第39話-反撃のSR連合!-
風向きが、再び変わる。
しかし、それが緑を揺らすわけでも、熱を冷ますわけでもなく、ただ流れとしてその場に吹きすさぶのみ。
理解しない。
自重はない。
その流れが何を動かし、何を見せ、何を変えるのか、それに自覚がなければその機会もない。
ただ、流れとして吹き抜ける。
超えられない、抜けられない壁が待ち受けているとも知らずに。
耳が痛い。
銃声が止まないのは、目の前の現実が夢だから?
炎が触れる。
暑い……いや、熱い。
何が触れたのかわからない。
ただ、今まで味わったことのない高熱。
のぼせた時や風邪を引いた時の高熱とも違う、激しい痛みを伴った熱。
熱い。
何が、と聞かれても答えることができない。
なぜなら自分でもどこが熱くて、どこが痛いのか、全然わからない。
足が熱いのか、手が痛いのか。
燃えているのは体か、焼けているのは頭か。
(助けて……信弥くん)
自分の何かが燃えている。
それだけを理解し、3年3組の女子――秋森智明は傾いた景色を見失わないようにと、途切れそうな意識を必死に保っていた。
耳を打つような激しい銃声も、いつしか遠くにしか聞こえなくなり、鮮明に色を捉えていた眼も、輪郭の取得が難しくなっている。
いま寝てしまったらどうなるのかと考えて恐怖し、助けを待った。 誰も助けることのできない、誰も助けにこれない状況の中。
ただ一心に願い続けた。
(助けて……信弥くん……)
緑の上に横たわる彼女を見つけた襲撃者の男がその光景に首を傾げた。
外傷は一切ない。
それなのに体は震えている。が、痙攣しているわけではない。
季節的に寒いわけでもない。
顔を覗き込んで見ても、気絶しているわけではない。
わずかだが口が動いていた。
耳を近づけると何かが聞こえる。
何かを呟いているが、聞き取ることができない。
(パニックで頭がイっちまったのか?)
優越感に浸りながら体全体を見回す。
発育は未熟ながらも、肌はお世辞抜きに珠のようで、肉付き具合も男の好みだった。良き戦利品の発見に心が躍る。
どちらがより優位な立場にいるのかわからない相手ではないと確信し、その女生徒に手を伸した瞬間だった。
「あん?」
伸ばした手が、男に混乱をもたらす要因となる。
混乱は痛覚をも吹き飛ばし、数秒、消えてなくなった手首より先を見つめた。
銃火交わる戦場で、数秒の混乱を経て男が激痛に叫ぶ。
焼滅が続く。
ただ、本人がその消滅が何によって続いているのか理解できない。
男の背後で追い込み猟が終わりに近づこうとしていた時のことだった。
消滅は手首から腕を伝い、肩を消し、皮膚を焼きながら身体全体へと伝播する。
どこが燃えているのか、どこが痛いのか。
自らの感覚で異変を認識することができない。
焼滅が骨を蝕み、筋組織や細胞を焼き尽くし、電気信号までもを喰らい始める。
猟が終わる頃、男は誰の目に止まることもなく、体の全てを失っていた。
4分前。
目の前で無差別殺人が行われているにも関わらず、キリングマシーンの二つ名で呼ばれる男子生徒は異常と言えるほどに冷めていた。
怒り故の冷静か。 落胆故の冷静か。
冷静故に誰かの為に戦えている事実に気付くことなく、またそれを考えている時間など見つけられるはずもなく、彼は戦い続けた。
それが彼女を護る事になるのだと信じ、3年3組男子――岩井信弥は拳を振るう。
クラスメイトとの連携により、相手の銃器を殴り飛ばし、挑発と罵倒で逆撫でてこちらのペースに乗せる。
相手の銃器を奪うことはできなかったが、お互い素手で向き合うという状況にまで持ち込めた。
「テメェッ!」
逆上した相手が追撃と猛攻を仕掛けてくる。
予備動作が大きすぎるために攻撃の種類や軌道を予測することは簡単だったが、スピードはあった。細身のためもあって、パワーはないが速度とナイフが足りない殺傷力を充分に補っていた。
「岩井!」
「逃げろ!」
他2人のクラスメイト――隅田幸平と、函音カイの後姿を追い、岩井を含めた3人は資材小屋の中へと駆け込んだ。
「逃がすかぁ!」
男が追ってくる。銃も拾わず、自分に攻撃を加えた岩井を目指して一直線に向かって。
ナイフと拳で以って勝負を決めようという男の考えを哂い、距離を取る。
銃弾が飛び交う外から手近な建物の中へと逃げ込む。
「よし!追ってきた!」
「扉を閉め――!」
ガラス戸越しに男が迫り来る様子を冷静に分析する。
土ぼこりのたまった薄暗い小屋の中で、岩井ら3人は出入り口から距離を置き、攻撃に備えた。
駆け込んだ3人の後を追って、男がガラス扉を打ち砕いて小屋の中へと入ってくる。
男がガラスを突き破るのと同時、隅田は適当に置いてあった角材を顔面狙って投擲した。男はそれを紙一重で躱し、岩井目指して突っ込む。
カウンター。
しかし、男はそれをも躱し、逆に拳打を打ち込んでくる。
が、不安定な体勢から放たれた打撃は、特筆するような威力を有してなどいない。軸足、体の向き、打ちこむ角度もタイミングも、全てが総合してそんな結果を生み出した。致命的と言っていいほどの威力不足。
ボディブローの衝撃に耐えながら反撃の体勢を整える。
相手は逆上すると周りが見えなくなるタイプの人間らしい。現に背後から迫ったカイと隅田に気付いていない。外から差し込む陽光が生む影に気付いてもおかしくはない状況だった。それにも関わらず、男の目は自分しか見ていないことが分かるのだ。
カイが背後から男の両脇を抱えて動きを止める。
直後、新たな角材を見つけた隅田がフルスイングで男の左わき腹を殴打。痛みに男の顔が歪んだところに追撃の一撃を喰らわせた。
岩井の全力の一撃。
親友や担任、智明たちから止められていた本気の拳撃。
それは男と、男を抑えているカイを一緒に後方へと押しやってしまうほどの威力を有していた。
男の肋骨を折る感覚と、久々の本気に伴う自らの拳への衝撃を痛感する。
岩井はカイの生存を確かめ、男の気絶を確認し、
「こいつ、日本人じゃん」
「意味がわかんねぇ!
