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Second Real/Virtual  作者:
36/72

第35話-それは降り注ぐ陽光のように-

 その街へ。

 何を告げるわけでもなく、風は無常に吹き付けた。

 狂気を導き、過去を(なび)かせ、欲望を呼び込む。

 神隠しという風を観測し、それぞれのSR達は各々の結論を持ち、それの実現に辿り着こうとした。

 ある者は仲間にしようと。ある者は神隠しの持つ特殊性を得ようと。また、ある者達は殺人を辞めさせようと。

 それぞれが走る。


 協会。

 武装派に非武装派。

 小規模集団。

 そして、完全無所属のSRまでもが、1人のSRの為に行動を起こしたのだ。


 脅威、希望、恐怖、信念。

 それが1人のSRの持つ力の影響で、他に与える様々な媒介である。

 神隠し本人はそのいずれも望んでいないにもかかわらず、他者はそれを求めて彼を探し回り、1つの国に辿り着いた。


 日出所。

 極東の小さな島国、日本。



(針小棒大過ぎる……)



 雲無き快晴の空を彩る陽光。

 光を受けて反射する人間文明の結晶。

 静寂に包まれた中心街。

 その静寂を切り裂かんばかりに集う者々。

 これから上がる太陽の熱に暖められるであろうアスファルトの上を駆けるSRたち。

 間もなく車の吐き出すガスに汚染されるであろう街中で、彼らはそこに集う。

 しかし、その規模を知らない。


 偶然のようで、必然のような……


 確信と疑念に満ち、欲望と念願に駆られた“毀劇/悲劇”が今、結びを迎えようと彼らをその場所に集めた。


 その中の1人。

 欲望侵食の名前で通るその男、コルスレイはぴくつく米神を押さえながら眼下に広がる街を見下ろした。

 キタチという街。

 現在、神隠しとその付き添いらしき人物が逃げ込んだ街。そして、それを追って様々なSRが集い始めている街である。

 これだけのSRが一箇所に集まり、平穏が続くはずがない。必ず騒ぎになる。

 それを理解しているからこそ、彼はこの街を訪れたのだ。

 自分の存在の証明も兼ねて。



(いま一度だけ協力しますよ先生。

 あんたが見込んだSR、色世トキ。彼がどんな欲の持ち主か、見せてもらいます)



 見下ろしていた街へと降り、コルスレイは両腕を広げる。

 ほとんどの生物が眠りの中にあるこの時間帯なら、彼の力の影響速度は師のそれと同等のものであるという自信があった。


 間もなく、住宅街のそこかしこから黄金の反射光が漏れ始めた。






 奈倉の足が止まる。

 風の中に紛れる急ぎ足のタイヤが上げる摩擦の泣き声。

 比較的交通量の少ない場所での急ブレーキと、急加速。



「藍!無音結界頼む!」


「範囲は?」



 体の向きを変える奈倉に、トキも足を止めた。

 歩道から反対側の歩道へと目を移し、道沿いに建立されたビルの向こうに耳を傾ける。

 奈倉はそこに不審な車の存在を感知していたことがわかった。


 高城の情報通りなら、器実験からの逃亡者。

 つい数分前に寄せられた情報では、黄立(きたち)で高速を降りたと聞いていた。



「この辺に全域に頼んだ!」


「トキ、愛院の援護を!」


「わかった!」



 魔犬により蹴られたコンクリートにヒビが入る。

 信号機を越え、ビルの壁を蹴り、隣の国道へと移る奈倉。

 柵を越えて道路を横断し、もう一度柵を乗り越え、トキはビルとビルの僅かな隙間へと滑り込み、奈倉に追いつく。

 ビルとビルの隙間から日の下に戻ったトキの目に、爆炎と黒煙の狂演乱舞が飛び込んだ。

 数百メートル先で起こっている事故。

 その衝撃で頭は軽い混乱を覚えた。

 混乱を覚ましたのは、急ブレーキという運動が奏でる摩擦音と、アスファルトと金属の擦れ合いによる独特の騒音だった。

 ガラスが砕け、燃え盛る車に衝突し、摩擦によってアスファルトと金属が火花を散らす。

 慣性で車が止まった頃、路上には凄惨な光景が展開されていた。

 車の中で生焼きに晒される男。

 クラッシュでフロントガラスに頭を打ち付けた者。


 車の屋根、フロントガラス、フレームごと何処かへと消え、その巻き添えを食らって上半身を失った者たち。



「あれだ!トキ!」



 奈倉が消滅痕を残した車を指し、自分達の周囲に神隠しがいることを示した。










 Second Real/Virtual


  -第35話-


 -それは降り注ぐ陽光のように-










 覚悟はしていた。

 これが最期の思考になるだろうと諦観していた。

 今日の朝日を浴びることは出来ても、明日は無い。

 最期が今日で、これは運命。

 回り続ける因果の鎖は誰にも絶つことが出来ず、抗おうにもそれすらが鎖の運命。

 パンドラと器。

 2つの狂気の差は、名称だけで中身の外道さは変わらない。

 死の報せが届けられて当然。


 邪悪を援けたこの身は裁かれて然り。

 それでも、心の奥底では生きて償いたいと願って止まない自分が居た。

 裁かれてもいい。でも、死にたくない。


 贅沢な願望に失望の念を抱いた瞬間、衝撃が視界の中に飛び込んだ。



(死ぬ……)



 前衛車両が黒い腕の中に消える。

 飲み込まれまいと急ブレーキを掛ける運転手。

 しかし、ブレーキと同時に後衛車両が対応しきれず、トランクに突っ込んでしまう。

 速度が災いし、後衛車両は反動で空中へとその身を投げ出し、屋根から地面へダイブ。

 幾度も車体を転げ、衝突させ、摩擦し、満身創痍の車体が迎えた結末。それは、オイル漏れとアスファルトと金属の摩擦の間に生まれた火花がもたらす最期。

 炎上だった。



「生きて、いる……?」



 トランクを潰されたものの、マクシミリアン・ウェイン自身は軽い打撲程度で済み、自力で車から這い出るだけの力は残っていた。

 ウェインの脱出に伴い、ドライバーも辛うじて車からの脱出に成功する。

 助手席に座っていた護衛は頭を強打し、すでに息を引き取っていた。

 前衛後衛のドライバーたちも半数以上が命を落とし、ウェインを護ろうと立ち上がることが出来たのは、僅かの3人だった。1人は流血にふさがれていない目で次の攻撃を警戒し、1人は火傷した左腕を垂らしたまま片手で銃を構える。運転手だった男も銃を構え、ウェインの安全に細心の注意を払った。

 焼け苦しむ仲間に止めを与える護衛。

 サプレッサーから噴出した銃火に、ウェインは目を逸らした。


 乱れた息を整えながら運転手はヘリの降下地点へと体を向けなおす。

 自分たちの主人がそこまで辿り着けば――



「おはようございます」



 予想外の場所での受けた予想していた攻撃。

 回収地点への移動を始めようとした一行に向かって、その者が放った言葉がそれだった。



「子供?」



 彼らの目の前に現れたのは、左腕の無い少年だった。

 日本人でないことは言語で分かる。


 戸惑う護衛と、絶対的恐怖に対面したウェイン。

 知ると知らないの差。

 両者間に生まれる違和感。


 震えだす主人を見て、護衛の1人が引き金を引いた。

 理由はわからない。

 それでも、自分の主人が目の前の子供に震えていることは明確だった。


 銃声。


 崩れ落ちる、人影。

 理解できない現象、SR。


 1人の護衛の上半身が消え、彼が放ったはずの弾丸は少年に届いていなかった。



「フ……ッ!」



 仲間の死を認めたその次の瞬間、片目を閉じた護衛の上半身が首及び下半身と別れることとなった。

 誰が引き金を引くよりも早く。

 何が彼らを消滅に追い詰めているのか。その得物の正体を知った時、護衛の頭は混乱に見舞われた。


 黒い、何か。

 影とも違う。

 それに触れが銃が消えた。

 影なら、例え暗闇の中にあってもその姿を見失うことはない。


 逆光の中からはみ出ているその影を、影と呼んでいいものだろうか?



