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Second Real/Virtual  作者:
34/72

第33話-優先される灰咎-

 衝撃とは、無為を突いて初めて威力を有する。


 或いは――


 予測しつつも、夢と信じていたいと願ったことの望まぬ実現。



「授業中ですけど?」


「レンガ先生、警察の方からのご指名です。

 村崎翼君。いますぐ相談室まで来てくれ」



 指名された男子生徒は静かに席を離れ、廊下へと姿を消す。その様子を見守っていた教室内に、重たい沈黙が3年3組へと舞い降りる。

 しかし、それ以上に重たい空気を纏っていたのが警察の2人組みが待機していた相談室であった。



「村崎翼君だね?」


「はい」



 自分の行動に犯罪というものがないか、と聞かれると決して無いとは言えない。


 ――なぜ警察がここに呼んだのか。


 それでも、翼には何らかの罪によって人に迷惑をかけたことはなかった。



「非常に残念な知らせがあるんだ」



 封筒から取り出される数枚の書類。

 そこには、見知った顔が2つあった。



「昨日、君の両親の亡き骸が発見された」



 彼にとって、世界が暗闇に染められた瞬間だった。



「………………あ、あの2人、が?」



 自分を見捨てた2人に対し、例え死のうとも決して悲しみまいと誓ったハズだった。

 しかし、その話を聞いた翼の心には、確かな悲しみが存在した。




 風の吹く日の午後。



「抜け出した奈倉さんを探してきます」


「行く先には心当たりがあります」


「複数箇所、ですけど」



 その説明に担任の登竜寺蓮雅は数秒悩みつつも納得する。



「じゃあ、6時間目の終わりまでに帰ってきなさい。

 出来なかったら月末の実践術部のレクリエーションに強制参加よ」



 先に正門を潜り抜けて飛び出した奈倉を追って、3人は病院を目指す。

 先頭を高城が走り、その後ろにトキと藍が続いた。


 時間は遡って昼休み。


 警察署のSRから高城の携帯電話に連絡が入ってから5分。

 愛院はハンズという生きた目撃者に会うため、学校を抜け出す作戦を提案。学校を抜け出した愛院を連れ出すために藍、高城、時が名乗り上げるという作戦。

 生徒が生徒を連れ戻す方針を決めた蓮雅は、時間制限を出しつつも3人の外出を許可した。



「まさか、ハルバートが負けるとは!」



 高城の受けた連絡の中には意識不明のハルバートや、右腕を切り落とされたハンズのことが含まれていた。

 警察に連絡を入れたのはハンズであり、彼は錬金術で自分の体を修復し、一命を取りとめたという。

 損傷した高架橋では早急な修復作業が行われ、各電車は運行予定の変更や運行中止を余儀なくされた。

 警察では殺人鬼の後を追ったが、足取りは掴めていないのが現状。

 芹真事務所とホートクリーニング店は2人のことを聞き、すぐさま病院に駆けつけた。



「子供だ。

 ゴス服着た金髪のガキだった」



 しかし、ハンズが伝えた情報は僅かそれだけであった。

 芹真事務所と学生グループに必要最低限の情報を伝えたハンズは、ディマやクワニーと共に器実験を潰しに行くと言って病院から消え去る。

 その時のハンズの表情は、怒りで染まっていた。


 病院に残されたのは集中治療室に入ったハルバートと、同僚を心配するジャベリン。

 彼女を励ますボルト。

 それから芹真と学生グループ。芹真はワルクスに連絡を入れ、藍たちには学校に戻るよう指示した。



「先行ってろ!」



 が、愛院は言うことを聞かずに走り出した。

 それだけ言って走り去る彼女。

 慌ててトキや高城が跡を追いかけると、ハンズたちの戦闘現場に辿り着いた。



「なんてこった……」



 愛院は関係者であることを説明し、警察所属の妖精のSRはそれを了承した。

 現場に入る事を許可してもらう。

 追ってきた2人も、高城の顔を見つけた妖精のはからいによってすんなりと現場に入り、その異様な光景に眼を疑った。


 穴の開いた支柱。

 断裂する柱。

 パーツからパーツにかけて直線的に消失した車に、破れたフェンス。

 穴だらけの地面。

 不法投棄された粗大ゴミ。綺麗に刳り貫かれたような粗大ゴミ。


 初めて見るその傷跡に、トキと高城の思考が停止する。

 金属も、コンクリートも関係なく巻き込んだ消滅痕。

 残された残骸が語る戦闘の激しさ。

 銃撃が効かないことを聞かされ、触れる事が不可能な事を聞かされ、トキは初めて殺人鬼に対して恐怖を感じた。



「愛院、大丈夫か?」



 消滅痕を穿たれた支柱の前に立つ彼女に、高城は声をかけた。

 掘り返したくない、思い出したくない過去との再会。

 それが彼女にどういった影響を与えるのか計り知れない。それ故に少しでも安心感を与えようと高城は考えたのだ。

 だが、効き目があるとは思っていない。



「……」



 沈黙する愛院の目は支柱から地面に穿たれた弾痕へと移る。

 あのSRに銃撃は通用しない。

 それにも関わらず、一錬金術師があのSRを退けることができたのは何故だろうか。

 あまり多くを伝えてくれなかった錬金術師が憎く思え、しかし、ハンズが口にした最低限の情報で確信に至ったこともあった。



「エミルダだ」



 一瞬の静寂。

 トキと高城の脳裏に浮かぶ、ついさっきの話に出た少年。



「それって、例の3人目の?」



 頷く愛院に高城は納得する。

 犯人がわかっているなら、犯人の特徴を知る必要があった。

 警戒するにしても、相手の素顔さえ分かっていれば緊急処置マニュアルだって作れる。



(いや、緊急避難マニュアルか)