なんで俺達の学校が襲われなきゃなんねぇんだよ!?」
「そんなことより、コイツを縛っておこう。それ……ほら、拳銃だろ?
それで皆を助けれるんじゃないか?」
岩井が男のサイドホルスターに手を伸ばした時、割れ落ちたガラスが軋むカイが反応した。カイに続いて隅田、岩井とその音の鳴った方へと顔を向け、そこに新たな敵が立っていることを確認する。
銀髪の男。
その相手は銃器を一切持たず、代わりに厳つい金棒を持った大きな体躯の男。そいつの持つ金棒が全員に童話に出てくる鬼を連想させた。
「へぇ、そいつも一応SRなんだけど……よく素手で倒せたな。
誰がやった?」
余裕綽々としたその表情が癪に障り、隅田は角材を投げつけた。
が、苦もなくそれは掴みとめられ、握り潰され捨てられる。
「テメェもすぐにそいつみたいになるんだ。妙なこと言ってんじゃねぇよ」
「無駄にしゃべるなよ、コウヘイ。
とっとと終わらせよう」
隅田とカイの会話に男は笑う。
何がおかしいのか分からない。理解する気など毛頭ないし、分かりたくもない。
「そこまで言われちゃ逆に色んなこと言いたくなるだろうが。それとも、誘導してんのか?」
男が言うのと同時にカイと隅田は物を投げつけていた。
植木鉢と鎌。
そのどれもが止められると、今度は肥料の小袋を投げる。
「俺は鬼のSRでな――」
あらゆるものが男の片手に握られた金棒で叩き落とされていく。
見た目に反して軽々と振られる金棒は脅威以外の何者でもない。
カイは背後に回り込めるのか懸念しはじめた。
「ちょっとは名のある鬼なんだぜ?
本当は先祖が有名ってだけなんだが、いまは俺がその名前を継いでいる」
隅田が投擲の予備動作に移ったところを叩かれた。
スローイングの一歩手前で金的と顎への蹴りを食らう。止めは後頭部への回し蹴り。
隅田が顔面から地面に崩れ落ちる。
「白鬼のSR――」
カイが背後から新たに見つけた武器で攻め掛かる。
振り下ろされるスコップを見向きもせずに躱し、金属の先端を足蹴にして止め、金棒を振って破壊する。更に柄を分断され、反動で体勢を崩したカイの左手を金棒が襲った。
骨を砕き、肉を貫く。
悲鳴があがるよりも早く、今度は右手を潰すために金棒が振られる。左手とは違い、右手は勢いよく打たれ、手の甲から手首に掛けて骨にヒビが入って肉に刺さり、指はあらぬ方向へと折れ曲がった。
止めは前蹴り。
鳩尾にノーモーションで蹴りを入れられたカイの体は、小屋の壁を突き破って外へと飛び出す。地面から何メートルの高さを飛ばされているのかも理解できずに意識を失う。
予想だにしない速度、衝撃。
鮮明に予感できてしまう死。
背中から地面に叩きつけられ、それでもカイは辛うじて生きてはいた。
「銀角っつぅんだ」
金棒が振られる。
小屋の中に取り残された岩井は攻撃を躱し続け、銀角と名乗った男の足のつま先を思い切り踏みつける反撃に出る。
しかし、男は止まらない。
金棒を振る速度を上げ、更に蹴りや投げへと派生する掴み技も繰り出す。
金棒を持つ手を打ち、武装解除を狙うが男は全くひるまない。
ダメージを感じさせない。
「なぁお前、SRか?」
「は――ッ!?」
わけの分からない質問に耳を貸したことが原因となり、岩井はペースを崩した。
1発の蹴りが入る。
辛うじて防いだものの、実際に食らってその馬鹿げた威力に冷や汗が噴出した。
まともに喰らったのなら一撃で内臓を破られるであろう高威力。
カイが心配になり、しかし、いまこの状況下でもっとも死に近いのが自分かもしれないと考え、岩井は男に集中する。集中こそすれど、ペースを失った岩井は防戦一方となり、
「SRなら本気だせよ。そうしたら俺も本気で戦ってやるからさ」
絶望的な実力の差に戦意を削がれた一瞬、銀角の両手が岩井の胸に当てられる。
打撃ではない。
投げ技でもない。
ただ常人離れした腕力による、押飛ばし(プッシュ)。
それだけで岩井の体はカイ同様に小屋から飛び出した。
天上を突き破り、陽光に晒され、新緑と惨劇に囲まれた景色の中に岩井は溶け込む。
視界が濡れる。
「なんだ。やっぱただの人間か」
池の中に落ちた岩井を眺め、銀角は金棒を肩に担いで池へと足を運んだ。
Second Real/Virtual
-第39話-
-反撃のSR連合!-
最初の質問は“あなたは誰か”などではなかった。
初対面であるにも関わらずに。
正確には顔と名前こそ写真で知っていたものの、実際に会うのは今日が始めてだったのである。
「何故、協会長のあなたがここに?」
思惑の外からやってきた存在に疑問が絶えない。
動かないと思っていた人物が目の前まで足を運んできているのだ。
誰が協会長の直接干渉を予想できただろうか。
ビアンカの質問に会長は笑顔で答える。彼女の慌てぶりが予想通りで愉快だったのだ。
「どうしてかと聞かれても、迷える者を導くためというしか答えは用意していない。
なぁ、ここで眺めていてもあそこにいる人々を救うことはできない。それは分かっているよな?」
「……もちろん」
「わかっている」
「良し良し。結構結構。
そこで質問だ。2人とも狙撃は得意か?」
「得意よ」
「300メートル以内なら」