「神、隠し……」



 ウェインの呟きを最期に、運転手の視界が暗闇に支配される。

 上半身を飲み込まれた最後の護衛。

 取り残されたウェインと、少年の目が交差する。


 狩るモノと、狩られる者という明瞭に分割された立場。その状況下に置かれたウェインに、絶対の死が訪れようとしていた。


 避けられない死。

 奇跡的に蘇生するなどということはない。

 神隠しの一撃は刃物よりも確実で、銃の如き速く、そして、拳打よりもリーチに優れている。

 また、盾よりも確実で、防弾ベストよりも絶対安全な攻防一体の神隠しが作り上げる左腕。

 必然、避けることのできない死。



「殺す為……来たのか?」


「はい。

 僕と姉さんを苦しめた、あなた達にも同じ痛みを味わってもらいたいんです」



 左腕が、燃え盛る車を丸呑みにする。

 炎が消え、金属の塊が消え、燃え盛る音が消えると、間もなくして風と2人の呼吸を残して一帯は静まり返った。


 絶対的消滅力。

 取り残された怨恨と憎悪が生み出す心中。

 一方的に接触できず、一方的に触れようと襲い掛かる存在。



「見逃して、もらえないか……」


「あなたは何人見逃してきましたか?」



 左腕が空へと掲げられる。逆光をで陰ると思われたその姿は、あらゆる現象を覆す。

 逆光を得て、左腕を構成するそれらがウェインの視界に飛び込んだ。


 その鎖縛の始まりは、怨恨と生への執念。


 生きたくてもその願望は実現しない。

 パンドラという狂気が生み出す凶行。

 それに伴う矛盾と痛み。

 矛盾が信頼を崩し、痛みが生を死へと標を示す。


 目の前の神隠しは、そこに縛られ、自分の命を奪おうとしている。

 当然の結果といえば当然だと、ウェインは自分に言い聞かせて冷静を取り戻そうとするが、時間が足りなかった。

 混乱のまま、頭の中の整理が終わるよりも早く、己の命が消えてしまうという予測が思考の片隅にあったことに気付き……



「もしや、君は双子の……」


「はい」



 次の瞬間、左腕は振り下ろされ――

 同時、ウェインの右腕に衝撃が走り、視界から神隠しの少年が消える。



「やめろ!エミルダ!」



 反撃の為に動き出していた左腕が、朝日に照らされる突撃者の顔を見て止まる。



「門番……さん?」



 触れようとしていた左腕が消える。

 地面を背に倒れ、2人はお互い距離を取って立ち上がった。



「大丈夫ですか?」



 一瞬視界に飛び込んだ見知らぬ女性の姿。

 見失った神隠しの姿。

 何が起こったのかウェインには理解できない。

 混乱した頭では僅かな変化も目まぐるしい変化も同然だった。


 混乱に返事を返せないウェインを見て、トキは焦りを覚えていた。

 流血を起こすほどの外傷は見られるが、どれの傷も浅い。

 目の前で起こっていることが現実離れしていて、あまりにも突然だから混乱しているのだろうか。

 ウェインを押し倒したトキは急いで深刻な外傷がないか探った。



「大丈夫ですか?」



 血の気の引いた顔を見て、とりあえず生きていることを確認する。

 トキは少年を止めると言って突撃した奈倉の方へと体を向けた。

 その方向に顔が向くのと同時、車の屋根と街灯の頂点が地面に落ち、甲高い音を響かせ、砕ける。

 また鉄柵やアスファルトは消滅したのも同時だった。

 路上に散らばった車両の残骸や、上半身を失った死骸もその暗闇の中に飲み込まれていく。


 爆発と飛翔。

 展開と消滅。


 ガソリンを撒き散らした車両が燃え盛る。

 爆炎から脱し、トキの真横に着地する奈倉。

 アスファルトを焦がす火炎を飲み込む、神隠し。パンドラSR。



(あの子……この前ぶつかった子!)



 爆炎を消し、残骸を消す。

 爆心地に残ったのはただ1人、神隠しの少年のみ。


 炎に蝕まれ襤褸(ぼろ)切れと化した服を、左腕が包んでいく。



「そいつは生きているか?」


「ああ。混乱しているのか、唖然としたままだけど」



 3人の目に、神隠しの黒で即席の服装を作り上げていくエミルダの姿が飛び込んだ。

 それは見た目に反して絶対の防御力を誇る鎧。

 触れてきたもの全てを飲み込む鎧袖一触。

 一切の接触を拒む、黒装束(ドレス)

 その力の前に、銃も刃物も、鍛えられた肉体も大差ない。触れた瞬間消える運命に変わりはなかった。



(隠力で服を作りやがって……まともに触れるのは、右手と首から上、膝下程度か)



 風が吹き抜け、その風に乗り、エミルダの殺意が3人の足が竦む。



「あなたは……」



 トキと少年の目が合う。

 僅かな笑みを浮かべ、少年の顔は奈倉へと向く。



「生きていたんですね、門番さん」


「お前もな。エミルダ」


「そこを退いてください」



 か細い右腕が上がり、右手の人差し指がウェインを指す。



「この年寄りに何をする気だ?」


「僕達と同じ痛みを味わってもらうんです。そうすれば、姉さんの気も晴れ……」


「ふざけるな。憎いからって人を殺していい理由にはならない。

 もうやめろ、エミルダ。お前は頑張って生きてきたじゃないか」



 右腕が下がり、左腕が上がる。



「はい。頑張って生きてきました。

 だから、もう少し頑張れば終わるんだと思っているんです」



 (たぎ)っているかのように大きさを増す黒腕。

 その先端がウェインに向いた時、愛院は持参した刃を晒した。

 足止めにすらならならないだろうと理解しながら、せめて自分に矛先が向きを変えてくれることを願う。



「だから――」


「絶対退かない」


「え?」


「もうやめろよ、エミルダ。

 こんなこと、何万回繰り返したって終わりは来ない。

 今まで頑張って来たんだろ?それを無駄にする気か?」


「……」


「一生を、人生を台無しにして、誰が喜ぶ?

 お前はそれで満足なのか?」



 左腕が僅かに下がる。

 今頃になり、ウェインは立ち上がろうとした。

 トキはウェインに肩を貸し、立たせてエミルダと向き合わせる。


 少年の目や腕、体と意志は、完全に愛院へと向いていた。



「……だって、誰も許さないんだ」



 左腕が萎む。

 膨れていた黒が縮小し、色を除いて何ら普通の腕と変わりないモノを形作ってゆく。



「だから、僕達で捌くんです」


「……たち?」



 その瞬間、トキの頭にあの音が響いた。

 同時に爆発的展開を始める左腕。

 ガチンと鳴ったその音に喝を入れられ、トキは左腕が展開するよりも早くウェインを連れて避難していた。



「エミ――!」



 その展開に、愛院は口を閉じた。

 飲み込まれてしまったと思ったトキと、器実験支援者。

 喰らっていない。

 確かに2人は神隠しから逃れている。

 度肝を抜かれた愛院は滲み出た冷や汗を拭い、エミルダへと顔を向けなおす。



「やめろ!」



 表層を失ったアスファルトの上に2人の死体はなく、エミルダは愛院の視線を追って初めて2人の生存に気付いた。

 愛院の言葉に耳を貸さず、トキだけに視線を注ぐ。

 目的の人物を消すためにはあの男が邪魔だ。と、逡巡による判断がトキを新たに消すべき人物と断定した。


 殺意を含んだ視線。

 ウェインに肩を貸したままエミルダへと視線を傾けるトキ。

 本気で殺そうとする少年の狂気。

 自分が肩を貸している人間の支援してきた狂気。


 優先すべきはどちらなのか?


 外道か復讐か。

 すでに罪人である両者に、校正の余地が残されているのか。


 神隠しがトキへと牙を剥く。

 低速世界の中、ウェインを誘導しつつ神隠しを躱わす。

 悠長に考え込んでいる時間はない。

 横薙ぎに襲い掛かってくる。屈んでも避けることは出来ない。

 ウェインの体を支えながら車のボンネットを駆け上り、屋根の上から飛び降り、神隠しを越える。


 着地と同時に低速世界が解除される。

 振り返しの左腕が2人の背後に迫った。



「エミルダ!」



 右腕を取って叱責する愛院を、エミルダは睨み返した。



「こいつが最後だって、そう決めたんだ。姉さんもそれで許そうとしているんだ!

 門番さんだろうと邪魔はさせない――誰だって邪魔しちゃいけないハズなのに!」



 翻るドレスに呼応し、トキとウェインに襲い掛かっていた左腕が愛院へと矛先を変える。

 握った少年の手を離し、後方へと跳ぶが、回避が間に合うかどうか自信がない。

 迫撃する左腕が2本に割れる。

 奈倉の立っていた場所を神隠しが飲み込み、距離を取った愛院を追撃する。

 2本に枝分かれした神隠しの1本を躱わして空中へ。そんな、足場から完全に離れて愛院にもう1本の神隠しが襲い掛かった。

 逃げ場のない空中での攻撃。それも、触れただけで効果を発揮するという防御不可能の追撃。



(マズった――!) 


