボルトの慢心が丸見えだった。
『キメラと交戦中の部隊は逃げに徹して。下手に刺激しないように。
ジャンヌ、ボルトの提案は理想論よ。惑わされないで』
『えぇ~?
だってぇ、お姉ちゃんが落とした方が手っ取り早くない?』
『いいわよ、あなたが昔キメラと戦った時の事を連想しているのなら、まずその暴走した幻想を打ち破ってあげるわ』
言葉に若干の殺意や怒気を含ませながらディマは言う。かつて経験したキメラ戦時に用いた戦法を、今ここで再現するだけの魔力が回復していないと。というのもその戦い自体が戦法という言葉とは無縁とも言えるほど魔力量による押し切り、力技での決着であったのだ。ボルトがキメラを自我喪失するほどにまで生命体として過剰な光を与え、まともに直立することの叶わなくなったキメラを、ディマの闇が飲み込んでこの世から消去した。
『あなたとのサテライト・フルムーンで結構魔力を使ったのよ。
それに艦隊や航空戦力も削っているんだから、キメラくらい貴女の方で落としてもらいたいわ』
『あぅ……ごめんなさい』
『私はあと数分“空腹の地”を使えそうにないから、そっちで自滅するまで見張っていれば私の回復よりも早く事は終わる筈よ』
『あ――!』
白金と黒銀の魔女二人による会話が終わりに指しかかろうとしたところで、一方の視界に異常事態が飛び込んだ。
ディマからの警告が発せられてから僅か十秒、織夜アキという離令者が現れた。ただでさえ、危険の度合いを計測することが困難なほどに生命力を増幅させたトウテツに、単騎突撃する理由がはたしてボルトにはトウテツの暴食レベルに理解困難であった。
一方で、アキの接近を目の当たりにしたキメラは、トウテツとしての自我を微かに取り戻して恐怖を思い出していた。内に流し込んだ無数の生命がソレを死と認識し、伝播を強制して微かに生き残っていた意思を押し潰す。混濁する意思の全ても彼女に同様の評価を下し、接近に冷や汗と戦慄を覚え、身体の制御を奪って激しい抵抗を見せる。
(散々、食ってきた代償が……今かよ!)
(だいしょう?)
落雷のような左腕を躱す。飛散するコンクリート片の散弾を飛び越え、地面に手形を残したその甲より腕へと駆け上る。
(俺の声が聞こえるのか!?
……なら、幼くても、結構食ってきたお前には分かるはずさ。
食った分だけ生き物は苦しむ。
どうしても食いたい物を欲してよ、短い手を伸ばす時なんか特にだ)
消滅へ向けて最後の抵抗である集結を見せるトウテツの意思。それを無視するように暴力を振り回すのは、混濁した意思より成る生命体の混同固形。煉獄を想わす痛みの中に在りて、その原因どころかその痛感が誰の所有物かすら判別出来ない。痛みの左右も、大小も分からずに輪郭の見えない不快な刺激の襲ってくる世界に恐慌を抱く。明確な殺意が向いていることを見るでもなく感じ取り、体験するまでもなく予め知ってしまい、それ故に巨大な生命体は脅威の接近を拒み、取り付かれた今は必死に振り解こうと身体を勢いに任せる。
しかし、トウテツの犠牲となった無数生命の集合体であるキメラの肩に、アキは日本刀を突き立てて更に加速する。前傾するほどの勢いに体重を乗せて放ったキメラの拳は、攻撃力と威力を両立させることには成功していたが、肝心の攻撃対象であるアキに回避されてしまっては大きな隙を晒すしかなかった。
「行った……!」
見守る四人の鬼がペアとなって左右に別れて巨体へ照準を合わせる。
キメラの体に取り付いたアキは振り落とされないよう深々と突き立て、刀の柄を握る手に力を込めるその光景を見て、アサは決着を察した。
(ディマはキメラ崩壊まで被害を拡大させぬように言っていたが……藍の生死繋綴を彼女が手にした以上、これは思いの外早く四凶を葬れそうだ)
アサが予想を立てるのと左肩から首筋、項、肩甲骨から右腕へとかけて日本刀で一本の線を描いたアキが、腕から右手の甲に駆けて走り、大蛇のような切創を残してキメラの体から離脱した。
(なるほど、さっきの黒いアレで右腕の消滅力を相殺したのか! 水走りの術みてえに体が消滅力の中に沈んでいかないようにして、後は高速で走れば若干の入水も無いに等しい!
あいつの黒い膜はどっちかと言うと“球体” 当然、藁よりも断然厚みがある!)
「カンナ姉様!アキさんの援護を!」
姉妹がそれぞれ、得物と投擲用の船舶を手にするのと同時に、妖刀に属する生死繋綴が創った切創に異変が生じる。
(血液じゃない――むしろ空気が流れ込んで行っている!)
