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Second Real/Virtual  作者:
46/72

第45話-Sign of GreatWar:The March of Si-xiong!-

 

 SRも実は大して強いとは言えない。何故なら人間の形を捨てることが出来ないほどに心が弱いのだから。


 by――マティス・フォーランド(パンドラプロジェクト創始者)




 

 ここが住み慣れた場所でありながら、ただ居るだけで不安になり、生命の危機を十二分に感じるには理由があった。

 理解できる理解できない、そういう尺度で物事を測れる状況ではないということ。重要なものは認知だが、状況が自分を取り巻く現実への経過をそうさせてくれず、平素を失った自らを立て直す術を会得しているわけでもない。


 エミルダと共に暮らしていくと誓った日以来、いつかは来るだろうと予測はしていた事態が、たった今、目の前に展開している。いずれ自分もSRという非現実に立ち向かわなければいけない時が来ると、何度も意識し覚悟し、決意したはずだった。しかし、現実で対峙してみると頭での処理が追いつかない。

 予想以上の非現実を展開され、混乱と恐怖が思考を蝕んだ。閉鎖的な空間に異常な空気が混じり狂気を生む。自分よりも力を持った仲間を次々と撃破した敵は、改めて口にして言うまでもなく強大で、いつでもこちらの命を奪えるだけの力を持て余しているのだ。



「トキは渡さん!」



 自分へ渇を入れるが、震えと噴出す汗は一向に止まらない。

 手持ちの得物はひとつ。護るべき人は、いまひとり。対して敵は三人。手練が三人、いずれも特異。

 どう状況が転ぼうと勝機はない。



(なるほど……トキは、こういう気持ちだったから引き篭もったわけか)



 力量の差が天地ほども開いたと錯覚するこの状況に遭い、翼は己の無力故にこみ上げて来た心悲しさに逃げ出したくなっていた。

 護らなければいけないものがある一方で、それでも生き延びたいと叫ぶ本能と無様な現実を避けたいと思い、心濁らす自尊心。待っているのが後悔と分かっていても、しかし自分が持てるたったひとつの命を投げ出すだけの勇気が、先行する護衛の願望についてこない。

 震える足をどうにか落ち着けようと、荒くも大きく呼吸して肺を十分に駆動させる。僅か収まる震え身、潮の如く緩やかに繰り返すうち引いていく汗と恐怖、加えて混乱。微々たるものではあるが、数秒前の混乱は半ば消えかかっていた。


 冷静を取り戻す翼と、一般人の出現に困惑する襲撃者のうち2人。軽装の韓国人と重武装した女性。


 襲撃者の2人を差し置いて、死神と名乗った男は手にした大鎌を投げつけた。

 虚空裂く狂気、凶器。目に余る得物には、一片の慈悲もなく、ただ獲物を切り裂くことばかりを考慮されて作られた趣だけが面に現れていた。大きな刀身は大人子供、華奢肥満関係なく切断できる寸法を有し、鋭利極めたその刃は鋼をも易々と断つ。


 そんな物が正面きって投げつけられた時、翼は自分の死を予想する暇さえ失った。混乱が再来し、引率されて再び恐怖が侵食を再開した。


 投げつけられた鎌は翼の右肩を掠り、勢い良く通過して壁に突き刺さった。



「あぁ?」



 同時に奇妙な事が翼の目の前で起こった。

 投擲という予想外の攻撃に目を見開いていた翼は、次に起こった、死神と名乗る男の腕の分離現象を目撃した。死神は痛みに声を上げるよりも早く、自分の身に異変を察知し、本来あるべき場所に無い自分の右腕の姿形を地面に転がるそれと一致するものと悟り、初めて悲鳴を上げた。乾いていた工場内に新たな液体が滴る。

 哭する男が死神でも何でもないと、迸る流血に現実を取り戻そうとした翼だが、不意に襲った不可視の衝撃と急激に縮まった距離のせいで動揺と恐怖を再起され、非現実と呼んだ現実の目の前に総身を晒される。宙に浮く身体にワイヤー等で吊るされている感触は皆無だった。



「お前、何者だ?」



 眼鏡をかけたアジア人に問われた翼は無言、首だけ横に振って答えた。



「正直に話せば良し。

 さもなくば、彼女達のように痛い目に遭ってもらうが、どうする?」


「クスッ……」



 眼鏡男の傍ら、微笑する女性は身悶える死神を見下ろしていた。のた打ち回る様を眼に焼付け、憤怒罵声の言葉ひとつひとつを哂う。

 これがある程度計算されていたものとは知らず、翼はその尋常ならざる光景に寒気と悪寒を増して感じた。


 同時。

 女性も、忍のSR:キリも異常事態の発生に作り笑いを前面に出しつつ、死神の悶える姿に焦りを感じつつ索敵を始めていた。



(ギュンの捕まえている子は、SRじゃない)



 キリの心に浮かべる感想を、ギュンは眉ひとつ動かさずに読心して頷いた。



(確かにこいつはSRじゃない。

 だが……人間という感じもしない。どこか根底で既に人間離れしている)


(私もその匂いは嗅ぎ取れたけど、確実にSRでない以上その子の仕業じゃないのは確かよ)



 サイキックで持ち上げた翼少年の身体を隅々まで見回す。

 暗器を忍ばせているわけではない。そもそも前に出てきた時の武装姿勢から素人だと判断でき、戦闘経験の無い一般人だとすぐに分かった。あべこべの構え、こちらが銃を装備していたことは分かるはずなのに選んだ武器が鉄パイプという選択ミス。勇気だけの無謀な匂い。


 しかし、現状で死神:ダイアンの腕を切り落とす理由を持った、且つ行動可能な人物は彼しかいない。



(……キリ、本当に鬼の姉妹を始末したんだろうな?)


(始末はしていない)

(何? どういうことだ?)


(アレはまだまだ利用できる。だから、半殺しでやめておいた)

(……わかった。今まで君の判断が間違っていた事はないからな。何か考えがあるんだろう)


(対無所属連合用。ところで、そっちも確認したい。番犬と鬼は片付けたの?)



