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Second Real/Virtual  作者:
33/72

第32話-Judgment of innocent black-





 その鎖縛の始まりは、怨恨と生への執念。


 一切の在り方を隠し、消し去る。

 戻りはしない。

 戻しはしない。

 飲み込まれたのなら、元には戻れない。戻されるこというは決してない。



(あの力は、まだ健在なのか……?)



 最初は何が起こっているのかわからず、私は意味もなく混乱していた。

 理性が戻るにつれて純粋な恐怖が湧き上がり、気付けば自分の部屋を飛び出していた。持てるだけの武器を隠し持ち、行くあてもなく今日という日を無事に乗り越えられることばかりを祈り続け、彷徨い続ける。

 そんな無計画な彷徨の3日目。

 この事件が自分の過去となんら関わりの無い、同じ力を持った赤の他人による仕業であることを望み始めた。


 今日もまた夕日は傾き夜を迎える。

 最も恐れるべき時間帯。

 あの力を最も避けにくい空間の展開、避けられない暗闇の刻。


 脳裏に刻まれた圧倒的破壊力と、寒気を誘うほどの純粋な殺意。おぞましき存在力。

 そして、その力の内側に秘められた混沌とした意志。


 古い夢にうなされながら、彼女は3日目の夜を乗り切った。

 誰が現れることもなく、また誰が消えることもなく。



(これで今日も学校に行けるな)



 朝焼けと共に訪れる安堵。

 明けゆく夜に別れを告げてコンビニエンスストアへ向かう。その足取りは軽く、わずかな恐怖は残っているものの、餓死の危惧に比べると微々たるものというまでに小さくなっていた。

 何はともあれ食事である。食わなければ生は繋がらない。

 菓子パンとコーヒー、サラダとタバコを購入する。

 その頃になると、わずかな恐怖も消えかけ、元の日常が彼女の中に戻ってこようとしていた。店内に流れるラジオ、明るい電飾、一定に保たれた店内温度、色とりどりの商品が並ぶ棚。ラジオから流れる音楽や、レジに並ぶ時、財布を開いて小銭を探す時、身分証明の提示を求められて偽装免許証を取り出して見せる。行動しているうちに、少しずつだが確実に彼女の中から恐怖は磨り減っていった。


 しかし……



 “臨時ニュース。

 今日未明、国道沿いの交差点で新たな死体が発見。警察は発見された死体から一連の連続殺人の可能性を示唆”



 それはレジのディスプレイに現れたテロップだった。

 不意を突く速報。

 早すぎる報道。

 新たな殺人。

 最も望まない夢の紡ぎ。


 今日という日に集中しかけ、忘れられない恐怖を一時でも忘れられようとしていた彼女に、再び恐怖が蘇る。

 現実が、彼女を捕らえて逃がさない。

 ニュースに目を落としているうちに、彼女の足は現場へと向いていた。


 国道沿い。



(ニュースの言う通り、死体にあの傷痕があるなら……)



 半ば自棄に、半ば意を決し、前へと足を進める。


 心のどこかから沸いて出る反発もあった。

“この事件は、関わらなければ自然に過ぎ去っていく。嵐や台風のようなモノだ”

“自ら死に行く必要があるのか?

 もし、この凶行が自分の知るSRの仕業なら、知ったところでどうなる?

 知ってどうする?”

“自分独りの力ではどうすることもできないということは、自分が最も理解している。そのはずだ”



「ケルベロスが何の用だ?」



 考えながら歩くうちに声がかかった。

 声を掛けられて立ち止まる彼女の背後に、1体のアヌビスが現れる。

 殺人現場に近い公園の手前、彼女はそのアヌビスを匂いで識別し、危険がないと判断して振り返った。


 ハルバートアヌビス。

 白州唯警察署長:清水峰将人(シミネ マサト)管轄下の外人部隊に所属する、申し訳程度に警官という職業をこなす男。



「たまたま通りかかっただけだ。

 何でそんなことを聞くんだ?」



 シラを切って、返答に青筋を立てるハルバートを一瞥する。

 関わっている時間が惜しい。

 だが、ハルバートが殺気と共に質問をぶつけてくるため、下手な逃亡や無理矢理すぎる話の切り上げでは逮捕される可能性があった。



「なら、服の下のソレは何だ?

 場合によっちゃ、銃刀法違反でお前を逮捕するぞ?」


「……えらく不機嫌じゃねぇか。えぇ?

 悪いが、お前に構っている暇は無いんだよ」



 反論する奈倉に対し、ハルバートが得物を取り出す。

 自らの名前と同じ武器、ハルバート。

 早朝とは言え決して人通りが無いわけではない。それどころか今朝の事件で多くの警察官が動いている。


 銃刀法違反を犯しているのがどちらなのか聞きたかったが、奈倉は口をつぐんで正面から目を逸らさないようにした。



「ケルベロス、お前がここにいるのはどうしてだ?それだけ答えればいい。

 まさかとは思うが、野次馬の類や実は犯人でした、なんて言わないよな?」



 怒りに震えるアヌビスの声。

 殺意の篭ったその目が何を求めているのか理解できない。真実を欲するのか、怒りを発散する何かが欲しいのか。第一、奈倉にはハルバートが憤怒に焦がれる理由がわからない。

 元々わかり合える仲になれる気がしなかった。


 アヌビスは協会所属で、私は無所属の、しかも過去に武装派に関わっていた。

 それなのに、どうしてか今日という日まで生き延び、また朝日を迎えている。いつ捕まってもおかしくなかった立場は、むしろ今まで捕まえられなかった奇跡と不思議を思い起こさせるに充分である。