藍が観察のため足を止めると同時に、アキは手の甲から離脱し終えていた。
心配が減った所でそれまでとは違う大声を上げるキメラを確認する。
実際の所、キメラに激痛を与えたアキは、根拠もなしに試したかったことを実現してみただけである。藍たちに読心術があれば呆れていただろうし、諌められていただろう。だが、現実にもたらされた結果はまさしくアキの思い描いた通りのものであった。
ボルトはキメラの内側にトウテツとしての“消滅の力を生み出す根底”が残っていると言い、反して、その表皮外皮は炎や電気のみならず、銃弾などの物理攻撃も防ぐだけの力を持ち合わせていない、外見を除いて人間のそれと大差のない器官の一つでしかなかったということを教えてくれた。 そこにアキは矛盾を直感した。内に口、外には保護幕のような皮膚。だが、右腕は剥き出しの口を武器として残している。
乏しい人生を送ってきたアキでも、風船と湯気くらいは最低限知っている。
トウテツがいま、どちらかの状態にあるのなら、消滅までの速度を速めることは可能なのではないかという直感は、体の制御を失ったトウテツや混乱する意識の集合体となりつつあるキメラよりも、ボルトやジャンヌなど味方の方にこそ大きな衝撃をもたらしていた。協会という大規模集団に於いても、キメラという異常なSRを目の当たりにした者の多くは初見であり、その外見と圧倒的力量からそもそも撃破するという概念に結び付けることができなかった。ジャンヌによって選抜されたオペレーターも、歴戦の防衛部隊も、中には英雄の称号を関するSRでさえ、キメラに対して打破のイメージを描けない者が数的に圧倒した。
しかし、それとは別の脅威に驚きを隠せない者たちも少数ながら存在した。
「ジャンヌ指令、千里眼部隊長から伝言です。
キメラと交戦中の少女の四凶が判明。
トウテツ、だそうです」
その属性を持つ人間は、不可解なほどに閃きや瞬時の応用など、場当たりに長けている。ボルトの光撃で弱体化しているとは言え、キメラに対する新たな攻め方を見せつける彼女が持つトウテツの深度は、もしかすればキメラの中に埋もれてしまった純四凶であったトウテツに匹敵するか超えるだけの要素があるのではないだろうか。
ボルトやディマのように既存の方法に依存するわけでなく、そこに新たな一刀を加えてキメラの崩壊を加速させた彼女は、果たしてどこから発生したのか。協会長でさえ理解できない織夜アキの生い立ちに、ジャンヌは並々ならぬ危機感を抱いた。会長を頷かせ、魔女にも認められ、トキ相手に一歩も引けをとらなかった実力者故、その力の所有者である以上強い四凶属性を持つ者だろうと予測はあったが、実際目にし、耳に届けてもらい、対処の方法を考える必要性に追い込まれた。よりにもよって……
「司令!キメラが海へ!」
「報告、各方面より巨大艦船が接近!総数6!」
「西部第一防衛海岸に巨大船が衝突します!」
戦況が転機を迎えたこの段階で、誰もが味方に対して頭を抱えたくはなかった。
おそらくトウテツはすぐにでも絶命するだろう。アキと鬼、それからボルトの光が追撃している現状から測って、掛かろうが2分以内に決着する。
しかし、現状の向く方角は良好と言える風向きを運びはしない。おそらく、トウテツは今、キメラとしての身体制御を、最後の力を振り絞って掌握するのだろう。両手両足を攻撃のために振らず、身体は西部の艦隊へ向け直し、巨体なりの全力を疾走に充てる。整い並ぶ倉を踏み荒らす。年季の入った屋根や壁に足を取られながらも、キメラとしてのトウテツは一直線に西部海岸を目指した。
キメラを眼で追い、その延長上にある方角に、それまで気に留めなかった奇妙なモノを景色の中に知覚し、鬼達は眉をしかめた。
「何だありゃ!?」
「大きい戦艦、でしょうか?」
(船と言うよりは城塞だな、まるで)
「……っ! トウテツは突破口を開くつもりよ!ボルト!」
『分かってる!』
防衛設備も、そうでない生活エリアのあらゆる建築物を掻き分け、トウテツは西部第三防衛海岸を突破した。海水を掻き分け第二防衛海岸に突撃して海流装置を右腕で喰い壊しつつ、体当たりで海中まで伸びている防衛海岸の防壁を破壊。そこで右腕を掲げ――ターレットを用いて防衛を試みる部隊を丸呑みにし――同時にボルトの術を誘った。
すぐにでもキメラを仕留めんと、幾本もの青白い光線をを大気中に印すボルトだったが、
『あ……!』
慢心が一つのミスを招いた。
再び掲げられた右腕を焼き切ろうと、充分にチャージした光条を放った。が、それが誘い込みであったことに気付いたのは、第一防衛海岸が光によって焼き切られた瞬間であり、言ってしまえばまんまとキメラの誘導に引っ掛かったのである。
直後に轟くの咆哮は、海上で際限なく繰り返される砲撃の爆音を上回っていた。それが何を意味するものなのか、聞くまでもなく戦場でその光景を目の当たりにした面々は悟った。
「こっちに来るぞ!」
踵を返す巨体に、一度は安堵の息を付いた防衛部隊に再度脅威が蘇る。引き返すという行為だけで恐怖を煽れるほど、トウテツが見せ付けた破壊痕は大きく深い。その光景を見ただけで逃げ出す者もいれば、思考を解凍できずにいる者も居た。
進行方向に若干の修正を加え、キメラは進む。
ボルトを誘導したことに調子づき、しかし、それが最後の行動となるであろうことを十分に理解したうえで敢行する行為は、特攻。狙いは協会本部司令塔、或いはレーダー塔と呼ばれる中央施設であった。そこにどんな人物が居て、どれだけこの戦争に関わっているのか知っているが故に、狙わない理由などない。敵の総司令官がいて、敵軍の総大将が腰を据えているということは、一撃でこの戦争を終結に運ぶことも不可能ではない。
ごく当たり前の摂理に加えてキメラ、トウテツにはリトライの意気もあり、巨体は速度を上げてゆく。
「私を飛ばして!」
「投げて、下さい!」
歩幅や跳躍力を抜きにしても、キメラの突進に追いつく為、二人の少女はそれぞれ兄と姉の鬼に突然申し出た。
時間が無いことを理解していた二人は、揺るがない決意を以ってトウテツに臨む、藍と秋を両手で掴み、助走もなしに巨大な敵の進路上目掛けて投げは放つ。
『ボルト!』
「何さっ!」
空中で山なりの軌道を描く藍とアキの身体をボルトの光が掴み、二人のSRに空中での自由時間を与えた。
既にキメラの右腕は塔に触れることができる距離まで迫っていた。あと一歩踏み込めば戦況が変わる。
そんな強敵を前に藍は勇気を、アキは確信に満ちた実験黒球の生成を始めた。会話もアイコンタクトも、一切の接触なしに二人の意は並びを揃えて四凶の迎撃に向かった。立ちはだかるように空中に現れた二人を飲み込まんと、キメラの右腕が伸びる。
「一段:薄!」
最初にキメラを受け止めたのは藍だった。動体全てに遅延遅滞をもたらす術でキメラそのものをスローペースに落とし、そこにアキが続く。両手にありったけのエネルギーを集め、見慣れた黒を思い浮かべながら両手に“高速変化を続ける”黒球を錬成。
トウテツの右腕にそれを放つ。
一人だけスローモーションの中に落ちたトウテツの放つ右腕が、ゆっくりとアキの作り出した反時計回りに高速回転を続ける黒球の中へと入ってゆく。
トウテツがどんな状況にあるのか、防衛海岸を破壊して司令部に攻撃を仕掛けようとする行動を見てアキは悟った。
過剰な生命力を得て暴走しているトウテツの身体は崩壊寸前。その原因はボルトの作り出した状況もさることながら、トウテツ自身が持ち合わせていた食欲もある。塩分や糖分の過剰摂取が内臓を患わせてしまうように、命あるものが他人の生命を丸呑みにして無事でいられるハズがない。