 頷くギュンに嘘はないし、鬼を粉微塵にしようと逆上していた場面を2人は見ているはずだった。加えて現状、トキを護ろうと必死になっていた者達は一般人がただ一人のしか残っていない。SRが一般人を見殺しにすることはざらだが、ここにいる護り手たちに限ってはそれを覆すようなワケあり者ばかり。弱者護衛の志を捨てない哭き鬼、クラスメイトの番犬と協会所属の妖精、協会長直々に特例を受けて一般人と暮らす神隠しの子。

 誰もが、窮地にある一般人を見捨てるような人間ではなかった。

 キリ、ダイアンの調べでSR各々の過去は覗いてきたし、それを証明する過去の事例もいくつか目に通した。


 故に、唯一調査不足だった人間:村崎翼という人間を疑うのだ。

 ただ一人だけの、感知できない特殊なSRなのかもしれない。 例えば、完全否定――メイトスというSRのように、人間か怪物かを感知できないSRが実在するのだ。



(本当にこいつはただの人間なのか……じゃあ、誰がダイアンを?)










 Second Real/Virtual


  -第45話-


 -Sign of GreatWar:The March of Si-xiong!-










 ここには夢がない。

 風もなければ、水もない。熱も知らない。

 白く長い廊下を進むと、何が光源でなぜ泥足でも床が汚れないのか考えさせられた。

 あらゆる疑問を湧かせる見覚えのない純白の通路。どれだけ進んだのか覚えていない。しかし、後に戻る事のできない廊下。後ろへ歩を進めても壁が追いついてこないこの廊下では、つまり前進しか許されないのだ。

 そんな廊下を進み続けると、見えない何かにぶつかり足を止めざるを得なかった。トキは見えないそれに手を当て考え始める。

 感触はある。気のせいか、ほんのりと温かさが伝わってきた。

 もしかすれば、鏡や硝子なのかもしれない。遠近法や反射則を意識したことが滅多にないからどちらが正しいのか判断できない。



「おはようございます」



 霞のかかったような、それでいて明瞭に覚醒した意識のトキを呼びかける声が上がる。

 同じ身の丈の女。

 確かに在る、見えているのか見えていないのか曖昧な壁を挟み、トキは彼女と向かい合った。



「……誰だ?」

「お友達の危機を伝えに来ました」



 視線を落とし、彼女の影を確認する。

 毛先だけが水色がかった白色の少女は、明らかに日本人のそれとは違う顔立ちをしていた。海兵隊の着用するセーラー服にベレー帽、右手にはリボルバー:コルトパイソン。

 そこに込められている物が弾丸と殺意なら、すぐにでも彼女を片付ける理由が成立する。しかし、開口一番名乗りもせず、友人が窮地だと伝えた彼女を敵と判断するには材料足りないし、早合点であろう。



「どうして君がそんなことを?」

「あなたは今、横になって体の回復を待っている。

 それを護ろうと戦っている人たちがいます。見ますか?」



 返答を待たずに彼女の手が壁に触れた。

 透けている壁なのか、反射している鏡なのか分かりかねる綺麗な壁に映し出される映像。

 網膜を介して飛び込む現実世界。



「いま、敵は3人。

 味方は5人以上いましたが、全滅といって過言ではありません。辛うじて息をしている者ばかりで、死者は出ていません」



 壁に映る像の中で、藍とカンナが共に倒れ、高城と奈倉がそれぞれ地面と壁を崩して伏し、スミレとエミルダが気を失い、或いは大量に出血して倒れていた。

 場所は翼の住んでいる工場。

 廃墟を更に破壊した3人に見覚えはなかった。



「どいてくれ……」

「強いです」



 映像に触れ、そこに確かな壁があることをもう一度確認する。



「このガラスは君の妨害か?」

「妨害のつもりはありません。ただ、皆が必死に護ろうとしたあなたを、試し――」



 2人の手が一線を、一枚の壁を挟んで重なる。

 同時、トキは彼女が敵味方いずれであろうと構わずに押し退けて進むことを決意し、それを実行した。



「クロス、セプター」



 一瞬。

 彼女が手を引くよりも早く、トキの力は壁の向こう側の彼女を侵した。



(これは!?

 私の世界で――トキは精神だけなのに、直接私に攻撃できている!)



 重なった手から流れて走る微弱な電流。

 しかし、それだけで2人を隔てる壁は消えた。それがどんな攻撃なのか、彼女――アリス・アンダーグラウンドには理解できなかった。

 何故、精神世界で物理的攻撃を使う事ができるのか。そもそもトキに使用権限は無い。



「アリス。君にダメージは無いだろ?

 俺は君を敵だと思っていない。味方とも思っていないけど、翼が危ないってことを伝えてくれた。

 ありがとう。それから、勝手に読んだことを謝るよ。ごめん」



 敵対の意思が無いことを伝え、逆に警戒させてしまったことと勝手に侵したことを謝罪する。

 アリスはねめつけてくるばかりだが、仔細を口頭で説く時間はなかった。



「……一体、何をしたの?」


「Lv.3:クロスセプター」



 彼女の真横を通過する。

 敵対の意思がないのは彼女も同じで、しかし、疑念に満ちた質問が口から沸き出た。

 一体いま、自分が作り出した不可視の壁をいかなる方法で取り払ったのか。 それがお前のSRかと、回答を求めて止まない。



「教えてくれたら、友達助けを手伝う。後処理も。これでどう?」


「じゃあ、翼を安全な所まで連れ出してくれ。

 俺は敵をやる」



 足は止めない。

 出口はこの先、すぐそこにある。

 この純白の通路から出て行くには、その出口をくぐるしかない。


 それがアリスの頭から流れてきた情報。



「なぜ、私の名やここの出口を知っているの?」



 互いに同じ壁に触れていた故に共有し、しかし一方的にその情報を読み取る力を使って得た。これがトキの真相である。

 触れた物質から時間を奪い、時間という概念を失った物の存在を無に帰す、或いは与えて物を強化・創造するクロノセプター。 それに対し、クロスセプターは触れたモノと時間をリンク・共有させ、一方的に相手の持つ新しい情報を順に読み取っていく力。