「悪い胸騒ぎがしたんだ。それで、コンビニ行ったらそのニュースを知ってな。

 知り合いじゃなければいいと思って確かめに来たんだ」

「お前には関係ない。帰れ」



 ハルバートの矛先が首筋に突きつけられる。

 露骨過ぎる感情によるその動作は警告とも取れた。その言葉に含まれる殺意。やり場が“発見されない”怒り。



「……まさか、殺されたのは、お前の――?」



 何の根拠もない推測。

 当てずっぽうに放ったその言葉は、楔のようにアヌビスへと突き刺さり、握られたハルバートを震えるさせた。


 入りすぎる力。

 入り込んではいけない、触れてはいけない――その筈なのに見つけてしまい、触れてしまった――傷。


 張り付いて離れない激怒の面は、心の内を見透かされた遣る瀬無さと憤りもあって、更に紅潮した。

 偶然にも真相を言い当てた愛院に対抗するようにハルバートが放った言葉――



「だから、何でテメェはここに居やがる?

 犯人にでも心当たりがあるのか!?

 そうなのか!?えぇ!」



 怒りが作り上げる羅列は、的確に愛院の心を捉えていた。

 しかし、その問いに頷くわけにはいかない。長い時間を経て、やっとの思いで安住に至った場所が、この白州唯という街なのだ。

 いまある生活を失わないためにも、ハルバートの質問に頷くわけにはいかない。



「言っただろ……胸騒ぎがしたんだ。

 やられたのは誰だ?」



 沈黙が訪れる。

 突きつけられたまま微動だにしないハルバート。視線を逸らさない愛院。

 街が喧騒を増していくのを感じ、ハルバートは得物をしまって渋々と口を開いた。



「……アックスだ」



 それは、愛院がこの街で初めて聞く、最初に確認されたSRの被害者。パンドラプロジェクトと一切関係を持たない者の殺害。

 それを聞いてからというもの、しきりに本能が彼女に訴えた。

 アックスアヌビスは、犯人と接触し、殺害されたのだと。

 間もなくして予測が確信に変わる。



「犯人に心当たりがあるなら教えろ……俺が……

 俺が捕まえてやる!」



 犯人はまだこの街のどこかにいる。










 Second Real/Virtual


  -第32話-


 -Judgment of innocent black-










 晴れ渡った青空の下。

 暖かさを感じさせるような春空だが、残念なことに今日の風は冷たい。

 そんな状況の中、3年3組の面々は校庭にて準備運動に取り組んでいた。



「何でこんな寒い中、外で体育なんか……」

「しかも3年にもなって」

「ぶっちゃけ体育要らないと思うぞ?」

「同〜感」

「右に同じく」



 ミツル委員長派、男子諸々の小言より。



「太陽光というものには独特のビタミンが含まれているらしく、これは安眠を促進するための貴重な存在であって健康な身体を保つ為には必要不可欠なものよ。

 そのビタミン不足によって引き起こされる症状には、骨粗しょう症や――」

「わかった。

 安眠の方法はもうわかったから!」

「へぇ」

「へぇ」

「へぇ」

「ほぇ〜」

「ふ〜ん……そうだったんだ」



 中立派の崎島を中心とした睡眠問題解消のための説明会より。



「……Zzz」

「ズバリ! 今回のテスト攻略の要となるのは〜!?」

「だから、教科書のP.112からP.141までのチェックポイントだってば


「またウィルスが暴走を始めたし……」

「実は、いまだに鉄棒の逆上がりが出来なかったり」

「……」

「……ウゼェ」

「勝負だ!岩井!」

『ウゼェ……!』



 騒がしい者と静かな者の差が両極端なマイコ裏委員長派の面々による個性溢れる会話より。



「……授業、させてくれ」



 そして、いまいち気の弱い体育教師:新川香春(あらかわ かわら)の泣き言より。


 グラウンドの中央で賑わう3年3組の大勢。

 そんな彼らの周り、グラウンドのトラックを走る遅刻者4人の雰囲気は、他の生徒のそれとは違って明らかに重かった。



「それで、今朝現場に行っていたのか?」



 高城播夜(たかじょう はりや)の質問に、愛院はわずかな間を置いてから頷いた。高城の質問に続き、橙空藍(とおそら あい)色世時(しきよ とき)が質問を重ねる。



「やはり、敵はパンドラプロジェクトの被験者なのね」


「この街に来たって事は、まだ片付けるつもりの誰かがいるってことだよね?」



 4人が学校に遅刻して来た理由は、今朝の殺人事件である。

 殺人現場を訪れた愛院は足元から這い上がってくるような恐怖を必死で気を紛らわせようとし、色世家を目指した。その道半ばで高城と出会い、一緒にトキ宅へ。2人が到着すると、トキが自宅の正面玄関を開錠しようとする姿が飛び込み、その脇に藍の姿があった。

 芹真事務所からの朝の特訓帰り――正確には忘れ物を取りにやって来たらしいが――登校時間まで時間があったため、4人はお茶にすることにしたのだ。その席で愛院は今回起こっている一連の事件と関連性の強い、自らの食らい過去の体験を打ち明けた。