 断裂の入った柱を見上げて考える。

 奈倉から犯人像を聞き出せたとして、果たして警察部隊が動くだろうか。

 得た情報を少しでも活かして犯人逮捕まで持っていきたい。

 しかし、警察側に残っている戦力は心もとなく、かといって本部に増援を仰いだところで、会長秘書が通話相手として出てくれば増援は期待できない。



(仕方ない……芹真事務所に依頼するか)



 意を決した高城は次に、愛院から犯人の特徴を聞こうと向き直り、愛院の姿がそこになかったことに慌てた。

 愛院と併せてトキの姿もなかったのだ。


 高城に考えがあり、愛院には思うところがあった。

 故に彼女はこの場を離れ、その後姿に不安を覚えたトキは愛院を追うことにしたのだ。


 走り抜けた先は、街を見下ろせる高さにある公園だった。

 春は桜が咲き乱れ、夏にはセミたちが姿を見せる。秋に落ち葉、冬は雪の積もった丘の上の公園をとなる。

 息を切らせながら愛院はトキに聞いた。



「何で、ついて来た?」



 愛院の背中を見つめ、愛院の呼吸が整うのを静かに待つトキ。



「一言で言えば、心配だからついて来たんだ」


「……心配?」



 風が2人の間を吹き抜ける。



「奈倉さん、ろくに寝ていないだろ?

 目の下のクマが酷い。そんな状態で走り回ったら――」


「ぶっ倒れるとでも言いたいのか?」


「いや、さっきの現場を見て本当にやばいんだなって、今更かもしれないけど、俺もそう思ったんだ」


「ホント、今更だな」



 呆れた愛院はタバコを取り出す。

 空に枝を伸ばす桜の木に触れ、風に靡く髪が肌に触れるのを感じ、肺一杯に吸い込む紫煙を堪能する。冷静を取り戻す思考が思い出させる。



「初めて会ったのも、今日みたいな心地良い風が吹いてる日だった」


「今回の犯人に?」


「ああ。

 あいつがまだSRじゃない、ただの子供だった時だよ。

 自分の姉貴がいなくなったってんで大騒ぎしてな。屋根の上で寝ていたアタシん所までわざわざ足を運びやがってよ……

 見てられねぇくらい素直なガキだった」



 記憶の中にあるエミルダという少年の2つの顔。

 彼を凶暴な魂へと変えてしまったものは言うまでもない。



「なぁ、トキ。

 パンドラプロジェクトがどれだけ酷いか知っているか?」


「いや」


「力が手に入るってことが、どれだけ魅力的で、どれだけリスクを伴うものかわかるか?」


「……わからない。

 その、エミルダって子もSRという力に魅了されて復讐に走っているって言うのか?」



 愛院は頷く。

 力がなければ復讐は果たせない。

 逆に言うと、力を持ってしまえば復讐は誰にでも可能になるのだ。


 果てしない怨鎖は復讐・報復によって長く、また永く繋がり、規模を拡大する。

 報復に次ぐ報復。

 力によって下される裁き。または、能を駆使した反撃。

 それが、復讐である。



「力に魅了されて復讐を始めるわけじゃない。

 パンドラによって発現を強いられた人たちは、否が応にもSRとの生活を余儀なくされる」



 愛院は自分を指した。

 トキや自分のように、意思によって力を解放できるSRもいれば、意思に関係なく勝手に解放してしまうSRも存在することを説明する。

 解放、或いは制御しきれないSRの存在。



「パンドラの蓋は開けちゃいけない。

 伝説通り、あらゆる善悪が詰まっているんだ。

 人が開けて、制御できるなんて考える方がおかしいんだよ」



 道徳的にも間違っていると愛院は言う。

 現在、パンドラという名の実験は消えたものの、その跡継ぎとなる器実験はいまだに行われている。


 被験者の希望・非望を問わず、発現を強制するその実験はすべて、協会と対決する為の過程。



「でも、私は彼らを応援したい気持ちもあるんだよ。

 器実験さえなくなっちまえば、この世の悲しみの芽をある程度摘み取れるんじゃないかって、そんな気もする……」


「じゃあ、奈倉さんは犯人に遭遇したら犯人の手助けを?」



 軽く戸惑うトキの質問に愛院は微笑んだ。



「さぁな。

 話しかける前に殺されるかもしれないし」



 微笑の内側に恐怖があり、共感があった。

 その2つの感情が混乱を招き、判断を鈍らせる。

 殺されたいのか、生き延びたいのか、助けたいのか。

 自分が何を一番に望んでいるのか分からず、愛院は話を逸らした。



「ところで、ここまで追ってこれたのは、お前のSRか?」



 戦闘現場からここまで来るのに所要した時間は2分。

 ビジネス街を抜け、商店を駆け、住宅街を飛び渡ってココまで来た。距離にして約3km。それなのにトキは離される事なくついて来た。

 しかも呼吸に乱れがない。



「まあ。そうだけど」


「……そうか。思ってた以上だな」



 タバコをもみ消し、熱が冷めたところで吸殻を制服の襟の裏側に押し込む。

 トキが訓練を始めたことは聞いていた。肉体トレーニングからSRの使い方に慣れる訓練まで、様々な方法によってスキルアップを計っていると。



「もしよかったら、今夜一緒に来ないか?」


「今夜、どこに?」



 春風が吹き抜ける。

 白州唯に吹く風は、まだ止みそうにない。



「何かな……

 思い付きって言うか、そういう気になれたって言うか……

 今まで、私の後ついて来れた奴なんて滅多に居なかったからな。何人かいたけどさ、みんな死んじまったし」


「……?」


「何で怯えていたのか、ここに来た瞬間忘れちまったんだ。

 多分トキのお陰だ」


「はい?」


「シメにひとつ質問するが、トキは信頼できる知り合いはいるか?」



 突拍子過ぎる質問。

 繋がりの分からない会話。

 とりあえず主導権が彼女にあることだけは理解できる。



「コウボウとか、崎島さんとか……」


「SRでだよ」


「……それなら、藍に芹真さんにボルトとか」


「私はお前を信用していいか?」


「え?」



 逃げ続けることに意味があるのか。

 改めて自分に言い聞かせ、ハンズたちが交戦したことを思い出し、彼女は立ち向かうという勇気を思い出していた。



「まさか、殺人鬼を追うとか?」


「手を貸してくれないか?