 そして――



「つまり、こういうことだ」



 後ろから追ってきたアリスの手を握り、一発でそれが伝わるようにクロスセプターを発動する。

 頭の中で整理した新たな力の性能が、握った手を介してアリスの頭に直接伝わってゆく。



(これは……)

「驚くのは後回しにして、助けに行こう」



 触れた手を介して行き来した情報に戦慄を覚えながらも信頼に足る実力者であることを認め、アリスは急ぎ足のトキに続いた。






 目覚めて最初に自覚したのは背中の感触。年季の入ったマットレスは、コンクリートの地面ほどでないにしろ、ベッドの柔らかい感触を知っているトキにすれば硬いものだった。

 アリスに言われた通り、自分の体は横になっていた。問題はここからである。一週間運動していない体がこれからの戦闘に耐えられるのか。



(まぁ、とにかく敵を減らすか)



 深く考えるのをやめ、タイムリーダーを展開する。

 静止時間は3秒、低速時間は4秒。この限られた時間内に敵との距離を詰めなくてはいけない。

 しかし、問題はなかった。

 一週間寝続けていても、意識は夢の中でしごかれ続けていたのだから。



(行くぞ)



 上体を起こしてマットレスを離れ、部屋を隔離するドアを体当たりで破り、退出と同時に直線上にいる女性SRに突撃する。

 突如現れた新手のSRに3人は身構えるが、時間の助成を得たトキの方が早い。接近を終えたところでタイムリーダーを一時解除し、すぐにまた展開する。世界が静止するのと同時に両手の銃から時間を奪い、次にヒップホルスターの小銃と倭刀、レッグホルスターの苦無(くない)、手榴弾、拳銃と、目に付く武装を悉く解除する。

 あらかた片付けた所で低速世界が訪れ、キリという――クロスセプターで知った敵の1人――忍のSR:キリと呼ばれる女に打撃を加えた。


 時間が通常速度へ戻る前に超能力者に目標を切り替え、Lv.2:CC(時間による創造)で生み出した拳銃:Sphinx3000で以って銃撃。不可視の壁を前に通常弾丸が無力である事は十分に認識していた。肝心なのは、超能力者もそれに理解した上で銃弾を“止めようとする”ことにある。

 トキは対策を終えていた。芹真事務所で行われてきた訓練でも、同じシチュエーションは存在した。それは芹真やボルトがサイキッカー対策としてトキに施した訓練であり、現に今、それが活きていた。

 銃弾に余分な時間を纏わせ不可視の力が展開する空間へと差し向ける。間違っても翼を射線軸上に置かないよう避けて。そこで予想通りの停止が起き、不可視の壁による防御は銃弾を完全に静止させるに至っていた。だが、ここでトキの放った弾丸は余分に与えられた時間を受けて再動する。一度停止した銃弾が回転力と速度を取り戻し、見えないが確かに存在する不可視の壁を突破して超能力者の肉体を抉る。


 3発の銃弾を受けた超能力者が驚愕の表情を隠しもせずに崩れ落ちる。



「アリス!」



 不可視の束縛が消えるのと同時、空中にあった翼が忽然と消えて居なくなる。



『避難させました』



 彼女の報告と超能力者が伏すと同時、前後から二種の凶刃が迫った。

 背後からキリの鉄鉤、正面から大鎌による斬首。


 衝撃波。その後に続く土煙は、一時的に襲撃者2人の視界を遮るほど酷く立ち上がった。

 ぶつかり合った金属同士の感触から2人は冷や汗を覚えた。色世トキは今の攻撃を喰らっていない。得物を伝ってそれを理解する。

 落ち着きだす土煙の中で、理解が映像を得て確信へと変わる。鉤爪を黒刀白峰の剣が、大鎌を黄金剣がそれぞれたったの一刀で止められていた。



(勢いに乗っていた斬撃を――!)


(こんな餓鬼が、止めやがっただと!?)



 腕を眼前で十字に交えたトキは、握った剣を通してクロスセプターを見舞う。


 忍のSRには降伏とも威嚇とも取れる言葉を直接頭に響かせ、もう一人からは死神のSR:ダイアンという情報を得る。

 次に時間による加速。

 その場で膝を折って死神と忍の得物が衝突するように2人を躱し、それぞれの機動力を奪うべく脚へと斬撃を加える。

 予想外の展開は何一つない。キリは低速世界において高速移動によって通常速度でダイアンを飛び越えて回避し、死神は咄嗟に非物質化してキリの斬撃による顔面への損傷を免れた。そんな死神へ、背後から黒刀白峰の剣:畏天(いてん)を深々と脹脛へ斬り込んだ。畏天には霊体を斬ることが可能なように、藍が独自の術文を込めてくれている。非物質化によって銃弾の雨を躱すことや斬撃の暴風を躱すことができようとも、畏天の刃だけは避けることが叶わない対幽体用の得物でもあるのだ。



(死神の脚は切――っ!)



 銃火。

 指の先に嵌めた指輪から微かに覗くストリングスの煌きが、トキの集中力を削ぐ。重力に縛られて高速移動にも制限が生じる空中で、忍が採った回避方法は糸による軌道の制御である。上下左右に巡らせた糸を手繰り寄せて斬撃を躱しつつ、新たに隠し持っていた銃器を取り出して引き金を絞る。太い筒から放たれる40mmという大型の弾は、爆発を巻き起こす炸薬弾ではなく、眩い光によって相手の視力を奪う照明弾(スターシェル)を放っていた。

 閃光を放つ弾がトキの眼前を通り過ぎ、地面にぶつかって這うように遠ざかり、壁に激突する。



(閃光弾だったか!)


(好機!)



