第56話-Unlimited Pain-
~協会とその周辺の戦況~
【北部】
軍事エリアへ侵攻した四凶軍と防衛にあたった協会ナイトメア連合は、協会NM連合の激しい抵抗の前に四凶軍の侵攻は難航。日の出を迎えた時点で辛うじて第三防衛ラインに到達。
未だ協会NM連合の優勢。数だけなら四凶軍。
【東部】
海上を黄金侵食・結晶侵食の通り名で知られるコルスレイによって制され、協会・四凶両軍ともに戦闘を展開できず、戦場と思えないほどの静寂が下りてきている。
両軍ともにいつでも攻撃できるように待機、或いは秘密裏に別方面へ移動。
【南部】
四凶軍の最高戦力:トウテツの突撃により協会NM連合に百名近い犠牲者が発生。
港の防衛線も突破され、協会内部への侵入目前。現在、ボルト率いる対トウテツ討伐部隊が戦闘中。
トウテツ対策に集めた人数で後続の四凶軍を攻撃中。
四凶軍が最も侵攻している戦場。
【西部】
中立小規模集団、協会NM連合、四凶軍の入り乱れる最も混沌とした戦場。
最も四凶軍の被害が大きく、また南部に次いで協会NM連合の被害が大きな方面。
現在キュウキのいる方面もここ。
北部海岸以上に侵攻に苦労している方面。現在四凶軍は第一防衛海岸まで押し返されている。
【協会中央・上エリア】
協会NM連合の作戦司令、ジャンヌとミギスがそれぞれ作戦立案と敵の策略を分担してトウテツより“後の策”に備えてる。
レーダー塔の上ではトキが夢の中で夢を見て、また更にその中で夢を見る夢を見ている最中。
ボルトの光撃チャージ率61%。
【協会中央 ??】
コントンが目的のエリアを発見。
どこかで落とした携帯端末を探してルートの逆走を始める。
何も感じない、何も覚えられない。
そんな時期を過ごして気付いてたことがある。
人が生きていく上で、食べる事とイタむ事は欠かすことのできない機能。
人が人であるためには何がしかイタむものを持っていなければいけない。
知らぬ国の誰かを悼むことが出来れば、傷つく度に痛みを訴える声を挙げられれば、獣から人へと成り上がった人類の伝統と言える痛覚がそこに備えられているのなら、間違いなくそれは人と言える。
(アキの使い方は瞬発力と、そこから繰り出す奇襲。黒いアレを混ぜた一撃を強化するか、瞬間的に最速破壊力を有する黒球を放つかの、とにかく最初が速度頼み。今のところコレ一択!)
人のつもりで生きていた男は、いつしか人でなくなったということに気付き、しかし、何がイタムという事はなかった。
身体も心も痛覚を失い、ただ流されるがままに流されて生き長らえる。
無痛の存在は死さえも忘れ、只管に食べ続けた。
学ぶこともなく、忘れることさえ忘れ、ただ止まった時の中で唯一更新し続けてきた食事が、男の世界の全てに変わる。
あらゆる感情を失って機械的に続ける食事は時に拒食、時に過食に繋がるが、それでも食べることは絶えない。
止まらない食事。全て、何も感じる必要のない時の中に用意された唯一つの鍵。
しかし、時にはそれすら見失う。
どうして食べる、どうして食べない。
もう考えない。何かに意味を見出すことができない。
(トウテツの使い方は、見ると“たえる”――それから打つ)
何もない。
そんな状況で人として始まった彼女は、鏡が返す自分の姿を眺めて疑問を抱いていた。
全てが理解できない環境の中、冷暖も硬軟も分からないまま、体中が発する悲鳴にだけ耳を傾けていた。
全て理解できないし、それを解決する術も知らない。
受け入れるしかない、流されてゆくしかない。
それは本能的に気付いた対処法。それに彼女は極力疑問を抱かないよう生きてきた。
何か――紛らわすことすら出来ない痛みを抱えながら。
例えば、他人同士が僅かな時間の中で思想を交えた人生観と、経験してきた実体験を話し合うとする。それを数千数万と繰り返したところで万人が共通して見出せる心理など如何ほどあろうか。
充実したように見える時間を過ごして来た人間の幸せがどこにあったのか、共通したものを見つけることは誰にも出来ない。
ただ理解し合うふりを続ける以外に方法がない。
それしか人にできることはない。
絶望的とも言える、他人を知る術を人は認めずに死ぬまで走る。
どんな痛みを抱えようと、それをどんな賢者に打ち明けようと、結局は表層に絆創膏でも張るかのような応急処置しか施せない。
何故ならそれが人の最上とする手段。
無限に続くかもしれない痛みを、言葉や人間独特の表情で誤魔化すしかないのが限界。
そんな長い暗闇を歩む二人に共通する感覚が一つだけあった。
孤独を恐れず、周囲の死を悲しむこともない。
そのくせ自分の中の何かが曲げられそうになった時、言い表し様のない不安に陥る。
何の為に存在するのか。
その問いに対する確立した答えを持たない二人は未だに発展途上、大人に成りきれていない子供である。
各々食べ続けることで見つけ出した答えは――トキとアキ――アキはトキを、トウテツはアキを、それぞれ食し取り込むこと。
それが目的“である/だった”。
「大人しくしろ!」
他人同士で違いを見つけることは容易。
例に洩れず対峙する二人も相違点を見つけることには時間を要さない。
男女の違いや体格差、戦闘経験の多少、持ちうる知識量など、どれをとってもトウテツに分があった。
しかし、互いに喰い合おうという点だけは譲らず、また濁りなく、あらゆる障害と状況を眼前に広げられようとそれを諦めることは決してない。
そんな独り善がりを強さと勘違いしてきた。
(織夜秋……シキヨトキ?