「一段:菫」



 黒い腕が奈倉に触れるよりも早く、小石が彼女の脇腹を捉えた。

 僅かに汗が噴き出るほどの痛み。

 一瞬にして神隠しの軌道から滑り出る身体。

 真横を通過し、オフィスビルのガラス面に傷を残す左腕。



(藍か!)



 華創実誕幻一段:菫の効果を思い出す。

 数時間前も天狗と魔法使いに対して先制する時に使用した術。

 重量変化。

 それにより、先に魔法使いを、そして今自分の身体を小石で弾き飛ばせるほど軽くして見せた。

 街灯を掴んで着地に至る愛院に、枝分かれした左腕が襲う。

 1本は愛院、1本はトキへ。



「藍!トキが連れている奴を連れて逃げろ!」


「断るわ」



 街灯が倒れ、衝撃でプラスチックのカバーが飛散する。

 三角跳びや広いスペースを利用して逃げ回る愛院を神隠しの左腕が追う。

 肩を組んだままのウェインとトキも、出来る限り回避を続けるが、それも限界に近付いていた。

 衝撃続きのウェインの足が(もつ)れ、ついには転倒してしまう。

 

 殺人鬼――復讐者にとって最大のチャンスである。

 しかし、肩を組む2人に異常は訪れない。

 攻撃が来ないことを怪訝に思ったトキは背後を振り返り、すぐそこに藍の姿を確認した。


 エミルダ以外の全員がその光景に目を奪われた。


 神隠しに触れて飲み込まれないモノ。

 スーツの男:ウェインを殺さんと鬼気迫る神隠しを止める1本の日本刀。



(止めた……のか?)


(生死繋綴!?

 哭き鬼の一族だけに伝えられてきた秘刀!

 しかも、オリジナルじゃねぇか!)



 奈倉はその得物に驚いた。

 対魔・対人用戦闘用具。

 SR界隈に於いても稀少とされ、神器に数えられる得物の一つ。


 柄を握る藍の腕に力が篭る。

 アヌビスの時とは比べ物にならない反発力に、エミルダの全身に力が入る。

 互いに押し返そうとするが、量でエミルダ、質で藍とそれぞれが勝り、差し引き零という状況が生まれていた。


 神隠しが2本枝から1本の腕に戻り、更に質量を増す。同時に藍もSRを解放し、腕に込める力を増す。

 エミルダは左腕を引き、もう一度押した。

 しかし、鬼は体勢を崩すことなく左腕を刀で弾く。

 再び枝分かれした神隠しの1本が鬼を迂回、孤を描くようにウェインを狙った。



「トキ!」



 奈倉は掛け声と共に、トキの走って逃げようとする先のアスファルト目掛けて剣を投げつけた。

 背後に迫る左腕から逃れるため、トキはその剣の柄を掴む。が、



「それを踏み台にしろ!」



 判断を誤ってしまう。

 藍の日本刀のように、神隠しの攻撃を防ぐことの出来る武器を期待していたトキに、奈倉のような発想はなかった。

 混濁する意識が手伝ってか、ウェインの動きは時間の経過と共に鈍り、既に対処の使用がない状態まで陥っていたのだ。そんな状態で西洋剣を踏み台に出来る自信もなかったし、すでに選択を誤っている。

 しかし、トキには死に直面するであろうこの現状が、絶大的危機と思えなかった。触れるだけで死に至る可能性もあるハズなのに危機感が意識できる程度にしかなかったのだ。

 いつの間にか、肝を冷やすような恐怖は何処かへと消えていた。

 右肩の重しを外す。

 鞭のように迫る神隠しを眼前に、咄嗟にウェインを突き倒して左腕の軌道から逃す。

 タイムリーダーを使う余裕が無かった。低速時間が展開する頃には左腕が自分の身体を通り抜けているだろうという直感した。



「トキ――!」



 だからトキは、敢えて右手を迫り来る黒腕の前に晒したのだ。

 低速世界の展開よりも僅かに早い、ウェインに添えていた右腕のモーション。

 奈倉から受け取った剣の半分が消えていることに気付く。

 助け舟として剣を投げた奈倉はその現象に戸惑い、藍は数秒してから気付く。

 その直後に起こった出来事に最も戸惑ったのはエミルダ。次にウェインだった。



「え……?」



 通過した左腕。



「なん――?」



 その軌道上、トキは自分の無傷に疑問と希望を見出しながら立ち尽くしていた。


 全てのモノを触れただけで消し去ってしまう。

 それが神隠しの本質だった。



「大丈夫なのか?

 平気かトキ!」



 頷くトキを再び左腕が襲う。



「そんな……そんなことがあるもんか!」



 だが、到達するよりも早くタイムリーダーが展開する。トキは低速に包まれた世界で屈み、アスファルトから時間を奪い、タイムリーダーを解除する。

 陥没した地面に逃げ込み、頭上の神隠しをやり過ごす。更に周囲のアスファルトからも時間を奪い、両手の平に奪った時間を回遊させ、左腕が引くのと同時にエミルダへと迫った。



「無茶しないで!」


「藍!その刀貸せ!

 私とトキで足止めしているうちに、あの男をどっかに隠せ!」



 2本の左腕がトキへと殺到する。

 低速時間と通常時間を切り替えながら躱わし、距離を詰め、時間を奪って、その時間を利用して左腕を弾く。



(まさか、あんなことが出来たなんて……)



 先ほどの一瞬、左腕は確実にトキに触れていた。

 それにも関わらず、トキは無傷のまま。服の一部を消されただけで一切のダメージを負っていない。

 何が起こったのか。

 説明がつく唯一の要因は、色世時という人間の持つSR。



「ダメよ愛院!

 生死繋綴(これ)は、あなたじゃ使えない!」


「何でだよ!?」


「この刀は色々な理由があって、使える人は限られているのよ!」


「何すりゃ使えンだよ!」


「刀に選ばれない限り、何をしても無駄よ!」



 接触を求める左腕に対し、トキは両の手を駆使してそれを防ぐ。


 神隠しが触れる。

 その瞬間、掌にストックした時間を流出させると、消滅を防ぐことが出来ることをトキは発見した。

 絶対だと思っていた左腕の攻撃を防がれたエミルダは、トキを牽制しながらウェインを狙う。が、鬼と門番の2人によってボールの如く投げ渡されるウェインを、なかなか捉えることが出来ない。

 藍がウェインを高速で空中に放ち、その数瞬前に跳んだ奈倉がそれを空中キャッチ。今度は藍が神隠しから離れ、奈倉のダイレクトパスを受け取る。

 生死繋綴とトキの突撃によって、エミルダは思い通りに攻撃出来なかった。


 先ほどから左腕に伝わる、奇妙な感覚。

 数日前に翼と共に居た彼が触れるたびに消滅力を失う左腕。

 理解できない現象は少年の中に混乱を生み、それを深めていくのに充分な気持ち悪さを兼ね備えていた。

 薙ぎ払ってもいなされ、足元を掬おうにも躱わされ、真正面から打ち抜こうとしても軌道を逸らされる。

 全てが彼の掌に触れて変わる。

 望んだ結果が実現しない。

 優先されている願望の実現。

 今までの相手と違う、怯えもせず、逃げもしない。どんなに攻撃しても躱わし、攻め上げてくる人。

 トキと呼ばれる男。

 昨日まで殺してきた人間の、誰もが逃げようとしていた攻撃にも拘らず、全力で立ち向かってくる。



(こんな、所で……!)



 脳裏に浮かぶ赤。

 赤の次に訪れる黒と白。

 混乱して灰色が生まれ、頭の隅に黒と白が密かに残った。

 左腕がこんなことになっていたのは、その頃からである。



「どうして、僕らが間違っているんだ!」



 再び左腕が1本に戻る。

 背後から戻りつつ襲う枝腕を躱わし、トキはエミルダの前に立った。



「誰もやらないから、僕と姉さんであれを止めようとしているのにどうして……どうしてみんな、僕達が間違っているみたいに言うんだ」



 エミルダの左腕がトキに向き、トキの掌がエミルダに向けられる。

 その様子を愛院は遠巻きに見守り、その間藍は誰にも悟られないように現場を離れ、ウェインをビルの屋上へと隠した。



「……君にはお姉さんがいるのかい?」


「僕と、フェリル姉さんがどんな嫌な目に遭ってきたのか知らないでしょう?