 頭上から迫る脅威に対応する。警鐘によって知らされる危機。

 視界を奪われた今を狙って、確実に仕留めようと忍は構えている。上から。銃を捨て、刃物で。

 以前よりも少しだけ性能を理解したタイムリーダーは対応への自信を生み、警鐘は相手の位置は正確に把握する為に活きた。 問題は照準。いま忍に銃を向け、一発の弾丸で動きを止める自信はそれほど大きくはない。複数発あるなら話は別だが、いま両手に回遊させている時間の中から視力の回復に時間を使ったとして、その場合に作り出せる銃は1丁、銃弾は1発が限界である。

 当然だが小口径の銃では用が足りない。作るなら最低でも22口径以上の弾を使用できる銃。

 左右の目を両掌で隠すように覆い、両目に時間を与えて視神経の時間進行を早送りする。数時間後の未来の視力――閃光から完全に回復した視力を得るのと同時に、星黄をSphinx3000へと作り変える。引き金に指をかけ、腕を伸ばして銃口を向ける。照星と照門の一致を待たず、必中の感覚による銃撃をキリに与える。同時に深い切創を負ったダイアンの反撃を、銃を片手で握り直しつつ避ける。銃弾は忍の左肩を捉え、躱した大鎌は数本の頭髪を攫って空を切る。

 空中で体勢を崩すキリ、得物を制御しきれないダイアン。

 トキも体勢を直す。既に立ち上がっていたダイアンの蹴り脚を銃を握った腕で受け止め、畏天でもう片足を突く。骨に当たる感触を見つけた所から剣を外側へと奔らせると、死神の血飛沫が土ぼこり積もり始めた地面に滴い落ちた。それでも死神は止まらない。両膝を地面に落としながらも片手で振る大鎌は的確にトキの脳天を目指して奔っていた。 狂喜の笑みと共に振り降ろす大鎌には溢れんばかりの殺意と、持て余した怒りの念が込められている。

 死神は目標である色世トキの拉致を完全に忘却し、敵対するSRとして始末に掛かっていた。どう咎められようが、この怒りだけはコイツにぶつけなきゃ収まりがつかない。


 対するトキは別段驚くわけでもなく、但し、勇気を出して大きな一歩を踏んだ。

 斬撃の射程を外して刃を避けるのと同時に、死神の得物の長い柄を肩で受け止める。肉と骨に生まれる熱を神経が痛みとして伝え、衝撃は片目の瞼と右手の銃器を落とすだけの威力は十分に備えていることを語る。覚悟の勇気が無ければ確実に後退していただろう攻撃を、一時的に止めた所で死神の今最も危険であろう凶器から時間を奪い、自らの得物を作り出す。奪った時間で右拳を包み、両膝をついた死神の顔面を打つ。が、



「捕まえたぞテメェ……」



 死神はトキの拳を踏ん張って堪えていた。打ち込んだ右手の首を捕まえた死神は、大鎌を手放して力任せにトキを引き寄せる。

 逆襲の顔面を狙った拳打。

 頭部を後方へ傾けて打撃を躱すトキの視界の片隅に、新たな得物を手に取った忍の姿が飛び込んできた。死神もその姿を捉えてトキを放さないよう握る手に力を込めた。いっその事握り潰そうとも考えたが、前のめる姿勢でそれを実行できるほど時間的猶予はないため、握った手で以ってトキを下へと引っ張った。自分と同じ高さに頭部が来るよう腕に力を込め、空振りした手も加える。



(乗る!)



 腕を引かれたトキはあえて抵抗することではなく、されるがままに流れていくことを選んだ。

 抗うばかりが良き手段ではない。

 一歩、体勢を崩したように見せかけて死神の射程内深くへ入り込む。踏みとどまるように足を出し、予測される相手の攻撃を誘うために五体を死神の射程内に置く。直後、死神は腕を手繰りつつ頭を後方へ逸らした。暗器でも銃器でもない、頭部による頭部への打撃衝撃。



「低速」



 時間の流れを緩やかにし、トキは死神の手から離れる。

 一度距離を取って武器を拾いなおし、Sphinx3000を時間分解して再び掌に時間を回遊させたまま死神の顔を、打つ。踏み込みと、腰・肩の回転、手首のスナップによる一連のアクションから繰り出される平手打ちは、相手の視界を麻痺させるのと同時に鼻を折っていた。衝撃後に鼻孔から噴出す鮮血が、両足からの流血に混じる。

 顔面を打たれたことを認識した死神は、次に後頭部を襲う衝撃で地面が迫るその圧力に狂喜の表情を完全に失った。僅かな間意識を保っていたが、次第に霞がかっていく視界と共に訪れる脱力感へと心身を委ねて夢の世界へ。

 トキは背後へ回り込み、全力で死神の後頭部を蹴り飛ばしたのだ。



(ダイアンが、やられた……)



 加勢に走ったキリだったが、目の前でそれを打ち砕いたトキに初めて冷や汗を覚えた。

 流石は色世皐の子供。



(予想通りに絶対神判の加護と芹真事務所の存在が、ありえない速度でトキ自身のSRを成長させている!)



 トップスピードで忍が疾駆する。

 SMG(サブマシンガン):MP5Kを両手に構えて弾幕を張る。連射の途中で片方を捨てて棒状手裏剣をトキと左右の仕掛けに打ち込む。弾幕さえ避けきったトキに飛び道具が通用しないことは充分に理解できた。だが、囮として使えるかもしれない。 もう1丁のSMGも投げ捨てて破片手榴弾を複数個天井目掛けて放り投げる。二秒ヒューズに作られた特注手榴弾の炸裂までに他のトラップも起動させる。トキの頭上を飛び越えつつ斬撃を試み――肩を狙うも手応えなし――置き土産として手裏剣を見舞う。

 直後、手放したばかりの手裏剣全てが消え、そればかりかトキ本人も視界から消えていなくなる。



「!?」



 いま、キリは銃弾を躱せるほどの速度で動いていたのだ。だから銃弾と手裏剣が同時に目標を穿つように仕掛けて回れるのだが、それほどの速度で移動して回っているにも関わらずトキを見失ってしまうのはどうしてか。



(時間、か)



 物理法則を破って久しいキリだが、未だかつて時間という概念を破るSRに出会った事がない。この出遭いによる衝撃は思いの外大きかった。銃弾より速く、亜音速すら超越する現象。確信には至っていないが、トキが消えた理由は時間の止まった世界を移動したから。

 認め難い予測を頭の隅に追いやり、キリはトキの捕獲を諦めた。



(トキが、これほど使う者など聞いていない)



 一旦、集中力を平常域まで戻して低速に見えている世界を通常通り見えるように戻す。

 髪に吹き付ける風を感じ取って切り札である刀を抜き、トキ渾身の斬撃を阻止する。



(銃弾と手裏剣が全て消えた……)


(反応した!? これが忍者のSRなのか!)