「以前、私はカナダの孤児院にいた」



 その話を藍は真剣に受け止め、トキは訳もわからないまま聞き入り、高城は彼女の経歴に必死に耳を傾け、語る愛院はほんのわずかに安堵を感じていた。

 打ち明けるべきか悩んだ結果、彼女は自らの過去を語っている。

 もし、自分が素直になることで事件を解決できるなら。 永い悪夢に終止符を打てるのなら。



「私は、番犬としてそこに雇われていた」

「傭兵か」



 呟く高城に愛院は首を横に振る。


 ただの傭兵とは違う特別な扱い、厚い待遇を受けたSR(ばんけん)



「雇い主の名はゴード・ダリアス。

 自分の広い屋敷を孤児院として、養子という名目で親を知らない子供たちを集め、パンドラプロジェクトに貢献していた政治家だ」


「パンドラプロジェクトに貢献、か」



 その孤児院で愛院はさまざまな子供たちを見てきた。


 どれだけ辛い目に遭い、どれだけ深く心に傷を負ってきたのかわからなかった子供。計り知れない悲しみ、理不尽が生む怒りと絶望。知らされない虚しさ。閉じられた人格・世界の形成で育つ者。

 喜びを喜びと感じない子供や、幸福観念を一切持ち合わせていない子供達もいた。

 それでも明るい子、元気を取り戻した子、広い友好関係を築く子、中には立ち直れない子もいて、そういった子供たちを見てきた。


 集められた子供たちは大人たちの都合によって戦力に変えられる。だが、そのことを知らない。知らされない。

 騙されているとしか思えなかった愛院だが、子供たちを見守るだけで何かをしてあげることはできなかった。

 番犬という職を失えば、食料にも寝る場所にも困ることになる。たちどころ自分が孤児となってしまう状況にいたのだ。



「噂に聞いていたパンドラ実験の成功率は約75%」



 子供たちの中には自分と影の重なる者もいたが、移入する感情を抑えるためにも接触は極力控え、ただひたすら見守ることにだけ徹した。

 文字通り、番犬として。



「子供たちは全員SRの素質があると言われて集められた子供たちだ。

 中には、現協会のヒーローズの1人だっていた」



 日々、屋敷の地下で行われる実験は順調に進んだ。次々とパンドラSRと化していく子供たち。 

 そんな、何事も無いかのように過ぎていく日々の中に、それは生じた。取り返しのつかないヒビ。 後の事件へと繋がる元凶。



「子供たちの中にな、意図的に実験を遅らせられていた3人の子供が居たんだ。

 3人が3人とも似たSRの因子を持っていたって聞かされていた。

 どうしてこの3人の実験が遅れて行われたのか、最初はまったくその理由がわからなかったが、あの力を目の当たりにしてやっと分かったんだよ。遅らせた理由が」



 孤児院の子供たちが少しずつ減り、少しずつ変わっていく。

 その中であまり変わらなかった子供が3人いた。

 集められる子供たちは皆、SRになりうる素質を持っているはずなのに、なかなか実験の被験体として選ばれない。当時の無所属は協会に対抗するために必死で戦力を欲していた。

 即戦力として何十人か作戦に参加させたという例もいくつかあった。


 それなのに実験を遅らせいたのだ。


 その理由は3人のSRが過去に発現に成功した例がない、未知で且つ強力過ぎる代物(チカラ)だったからである。



「3人の実験が始まると、だいたい前もって計算して得た予測データの通りになったんだ。

 2人目までは」


「3人目は失敗したの?」



 藍の質問に頷く。

 トキに目を向け、愛院は続ける。


 2人目までの実験は成功した。

 実験の成功は研究者やパンドラSRに期待を寄せる者たちを大いに活気付かせた。

 これまで成功しなかったSRの発現。

 協会も対処法を持たない未知のSR。絶対支配を破ることも夢でなくなった。

 それが戦局を一辺させるであろう新しきパンドラのSR(こども)


 しかし、そこに慈悲は無かった。

 実験に伴う痛み。

 それが起こす反応。悲鳴。

 彼女の耳は一般人のそれよりも遥かに利くほうだった。嫌でも屋敷の(ちか)から遠巻きにその結果は届く。

 そんな憂鬱な日々が続いた。

 実験に伴う悲鳴が時折耳に痛くとも、食って生きていくためには仕事をこなさなければならない。そんな毎日が続く。

 割り切って愛院は番犬としての役割を果たした。

 侵入者や脱走者の始末。それは黒き青春の1ページ。明確な汚れ仕事。生きるためとはいえ、気分が悪いことは否みたくない。

 自分のしている事を正義と思うことができなかった。



「視野の狭いガキだった」



 3人目の実験日が来た。

 愛院は自分の汚れ仕事がいつまで続くのか考え、普段以上に暗澹としていた。無邪気にはしゃぐ子供たちを見ても沈んだ気分は変わらず、屋根の上で感じる陽光も、頬に当たる風も、彼女を暗闇の底から押し上げるには至らなかった。