 だから僕たちは同じ目に遭わないように、みんなの事を思って捌いているのに」


「いや、だからって殺すことが許されるわけじゃ……」


「それじゃ、あなたはどうなんですか?

 例えば、家族の誰かが殺されても黙っていられるんですか?

 家族じゃなくても、大切な人とか、いませんか?兄弟や友達が――」



 差し込む朝日が2人の右目と左目の瞼を下ろさせた。

 左目と右目で互いを捉えあいながら向き合い続ける。

 静寂に包まれた空間。

 見守る藍と愛院、向かい合うトキとエミルダの熱を冷ますかのように風が吹き抜けた。






 5分前。

 黄立の幹線道路沿いにたどり着いた時、翼は初めて自分の疲労に気付いた。

 全身に噴出した汗、震える足、乱れた呼吸。

 混乱する頭には少年に関わることしかなかった。

 たった1人。

 突然走り去り、見失ってしまう。

 正体のわからない追っ手がいるにも関わらず、迷いのない疾走による失踪。



「どう、なっている……?」



 自分の体力残量に気付いた翼は次に、黄立の街に漂う異様な雰囲気に気付いた。

 早朝から職場へと向かう車や通行人、新聞配達員。

 彼らのように、1日の早いうちから仕事に精を出す人々の姿が、普段は意識することもないほど当たり前と認識していたそれらの存在が今朝はひとつも見当たらなかった。


 風の音すらここには響いていない。

 時間帯から考えても決してありえない。

 ボランティアで何度も黄立の街で活動を行ってきた翼にはそれが異常だとわかる。一切予測の立たない何かが起こっている。



(異常は昨日から続いているが……)



 足を前へ進めながら昨夜からの出来事を思い出してみる。

 エミルダと共に食事を摂っている最中に不審者が訪問してきて、逃げろと半ば脅迫気味に説明した。

 走って逃げる。廃工場を出て、丘と山を越え、麓へと下り、当てもなくアスファルトの上を逃げ回る。

 休憩を取るため公園に隠れた。休憩中、幾度も背後に感じた殺気について予測を立て、エミルダ少年について考え、なぜ自分がこんなことをしているのか反省し、追っ手と少年の関係を考えた。

 そこで何も知らないまま走り回っている自分に気付く。

 目を覚ましたエミルダと言葉を交わし、不意を突くように公園を走り去るエミルダを追って現在に至る。


 常人的な生活とは到底言えないスタイルで人生を歩む翼。

 そんな彼だからこそ、エミルダという名の少年を放っておけなかった。

 下手を打てば命に関わるであろう深刻な問題に直面している。

 それは廃工場を訪れた3人との会話ですぐにわかった。彼らは、次に工場を訪れるであろう人々は自分たちよりも性質が悪いと言い、更に逃げ出すようにも促したのだ。



(アレでまともな方だと?)



 脳裏に浮かび、その中で輝く刃。

 アスファルトを割る大鎌。

 その次に浮かんでくる言葉(モノ)

 パンドラ。


 少年と不審者とパンドラ。

 その中にこれといった共通点は見当たらない。

 子供、カナダから来た孤児、東洋人、鎌、女性、大人。

 パンドラがそもそも何を意味するのか。何かの隠語なのか。

 それすら検討のつかない翼に元凶となるものが見えることはない。


 呼吸を調整しながら進める足が止まる。


 最初にそれを捉えたのは耳だった。

 金属のぶつかる音と、何かが爆ぜる音。

 僅かに震える地面を捉えた足が急発進する。

 一度限りの爆音を頼りに、翼は走る。その先にエミルダが居るという確信はない。

 ただ一心に、爆発が起こった場所にエミルダが倒れていないことを願った。


 1人の少年が、静寂に沈む街を駆け抜けていく。



(どうなっている?)



 そんな光景を、彼は建物の頂から見下ろしていた。


 今この街で一般人が動けるはずがなかった。

 その原因となっているのが自分と分かっている以上、男の――コルスレイの混乱は深まる。

 眼下を走る少年は何者なのか。

 爆発の起こった方角を目指して懸命に走っている。その方角に何があるのか知らないのだろう。

 故に、疑問が生まれる。



(なぜ、一般人がSRを目指す?

 どうして奴は眠らない?)



 “キタチ”という名の街はすでにコルスレイの術中に落ちていた。

 去年の夏、白州唯が桜色の雪に見舞われた時と同様に、一般人は悉く眠りの中へ沈んでいる。

 SRも、種類によってはすぐさま夢の中へ落ちていくほどの術が黄立の街を覆っているのだ。


 しかし、少年は動く。



(まさか、同じ或いは似通ったSR同士だと効果が充分に発揮しないというのか?

 先生の理論にあったように、本当にそうなのか?)



 走り行く少年を見送る。

 予定外因子を見つけ、コルスレイはそれをどのように利用できるか考え……



「よし」



 風と共に、少年と共に神隠しを目指した。


 少年の後を付ける最中、コルスレイは翼の意思となっている欲望を探り、笑みを浮かべる。

 生きていくという本能。

 自分よりも年下で似た状況の生活を送る子供と一緒に住みたいという願望。

 本能と願望が生み出す欲。

 その副産物として生まれる同情の感性。


 神隠しと知り合ったらしい少年は、思っていた以上に神隠しの子を想っていた。


 戦闘現場に着く直前、コルスレイは待ち伏せしている無所属SRに気付く。

 サイキッカー、忍者、死神。

 どれも個体としての戦闘力は侮りがたく、一般人の彼を足止めするに充分過ぎる力を持っている者達だった。


 しかし、コルスレイの敵ではない。


 翼の後を追尾するコルスレイの存在に、真っ先に気付いたのがくのいちだった。

 彼女の異変に気付いて他の2名もコルスレイの存在と接近行為に気付く。が、コルスレイが3人の目の前に立った時、3人は完全に動きを封じられていた。

 3人の体を包む水晶。

 輝く水晶の表面に映る、各々の記憶。



「ついでだ。お前たちの“嫌忌たる日々(クリティカル デイズ)”を貰ってこう」



 表面の映像に触れつつ、眼下の神隠しと向き合う複数名を見下ろした。

 本命と向かい合う誰かと、その仲間と思われる女性2人。


 そこで初めて気付く。

 コルスレイがこの場で求めた欲を持った人物が神隠しの子、パンドラSRであった。

 しかし、当初の目的であったパンドラSRと向かい合う人物に目が移ってしまう。

 去年、訪れたこの街の近辺で対面した少年。

 コントン程の実力者が目的とするほど特殊な人間で、先生も稀代と評価を下したというSR。



(あれは、色世トキ?

 何故ここに?)






「何故、なんかじゃないと思うんだ」



 沈黙を破る。

 睨み合いを続けていても意味がないと気付き、トキは考えに考え、その言葉を放った。



「殺されたからって、殺すのはいいことじゃない。

 俺も最初はそんなの分かりきったことだって、思っていたけど。でも、結構わかっていないものだよ」


「それこそ、わかりきった……――」


「俺も母さんを殺されたから1人暮らしなんだ。

 親父は海外の刑務所だし」



 エミルダの反論が止まる。

 


「この前ぶつかった時、俺と一緒に居た奴が言っていたんだ。

 もし住む場所に困っているなら、同居でもいいなら歓迎するよ、って。そいつは廃工場暮らしなんだけど、面倒見はいい奴だし――」


「歓迎するから……って、どうしてですか?」



 隠れていた右目が陽光を受け、浮かんだ涙を輝かせる。



「実際どうか分からないが……困っているんだろ?

 家に困っているなら寝る場所とか貸すし、お腹が空いているならご飯を出すって言う、それだけだよ」


「……どうして」



 エミルダが言葉に詰まる。

 それと同時、藍は初めて自分達以外の存在に気付いた。



(誰か来る?)