 星黄を受け止めた刀は小太刀。トキがこれまで得てきた実在・非実在合わせた、あらゆる日本刀という得物から構築した日本刀というイメージを下回るサイズの刃物。

 黄金宝石の剣を弾き、虚空を奔る雨之常太刀(あめのとこたち)が見せる斬撃軌道。刀身の短さ、トキの回避という状況から斬撃が直接ダメージを与えるには至っていなかった。

 互いに距離を取って得物を持ち直す。

 トキの二刀流、キリの一刀一鞘。低速世界の展開とキリのトップスピードによる撹乱攻撃の開始は同時だった。

 側面から鞘による打撲を畏天で武器防御し、上半身を腰のバネを使って半回転させ繰り出す雨之常太刀の斬撃を屈んで躱す――警鐘――後ろへ飛び退いたトキはキリの暗器を警戒した。今、何に対して危険を知らされたのかが分からない。



(まだ隠し武器があるのか?)


(もはや勘が良いという話ではない。やはり絶対神判の加護が憑いている)



 地面を蹴り、鉄柱を蹴って立体的に動き回って死角を探る忍。

 隙を突かせまいとトキも物陰へと滑り込むが、身を隠した先では安全ピンを無くした手榴弾に出迎えられ、急いで元来た方へと身体を戻す。爆風が横顔に熱いものを運ぶ。飛沫は凶器と共に散り、兵器としての役割を果たす。鉄柱の裏側から伝達する破片による攻撃。しかし、これが囮であることは言うまでもなく理解できる。

 左右いずれかより現れるであろう攻撃に備えて双剣を十字に組む。その時、頭上で金属同士の衝突音がトキに同様をもたらした。



(上――っ!?)



 顔が向くのと鞘が真っ直ぐに鼻頭に落ちてくるのは同時だった。見る前に斬る。頭上で星黄畏天を交差し、鞘を三等分にする。これも囮だと気付くのに、刹那ほどの僅かな時間を要した。

 鞘はトキの視線を上へと上げる囮であり、キリ自身は足音を立てずに真正面から肉迫していた。地面を滑るように走り、低腰状態から鞘の囮に気付いたトキへと斬撃を見舞い――しかし、トキはその斬撃を紙一重で受け止めた。

 星黄に止められた雨之常太刀が滑り込んで切りかかるところを、畏天で十字の受けを作って完全に止める。両手が斬撃の防御に回ったところで放たれる蹴り足。足の親指を踏みつけ、脛と膝を蹴り、鳩尾を打つ。一瞬のうちに貰った攻撃四つ、うち大きなダメージが一つ。親指の骨がひび割れたことを感覚で知りつつも、小太刀を押し返して一歩踏み込み、反撃の二刀流を見舞う。

 初撃の畏天による袈裟懸け。しかし、刃は忍に届かず、



「何?」



 虚空で止まる。

 キリの小太刀が止めるわけでもなく、畏天は何も無い空中で静止してしまった。何も、無いはずの空間で。色や形と言う概念で言うなら確実にそれは無いはずなのに、どうしてか、畏天の柄から響いてきた震動は金属の感触であった。



「動くな」



 顔を上げ、刃先が喉元に突き付けられていることに気付く。

 畏天の感触と忍の強気な態度から、トキがそれに気付いたのはすでに危地置かれてからだった。



「包囲した」



 首と眼球の動作だけで自身の周りを確認し――何も無い虚空に警鐘を打たれ――畏天を受け止めた見えない刃物の存在を感じた。



「それがその刀の力か」

「そう」



 小太刀がアスタリスクを描くように奔る。すると雨之常太刀の力が、鋭い痛みとなってトキに伝わる。

 刃が通過した空間に触れる。通過したはずのそれは、まだそこに存在していた。

 斬撃ならぬ残撃。



「なぁ、その刀って、カマイタチとは違うのか?」

「違う」


「刃を残す?」

「いいや、斬撃」



 言葉を交わす間も忍の斬撃は続いた。前後左右、上下柱の裏側まで隈なく残撃によって包囲され――



「……これで封じたつもりか?」



 切り札、というつもりはトキになかった。ただ、使い所ではなかっただけで。

 忍の腕が止まる。

 確証無くとも直感がトキの底の深さを伝えていた。まだ、何かある。


 念を入れて両腕の剣を弾き飛ばす。

 身体を自由に動かせない状況にあるトキはそれに抵抗することもなく、飛ばされた剣の行方を見守る事もなく、ただ眼前の敵対する忍にのみ視線を送っていた。

 柱に手を触れないように忠告し、妙な動きを取らないよう促す。



「質問二つ」



 しかし、トキに動揺や焦りは微塵も伺えない。

 キリにトキの自信がどこから湧くのかがわからず、早急に用事を済ませるしかなかった。



「黒い欠片。どこ?」

「知らないし持っていないし、そもそもソレをどうする気だ?」


「渡す」

「四凶にか?」



 笑う彼女の顔、その額から汗玉が流れ落ちてゆく。撃たれた左肩が痛むのか、徐々に笑顔が崩れていった。



「仲間、いつでも殺せる」



 釘を刺してからキリから第二の質問が飛び出す。



「会長の秘密とは?」

「知らない」



 白を切ったものと判断したキリの腕が苦無用シースに伸びる。得物を数本つまみ取り、伏して倒れる哭き鬼:スミレの間近に突き刺さる。

 気を失った事によってSRを解除している彼女は普通の人間と大差ない。そんな彼女の身体に、コンクリートに突き立つほど鋭利な苦無を止めることは出来ない。



「芹真事務所、会長の秘密知って協会抜けた」


「本当に知らない。聞いてくれ」



 キリが何を求めているのか分からないが、何の情報も持っていないのだ。そもそも、芹真事務所の全てを理解しているわけでない。



「俺もいま、黒い塊を探しているし、芹真さんに聞きたいことがいくつか出来た」


「逃がせ、と?」



 笑顔はあまり残っていなかった。

 苦無が飛ぶ。

 金属同士の激突音。

 苦無は、スミレに刺さることなく、弾かれた数本がコンクリートの床に、数本が錆びた鉄骨、朽ちた壁に突き立った。



(哭き鬼……)