偶然? それともまさか、彼女は――)
アキやトウテツ同様、自分以外の力を信じられなかった鬼が居た。誰にも頼ろうとせずに全てを独りで解決しようと全力を尽くしてきた鬼が。
当然だが、鬼とは言え頭脳は人並み。伴う成功例は失敗例よりも遥かに少ないが、それでも鬼は誰にも頼ろうとはしなかった。それが例え、尊敬している兄や姉妹らでもだ。何故誰にも頼らないのか、その理由を考えることもないほど、あらゆるものを求めて没頭した。それが理由である。つまり、人は没頭してしまえば世界を観る眼が捉える視界は一気に狭まる。
「……アサ兄様、カンナ姉様、私が彼女を援護します」
半黒球との境界を睨みながら一人、藍は隠し持っていた新たな得物を手に取る。
左右からそれぞれ視線を送る三人は何事かと疑問をぶつけた。
何をする気か。
その問いに、藍は言葉と武装の具現化で答える。
「私ならこの黒球の中でも戦えます。
耳を傾けてください、港が四凶軍の攻撃で押されています」
次女は勧める。
いつ命を落とすか分からない戦場で、人並み外れた生命力と力を兼備する鬼の存在は、敵味方を問わずに大きな壁となりうる。
そんな可能性を秘めている者が、たった一人の敵に釘付けにされていていいものだろうか。
「この二つのおかげでトウテツに触れられるかもしれません」
片方、手にした刀で朝日を返す。
陽光の中に浮かぶシルエットに三人が目を細める。
ここで役割分担しようという意見にカンナは反対したが、アサは承諾し、スミレも不安を露わにしていたものの頷いて肯定した。
「その日本刀がどんな妖刀か知らんし、見たことないその金棒にどんな力があろうと私は反対だ」
「生死繋綴と媛です」
「はいはい、ヒメとケイテイね。d………………ぇあ?」
黒球の中に突入する。
遠のく兄妹の声を意中から外す。
右手に金棒:理壊蒼媛覇界。
そして、左手に日本刀:生死繋綴の鼓動を感じ取る。
(哭鬼の村が健在だった頃から、私は孤独だった)
黒に包まれた倉庫のあった場所で、トウテツとアキが殴り合っていた。
大人と子供の本気を尽くした殴り合い、殺し合い。
その風景にふと思い出したのは村での思い出。
悪しき記憶。
反感を買って挑発され、それに乗って大人に殴りかかった時の事。子供なりの戦争、大事件。
(アサ兄様の統率力、カンナ姉様のような腕力、スミレちゃんのような仁徳。
どれ一つを取っても、私は三人に及ばない……)
まるでここに在った倉庫ように、ずっと暗がりの内に居続けた。
兄妹に恵まれていたことを自覚したのは村が消えてなくなった時。負の感情を誤魔化して生きてきたと自覚したのは、後の芹真事務所メンバーと出逢ってから。
嫌味のように言われ続けてきた、“哭き鬼の時期女性最高有権者候補”という肩書も、未だにその基準が分からないまま、過去と現代を繋ぐ暗黒への鎖となっていた。
(何故私だったのか……でも肝心なのはそこじゃない!)
トウテツがアキの腕を捕まえる。
その太い腕に、藍は生死繋綴を振り下ろした。
(独りで変われるものじゃない)
骨を折り、肉を潰す。
刃で斬り込めないことは十分に予想済み、ならば力任せに殴るまで。
腕力によって食事の腕を阻まれたトウテツの顔が激痛と憤怒で歪む。
指がアキの手を離しているのを確認し、理壊蒼媛覇界を前へと振り出す。
トウテツの頭部へめり込む乱杭歯。
額を切って流血を誘い、衝撃が脳を揺さぶり震盪を呼ぶ。
身体は宙へ、奥へ。隣倉庫の消えかけた壁を破って、倉庫エリアと生活エリアを区切る金網に衝突し、数本の線条を破ってから止まる。
「てめぇ……マジで俺に喰われたいみたいだな」
黒を塗り替えるほどの殺気を全身の口角から零し、金網を喰いながら立ち上がるトウテツ。
その目が二人を捉えて交互に比較してゆく。
どっちも女。
戦える人間。
鬼と死配者。
どちらも厄介。
力強くて速い。
小細工が無用。
正面から喰い破るしか思いつかない、面倒で味のよく分からない敵。
(アキはまだしも……)
鬼が接触できるなど予想の外だった。
二本の得物はどうしてか口にできない上に、これといった味もない。そのくせ熱いだけ熱い。まるでフライパン一杯の熱湯をフルコースだと偽られ、不意を突かれて目の前に出された気分。
それはそれで許せないが、やはり何よりも許せないのはアキという馳走を前にして食事を阻もうという鬼の魂胆である。人の食事を邪魔する非常識が多くて困る世の中、若い世代にどうしてかそういう連中が多いことに堪忍袋がアラートを連呼していた。
(悪いが、キレ――た)
体勢を立て直したトウテツの顔面にアキの左拳、右足弁慶の泣き所を藍の金棒が同時に捉え、それまで保たれていたトウテツの冷静を断った。
反撃は空中で。
二人の打撃をそのまま回転力に変え、前方へ宙返りするような体勢からアキの頭頂部へ右足の踵、固めた左拳を鬼の額へ――日本刀の柄でそれを防ぐ――放つ。
力任せに放たれた打撃に反比例して稚拙になる体術。だが、そこに生まれた隙を突かせないほどトウテツの一撃は強烈だった。
回転も援けて余剰が過ぎる力は、直撃して尚本体に減速を許さないほどの推進力を纏っており、防御に繰り出した藍の理壊蒼媛が深々と地面に打ち込まれる。
(――っ!なんて勢い!)
