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Second Real/Virtual  作者:
42/72

第41話-四凶宣戦!渾沌に沈む世界-

 

 トキが家に入って最初に行ったこと、それはうがいと手洗いだった。

 小学校の頃から言われていた衛生管理だが、中学に上がってからは疎かになり、高校になると完全に怠るようになってしまった、忘れられた管理行動である。


 混乱する頭を少しでも覚ますためにと実行したが効果は微々たるもの。

 次にしたことは家中に掃除機をかけ、夕飯食材の確認である。それからテレビのスイッチをいれ、2階へ登り、携帯ゲーム機を部屋から見つけ出して1階に戻る。携帯ゲーム機の電源を入れたところで飲料水を探しに冷蔵庫へと向かい、その過程で窓から差し込む夕日に目を細めた。 フローリングの床が冷たい。 いつもなら感じることのない冷たさにふとした疑問を浮かべた。ここは自分の家なのか。その自覚が薄れ、疑問が疑問を生み、連鎖してゆく。何故そう感じるのか。どうしてこんなに余裕がないのか。 混乱している。

 コップを食器棚から取り出し、棚のガラス戸に映った自分の姿を再認する。村から戻ってきた時のままの汚れた制服姿。 暗いリビングでため息が漏れる。僅かに気が楽になった錯覚に陥り、コップ一杯の炭酸を一気に飲み干す。それからゆっくりと2階に戻って私服に着替え、再び階段を降る。コップに二杯目を注いでゲーム機を手に取り、スタートボタンを連打する。約3分ほどの静寂。ゲーム機の音量をミュートにしたままプレイしていたトキだったが、どうにも気が乗らず、音量を上げてみるものの無残な結果に伴う効果音ばかりがリビングに響くだけだった。電源を切ってゲームを終了し、テーブルの上に置いて2度目のため息を漏らす。テレビでは小学生向けのアニメが流れ始めた。気の滅入るままに、トキはチャンネルを回してみるが、すぐに気力を失ってテレビの電源を落とし、2階へと上がった。 自分の部屋に入り、持ち込んだコップをパソコンデスクの隅に置いて、ノートパソコンの電源を入れる。冷却ファンの起動と共に画面が色を帯びる。準備が次々と整う中、完全にパソコンが起動するまで椅子の背もたれに身体を預け、汗をかくコップに手を伸ばす。

 この時、距離の目測を誤ったトキは手の甲をぶつけてしまい、パソコンデスクの上からコップを落としてしまった。

 しかし、コップと中身の炭酸飲料が床に到達するよりも早く、トキのタイムリーダーは展開した。空中でコップを手中に収め、零れた液体を空中で回収する。一滴残らず右手に持ったコップで掬い集め、最後に左手でコップに蓋をする。タイムリーダーの解除と同時に器と蓋の中で液体が跳ね、掌を濡らした。



「ふぅ……」



 改めてコップをパソコンの画面前に移し、部屋中を見回してティッシュを探す。手を濡らした炭酸飲料が床に零れ落ちないように注意しながら椅子を離れて部屋を探し回る。積み上げられたゲームソフトの山の中に埋もれた箱の角が目に付き、手を伸ばして一枚取る。液体を拭き取り、ゴミ箱目掛けて丸めたティッシュを投げ捨てる。ちょうど起動したパソコンに向かい、トキは早速インターネットに接続して、莫大な情報が行きかう海でサーフィンを始めた。 主に海外のニュースを中心にリンクしてゆき、複数のサイトを同時に並べ、眺めて情報を求めて泳ぎ回る。だが、トキの求めた事件や速報は一切上がっていなかった。ネットサーフィンを中断して部屋のカーテンを閉め、蛍光灯のスイッチを入れて再び画面と向かい合う。公のニュースサイトや、個人運営の新聞サイト、ニュースブログにもトキが求めた情報は何一つ載っていなかった。


 しかし、会長は世界中で同じ事が起きていると断言していた。


 四凶達による一斉蜂起。

 多くの国でそれは成功し、少数の国は辛うじて予防・阻止したという。その中で日本も、予防こそできなかったものの半数にも満たないが多数とは言えない、しかし決して少数ともいえない犠牲で四凶集団を壊滅させるに至った。成功とは言い難いが、失敗とも言い難い。

 数十人もの死者が出ている時点で成功とは言えないだろう。



「……」



 もし、そんな事件が世界規模で起こっているのなら、ニュースの速報等で報道されていても不思議はないはずだった。が、それにも関わらずその類のニュースは一切流れていなかった。事件の片鱗さえも見せない報道の沈黙。何が起こっているのか考え、しかし一切の見当がつかないことに苛立ちを覚えた。頭を切り替えて椅子から立ち上がって画面内に浮かぶ全てのウィンドウを閉じ、パソコンの電源をオフにして上着を羽織り、椅子をデスクの下に収納して部屋の電気を消す。扉を潜って階段を降り、1階に下りてきたところで一度深く深呼吸。息を吐いてからリビングに入り、ガスの元栓を確認してから廊下へと戻り、玄関へと進む。使い古しの靴を履いて外に出る。鍵を閉め、アスファルトの上を歩み行く。


 どこへ行こうという宛てはない。


 無計画のままトキは歩を進めた。

 歩行中に頭を埋め尽くすものといったら、四凶事件を中心とした様々な色濃い一日だった。四凶は何を求めて蜂起したのか。自らも四凶ならいつかは同じ事をしでかすのか。今後もこんな事件(こと)が繰り返されるのか。 四凶とは本当に必要不可欠なものなのか。

 凶源:カオストリガーとは、真実なのか。

 会長が言った通り、それこそがこの世に最も必要である最低限の不幸だとしたら、他の四凶達は何なのか。どうして存在するのか。


 茜に染まる街をひたすら真っ直ぐ歩き、喧騒に包まれた隣街に至り、更に足を進めて街中を通過する。

 騒音が消え、人影がまばらになり――なくなり、人工と自然の色合いが入れ替わってゆく。金属やガラス、大きな電飾看板が姿を消し、代わって海と空の稜線が視界に飛び込む。 ふと、トキは海岸に到達していたことを自覚した。長い長い道のり、岸壁の先まで歩いて来た結果がこれだった。この先はない。戻る以外の選択を許さない状況になって、初めてここまで来たことに気付き、そして驚いたのだ。この場所に来るのは今日が初めてであり、すでに夕日の半分は海の彼方へと隠れていた。家を出て約一時間。無自覚のままここに来れた自分が俄かに信じられなかったのだ。