 やばそうだったら逃げ出しても構わないからよ」



 トキがどれだけ戦力になるか分からない。

 それでも、愛院は信用できるメンバーであの少年に立ち向かいたかった。

 1人でエミルダを止める事は出来ない。だが、高城や藍、トキがいれば最悪仕留めることも出来る。



「オレなんかでいいなら協力するけど、犯人の行動は分かるの?」



 自分がどれだけ戦力になるかわからない。

 トキは自身の力に疑問を抱いていた。

 触れたモノから時間を奪うクロノセプターは、触れた瞬間、触れた場所を消滅させるSRに通じるのだろうか。

 銃弾も通じない、刃物も通じないらしいSRを攻略するには、本体を狙うしかないと奈倉は言っていたが、自分にそれができるのか不安だった。

 そもそもチャンスがあるのかすら不明なのである。



(殺人を止める。つまり、俺達でパンドラの子を倒さなければいけないってことだよな……)



 それは最悪、命を奪うということを意味する。

 攻撃のチャンスの有無に加えて、人を殺めないといけないのかと考え、トキは沈黙した。






 芹真事務所。

 この事件を止める方法を、ボルトは何パターンか思い描いていた。

 自分の正体に気づく者が1人も居ない事務所にて、光の魔女は微笑みながら紅茶を楽しむ。



「殺しちゃうのは簡単だけど、折角だから駒として動いてもらいたいわね」



 そもそも、対協会用ということを前提に発現を強制されたSRである。



「全く……コントンはやる事成す事、雑ね。

 もっと協会を掻き乱し、振り回しなさいよ」



 協会が連続殺人犯を捕まえることは出来ないだろう。

 ボルト A パルダンは笑う。


 協会部隊と当たらせるのも悪くはないが、ハンズの話を聞く限り犯人は体力に自信のある子供ではない。

 裏で支援するのも悪くないが、今の姿・状態であることをなるべく悟られたくなかった。



「四凶も動いてくれないでしょうし……

 あ〜、でも、武装派なら動いてくれそうだし〜」



 協会部隊との戦闘で両者の相打ちも愉快だが、協会が本気で討伐部隊を送ってくることはないだろう。あまり協会の戦力を削ぐことは期待できない。

 武装派をこの街に入れても悪戯に死人を増やすである。

 最も望ましいのが、四凶のキュウキに誘導してもらうことだが、光の魔女に酷い嫌悪を抱く彼女は期待できない。すぐにこちらの思惑を見抜くだろう。



「非武装派の人達にでも売ってみようかしら♪」



 彼らの戦力こそ今のうちに削いでおかねばならないモノのひとつであった。

 ボルトにとって連続殺人鬼など取るに足りないものであった。本当に厄介なものが暗躍する世界で、ボルトが最も注目する勢力が協会とナイトメア非武装派であった。



「珍しいSRだから食いつくでしょうね」



 事務所のソファに腰掛けた光の魔女の体から光が漏れる。

 外に見える夕の空。

 やがて訪れる夜を前にし、光の魔女はその姿を変えた。



「……あれ?」



 テーブルの上に広がるティーセットにボルトは疑問を抱く。

 コーヒーやココアは好んで飲むが、1人で事務所にいるときは滅多に用意して口にすることがない。

 自分が寝ていたものだと瞼を擦り、ティーセットを片付け、冷蔵庫の中を漁る。

 数秒前の自分がどんなことを考えていたのか、など記憶にないのだった。


 それでも、光の魔女が送り飛ばしたメッセージは、すでに近隣の非武装派SRらに届いていた。






 廃工場。


 何を腹に詰めようと満たされることはなかった。


 夕の空が黒を孕み、刻が容赦なく針を進めていく。

 吹き続ける風に軋むトタン板を見上げ、村崎翼は放心していた。


 告げられた事実を受け止められず、学校を抜け出し、走り続け、辿り着いたのが住み着き慣れた丘の上の廃工場だった。

 静寂に包まれた夕焼けの中、貴重な光源であるランタンのスイッチを捻り、大の字になって空を仰ぐこと数時間。

 頭の中は両親の死と、学校から逃げ出したこと、悲しみまいと意を決していたにも関わらず流れた涙のことでいっぱいだった。


 アパートの火災によって夫婦が死亡。

 焼け跡に残された遺留品の中から身元を判明。次に夜逃げした――焼け死んだ――夫婦に子供がいることが発覚し、報せに来たのだ。


 翼には、両親の死が想像できなかった。

 自分を置いてまでして逃げ延び、生き長らえた両親。その呆気ない終わり。

 身の回りのほとんどを持ち逃げ出し、名前と僅かな服、空き家同然と化したボロ屋だけを残して逃げたあの2人。


 いつかは名声を手に入れ、見かえそうと目標を掲げていたのに。

 何もない状態から成り上がり、見かえし、救おうとしていたのに……



「何の為に……努力してきたんだ」



 初めて受けるあまりにも大きな衝撃。


 涙は流したくない。

 それでも流れた雫が、翼自身に気付かせる。

 どんな扱いをされようと、どんな状況に取り残されようと、彼らが自分の両親であったことに変わりはない。それは何者にも置き換えられ難い事実であり、誰にも譲ることのできない関係だった。


 親の為に流す涙に、正誤はあるのだろうか。

 涙を流し、想うことは当然なのだろうか。


 翼にはそれが分からない。



(この虚しさは、孤独……か?)