蓮雅、ビアンカと続けて答え、会長はその回答に大きく頷く。
「じゃあ、頼まれてくれないか?」
「あなたが信頼に足る人物ならね」
「私の上司は協会と戦線を共にしないと怒り狂っていたわ」
男の笑みが増す。
「俺が信頼できるかできないか。それは生徒たちを救った後に判断してくれ。
それからキラー。君の全ては君の上司のモノなのか? 君は感じているはずだ。この任務でどれだけ今までの自分を裏切り、傷つけることになるか。理解しているはずだ。自分がしていることに付きまとう背徳と自責。それがどんなに今後の任務で支障となるのか」
初見の男に言われ、2人は顔を見合わせて頷いた。
「何を手伝えばいい?」
「ただのスナイピングだ。
条件は時間だけ」
背中に背負ったゴルフケースを降ろした会長は、中身を取り出して2人に手渡す。
「標的にこれといった指定はない。
ただ、狙撃を行う時間だけを指定したい」
「理由は?」
「無駄撃ちをさせないためさ。
その結果、より多くの人間を救い出せるんだからな」
「保障は?」
「言ったろ。
救った後に判断してくれ」
渡された狙撃銃:H&K SL9を操作しながらビアンカは質問を始めた。
蓮雅も支給された狙撃銃:SR-25のマガジンを確認し、チャンバーに初弾を装填する。取り付けられたスコープの倍率を確認し、ストックを肩に当てて感触を把握する。
「何人救える予定か教えて欲しい」
「悪いが時間だ。俺は最終調整に入る。
これから指定時間を伝えるから聞き逃すなよ」
狙撃の準備が整ったところでバースヤードは時間を伝え、最後の仕上げに入るために2人の狙撃場所を離れた。
白州唯高校3年生と付き添いの教師、それから村人らは一箇所に集められていた。周りには凶器を持った犯罪者達。
ミツルとマイコは並んで不安に陥った生徒をなだめようとし、それでもこの状況をどうにか切り抜けようと可能性を探り、考えを巡らせ、好機を待っていた。
だが、現実にはこちらの負傷者は多く、武器といえる物は何一つ手中にない。また反撃はすでに失敗に終わっているため、2度目のチャンスも潰えていた。相手はこちらの戦力を把握して迂闊に近づこうとしない。腕のたつ者をあらかじめ負傷させ、或いは早急に始末しようと銃を突きつけて行動の自由を殺していた。
「……委員長、ちょっといいか?
玄路と光陽、それからカンカンと渡良瀬の、その、死亡を確認した……」
北島幸哉:コウボウと愛称で呼ばれているクラスメイトが悲しい報せを伝えた。
クラスメイトに死者が出ていないことを確認してくれと頼んだのはミツル自身だったが、いざその事実を耳にすると受け入れたくないものがあった。しかし、コウボウはこれだけの混乱のなかを必死に探し回って伝えてくれた。自らが撃たれる危険も顧みずに。それを依頼した自分が拒んでは、コウボウと殺されたクラスメイと達に申し訳がたたない。
あらゆる懸念がミツルの脳裏をよぎる。
目の前の犯罪者達は騒いだ者から殺すと宣言していた。ここで揉め事を誘発してしまっては自殺も同然。
つまり、残されている選択肢は事実を受け入れることだけである。怒りをぶつけることも、自分の不甲斐なさを悔やむ余裕はない。
「そうか……そうかよ、ちくしょう……」
負傷した左拳に痛みが走る。
だが、負傷は後悔と比べて軽症。
現実に無差別テロが起こっているのだ。 訓練とは違う。 次というモノはない。今生きていることが何よりも重要で、これを無駄にするわけにはいかない。
怒り半分に頭を回す。
いまは静かに嵐をやり過ごすしかない。例え未来が無かろうと、生きている限りどんなことも実現できる。死にさえしなければ、次のチャンスは必ずやって来る。
「き、君さぁち、ちょっと話がしたいんだ。こっ、こっちに来なよ」
敵の1人がクラスメイトの1人を誘導する。
向けられた銃口に抵抗するでもなく、彼女は静かに立ち上がり、男の後をついて行く。
(崎島……)
(恵理さん!)
「……委員長、トキとか智明を見かけなかったか?」
「いや。
見つからないのか?」
小声の会話を繰り返す2人の間に銀色の刃が差す。
2人の視線は自然とそれを差し出した人物に向き、そこに1人の犯罪者の顔を見る。
無表情。
眼帯をした男は優しく警告を始めた。それと同時に表情に色が付き始める。
「万に一つもお前達に勝ち目はないんだ。
それともお友達の姿が見つからないのか、えぇ?」
「……」
男からため息が漏れる。
ミツルとマイコは、他の犯罪者と何かが違うこの男こそ、反攻の鍵になりうると考えて顔を記憶した。
「何か言えよ。せっかく集団の中に入ってきたんだからさ、俺との会話は俺が許すんだから遠慮せずに言いたいこといいまくれよ。他の奴に文句は言わせないからさ」
「じゃあ、まず善人ぶるのをやめてくれねぇ?」
「北島!」
年上嫌悪癖のコウボウが真っ先に喧嘩口調で発言する。
表裏委員長の予想を裏切り、相手の男は笑顔でコウボウの発言を歓迎した。
本人の言葉通り、許可されたのなら発言しても撃たれたり、斬りつけられることがないとわかった。僅かな安心が訪れる。
「その調子だ。
まず自己紹介だ。俺は……あ〜となぁ、ホットドック。
ホットドックだ。よろしくな」
「ぁん?