「失敗じゃない。正確には暴走だ」



 そんな時に実験が行われたのだ。

 3人目の子供の実験はSRの発現に至っていた。

 どんなSRなのか詳しくは知らなかった愛院は、初めてそれを目撃する。


 珍しく来客の車で埋まった駐車場を歩いていると、突如複数の悲鳴が耳に伝わった。



「子供たちの反撃か……

 その中に今回の犯人もいたわけか」


「確定はできないが、可能性は高い。

 同じSRを持っていることは確実だ」



 そんな彼女の脳裏には、3人目の実験体となって覚醒し、地下の研究施設から地上へと歩み出てきた少年の姿が浮かんでいた。


 それは、圧倒的存在感。

 目が合った瞬間に身動きできなくなった自分を、奈倉は今でも覚えている。

 何をされたわけでもない。それにも関わらず目からこぼれた雫。震える足と寒気に支配される体。

 なぜ震えているのかという疑問よりも、目の前にいる少年が何なのかという疑問が浮かんだ。


 腕から伸びる漆黒のソレ。

 一切の理解が及ばす、目に映るものを次々と消し去っていく闇。

 時折、何かを形作ったようにも見えた。



「一応聞いておくけど、その……パンドラSRの実験体となった子供の名前は?」



 哭き鬼の質問にケルベロスは戸惑う。

 真剣に話を聞いてもらえることはうれしいが、なるべく関わらないでほしかった。1人でも犠牲者を出したくない。特にこの街の住人の犠牲者は。


 トラックのコーナーを抜け、直線をスローペースで進む。

 呼吸を整え、足並みを揃えた。



「愛院、余計な心配はするな」



 高城の手が肩に置かれるのと同時、奈倉の中に安心と不安が同時生まれ、それがその名を吐き出すに至った。



「その子は、エミルダ……エミルダ・レザロッテ」



 罰則のランニングを終えた4人は無言で授業に戻っていく。

 その間も殺人鬼はこの街のどこかを歩いているのか、或いは息を潜めて休息に勤しんでいるのか。誰にも予想できず、誰であろうと確信できない。特に学生のトキや奈倉たちには決して。

 追う手がかりがない、手立てもないし……

 何より学生である。高城は留年生であり、奈倉は出席日数に余裕がなく、また周囲の評価もかんばしくないため滅多にサボれなかった。



 ――同時刻



 轟音の先に見える不法投棄された廃棄物の山。

 背後に陳列する駐車の列。

 足元の乾いた土の上に生える短い草に、中途半端に敷き詰められた砂利。


 高架下の駐車スペース。


 短い草の上に腰を下ろしてこぼす息は、妙に熱を帯びていた。

 重たい体、悲鳴を上げる頭。落ちようとする目蓋をこすりながら、廃棄物の山の近くに日陰を見つける。

 体が重たい訳も、頭の信号の意味も、何が原因かは問わない。

 考えない。

 ただ、本能にまかせて眠る。

 幾分解消されるだろうという感覚があった。


 周囲の騒音など意に介さない。

 頭にあるのは次の獲物。消さなければいけない人物の顔。

 頭の中に叩き込んだ諸々の顔は、確実にその存在を消すまで頭の中から消えることはない。


“それらの人物をこの世から消すことで、多くの人々が救われる。自分と同じ犠牲者は出さない”


 それが指針。

 揺るがない信念。

 今までその一心で続けてきた裁断。

 しかし、



『君たちのような犠牲者を出さないため、僕らは裁き続けているんだ。

 その為に協会の矛として存在している』



 確固たる信念に、わずかな揺るぎを与えた一言。 そう言い放ったのが彼だった。

 “アックス”という名のアヌビス。

 彼が言い放ったその言葉は、今まで聞いたどんな台詞よりも深く染み込んだ。罪悪感を沸かせ、目的を霞ませ、目を逸らし続けてきた現実を突きつける。


 この裁断に意味はあるのか?


 挫けそうな自分を辛くも保ちながらここまで来たのだ。


 それが今まで生きてこられた理由であり、見えない恐怖のひとつでもあった。

 断罪を放棄することで自分がどうなるのか考えたことがない。

 まともに考えたことがなかった。


 わからないからこそ、落ち着いて考えられるように眠る。

 疲れていないかと自分に問い、多大な疲労が蓄積されていたことを思い出した。

 考え、歩き続け、彷徨い続け、気付けば裁くべき人物と接触している。


 そんな時に現れたのが、アックスアヌビスで――



「廃線予定の鉄橋か……

 こんな人気の少ない高架下で見つけられたってのは、幸運なのかもな」



 ――初めての目的外人物の殺害だった。


 体を落ち着け、横になろうとしたその時、昨晩のアヌビスと同じ衣装に身を包んだ男が目の前に姿を晒す。

 昨晩遭遇したアックスとは比べ物にならない殺気を放っていたことが、自然と少年の体に戦闘体勢を要求していた。



「エミルダ・レザロッテだな?

 これから……お前を逮捕する」



 僅かな静寂が降りる。

 唐突過ぎる物言いと、殺意に満ちた双眸。

 静かに、しかし軽い混乱に陥った眼差し。


 逮捕という言葉から予測される男の職業は、警察。

 しかし、裁断はまだ完了していない。

 その目的意識が少年の、エミルダの首を横に振らせた。



「何かの間違いだとでも?

 隠しても無駄だ。

 アックスはお前の体にマーカーを付けておいたんだからな」



 両手に握られた得物が光る。

 斧槍:ハルバート。


 頭上に轟く振動が生む音。

 周囲から響く、金属の叩き合いによる騒音。


 突きつけられる刃物に対し、少年は恐怖を覚えたものの1歩も退かなかった。



「何が目的かは知らないが、お前は人殺しだ。

 俺の同僚まで殺しやがって……」



 過ぎ去る轟音。

 すでに遠くからしか響いてこない騒音。


 口元に伸びる親指の爪を噛み始める。


 エミルダは脳裏にアヌビスの姿を思い起こした。

 名をアックス。

 装備も手斧。

 アヌビスの同僚で、黒装束のSR。



「何とか言ってみろよ、おい!」



 一方的沈黙が続く中、アヌビスは問う。

 罪を認めるのか、嘘を続けるのか。

 突きつけたハルバートの刃に映る少年の目は、アヌビスが思っていた以上に淀んでいた。

 前髪に隠された右目に宿る復讐の意思。

 罪悪感と使命感のぶつかり合いに歪む左目。


 過去に目の前のそれと似通った目を見たことがあるハルバートは、殺人鬼が理性を失わずここまで来たことにささやかながら驚いた。

 憎悪に支配されることもなく、人格を失うこともない。



(むしろ、憎悪と罪悪感の狭間を彷徨っている?)