「藍!」



 同時に視界に飛び込んだ結末は、スミレへの投擲攻撃を防いだ藍の、満身創痍でありながらも闘志を失わない気迫を持った鬼の姿。

 肩を上下させて呼吸するほどの重傷を負っているにも関わらず、背を丸めることも左右に揺らぐこともない、ただ大きく呼吸するばかりが動きの仁王立ち。頭部と右半身から夥しい流血を見せる藍だが、キリに畏怖を感じさせるには十分すぎる気迫だった。



「結晶角の鬼……姫鬼だったか」



 忍の呟きと同時にトキは両腕を左右に展開した。不可視の斬撃で腕を失わないように注意しつつ、タイムリーダーと2つのCCを連続して使用し、複数箇所腕を切りながらも両腕を肩と同じ高さに上げる。


 柱を背に両腕を開いたトキは、磔に処される人間のように見えた。そう見えてしまったが故に、トキの行動が攻撃の類だと警戒するのが遅れた。

 哭き鬼に気を取られているうちにトキは加速していた。


 両腕を広げ、口から出る言葉、



「止まれ」



 視界は仄かに白みがかっていた。

 それはトキにも、キリ、藍にも同じ色が見えていたものの、何が起こっているのかを理解しているのはトキ1人。

 藍もキリも同様の感想を抱いていた。何が起こり、これから起ころうとしているのか分からないが、トキの勝ちは近い――或いは確定するという予感があった。


 決着は呆気なく、予感が脳裏を過ぎる頃に勝負は着いていたのだ。


 二つ、溜息がそれぞれの口から零れた。敵を無力化したトキと、それを見守っていた藍の二つ。

 完全に停止時間の中に取り残された忍のSRを見て、藍はトキの著しい成長に安堵の息を漏らした。敵勢力の沈黙を確認したところで膝は折れ、肩が降りる。握っていた金棒も濡れた手の中から滑り落ちて地面に伏す。

 前傾に倒れる身体を左腕で支える。



「大丈夫か!藍!」



 両腕を上げたまま、両の掌を握って拳を作る。

 それだけの動作で周りを取り囲む無色無形の凶刃は、その効果・現象は失われた。包囲を解いてすぐ星黄畏天を拾いなおして時間分解し、藍の元に駆け寄って手中に得た時間を与えた。


 致命傷が一つ、深手が七つ、軽傷が三十と九つ。

 常人ならば複数回死ねるであろうダメージを負いながらも、いまだ生をつないでいるのはSRのお陰と、藍自身が抱く忍に対する執念によるところが大きかった。


 時間を与えるCCと同時にクロスセプターで垣間見た藍の心境は、復讐の炎に燃える自身とそれを鎮めんと冷水を放つ自身の、葛藤と冷静のせめぎ合いだった。兄の復讐を遂げるか、報復を捨てて禍根を水に流すか。

 兄の復讐は平穏と四凶化の進行をもたらし、もう一つの選択はその逆をもたらす。



(四凶と協会の関係悪化、四凶問題の激化……その情報を得たから、最近の藍は復讐を遂げるべきか否かで迷っていた、のか)



 最後に覗き見た一欠片には、彼女は苦悩に寝食ままならない日々を送っていたことが記録されていた。

 四凶にならない。

 忍と同じに四凶にならない。なりたくない。

 自分のためにも、再会できた家族の為にも、事務所の為――トキや、コハネの為にも。


 込められていた思いを知ったトキは地面に手を当てて時間を補充する。



「俺は、一週間も寝ていたんだって?」

「……えぇ」



 背中に刻まれた大きな縦一線の切創を修復し、大きな傷が全て消えたのを確認し、次にスミレの回復に臨む。

 傍らへ、懐から術符を取り出した藍は膝を着いて同じ作業に取り掛かった。サイキッカーによって振り回されていたスミレの傷は藍よりも酷い。外傷よりも内部の損傷が激しかったのだが、それでもまだスミレに息は残っていたため、トキと藍の施す術で回復できた。これが亡骸だったものなら手の施しようがなかったものの、鬼の生命力とは不思議なもので、まだ死には遠い。



「トキ。あれは、どうなっているの?」



 肋骨の刺さった肺を直し終えたところで、藍は忍のSRが固まる空間をわき目に見た。



「アレって、忍者のこと?」


「ええ。止まっている、みたいだけど……死んでいるの?」


「いいや。死んでいない。

 あ〜、でも、動けないって意味では死んでいるけど、でも生きているといったら生きているよ」


「止まっているの?」


「それより、藍はお姉さんの方を助けに行ってくれ」



 言われて雑念が吹き飛んだ藍は、頭の中で姉の受けた攻撃が自分よりも多く、深いことを思い出して駆けた。

 光の当たらない、暗く、中央エリアよりも粉塵の酷い廃棄されたエリア。そこで姉は中央エリアに向かって這って動いていた。十数メートルもの移動跡は床の埃具合と血のラインが証明している。



「藍……あいつらは、どうなった?」


「動かないでくださいカンナ姉様!今直します!」



 少し痛むことを告げてから術式円陣を作り出し、その上でカンナの身体に刻まれた傷を癒していく。

 術符による回帰回復と、再生促進回復で以って、流れ出た血液の生成をも促す。



「高城先輩!大丈夫ですか!?」



 一方、トキは高城、エミルダ、それから奈倉の回復に大量の時間を其処彼処(そこかしこ)から手当たり次第時間を奪い、三人のSRとの戦闘で大いに消費した学友らに時間を与える。

 最初に目を覚ましたのはエミルダだった。時間は与えることが出来ても意識を復活させる事はできない。感謝の意を伝えるのは意識を取り戻してからにしようと順序立て、トキは3人の傍を離れた。この時、スミレが気絶の淵から復活を遂げ、一変した状況に我が目を疑った。



「止まれ」



 奈倉たちの傷を癒してすぐ、タイムリーダーで低速世界を展開して死神と超能力者に接近する。

 彼らの傷は治さない。

 だが、見殺しもしない。

 忍のSR――キリを静止させているのと同じ“タイムリーダー”で死神と超能力者を隔絶する。これで彼らを捕獲したも同然である。これから芹真事務所に電話して応援を呼び、同時に彼らを回収してもらう。

 質問をするのはそれからだ。

 誰が雇い主で、黒い塊をそもそも何に使うのか。


 質問は三人だけではない。芹真にもある。


 ――会長の秘密とは何なのか?