 風に舞う埃が、オレンジの光を受けて空中に漂う。

 暮れる日。

 夜に沈む街。

 晴れない心のまま過ごす時は、普段よりも重く、長く感じられた。

 気を紛らわせる術も知らず、体を動かそうにも思うように動いてくれず、食料も喉を通らない。


 夜になっても止まない風の中に、風とは違う音が響く。

 それまで動けなかった翼の体に力が戻り、その音の正体が足音であると識別する。

 ゆっくりと、警戒しながら中へと入ってくるその足取り。


 翼はランタンを、影を動かして自分の位置と存在を示した。



「君は……」



 通路の影から姿を見せたのは、先日道端でぶつかり合った少年。

 姿は相変わらず、黒いゴシック系の服飾に身を包んだまま。ただ、今日は花の盛られた籠を持っていない。



「やぁ、少年。

 外は埃が酷かったであろう。シャワーでも浴びるかい?」



 それまでの空虚を心の奥底へ押しやり、翼は少年を手招きした。






 はぐれた藍や高城と合流し、全員が学校に戻ったのは放課後も半ば過ぎたあたりだった。

 4人、特に奈倉は厳重注意を受け、更に月末の実践術部の活動へ絶対参加するという罰ゲームが下された。トキや高城も参加が決まり、しかし、途中経過を秘密裏に報告していた藍は辛うじて罰則免除。4人が学校を出たのは放課後が終わってからである。



「何かよぉ、戻ってこなかった方が良かったんじゃないか?」



 無駄に長い時間説教を聞かされ、げんなりとした面持ちで帰路を行く高城。

 しかし、愛院やトキ、藍は首を横に振った。


 夜が来る。

 殺人鬼を追う支度をする為、4人の足はトキの家へと向いた。

 ひと気がないから心置きなく準備でき、相談できる。


 4人が色世宅の玄関を通過する頃、夕日は地平線の彼方に消えるところだった。



「ナイトハントになるな」



 リビングの窓から外の様子を窺う高城が呟く。

 学校指定の制服から黒尽くめの私服へと着替る。ブラックジーンズに、タンクトップ。タンクトップの上から革製のショルダーホルスターを装着し、銃を収めていく。更にその上に黒いジャケットを羽織って装備を隠す。



「なんねぇよ。

 こっちから追うってだけで、余裕があるわけじゃないんだ。何がハントだ……」



 煙を吐き出しながら奈倉が言った。

 黒いハイネックに首を通し、腕まくりしてプロテクター付ハーフフィンガーグローブを着用する。それから、迷彩の施されたダメージジーンズに取り付けられた専用シースに数本のナイフを収める。刃物の準備をひと通り終えると、次に銃の点検を始める。銃撃が効くとは思っていないが、万一の場合に備えた保険である。


 真紅地で黒いチェックのスカートに、デニムジャケットを羽織り、テーブルに立て掛けた理壊奏淵破界(リカイソウエンハカイ)を手に取って振る藍。

 触れることのできないSR相手に、対応できるか不安があったが、装備はあるに越したことはない。

 ジャケットの下に潜ませた術符も確認し、日本刀を手に取る。



(いざとなったら、生死繋綴(コレ)を使うしかない)



 緊張した面持ちで刀を見つめる藍。


 その脇でトキは黙々と準備を進めていた。たった一人の子供に会うために、これだけの準備が必要であるということに後ろめたさを感じずにはいられなかった。

 リビングのあちこちに置かれた武器の数々。愛院の持ち込んだ商売道具。

 対人用の物から対SR用の得物まで、剣から銃器に至って揃っていた。どこから取り出したのかも僅かに気になったが、それよりも本当に殺人を止めることができるのかが心配だった。