「なあ、エミルダ君。

 俺だって器実験は許せない。

 前に学校が襲われたんだよ。器の為とかっていう理不尽な大義名分でね」


「じゃあ、どうして動かないんですか……」



 再び目に力が篭る。



「落ち着けエミルダ!」



 諌める奈倉だが、その声は届いていない。

 藍には、エミルダの視界にトキしか映っていないように思えた。

 十分冷静になのか、トキを瞬殺するだけの自信があるのかまでは分からない。

 或いは、怒りに半混乱状態にあるのか……


 突き付けられる左腕に動じることなくトキは答える。



「俺は訓練中だ」



 女性2人から血の気が引く。

 この場合の膠着状態において、最も避けたかったのが相手を逆撫でることである。

 トキにその自覚は無いだろうが、現実にエミルダは遣る瀬無さに後押しされ、左腕を一度引いた。


 あとは前へと腕を押し出すだけ。



『エミルダ!』



 たったそれだけの動作で目の前の男を葬ることはできた。

 できたのだ。

 しかし、現実に左腕は後退したまま、そのままの状態で静止した。


 彼の行動を止めた2つの声。

 偶然重なった台詞だが、実質エミルダを止めたのは奈倉の声でなく、足を止めて肩を上下させている彼の声だった。



「翼!」


「翼……さん」



 僅かに下げた自らの左腕に気付き、エミルダは再びトキへと黒を突き付ける。

 対して、トキも万全に備えてエミルダに掌を向けた。

 奈倉は翼の存在に混乱し、藍は翼の介入が少年にどういった影響を及ぼすのか気がかり、静観を再開する。


 自分達のクラスメイトの名前を知っているということが、2人の面識の有無を自然と答えだし、それが混乱を深めた。



「こ、ここで何をしているんだトキ!」


「それはこっちの台詞よ。

 どうして村崎君がここにいるの?」



 対峙する2人に向けて叫ぶ翼に、藍が質問で返す。



「その子には、何らかの人に話せない事情が、あるようでな。あからさまに危険な大人たちに追われているんだ。

 逃げなくてはいけないんだ」


「なぁ、翼。どうしてお前はこの子を追って来たんだ?」


「私とエミルダ君は、まだ食事を終えていないからだ」



 一斉にクエスチョンマークが浮かぶ。ただ1人、沈黙するエミルダを除いて。


 沈黙の理由は翼の視線だった。

 出会った時にはなかったものが今はある。それも異形・異色の部品として。



「その腕はどう……した?

 エミルダ、大丈夫か?」


「――これが、僕です。翼さん」



 風が消える。

 そして彼が、少年少女達の前に姿を晒す。



「神隠しの力だ」



 翼とエミルダの会話が始まり、トキの意識がエミルダに、藍と愛院の関心が翼に向いた瞬間だった。

 3人の足が固まり、異変の起こらない2人はそれが男の仕業であると気付き、矛を向ける。

 神隠しと拳銃。


 トキとエミルダに睨まれながらも男、コルスレイの顔からは笑みが消えない。

 愛院は自分の眼前にどんなSRが降り立ったのかを再認識して震えた。

 藍は必至に足元を固めている結晶を取り除こうと力を込めて地面を砕き、掘り返す。が、足そのものが結晶に覆われていると知り、無意味な行動を極力控えた。


 翼は1人、何が起こっているのか理解と把握が出来ずに混乱していた。



「初めまして。俺は魔法使いだが何か質問はあるか?」


「その子に危害を加えるな!」



 真っ先に叫ぶ翼に、魔法使いは頷く。

 俺は危害を加えない、と。



「あんた、コルスレイ、だな!

 欲望侵食の魔術師!」


「その通り。

 そして俺は協会でもナイトメアでもない。

 だから、一般人がいようと――」



 コルスレイの指が翼に向き、釣られて愛院とトキの目も翼に向く。少し遅れてからエミルダの視線もそちらへと移る。



「関係ない。

 これから色々話す。処分されるのはお前達か、それともその翼とか言う学生だけか……」


「な……っ!卑怯だぞ!」


「そこで提案がある。

 色世トキ、エミルダ・レザロッテ。お前達2人が戦え。

 勝った側の条件を飲んでやる」



 2人の目が合う。

 それぞれ目的を持って此処に来た2人は、同じ考えに至り、同じ行動に移ろうとし――



「下手なことはやめた方が良い。

 俺には今、この場の全員をオブジェに変えることが出来る。難など無い。

 しかし、それでは結論へ至る面白さと楽しみに欠ける。まぁ、楽しめたことなど殆どないが」



 左腕の根元から僅かな結晶が発生し、手中の拳銃が黄金で包まれる。



「時間はないんだろ?

 もうすぐナイトメアの連中も来るし、協会の奴らだって来る。

 分かったらさっさと戦え」



 コルスレイという男を睨みつけ、2人の少年の視線が交差する。



「戦う?

 やめるんだトキ!それに、エミルダも!

 そんなことをして何になる!?」



 3人の距離が広がる。



「何が望みだ!?コルスレイ!」


「俺の通り名を叫んでおきながら、何故そんなことを聞く?

 いつものことだ。

 欲望……もっと、人を創り上げる欲が必要なんだ」



 コルスレイの目が翼に固定され、同時に翼の結晶に包まれた下半身が動き始める。

 自らの意志で動いているわけでない体に不快を覚えつつ、翼はこれから戦うという2人を見守った。



「私達を人質にでもしたつもり?」


「ああ。ハッタリは効かないからやめておけよ」



 翼が愛院と藍の中間地点で止まる。



「君らも見ているがいい。

 神隠しというものが発生する理由を」


(神隠し?)


「発生する理由だって?」



 質問する愛院を嘲笑するかのように、彼女のプロフィールを口にするコルスレイ。

 エミルダと同じ屋敷に居たこと。

 パンドラ実験を見て見ぬ振りし、喰ってきたこと。

 実験事故を経て、初めて当たり前の保護を受けたこと。

 自力で日本の白州唯という場所に居を得たこと。



「しかし、未だに抜けきれないものがある。

 例えば魔倉。

 どうしてこんな平和の国に来てまで武器の裏ルートを取り持つ必要が有る?

 まるで戦争を促進しているようにしか見えないが?」


「愛院はそんなことをする人じゃない。

 協会の暴走に備えているのよ」


「そういうお前達は備えているのか?芹真事務所。

 それ以前に、哭き鬼の元第一長姫候補――陸橙谷藍(りくとうや あい)



 翼が知らないクラスメイトの素性に触れた時、アスファルトの一部が消える。



「体力的に見るならトキが有利。

 しかし、SRの持つ殺傷力では神隠しの方が断然上か」



 トキは掌に時間を集め、必死で左腕を捌いて直撃を避ける。

 圧倒的火力の差は分かりきったことだ。

 問題は、いつまで避け続けることが出来るのか。



「さっきから神隠しだパンドラだと、一体何のこと何だ?」



 翼の疑問を背に受け、コルスレイは答える。



「君の知らない現実だよ、村崎翼君。

 君の両隣にいる彼女達はそれぞれ魔犬と鬼人。それからあの黒い腕の少年が、神隠しを植えつけられたパンドラの子だ」


「それが現実だというのか?」


「疑うことは結構。

 なら、目の前のあれは夢なのか?」



 エミルダに無かったはずの、黒い左腕がアスファルトや金属を無差別に飲み込んでゆく。

 その左腕から逃れ続けるトキは、瞬間的な移動を連続で実行する。

 常識の及ばない現象。

 現実の歪曲。



「いや、歪んでいるのは現実じゃない。

 それまで培ってきた常識だ。

 マティス・フォーランドっていうSR研究者がいるんだが、そいつが言うにSRとは現実の崩壊から始まるケースが大多数らしい」



 車が飲み込まれる。車体の右半分を丸ごと削り取られ、残された部品が倒れる。



「自然に発生する神隠しとパンドラ神隠しの決定的な違いは、目的の有無ではない。

 誰の為に、何を消すのかだ」


「何が目的だ!?」


「言っただろ。欲望だと。

 俺が直接手を下しては意味がない。だから、タイムリーダーにやらせているのだ」


「タイムリーダー?

 トキの事か!」



 肉薄する左腕を躱わし、必死に距離を開けようとするトキが目に飛び込む。


 トキの行動は観戦する4人に同じように伝わった。

 自分から攻撃はしない。



「欲望が欲しいとはどういうことだ?」


「この世界に初めて触れる君に分かるはずないだろう」


「だから聞いているのだ!」



 激昂する翼に落ち着くように言い、奈倉も詳細を求めた。

 具体的に、欲望が欲しいというイメージが湧かない。

 観戦を続け、3人に背を向けながらコルスレイは語り始めた。



「真に人を形成するのは欲望だ。

 これは俺の真実であってお前達の真実ではないかもしれない。

 だがな、原始思考に戻って考えてみろ」


「原始思考?」


「何故人は生きているのか?

 多くの者は死ぬ為だ、幸福の為だ、我思う故に我在りだ、それが奇跡なんだとか、あらゆる言葉で答えを飾ろうとする。

 しかし、何の為に人は死ぬ?

 幸福はどこから来る?

 自分が存在し、思考が在るのは何故だ?