「……」



 踵を返そうとしたトキの視界にそれが飛び込む。滅多に見ることのない夕焼けの海。オレンジを乱反射する波と、沈み行く夕日。押し寄せる小波のざわめきは、遠く背後から伝わる人工物の騒音を掻き消した。潮風に鼻腔をくすぐられ、もどかしくなった鼻をすする。所々砕けた人工物の上から眺める海に足は止まり、同時に、それまで意識していなかった疲労が湧き起こって膝を折り、疲労と感動の前に観念したトキは(みぎわ)に腰を降ろした。

 回復を待ちながら沈んでゆく夕日を眺める。

 夜空が背後から頭上へと差し掛かり、夕日もその姿のほとんどを地平の彼方に消した頃、トキは腰を上げて立ち上がり、僅かにオレンジ色を残す空へ向かって声を上げた。



「俺は何だ?」



 岸壁から少しだけくすねた時間を用いて右手に剣を作り出す。会長や銀角、愛院を驚かせた双剣の一振り、畏天(いてん)。元々は三国志に登場した英雄が使っていた剣を元に創り出されたと言う、裏の武器商たちの間では有名な代物(コピー)。伝説の贋作とまで呼ばれたその剣は、コピーというにはあまりにも優秀過ぎた。その使い勝手の良さはオリジナルをも踏襲しており、畏天という剣そのものがオリジナルの域に達していたという。

 トキにとって驚きだったのはその武器より、前の使用者が自分の父親であったことの方が遥かに衝撃的だった。



(どうして四凶なんだ?)



 村から出る直前に銀角は言っていた。力があるからこそ、それゆえの四凶だと。

 人質になったクラスメイトや村人を救う直前に会長は言った。他の四凶を妨げることが、自らの四凶という属性を弱めることに繋がると。


 力があって何故それが四凶になるのか。



「四凶でさえなければ、もっと多くの人を救えたんじゃないか……」



 立ち上がり、誰に言うでもなく言葉に虚しさを乗せて放出する。

 脳裏に浮かぶ女生徒の死。眼下で起こった銃殺、クラスメイト:和霞瀬癒桜(わかせ ゆお)との別れ。あまり会話を交えたことがなかったものの、険悪な関係のクラスメイトではなかった。誰にでも親しく等しく付き合う素直で柔和な女生徒だった。


 しかし、命を落としたのは彼女だけじゃない。何十人もの学生や村人達が殺されたのだ。

 自分の目の前、足元で。



「何で俺なんかに……」



 畏天が右手の中に消える。

 戦闘と長距離移動による疲労が再び足を震わせていた。そこにやり場のない怒りとぶつけようのない力が混じって葛藤を生んだ。震える身体を落ち着けようと膝を折り、荒ぐ呼吸を整えようと深く呼吸し、熱を覚えた身体を冷まそうと左手は冷たいコンクリートの堤に触れる。



「何で……どうして俺なんかに」



 左手の中で時間の回遊が生まれる。足場のコンクリートに触れていた左手が時間を奪い続けた。



「こんなモノがあるんだ!」



 右の拳が叩きつけられると、岸壁には巨大な割れ目が走った。

 時間を奪うということ。

 砕けた拳骨と破れた皮を左手に溜まった時間が修復を始める。が、それより速く左手に剣を生成させる。 回復は止まり、生み出されたもう一振り:星黄(せいこう)の刃が左手に食い込む。皮膚が切れ、肉を擦り、朱を滴らせる。だが痛みはない。心苦しさに比べたら、無痛にも等しい虚しく、だが確かな痛みであった。

 星黄を分解しながら傷口を塞いでゆく。自分に何度も落ち着くように言い聞かせつつも、頭の中は後悔と疑問で混乱していた。

 何故自分にSRがあるのか。なぜ四凶になったのか。晴れない疑問の曇天に苛まれ、思考に悪循環が生まれようとした。それを何とか冷静を呼びかけて思考を廃棄するのを防いだ。



(ここなら誰にも邪魔はされないし、それに……時間はある)



 傷を治したのち、血で汚れた服の修復に取り掛かろうとした時だった。



「大丈夫ですか?」



 膝をついた状態のトキに声を掛けた女性がいた。

 彼女は外見年齢で言うとトキよりも若かった。 少女。黒髪の彼女は、知りえる限り藍と同じくらい独特の美しさを持っていた。和風という言葉に違和感を抱かせない現代人。


 それよりも、トキは僅かの間を置いてから、自分が唖然としていたことに気付く。 右手や血に濡れた服を隠すように身体の向きを変えてからやっと、トキは彼女の質問に頷いた。それを確認した彼女はトキの隣に無言で腰を下ろし、真っ直ぐに前を見つめたまま言った。



「迷惑だったら言ってください」



 それだけを言って彼女はトキの隣で夕焼けの空を見守った。 迷惑だと言いたくても言えなかった。彼女のおかげで新たな疑問が浮かび、息苦しさが増した代わりに、僅かに気が楽になったのだから。しかしトキには質問する気が全く起こらなかった。 誰だ、と聞くことも。ここで何をしているのか、と聞くつもりもない。

 自分が四凶なら、相手と知り合うことで不幸を始めてしまう可能性がある。その可能性が1%でもある限り、下手に相手と知り合うことは避けるべきだと考えての“行動/抵抗”だった。