 

「おい、トキ!大丈夫なのか!?」



 問うべき事を頭に浮かべているうちに愛院は意識を取り戻していた。大声を上げるほどの元気と勢いで立ち上がり、エミルダと共に歩み寄ってくる。



「大丈夫だよ。奈倉さんは? エミルダも何か痛いトコとかある?」

「大丈夫だよ」

「問題ありません」



 確認しあった三人の目が固まった超能力者の(うずくま)る姿に止まる。

 怨嗟に歪んだ顔を僅かに覗かせる韓国人を見て、愛院は藍と同じ質問をトキにぶつけた。

 ――これは、止まっている、のか?

 高城が目を覚ます頃、トキは全員の目の前でそれを実証しようと藍とカンナが戻ってくるのを待ち、翼が戻ってくるのを待つべきかどうか悩み――待たないことにした。


 愛院、エミルダ、カンナらの前で両腕をそれぞれ左右外側に伸ばし、開いた掌を閉じて見せた。






 これが、最も安定感のある発動方法。

 両腕をそれぞれ側面に伸ばし、肩と同じ位に持ち上げ、掌を素早く握り閉じる。

 それだけの動作で自分を中心とした薄黒く巨大な半円球が生まれ、全てを平等に、選り好みせずに解かしてゆく。



「助けてくれぇ!」



 全てが純白の室内から明かりが消える。

 監視カメラ、椅子と机、食料、壁、床、人、SR。

 何ものが空間内にあろうと、彼女の前では等しく“消滅できるモノ”でしかなく、彼女を少女と見縊(みくび)り、小さな密室を選んだ監査官達は後の祭りと分かっていても助けを求め、必死に生へと縋った。



「嫌だ!死にたくない!死にたくないんだぁ!」



 全力で叩いて危機を伝える唯一の出入り口である扉。

 その扉さえ、今では薄黒き半円球に解かされ、扉としての機能を失っていた。消えていく者物。部屋の照明が消え、予備証明が部屋を照らすのも束の間、絶えない消滅の半円球は完全に部屋を飲み込んでいた。



「緊急事態!誰か応答してくれ!

 誰かっ!おい誰か出てくれチクショウ!」



 狭い部屋の中、屈強な体格の男達は誰一人として彼女に近づこうとせず、それぞれ部屋の隅や壁際へと逃げていた。しかし、逃亡が無意味ということに気付かされた男達は少女を無力化させようとSRを解放した。

 それが無駄に終わった瞬間から、男達は必死に助けを求めた。



「頼むから誰か応答してくれ!魔法が効かないっ!」



 扉を叩く手が砕けるて形を失う。

 解けた肉体に残された時間は僅か、しかし扉は肉体よりも堅固。解ける速度が等しくても、結末に至るまでの時間だけは違った。

 先に崩れ始める肉体。外部へ伝わらない叫び。

 機密性を重視して設えたこの“質問部屋”は、いくら叫ぼうとどんな音であろうと決して外に漏らさない。例え銃を持ってきたとしてもこの部屋で使う事はできないし、ガスを使うにしても唯一の出入り口は死んでおり、今や完全な密室と化していた。



「会長はどこ?」



 少女の――織夜秋の、一切の熱を感じさせない声音に男達が身体を震わせた。

 常時進行する死への解き。

 殴りかかろうにも身体は崩れるほどに脆くなっており、更に近づこうにも中心部ほどSRによる効果の無力化も強く、解きも早い。


 震える男達を一通り見回し、この部屋の誰もが使い物にならないと悟った瞬間、部屋を飲み込んだ薄黒半円球の中に――両掌を半ば開き――男達の胸に濃黒小球を現す。

 部屋を薄黒に染めた黒の効果で死を約束され、濃黒の小球でもって即効性の死を確約される。



「消えて」



 掌が再び拳を作った。

 直後に、騒ぎ立てていた男達の声が一斉に止む。

 濃黒小球に触れていた男達の胸には大きな穴が開き、穴の形成直後に小球は消え、筋組織や血流は通常通りの動きを展開する。零れ落ちる雫を踏み鳴らし、死体を跨ぎ越え、部屋の壁を透過して展開する薄黒半円球を解除し、壊れた扉に濃黒小球を複数個発生させて扉を消して部屋を出る。

 扉に大穴を開けて灰色の通路に出たところで、秋の目の前に新たな男が姿を現した。



「会長はどこ?」



 誰彼構わず質問する秋。

 抑揚のない声に男は返答する。



「俺が会長だが、一体どんな御用かな?」



 織夜の身体は完全に固まって動けなくなる。

 目と目が合った瞬間に支配は始まっていた。何もさせない為に、何を考えての行動か聞き出すために四肢を止めて首を固定し、余計なノイズが耳に届かないように聴力を制御する。

 人として制御できることを知ったオウル・バースヤードは、織夜秋の支配を全て解いた。



「トキの監視網の解除をしてほしい」


「もうしたよ」



 それだけ言って踵を返していく会長の背を見送り、通路を曲がって消えたところで秋の足も動く。

 会長の後ろを追うように朝日が昇ろうとしている海の見える通路を真っ直ぐに進む。間接照明の優しい光は決して強い光ではないにも関わらず、灰色の廊下はハッキリと灰色であることを認識できる、不思議な通路だった。



(頭痛が止まった……)



 協会の地面を踏んで前日より止まなかった悩みの種が、突如として芽を引いたことに驚いた。

 エレベーターの中で扉が閉まらないようにボタンを押し続けている会長の隣まで歩き移る。

 ここは何かが変だ。



「どうしてトキの監視網を解除、なんてのを望むんだ? 良かったら聞かせてくれ」


「トキを殺す為に邪魔だから」



 上昇を始める箱の中、二人は視線を眼前に固定して口の上下を続けた。



「どうして殺す必要が?