 根源に帰った時、そこに答えはない。それらの疑問に明確な答えなんか用意されていない」



 奈倉の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

 藍にも翼にも全てを理解することはできない。

 ただ“何故生きてきるのか”と聞かれたら、いま出てきた回答例の一つを答えていただろうという、図星を指された感があった。



「俺は違うと思う。

 何故生きているのか、それが分からないから人は生きている」



 街頭が三分割される。

 破片から時間を奪ってエミルダの脇をすり抜ける。



「盲目のままに人は生き、その人生で答えを得られるかどうかという試練に立ち向かう」



 左腕がトキの太腿を掠る。

 殆どダメージはないが、一瞬の恐怖がトキの動きを鈍らせた。



「その生を支え、答えへと導く可能性を持っているのが“欲望”だ」


「それは違うぞ」



 低速世界がトキを包む。

 遅れた分の時間を取り戻そうと、意識は未来を想像し、脳が命令を下す。体は加速を始め、致命傷へと至らしめようと左腕を構えたエミルダと脇をすり抜ける。

 時間が通常速度を取り戻す――と、同時に左腕が形を変えて変則攻撃に移った。

 突き、薙ぎ。

 追撃。



「生きる理由など分からなくても人は生きていける。

 欲など、生きていくうちに少しずつ身についていくものだ」


「なら、何故赤子は泣く?

 人を生かし続けているのが欲望だということが分かっていないようだな」


「それが貴方だけの真実だからよ」



 藍の加勢を受け、翼は反論を続ける。



「赤子が泣くのは、遺伝子がそうさせているのだ。

 生存の為の危険信号が体の芯から発せられ、その不快に泣くのだろう」


(じゃあ、何故その不快から逃れようとする?)



 口には出さずにコルスレイは振り向く。



「君が追ってきた少年もトキも、君も俺、鬼と魔犬も欲望あってここにいる」



 コルスレイの指が藍から翼、奈倉、自分、エミルダ、トキへと移り指していく。



「トキに死なないでもらいたい。共に倒したい奴が居る。

 エミルダと一緒に暮らしたい。孤独から逃れたい。

 忌まわしき過去に別れを告げたい。神隠しという恐怖を忘れたい。

 俺は神隠しの欲望が欲しい。あわ良くばトキの稀な欲も手に入れたい。

 あの少年は、復讐を果たしたい。理不尽な大人たちの戦争に巻き込まれたことに対し。姉を失ったことに対し。SRという世界を強制された恨みを晴らしたがっている」


「な……!エミルダの姉は死んでるのか?」



 コルスレイは奈倉の言葉は拾われない。



「姉さんは死んでいない!」



 トキを追うエミルダが否定する。

 叫びながら左腕を横に薙ぎ、並ぶビルの支えを次々と消去しいった。

 程なくして、太陽光が傾斜するビルによって遮られる。



「エミ――!」



 倒壊。

 大きな瓦礫がトキへと降りかかる。

 神隠しで全身を纏ったエミルダに、圧死の心配はない。膨大な瓦礫が彼を押しつぶすより、神隠しがコンクリートを飲み消すほうが遥かに早いのだ。

 衝撃で砕けるコンクリートとガラス。折れ曲がる鉄骨。それに混じって降り注ぐのは、ビルの内へと運ばれたオフィス用品。

 逃げ場は残されていない。

 そんな時間も残されていない。

 前に神隠し。後に倒れかけてくる2棟と1本のビル。


 絶望的といって差し障りない現状。



「止まれ」



 目の前の瓦礫が地面に届いたのなら、どんなことが起こるのか。


 静止した世界でトキはそれを考えつつ、先立って降り注いだ小さな瓦礫などから時間を奪い、消し去っていった。特に、翼や奈倉、藍らの近くに降り注ごうとしてた物から。

 小さい物は右手で瞬間的に消去し、ある程度大きな物は左手で全体から時間を奪う。


 すでにトキの掌には相当量の時間が集められ、回遊していた。

 世界が僅かに速度を取り戻す。

 顔を上げると、巨大なビルという塊が飛び込んだ。

 3つ。



(いけるか?)



 細かな破片を掻い潜り、巨大なビルに触れる事のできる場所を探す。

 地面から数メートル離れた位置にあるそれを消すには、何らかの足場が必要だった。


 空中に浮くコンクリートやワークデスクを踏み台にし、トキは空中移動を始める。

 最も手近にあるビルの壁面に達し、両腕を突き出す。

 巨大な物から時間を奪うのは初めてであるが故、トキにはどれだけの時間がかかるか想像できなかった。


 左手に意識を集中し、ビル全体から時間を奪い始める。

 ここ数ヶ月の訓練でクロノセプターの性能を少しずつ理解してきた。

 素材にも依存するが、携帯電話ほどのサイズなら4〜7秒で消滅させることができ、ワゴンほどの車なら3分弱もかかる。



(5分じゃ終わらないか……)



 時間を奪い続けながら考え続ける。

 ただ時間を奪うだけではない、もっと効率良くビル倒壊の被害を防ぐ方法はないか。


 時間を奪い続けて1分。

 壁面を叩き、拳の型をハッキリと残すほどまでに硬度を失ったビルだが、それでもまだ堅さを残していた。

 地面と激突した場合の衝撃と飛散する瓦礫が、どれだけの破壊をもたらすのか大体想像はできる。

 身動きできない翼や藍たちに逃げる場所は無い。


 そして、この方法では間に合わない。誰も救えない。



(イチかバチか……!)



 ビルから離れ、地面へと向かって飛ぶ。

 着地と同時に一瞬だけ低速世界を解除、



「止まれ」



 両足に伝わる衝撃を堪えながら、トキはまっすぐ足を進める。

 その道半ば自分の左肘に右手を沿え、時間を流し込んだ。

 訓練で得たクロノセプターの使い方の一つである。

 奪った時間を自身の体に流すことで、その時間を得た部位は決して傷つかなくなる。

 この方法の欠点は効果時間の短さにある。車一台から時間を奪ったと仮定して、効果が現れるのは僅か1分前後。


 肘に手を当てたまま、トキは足を止める。

 目の前の静止した黒を前にし、深呼吸して覚悟を決めた。


 左腕を神隠しへと突き出し、黒い幕を突き抜けていく。

 静止した世界であるにも関わらず、エミルダの左腕の力は健在だった。触れたモノを時間に関係なく飲み込もうとする。

 消滅に至らしめようと働く神隠しを、与えた時間が相殺していく。

 消滅する力と創造する力がぶつかり合い、零を生み出していた。



「今だけでいい。力を貸してくれ」



 神隠しの幕をくぐり、トキの左腕がエミルダに触れて時間を与える。

 静止世界が低速世界へと変わるのは同時だった。

 世界が加速を始める。

 その中で唯一動けたのがトキだった。

 が、今、神隠しの少年――エミルダも、低速世界において通常速度を取り戻した。



「聞こえるか?エミルダ君」



 左腕を神隠しの幕から抜き、話しかける。



「お願いだ……聞いてくれ。

 皆を助けたい。その為に君の力を貸して欲しいんだ」



 黒い幕の狭間から顔を覗かせるエミルダ。

 その前で、トキは持参した銃を1挺掲げ、分解してみせる。もう1挺銃を取り出してグリップをエミルダ、銃口が自分へと向くようにして差し出す。



「これがあなたのSRですか?」


「ああ、そうだ。

 頼む。助けてくれ。このままじゃ皆ビルに潰されるか、ビルの破片で大怪我をする」



 全身を包んでいた神隠しのカーテンが開ける。

 完全にトキを信用したわけじゃない。

 だが、翼を助けようとしているトキの意見を放って置くことができなかった。



「どうして……」


「ん?」


「僕達は殺しあわなくちゃいけないのに」



 左腕がトキに向けられる。



「君は俺を殺す気なのか?」


「それで僕の願いが叶うなら」


「それは――何ていうか、自己中心的じゃないか?」



 エミルダの目がトキの背後で、釘でも打ったかのように止まる。

 世界が加速を続け、それまで静止にも等しかったビルの落下速度が上がったのだ。



「なぁ、エミルダ」



 少年の目がビルから翼へと向く。

 ビルの倒壊地点の直前。

 死んでもおかしくない距離。


 トキの左手が右肩に置かれ、エミルダは肩を震わせた。



「誰にだって、願いはあるだろ?