じゃあ、俺はポテトサラダだ、畜生」
無駄な会話が続く。
お兄さんよぉ、なぜ笑っていられ。なぜここを襲う。友達を探したいからお前のお友達に話をつけやがれ。つぅかさ、どけよ。
お前さ威勢がいいな。素晴らしい覚悟だ。お前の探している友達ってのはさ――
「色世トキのことか?」
「は……なんでトキを知ってんだ?」
男が眼帯を外すと、コウボウはそいつがオッドアイであることに気付く。
白と金。
次の瞬間、白い目は緑色へと変色し、その変化に伴い顔面の形まで変化する。
「顔が……!」
「どうしてトキって名前を知っているんだ」
「だって俺達、四凶だぜ?」
聞きなれない言葉に一様の疑問が浮かぶ。
しきょう。
司教?
四強?
「“悪”というジャンルに区別される行為と原因と存在のことさ。
ついさっきまでこの村で行われたこと。
隣国……って、島国か。まぁ、同じアジア圏内で行われていること。 正確には、いま全世界で行われていること。
君達にそれを知覚することはできないけど、俺にはできるんだよ」
『……?』
「まぁ、早い話、俺達は全ての個人が持つ黒いイメージを具現化できるだけの力を持った厄介ってことさ。
“黒き物事の始まり”
ついでに言っておく。俺やトキ、それからゴツい銃持った変態どももそうだ。四凶さ」
「つまり、トキはお前らとグルってことか……?」
「お前は馬鹿なんだな」
笑う男。
殴りかかろうとするコウボウと、それを必死で抑えるマイコを見て更に笑顔は歪む。顔面も歪む。変態していくその形にミツルは吐き気を覚えた。
「周りの奴らも聞いているんだろ?
それなら俺の方に注目な。あは、おもしれ。
こん中に色世トキはいるかぁ?」
銃声が耳朶を打つ。
短い悲鳴と殺意を剥き出しにした怒声が上がり、男は皆の意識を誘導した。
「おいおい、何勝手に質問してんだ?」
「あぁ、俺のお気に入りが友達探しているって言うからよ、こん中にいないか確かめてんだよ。
死んでたらつまんねぇだろ?
逆に、探し出してやってさ、こいつらの目の前で殺したら面白くねぇ?」
僅かな希望が2人の中で同時に潰える。
仲間と話している間も男は隙がない。いつでもこちらを絶命に至らしめる手段を隠し持っていると、本能がそう警告した。
それに気付いてもらうように男はそうしていた。
殺気を放ち、下手に殺されないように生徒を威圧し、仲間とは話をつける。
「ふん……まぁ、それも悪くないが、そいつが死んでいたらどうするつもりだ?」
「そうだなぁ〜、誰か一緒にお散歩しないか?
お手々は自由じゃないけどさ」
手錠を取り出し、刃の峰を肩に置く。
笑顔で選択を始める男と、睨みつけるコウボウの視線が交差し、選定は終わる。
散歩の相手はものの数秒で決まった。
この村とその上空一帯を感覚的支配下に置き、自分の存在を村人や生徒、四凶たちに悟られないように処理を施す。
バースヤードは上空で待機するトキを目指した。
リデアの風とケイノスの空間魔術が作り出した不可視の足場に佇むトキは、静かに真下の状況を眺めていた。
一体何を考えているのか。
この世界で支配しきれない数少ないSRのトキには、直接それを聞くしか知る術がない。
「これが最も多くの人間を救い出す方法だ」
下ばかりを見ていたトキは軽く驚き、面と面が合ってから返す言葉を捜し始める。
微笑みかけ、バースヤードは説明を続けた。
「そう……ですか」
「すまんな。
すでに30人前後の犠牲者が出ているってのに、最後の1人が殺されるまで待たなくちゃいけないってのは。
そんなのが反撃開始の“合図”だってんだからな」
風が吹きつける。
黙り込むトキとバースヤード。
時間が来るまでの僅かな時間、バースヤードはトキの纏う空気からトキの持つSRを断定しようと小規模な支配を発動した。
人が纏う空気は、そのまま当人の性格や経歴を物語る。
だが、支配がトキに届かない。
「どうして最後の1人が死ななくちゃいけないのか考えたんですけど」
「どう考えたのか、是非とも聞かせて欲しいな」
「奴らが油断しきるから、なのかなって……」
会長が笑う。
不覚にもトキは、その反応で落ち着ける自分に気付いた。足下では同じ学校、同じ年・近い年の人が殺されているのに、不謹慎にももらい笑みを浮かべてしまった。
絶対に成功すると信じていたい。
もし自分が失敗したら、皆殺しにされる可能性だって考えられなくはない。
不安を隠そうと必死になっている自分。それでも失敗のイメージが浮かばない現実。
「やることはわかっているな?
時間を武器にするSR、色世トキ」
「わかっている……まずは相手の武器を破壊してから、包囲の解く」
役目を再認しながら両腕に溜めた時間を凝縮していく。
マスターピースから気付かぬうちに逆流していた時間、会長のアウトドア用品から奪った時間、リデアの流す空気から集めた時間。 その中に自分の時間を僅かに流して混合させる。コントンに敗れて以来、地道に続けてきた訓練の中、自力で発見に至った時間の使い方がこれだった。
ゼロから新しい物を作り出す時間。
時間が腕を伝い、両手に集中し、輪郭を構築し始める。
空間に重力を発生し、存在を得、物質として価値を生み出す。
(なるほど。外の時間と内の時間の複合か。
異なる流れの2つの時間を組み合わせて新しく時間を創り出すわけだな。
しかしトキ……それはすでに錬金術の域だ)
トキが頭に思い浮かべたのは藍、ハンズ、それから何度も殺された過激な訓練。
時間を両手に集約させ、物を創造しながら彼らを思い出す。藍は理壊双焔破界を、ハンズは銃器をそれぞれ生み出していた。
どちらも媒体を介しての武具現装。
いま最も必要な武器が何なのか、この状況に適した武器が何なのか。
残念なことに自分に判断するだけの経験は伴っていない。
だから、自分が最も理解している武器を創り出すのだ。
(双剣か、って、おま――!!)