「必要なら何でも言って!」
藍の声援だけを受け取り、アキは両腕を外側へと展開して黒球を作動する。
二人の身長よりも大きいな、反時計回りに高速回転する半透明の黒球は、瞬時にキメラの身体を分解し始める。数秒足らずで黒球に触れた箇所の表層を全て剥奪し、この方法が有効だと知ったアキは黒球に移動を発令する。これまでに繰り返してきた黒球は投擲のように、一度放てばコントロールできなくなるものであったが、今度の黒球は違う。条件付ではあるが、この球体はトウテツの右腕から奪った“生命力”によって操作が可能になっている。
(食い破れ……)
黒球が巨体の右腕を削ぎ進む。
腕を素早く引くことも出来ず、抵抗の一つも許されぬままトウテツは右腕を“解放”された。それまでに取り込んだ物質の時間・質量、生命体の意志・感覚、総じて万物の生命力・存在力――それらによって形成されながら、強力なトウテツ腕に喰われんとしがみ付いていた生命力が解放され、霧散を始める。
『生命力の塊がトウテツの全身だったモノ。過剰な生命力の強制で暴走した姿がキメラ。
そしてトウテツなりに全身の暴走に抵抗した結果、右腕に全身過食としての武器を残した……けど、それは同時にトウテツの全霊を掛けて死守していた部位がそこであることを示したの』
キメラの消滅を見守る藍に、同じく見守りながらも予想通りの現実を前に退屈していたボルトが話しかける。
『トウテツに支配できた部位は右腕のみ。これを、外界から取り込んだ生命体のスープと混ぜ合わせて、その部位だけを意図的に動かしていただけ。だから、あの腕だけ元のトウテツ同様の食力を持っていたの。分かる?』
「右腕に全てを掛けていたってことでしょ?」
『そうそう。キメラになれたのは良いけど、実質トウテツだったのは右腕だけで他の部位は全くの他人。でも、生命の集合体となったキメラにとって、アキちゃんは共通した恐怖でしかない』
黒球が右腕を喰い上って肘まで達する。すると、黒球に呆気なく消された表皮とは明らかに異質な白いヒビが発生し、黒球よりも早い速度でキメラの肘辺りから肩、首筋や胴体へと伝播していった。
『最後の最後に、まるでトウテツの意思がしっかりと残っているように感じさせた行動だけど、あれこそ恐らくトウテツの本当の最後の一喝だったと思うよ。
何せ、キメラに成った時点でトウテツは自分と一緒になった他人の命を喰い続けていたんだから』
「……全身過食」
『うん。だから、一緒になった人たちは本当に残念なんだ。抵抗しようにも、そもそも取り込まれた時点で徐々に食べられていく』
内より風と得体の知れぬ破片を吹き散らすキメラの体中に、白いヒビが回りきる。
「待って、ボルト。他人の生命を食べてキメラに成った、違うの?」
『あれ? 藍ちゃんも分かっていないの?
トウテツの口を私が壊したの分かっていなかった?』
「それは、あの攻撃? チャージするとか言っていた」
『そうだよ。
その結果、トウテツの全身過食っていう異名を作り上げた全身口は暴走。
敵味方まで暴食して、それがキメラになっちゃったの。
で~!
トウテツ最大の武器であった全身過食は消滅。今まで食べた生命の残留思念の逆襲が、トウテツをキメラという“極・超短命生物”へと変貌させたわけ』
ボルトの言葉を意識半ばに受け止める。
この戦場に来て初めてとも言える戦果にアキは無言で四凶の四散を、藍は四凶を撃破したという事実の重さを受け止めきれずにいた。
『食べ続けたことの痛みがトウテツ自身を死に追いやった。
過食と拒食の過度な繰り返して、それでも食べること以外考えられず、夢中になれるものを見つけられなくて長く彷徨っていた。
自分を殺して食べず、他人を殺して食べ、それをフツーの人よりも多く経験した果てに、トウテツはその痛みを知ってしまった。だから、トウテツはキメラにもなれたし、アキちゃんにも惹かれた。
それに~、念願の終焉にも手が届いた』
放心気味に、藍はアキの隣でトウテツだったモノの、ガラス片のような霧散するように消えていく、巨大であり偉大だったかもしれない敵の最期を見送った。
Second Real/Virtual
-第57話-
-次がれる脅威-
キメラ特攻の報は、協会司令部にも届いていた。しかし、司令部では自分達が狙われているにも関わらず、トウテツを防ぐ手段を口にする者や逃げ出そうとする者は一人としていなかった。それはジャンヌが他方の戦況打破にのみ集中するため、トウテツには一切触れぬ新たな指示を飛ばしたからである。
「キメラの活動時間は既に限界を超えています。どんなに足掻いたところで私達に届くことは万に一つもありません。
私たちは敵の次策を攻めます。東部予備部隊は北部へ。
南部及び西部部隊は予備隊を投入。
アヌビスは後退、代わってゴーストを。
トウコツ、準備はいいですか?」
戦場全体に対する新手を打つ中、司令室の中で一人だけ浮いている男が笑みと首肯で司令官に答える。
「直ちにレーダー塔頂上に待機する色世トキと合流。
攻撃目標は追って指示します」
「いいのか、トウテツが突っ込んで来てんだぜ?」
「問題ありません。
いざとなれば切り札もありますし、何より、彼女たちが居ます。心配は無用です」
魔女と新たな四凶とも言えるアキの戦力を比較し、並べて組み、その戦力がキメラ化したトウテツを防ぐに十分な数値を有することを算出していた。その信頼を脳裏に押しやりながら、ジャンヌは改めて頭を切り替える。
「一二六白陣壁、スタンバイ。
復元部隊は防衛設備と負傷者の回復を急いでください。
それから……敵の大型艦を『城塞船』と命名、これの接岸予測地点を計測。その場に火力を集中できるよう火器を配置し待機。レーザー砲フォルトの回復・充填状態がグリーンに戻り次第城塞船を攻撃。
敵大部隊の上陸が予測されます。
陸橙谷アサ、ヒラリー・マトン及び瀬賀クロウに連絡、砲撃要請。最低一方面」
逡巡を隠しながらもジャンヌは決断を下す。
「織夜アキに連絡。後退して休息を取るように、と。
間違いなく伝えてください」
言葉では休息と言ったものの、本心はアキの四凶属性を深化させないためであった。危険性が高いSRには極力戦闘に参加して欲しくない。それは色世トキに対しても同じ感情であったが、おそらく自ら戦場に出向いてきた彼は納得しないだろう。だからトウコツを付けて一度だけ戦闘に参加させ、それ以降は休憩室にでも軟禁しようと考えていた。
(…………いや、考えても際限がない。謀反の危惧を読めない者ばかりという居ないわけじゃない。
私がキュウキの策を潰せば、士気も謀反も、戦況も有利のままに運べる。それがこの数的不利を打破する唯一の方法)
「なぁ、ジャンヌ司令。
君一人で抱えるな」
口を噤み、頭の中を整理せんと黙り込んだ司令官へ、もう一人の司令官が言葉を投げる。
それはある種の援けであった。
協会に於いて、まともな軍師と呼べる人間は唯一ジャンヌ、彼女だけである。元々協会に攻め入る作戦を練る側の立場にあったナイトメア非武装派の現リーダー:ミギス・ギガント、この者は予め敵の戦力と役割を調べる役割りにあたっていたためジャンヌの責務を知っていたのだ。
「非武装派も最善を尽くすし、協力だって惜しまない。肝心なのは、ここに来て変な思い込みを抱いたり、負けん気に背中を押されて判断を誤らないことだ。戦争の中心であるここ、司令部の誰もがそうだ。時には勝手な判断も必要だろうが、それは状況が不足している場合に下すものだ。
加えて、この戦場でヒーローズのトップであるあんたが前に出なくてどうする?