「……」

「……」



 静寂が過ぎ、夕焼けが夜闇に染まっていく。星明りと灯台の光が存在をあらわにし、潮風は容赦なく熱を冷まし始めた。

 ひびの入ったコンクリートの上に腰を下ろすこと1時間弱。長く続いた静寂を少女は破った。何の前触れもなく。



「私のお姉様はとても大雑把な人ですけど、とっても人想いです」


「……そうか。お姉さんがいるんだ」


「はい。

 そのことなんですが、覚えていますか?」


「は?」



 姉がいる。大雑把だが人想いという性格の姉が。

 そこまでは理解に苦はなかった。だが、その後に続いた台詞には難があった。いきなり覚えているかと問われようものの、去年から初見となる人々との接触記憶は多々あるため混乱し、困惑した。 どれか、誰か、誰だ。 少女の顔を観察しつつ、それに近い顔立ちの人物を必死に検索する。真っ先に思い浮かんだ顔は藍の横顔。だがこれは間違いだろう。



(和風、整った顔立ち、黒髪……)



 そもそも去年から今日に至るまでに起こった出会いを全て覚えているわけではない。希望の薄い攻略法にすがっていたトキだったが、記憶検索を打ち切って素直に覚えていない旨を伝えた。 それを予測しいた少女はかまわないと答え、次いで姉とトキの顔合わせがほんの一瞬の対決だったことを教える。



「戦った?」

「はい。あなたはお姉様と戦いましたよ。ゲームで」



 ゲーム。

 その単語を聞いたトキの脳裏に行き着けゲームセンター:Vertex の店内映像が浮かんだ。記憶を深く、深く潜り探っていくと、何日分かの記憶が検索に引っかかった。



「踊るゲームで競っていたでしょ?」



 決め手を得て、検索はある日で止まる。

 トウコツと初めて戦った日。

 その直前まで確かにゲームセンターにいた記憶があった。学校で面白くない出来事が続き、その憂さ晴らしにと友樹らに連行気味に来店し、ゲームを繰り返して、テンションの浮き沈みを繰り返した後、得意のゲームで調子を取り戻し始めたところで彼女は現れたのだ。


 ゲームの対決で初めて負けたのがこの時だった。



「あぁ、あの時のMA●300が得意なお姉さんか」


「覚えていてくれましたか?」


「まぁ、な」


「お姉様がもう一度あなたと遊びたいと五月蝿くて仕方ありません」



 笑み、口元を軽く押える彼女を盗み見、トキなりに考えてみる。

 彼女の姉はもう一度自分と遊びたがっているということは、彼女の姉もここに来るといことだろうか。ここで足止めして、時間稼ぎをしているとも考えられなくはなかった。



「どうか、お姉さまに見つからないようにしてください。破綻しますから」


「破綻?」


「お姉様はゲームと小うるさい音楽と野蛮なことを好く人です。しかし、そのせいで生活は苦しいのです。主にゲームにお金を使って、ろくな食生活も送れない状況です」



 トキの考えとは逆の現実が少女の口から語られる。



「なるほど。それを注意しに来たというわけか」


「あ、いえ。注意というか。その……あまりゲームセンターには近づかない方が。

 お姉様は負けず嫌いな人ですから、一度狙われたら厄介だと思ったのです」


「わかったよ。ゲームセンターに通うのはなるべく避けるよ。

 そんな余裕ないし……」



 謝罪の言葉を述べる彼女に了承の旨を伝え、謝る必要がないことを証明した。再び訪れた静寂と沈黙が熱を帯びた頭を冷やす。

 生活がままならないということは、この娘は苦学生か何かだろうかという疑問が頭をよぎった。



「ところで、君は高校生か?」

「いえ。学校には行っていません」


「中退とか?」

「……いえ、そういうわけじゃないんですけど」


「もしさ、ご飯とかに困っているなら一緒にどうだい?」



 苦しむ者を助ければ、四凶は弱まるのだろうか。疑問を抱きながらもトキは彼女の返答を待つ。

 しかし、あまりにも唐突且つ大胆で予想外な一言に少女の顔は怪訝に曇っていた。目の前の男に常識は無いのかと問いたい衝動に駆られつつも、口を硬く閉ざしてトキの真顔を覗く。見事なまでに考えを読ませない表情が彼女に苦笑いさせた。



「大丈夫です。そこまで困っていません」

「そうか」



 言って彼女はトキの様子を探るため、左手でトキの右手を握り締めて見せた。得たいの知れない男だが、安心は出来る。彼女は一つだけトキという人間の特徴を理解した。触れてみて理解できた。この男子の中に邪なものが無い。正確には価値を持っていない。

 人気のない岸壁の端、灯台の光からも遠く、遠くからの音も波に掻き消され、周囲は暗くて見通しが良いとは言えない暗さを含んでいる。単刀直入に言うなら、性犯罪にはうってつけの場所ということだ。これまでの生活の中で、少女は幾度となく襲われそうになり、その都度、姉と共に男たちを撃退してきた。

 少女の知る男達と比べ、隣の年上ではあるが少年には、そういう面が全く見られなかった。変わっているといえば変わっており、しかし、僅かながらも信頼はできた。



「私は、スミレと言います。

 自己紹介が遅れてすみません」


「それを言うなら俺もだよ。

 先に名乗っておくべきだったな。俺はトキ」



 挨拶を交わしたところでスミレの顔に疑問が浮かぶ。 トキ……トキ? どこか聞いたことがあるような無いような。安定しない生活を続けているせいもあってか、あらゆる人々と話し、自己紹介し、知り合ってきたのだ。主にアルバイトだが。気のせいか聞き覚えがある名前に逡巡し、投げやりにそれを考えるのをやめた。



「ところで、お姉さんは働いているのか?」


「まぁ、今頃喧嘩でしょうけど」

「喧……嘩」


「大丈夫です。お姉様はゲーム以上に喧嘩が得意ですので。

 正直に申し上げれば、それで毎日食いつないでいるのです」



 素直に驚き、そして感心した。

 喧嘩で稼ぎ、生活を続ける。そんなゲームじみた話を現実に聞く日が来るなど思ってもいなかったし、そんな人間が実在するのかということすら疑っていたトキにはちょうどの良い再認の機会だった。世界とは個人が考えるよりも遥かに複雑に構築されている。構築する人々もまた個人が考え、想像して思い描いたもの以上に多種で多様な性質を持って相互に関係しあっている。