「気が進まないか、トキ?」



 心を見透かされたトキが固まる。

 手にしたH&k USP TACTICALを見つめ、引き金を引かないことを願っている自分に気付いた。



「俺もだよ。

 死にたくないし、年下の子供と戦うってのは気が引ける」



 頷くトキ。

 そんな2人の間に、愛院は割ってはいる。



「それじゃあ、私と藍で街の各所に結界を仕掛けてくる」



 トキと高城に言い聞かせ、愛院と藍はテーブルの上に置いておいた設置用の術符を手に取る。


 これから行われる計画を簡単に言えば、犯人を自分たちの足で見つけ、トラップを張った場所に犯人を誘導。そこで説得するか、或いは仕留めるというものである。

 暗闇の中において、相手のSRを躱すことは困難である。そのために藍の術符と華創実誕幻が役に立つ。夜闇を藍の術で照らし消し、確実に回避可能な場所を作り出すのだ。


 先に藍と愛院のペアが出発し、術符を設置がてら歩き回って犯人を捜す。時間差でトキと高城が先発した藍・愛院とは違うルートで少年を捜索する。

 直接相手の顔を知らないトキ、高城、藍はそれらしき人物を発見したら愛院に伝えるという方法で行われる。


 効率が良いとは決して言えない。

 途方もない作業であり、今日中に目撃できるかすら怪しい。

 だが、誰も異論を挟むことはなかった。


 これまでの犯行から、夜の活動が多い。

 風の止まない夜に4人が乗り出す。エミルダという名の少年を見つけ、殺人を止めるために。



「なぁ、トキ」



 家を出て間もなく、高城が口を開いた。

 なるべく人目に触れないように物陰や人通りの少ない道を探して歩いている時である。

 緊張して固くなっているトキは、誰かに目撃でもされたのかと心配するが、高城が声を掛けたのは注意や警戒の類ではない。



「上からは内緒にしておけって言われている話をこれからする。

 今はあまり深く考えずに聞いて欲しい」


「はぁ……」


「今、この街とその周辺には過去に例を見ないほど多くのSRが集結している。

 芹真事務所を始めとし、

 ホートクリーニング店、

 中国人密輸組合、

 黒羽商会、

 ナイトメアの武装派や非武装派、

 それから俺みたいな協会のSR、愛院のような完全無所属も……

 更に特級風使と空間殺し。それからMr.シーズン。

 未確認ではあるが、マティス・フォーランドを目撃したという情報も寄せられているらしい」



 緊張で固まっていたトキの頭に、聞き覚えのある名前が飛び込んでくる。



「黒羽商会が?何で?」


「詳しくは知らないが、芹真事務所が呼び寄せたらしい」



 脳裏に浮かぶ、飛行艇内の戦闘。

 獄炎の中での死闘が鮮明に浮かび上がってくる。


 またあいつらが来た。

 しかし、なぜやって来たのかがわからない。しかも、呼び寄せたのが芹真事務所。

 自分の知らない水面下で何か、事が進んでいる。



「だが、トキ。

 一番の問題はセブンス・ヘブン・マジックサーカスのSR達だ」


「え、あの……黒羽商会以外、ほとんど知らないんですけど」



 自分の所属する事務所とその経由で知り合ったクリーニング店。それから高城先輩と奈倉さんのこと以外。

 ミスターシーズンなんて、名前こそ分かり易いものの、どんな人物でどんなSRなのか一切の情報を持ち合わせていない。



「いま肝心なのは、SHMサーカスの団員の1人だ」



 それ以外のメンバーについては後日詳細を伝えると言い、高城はその団員について話し始める。



「手短に話すと、その団員も元カナダの上院議員に床を与えられた子供の1人だった」


「それって、生存者ってことですか?

 殺人鬼と同じように……」


「ああ。

 もしかすると、この国で起こっている事件を嗅ぎ付けて来たのかもしれない」


「じゃあ、その人もSR?」


「ああ。その可能性はとても高い。

 名前はザイツ・バクライアン。男性で、見習いのパントマイマーということでSHMサーカスに所属しているが、肩書きが見習いというだけで実際のところはSHMサーカスの主戦力に数えられる1人だ」



 暗い道を進み、人気の無い場所から人通りの多い通りを眺め、それらしい人影を探す。



「今回の事件……たった1人の犠牲者(こども)が多くのSRを動かしている。それは分かるか?」


「わかりません」


「犯人を仲間に迎え入れようと不法に入国しているSRも報告されているし、空港や港では逮捕されているやつらも居る」



 携帯電話を取り出して愛院に報告する。

 それらしい子供を人ごみの中に見つけたが、特徴と僅かに違うので自信がない。

 トキに考える時間を与え、その間に掛けた電話の向こうからは特徴を求める愛院の声と、車両による騒音が混じり合って届いた。

 視界に捉えた子供の特徴を素早く伝えていくが、愛院は即座に違うことを指摘して電話を切り上げる。


 上司たちからこの事件を早めに片付けるため、協力するように言われていた。

 白州唯という街で問題が発生するたびに、世界中のSRたちが隙を見て日本への侵入を試みるらしい。

 目的はわかっている。

 芹真事務所とホートクリーニング店の連合。


 そして、色世時だ。


 圧倒的で巨大な協会という組織に楯突くナイトメアは、武装派・非武装派問わずに人材不足であることを否めない。

 世界各国でゲリラ戦を展開することすら最近は危ういという現状にまで陥っている聞く。

 そんなナイトメアにとって、色世時やエミルダ・レザロッテという少年は絶対戦力となりうる存在だった。


 トウコツを倒し、黒羽商会の牛人と引き分けた学生。トキ。

 アヌビスを屠り、圧倒し、錬金術師の腕を切断した少年。エミルダ。


 絶大な力を持つことを咎めはしない。

 だが、その力を若いうちから披露していては後の人生が厄介になる。

 スカウトに次ぐスカウト。酷い場合は、拉致・強迫されることもあるという。



「ナイトメアは、どうしても協会を転覆させたいんだ……」



 呟いてみる。

 芹真さんや藍、ボルトはあまり協会のことを話さなくなった。

 事務所に来たばかりの頃は基礎知識ということで何度か話を聞かされたが、最近はあまり聞かない。

 それにあまり真剣に全体のことを考えたことがない。

 協会の何が気に入らないのか。四凶を囲っていることは確かに納得がいかなかった。母さんもその犠牲になり、クラスメイトも殺されかけた。


 しかし、それだけで戦争を仕掛ける必要があるのか?


 思考が途切れる。

 何かが頭の隅に引っかかった。

 トキはその引っ掛かりが何なのか思い出すことに全力を注ぎ始めると、高城は川沿いへと進路を変えた。






「それじゃあ、今日はまだ何も食べていないのか?」


「はい……」



 風が補強された壁の隙間を縫って吹き付ける。

 廃工場の中心でコンロに乗ったやかんを囲む2人。


 ジャージ姿の学生と、隻腕の少年。

 翼は沸騰するやかんを手に取って傾け、蓋の開いたカップ麺の容器2つに熱湯を注いだ。

 それを静かに見守るエミルダは、漢字で書かれた『醤油』の読み方をぼんやりと考えてみた。が、読めない。


 差し出された割り箸の乗ったカップ。



「このカップ麺は3分待てというところをもう少しだけ待って、3分40秒経過した頃に食べると中々美味だぞ」



 待ち時間に自分が持つ些細な知識を公開する翼。

 その話にエミルダは静かに耳を傾けていた。


 風除けの板が揺れ、天井の割れた照明が揺れる。

 4月にしては適度に温かい夜だった。

 久々の来客のせいなのか、翼は自分の口調が軽いことを実感する。

 寂しさは紛れたが、今度は空腹が襲ってきた。



(すでに4時間か……)