 何か嫌がらせでもされたのか?」


「彼を殺して私は“ひとり”になれる」


「それは一人前か、それとも孤独?」


「一人でいい。孤独でも、一人でいい」



 エレベーターが減速を始める。

 織夜秋というSRを知覚しながらオウルは考えた。

 彼女の異常は見た目では気付けないほど深刻で、しかも重症である。どんな状況を作り出して織夜秋という人間が形成されたか似通った記憶を鑑みた。



「どうして色世時なんだ?」


「どうしてもシキヨトキだからです」


「その名前に意味はない。そもそもお前は自身を示す名前を持っているだろう。織夜秋というちゃんとした名前を」


「その名前に意味はあります。今の私は、母がくれた仮の姿を名乗っているだけ」



 長い廊下に出て、一度曲がり大きな扉の前で足を止める。

 指紋と声紋と網膜スキャンによる開錠を済ませて協会本部最高セキュリティレベル中央部、本会長室に二人は入室した。

 バースヤードの後ろを歩いてついて来た秋は、何も考えずに会長の後を追って来たことを今更になって自覚し、広大な部屋と自動点灯した照明に意識を持っていかれる。椅子に腰掛ける会長の背後では、壁一面がスクリーンとなって白空と薄ら満ち掛けた月、空の光を乱反射する大海の波模様が映し出された。



「どうしても殺さなければいけないのか?」


「それが唯一の方法だと――」


「誰が言った? キュウキか?」


「母が――教えてくれました。シキヨトキ。それが本来、私が得るべきものだったと」


「…………そうか」



 デスク上の書類群から関連するファイルを探して目を通す。幾つかの予測を元に、つい最近取り揃えたばかりのファイルであり、すべて眼前の彼女とまともに会話を繰り広げる為のアイテム。



「君の母親の名前は?」


「コト」


「フルネームは?」


「?」



 途中までは、秋の反応に予想外へとカテゴライズされるものはなかった。フルネームの問いに対する反応前は。



「ふるねーむ?」


「名を“コト”というのだろう?

 じゃあ姓は?」


「せい?

 一体、何が聞きたい……?」



 二人の間をクエスチョンマークが飛び交った。

 ここに来てある意味で不測の事態に陥ったオウルはどう伝えようものかと頭を押さえた。一方で秋は協会長の放った単語について必死に頭を回して該当する単語を検索するも、検索単語に一致するデータが存在しなかった。

 数分の沈黙。

 静寂を破ったのは秋で、会長への質問をぶつけていた。



「どうしてトキを護るんですか?」


「大変な人物だからだ」


「……大変って?」



 二人の表情は遭遇から一片もしていなかった。如何な言動や行動を見せようと不変。織夜秋を探りつつ見定めようとするオウル、素の状態で余計なリアクションを見せない秋。



「君は四凶を知っているか?」


「名前なら」


「秋、君にトキの包囲網について情報を提供したのはキュウキだろ」


「確かそんな名前でした」



 淡々と返答する秋の答えは半ば予想通りで、しかし半ばは予想外の回答であった。

 この少女は四凶軍の回し者でない。

 心の中にはトキの顔とデータが全面的に先立っていた。会話を交わしている今も、秋の頭は名前を取り戻したいという執念が力強く渦巻いている。



「お前は利用されているつもりなのか?

 それとも利用しているつもりなのか?」


「どちらでもありません」


「そうか……

 秋の目的は四凶の勝利貢献か?」


「いいえ。トキです」


「じゃあ、ここに留まっていな」


「どうしてです?」


「近いうちにトキが来るからだ」



 再度訪れる静寂は、熱を帯び始める秋に冷静を呼び戻すには十分な時間であった。

 執念という熱を読み取ったオウルはタイミングを見計らって次の言葉を放つ。挑発にならないよう、織夜秋を協会に留める為に。



「これから数日中にキュウキが攻めて来る。

 当然、ここの戦力だけでは防ぎきれないと予測が出来ている」


「……戦場になる」


「俺は芹真事務所に応援を求めるつもりだ。

 彼らが呼応してくれる確率は極めて高い」


(戦場……)



 二人の頭に仮想の戦火が浮かぶ。



「来なかったら?」


「いや、来る。確実にな」



 根拠に四凶が強く絡んでいることを再認識し、ある提案を秋に持ちかけた。



「トキが来なかったらトキの家に連れて行ってやろう。

 それまでどうだ? 秋自身の四凶を判定してみないか?」


「あなたはトキに死なれると困るのでは?」



 秋の両腕が左右に上がる。



「さぁ……

 実は確証なんて無いんだ。困る可能性もあるし、実は無害かもしれない。その辺は色々試して見なきゃ何とも言えない」


「殺すよ。トキも、あなたも」


「ああ。だが、それはトキが来てからにした方がいいだろうよ。

 その方が一回で始末できるんだ」


「……今すぐ消してあげるよ?」


「いいけど、但し“ここに頭痛薬はない”ってことを肝に銘じておいてくれ」



 再三の静寂は先の二回と明確に違った。

 それまで平静を保ってきた秋の目が始めて動揺の反応を見せる。



「どういう意味?」


「いや、なに。必要なら解消方法を教えてあげようと思っただけさ」



 矛を止めた言葉は事実で、オウル・バースヤードの魅力的な提案を秋は呑んだ。

 悩みの解決法を知ると同時に協会長という男はトキをある程度知っていることが見て取れた。



「さて、じゃあ、計測といくか」



 協会本部、日の出前の15分に交わされた会話であった。


 ――同時刻


 協会の第一支部を制圧した四凶軍10億が協会本部を、100万が第二支部を目指してそれぞれ進軍を開始した。





 

 四つの軍が三つの国を目指して進軍を開始した。

 それぞれ二つの軍はフランスよりロシア、オーストラリアを目指した。


 大軍の進攻の裏、秘密裏に少数精鋭部隊が日本へ向けて放たれた。


 色世時と風間小羽の確保、或いは殺害という任を受けて。




 

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