「なにやってんだ?」



 アヌビスと向かい合うこの空間に、更に男が現れた。


 その男の出現にハルバートは理解に苦しみ、エミルダは多大な不安を覚えた。

 ハルバートにとって知っているSRであり、エミルダにとっての知らない人間。


 しかし、本能的にわかることがあった。

 それは迷彩バンダナの男もSRであるということ。



「錬金術師……

 どうしてここにいる?ハンズ」


「そんなこと気にするんじゃねぇよ。

 それよか、この片腕の女の子は誰だ? お前にそういう趣味があるとも思ってなかったが?」


「……テメェ、空気読みやがれ」



 怒りに震えたアヌビスに対し、迷彩バンダナの男:ハンズは軽い調子で2人の間に立った。



「ディマにさぁ、お前らを見つけて来いって言われたんだよ。

 アックスが殺られたばっかしだろ?」


「だから、つけてきたのか?

 悪いな。帰れ」


「まさか。

 素直にハイハイ言えるわけねぇだろ、ボケ。

 俺はただの援護だ。何かあった時のためのな。あまり(はや)ったことすんなよ」



 2人のやり取りが続く。

 内なる怒りを抑えるアヌビスと、無理に明るく振舞う錬金術師。


 背後に立ちふさがる不法廃棄物の山。

 左右の駐車スペースと道路を隔てるフェンス。

 前方のアヌビスと錬金術師。


 数分前まであった余裕が少年から消える時、不安のあまりに噛み始めていた爪は剥がれ、その下の皮膚を破り、紅を覗かせる。

 肉に雫が滲む。

 足の震えはいつしか全身の震えとなり、止まなくなっていた。


 目の前の人たちは……邪魔だ。きっと、殺そうとする。

 じゃあ、誰が裁断を下す?

 この人たちは……やらない。おそらく、誰もやらないだろう。



「こいつがアックスを殺した犯人(オトコ)だ」



 ハルバートの言葉が突き刺さる。

 錬金術師の視線を感じ、不安が増し、流血が勢いを増す。



「……て」



 2人の目が少年に落ちる。



「動くな、クソガキ」


「気をつけろ。うちの店長(ディマ)も理解できないSRなんだ」



 リボルバーを取り出してエミルダへと向けるハンズ。

 周囲の砂利を拾い上げ、錬金を経て弾丸を生成する。



「手錠をかけてしまえば問題ない」



 言っておきながら得物の柄を強く握り締めるハルバート。


 そんな2人の目の前で、エミルダは右手を口元から左肩へとずらす。

 ハンズの目がその動作を追った。

 失った左腕がうずくのか、それとも暗器でも潜ませているのか。様々なケースを想定し、もう1挺の銃――ハンドガン:M1911A1――を作る。



「……そう。そうだね。

 どうしてだろうね。どうして……ねぇ、お兄さん」



 果たさなければならないこと。

 その大きさ、成し遂げる意義を認めてくれる者は居ない。


“自分が潰すのは、あの実験と、それを作り上げている人々。

 これは復讐であって、救いでもあるんだ”


 少年の意志から迷いが消える。

 薄れる罪悪感に反比例する遂行意識。

 (ささや)かれる目的。果たすべき使命。


 混濁していた意識は更なる暴走を始め、そして――



(なん、だ?)



 腕の無い左肩に触れた少年の右手に異変が起こる。

 何処からともなく現れ、空気のように流れる動き、左肩に集まる黒い何か。



「コイツ……!」



 右腕を伝い、右手を伝わって左肩に流れ込む漆黒。


 危険を察知したハンズは銃撃を加えた。

 狙いは足だったが銃撃と同時に黒い何かが2人の視界を遮り、ハンズは仰け反って狙いを外し、頭部へと弾丸を放った。



(銃弾が消えた!?)



 後ろに跳んだハルバートの視界に映った、その異様な現象。

 ハンズの放った弾丸が黒い闇の中に消える。

 確実に頭部を損傷させるであろう必死の弾丸は、黒く流動するそれによって遮られ、完全に姿を消した。更に着地してから黒の何かに触れた得物(ハルバート)の一部が、触れた箇所だけ消えて無くなっていることに気付いた。

 それはこれまでの連続殺人にあったような消滅の痕。刃物でも銃器でもなく、まして鈍器などとはまるで違う殺傷力を有した何か。それによってつけられた傷痕。


 類稀なる殺傷能力を持つSR。

 その薄いカーテンのような黒い幕。その後ろに映る少年の姿。

 展開した黒が集約を始める。


 立ち上がるエミルダの姿を2人は注視した。

 変則的だった黒いソレの動きが緩慢になると、2人の眼には黒によって形作られた左腕を有する少年の姿が飛び込んだ。


 体と一体化した黒。

 腕と化した得体の知れない黒。その消滅力。

 決まった輪郭を持たず、絶えず流動し――しかし、遠目に見ると、確実にソレは左腕を形成していた。


 異型。


 見た目だけでソレを判断して形容するなら、少年の左腕と化した黒は、影の集合体。



(本性を現したか!?)