出来上がった剣の柄を取る。しっくりと落ち着く握り心地の武器。
これでどれだけの学友を救えるかわからない。だが、やらなくてはならない。
剣に誓う。
全力を尽くして敵を殲滅するのでなく、全霊を掛けて生の道を切り開くと。
創造の後に剣を確かめるトキの肩を、会長の手が叩く。
「なぁトキ。お前の創造能力は過去に一度でも見た物を具現化するというものか?
もしそうだとしたら、その剣をどこで見たか教えてくれ。是非っとも!」
「え?
思いつくままにイメージしただけだけど……何か問題が――?」
「その剣、二振りのことを知っているか?」
言われ、陽光を反射する二振りの剣を眺める。
少なくとも自分よりも会長はこの剣について何か知っていることは明らかだった。
「……まぁ、いまはそれは置いておくとしようか。邪念が入っては失敗の可能性が高まるだけだもんな。
ところで、トキはその武器が得意なのか?」
「訓練の時に使ってみて、一番しっくりきたスタイルだったからコレにした」
「以前は銃を使っていたらしいが、そっちの方はどうなんだ?
別に必ず使えと言っているわけじゃないんだが」
「……銃は一旦やめることにしました」
「そうか。
ひとつ、人生の先輩してアドバイスするが、聞く余裕はあるか?」
頷き、真下の異変を見守る。
上空からでは見慣れた友人さえ見つけられない。
眼下でどんな会話が繰り広げられているのか、想像すらつかない。
「俺と散歩しようか」
真下で何が起こっているのかトキには理解できない。したくない。自分が探されていることさえ知らず、ただ状況の行方を見守るしかない。
今にも殺されそうなその生徒がコウボウであることにも当然、気付けなかった。
「俺から始末する気だろ……」
「そのトキって奴を探してきてから考えるよ。
真っ先に殺すかどうかは別な話だが――」
「その時は俺がそのガキを殺してやるから安心しな」
横から現れた白鬼の言葉に頷き、顔を別人のものに変えた男はコウボウの手を引く。
認識する世界の違いが生んだ悲劇だった。
トキの知った世界。
コウボウたちが未だ知らない世界。
「ふざけんなテメェ!」
散歩が始まろうとする。
連行されるように集団から選び抜かれたコウボウ。
それを引き止めるかのように親友の友樹が飛び出し、顔を変形した男に殴りかかった。
(動くな……殺される!)
今すぐ飛び出すことが出来ても、未来的にそれが多くの人命を救助することには繋がらない。
死機。
それが今だと会長は言う。
更に、最も多くの人間を救い出すタイミングは一瞬だけしか訪れないとも言った。そのタイミングを掴むことができればクラスメイトのほとんどは助かるというのだ。
「早死にしてぇ奴がいるみたいだな!」
殴りかかった生徒の髪を見、その生徒が転んだところでトキは気付く。友樹であったことに。
動揺して友樹最大の特徴であるタイガーヘッドに気付けず、誰も殺されないことばかりを願い、忘れていた。
横では会長がいまにも合図をくださんばかりに顔を歪め、片腕を曲げて掲げている。
時は近い。
「やめなよ大橋!」
銃を突きつけられて尚、殴りかかろうとする友樹の耳元で女生徒が呼びかけた。
近いはずのタイミングが待ち遠しい。
すかさず女生徒に銃口が向く。
会長を一瞬だけ盗み見て、合図が出されないものかと焦った。
「おとなしくしていよ。ねっ?」
友樹自身、誰に止められたのか自覚したのはその女生徒に1発殴られてからだった。
同じクラスの和霞瀬癒桜。
一度も話したことのない彼女の大胆行動に友樹は度肝を抜かれ、喧嘩っ早い自分に対して平手を入れるほどの勇気を持っている一面に驚ろかされた。見守る学友たちも同様。
クラスメイトのほとんどが呆気に取られる中、マイコは彼女を引き戻そうとした。
(君は誰だ?)
友樹が銃を突きつけられ、その代わりとなるように誰かが前へと出た。
女生徒。
撃たれようとしているのは誰か。
クラスメイトか、他クラスの生徒か。
教師ではない。制服だ。
「トキ。もし、自分の力が自分で測りきれないほどの代物なら――未知数ならば、自分の行動に全力で願いを乗せろ」
「願い……?」
「それを忘れるな。
何を願っての行動か。例え失敗に終わろうとも、自分の志や意思が損なわれるわけじゃない。
信念を持って負を貫け」
「すいません……何を言っているのか、わか――」
「思うがままに動き、走り、戦え。
相手は敵と呼べる誰かじゃない。
目の前にある、自分が最も認めたくない現実。
弱い自分でもいいし、自分がすべきだと認識する現実でもいい。戦い続けろ」
四凶たちが声高らかに笑う。
学生の言葉が可笑しいのか、行動が馬鹿らしかったのか、どうして笑っているのか理解できない。
理解する必要などあるのか?