剣を携えて進むか、知で以て皆を導くか……どうか、中途半端にはならないでくれ。死者が大勢出る」
「……それは、アナタの千里眼が捉えた“現状からの未来”?」
ミギス・ギガントは見て、言う。
この戦場の中央と言える場所に連続で、休むことなく指示を出し続けているジャンヌに、多くの仲間が休息を勧めるのだが、それを聞き受ける彼女ではない。一切の休息を断ることもある意味で奮戦ではあるが、しかし頭脳が区切りを拒むことはよろしくない事態である。
どんな人間の頭脳も、外界からの情報遮断が作業の回転効率を高めるのだ。
SRであること、英雄の名を継いだ者としての自負が、人間であるという自覚を薄めている。功績ある人間ほど、且つ死に腕を回した者に共通して見られる間違いを彼女は実践していた。ジャンヌは間違いなく間違ってしまう方向へ流れていた。疲労の蓄積は一般人と変わらないのだ。ボルトの助けが戦況的にそれを僅かに緩和していたものの、それとほぼ同時に発生したキメラ、城塞船、厚すぎる包囲陣に加わる敵増援艦隊という悪因が彼女の間違いを押していた。
「ミギス・ギガント司令。一時的に全権を貴方に委ねますが――」
「分かっています。ジャンヌ司令は三手も四手も先の敵に備えてください。眼前は俺が潰しますから」
十数分の休憩を宣言し、ジャンヌは駆け足で司令室を出てゆく。
彼女の去った司令室に一度だけ妖精が通り掛かる。代理指令であるミギスも、オペレーターであるSRらも、ジャンヌの足音が消える瞬間を待って呼吸を整えた。
「さて、初めましては言い済ましてあるから必要はないだろうが……」
数秒の沈黙を代理指令が破る。
一方的に話しかけながらも、オペレーター達は気を持ち直して通信コンソールに注意の七割を傾け、残る意でミギスの言葉を待った。
その間も各戦域から伝わる情報を書き留め、記憶し、記録しながら――ミギスもそれを予見の中で知り――方針の変更を告げる。
「ジャンヌの防衛力は見事という他有り得ない。それは彼女の絶大な信頼が作り出す堅強な土台だ。
僕には到底崩せない構えだった。
さて、問題はここからだ。
彼女には悪いが、ここからは違う方針で以て敵を迎えようじゃないか」
四方に八方加えた十二方の戦況を読み取ったミギスが通信機を手に取る。
「こちら、司令室。
ジャンヌ司令に代わってミギス・ギガント。これより代理で指揮を執らせてもらう」
最大の問題は士気ではなく、信頼に有り。ジャンヌという人間が信頼に値することを知っている協会SRは多いが、ナイトメア非武装派のSRであるミギスを知る者は少ない。仮に指示を送っても、信頼に足らぬと味方に不動の構えを取られては逆襲どころでなくなる。
が、ここに来てジャンヌの置き土産がその問題を解決してくれる。
「目的を“粉砕”へと移行する」
配置である。
小規模集団や非武装派の人間をまんべんなく戦場に配置、移動させることで協会SRだけという偏った部隊がどこにも在りはしないのだ。
(ジャンヌも気付いたようだし、トウテツを誘導する通信機も持って行った。
これでキュウキはこれまでにない程苛烈な攻撃を仕掛けてくる。
行ける。押し返せる!)
城塞船の接近を観察しながら破壊の方法を思いつくミギスの考えと、司令部を離れたジャンヌの算段は敵の勢いを変えることにあった。この誘導をキュウキは見落とさないだろうし、確実に警戒もするだろう。だが、四凶軍の弱みは長期戦を臨めない大軍である。力任せに短期戦を挑んでくること必至。
現に、ジャンヌが司令室を離れたという事態をいち早く掴んだ者達は、慌てて戦場へ飛び立つ最終準備を始めていた。
-東部エリア 第二情報室前廊下-
海面に近い階層でありながらも振動が伝わってこない不気味な廊下を歩み、男は指先で小さな火を転がして平静を求めた。
戦場全体を見た時、四凶軍は東部海上への侵攻と上陸を断念していた。その原因は東部海上に突如出現した結晶と黄金の波止場である。防馬柵のように何重にも連なり、またそんな空間を作り出したSR本人の“光撃”も相まって隙らしい隙が一分もなかった。砲火の多少という意味で、東部戦線は多方面に比べて大分静かである。沖合に隙を窺い突撃の時を待つ艦隊が整列しているものの、一向に解除される気配を見せない黄金と結晶の地帯に、他方の支援に抜け出す者達が現れていた。四凶軍のみならず協会の防衛部隊も、である。
(だからって、この静寂は異常だ)
火に飢えた煙草を口で遊ばせながら、妖狐のSR:瀬賀駆滝は人影一つ見当たらない廊下を足早に進んでいた。確かに南北部の戦線を押し返すためという理由で、この方面の警備を離れた防衛部隊は指の数以上にいるが、しかし、全員が同じ判断を下したというわけではない。ある程度こちらにも戦力が残っているという話を聞いたからこそ、気休め程度の安心を背負って足を運べたのだ。
瀬賀だけでなく、背後を護る防衛チームE-03の面々も同様の不安に駆られていた。数分前まではこの区画にも喧騒はあった。オペレーターが伝える多方面の戦線状況や現場からの応援要請、味方の前線を伝える放送や伝者に、人の心を駆らせるには十分すぎる緊張も、それこそ緊張感の大売出しで感覚が麻痺するほどだ。
それなのに、急転を見せたこの静寂は何であろう。
退避勧告が新たに発せられたわけでもなし、敵が侵入したという放送があったのは十数分も前だが戦闘痕は見当たらない。
「血の臭いだ……」
「血? まさか侵入者が――!?」
銃火器で武装した隊員らが瀬賀の一言でフォーメーションを整える。
瀬賀と並ぶ先行隊員が一人、通路の両脇に沿って歩を進めるバックアップが三、後方警戒に一、遊撃要員が一。
歩行速度を合わせてくれる彼らを極力意識しつつ、嗅覚を最大限にまで活用して血臭の流れを辿る。その先に提げられたルームプレートを読み取ると、第二情報室の文字。
「……入口を固めてくれ。中には俺一人で行く」
「え、一人で?」