 一部を消されたハルバートを投げつけ、アヌビスは横へ跳ぶ。

 入り組んだ地形を利用し、右へ左へ、上へ、背後へ。

 同時にハンズの本格的な銃撃も始まった。



「何だってんだアレよ!?」



 投げつけたハルバートが黒に触れて消える。再度放った銃弾も黒い腕に触れた瞬間に消えてなくなる。



「邪魔……なんか!」



 僅かの数秒だけ完全に左腕として凝縮した黒が、ハンズ目掛けて“解放”される。

 伸びる黒、左腕を躱したハンズは柱の陰に移った。


 銃撃で抗するハンズを囮に、アヌビスは頭上から迫った。

 触れて消されたハルバートとは違う、もう1本のハルバートを構え、頭上から隙を狙う。ダメージを狙ったものではない。相手の本質を見抜くための攻撃である。



「こいつは特別製だ!」



 しかし、ハルバートが少年に届くより早く、左腕が伸び拡がり、本体を黒い腕で包み隠してしまう。

 それは同時にハンズの銃撃をも防いだ。



(全方位防御!?)



 互いに押し合う黒いソレとハルバート。

 触れていても消えないハルバートから伝わる、黒の硬い感触。

 アヌビスはその感触から、黒の正体が霊に近い性質だと判断を下した。

 しかし、明らかに霊体のそれとは違う。



(何だ、この硬度は!?)



 自分の得物を足場とし、器用にエミルダの頭上から退避するアヌビス。

 展開していた左腕が再び異型の腕となって襲い掛かる。


 通常の霊体なら、どんなにしぶとくても軽石ほどの強度しか持たず、アヌビスにとって破壊に困る硬度ではない。

 それ故に、初めて出遭う硬度の高さに驚異を感じていた。

 退避したアヌビスを追う左腕が方向を変えてハンズへと向かう。


 伸びかかってくる黒い腕の一部を躱し、ハンズはコンクリートの柱の影に身を隠す。

 視界から逃れ、リボルバーに弾を詰める。

 そんなハンズの頭上を、突き出された槍のように左腕が通過し、直径1メートルほどの穴を空けてからアヌビスの方向へと矛先を変えた。



(壁なんか無いも同然ってか!)



 触れた箇所をを消滅させるSR。

 ハンズは連続殺人の犯人像を改めた。

 明らかな殺意を持って存在する少年の姿は、決して照らし消されることのない闇。



「だからってなぁ!」



 手中のハンドガンに錬金を施し、得物をアップグレードする。

 SMG(サブマシンガン):サプレッサー付MAC10。

 柱の影から飛び出して弾幕を張る。質量に頼った銃撃。

 しかし、気を逸らすには十分だった。

 銃弾は本体である少年に届く前に黒腕に遮られてしまうが、黒腕を防御に回しているその隙を突いて、アヌビスが背後から襲い掛かるだけの隙を作れる。


 ハンズの思惑通り黒腕が動き、アヌビスがその隙に付け入る。

 奇襲を察知して迎撃にでた左腕を躱す。

 躱すことはできたものの、付け入るだけの隙はなくなっていた。



(後ろに目でもついているのか?

 何故どの方位から攻撃を仕掛けても察知される?)


 舌打ちし、アヌビスは撹乱と奇襲を繰り返すが、(ことごと)く黒腕に阻まれる。

 その間、ハンズは再装填を行いながら戦況を見守っていた。

 拾い上げた砂利やゴミを手中で弾丸に変え、弾丸を集めて空のマガジンを作り出し、排出したマガジンに錬金の力を流し込む。弾丸と一緒に掌に集められた空のマガジンから、完全装填されたマガジンを作る。

 間髪入れないように銃撃。しかし、



(コイツ、全然銃弾が届かねぇ!

 ディマの戦影魔装にも似ているが、触れないだけこっちの方が厄介だ!)



 届かない銃弾。

 いくら切りかかっても削れず、弾かれてしまうハルバート。


 背後から奇襲を仕掛けたアヌビスも一旦距離を取る。



(ダメだ!

 どんなスピードで回りこんでもこっちの動きに対応してきやがる!)



 つかみ掛かってくる左腕をハルバートで打ち弾き、直撃を避ける。

 黒い腕は動きこそ単調なものの、速度と絶対の破壊力があった。

 軌道さえ見切れば躱すことはできる。

 問題はいつ、どのように襲い掛かってくるかであった。


 近距離で攻撃を続けるアヌビスの動きを見て、遠距離から攻撃するハンズは左腕の動きにいくつかのパターンを見つけていた。

 まずは基本となる動きが、腕の伸縮拡大である。これは単純に直線的に左腕が伸びかかってくるものである。速さこそあるが、前動作さえ見切れば躱すことは難しくない。


 次に、腕となっている黒が伸び、それから鞭のようにうねる場合。結果から言うと、これは直線的に伸びてきた黒い腕の動きが途中から曲線軌道に変わり、変則的で見切ることが難しい。


 それから伸びきってから弧を描く動き。前後左右への逃げ場を封じ、一気に輪を縮めるその攻撃はアヌビスのような跳躍力がなければ逃れることはできない。ハンズのように、並みの身体能力程度しか持たない生物には対処のしようがない。


 そして、曲がって伸びた腕を横薙ぎに振り払うことで広範囲を一気に消してしまう方法。跳ぶか伏せるかしない限り躱すことができない。剣や槍のように固有の形を持った物なら最小限の動きでも躱すことはできる。が、少年の黒腕は違う。決まった形を持っていないため、直前で太さを増したり、リーチが伸びることもあるのだ。



(それなのに、この速さ!)