銃声。
乾いた小さな爆発が、わずかな殺意と共に響き渡る。
そんな音を人生で聞くことはこれ以上ないだろう。
無いことを、心から願っていた。
「敵の作戦――“ERROR 2708”は始まったばかりだが、ここを抑えることさえできれば」
拳銃が女生徒に向き、突き付けられる。
威嚇。
彼女が会長の言う合図――最後の犠牲者だろう。
(すまない……すまない。
俺は、今すぐ助けられるのに……)
銃声が上がるまで時間はかからない。
死を覚悟する。
現実を認める。
「下手に動いたら殺すと言ったろ?」
銃口を突きつけられる。
銃口が突きつけられる。
次の、その――瞬間
「生きなきゃ駄目だよ、大橋」
凶弾が眉間を撃ち抜くいた。
同時に震えるトキの背中に会長の合図が与えられる。
反撃の始まりであった。
恐怖と絶望の渦が取り巻く空間を裂くようにトキは奇襲を仕掛け、それを合図に他のSRや援護者たちも一斉に動き出す。
トキはまず空中で落下しながら双剣を投げつける。二振りの剣は拳銃を握った手をさげようとする男の腕を断った。
この段階でトキを敵と認識できた四凶はいない。
着地と同時にタイムリーダーを発動し片腕を断った男へと肉薄する。レンジ内に目標をおさめ、右手を振るう。
停止しかけた世界で反撃の恐れはない。
右手が敵四凶に残された片腕に触れた瞬間に、時間の掠奪を始める。
服飾と肉体から瞬く間に存在を奪い、戦闘力を損なわせる。男が持つあらゆる凶器を両手で時間を奪って破壊。
時間の流れが正常化に向けて動き出す最中、双剣を拾って男に止めを刺す。
トキが低速世界から戻ってきた時、初めて四凶達は(トキ)という存在を認識した。
「だっ――!?」
疑問の声が上がるよりも早く、トキは人質となったクラスメイト達の前で二人目の四凶から時間を奪った。
この場を支配する者達の無力化。
それが自分に出来る救出の可能性であり、自分が最も望む結末への条件。それに気づいたトキは容赦ない攻撃を繰り出していた。
(ボルトみたいに……)
光の魔女のように不可思議で、強力な攻撃。
相手がこちらの手の内を理解する前に絶命に至るような、攻撃力。
混乱し、戸惑うような幻惑させる力。
(芹真さんみたいに……!)
早く、速く。
一度見た芹真の動きは高速でありながらも正確性を欠かさない。
迅速でありながら正確無比。
人質がやられないように、やられないうちに、四凶だけを狙って剣を振るい、時間を奪う。
(藍みたいに!)
流れるように距離を詰めて武器を破壊する。
無駄なく、それでいて全てが致命。
凶器の全てを打ち砕き、切り落とす。破壊できない得物は時間を奪い、右手の力――部分的存在の消去でもって無力化する。
タイムリーダーの発動と解除を小刻みに繰り返し、トキの体感時間で1分、正常時間で0.8秒――四凶たちは一切の武装と、半分近い人数を失った。
「誰だお前――っ!?」
「俺の銃が!」
「ばかな……」
戸惑う四凶、命失う四凶。
それぞれの反応の中、混乱を極めたのは人質となったクラスメイト達だった。
自分達の知った人間が、今まで見せたことも無い動きで支配者達を圧倒している。
「トキ……お前、か?」
ざわめく人間。
怒り立てる四凶。
友樹、コウボウが半ば放心気味に質問する。
敵味方を問わずに視線を集めながらもトキは落ち着いていた。
作戦は始まっている。
些細なミスも許されない。
「トキなのか!?」
信じがたい光景が彼らの脳裏に刻まれようとした時、同時にそれは降り出した。
四凶も村人も、学校関係者も、誰もがトキに焦点を合わせたその瞬間を狙って彼らは作戦のメインプロセスを実行したのである。
「え――なんだ、コレ?」
(ピンク。花びら……じゃない!)
「これは、雪か?」
桜雪が目を引く。
全員の視線がトキから上空へと移り、その隙をついて数人の四凶を葬り去る。
新緑に紛れて桜色の雪を操作していたMr.シーズンは桜雪を止め、真夏のような暖かい風を流し込み始めた。それに呼応して特級風司が頭上に流れてきた雲を流し退ける。
温風と陽光が村を吹き抜け、また、差し込んだ。
「やれ、忘却妖精」
意識が雪に集まった一瞬、煌きがSR以外の者全ての脳裏に刻まれる。陽光を反射し、燦とした光の中に溶けた催促催眠術が、何を意識するでもなく夢魔を呼び起こす。
一斉に数十人、数百人の人間が現実を離脱する。
強制睡魔が意識を蝕むのと同時に3発の弾丸が、3人の四凶の頭部をそれぞれ貫いた。
「命中」
「こちらも命中」
「狙撃は嫌いだが、やるっきゃねぇ!」
蓮雅、ビアンカ、愛院の狙撃で囲いが完全に解ける。
続けざまに思いもよらない攻撃を受け、四凶達は浮き足立った。
そのタイミングを見計らい、空間魔術師は夢に落とされた人質達の空間を圧縮し始めた。
(空間を十分の一に圧縮。
会長、後はお任せします)
「ははっ、いいぜ。
魔法を使ってみるのは何百年ぶりだろうな」
空間を圧縮するケイノスと圧縮された空間を別座標へと移転するバースヤード。
人質という盾を失い、四凶の矛は完全に反攻SRに向いた。
形成が逆転したいま、彼らにはそれしか残されていない。
真っ先に的にされたのは当然トキであるが、
「暴れて来い、トキ!」
その時を誰よりも望んでいたのはトキの方だった。
凶刃や銃口が人質に向いていたのでは下手に動けない。 だが、それらが全て自分に向いてさえいれば、何も懸念するものなく無力化することが可能である。
「ただし、コンティニューはないから気をつけろよ」
銃を失った四凶たちが周辺から凶器となりうる物を手に取り、多方向から一斉にトキに襲い掛かる。
(こいつらのせいで、何人死んだ!)