 トキ自身のように親を亡くした者や、スミレのように生活に困っている者、藍や芹真のようにそれでも強く生きていく者、世界を支配する協会長。ボルトや四凶のように、正直に言えば全く予測できないアクションで世界を動かす者達。間違ってはいけない事実は、世界を動かしているのは存在する全ての人々、全ての物々。決して個人ではないこと。



(あ――そうか)



 思考の果てにトキは、マスターピースという亡き者の思考に辿り着いたのであった。

 世界を動かすのは人じゃない。

 人と物。

 物と環境。

 目に映る物質と映らない物質。目に映るものは当然物質であるモノ達。人と人の関係性や人が使役する道具、それらを生かす環境。開拓と保護を繰り返して人類が辿り着いたのが今日。 世界はそうやって動いている。人が動かし、物がそれを助け、環境とその関係が融合して明日を切り開く。文明というものはその開拓の成果。道具を使って森林や荒野を開拓するように、人が物を使って新しいモノを作る。街や道、文明。

 真にそれらを作り上げてきたのは前に挙げた三要素ではなく、その三つを連続させるモノ――つまり、関係という繋がりである。



「要素なんだ……」

「え?」



 会長が支配しているという世界の中。しかし、会長自身も要素でしかない。

 コントンをはじめとする四凶もそうだろう。

 どんなに強大な力を持ったところで結局のところは個人であって、全体を構成する要素の一因でしかない。



「ヨウソがどうかしました?」

「いや……ちょっとだけ悩みが解決した」


「何かをお悩みでしたか」



 夜闇が深くなり、星の輝きがより明るく見えるほどに夜が深まった頃、初めてトキはここにいる理由を問われた気がした。

 しかし、いま抱える悩みを話すべきか、否か。



「……」

「申し上げ難いことでしたら無理にとは言いません。 ただ、私で良いのでしたら話相手程度はできます。話さないより、少しでも話した方が気が楽になるかもしれないので」



 否。

 話すべきではなかった。



「私は昔から2人のお姉様や、お兄様の悩みにたくさん付き合ってきましたから、愚痴にも慣れています。心配はありませんので、話せるのなら話しておいた方がすっきりと眠れますよ」



 念を押す彼女に圧され、トキは自分が四凶であることを認識しつつも口を動かした。



「ちょっと、事件にさ……今日、事件があって、俺の学校の人たちやその場に居合わせたたくさんの人たちが犠牲になったんだ」


「事件……それは、一体?」


「銃とか刃物とか、危ない奴をたくさん持った人たちがいきなり現れてな。

 俺もそこにいたのに、誰も救えなかった……」



 トキの肩が落ち、視線が足元のコンクリートに落ちるのを見て、スミレは質問を重ねた。



「襲われたんですか?」

「あぁ」


「辛いですよね……知り合いが亡くなるのは」


「俺のせいだ」



 強い風が吹きつける。身震い一つしないトキの身体に寄り、聞き取り難くなった言葉を零さぬように拾う。

 トキが目の前で知り合いを失った気持ちはよく分かる。自分の肉親が目の前に亡き骸として転がっている時の虚構と絶望感。あれは言葉で表すことができないほど深く、大きく心を抉る。寂寥と悲壮、憤怒が混じり合い、理性を損ねて暴力を目覚めさせる。



「いえ、それは間違いだと思います。

 それが事件なら、悪いのは襲った人たちです。トキさんは被害者です」


「……四凶、という言葉を知っているか?」

「いえ、初めて聞きます」


「良くない物事の原因――その素質を持った人達のことを指す言葉らしい」

「良くないこと……今日の事件も、それが原因だというのですか?」


「そうらしい」

「らしい?」


「今日それを嫌なほど自覚させられたし」



 会長やコントンは四凶というものがどんなものかを説明した。初めて聞く言葉でなかったにしろ、四凶という意味内容の理解が追いついていなかったのは事実だ。それを踏まえて銀角の言葉を聞き、自分が持つSRという強い力がその源になっていることを認めた。


 ――いや、認めたのはたった今だ。



「それでも生きてここまで足を運んでいるでしょう?」



 頷く。ただ、自分が生きていていいのだろうかという疑問が浮かんだ。何故村が襲われたのかという理由を大半の人間はそれすら知らずに襲われたのに、自分はその理由を知りながらも説明することが出来ない。

 コントンが言っていたように、アウトサイダーとインサイダーは同じ世界で生きていくことが難しい。そもそも価値観や方法・過程の差異を始めとし、持てる資質の違いが生む温度差の高低は高く、容易く馴染めるものではないのだ。



「酷な言い方ですが、死者には蘇生と後悔を祈願せず、凛として送るべきだと思います」


「……そうだな。悲しんでいる場合じゃないよな」


「違います!

 悲しんであげることも鎮魂です。ただ、いなくなった人達のためにも自分が立ち上がるんだという強い意思で、生きることに諦観しないで下さい」



 面と向き合い、スミレの気迫に押されるトキ。とても他人事と思えない圧力を帯びた言葉と真剣なその顔が、芹真事務所と知り合ったばかりの頃の記憶を喚起させた。

 これで終わりではないのかと嘆いた自分。それが始まりだと現実を突きつけた藍。SRという世界のもうひとつの顔を知った以上、そこから逃げ出すことは出来ないとも。 だから死なないように守り、エスコートすると。


 まただ。これが終わりじゃない。

 四凶が存在する限り犠牲者は絶えない。会長は必要不可欠な四凶も存在すると言ったが、トキの知りえる四凶の中で必要不可欠と思える四凶は、コントンや今日の事件を計画したキュウキじゃない。彼らが生きていれば犠牲者の数は増加する一途を辿るだろう。四凶が何かを企てているという話しと、コントン自身が言っていた今夜9時に始まるという四凶の声明発表からそれが推して測れる。