足を止めた瀬賀に部隊長が尋ねる。九尾は敵が一人だけ居ることを表し、同時に戦闘に発展した場合のフレンドリファイアに注意するよう喚起する。指先の炎をちらつかせるが、それだけでも瀬賀というSRの通り名を味方に思い出させるには充分だった。異常な静寂を瀬賀同様に感じ取った面々は一縷の隙も作らぬよう周囲に注意を配った。
無人の廊下からデスクトップパソコンの並ぶ白色の室内へ踏み込む。白色の壁と天井に合わせて揃えられた白のデスクトップパソコンとテーブルの整列、それを乱す席が一箇所。そこには灰色の床上にキャスターチェアを転がしながら、両足を隣の椅子へと投げ出している大柄の男が居た。
入口からの距離は約5メートル。
それなのに、部屋に踏み込んだ瀬賀は男の攻撃可能距離に身を置いたこと、どうしてか自分が不利な状況に置かれていることを自覚した。いつ攻撃が飛んで来てもおかしくない状況下、瀬賀の予想に反して最初に飛んできたのは暴力でなく、言葉であった。それも椅子に掛けた容疑者の穏やかな声の。
「誰だ?」
「よぉ、ドラキュラ伯爵」
「……その声は“殲命獄炎”か。どうした、喧嘩でも売りに来たか?」
男は目を伏せたまま椅子にもたれ、一切の入力を見せずにくつろいでいた。まるで戦争とは無縁と主張せんばかりの脱力した態度に加え、デスクトップの前に散乱する酒瓶やスナックの袋が目につき、鼻につき、神経に障った。瀬賀は眼前の男に問いたかった。なぜ戦場のまっただ中で宴会を開いているのか。そもそも、常日頃からダニのように付き纏う忠犬達は何処へ行ったのか。しかし、そちらの質問は心にとどめ、肝心の疑問を吸血鬼に質す。
「聞きたい事がある。お前から漂うの血の臭いは何だ?
ここの静寂とお前の関係を明確にして貰いたい。ていうか、しろ」
「ふん!何で俺がそんなことを口にする必要があるんだ。
逆に聞くが、お前は何様のつもりでそんな間抜けた質問をしている?」
穏便の雰囲気が消える。
伯爵と呼ばれる男と狐が互いに溢れる闘志をぶつける。敵対関係の構築が得意な伯爵と、商売敵の生産を特技とする瀬賀は、それぞれ戦争という状況を差し置いても親しく言葉を交わす関係にはなかった。片や協会所属、片やナイトメア武装派の肩を持つ立場と言うことも手伝い、過去に一度は立ち会ってもいる間柄であり、それぞれの危険度は十分に承知しているつもりだった。
「間抜けがどっちなのか、ってその結果はもう見えているだろう」
「俺にこびり付いた血臭のことを言っているなら、確かにそうかもしれん。
全くもって残念だよ。俺が間抜けになっちまった。しかも、ツキにだって見放されかけている。
なんたってよ――」
椅子に背を預けたまま腕を伸ばす伯爵が、キーボード横の濃厚な赤い液体で満たされたワイングラスを取る。すかさず、瀬賀はその液面に火炎を発生させてた。突如として発生した火炎に温まる内容液だが、伯爵はそれを躊躇せずに飲み干してしまう。炎ごとである。
瞬間、
「チッ! 防衛隊逃げろ!」
「――芹真でなく瀬賀が匂いを辿って仕掛けに飛び込むんだからな。やはり、撒く餌の種類も考えなくてはな」
瀬賀の先制攻撃が第二情報室を紅蓮で埋める。溶岩流の如き激しい爆殺火炎に白い部屋が消える。
部屋の中より吹き出る風は全てを焦がす熱風を宿し、隊員らの体勢を崩すほどの圧で吹きつけた。
壁を背にして回避に専念する防衛部隊員たち。瀬賀が誰かを攻撃したのは分かるが、果たして部屋一つを丸焼きにする程の火力を必要とする相手なのだったろうか。予め瀬賀に聞いておけばと後悔しても後の祭り。
直後、部隊長の疑問は、恐ろしき事態の到来と共に疑問を解消へと持っていかれた。
「はあぁぁぁっ!」
火炎迸る第二情報室の出入り口から、爆炎と共に床上を滑空して何かが壁を破壊して通過した。燃える部屋から、朝日を浴びて変色を始めた戦場の空へと姿を消す。
部隊長や彼に従う部下たちは現状を把握しきれず、壁に開いた穴とそこから外へ出た何者かを追って顔を覗かせた。それは同時に、天井裏や壁に潜む伯爵の配下に大きな隙を与えることとなった。
瀬賀と絡み合ったまま、闘志を含んだ喝の言霊を吐き出す。高速移動によって生まれるスリップストリームで狐の炎を振り消す。
戦場を室内から屋外へと移されたことに瀬賀は舌打ちする。
「このエリアの防衛隊をどうしやがった!?」
「貴様がそれを聞いてどうする!」
多くの予測が飛び交う中で、少しでも確信したことと言えば伯爵――ドラキュラの名を継いだ男が東部エリアに沈黙をもたらした張本人であるということ。
そして、
「その答えを死出の餞とするか!」
「こっちの台詞だよ、エセ伯爵が!」
同じ協会本部の足場に体重を預けて居ながらも、瀬賀や協会SRが四凶に闘志や殺意を向けているのに対し、伯爵のベクトルは四凶ではなく協会とナイトメアの連合に向いていた。
行動の一つ一つを取っても躊躇が見られず、瀬賀の頭には謀反の文字と幸運の文字が浮かび上がる。
吸血鬼のSRは協会を裏切る気だ。
幾枚ものコンクリートを突き破り、金属の壁をも経て、黒翼を展開した伯爵に抱えられたまま、瀬賀は東部住宅エリアの空中にてその身を脱する。
「エ…………フン、良き手土産が見つかり、しかもご足労願えた事には感謝すべきだろうが、しかし!」
再び掴みかかりに背に回される伯爵の両腕を、単純な腕力に火炎のエネルギーを加えることによってグラップルを押し切る。腕力の増強でホールドを防いだ両腕に火炎を纏わせ、伯爵のブラックスーツの胸元に鉄拳の連打を見舞う。覗くシャツを焦がし、それでいて空中を自在に飛行できる吸血鬼に有効的な打撃を与えるために左腕で喉を掴み、右腕は溜めのモーションに移行、後退しようとする伯爵が何らかの抵抗を取られる前に顔面、次いで胸部と右拳を走らせて打ち抜く。意思と空気の供給にノイズを与えた所で今度は左手に力を込める。親指を立てて掴んだ吸血鬼の喉仏の窪みに爪を立てる。対する伯爵の抵抗は、妖狐のそれを上回る握力であった。燃え盛る腕を躊躇なく掴み、岩をも砕く勢いで瀬賀の左腕を潰す。
「私を伯爵と呼ぶのは我慢ならん!