前後左右からタイミングをずらして4人が迫る。中には懐に隠し持っていたナイフや銃を装備して襲い掛かった。
(こいつらのせいで……)
警鐘が頭に響く。
鐘に打たれて体は瞬発力を得、殺意と憎悪は爆発力を生み、トキを“起こした”。
「邪魔しやがって!」
「ぶっ殺してやる!」
最初の1人が襲い掛かる。
焼けた木材を用いての右側面からの打撃。一瞬後にナイフを持った四凶が反対側から襲い掛かり、次に前後の2人が後頭部と脚部を狙って攻撃を繰り出した。
交差する4人。
僅かな血液がトキを四方から汚し、強襲者と奇襲者の間に決着をつける。
すれ違った瞬間に、4人が絶命し、その結末が周囲の四凶達への見せしめとなった。
「負けた!?」
「こいつもSRか!」
「だが、見たことねぇぞ!」
この凶行の原因が彼らなら、四凶を討つことで人々が救われるのなら――
「他の誰でもない、俺が――なんて言われようと、お前達を討つ!」
4つの骸が大地に伏す。
怒りが言葉となって放たれるのと同時に、次の四凶に向かって走り出す。
一瞬だけタイムリーダーを発動してSNSの銃撃を掻い潜り、双剣を振るう。両腕の腱を切って武装解除し、次いで背後に回りこんで両足の腱を切断する。
どこを切れば人が機動力を失うかは覚えている。問題は実戦であること。
それは訓練で繰り返し口酸っぱく言われていたことだ。教科書が実戦で必ず役に立つとは限らない。それは誰もが知る事実である。
だが、実践できたのなら不利はありえない。
(何の躊躇いもない行動速度だな。トキのこの動きは)
上空から見たトキというSRの速度は、完全に目で追うことが出来ないほどのものだった。
協会長であるバースヤードも例外でなく、それを見切ることは出来ない。
高速移動ではない。かといって、空間転移でもない。
(時間を味方につけているようだが、それでも光速のレベルに達しているな……)
解放されたSRが牙を向く。
何もない空間に火炎が生まれ、空気を焦がす。
だが、その攻撃は警鐘によって予測が立っていた。
焼撃空間から体を退け、四凶魔法使いに向けて剣を投げつける。
空間の燃焼だけでは止めることのできない投擲を前に、魔術師は剣の軌道から逃れた。
だが、逃れたその先で、トキは待ち構えていた。
左手の二本指で魔術師の両目に触れて時間を奪い取る。
部分的消去でなく、全体からの平均奪取。右手と違って触れた箇所が即座に消えるわけじゃないこの攻撃は、箇所を消すのではなく全体から時間を奪うもの。
結果、その攻撃は眼球全体に能力の低下をもたらした。
「邪魔だ!」
投擲して空中にある状態の剣を拾い、すぐに視力を失った魔術師の顔面を蹴り抜く。次の標的は魔術師の背後から迫った男。
銀色の角を持った鬼に向かって跳躍する。
「面白ぇ武器持ってんな、色世トキ」
(いける!)
無意識の跳躍。
ただ、無力化だけを願った迫撃。
そんなトキに冷静を呼びかけるよう、警鐘が今まで一番強く打たれた。
3本の得物が交わる。
双剣と金棒。
複数の棘と絡み合う2本の剣。
双剣を止めたのは、殺意を棘の形に模り乗せた金棒。
「へぇ、俺の理懐葬媛八解を止めるか。鬼以外で俺と打ち合える奴がいるとはな。なかなか筋もいい」
向き合って初めてその男の強さに気付く。
最初こそ互角に押し合っていたつばぜり合いだが、男が解説した直後から押し負け始める。
男の正体はリカイソウエンという言葉を口にしていたことで大体理解した。圧倒的腕力もそれで説明がつく。
「鬼か!」
「俺は銀角ってんだ」
笑み。
直後、トキは体を逸らして高速で空間を薙ぐ凶爪を躱す。
背後に回り込んで双剣を振るうが、鬼の肉体を斬ることはできない。銀角の硬い肉体の前にトキの腕力は微々たるもの。押す力、引く力ともに鬼の耐久力の方が遥かに上回っていた。
つまり、トキの斬撃は効かないのだ。
「力不足だったな!」
鬼が振り返る。
回転に乗じて振られる金棒を躱し、今度は前に回りこむ。
両太腿を切りつけるが、効果はない。
一回転して戻ってくる鬼の金棒。辛うじて躱す。
(こいつに剣は効かない!)
「どこでその剣を手に入れた?」
金棒の射程から逃れ、斬りから突きへと攻撃の種類を変えるために構えを変える。
「聞いているのか?
その剣、どこで手に入れた?」
「それを聞いてどうする!?」
質問と質問が重なる瞬間、両者の距離は一気に零へと至る。
「まさか名前も知らずに使っていたとは!」
打たれ、離れる。
構え直して突き進む。
突き、打ち、避け、斬り、躱し、衝突。
何合打ち合ったか分からなくなるほどに、両者は速く激しくぶつかり合う。
「第一そいつは二振りの剣であって、双剣として使うものじゃない」
「だからなんだ!」
「その剣はお前みたいな四凶が使う物じゃない」
「何!?」
「英雄の剣を、渾沌であるお前が振っていいと思ってるのか?
それともお前には四凶という自覚がないのか?」
不意を突いて狙撃が銀角を捉える。
だが、硬質な体を前にして銃弾もまた無力に等しく、皮膚を破ることすらなく芝生の上に転がり落るだけだった。
「俺が四凶だと、どうしてわかる!」
「別に俺は教えてもらっただけだ。金角にな」
(金角……もう1人居るのか!?)
連続で叩き込まれる銃弾を意にも介さず銀角が歩み寄って仕掛ける。
銃撃も斬撃も効かない相手に対し、トキは双剣を投げつけた。
(こいつは、銃でも剣でも倒せない!)
二振りの剣が弾き落とされる。
剣を捨てたトキは全力で駆け、タイムリーダーを使って銀角の見る時間から消え、背後へと回り込む。
「星黄畏天を捨てるか!
素手でこの俺に勝てるつもりか?」
左手の掌底が腰を打つ。ダメージは無い。
理懐葬媛が迫り、トキはタイムリーダーを駆使して躱す。
左脇に掌底を打ち、反対側へと一気に移動してわき腹に強く打ち込む。
(何だ、この感覚……!?)
太ももに平手。
拳打が打ち込まれる回数が増えるにつれ、銀角は自分の体の異変と弱体化に気付いた。
だるさ、痒さ、僅かな痛み。
何よりも本能が訴える存在の危機。
失っていることにこそ気付いていないが、銀角はトキの接近に警戒しはじめた。
拳速は上がり、立ち回りが攻撃的になる。ダメージを貰わないよう、下手な接近を許さないように力の限り一定の距離を保つ。
お互いが全力で攻め合い、攻撃を食らわないように努める。
(こいつ、速くなった!)