「それも、その通りだな」


「焦ることはないですよ」



 ポケットから携帯電話を取り出して時刻を確認する。午後7時22分。ゆっくりと帰れば放送開始時刻には間に合う時間だった。吹き付ける風に寒さも感じ始めていた。隣に座るスミレを見送るべきか考え、悩んでいる時間がもったいないという結論が出て、トキは立ち上がってスミレに聞く。



「ありがとう。おかげで色々楽になったよ」


「どういたしまして」



 屈託のない笑みで応えるスミレに、微かな違和感を抱きながら見送るという旨を伝える。トキに倣って腰を上げるスミレは表情を変えずに遠慮の意思で返した。



「私は大丈夫ですから」

「あ、そうだ。話を聞いてくれたお礼と言ってはなんだけどさ、もし困ったことがあったら芹真事務所ってところに来てくれれば――」


「芹真、事務所?」

「俺もそこで、バイトみたいなことをしているから」



 逡巡するスミレの返答を待ち、僅かしてから了承の答えを聞き、トキは別れを告げてから踵を返した。夜の街へと向かうように歩き始めたトキは、スミレの言葉を繰り返し再認しながら、これから来るであろう現実に対して逃げないことを決意した。

 今後、特に注意すべきは四凶の動きだ。芹真さんやボルトが何か動きを掴んでいるかもしれない。あの2人の情報網はインターネット並に早い。うまくいけばコントン達の居所を掴めるかもしれない。


 しかし、この時点でトキに知る由はなかった。芹真とボルトは揃って四凶の動きをさして警戒するでもなく、申し訳程度の情報で観察を続けているだけだったということを。その情報の中にトキが欲する内容はひとつもないのだ。なぜなら、2人が最も警戒している勢力は以前から変わらず、協会なのだから。



「あ……!」



 背後に漏れた声に思わず振り返るトキ。その目には顔を険しく歪めたスミレが身構えた瞬間が映った。何事かと眉をしかめたトキの頭に警鐘が打ち鳴らされ、小さく、小さく響いた。



(攻撃か――!?)


「ぃよおぅ!少年ん!

 久しぶりだな!」



 トキが身構えるよりも速く、肩から首にかけて衝撃が走る。感触から腕を回されたのは分かるが、相手は――



「カンナお姉様!

 失礼が過ぎます!」



 相手を理解した。つい先ほどまでの話に出ていたスミレの姉、カンナという女性だった。

 あまりの衝撃で倒れそうになったが、辛うじてふんばり、顔を確認して姉妹であることに納得する。ただ、性格はスミレと違い、この通――



「バチタイじゃんか!ゲーセン行っとくか!」

「カンナお姉様今月はもうやめてください!

 先月からの家賃がかさんでいるのですよ!」


「問題無いって。

 さっきので大金が入ったんだよ。ほれ、40万!」

「よ……!

 それは、どのようにして?」



 とりあえず空気の如く放置されそうな状況から逃れるべく、トキはカンナの腕の中でもがいた。

 距離を置いて改めてカンナという女性を見てみると、スミレをそのまま大きくし、そこに藍やディマのような長い髪を加えたような外見の女性だった。スミレとは対称的と言っても過言ではないだろう。



「7人ほどぶちのめしたところで、いかにもソッチ系みたいな怖ぇ兄ちゃんが来てな、そいつを半殺しにあげたら命乞いしてきたんだよ。じゃあ、有り金の半分でいいから置いて去れ、って、冗談で言ったらマジで置いていきやがったのよ。笑えっだろ?」


「笑えません!

 それに、人を揚げ物みたいに言わないで下さい。命が軽く聞こえます」



 呆れるスミレをよそにカンナは笑い、トキへと振り向く。



「まぁ、それはとにかくだ!

 久々だな少年!アタシのこと覚えてっか?」

「MA●300が得意なお姉さんだよな」


「おし!話が早ぇ!

 行くぞ!」

「カンナお姉様!」



 さっそく腕を引いてゲームセンターに直行しようとするカンナに抵抗する。



「あ、あの、ちょ――!

 スイマセンが、今日は見たいテレビがあるので……!」

「テレビぃ?

 そんなことよか踊ろうじゃねぇの!ゲーセンで!」



 テレビが理由にならない今、そして彼女の強引さを知ったトキは半ば諦めかけた。 人のことを言える立場ではないが、この人も相当ゲームに憑かれている。



「か、カンナお姉様。その、トキ様が食事をご馳走になると申しておりましたが――」



 どうにか彼女の猪突を止めたかったスミレの口から出た言葉がソレだったが、トキとしてはその程度ならどうにでも繕える為、帰宅するのにいい口実だと感謝した。親指を立てて見せられてもスミレからはため息しか出てこなくなった。



「マジか?

 ご馳走すると言われちゃ断れない性分なんでね。悪いが遠慮しねぇよ!」



 頬を緩ませたカンナの足が止まった。ゲームよりもやはり食事の方が優先だということは分かった。そのことからどんな食生活を送っているのかも大まかな見当はついた。必要最低限の栄養量を摂取し、空腹に耐えながら過ごしてきたのだろう。



「ぅし!とっとと行こうか!」










 Second Real/Virtual


  -第41話-


 -四凶宣戦!渾沌に沈む世界-










 はじめまして人類。はじめまして不自由。

 私は不自由を代表する駒。

 まず、ここでこうする理由からお話しよう。

 人々の生の始まりが何の装飾もなく始まるように、この蜂起がこうして始まるのも、大規模だろうが演出でなく、派手だろうが“飾ろう”という考えから来る行動でもない。


 ただ向き合うため。


 その目的のみで今、世界と向き合っているのだ。



『私達のことを一言で呼ぶなら“四凶”。

 この世にあるべき生物の姿本来を保ち続ける者だ』



 多くの人々は知らないだろう。

 あなた方が手にしている自由というものが、許可され与えられた自由であるということを。ごく一部の人間を除き、この事実を知る者は世界中で100人にも満たない。

 しかし、



『事実の無知を恥じることはない。知れずにいて当然の支配と支配者が跋扈しているのだから』



 そもそもこの世界に存在すべきでない、始原は彼であり、隷属する者達の存在を許可して共存を試みたのも一人の男が始まりである。

 世界に叫ぼう。

 いま、この世に何十世紀と生きながらえている人物がいると。 君たちを歓喜させる偽りの自由をも操作し、支配している人物がいることを。

 彼は事実上の支配者。



『しかし、その支配とそれを行使する者に対して、我々は異議を唱え、その為に立ち上がることを宣言する』



 彼らは自由を奪ったのだ。

 暗黙を創って無意識の内へと刻み、常識と偽って抑制と抑圧を始め、本来発揮されるべき個々のそれらは迫害された。その果てに人という階級が現れ、本能は無意識という暗く深い森の奥へと追いやられた。