 エミルダが廃工場を訪れてから幾分か時間が経ち、外は完璧に闇で包まれていた。シャワーの場所を教え、体を洗っている間に食料庫からカップ麺を取り出しくる。

 汚れに汚れたゴシックロリータ服を預かり、予備の服をエミルダに与え、預かった服を洗濯する旨を伝えた。

 それからガスコンロのボンベを確認して点火し、やかんに水を汲んで持ってきて火にかける。


 沸騰するまでの時間を利用して2人は自己紹介を済ませ、静かにやかんが声をあげるのを待った。


 エミルダがしきりに周囲に目を配っている。

 その姿を見て、翼はこの廃工場に住み着いて間もない頃の自分を思い出した。

 この工場が元々なんに使われていた工場なのか翼は知らない。が、撤去されることもなく、また誰も近寄らず、住み着いても誰も咎めに来ないことから、翼はここを自分の家として生活を送ることを決めた。

 日の当たる場所、水の溜まる場所、風の吹く場所など、廃工場内のあらかたを観察し終え、自然と廃れた人工物が織り成す恵みを最大限に利用して生を繋いでいる。それがこの場所であり、翼の広すぎる我が家である。

 食料の保管に適切な場所、服を掛けて置くのに最適な場所、床としてふさわしい場所。

 驚くべきことにこの廃工場にはそれら全ての条件を満たす箇所が存在していたのだ。初めのうちはその恩恵に気付くことなく不自由な生活していたが、今ではこの環境に感謝の気持ちを感じない日などないほど恵みを受けていた。


 食料が少しでもあるなら、そして冬の寒さが襲ってこない限り、この廃工場は人が住めない環境では決してない。



「さぁ、食べようか!」



 時間が来る。

 威勢良く麺を啜る翼。 

 翼が食いつくのを見て、床に置いた容器から麺を掬うエミルダ。

 彼の上手な箸の使い方に翼は頷きつつ、スープを味わう。


 何の変哲もない醤油味のカップ麺。

 心なしか、いつもと同じ味とは思えなかった。

 そんな時である。



「お腹、空いていないんですか?」



 一瞬の白闇が思考を遮った。

 箸が止まり、舌が止まる。

 しかし、何事もなかったかのように翼の思考は再び正常に動き出す。



「いや、腹は空いているが……君はどうだい?エミルダ君」


「……ペコペコです」



 エミルダの返答に納得して頷き、再び麺を掬って口へ運ぶ翼。

 そこへ新たに質問を寄せるエミルダ。


 以前、一度ぶつかり合った時の翼は、もっと明るい人間だった。

 記憶の中に刻まれた、初めて会うのに優しく微笑んでいた人。

 それが翼だ。



「何か、あったんですか?」



 今、翼という人間は悲しみに包まれ、無理に振舞っている。

 それがわかってしまった。


 質問に再び止まる翼。

 しかし、少年に心配掛けまいと否定を表現する。



「ところで、君は大丈夫か?」



 今度はエミルダの箸が止まる。

 その反応を見逃さなかった翼は、まずいことを聞いたものだと後悔した。


 誰にだって関わって欲しくない関係(もの)、思い出したくない記憶がある。



「何が、ですか?」


「君にだって帰る場所はあるだろう。

 しかし、夜はなるべく出歩かないようにした方がいい。そう思ってな。

 最近この付近も殺人だ何だで大騒ぎしているから――」


「……大丈夫です」


「だが、万一を考えて今日だけ泊まって、明日の朝にでも戻れば大丈夫ではないか?」



 宿泊を提案する翼の表情を少年の瞳が観察する。

 警戒するエミルダに気付き、翼は自分の置かれた状況を再認した。


 ひと気の無い廃工場。

 あまり面識のない男。

 馴れ馴れしい接し方。



(これでは私が怪しい男だな)



 加えてクラス内、学校でのあだ名がエロティカであることを思い出し、変人という意味で間違っていないことに気付く。


 怪しまれて当然だ。

 この工場内には助けてくれる人など誰もおらず、また住宅街からもある程度距離がある。

 更に、ここはよく隔離地域と呼ばれている。

 認めたくはないが、隔離された場所という表現は間違いではなかった。

 それにこれまでの質問も深読みするように考えてみれば、殺人鬼と勘違いしてしまう可能性だって考えられる。

 子供は大人以上に悲愴や殺意に敏感だとも聞く。



「あ、それがダメなら送って行こうか。

 2人で一緒に行けば襲われることもあるまい」


「……ぁ、いえ、あの……

 翼さんは、大丈夫なんですか?」


「うん?」



 雫が右手を叩く。

 冷たい何か。

 感触が固体でなく、液体であることを教えてくれる。

 エミルダに言われ、その感覚を経て、翼は初めて自分が涙していることに気付いた。



「な、あれ?

 ハハッ、どうしたんだろ?」


「どこか、痛いんですか?」


「そんな、ハズは――」



 半分以上も残っている容器を置き、翼は立ち上がった。

 鏡の残っていた部屋へと体を向け、重い足取りで進む。


 これ以上、少年に不安を与えたくなかった。

 何故、涙が流れてきたのかわからない。

 何がそれを誘ったのかもわからない。

 だが、初めて会う人間が涙すると、一緒にいる者は気まずくなる。


 鏡に映る自分の顔を覗きこみ、頬に雫の通り道ができ、目が赤くなっていることを知った。



「大丈夫、ですか?」



 エミルダの前に戻った翼は無言で頷く。

 腰を下ろして一息つき、麺の残る容器を持ち上げる。



「ふむ。おそらく、今日の風に乗った花粉にでもやられたのだろう。

 そういえば鼻もムズムズするな」


「あの……聞いて、いいですか?」


「ん?