 相手の願いも聞かずに人を殺すことはよくないよ」


「へ……?」



 エミルダの中に多大な焦りが沸いてくる。

 それと反比例するように、目の前の男:トキは冷静さを増していった。



「だいぶ前に翼に言われたことなんだけどさ、どんな悪いことをした人でも心のどこかで謝ろうとしているものなんだよ」



 顔を覗き込み、震える肩を抑える手に力を入れる。



「だからさ、器実験の関係者を殺す前に、その人に謝ろうっていう気持ちや後悔が無いのか聞いてみなよ」


「……」


「俺も実験潰しを手伝う。だから、お願いだ。力を貸してくれ」



 少年の目蓋が降りる。


 次の行動をトキが目の当たりにする、トキの感覚で3分前。



「認めようが認めまいが、誰にだって結末は訪れる。

 それまでに何を望み、何を拒んできたのか。終わりに向かう途中経過によって結末は無限に変わる」



 倒壊するビルを目の前にしながらもコルスレイは言葉を続けていた。

 藍と奈倉は必死に足元の結晶から抜け出そうともがき、翼は目の前のそれが現実なのか疑った。

 不自然に倒れるビルと、その現場に居合わせた自分たち。クラスメイトと共に見上げる非日常。

 濃厚に漂う死の予感。

 最善を尽くして抗おうとする自分も居れば、生きることに諦観している自分も居る。



(結末……)



 コルスレイという男の言葉が脳裏に木霊する。



「あの少年の望みは復讐。

 あの少年を生み出した者達の願いは協会転覆。

 協会長(あのおとこ)の欲望はわからなくとも、四凶というカオストリガーを持っていることが決定的な原因」



 3人の足を固める結晶が変色を始め、黄金の光を放つ。

 太陽光を浴びて光を反射する純金。

 コルスレイの捕縛魔術、黄金侵食。



「協会が伝統として続いてきたこと、協会長という位置に1人の男が居続けることも間接的には原因だ。

 長く続いてきた体制に不満は募り、協会を快く思わない輩が続出し、ついにはナイトメアという組織の団結にまで至った」



 全身から力が抜けていく感覚に気付き、藍はそれが睡眠促進系の捕縛術であることを知った。

 身体から力が抜けたら次に、意識が夢の中へと引きずり込まれていく。

 そうなると、ビルの倒壊現場から逃れることはできない。



「なぜ四凶を処分しないのか。

 絶対的悪の根源を担う彼らを放置するわけにもいかない、という名目に納得する者は意外と少なく、疑問が生まれ、反発を買い、現実に四凶に関する様々な問題が発生して、現状が生まれた。

 四凶の言葉を使っていうなら、意見の分岐・対立が起こり、渾沌が発生した。

 その渾沌の中、無所属及び小規模集団の面々の中にパンドラ実験を生み出すものたちがいて、それを利用して協会を自分達のものにしようという者・よりよき全人類のための協会を再構築しようという者達が現れた」



 その道理が間違っているにも関わらず、実験は回を重ねるごとに規模を増し、成功確率を増していった。

 ついには中規模な組織での実験が行われるようになり、人間からの資金援助を受ける者や、専用施設を所有する組織まで現れるに至ったのだ。



「僅かながら神隠しが噂になった時期もあったな。

 期待はされていても実現は夢のまた夢といわれた時代。

 神隠しの発現には大きなリスクが必要だった。なにせ自然に発生する神隠しを人工的に真似て作るんだ。人の存在を完全に消せるだけの欲が必要だったんだ。

 この陽光(ひかり)のように、人は一生に必ず誰かに消えて欲しいと願うものだ。

 避けて通ることができない道だが、SRとして発現させるには並大抵の消滅要求だけでは発現しない。

 心の奥底から殺したいと、片時も願い続けてやまない“器”が必要なんだ」



 それまで夢だと思われていた実験も、成功に至った。

 エミルダ・レザロッテという器。彼の存在は成功例のひとつにあり、失敗の原因でもある。

 パンドラ研究所の一施設――私設孤児院――を失陥させたことが、SRの完成度の高さを証明した。

 多くの犠牲の上に発現したパンドラSR、神隠し。



「あの力を発現させるに至らしめたのが、復讐の結末という欲望だ」



 背後の3人の下半身全てを黄金が固めていく。



「あの少年には復讐しか残されていない。

 全ての引き金はケルベロス――お前も知っている、少女だ」


「フェリル・レザロッテ……」



 巨大な瓦礫の影が4人を飲み込む。



「これほどの力を引き出すほどに、エミルダ少年の欲望は珍しいモノなんだよ。

 おそらく彼は、あと十数年間は復讐の為に神隠しを続けるだろうな」



 コルスレイは倒れ掛けてくるビルに向けて左手を伸ばし、掌を見せる。

 4人を包む影をかき消すかのようにまばゆい光が掻き消す。

 収束する光。

 コルスレイはそれを放とうとはしない。

 ビルに触れた瞬間に、巨大な瓦礫を粉微塵にできる自信があった。



(破壊力ならパンドラ神隠し3人の中で、ダントツ1番だな)



 光がビルに触れようとした、その瞬間に、4人は再び光に照らされた。



「うん?」



 日陰から日当たりへ。

 暗順応が始まるよりも早く、生まれたての影は消えた。


 周辺を見回し、僅かな混乱がコルスレイを襲った。



「何だ?」



 目の前のビルが消えたことを理解できず、欲望侵食は背後の3人に目を配る。が、3人は身体の半分を黄金に固められて自由の利く身ではなく、ビルを消すことなど到底できるわけがない。



「動くな」



 その一声がコルスレイの心拍を上げた。

 コルスレイは指示に従いつつ、背後の人物を感覚で特定する。後ろにある欲望を色で表すなら、虹。

 通常の人間には在り得ない複数ものメインカラーに、更にそれが2本分も存在する。


 これだけ稀な欲望を持った人間はそうそういない。



「トキか」


「3人を放せ」



 ガチリと撃鉄が倒れる。薬室に弾丸が送られ更に背後を取られている。

 欲望侵食にこれを防ぐ手立てはない。

 第一、トキがどのようにして背後を取ったのかも判明していないのだ。



「ビルを消したのはお前か?」



 コルスレイはトキの要求を飲み、音を立てるように黄金を解除する。

 上半身へと侵食を続けていた黄金の動きが止まり、やがて独りでに酸化を始め、まもなく侵食していた黄金が金属灰となり崩れた。



「俺じゃない。エミルダだ」



 コルスレイの視界に息を切らせた少年の姿が飛び込む。

 SRの使いすぎで体力を切らせたことが見て取れた。息を切らせて肩を上下させ、左腕の黒い神隠しもほとんど見えなくなっていた。


 銃を向けたままトキは立ち位置を移し、コルスレイの前方に回り込む。

 トキは全員がそれぞれ立ち上がるのを見守りながらコルスレイに焦点を合わせ――


 背後から鋭い音が届いたのはそれと同時だった。



「エミルダ!」



 愛院が叫び、翼が真っ先に走り出す。

 何が起こったのか急すぎて分からない。急変が連続しすぎて対応が追いつかない。

 それでも理解の為に身体は動き、頭は回る。

 トキがそちらへ目を向けると、銀色の槍に右腕を貫かれたエミルダの姿が映った。



「アヌビスか」



 一瞬の隙を見計らい、コルスレイはトキから離れた。

 トキが顔を戻す頃にはすでに射程圏外。

 更にトキは彼の放った言葉に軽い驚きを覚えていた。


 コルスレイはパンドラ神隠しの欲望を諦めざるを得ない状況にあることを悟り、自重して撤退した。

 トキに背後を取られ、しかもそんな状況でアヌビスが現れたのだ。

 その後方には罪悪の呪術師、錬金術師、ノクターン・バベル。

 芹真事務所と、その加担者たち。

 更にアヌビスとは別方向から向かってくる協会部隊の存在も確認できた。



(先生も居るようじゃ勝ち目も薄いか……)



 名残惜しみながら欲望侵食は黄立の街を去る。

 そうすることが吉であると言わんばかりに、風が彼の背中を押した。


 そんな彼と入れ違いでホートクリーニング店の面々は現場に到着した。



「見つけた!神隠しだ!」



 ハンズやクワニーの視界に目標の姿が飛び込む頃、すでにアヌビスたちは先制攻撃を仕掛けていた。

 任務とはいえ、子供に対する厳し過ぎる灸。決して適切とは思えない方法。

 死角(うえ)からの投擲。



(右腕を斬り落としてやがる!)



 得物は的確に獲物を捉え、持ち主の望んだ結果を描いていた。


 黄立の街に悲鳴が木霊する。

 ハンズたちとは別の角度からその光景を目の当たりにした愛院は、エミルダの右腕を切断したその槍を見て驚いた。

 それは自らが製作に携わった、数少ない複製武器。協会部隊との戦闘で失った商品倉庫の1つに保管されていた商品、ガエ・ボルガ。



(アヌビスが持ってたのか!)