優位が逆転する。
最初圧倒していた銀角は、次第に脅威の度合いを増していくトキを前に生命の危機を感じ取った。
トキの方へと体を向けても、その瞬間に背後へと回り込まれる。視界から消える。
打ち込まれるたびに背筋に寒気が走った。
日本の銀角と呼ばれた自分が、二十歳にも満たない子供に殺されるのかと考えると憤怒が込み上げるのだが、
(右――左か!)
怒りよりも遥かに巨大な恐怖を、色世トキというSRから感じていた。
眼前の敵に向けて拳を突き出す。
一瞬、トキの姿が視界から消え、拳ひとつ分横に移動した。銀角はその瞬間を確かに見た。
錯視に近い感覚の現象。意識した座標から、気付かぬうちに移り終えている。
理懐葬媛を握った左腕を右手で握りとめられ、左手の平手が顔面に打ち込まれる。
「こちら会長。聞いているか、ビアンカ。
トキが鬼から時間を奪った。撃て。今なら倒せるぞ」
銀角から距離をとってもう一度接近し、左腕を右手のクロノセプトで切り離す。
銃弾が銀角の肉体を穿ったのはその直後で、この好機を逃さないようトキは止めに向かった。
星黄と畏天を拾い、四肢を紅に染めた銀角の首を狙う。
誰が脅威で、誰がその脅威を取り除くべきなのか。
何が悪で、何が正義か。 誰が犯罪者で、誰が被害者か。
彼らが攻めてきた理由はわからない。
何故自分達が巻き込まれているのかもわからない。
だからこそトキは首を狙ったのだが――この瞬間、警鐘は鳴らなかった――両足が重なった瞬間を狙撃された。
「ぐっ!ぃっ――何!?」
「何しているの蓮雅!」
よろめく銀角を前にし、トキは地面に伏して負傷に顔を歪めた。
(やばい!クロノセプター!)
「私は生徒の殺人を認めるつもりはない。
いまトキには、鬼への止めよりも藍を助けに行ってもらいたい」
木々の間で蓮雅はビアンカに説明した。
銀角はトキのクロノセプターによって銃弾が有効なまでに弱体化している。トキが相手するほどのSRではない。
問題は村の隅で行われている戦闘。
藍と、もう1人の鬼。
「おそらくあそこにいる娘が金角」
「なら、哭き鬼でも充分対処――できていないだと?」
蓮雅は狙撃の最中にその光景を目端に捉え、一度スコープを介して現状を覗き込んでいたのだ。
鬼同士の肉弾戦は、負傷と体力の消耗が激しい藍の圧倒的不利で展開されていた。
「すぐトキに伝えるよう、会長に言って」
(伝えてって言われても……あの子の負傷はどうする気?)
両足に銃傷を負っているトキが村の隅まで移動できるのか。
レティクルを銀角の後頭部に合わせてトリガー。
次いで様子を見るためにトキをスコープ内に収めると、そこからビアンカが予想もしていなかった光景が飛び込んできた。失った肉体を外部から取り込んだ時間で補い、銃弾で貫かれた肉体を修復していたのだ。
(錬金術か……肉体を新たに作り出すほどのレベルとは。
なるほど、蓮雅はこれを知っていたから躊躇無く撃てたわけか)
撃たれた理由を考えるよりも傷の修復に全力を尽くすトキ。その目の前では銀角が片腕付いて倒れるのを堪えていた。
ビアンカと蓮雅はそこにありったけの弾丸を叩き込み、完全に戦闘不能状態にまで追い詰める。
(会長、銀角を撃破。
トキに伝令をお願いします。11時の方向、味方鬼が交戦し、苦戦。至急援護に向かえ、と)
流血が止まり、銃痕が消えるとの同時、トキの頭には会長を経由して戦況が直接伝えられた。
戦場からわずかに離れた山の中、斜面を流れ往く小川のせせらぎを聞きながら完全否定は彼女を見つけた。
本当の偶然で、新緑の中からトキらの活躍とその実力を目測するために移動し、その最中に倒れ込んだ彼女を見つけたのだ。
小川に片手を浸け、息を荒げて顔を苦痛に歪めた秋森智明を見て、メイトスは思わず息を呑んだ。
「アンナ……?」
彼女を中心に焦げた大地に気付かず、メイトスは熱気が渦巻く異常空間に足を踏み入れた。
熱気よりも、その空間の異常よりも、メイトスにとって彼女の容姿が自分の愛した娘のそれとまったく同じであったことが何よりも信じられず、混乱した。
類似という次元ではない。完全な写し身と言ってもなんら間違いのない姿格好。
(まて!落ち着け!
別人……別人だ!)
分かっていても今まで抑えてきたものが込み上げ、完全否定を完全否定でなくす。
触れてはいけないと言い聞かせつつも、気付けば体は自然と智明に触れていた。
(この熱……まさか、SRなのか!)
触れた手を離した直後、指先に激痛を覚える。
中指の爪先から火種も何もなしに体が焼滅してゆき、人差し指、薬指へと焼滅箇所が拡大する。
(いや、これはパンドラの後遺症!
アン……いや、この娘はパンドラSRだったのか。
この症状、おそらく自らのSRに気付いていない。無自覚のうちに薬を投与された可能性が高いな。全くコントロール出来ていない。
この状態からして、薬を与えられたのは少なくとも2、3年前……最悪の場合、初期型パンドラ。なるほど、この娘も無自覚の犠牲者か)
指先の存在を否定し、自分の存在を部分的に存在しない物質とし、焼滅を防ぐ。
(これでよく生きてこれたものだ……)
関心しつつ呆れ、葛藤を抱きながら干渉を始める。
メイトスが外部から智明の力を制御し始めた頃、村での戦闘は完全に決着していた。