 何かな?」



 一呼吸分の静寂。

 風だけが音を奏でる夜。


 その日、翼は初めて自分の知らない、もうひとつ世界に触れた。



「翼さんはSR、ですか?」


「えす……?」



 2人の間に訪れる静寂。

 風だけが時間の流れる知らせてくれる。

 少しは考えてみるが、エミルダが何を期待しているのか翼には理解できなかった。



「それは映画かパソコンゲームかな?」



 沈黙するエミルダ。

 しかし、目はすでに翼を捉えていない。

 その視線の先を辿るよう、翼もエミルダから目を外して周囲を窺う。

 特に変わった何かが見えるわけではなかったが、確かな変化が周囲で起こっていた。

 それに気付いたのが、窓のカーテンに目が向いた時である。



「風が止んだようだが……?」



 しかし、それが異常だった。

 朝方から止まなかった風が、一切なくなってしまう。それも一瞬ではない。風が止まったことを認識した瞬間から一斉に風は止んだのだ。

 天気予報では、まだまだ吹き続けるという話も出ていた。



「こんばんわ」



 風の音に替わり、冷ややかな声が廃工場内に響いた。

 翼とエミルダの目が入り口に立つ3つの人影に向く。

 子供2人を見据える3人の大人。


 穏やかでない雰囲気を読み取った翼は、一歩踏み出してエミルダの前に出た。

 相手が何者なのかはわからないが、警察でないことだけは断言できる。



「うん?

 何か話に聞いていない人が居ますね?」


「知らねぇよ。とっとと終わらせようぜ。うるせぇ奴らが来ちまう」


「……くすッ」



 眼鏡を掛けた男の目が翼に向き、立体マスクをつけた女性が笑う。

 2人の東洋人と、1人の外国人。

 眼鏡の男と、マスクの女性。

 そして、大鎌を持った茶髪の男。

 翼の目は、露骨に大鎌を担いだ男で止まっていた。無意識的にエミルダを隠すように手を広げて向かい合う。その姿を見て真っ先に頭の中に浮かんだものが連続殺人鬼であった。



「どうかしましたか?」



 相手の意図を掴もうと質問した翼に、外国人が答える。



「あのさぁ、俺らそこの子供に用事あるんだけどさぁ、どいてくんねぇ?」



 邪険にされる翼を心配そうに見上げるエミルダ。

 その視線に気付き、翼は一歩後退する。

 相手の目的がはっきりしないため、下手に距離を縮めたくなかった。

 その危機感を十二分に誘発しているのはもちろん、大鎌を持った男の存在そのものである。



「よぉ、少年。

 俺達は手荒なことしに来たわけでも、誘拐しに来たわけでもねぇ」



 翼の横に立ち、背後に隠れるエミルダに対して男は腰を落として言った。

 ただ、ほんの少しだけ話がある、と。

 目と目が合う。

 入り口側に立つ2人が少年と男のやり取りを見守る。



「お前はパンドラの子か?」


「パンドラ?」



 真っ先にその言葉に反応したのは翼だった。

 不安ゆえに聞き耳を立てていたが、男から発せられた言葉は予想だにしていなかったもの。

 翼は不意を意表を突かれ、つい鸚鵡返してしまった。



「お前には聞いていない。

 俺はガキと喋ってんだ」



 鎌を握る手に力が篭る。

 肝心と思った単語を頭でリピートしながら翼は口をつぐんだ。

 下手に相手を刺激してはいけないと、人生経験が警告を発す。

 まして、相手は狂気的な得物を携えているのだ。素手の、しかも喧嘩とは縁遠い学生には万一の勝機などない。



「ところで君は何者だい?」



 大鎌の男に替わって眼鏡の東洋人が翼に質問を投げ掛けた。

 一目で日本人でない――高確率で中国人である――ことは分かる。




「ここの住人とだけ言っておこう。

 名前はそちらが先に名乗るのが礼儀では?」


「かもしれないな。

 私はギュン。ギュン・パクフォンだ。

 隣の彼女はキリ。

 そして、君の隣の鎌男はダイアンという厄病神だ」



 自分から言い出した礼儀を守るために名乗る翼。

 その傍らでは質問を終えた男:ダイアンが立ち上がり、翼を見下ろした。



「こいつぁ、ただの人間か」


「ああ。ただの人間だ。

 ならば、あんたは何なのか教えてくれないか?」


「ただの疫病神さ」



 笑うダイアン。

 呆れたギュンは引けと言った。

 翼に対してではなく、ダイアンに。



「何らかの誤解を与えたようだから説明するが、僕達の目的は忠告だけだ。

 翼君。

 君の後に隠れている少年を巡って色々怖い連中が集まりだしている。ここに来る途中も何人か見かけた」



 再び風が吹き始める。

 翼は静かに、後退した。

 目的がエミルダと分かった以上、むざむざ見知らぬ人々に晒すわけにはいかない。



「怪しさなら君も充分だがな」



 ギュンの一言に図星を指される翼。

 更に心の内を読まれた動揺が重なる。



「逃げるなら急げよ。俺らはここでバラすのも悪いとは思っていないんだぜ?」



 大鎌が肩から降り、コンクリートを抉る。

 しかし、それ以上動かない――動けない――ダイアン。



「僕らと違って、次に来る奴らは誘拐も平気でする連中だよ?

 早く逃げたほうがいい。

 これは一切他意のない、君たちを想っての忠告だ。信じるかどうかは別だが」


「クスクス」



 ギュンの隣で笑う女性の手に、ショットガンが握られていた。

 ベネリM3スーパー90。

 本物か否か、翼に判断は出来なかったが、自分達が不利な状況に置かれていることだけは理解し、下手な行動を控えた。

 抵抗を諦めた翼を見て、そこで初めてギュンは思い至る。



「あれ?

 ところで、出入り口はここ以外ないの?」


「行くならとっとと行きやがれ。

 俺らはよぉ、そのガキが奴らの手に渡るのを考えると面倒臭ぇって気付いたから、わざわざ忠告しに来てやったんだぜ。

 それも折角のバケーション中に、だ!