“ニルチェルト・エンデバー”
貴様には是非ともこの名を刻んでから死んで貰う! そうでなければ腹の虫が収まらん!」
一度離れた二つの影が再度の衝突、再度の離脱を見せ、また繰り返し、徐々に結果を変えつつも繰り返す。
黒線を宙に描き、火炎が空の青を阻害し、火の粉を散らせ、時々血粉を撒く。
高速移動で火炎の熱によるストレスを避けつつ一撃離脱を繰り返す吸血鬼に対し、瀬賀はその軌道を予測して回避と同時に進路上に炎の塊を放射する。
だが、両者ともに決定打を与えるには至らない。時々触れる拳足や火の粉、硬質な翼が服や顔面を掠める程度で、傍目から見る分に二人の力量は拮抗していたし、実際に二人のダメージは微々。
すれ違い、並走し、衝突しても互いに警戒し合っていることが原因で思うような状況に持ち込めない。
(コイツは俺のSR特性を覚えているな!)
(チッ! 力勝負でも勝ち目は薄いってのに、血まで吸われちまえば勝算皆――――ッ!?)
青に染まり出した濁り空で、狐の炎と複数の黒翼が踊る。
何度目かの衝突を経て、朝日に火炎を揺らした瀬賀は、自分が死地に陥っていたことに初めて気付いた。伯爵と言う強大な敵に気を取られ、また潮風と死臭が漂う屋外に戦域を移されたことも加わり、自慢の鼻が周囲を取り巻くソイツらを察知することが出来なかったのだ。
“吸血鬼だけには包囲されたくない”
“伯爵に対して微塵の隙も晒したくない”
最も忌む展開を実現されて願望砕けた瞬間である。
指の数以上居るソイツらを数えながら瀬賀は舌打ちした。
「やっぱり、金魚の糞共が居やがったか」
「後の祭りだよ猪武者めが。
いや、狐か。
まぁ、猪だろうが狐だろうが大差はない。獣狩りと行こうじゃないか」
おそらく取り戻せないであろう冷静を、少しでも内から失わないようにと周囲へ注意を配る。
東部生活居住エリア空中、地面からおよそ20メートルの位置。
敵の戦力は、吸血鬼神と呼ばれた男:ニルチェルト・エンデバーとその配下30名からなる吸血鬼軍団。
これにより包囲され、しかも対抗する戦力は――防衛チームの全滅を傍目に確認して――孤独。
敵吸血鬼SR最大の強みは自由飛行、それから伯爵の能力である。更に言うなら個々の耐久力と連携。伯爵配下の吸血鬼たちは、協会の中でもトップクラスの戦闘能力を誇り、チーム戦術ではアヌビス一小隊に匹敵するという実力を併せ持っている。
(トドメに武装までしてやがる)
蝙蝠を連想させる黒装束の吸血鬼軍団を前に瀬賀は丸腰である。
最大の問題は人数。質量もそこそこに高い個体が群集と成った時ほど恐ろしいものはない。烏合の衆なら片腕一本でも焼き払えるが、眼前の相手が手練ともなれば己に死点を科さなければ勝利は掴めない。最悪の場合は即死も考えられる。
「遺言くらい聞いてやろう。誰に何と伝えようか?」
質問と同時に吸血鬼達の連携攻撃が始まる。
後方からの高速接近と、それに先駆ける眼下と頭上よりの奇襲。
上下の銃撃を灼熱の壁で溶解し、そこに混じって飛来する斬撃を拳足による打突で受け流し、辛うじて一撃離脱の高速飛来体術を躱す。
反撃の炎が手中で盛る。
足元を通過した吸血鬼に槍を、頭上を越えた奴には鞭を、避けては吸血鬼達の死角から炎の得物を作っては投じる。が、瀬賀の予想通りに集団での戦闘に慣れているそいつらは、ただの一人としてダメージと言える傷を負うことはなかった。単純に、高速移動物体は着火しづらいのだが、それを地でやられると瀬賀は本当の意味で丸腰になる。
「遺言か……チッ! 考えてみっか!」
背後からの奇襲に、SRの半解放で対応する。
炎が象る九本の尾が、間隔をずらして接近してくる吸血鬼らを叩き落す。翼や頭部、四肢を重厚な金属を思わす質量を持った炎に打たれ、初めて吸血鬼達は苦痛を顔に表した。
気絶しただけの吸血鬼には炎を灯して負傷を深刻化させる。多勢に無勢の状況下、少しでも有利に運ぶためには小さなチャンスを一つでも逃してはならない。
圧倒的不利な戦況に挑む瀬賀だが、あらゆる手段を尽くしても、周囲の要素を思い付く分だけでも混ぜて計算すれば、この状況下で自分に勝率が全くないことに気付く。
完全包囲を解かない吸血鬼たちをいつまでも避け続ける自信はないし、そもそも逃げているのは性に合わない。それは吸血鬼の親玉にも言える。
攻めてこその人生。
守りに徹する人生は敗北一色の後悔船路。
強気の舵こそあらゆる状況を突破へ繋げる秘訣であると、そう信じているからこそ瀬賀は諦めないし、吸血鬼たちを攻め続けられる。
ニルチェルトは謀反が露見して包囲される前に決着を望んだ。
焦りは禁物と自分を落ち着かせ、確実な方法で、出来るだけ素早く瀬賀を葬ろうと考えを巡らせる。さもなくば、ここで足止めされては瀬賀と状況を交換することになる。だからこそ、瀬賀に聴き取られぬように速攻の指示を飛ばした。
「俺が行く」
(悪い……ギムレット、ジュリー、アスモデウスズ、ウラフ。黒羽商会はお前達でどうにかしていくしかなさそうだ!)