起き上がるアキの頭頂部を狙って回転に任せた裏拳を放つが、躱される。勢いばかりで細かな狙いを定めることが出来なかったことが原因である。しかし、スピードはそれを補って余りある。地面と激突したことによってトウテツは接地、体勢を取り戻す。
そんなトウテツに気付いた二人は二撃目を、それぞれ危うくも受け止めていた。
足は地面を砕くほどに捉え、上半身は重心を前へと制し、全力を代弁する両腕は左右に展開。
消費エネルギーはそれまでの食事で得てきた栄養が作り出す人の枠を外れた高密度エネルギー。
人の半生の内に摂取されるだけのエネルギーに相当する破壊力に変えて放つ、ダブルラリアット。
それだけで二人の体はトウテツを押してきたルートを逆走し、数秒前まで倉庫だった建物の在った場所へと戻ることになった。
潮風に湿気た煉瓦の上から、埃の消えたアスファルトの足場へ。
潰れていた腕は数分前の正常を取り戻し、それどころか強化を施され、人に防ぐことの出来ない鬼の腕力に並ぼうとしていた。
「一段:薄――!」
二人を転がしたトウテツがアキへ体を向ける。
転げ離れて開けた距離を、トウテツは間髪いれずに縮めようと駆ける。
それに抗する藍。アキを討たせまいと腕を伸ばして遅延をもたらす術文を口走らせる藍。理壊蒼媛の刀身に術を乗せ、切っ先を敵に向け――それと同時にトウテツは体の向きを一転――術を外し、更に標的を変えてきた。中段の横蹴りが胴体に衝撃をスタートさせる。咄嗟に金棒で防いだ藍の体が再び宙へ浮き、同じ術の発動を妨げられた。
邪魔者を退けたトウテツは、顔を上げたばかりのアキが居た場所に視線を戻す。
が、藍を蹴り飛ばしている間にアキは飛び上がっていた。 降下。 空振りするトウテツの腕を指先で蹴り落とし、頭頂部、顔面、顎へとそれぞれ一発ずつ拳を打ち込み、胸板に両拳を揃えて一打、鳩尾に左右の拳で二連。最後に、右足を一度引き、左足でバランスを取り、全身のばねを用いて引いた右足を勢いよく前方に繰り出し、金的を極める。
吸収した全てのエネルギーを注ぎ込んだ、一瞬での七連撃。
しかし、これでもトウテツは止まらない。
「カラッ……!辛!
辛ぇんだよぉっ!」
アキにもその痛みは理解できた。
どうしてかトウテツの感覚が伝わってくる。
その感覚が、ある意味でトウテツの無傷を伝える。身体の随所に走った痛みを、電気信号さえ喰ってしまい、別のエネルギーへと変えている。
「二段、下――紫苑!」
連撃を耐えきったトウテツが腕を繰り出した瞬間、立ち直った藍は滅多に使わないモノを使った。
その瞬間、風切り音を立てたトウテツの右ストレートがアキの耳朶を擦る。
(コレは何とか……物理攻撃ではないこれなら効果がある!)
視界奪取。
それが華創実誕幻、二段の下:紫苑がもたらす効果である。
が、この段の術は二段の上術と違い、明確な負担があった。
藍の持つ術の中で負担を伴う段位は二つ。対乱戦用の術を中心とした獄段と、対個体用の鎖縛を成す二段の下。
その中でも紫苑の負担は他術と比べ物にならないほど大きい。
「何だこりゃ!?」
視界を暗闇に阻まれたトウテツが傾倒して地面の瓦礫を食らう。
アキの黒球がトウテツの背中を押して地へと圧する。
抗して立ち上がったトウテツは視界零の中で、文字通り闇雲に手足を振り回して黒球を打ったアキを探す。
「今!」
藍の一声が戦場の轟音を貫いてアキに届く。
左目を抑えて膝を付く藍を目端に視線をトウテツに戻して両腕を揃え、最初の黒球をトウテツの前面にぶつける。
二人の口が喰い合おうとぶつかり、しかし強大過ぎる二人の食欲が強力な磁石同士のように反発する。しかし、トウテツは地面から足を離してしまった。視界が正常だったら浮くことはなく、そもそも黒球に押し負けたりしない、力の分量を見誤らない。そうさせなかったのはアキの黒球がしっかりと不意を突いたからだ。
藍が視力に問題を抱えたことを悟り、アキは考え付く最大級の時間稼ぎでトウテツをもてなした。
後方へと弾かれるトウテツを、予め飛ぶ軌道上に設置した次の黒球で今度は背中を打つ。
弾かれて前へとバウンドしたトウテツに再び前方からの衝撃が走る。
アキの操る黒球が前後から交互に衝撃を与え続け、トウテツに着地と態勢を整える時間、反撃の隙を与えずに一方的シェイクを加える。
そこへ自らも黒球を纏った拳足を交え、殴り、浮かせ、黒球を打ちこみ、バドミントンのラリーのようトウテツに着地を許さず一方的に衝撃を与え続けた。
(あ……)
暗闇に呑まれた視界。
終わりを感じさせない衝撃の波。
自らが喰われている錯覚。
舌の上にあると思っていた物を見失ってしまう感覚。
アキの黒が与える諸々に、四凶のトウテツは最近の数十年続いた安泰の中で――人が自らも未熟であったことを忘れてゆくように、或いは意図的に記憶の奥底に封印していしまうかのように――記録と忘却の境界に排された昔を思い出していた。
痛み続けていた幼き頃、懸命にそれら痛みから逃れる術を探していた。
ちっぽけな理由だが、そこに大きな決意の杭を打ち込んで以来、人を殺すことも、人の一生を破壊することも厭わずにこなしてきた。
老若男女、人種無差別。
社会的地位など問わない。
一般人だろうが、SRだろうが、四凶だろうが、目に付いた、気に掛かったというだけの大雑把過ぎる選定基準で喰い殺してきた。
その皿、食してきた命は数千、或いは数万に上るかもしれないが、細かな人数に何の意味も感じていない以上、いちいち詳細を覚えてはいない。
そう、全てはこの暗闇のような、枯渇に似た世界での暗中模索。
何処から探せばいいのか、どのように手をつければいいのか。
何一つ好転してくれない暗く、深く。
それでも確かに痛みだけが頭と言わず、全身の、細胞の一つ一つにまで響くかのように、歓迎してくれない世界で笑う。
果てにトウテツが見つけた答えは本能が一つ。
“食”であった。
「おい……ッ!
キュウキ!聞こ――えるか!?」
こめかみに飲み込んだインカムに向け、最も信頼できる者をトウテツは指名する。
代理オペレーターがもう一人の四凶へと繋ぎ、移動を続ける有翼の女が声を荒げて対応を始めた。
『トウテツ、いま何処に居るの?