 人々に聞こう。

 理不尽さえ感じさせない巧妙に仕組まれた理不尽をどう思う。


 何も知らされずに生かされているということに。

 認識の外側から監視され、いちいちの行動が筒抜けであった事実に。

 寿命による辛苦の別れや苦悩を抱えて生きているにも関わらず、そいつは寿命を知らないかのように生き続けている現実に。更に、それによって世界へと害をなしているということに。



『本物の自由なんか無い』



 違和感を感じたことはないか。

 自分の必要性や孤独にも似た浮遊感。理由なき悲しみ、根拠無き怒り、意味の無い繰り返しと無駄でしかない抵抗。


 自分の価値を認識したことは無いか?

 自分に値段をつけるならいくらだ?

 今、自分を取り巻く環境は、自分の値段に見合った扱いをしてくれるか? 

 また、自分からそうしているか?


 違和感を感じたことはないか?



『自分で選びたかった道を選べない理由。

 その道理が通らない理由はわかりきっているろう、と声高に叫びたい衝動を抑えている人間もいるだろう。個々の我儘が通らないのは、お互いが関係を持ち、関わることができ、つまりネットワークに当て嵌められているからであるからだと。一つの我欲が多数の欲に感染し、引き金となってしまう。そこから悲しみは生まれる。

 そう、言いたいのだろう』



 だがもし、その理論が間違っていたらどうする。

 理解理解と口を揃えて同種の答えばかりを返す者達は、実際にその答え(せかい)を見てきて胸を張って言っているのだろうか。果たして、その理論が必ずしも正しいと言えるのだろうか。

 支配者に問おう。

 これがお前の求めた世界と、創り上げたかった世界なのかと。



『人々よ、聞かせてくれ』



 今の世界は幸福と言えるだろうか。 一人の人間の独占によって今日まで続いてきた。この地上の状況を客観的に見て、万民は安泰の下に生と時間を刻んでいると言えるだろうか。


 繰り返されてきた戦争。

 飢餓と貧困。

 真の侵食と偽りの創造。

 人種や宗教、格差による差別。虐待、虐殺。

 莫大な資源の消費と生産。

 食糧難が起こっても手を差し伸べない、環境破壊の阻止を訴える今日において化石資源の採掘を援助し、戦争を予知・予見していながら何の手立ても打たずに終局までを眺め見ている。時には小さな犯罪すら行ったことのない人間の暗殺を命じ、大罪を犯した人間を生かす。事故に見せかけたり、悪運に見せかけるほどの工作を施す。個人的に言わせてもらうなら、卑怯この上ない手段をも平気で使うソイツを支配者として黙って見過ごすわけにはいかない。



『我々人類が、たった1人の男に支配されていいのだろうか?』



 故に我々は行動に移った。

 個人による支配がもたらす自由から抜け出し、本物の自由を手に入れ、より自然な人間による社会を築くために。



『いつ認識できるか。我々多くの人類にはそこへ辿り着く術はなく、よって、彼の者を本来あるべき場所に返さなければ真の自由はない!』


「……」



 この放送で人々の心を掴むことは可能なのか、男は画面を眺めながら思い出していた。

 一切の装飾を取り払うなら、この放送によって得られる支持は皆無といっていい。それを踏まえたうえで彼らは事に望んでいるのだから、その事実が現実であっても何ら問題はなかった。計画の範疇である。

 テレヴィジョンの明かりだけが弱々しく光る室内で、男は電話に呼び出され、その間も画面内で演説は続いた。



「もしもし?」

『予定通り、今の放送で約21%の人々が呼び起こされた』


『私達は無闇に人を傷つけたくないがため、皆に不幸や悲運までをもコントロールされたこの世界から抜け出すために立ち上がって欲しいと思っているのです』


「そうか。第二段階まで残り30時間弱。それまでに予定通りの数値を実現してくれ」

『問題ない』

「頼んだぞ、絶夢――フォルトン・ドラーズ」

『植え付けは順調だ。うまく行けば予定より早く協会に攻め込むことができる』






 日本首都、都内のシティホテル。

 人工ではあるが綺麗に装飾された夜景を見下ろすことが出来る上階の一角。そこにある部屋のうちの一つである、3ベッドルームスイートの扉が叩かれた。

 部屋を借りた主はその音にわずかな苛立ちを覚えながら、気が乗らないままに浴室を出て、扉の向こうにいる何者かへ入室を許可する。なるべく人を寄越さないようにと言いつけたはずだった。誰にも会う気がないし、話す気分でもない。 しかし、来てしまったからには断る理由はない。



「失礼します。至急、オリヤ様にお会――」



 部屋に入るなり、制服に身を包んだ小奇麗なボーイは顔を赤らめて背を向けた。

 失礼しましたと言って動揺を隠そうとし、部屋を出ようと試みる。

 が、部屋を借りた人物である彼女はそれをさせない。



「用件を教えて。

 何?」



 回れ右したボーイの膝が折れ、床につくのと同時に握ったドアノブが根元からもげ、退路を失う。

 青年は観念して、赤面しつつ用件を伝えた。

 気まずいこの空間から逃れる術は、早く用件を済ますこと以外思いつかなかった。



「取り急ぎ、オリヤ様にお会いしたいという方が見られていまして、上階のラウンジでお待ちになられています」



 用件を言い終えたボーイの目が盗み見た。この部屋の利用者である彼女には羞恥心が無いのだろうかという疑問が止まない。

 水滴を滴らせる髪は、シャワーから上がったばかりであることを知らせた。全く拭いていない。

 そして問題は髪だけでなく、全身が同じ状況であり、また何も羽織っていない状況であることにあった。


 ――全裸で、恥ずかしくないのか?