青空を大火が彩る。
右腕に纏った炎を放射して、複数の飛行する吸血鬼を薙いで叩き落とす。左手で外側から迫る三つの影に着火の粉を放出し、触れた二体を紅蓮に包む。焼けながら右側へと通過していく吸血鬼の背中を踏み台に、頭上で銃器を構えた吸血鬼目がけて急接近し、高熱を纏った蹴りを入れるが、吸血鬼はG3A3という長物の特性を利用し、盾として構えて蹴り足を止める。銃器としての機能は奪ったものの、予想以上に早かった防御対応に瀬賀は隙を作ってしまったことに対する焦りの発生に気付く。
急いで足を戻すが、吸血鬼の一体は既に瀬賀の背後で炎の尾をくぐり、首に太い腕を回していた。焦りを覚えた頭に混乱が訪れる。急に締め付けられた首が苦しく、満足に呼吸が出来ない。炎の尾を背後のそいつに密着させるが、腕力が緩む気配はない。背後の男を振り払おうと必死に足掻く瀬賀だが、その間に次々と吸血鬼達が殺到する。
絡まった腕を焼き切ろうと、首に掛かった腕を両手で掴む瀬賀。
その隙を突き、正面から突撃した吸血鬼が九尾の鳩尾に強烈な拳を一撃見舞い、同時に火炎の尾で焼かれる黒翼の回収に二体が真下から迫り、瀬賀から力づくで仲間を剥がす。逃がさんと岩石をも溶かす高熱を右手から発して背後へ振るが、瀬賀の熱は空を切るばかり。勢い良く振りかえった所へ、新たに接近していた吸血鬼が瀬賀の方向転換に合わせ、カウンター気味に顔面へのローキックを極める。酸素供給と意識を短時間でも完全に断たれ、連鎖する脳震盪もあって瀬賀の体勢が一気に崩れる。
(本当に――ッ!)
赤き火装が有翼の鬼を叩き落すが、一対多という状況で独身が不利に陥った場合、敗北の結末を回避することは容易でない。
それを自覚しても諦めないのが瀬賀ではあったが、敗北の色は既に見えていた。
吸血鬼たちは隙を与えまいと更に連続する。上体を揺らす瀬賀の胴体へ滑空タックルを喰らわせ、しかし、地面に激突はさせない。減速して瀬賀の体を地面目掛けて放ち、空中に解放された身体を、今度は背後から頭上の青空目掛けて急加速して接近してきた別の吸血鬼に高速で投げ渡す。飛ぶということが非日常である瀬賀は不慣れなGの圧に目を細め、飛びかけそうな意識を繋ぎとめるのに必死だった。
瀬賀の意識が辛うじて生存のみにしがみ付いている間、吸血鬼たちによる人体高速キャッチボールが繰り返される。瀬賀が反撃してこない様子を窺っては刃物や銃器で、最初は掠り傷から与え初め、徐々に深い傷を全身に隈なく刻んでいく。
(厄介な連中だ!)
黄金に輝く東部海上に乱反射する陽光を横目に、瀬賀は保てぬ高度に地面との距離を縮めていた。
しかし、それでもなお明確な裏切り行為を阻止せんと大火を振るうんは、瀬賀なりの意地でもあった。連続する衝撃に軋む筋肉と砕ける骨格に激痛を覚え、我が身ごと焼いてるものと錯覚させる神経の痛みが中枢へ熱を報せる。一体、吸血鬼たちとの接触でどれだけの個所が折れ、切創を刻まれ、弾痕を穿たれたのかさえ分からない。ただ、間違いなく殺されることだけは再認するまでもなかった。この状況を覆すことは二度と叶わない。
笑い声を零しながら襲いかかってくる吸血鬼を可能な限り躱し――回り込まれ――フォーメーションから脱しようと試みるも数に任せて攻め続ける吸血鬼たちは止まる気配を見せないずに抵抗は無為。続く痛みに流れ出る鮮血、弾丸の気化と吸血鬼の回避に手間取りながら、浪費の果てに己の死を見る。圧倒的戦力差に加え、吸血鬼たちの腹は満腹であることが戦場に混じる空気から嗅ぎ取れた。
(ニルチェルトの野郎め、事前に準備していやがったな……!)
黒の度合いが一層強い伯爵が動く。
それは火炎に憤りを載せて拳に纏う九尾の背後を見つけた時だった。
狐の命を風前に晒してはいるものの、既に二名の部下が焼かれて絶命した。これ以上損害が増える前にニルチェルトは手を打つ。
重傷を負いながらも、時折狐の目はこちらに向く。
まだ炎を隠している……逆転は望めずとも、一矢報るための大火を。
「準備だ」
蒼空を走る黒点、ニルチェルトが部下の影に消える。
部下達の攻撃に耐えながらニルチェルトを目で追い、配下の弾丸タックルを紙一重で避け、凶刃を灼熱の双掌掴み溶かす。震えの止まらない四肢に渇熱を込め、気力で己という風前の灯火をどうにか大炎へと盛らせて保つ。
「何処に、行ったぁ!」
部下の影から影へ。
しかし、吸血鬼の群れが索敵を許さず、執拗に、また果敢に攻め続けた。
移動する黒点を上回る速度で飛び回り、全身に傷を受けた瀬賀を中心に黒い翼が完全な包囲陣を築く。
20を超す黒点に覆われ、ニルチェルトを見失った瀬賀は対処に迫られた。
「何――――!?」
白。
瞬間、瀬賀は不思議な感覚に見舞われた。
息を切らせながら吸血鬼達と戦っていたはずなのに、激しい運動でろくな呼吸もままならず、銃弾も数発貰って痛みに汗を覚えていたはずである。疲労感は不眠不休の三日間貫徹作業を行った後のように、肩に重石でも乗せたかのような自然とした前傾を誘うほどの蓄積具合であったはず。
この戦場で伯爵に会う前の疲労が完全に抜け切っていなかったという理由もあるが、それ以上に意図的に吸血鬼たちの術中に嵌りこんでしまい、無為に体力を消耗してしまったことは間違いない。
ドロドロとした、体内で何かが渦巻くような不快感の中でも、それでもまだ炎は闘志を反映して盛っている。銃弾を溶かしきってしまうほどのエネルギーを有し、背面に九尾の防壁を展開できた。どんな銃弾さえも直撃する前に融解した。間違いなくそれを自分のSRだと断言できる。
そんな、絶望と唯一縋れる自信の狭間に在って不思議な感覚が全身を支配した。
着慣れたビジネススーツに着替えてから後悔したネクタイの締め具合も、休憩室で火傷した舌のざらつきも、吸血鬼たちによって刻まれた銃創や切創、伯爵の腕力で痛めた後頭部からの流血も、全てが同様に思えた。
いま全身を支配しる感覚の前に多くの不快感が消え、言い表せぬ一つの間隔が瀬賀を襲い――刹那の後、瀬賀はそれの正体に気付いた。
(悪いな……)
己の重傷に気付くまでそう時間はかからなかった。
ニルチェルトの放った攻撃は、ナイフのように鋭利な“貫手”による斬撃。
背骨を打ち砕き、内臓を切り裂いて、高速に乗って体内防衛人を突破した肉の刃。
冷えきった金属を思わせる冷たい手に、己の臓物の何らかが絡んでいた。
背から入り、臓を抜け、表へと貫いた一本腕が瀬賀に100%の終わりを告げる。
「さぁ、遺言を聞こうか」
(芹真……お前をブチのめしてやれそうに……)
灼熱の尾が消える。
肌を焦がす熱が引いてゆく。
九尾の死を確信した吸血鬼が、妖狐の耳元で囁く。
絞っても中々出てこない瀬賀の声にに、貫通した腕を動かすことで回答を急かした。
吐血と痙攣に襲われる体と、それを持ち上げる腕に力を込める。
「お前が俺の手土産になってくれたお礼だ。部下の分は他の奴にツケるとして、貴様にも土産をやらんとな」
辛うじて上がった手でニルチェルトの腕を掴む。
最早、抜くことも抑えることも叶わぬと知りながら、それでも瀬賀は抵抗を諦める心を持ち合わせていなかった。
覚悟があった以上、死ぬこと自体に恐れはない。瀬賀という生命の歩みがそうであったように、最後を目前に迎えた今でもそれは揺るがない。変わらない。知るも知らぬも、どんな人間に対しても瀬賀は己を変えない。どんな状況でも燃え尽きるまで止まらない、止まりたくない。如何なる困難があろうと、人はそれを何らかの方法で乗り越える。
瀬賀の通す我流は――“伝う灼熱”――今も、昔も、何者にも変えられたくない自分を守るため、くだらない自分を信ずる者達を導くため。
だからこそ、もう二度と会えないであろう部下の顔を思い浮かべることもなければ、ニルチェルトに負けた理由も考えない。ただ、この吸血鬼を生かしておくことで自らが体験した死地を、今後世界のどこかで繰り返されるものと想像して嫌悪感の残滓を、死に体である己の内に見つけた。
だからこそ。
自分の築き上げてきた名誉の保存も望まず、後悔も何も残さないし、誰かに自分という存在のメモリーを頼むなどという女々しい行為を拒んだ。
「芹真ぁああ゛っ!!