お願いだから計画だけは乱さないようにって、何度も念を押したじゃない。
それなのにこの通信は何?』
「謝罪は――挙げた首、ぃでっ!払う!」
黒球に前後左右から押されて平衡感覚を失ったトウテツは、インカム越しにキュウキへと要求する。
『何が欲しいの?』
「目をやられた!援護くれ!
出来れば3ッ――人だ!」
その言葉にキュウキは即答する。
『想定済みよ。送ってあるわ』
予想外な味方の先読みにトウテツは攻撃を受けながらも笑みを浮かべた。
援護が来るまでの僅かな時の間に左右の感覚を取り戻すことが出来れば逆転は容易だろう。
暗冥に身を任せ、感覚だけを来るべき快食の時に備えて整える。
絶対にアキを食するためと、強く握った拳に願いを乗せる。
Second Real/Virtual
-第56話-
-Unlimited Pain-
トウテツがどんな行動に出るのか、キュウキは予めそれが予想出来ないものだろうと予測していた。
四凶軍におけるトウテツの絶対とも言える消滅力は大きな武器であり、ある意味頼みの綱とも言える重要戦力である。
それを本人がどれだけ認識しているか、トウテツの十分は残念ながらキュウキほど深刻な認識ではなかった。
例えるなら、キュウキの場合はパーティー会場に誘われたなら、まず会場までの経路を幾度も確認を重ね、その上で自分の実力であらゆる状況を切り抜けられる程度に限定された経路を選んで初めて出向き、出席する。更に言うならパーティーの最中でも警戒を解くことは、自分のテリトリー中に設けた絶対神聖のマイベッドに戻るまで在り得ない。
しかし、トウテツの場合は違う。パーティーがあると耳にすれば喜勇を隠しもせず、会場のオープンと共にバスルームから全裸のままだろうと直行する。途中の警備員を殴り飛ばす程には妨害を想定する程度の、そんな浅はかな警戒しか彼は巡らせていない。
(念のためにあの五人を送りはしたが、トウテツの居場所は協会の抵抗が地味に強い場所。
港が制圧できても、既に奪回されかけている。
場所が港というのも悪い)
送った五人はインスタントSR含めた、キュウキの信頼する部下である。二階層も下の階級にあるが、キュウキへの忠誠心だけなら親衛隊のそれに劣らぬ者達であった。SRとしてもそれなりの力を持ち、鬼相手にも引けはとらない保証は出来るし、上手く連携できれば優勢に回って討ち取ることも不可能ではない。
問題は、トウテツが直面している二人と、その周辺に居る他のSR数名の明確な戦力分析データが揃っていないこと。送った援軍はバリエーションに富むものの、どれか一人でも討ち取られればたちまちバランスを崩す。最悪の場合返り討ち、という可能性も捨てきれない。
(……本当に援軍が必要なのか?)
キュウキは思う。
トウテツが援軍を請うなど何時以来だろうか。そもそも今まで明確にヘルプと発言したことがあっただろうか。
思い出そうにも思い出せない一言に、キュウキは敵でなく味方の考えを読もうと頭を回した。
(強力なSRが居るのは聞いたが、どんなSRかは口にしていない)
トウテツは頭に血が上っており、皿を独り占めしようとしている。その上大雑把な要請、それらがキュウキの中の違和感を匂わせた。
今になって援軍を送ったことが間違いだった気がしてならない。
確信なき予感。
長い人生を経て培ってきた直感なのか、口にするどころか心にも思いたくない最悪の事態が、どうしてか頭の隅で存在を可能性を大きく膨らませていた。
そんなキュウキの懸念を他所に、トウテツは黒と闇に巻かれながらアキという存在力の味を夢想して舌鼓を打っていた。
舌の上に愉悦、拳に宿る激昂、身体を震わす前者二つの化学反応。
ゆっくりとしたペースで一片も欠かさず、穏やかに、しかし的確に向かってきた衝撃を、それまでの食事で蓄えたエネルギーで相殺する。
アキという少女も、顔を歪めて両腕の得物を振る鬼も、決して手を止めることなく攻め続ける。無意味だが、その事実に気付いていながらも間断なく攻め続けるには奥の手があるからだろうとトウテツは見ていた。
「良い感じで汗をかいているじゃん!
上手そうに出来上がってくれ!」
額を、頬を流れる汗がアキの焦燥と消耗を代弁する。
片目を瞑りながら一棍一刀を振る藍も、繰り出す挙動の一つ一つは精度を欠き始めていた。
(なるほどな、俺の視界を殺したのは鬼か)
広範囲黒円球が徐々に薄まり、放たれる黒球からは最初ほどの衝撃と反発力を受けなくなった。そのことからアキの消耗を図るトウテツは、同時に聴覚と嗅覚で鬼を追い、荒げた呼吸と乱れて外しかけている攻撃タイミングのリズムから、ある事を推測をしていた。黒く塗りつぶされた視界がアキではなく鬼の仕業であるのではないかと。何らかの、自らの身体に反動を科してまで鬼が視界を奪ったと考えるのが自然だろう。そうでなければ突然の機能低下を説明しきれないし、何故に鬼は片眼の痛みを訴えるようになったのか説明がつかない。
(相討ちでもあった?
しかし、鬼から血の匂いがしないってことは、流血はナシ!
アキの黒球を食らったんなら、目が潰れる前に額が割れるから、やっぱりこいつぁ鬼の仕業だな!)
広範囲黒円球、設置黒球、纏装式黒球――これだけの攻撃を連続して行い続けているアキの体力は既に限界を目前に捉えていた。
周囲の物質の中でまともにエネルギーに代わるモノが殆ど無くなり、それなのにトウテツは未だ膝を付く気配さえない。
記憶の中にこれだけ黒球に耐えた人間はいない。SR、無機物でも有り得なかった。
(こいつ……丈夫!)