 しかし、盗み見た彼女の顔に恥じらいの色は皆無。すべてを曝け出しているにも関わらず、顔色ひとつ変えずにこちらを見据えている。

 だが、邪な考えよりも、得たいの知れない恐怖が青年の心底を支配していた。



「名前は?」

「それは、先方からは名を伏せろとの――」


「君の、だよ」



 予想外の質問と不敵な笑みに、赤みを帯びていた顔に青が浮かんだ。

 裸体を目にしたことを言いつけられるのか、という予測が先にたった。何故なら、この職業にありつけたのは今年になってからだ。必死に就いた職をむざむざ失いたくないという思いが何よりも優先した。人口爆発により職に就くのが困難なこの時代に、一度失職することは今後一切の希望を失うことを意味するのだ。



「申し訳ありませんでした……」

「別に怒っていないよ。誰にも言いつけたりはしないから、力を抜いて――」



 言いつけもしない、怒ってもいないと言われたことで再び顔は赤面を始めるが、本能による警告は止まない。

 しかし、喪失感が消え、体の自由をどうしてか失った今、この状況で出来ることは考える以外に残されていなかった。首に濡れた手が絡み、筋を沿って肩へと這い進み、腕に触れ、肘を通過し、手首を握られて腕を持ち上げられる。生暖かく、それでいて甘い吐息が首筋を襲い、一般的に云うまともな思考を阻害した。


 自らの意思で動かせない身体には、どうしてか恐怖を感じず、また青年はその精神的異変に気付くことが出来なかった。



「名前は?」

古山修(こやま おさむ)……です」



 首と目だけで彼女の姿を追い、視界の隅に彼女を捉えた時、突如として部屋の照明が落ちた。しかし、完全な暗闇となったわけではない。落ち着いた色合いの間接照明が照らす薄暗い室内の暗色が濃くなったのである。

 目に映る全てが薄黒いフィルターにかけられた。

 それだけではあるが、修青年に恐怖を呼び戻す効果は十分にあった。そもそも何故、突然部屋が暗くなったのかが理解できず、理解できないという知的恐怖が冷静を蝕み殺す。

 壁際のスイッチまでの距離は遠くないにしろ、背後から絡んでくるオリヤという女性の手が届く距離ではない。

 では、何がこの暗さを生んでいるのか。



「ねぇ、修さん」

「は、はぁっ!」



 視界が黒みを強めていくのに気付き、この時初めて底知れぬ恐怖というものを実感した。

 何かが起こっている。

 自分の周りで。

 その原因は背中から抱くように密着する女性――いや、まだ二十歳ではないから少女――彼女が原因だ。



「ここに着た時からずっと欲しいと思っていたの」


「は……ぃ?」



 絡めた腕が水平に持ち上がる。

 僅かに盗み見れた彼女は、視界の片隅で屈託のない笑顔を咲かせていた。



上着(これ)、ちょうだい」



 最期に聞いた言葉を理解することもなく、修という人間はより濃い黒に包まれる。

 それは痛みも、冷たさも、音さえ無く――上着だけを残し、身につけていた一切と共にこの世から姿を消す――何の比喩でもない、正真正銘の消滅だった。






 連絡を受けたオリヤが指定した場所に姿を現したのは、重大放送(せんせんふこく)が始まった頃だった。設えられたテーブルで、コーヒーカップを傾けながら時計を睨みつけていたキュウキはわざとため息をついて見せる。



「遅かったわね」



 微笑で応える彼女の服装を見て原因を理解する。

 このホテルの従業員の上着に身を包んで笑うオリヤの異常を見て取り、早めに用件を済ませようと話し始めた。キュウキから見た彼女は、精神疾患以外の何者でもなかった。



「あなたが求める色世トキの情報だけど、厄介なことになっているわ」

「何か、問題があったんですか?」


「協会の精鋭部隊と会長本人による監視がついていて、下手な詮索が出来ない状態なの」

「そうですか。じゃあ、どうすればその人達と会えますか?」


「会う……?

 まさか、協会の部隊よ。潰す気?」


「協会が何なんですか?」



 予め頼んでおいた紅茶をオリヤに差し出しながらキュウキは警戒を強めた。SRに成り立ての人間は協会の存在とその恐ろしさを知らない。これは一般人が触れることのできない世界だったため、仕方のないことだった。そもそも協会という存在は巨大でありながらも世界規模で黙視され、今日まで一般社会にその名が漏らすことがなかったほど保守規制が徹底された組織なのだ。

 しかし、オリヤは決して新人SRではない。



「会長を倒さない限り、トキに近づくことが出来ないと言いたいの。

 申し訳ないけれど、トキのことは諦めるしか……」

「イヤです」


「無茶を言うのね。会長がどんなSRか知らないわけではないでしょう。今この瞬間、世界を支配し続けている絶対者なのよ。現状ではね。それを護衛する部隊や、また親衛隊もかなりの手練れよ」


「協会長さんが死ねば問題ないですよ」



 首を横に振りながらコーヒーを含む。体では呆れてものも言えないという風に見せたが、実際にキュウキは内心微笑んでいた。

 得体の知れないSRを持つオリヤは、どういった関係があるかは把握しきれないが、トキを追う姿勢だけは執拗の極みである。磁石の異なる極のように求める。その執念はまさに、キュウキにとって都合の良い駒となる逸材(そんざい)なのだ。



「簡単に言わないで。

 この数十年で会長が協会本部を出たとう話は1、2度しかないのよ。加えて協会本部は、臨時拠点も含めて3箇所。中でも総本部の兵力は、一国程度の軍事力で相手に出来るほど(やわ)なモノじゃない」

「それで?」


「しかも、独自に造られた海上要塞は接近すら困難なの。対空防御、対海中防御。それらの全てに最新兵器とSRを余すことなく充てていて、簡単に言うなら防御は完璧。衛星軌道上からの攻撃も想定された迎撃設備まで備えている本部には――」