 マガジンを取り替える。

 アヌビスの連撃が少年の左腕へと襲い掛かるが、効果はない。

 反撃の黒腕が背後の車両に触れる。

 意思を持った生き物のようにうねり、車の次にフェンスを消し、廃棄物に触れる。距離を取るアヌビスを追撃し、更にフェンスを喰らい、車を抉り、石柱を削ぐ。


 ハンズの銃撃が足元を穿ち、矛先を変えようと試みるが少年はアヌビスを追い続ける。


 高架の裏面を蹴って地面に着地するアヌビス。



「これは……裁きなんだ」



 迫った左腕を躱し、全力で打ち払い、隙を突いて本体を狙う。が、早すぎる左腕の対応がそれを許さない。ハンズの銃撃も黒闇の中へと吸われて消えていく。



「何が裁きだ」



 アヌビスが一瞬の変化――SRの解放――を遂げるのと同時、ハンズとエミルダの視界から消える。


 背後、左右、頭上。

 あらゆる方向から届く跳躍音。

 アヌビスの撹乱作戦に気付き、得物を変えるハンズ。SMGからオリジナルサプレッサー付SPAS12へ。

 高速で移り変わるアヌビスを追おうとするが、斬撃のカウンターが左腕を打ち返し、打ちのめし、起動を変える。


 アヌビスを視界で追えなくなった少年の矛先が錬金術師へと向き、少年の視線に気付いたハンズが回避行動を始める。

 足元から蛇のように迫って襲い掛かる左腕。正面から突き刺さろうと襲い掛かり、日陰から不意を突いて襲い掛かった。



(相性悪すぎっ!)



 回避しながら隙を突いてショットガンで散弾をばら撒く。

 柱の影から車の陰へと移り、ガードレールを飛び越しつつ銃撃を繰り出す。走りながらポンプを前後に滑らせ、次の弾を薬室に送り込む。


 ハンズが左腕を引き付けている隙にアヌビスが本体に迫る。が、背後からの奇襲を予知されて紙一重、横っ飛びで回避される。再び黒腕がアヌビスを的として伸縮する。

 柱の影から歩き回る少年を狙い、引き金を引く。が、真横からの銃撃を防ぎ、黒腕は収縮の後、ハンズへと向いた。



「お前の、何が裁きだ!」



 アヌビスのハルバートが黒腕を攻める。

 ハンズに迫るよりも遥かに早い連撃。

 薙ぎ、突き、平打ち。


 暗闇に飲み込まれないその武器の猛打・猛攻に、少年が押され始める。

 消し去れない衝撃がエミルダの体を押していく。


 バランスを崩しかけ、何とか体勢を保った次の瞬間、アヌビスが視界から消えていた。



「裁きは俺たち、アヌビスの仕事だ!」



 背後へと振り返るよりも早く、黒腕が回り込もうとする。


 しかし、眼前にアヌビスの姿がなかった。

 予想していたよりも後方。

 そこにはハルバートを片手に構えるアヌビスの姿と、アヌビスが自分めがけて投げつけた得物が確認できた。投げつけられた手斧(アックス)


 それを防ぐ左腕に、自然と右腕が重なった。



(あの左腕……!

 自分は触れてもなんとも無いのかよ!?)


(どんなに強力なSRを持っていようが、ガキはガキだ!)



 ハルバートの猛攻に加え、ハンズの銃撃。

 2体1と言う戦いの流れ。

 どんなに多くの人を殺してきた子供だろうと、その体力が大人のそれを上回ることはない。まして、アヌビス相手である。


 常識では考えられない体力とタフネスを有するSRを相手に、少年はよく戦った方だがハンズは思った。自身も戦ったことのある相手だが、銃撃でもなかなか殺せない種族である。

 少年の持つSRならば、一撃でアヌビスを屠ることが可能だが、それは当てられればの話だ。



(ガキの黒腕が縮んでる?)



 弾切れのショットガンに錬金を施し、ショットガンのポンプ部分とその周辺パーツからハンドガン――GLOCK18C――を生成する。

 生成する最中、ハンズは物陰から2人の一方的攻防を覗き見た。


 ほぼ全方位に展開していた左腕の黒が、今ではアヌビスからの攻撃を防ぐのが精一杯。 反撃の余裕が少年から消えていた。

 それでも止まらないアヌビスの猛攻。


 左腕だけを集中的に叩き、SRの消滅を狙って本体を狙うことをやめた。

 逮捕が目的で、少年を殺してしまっては根本的な解決にならない。動機を知り、原因を突き止める義務がアヌビスにはあるのだ。


 