同じく、左目が伝える激痛と疲労が、藍を脳という部位から徐々に気力を奪い、それが冷静な知的判断と相まって疲労の津波を呼び起こしていた。
華創実誕幻二段の下、紫苑が齎す相手への視界奪取、及び、奪った視界の術者への送信――それが紫苑という術の反動。結果、左目から他人の両目が捉える視覚情報、右目は通常の片側視覚を脳へと生来の働きに従って映像を送られ、しかし脳に送られる情報は三眼分となり、負担とそこから生じる疲労は通常の倍になる。更に言うなら、左目を介する神経は生者一人分の視界を認識。しかも自分の意図しない行動を連続する相手の視界である。画面酔いに似た不快感がこみ上げる。
嘔吐感さえ催す情報量。最悪なのは、戦場の最前線でこの術を使わざるを得なかったこと。それを使ってから後悔してしまったということ。
(アキも、そろそろ限……なっ!?)
助太刀に入った藍だが、正直トウテツとうい四凶がどれほど強力な力の持ち主なのか、下馬評や風の便りから然程のモノではないと侮っていた節があった。最初にそれを覆す現実を突きつけられたのは、兄妹全員で殴りかかった時。兄と姉を問題なく殴り、やり過ごし、そんな数的不利な状況に一切動じない。それどころか、鬼というSRを眼中に置いてすらいない。
二度目の現実は明確なキャリアが、一対一という状況下で現れ、突きつけられた時。
自らの負担が倍増することを覚悟してまで相手の視界を奪ったにも関わらず、トウテツは視界を奪われたまま、闇の中にありながらも触覚と聴覚、嗅覚など残された感覚を駆使して攻撃を躱して見せているのだ。生死繋綴の斬突を風切り音で区別して避け、理壊蒼媛の打撃を右腕の回転で受け流し、遂には反撃の鉄拳まで繰り出し、見事と言えるほどのクリーンヒットを奪って見せる。
「ぐっ!」
アキの攻撃を受け続けた影響か定かでないが、著しく攻撃力が落ちていたとは言え、トウテツの打拳攻撃力は確実に鬼を怯ませるだけの重圧を有していた。重く鋭い。加えて、冷静を取り戻した様子が見て取れることから推測できるように、攻撃の精度も先ほどの力任せに比べて厄介の度合いを増している。せっかくの挑発も、暗闇に突き落とすことで混乱を加えられると思っていたが、実際に現れた効果は逆。
「どいて」
脇を抑えて顔半分を歪める藍の肩を、アキの汗ばんだ手が叩いた。
理解できない一言を無言で、納得のいかない指示を促す手を払い除けて立ち上がり、得物を構える。
アキの攻撃が中断されていることを確認し、一度大きく深呼吸をする。
「どうして、そんな事を言うの?」
「狙いは私。だから、私がやる」
「どうして?」
互いに視線をトウテツに向けながら理解を相互を求め続ける。
「目が、いたいなら無理は出来ない、でしょ?」
「私の……?
なら、仮に目がもう大丈夫ならここを退かなくても良いわけ?」
怪訝な表情を一度藍に向けるが、トウテツが瓦礫を踏み鳴らすと急いで視線を戻す。
二人揃って大なり小なり呼吸を乱し、急いで呼吸と体制と気力を整えた。
「トウテツは今何も見えない状態よ。
それは私がやったことだけど、その代償に私も今左目がよく見えていない。
でも、トウテツに掛けた術を解けば私の目は通常に戻る」
「ムリはダメだよ」
戦場において解答の是非を問いにくい回答をするアキに、とりあえず頷いて見せた藍は生死繋綴を地面に刺し、空いた手を腰の後ろに伸ばして四枚の札を取る。
半分は緑色、半分は白色の護術符。
一歩前に出たアキの腕に二色の護符を当て、同様の行為を自分にも施して疲労を取り除く。
「あれ?」
トウテツを睨んでいたアキが拍子抜けた声と共に不思議を抱く。
突然消えた疲労と、どことなく取り戻した精神的余裕に、絶望を見失った。
それが藍の護符による効果だと気付くまで二秒を要し、助けを施された時に掛けるべき言葉が在ったことを思い出すも――
「おっ!眼回復!」
トウテツの視界回復が重なり会話の暇が消えた。
消耗を癒されたアキは再び黒球でトウテツを足止めし、更に左目を回復して勢いを取り戻した藍も攻撃に加わる。
(トウテツの弱点を掴むことはできなかったけど、どうにかセカンドチャンスに繋げる機会は得られた!)
前向きに、敵に向き、二つの得物を交差させる。
威を放って構える藍の真横でアキの目はトウテツ、耳は戦場の苛烈を聴き、鼻は死臭に混じる異臭を嗅ぎとり、直感は新たな殺意を捉えていた。
「別の敵が来るよ。そっちを殺せる?」
「新手?」
視界に無き敵を知らせたアキの手が、藍の左腕に伸びる。
「貸して」
この瞬間、藍が晒した不覚は3つ。
妖刀:生死繋綴を手放してしまったこと。次に、一瞬でも共闘を望んだ相手に殺意と不信を覚えてしまったこと。
そして、アキが生死繋綴に飲まれて殺されてしまったと肝を冷やしてしまったことである。
(――え?)
右手に妖刀を取って構えるアキに、藍は疑問を抱かずにはいられなかった。
なぜ彼女は立っている、生きているのだろう。
それが銃器やナイフならまだ分かるが、手にした得物がよりにもよって生死繋綴なのである。
生死繋綴と理壊蒼媛覇界は持ち手を選ぶ呪器。
一般人だろうと、SRだろうと、柄に手を掛けた人物が生死繋綴に選ばれなければ持つことは出来ない。それどころか、選ばれなかった者らは触れた瞬間から不届き者への誅として命を奪われる。
万物に触れることの出来る、全ての生と死を繋ぎ、それら点々とした終始達を綴り字のごとく連ねる武具。人も悪霊も、動物も金属も、人工物だろうが超常現象であろうが、あらゆるモノに切れ目を刻める得物。その代償として、使い手を選ぶ気難しい武器。それが生死繋綴であった。多くの組織から目を付けられた宝具とさえ言われる凶器。会長や、ボルトだって無理だと言って触れようとしない。
“許された”
その点に関して、藍は久しく自分以外に許可を得た他人を見て半信半疑に陥っていた。
「それ、でも、痛くないの?」
「?……返すから」
「大丈夫なの?」
「あなたは?」
返答は言葉でなく、行動で表された。
抉った地面を投げ付けて来たトウテツに妖刀を携えたアキが向かい、背後より出現した敵増援の迎撃に新たな金棒を取り出した藍が向かう。
万全を確認し合っている暇がないことを思い出し、二人はそれぞれの敵へと向けて切っ先を差し出す。
『ボルトだよ~、二人とも聞こえる?』
トウテツと衝突し、五人のSRの陣形の中に飛び込む、ボルトからの連絡が入ったのはそれらと同時だった。
『遅れてごめんね~、煩いハエが沢山いたの。
あと“1分持ちそう”かな?』
応、と二人は意気込み、敵を打つ。
朝日がその意気を援けるかのように力強く敵を照らす。
(アキならトウテツに触れても問題ない。それに、生死繋綴もある!