ドラキュラ伯爵が裏切ったぞおぉぉッ!!!」
そんなちっぽけな信条を守ってこそ、瀬賀は遺言に自分の足跡を残そうとは考えない。
「! き、貴様!」
汗と死脂に汚れた顔で必死に笑みを作りながら、両手で己の胸板を貫通したニルチェルトの腕を掴み、歯を自らの口筋力で砕くほどに力み、余力の全てを注いで最後の狐火を灯す。
「なんて面倒な事を……!
お前たち! 俺に構わず起爆してこい!」
両腕を掴まれたまま瀬賀の指先より生じた炎がニルチェルトの身体に赤を着ける。火炎放射さえ受けきったことのあるニルチェルトだが、どうしてかこの炎だけは痛覚を酷く、通常の炎とは異なる悪い刺激を覚えた。
同類である妖怪や悪霊の類を焼き殺している瀬賀の炎が、物理学に乗っ取った真っ当な火であろう筈がない。だからこそ、自慢の一つでもある部下が二名も絶命に至った。実際に炎に触れて質量的違いも体験済みである。
この炎を除いては。
「放せ!放さんか狐が!」
焼けながら密着した二人が落下を始める。
落下に抗おうと翼を大きくはためかせるニルチェルトだが、炎自体の異常な質量に危機を感じ取り、急いで地上へと足を延ばした。
全てが焼け焦げていく。
だが、戦場ではそれが正しい。
燃えぬモノなどなく、残るモノは数えられても少数。しかし、消えゆくモノは無数。
血液も、汗も、己の内から触れるモノ全てを燃やし尽くす炎を発し、瀬賀は天地が逆転した景色の中に燃える朝日を見た。
感覚の消え去った自身。
変色を始める視界。
明るい闇に包まれ、最期の朝日を眺めながら、協会・ナイトメアに大量の銃火器を提供した武器商人、セガ・クロウは地へと落ち着いた。
ある種の絶望と、またある種の安堵感に見舞われながら、四凶のキュウキはしばし考えるのを止めた。
協会との戦争用に作り上げたSRが数体、切り札として後方の艦隊に待機させている。だが、それらは戦功や固体データ上での総合火力などトウテツほど有効な武器とは言えないのが現状である。キュウキにとってのトウテツとは、不安定な得物ではあるが、有用な存在でもあった。
そんなトウテツが視界の中で消滅を果たした。
これだけならまだ精神的、または計画へのリカバリーは余地が残っている。しかし、そんな貴重なものを一通の通信が根こそぎ吹き飛ばした。
『コントンだ。
いま協会内部に潜入したが……キュウキ、ここまでだ。じゃあな』
「……じゃあな?」
その通信を思い出しながら、コントンの笑みを脳裏に描く。
こちらは億単位の被害を被りながら突破口を求めているというのに、あの男は何処から沸き、果たして如何なる方法を用いて“潜入した”と言ったのか。しかし、それ以上に重要なのは最後の一言。
何に対しての別れなのか。
(利用? 何の為に?
私達をここまで誘導する意味は? 協会の転覆が目的じゃない?
寝返った――という雰囲気でもなかった。 これだけの人間を集めて何をする気だ?
核を使ったところで協会は揺るがない。寝返ったところで快く受け入れられるわけでもない)
開戦からずっと通信の繋がらなかったコントンの出現。
理解に窮する突然の通信、発言。
(何か切り札でも持ち込んだ?
内通者が他にもいる?
それとも協会長の存在自体が作り話であるという説を証明――いや、それもない。そもそも、本当にコントンは協会内部に侵入しているのか?)
甚だしい四凶軍の戦力低下、それを認められないキュウキはすぐに確認を取った。通話履歴をチェックさせ、コントンからの通信が“協会本部”からの発信であることが判明し、驚愕した。
「どうやって?」
航空戦力を防ぐ空中結界部隊、海中を支配する水錬部隊、そして海上の主戦力に対して健闘を繰り広げるSR混成部隊。例え列車砲があっても突破口を開くことの出来ない状況下で、どんな兵器を使えば突破が出来たものか教えて欲しかった。
(……! まさか!)
コントンの潜入方法を模索し、応用できないか考えていたキュウキの脳裏に電光が走った。
(ここに“舟”が在るのか!?)
思考を重ね、戦場を移り、作戦を与え。
それを繰り返すこと15分。
オペレーターに連絡してある場所との回線をキュウキは要求した。
「あの、繋がりましたけど……」
「ありがとう。
こちら四凶軍司令官、キュウキ。
そちらは“協会司令支部”でしょ?」
『その通り』
「言いことを教えてあげる。
コントンが貴方達の真下に潜入したわ。
気をつけてね、オーバー」
僅か数秒の交信。
「前線の部隊に通達。城塞船を護衛しつつ防衛海岸を突破し制圧せよ!」
協会司令部の混乱を予想し、キュウキは新たな突撃指令を飛ばしていた。