「死角はあります」

「……それは興味深いわね。是非聞かせて欲しいわ」


「私です」



 青筋が立つ。同時に、理解不能の念があふれ出す。

 が、それを必死に堪えながらキュウキは聞いた。



「どういうことかしら?」

「私は、存在すら協会に確認されていません。新規に登録するために本部に行くことは可能ですよね?」


「ええ。確かに可能ね。

 でも、登録で本部に連れて行かれる可能性があるとしたら、危険人物隔離のためよ。それからあなたの持つ力の解明のためにね」



 キュウキの予想を超えたオリヤの献身的な行動力は、確かに死角だった。

 オリヤという少女を知ったのは数日前、マスターピースを監視している最中だった。派遣した尾行に気付いたマスターピースは裏路地に逃げこみ、そこでオリヤに遭遇した。協会長と似通った能力:糸配(しはい)を以ってオリヤを逃がそうとしたマスターピースだが、それが最大の間違いであった。

 一般人ではなかったのだ。

 オリヤは尾行者2人をマスターピースの前で殺して見せ、次にマスターピース本人へと襲い掛かった。何が起こっているのか理解できず、キュウキ自身はカメラ越しに唖然とした。一勢力の大将である実力者を、何の苦もなく撃破してのけてしまう計り知れない力。 それを平然と駆使して命を奪う少女:オリヤ。


 四凶であり、過去に多くの同胞や他人を葬ってきたキュウキだが、それを見ている間は滅多に感じることのなかった恐怖に身を震わせた。

 何者かという疑問もそうだが、どんな力なのかという謎が遥かに大きく、同じ卓についている今も、敵でないと明確に分かっていながら警戒し続けていた。



「会長は絶対支配のSRよ。万一潜入に成功しても、彼を討てるかどうかはまた別の話」

「支配、ですか。それなら大丈夫だと思います」



 紅茶を一口味わい、冷たい笑顔を顕わにする。



「何日か前に会った男の人もそんな感じの力を持っていたらしいですけど、私には“通じない”みたいですから」



 計画通りに動こうと自らを売る少女。


 苦笑う顔を見せながら時計を確認し、それでも内心笑いが止まないキュウキは席を立った。

 順調に計画は進むだろう。うまく行けば思わぬ戦果を得られるかもしれない。



「細かいセッティングが必要ね。

 あなたの自信を買って、全面的に協力してもらいましょう。詳しいスケジュールは後日通達するわ」


「なるべく早めがいいです。彼が届かないところに行かれると困りますから」



 同じく席を立ったオリヤは催促して背を向ける。



「最後に聞かせて。

 あなたは、トキとどんな関係なの?」



 笑顔でいながらも心から笑っていないオリヤ。彼女の小さな背中にかけた質問は、彼女を足止めしてしまった。

 キュウキは無回答を予測していたため、その停止に悔しさが湧くのを感じ取った。オリヤが会長の討伐に自信があるように、キュウキにも性格の分析・把握に自信があったのだ。

 しかし、キュウキの思っている以上にオリヤは異常で、一口で言う例外というカテゴリにオリヤは当てはまった。


 だから、回答を予測できなかったのだ。



「大切なモノを取られました」


「え……?」


「私が貰うべきだった、とても大切なモノを」



 言い終えて僅かに振り返る彼女の顔は無。何の修飾もない、それを表情といえるのかどうかも怪しい未修飾だった。

 言い残したそれが本音かどうかを考える前に、キュウキはその話の利用できないものかと、画策しながら彼女を見送った。






 

 

『トウテツだ。

 イタリアを制圧開始。約5時間後に制圧を完了する。いやぁ、録画はいいね。思ったよりサクサク動けるよ。予め撮っておいて正解だったな。あの宣戦布告は』


『こちらフォルトン。

 現在ドイツ空軍基地を包囲中。抵抗者は排除、投降者は傘下に組み込む。

 それから、別働隊からの報告だ。フランスで小さな波紋を立てることに成功』


『フフッ、コントンだ。

 イギリスとフランスのトップを消去した。ついでに警察を血祭り、一般人の間に波紋を立てたが、他に注文は?』


「了解。

 作戦は順調ね。こちらも今、不確定要因との接触を終えたから、現地(フランス)に向かい、到着次第、矛と合流するわ。

 さて、トウテツは現在地点を制圧の後、ミラノを経由してスイスを包囲。

 フォルトンはベルリンを中心に植え付けを継続して手勢を増やして。援軍が到着次第、ポーランドとチェコに隊を二分し、東へと勢力を拡大して。

 コントン。あなたには誰よりも早くイギリスの協会支部への突撃、撹乱及び戦力削減を任せたいけど、いいかしら?」


『いいぞ、全く以って素晴らしい幕開けだ。クククッ!』


『こちら剣。

 エジプトの首都にて扇動完了』

『同じく剣、アメリカにて扇動完了』

『ロシアも同様だ、完了したぜ』


「ではエジプト方面隊はスーダン、リビアへと隊を分割して侵攻、それぞれの現場部隊と合流し、植え付けが完了した民衆を扇動し、誘導。

 アメリカ部隊は首都圏へと進行、同じく民衆を誘導した後、相手の戦力を出来る限り削減して。

 ロシア方面隊は各自の判断で西方と南方を任意に目標として進行。先々の扇動を助け、植え付けの完了した者達で部隊を編成」



 四凶がそれぞれ連絡を取り終わる数時間後、世界各地では暴動と混乱が合い混じり、炎と怒声が飛び交った。


 僅か数百人規模だった四凶という勢力は、いまや数億という規模へと爆発的に拡大し、確実にその力を増していった。

 TVによる暗示と、僅かだが確実な洗脳。

 それら“洗脳/煽動”によって戦争に組み込まれた民衆を誘導する四凶達。

 全世界に一斉放送した内容を覆すような、正義というものを微塵も見せない反抗作戦。それは一度も滞ることなく進行し、日付が変わった頃には世界中の軍隊は四凶SR達の攻撃によって、全戦力の8割方削られていた。



 

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