なら私に出来る最大の援護は、彼女の対決を阻害させないこと!)
(藍の術でトウテツのくずし方がわかった……なら、やる!)
小黒球で投擲された地面を飲み消す。
その影に隠れて奇襲を仕掛けてきたトウテツの蹴り足を、刀に手そ添えて寝かすことによって固定して防ぐ。
軸足に黒球をあてて体勢を崩し、日本刀をトウテツの手の軌道上に置いて防ぐ。
地面を喰いながら足の裏を狙う拳を繰り出す。
上に飛んで躱すアキは、着実にカウンターの方法を取得しつつある。攻撃を繰り出す度に隙を突いてくる。
相手の持つ天稟を十分に認め、一層の食欲がアキという人間の輪郭を強調する。
黒球を受けながらも食事を諦めないトウテツに、今までと違う黒を用意する。
「終わり」
強力なSRを除けば、トウテツという男は少し鍛えている程度の大人でしかなく、そうなれば今まで排除してきた邪魔者達と大差はなくなる。
藍が視力を奪わなかったら気付けなかっただろう事実に、アキは便乗し、それを攻略法と見て黒を繰り出した。
トウテツ自身から時間を奪わない、四凶の力を零距離で相殺させる黒を、トウテツの全身に纏わせたのだ。
直接的な攻撃でない黒に、最初こそ疑問を抱いたトウテツだが、その攻撃の本質に気付くまであまり時間を要さなかった。
小黒球で作った膜は完全にトウテツの口を塞ぎ、あらゆる皿を遠ざける。狙いは窒息にも似た、四凶として全身に芽生えた接触口、これの妨塞である。
(今度の黒……地面も食わせねぇ気か!)
そうはさせじと、トウテツは全身の口を大きく開いて黒を食らう。
あらゆるモノを喰わせない今度の黒は反発力を生まない分だけ処理は施しやすい。が、黒い膜が減少を始めるとアキは新たに黒を追加した。
それは熱ある液面に表れた油が別々の模様を描きながらも一つになっていく様に似ていた。トウテツに纏わす黒と、新たに作り出された黒球が互いに結合して厚みを作る。すでに5センチ以上の膜に覆われ、トウテツは確実に食事へ在りつけなくなっていた。
術者のアキを討とうと走るトウテツだが、近付けば近付くほど黒球を躱し辛くなって黒膜が厚みを増していく。
拳足は普段通りに繰り出せるものの、纏った黒と生死繋綴が触れる度に強烈な反発が発生して二人の間に距離を生んだ。体内に蓄積したエネルギーを用いて一気に畳み込もうにも、黒の厚みがノイズフィルターとなって朝日陰を味方につけたアキを捉え損ね、それがエネルギーの浪費につながる。
“これで食事は不可”
ある意味で、トウテツの全身全細胞は数え忘れた昔のことを思い出していた。
これである。
まさしく、この感覚。
食べ物を前にして口にすることが出来ない、手を伸ばしても届かない。
どんなに欲しても食べ物はただ在るだけで、決して自分たちに向いてくれない。
口にしたくば、自らが足腰で向かい、手を用い、口を開いてそこまで運ばねば叶うことはない。
それが単純にして何よりも重要な世の中の真理。
気付かされるまでに生の中で繰り返してきた飢餓、それと同じ感覚をこの黒い幕は忠実に再現していた。
如何なる困難を前にして、食事を諦めなかったことが今日まで繋いだ生の秘訣であり、人が人に最も親しい餓死を回避する唯一の手段である。
世を渡る術も、自分を変えてゆく流れも、全ては自分以外を知って触れ、自ら時間と共に実感して得る。人が成長するに当たり、食糧を必要としない食事は、やはり欠かすことのできない要因。
殴り殺す力の身につけ方も、効率的な殲滅方法の覚え方も、自分の慢心を消し去る喝法も……どれ一つとして自ら開拓の果てに得た成果ではない。
が、それが果たして間違いと言えるだろうか。
例えば子供は大人を名乗る人生の先輩から言葉を覚え、真似、新たに覚えて使うことを繰り返す。また文化ごとの服装や様式を取り入れ、或いは逆らい、そうして自分というオリジナルのステータスを求め築く。零からオリジナルを貫き通す人間など有り得ない。例え意識せずとも人は必ず他人と同じ道を歩み、同じ苦しみを脳裏に刻んで強く噛みしめ、未来に甘美を期待する。
いつか、必ず、次こそは、と。
人なら誰であろうと希うだろうが、しかし、食わぬ者に次という希望や概念は有り得ない。
喰い時を間違えた。
その果てに人は生を縮める。
「?」
走り出し、躓き、動かなくなったトウテツを見たアキが疑問を抱き、
『こちらチャンドラ!トウテツの援護に失敗!
繰り返す援護に失敗!