 奈倉の足が動いた次の瞬間、神隠しの少年に対して一本の矢が飛来し、左腕に妨げられることなく少年の右足を貫いた。


 走り寄る翼を見て、トキも全力でエミルダへと向かった。

 しかし、翼が走るよりもアヌビスがエミルダの前に降り立つ方が圧倒的に早い。更に、その行動の一つ一つから殺気が溢れ出し、邪魔になるであろう翼を排除しようとメインの獲物が振るわれる。


 ハルバートが煌く。

 その軌道は正確に翼の首を刎ねようと走る。


 凶器が振るわれる。

 翼の視界に、その刃は映っていなかった。

 速度と状況が視界を縮めている。

 人の目では追えない速度の斬撃。


 しかし、力を解放したトキはアヌビスのそれよりも早い。



「エミルダ!」



 アヌビスの攻撃に気付かずにエミルダに駆け寄った翼は、急いで傷口の止血に掛かった。ハルバートを消したトキも、足に刺さった矢を消し除き、奪った時間をエミルダへと送る。



「どけ!トキ!」



 力任せにもう一刀の振られる。

 トキでなく翼を狙った斬撃だが、タイムリーダーとクロノセプターを併用して時間を奪い消す。

 ハルバートを相手にするトキ背後、激痛に苛まれてのたうつ神隠しに対しクロスボウを用いて狙撃するジャベリン。

 しかし、放たれた矢はケルベロスによって防がれる。

 二方向からの攻撃を防いでいる隙に、藍は翼と神隠しの少年の元に急いだ。



「そいつが神隠しだ!

 何で邪魔をするんだ!えぇ!?」


「それが子供を殺してもいい理由なのか!」



 激昂するハルバートに翼が食らい付く。



「頭がおかしいんじゃないか?

 相手は子供だぞ!?」


「そいつが話題の殺人鬼でも俺の頭がおかしいっていうのか!

 どうなんだ!?」



 言葉に詰まる翼の脇で、藍が治療用の術符を取り出す。

 右腕の切断面に術符を巻き、接合を始める。



「そんなに殺しがしたいなら、あの世で思う存分やればいい!

 俺達がその理由にされちゃ堪ったもんじゃねぇ!

 協会にだって限界はあるんだ!世界中の全部を護れるはずがないだろ!」



 怒鳴り、必死に涙を堪えながら次の得物を取り出すハルバート。

 同時、一度言葉を呑んだ翼が再び口から言の葉を放った。



「だから、殺すのか?

 それではこの子と同じではないのか?」



 エミルダを殺人鬼と仮定し、翼は言う。

 現実に殺人鬼であることを知っているハルバートとジャベリンの両アヌビスにとって、その言葉は大きな矛盾を突きつけた。

 人々の為に神隠しを消したい思いと、殺人鬼と同じくなりたくないというという思いがぶつかり合い、葛藤を生む。


 そんな、次のリアクションに困り果てたハルバートの肩に手が置かれる。闇影の魔法使い、ホートクリーニング店店長:ヴィラ・ホート・ディマの手が。



「答えは出たわね。

 エミルダ少年はパンドラプロジェクトの犠牲者よ。

 幼さゆえの過ちを許せとは言わないけど、これからのことを考えて正しいことを教え、示していくべきよ。あなたやジャベリン、翼のように似通った“痛み”を知り、抱えている人たちが」



 トキが集めた時間をエミルダに与え、痛みを和らげる。



「行くべき道が閉ざされているなら、私達が新しい道へと導いてあげればいい」



 ハルバートが得物を収める。

 ジャベリンはクロスボウを投げ捨て、無言でその場を飛び去った。

 遣り切れない思いはハルバートにも、ハンズにも、愛院にもあった。それぞれ失ったモノがあるのだ。


 しかし、それを報復で返すことはできない。


 泣きながら手を引かれて立ち上がる少年を見守りながら、全員がそれを認識・再確認した。


 静かに風が吹き抜け、朝日が照らし出した。






 2日後。


 トキは1人、考えながら坂道を上っていった。


 パンドラ・プロジェクトがどういったものなのか、それを次ぐ器実験がどんな悲劇を生むのかを知った。

 奈倉愛院やエミルダ・レザロッテのように生きながらえる者もいれば、その実験中に命を落とす者、駒として作られて戦闘で命を落とす者もいるという。


 訓練が完全に終わったワケではない。


 しかし、



(起きているかな?)



 早朝の散歩。

 訓練をサボってまで出てきたトキは、翼の廃工場を訪れていた。


 SR同士の戦争。

 その原因が協会にあるのかもしれないが、それに対抗しようと人体実験をするナイトメアも何かがおかしい。

 やり過ぎとしか思えなかった。



「おはようトキ」



 朝早い時間でもあるにも関わらず出迎える翼。

 工場内に設えられた寝室エリアに入り、新たに増えた家具(ベッド)の上で寝息を立てるエミルダを見て、2人は工場の出入り口まで移動してラジオ体操を始めた。



「トキのおかげで何とか2人暮しもスムーズに行きそうだ」



 2日前の戦闘後、エミルダは翼の言葉に耳を貸して謝罪を始めた。

 死に至る痛みを体験し、改めてそれがどれだけ深刻なことなのかを考え、その重さを知ったのだ。

 その後、マクシミリアン・ウェインの後悔を聞き、エミルダはウェインの殺害を取りやめた。生きて償うと誓い立てたウェインを信じ、見逃す。

 その代わりにウェインはエミルダや芹真事務所、ホート・クリーニング店にとある情報を渡した。



「今日さ、これから器実験場を潰しに行くんだ」


「これから、か?」


「ああ。それでさ、今日ちょっと遅刻していくかもしれないからさ」


「わかった。伝えておこう」



 無音のラジオ体操を続ける2人の背中を、起きてきたエミルダは見守った。



「器実験を潰すということは、それなりの危険が伴うということか」


「まぁ、そういうことだな」


「気をつけてください」



 背に声かけたエミルダへと振り返り、トキは頷いた。



「君のように、誰かが酷い目に会う前にがんばって潰してくる」


「もう行くのか?トキ」



 頷くトキに、翼は手を差し出した。

 差し出された手を握り返し、トキは行ってくると告げる。

 翼の手が離れると、エミルダの左手が差し出された。

 握手を交わし、トキは廃工場を後にした。


 エミルダはトキによって与えられた左腕を確かめ、小さくなっていくトキの後姿を見守る。



「まだ馴染まないか?」


「え?

 いえ。ただ、自分の左腕の感覚が懐かしくて……」


「いつかは慣れるさ」



 トキが無事に帰ってくることを望みながら、翼は改めて現実を定義していた。


 目の前で起こりうることが現実なら、起こったと言う例も現実だ。

 嘘の可能性もあるが、嘘を嘘と決め付けるには、実際に自分の目で見て確かめるのが早かった。SRという世界を知り、世界の全てを鵜呑みにすることも、疑うことも容易でないことを再認識し、思い改めるに至った。


 しかし、それでも現実はここにある。


 例え、同居人が殺人鬼だったろうと、人は生きていける。

 問題は非一般的な力の使い道を間違えないこと。

 それを自ら制御できることにある。他人へ自らの能力をさらけ出すようでは一般社会に溶け込むことは不可能。

 SRという人種は、能ある鷹は爪を隠すという言葉を忠実に実行しなくてはいけない人種なのだと気付かされた。


 2人は食料庫に足を運び、朝食の準備を始める。


 その日、芹真事務所が器実験場を潰滅させたのは正午の頃だった。







 

『今回のアレ、どう思う?』


『アレって、どれ?』


『トキの力だろう』


『なるほど……その為に俺達は集まったのか。時間の無駄だな』


『口を慎みなさい。トウコツ』


『それよりトウコツ。お前から見て、今のトキは脅威に数えられるSRとして成長しているか?』


『何で俺に聞く?』


『あなたが一番近くにいるからよ』


『美味そうに仕上がってるか?』


『あのなぁ、俺はジャンヌの姉御に目ぇ付けられてんだ。滅多に自由行動なんてできないんだよ』


『だが、たまに覗いているんだろ?』


『……あぁ』


『それで?』


『俺の意見でいいなら話してやるぜ。

 トキはA級ブラックリストじゃあ、納得いかない。どう考えてもSランククラスの能力を持っていやがる』



 その言葉に、四凶の全員が頷いた。

 

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