 わかったら早くここを去りやがれ」



 振り上げられる大鎌に恐怖を抱き、それをきっかけに翼は走り出していた。

 最低限の道具をポケットの中に入っていることを頭の隅で確認し、裏口へと向かう。



「行くぞ!エミルダ!」



 少年の右手を引いて廃工場の奥へと走り去る翼を見守り、3人は反対側へと目線を移した。



「ダイアン。

 あの少年……あの子供は、本当に噂通りのSRだったか?」



 風に紛れて何かがこの工場に迫る。

 風に押されて翼という学生と、エミルダ少年が廃工場から遠ざかって行く。

 生命の存在を知覚しながらギュンはダイアンに聞いた。

 マスクを外しながら、キリもダイアンの返答に耳を傾ける。



「ああ。間違いねぇ。

 ありゃあ、パンドラの遺産だ」


「クス……例の?」



 珍しく真剣に話を聞いてくれるキリにダイアンは頷く。

 風に紛れて接近するSRの迎撃準備を進めつつ、ギュンはその名を口にした。



「“神隠しのSR”か……」



 大鎌を素振りするダイアンを横目に、ギュンは風吹く夜空へと飛翔する。

 それに続いて忍のSR:キリ、死神のSR:ダイアンが飛んだ。










 Second Real/Virtual


  -第33話-


 -優先される灰咎(かいきゅう)-










「おい、クソ武者共!

 お前らとバーンでそいつら止めろ!」


『んだとゴルァっ!

 相手は全滅舞曲だぞ!テメェが足止めに来やがれ!』

『ダメだ!

 サイキッカーまでいるし、他にも誰か居――!』

『ハリソンがやられてるぞ!援護しろ!』



 悲鳴に沈む通信相手に見切りをつけ、通信機を投げ捨てる。

 うまい話には毒があるというのはまさに現状(それ)だった。


 1人の魔法使いと、1体の天狗は風に乗って目的のSRを追う。

 匿名の情報を得た2人は、神隠しが日本にいることを教えられた。今すぐ接触するなら捕獲は容易い、というアドバイスも添付されて。

 日本に在中のSRで且つ有力で拉致に向いた能力の者達を集め、魔法使いは直ちに行動を起こした。

 その矢先に無所属派SR3人との遭遇である。

 予定外の遭遇は、想像以上の絶望を与えるに充分だった。

 死神、サイキッカー、忍者。

 落武者だろうと、魔法使いだろうと関係ない。

 奴らはこちらの全員を葬れるだけの実力と相性を兼ね備えていた。



「何だってんだよ!」



 悪態をつく魔法使いに天狗が警告する。

 冷静さを取り戻さなければ神隠しを捕獲することは不可能だと。

 本当に相手しなくてはならないのは死神たちではなく、神隠しの力を持つ子供である。



(子供があの力を制御できるものなのか?)



 天狗のそれと同じ懸念を抱く者がもう1人いた。

 哭き鬼の藍であある。

 天狗と違って、実際目の当たりにしたことはないが、肉親からその話を聞いたことはあったのだ。

 今になってそれを思い出し、しかし奈倉にはその事を伝えていなかった。



(もし、愛院の探す少年が神隠しのSRなら、見つけ出したところで愛院の手に負える相手じゃない……)



 過去に藍は兄から教わったことがあった。

 神隠しに触れるということは、一切との決別を意味すると。


 本来、神隠しのSRは自然の中にしか発生しない。

 亡くなった者達の“残留思念/未練”が生み出す消滅願望。

 個人が他者に抱くその力は、自然にしか発生し得ないものであり、決して生命に宿ることはない。

 自然に発生するという性質は、厄介なことに人の意識下にないため発生を予測することは不可能。


 それでもアサは藍に幸運だと言い、藍はそれを覚えていた。



(人が復讐の為に使う……

 それを止めるとなると、これ以上に脅威を振り撒く力はそうそう無い!)



 聞いた話の中には、陰陽術や魔法、抗魔戦術をも無効にしたという前例も含まれていた。

 だが、それらはあくまで自然に発生した神隠しについてである。


 パンドラがそれを人に宿すことに成功していた。

 発現と言うより、憑依に近いものがあるが、しかし、SRの中ではずば抜けて殺傷力が高い代物である。

 加えて、自然の神隠しと同じ対処法が効くという保証がない。



「俺達だけで捕獲できるかな?」



 そもそも捕獲できるものなのか。それすら疑問だった。

 天狗の呟きに魔法使いは怪訝な表情を見せた。

 ここまで来て弱音を吐かれても困る。

 相手が子供なら苦戦はありえないが、念には念を入れてメンバーをかき集めたのだ。絶対確実を第1に。

 集まった人数こそ少ないものの、全員が実力者。落武者だろうが、剣の使い手であることに間違いは無い。相方も魔術師達の中で見れば高い地位におり、また拉致などを得意とすることから人材補給部隊の中でも特別扱いされている。


 しかし、集まったメンバーの中で最も始めに不安の声を漏らしたのが相方の天狗のSRであった。





 

 

 日付が変わり、風が弱まった頃。

 白州唯から2つ隣の県で、4人のSRは戦っていた。


 武装派の器実験場を知り、それを潰すためにやってきた。

 高速道路の上から僅かに姿を確認できるほど山に隠れた食品工場。



『ディマ!

 第2資材庫に逃げ道があったようだ!そっちへ間に合わないか!?』



 4月19日 AM02:10


 工場の正面と裏側の東西入り口からディマとハルバートが突入し、南北の出入り口からハンズとクワニーは突入した。



『売買業者は!?』


『そいつらなら俺の方で捉えた!』



 紅蓮に包まれた食品工場の包装区画で錬金術師は任務の失敗に耳を傾けていた。

 爆音混じりに伝わるハルバートの声に、クワニーが続く。



『逃げたのは購入者と研究者だ!』


『こっちは厄介なSRに足止めされているわ!』



 怒声が行き交う中、ハンズは自分の現在位置を壁に掛けられた見取り図で把握し、工場を後にした。

 工場の出口から東を目指せば先回りすることが出来る。

 それを知り、目標人物らの逃げる方向に自分達の拠点である店があることを思い出す。ハンズは携帯電話を取り出して迷わず芹真事務所へコールした。



 

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