トウテツがリミッターを、勝手に、チクショウ!外しています!』
交戦中の敵増援を半数ほど打ち倒した藍は、眼前の敵が直前に連絡を始めた事に異変を感じ取り、
『何ですって?』
同時だった。
両軍の指揮官であるジャンヌとキュウキは突然の、あまりにも急の度を過ぎた事態に、一瞬だけ頭の中に描いていた戦場の全体マップをトバしてしまう。
「うんなあらあぁぁぁぁぁっっ!」
現地――協会本部南西部、湾岸倉庫エリア。
そこに居る四凶はかつてない音声量で哭していた。
黒に包まれながら海を目指して傾斜を下り、その道中であらゆる物質に触れて消滅を撒き散らす。何に触れても自分は一切食べることが出来ない、全て黒膜が喰って消してしまう。
触れて消えるという、自分の全身口と似通った性質を持つアキの黒球と、その豊富なバリエーションに対するトウテツの理解は速かった。食べ続けてきた四凶は、いざ食べられると知った時には懐疑的な心境にまで至ったものだが、しかし、本気で相手が一切の食を切り離そうと目論んでいることを知った瞬間に、多大なる矛盾が発生したのだ。それこそ無様と言われても間違いないほど顔を歪め、数種の液体を零し、地団太を踏む代わりに全力で前進を始めるほどに。
それだけトウテツは、触れたあらゆるものを消滅に至らしめる――それこそ我が身さえ――強力過ぎる力を欲していた自分を思い出し、涙し、しかし、彼女はそれを与えてくれない事実、更に奪うこともできなくなった現実に混乱した。
まだ食べ続けて生きたい。
死にたい。何も口にしたくない。
腹の虫は己の意思?
空腹は宿命?
兎に角空腹。
只管に空腹。
何度も絶命を望んだのは現実か?
それともこの空腹こそ夢幻か?
腹が減っては頭も回らない。
食べればきっと何かが分かる。
食べれば……食べたい?
どうしてか食べたい?
それとも食べたくない?
繰り返し響くノイズは痛みと変わり、四凶を深化させる。
「そこで解放されるなんて!トウテツが突破してくるわ!」
「あの馬鹿――!」
その事態を通信で拾ったジャンヌは驚愕し、キュウキは憤怒の形を面に作った。
共通して二人はトウテツの過去を知っている。
その理解深度にこそ共通は見られないが、一点だけ、二人の記憶に共通する経歴があった。
全身過食の名で呼ばれるトウテツは、過去に一度だけ協会へ喧嘩を売ったことがある。もちろん、仕掛けるからには最上の馳走を狙っての真剣であった。
「引かれる――!?」
トウテツの後を追ったアキは、トウテツの進路上に藍が居ることを認めつつも不可解な引力に意を反らされて呼名に到らず、しかも片目を瞑って躓いてしまう。
四凶が大声を上げていたことが吉と出て、藍は突撃してくる全身過食を十二分の余力を残して躱し、交戦していた増援SRもそれを避け――だが、そこで生まれた一瞬の隙を突かれて藍に敗れた。
そんな戦場に、不可解な引力が発生する。トウテツの後ろに発生するは、スリップストリームが如き流れる感触。だが、現実にその引力は風のように生易しいものではなかった。
四凶の通過空間を中心に発生し、しかも弱まる事がない。
常に一定に引力を以て、本体の口へとエスコートするよう流れ続けているのだ。
「ジャンヌより南西海岸と付近で交戦中の部隊へ通達!
倉庫エリアから湾口Bエリアにかけてトウテツの引力が発生中!出来るだけ東部または西部へ避難してください!」
「こちらキュウキ!
トウテツが解放してしまった!最寄りの部隊は直ちに援護を!
狙いはボルトだ!ボルトを狙え!」
二人の通信はたちまち戦場に大きな渦をもたらした。
片や危険の発生、片や有利への条件が発生している。
意識が一向、二点に集中を始める中で、その渦流に飲まれんと別の動きを見せる者達もいた。
トウテツが仕掛けている、なるべく離れろ。
トウテツを援ける為、ボルトを討て。
逃げながら戦い、戦いながら敵を探す。
「ホウセンカ、使うか。華創実誕幻、天段:大紋慈双」
そんな戦場に混沌をもたらす。
殺意が集中してはいけない。
この殺意を散す。
(うわぁ、そんなに魔力を使うんだ~)
ボルトはチャージとサーチを両立しながら、アサの繰り出そうとしているオリジナルの陰陽術もどきの紡ぐ結末に注目していた。
(なんか嫌なコンボ宣言が聞こえたぞ!)
「カンナ姉様!アサ兄様がダイモンジソウを……!」
姉妹はそれぞれ別れて戦っていたにも関わらず、腕っ節だけが自慢の長女:カンナが敏感になって戦慄を覚えるほどの術に、大抵のハプニングでは動じないスミレが不安を露わに駆け寄った。
「掴まって!」
ただ、姉妹の中で唯一藍は、アキの援助に向かって聴く耳を立てている暇がなかった。
四凶が選んだ強引な手段に力で以て抗うしか術は残っていないが、トウテツが離れていく今はこれが最善の手である。既に数百メートルもの距離が開いている。それでもトウテツの口に向かう引力は一向に弱体の兆しを見せないが、少なくとも終焉が遠くにあることは常用的には好ましい。
地面に金棒を突き立ててポールとし、体を固定したら片腕で流されていくアキを引っ張る。
そうしている間にも無数の物質がトウテツの中へと吸い込まれていく。
(まるでブラックホール……!)
瓦礫が引かれ、死体が寄せられ、粉塵を攫った空気がトウテツ目指して流線を描く。
銃器や硝子などの金属や非金属、有機無機問わず、更に海水や火炎に至るまでが飲み込まれていく。
敵味方の体まで吸い寄せるトウテツを包む、それまで食事を妨げていたアキの黒膜が、内外からの同時干渉によって妨害の効果を失いつつあった。
ここでトウテツの口を再開させることに多大な危機を覚えたアキは、すぐさま黒球を放って黒膜を補強しようと試みたが、トウテツを追って激戦地まで移動してきたことが裏目に出てしまう。
手を伸ばそうにも引力の強さにうまく照準が合わず、また背後から飛来するあらゆる物質が藍の背中に当たっては強い衝撃を指の先まで伝え、黒膜を補強するための精神的余裕がない。
「ねぇ、大丈夫?」
度々衝撃と疑問が襲い来る戦場で、アキは新たな疑問に直面していた。
この女、藍という人間は恐ろしい力を持ちながら、何の厭わも零さず援け手を差し出してくれる。
どうしてそこまでするのか、正直困る。考えとかが。
「怪我はない!?」
一瞬、意識が戦場の外へ飛び出たアキだったが、藍の放った一言はしっかりと彼女の心を叩いていた。
「……え?」
「大丈夫!?
ボルト、トウテツが!」
『分かっているよ。
心配しなくても藍ちゃん、アキちゃん。
実はもう殆ど成功なんだよ』
握られた手に汗を覚えながらも、アキはトウテツに向けていた手を戻し、両手で藍の手に掴まった。
「成功って、教えてボルト!
どうなれば私たちの勝ちなの!?」
『トウテツとの戦いに最も有効なのは、あいつごとブラックホールに放り込むこと。
だけど、この地球上で最上の手段は“ある飢餓状態”に陥れること。
アキちゃんが黒い膜を使った時点で、その条件は満たされたんだ。まさか、あんなことが出来るなんて正直思っていなかったけど、凄く相性の良い攻撃だよ』
頭に届くボルトの声に意識を傾ける。
藍と魔女が話している。自分たちの勝利を語っている。
トウテツを蔽う膜が完全に消滅したのは、アキの眼が向き直るのと同時だった。
「オオオォォォオォォォッ!!」
咆哮があらゆる引力を破壊する。
命を食って四凶。
現実を喰らって尚、四凶。
理を喰い破って四凶、名をトウテツと言う。
黒膜を破ったトウテツの全身目がけて、消化出来なかったあらゆるモノが流れ込む。
生者、死者、無機物。
最悪と言える事態は、SRと兵器の吸収であった。
『アキちゃんの黒膜がなかったら、トウテツをあの状態に追い込めなかったんだよ~。
全身過食の完全開放――自我の在り処を探す道中で四凶になったあのトウテツが見つけた痛みを紛らわす方法であって、矛盾を抱えた生死論争の最中に考えることを中断しなかった概念、食事。
その術であらゆるものを自らの内に取り込んでエネルギーとしてきたSR……』
引力の流れから解放された藍とアキが、咆哮を上げたトウテツへと体を向ける。
朝日の中に在りて、牙と角を覗かせ、隆々と増大した筋肉を晒しつつ、四方八方に無数の残骸に飛び散らせる。
『でもね、行き過ぎた食事は過剰な生命を発現させるんだ。ほら』
レーダー塔の天辺に戻って見下ろしていたボルトは、協会の司令塔にも言葉を送っていた。
食べるという重み。
それが創る次という概念。
代弁してくれたであろうトウテツを待つ結末。
戦場の一角に静観が発生し、その中心にはトウテツ。
死体と瀕死のインスタントSRを喰らってトウテツの外見に変化が生じていた。
『強力すぎる生命力はね、光を浴びせることで更に強力になるんだ――よっと♪』
ボルトの説明半ばに、事態までが急変を始める。
トウテツの胸元を一条の光が貫き焦がす。
誰の仕業か言うまでもなく、全員がボルトの光撃を思い出した所で、トウテツの変化が急速に早まった。
「なっ――!?」
「大……きい!」
見上げる、という言葉を頭のどこかに思い出し、藍は唖然とした。
『たくさんSRの死体を食べていたもんね。しかも死にたてホヤホヤ。
それだけ沢山取り込んだんだから、外からちょっと変化を与えるだけでも過剰反応するんだ♪
ほら、ジャンヌさんも知っているでしょ、アレ。
合成獣だよ』
巨大化が終わりの兆しを見せる頃には、トウテツというSRは人間の規格を破壊していた。十数メートルもの巨体に生まれ変わって。
そんな敵を見上げてアキと藍の二人は無言ながらに思った。
これが本当に勝利なのか、と。
明らかに敵を強大にさせただけのようにしか思えない。
彼女たちだけでなく、SRとしてのキメラを知らない者の悉くは、ほぼ等しく絶望の淵に追いやられていた。
「なるほど、これなら勝てる」
しかし、同時に数名が勝利を確信したのも、まさしくトウテツが咆哮を上げたその時であった。
サーカスの連中、ナイトメア非武装派の連中、協会の面子。
立ち塞がる全てが癪に障るが、それよりも尚腹立たしいものがあった。
敵作戦司令官である。
悉くこちらの出方を先読みして先手を打っている、ヒーローズの頂点に君臨する女は、この戦場のどんなものよりもキュウキをイラつかせた。
(ボルト・パルダンの引き抜き、サーカスの説得、小規模集団やナイトメア非武装派との同盟……全て、こちらの失敗してきたこと)
仁徳や人脈の違いが決定打となった戦力差。
数だけでしか上をいけないこちらの軍を、まるで烏合の衆と嘲るかのように、粗末な手で――しかし正確に――侵攻を止められている。
(……トウテツが出過ぎたこの状況、出せる切り札は残り3枚)
だが、安易に核を使いたくない。
高いリスクが付きまとうものの、核兵器ほど安定した信頼度を誇るカードはない。これだけ強力なSRが多く揃った戦場でこれを繰り出しても、最悪発射と同時にコントロールを奪われてしまう可能性もある故に、実質このカードは愚策でしかない。
消去法で残るカードは二枚。
その一枚が、キュウキの頭に引っかかって離れない。
(ボルト・パルダン。あいつを利用できれば……)
発光する魔女を遠目に見つめながら、キュウキは目をつむる。
(いや、待て。敵はボルトだけではない!
向こうにはジャンヌに予知部隊、更にミギス・ギガントも付いているんだ。
“プレイヤ”を使おうにも先に読まれて対策を立てられる。使うなら、より多くの囮をばら撒いてからでないと……)
場合によっては核兵器以上の戦功を上げる可能性を秘めた、プレイヤというカードを指に挟んでキュウキは策を巡らす。ここは確実に行かなくてはいけない。
読み違いなんてあってはならない。
ならば、一撃逆転の可能性を秘めたプレイヤを用いるなら、数百万の味方をも犠牲にして本命を読まれないように舞台を整えなければいけない。
「――聞こえる?」
インカムのチャンネルを専用回線に切り替え、遥か後方の艦隊に通信を入れる。
「“CP”の準備を」
指示を飛ばしてすぐ、自らは上空へと翼をはためかせて戦場の全体を見下ろす。
予想外の戦力喪失。
暴走したトウテツを見下ろし、キュウキは奥歯を強く噛み締めた。