「ここはゴム弾の方がいいな」



 アヌビスがエミルダを押す最中、ハンズはショットガンの残り(グリップとその周辺)部分からもう1挺のハンドガンを生成する。

 Berettta 8000。オリジナルマガジン&非致死性9mmゴム弾装填仕様。


 展開していた黒腕は少年の――右腕と同じサイズまで縮小し、再び――色を除いて通常の左腕を形成していた。



「あなたたちじゃ……裁けなかったくせに」



 少年の腕がハルバートを掴み止める。



「姉さんも酷い目に遭って、皆も酷い目に遭っていたのに……」



 ハンズが距離を詰める。

 アヌビスが盾になって少年を狙撃することができなかった。位置を変えようと柱の影から飛び出し、真横へと向かう。



「秘書さんも、門番さんも、いけない事だって言っていたんだ……」



 左腕が薄れる。

 アヌビスのハルバートが、黒腕のあった空間をすり抜けて落ちていく。



「みんな……怖がっていたのに。

 怖かったのに……」



 ハルバートが地面に落ちる。

 逮捕するという言葉が口から出ることはなく、アヌビスは構えを解かなかった。



「助けてくれなかったくせに!」



 ハンズが移動を終えるのと同時、視界が黒で埋められる。


 それは、一度消えたと思っていた左腕の再解放。

 勢いよく空へと噴出す間欠泉の如き、黒の放出量。


 眼前にいたアヌビスを捕らえよとするが、ハルバートに遮られる。



「ハルバー……!」



 錬金術師が引き金を引くよりも早く、アヌビスは黒腕に押されて頭上の高架橋裏まで押し飛ばされていた。

 何十トン分にも相当する圧力に押され、アヌビスは高架下から、高架の上へと押し出される。

 めり込むアヌビスの体、黒に飲まれて消滅するコンクリートや、枕木、レール。

 高架橋を突き破り、線路上に転がったアヌビスは周囲の騒音を耳にしながら気を失った。



「だから、僕と姉さんで懲らしめるんだ!」



 高架下に残されたハンズがエミルダに迫る。

 視線を上の高架橋に向けている隙に右手のベレッタを握り直す。非致死性のゴム弾とはいえ、当たり所によっては相手を死亡させる事もある。

 確実に気絶させるため、ハンズは走って接近した。


 威嚇用のグロックをセミオートからフルオートに切り替え、銃口を少年へと向ける。


 引き金を絞るのと同時、頭上から左腕が迫った。



(戻ってきやがったか!)



 頭上で起こったコンクリートの瓦解に気付き、それらコンクリートの破片に混じって左腕の黒が迫っていることを知ったハンズ。

 瓦礫につぶされる前にグロックのトリガーを引いて左腕に防御させる。

 収縮した左腕がそのサイズを変えて盾のようになり、完全に銃弾を防ぐ。



(足元がガラ空きだ!)



 グロックの爆音。

 フルオートで吐き出される銃弾に混じり、ゴム弾が少年の足元に向かって飛ぶ。


 フルオートの銃撃を防ぐのに精一杯の左腕は、ゴム弾を完全に止めることができなかった。


 左の脛に2発。

 右膝に1発。

 右太股に1発。



「っ……!」



 少年の顔が苦悶に歪み、膝が折れる。

 ハンズはその間に石柱の影へと滑り込み、後退しきったグロックのスライドを確認した。

 残弾のあるベレッタと残弾無しのグロックに交換錬金を行い、ベレッタをグロック23に、グロック18CをAG36グレネードランチャー(暴動鎮圧用特殊ゴム弾仕様)へ。


 もう一度仕掛ける威嚇と囮の弾幕、本命の非致死性ゴム弾の直撃。


 しかし――

 ハンズが影から飛び出すのと、崩れゆく体勢の中、エミルダが左腕を薙ぎ払うのは同時だった。






 昼休みの屋上という場所は予想以上にひと気がなく、その人気の無さは4人にとって都合が良かった。

 授業中の私語を慎み、大人しく休み時間を待っていた4人は、それぞれの日常の昼休みを蹴ってここに集ったのだ。



「おそらく目的は復讐だ」



 愛院の言葉に耳を傾けつつ、藍は横から吹く風に髪を押さえ、トキは晴れ渡った空の下に広がる白州唯の景色を見つめる。

 高城は咥えたストローを放して疑問を口にし、愛院は疑問を晴らすために答え続けた。



「具体的には誰に対する復讐だ? パンドラの出資者達か?」


「関係者全員だと思う」



 愛院の話を聞き、その無謀さに眩暈を覚える高城。

 しかし、愛院に冗談を口にする余裕はない。彼女の態度からそれを見極めた藍は、高城と違う質問をぶつける。



「襲われた場合の対処法は無いの?」


「ああ……ちょっと吸っていいか?」


「なぁ、奈倉さん。

 もう一回だけ、敵の能力を教えてくれないか?」



 タバコを取り出す愛院にトキは聞く。

 咥えたタバコに火をつけ、フェンスにもたれかかっているトキの質問に答える。


 触れた瞬間に、触れた部位を消してしまうSR。


 霊体とも違うそれは物理攻撃を受け付けず、傷つかない。



「本体を狙えればなんとかなるとは思うけど」



 機先を制されては圧倒的に不利。

 本体を狙うなら、狙撃等による距離を置いた場所からの攻撃が有効だと愛院は言う。



「どいつがこの国に来ているかにもよるんだが……エミルダの他の2人も同じような力を持っていて、中でも目にそのSRを持っている奴は注意が必要だなんよ」


「は?」


「同じ力を持っていると言っても、所有箇所が違う。

 それぞれ掌、左腕、右目と」



 触れた瞬間に消滅してしまうということは分かったが、右目にその力を持っていて“触れる”という事がトキには分からなかった。

 疑問を抱くトキに愛院は説明する。



「焦点よ。

 右目のピント内に収まった瞬間に消されちまうんだよ」


「厄介ね……」


「ああ。厄介だよ。

 孤児院から逃げる時なんて、しつこくそいつに追い回されたんだ」



 愛院の言うSRは、本体を仕留める他にないように聞こえたが、それでも藍は対処法が無いものかと考え続け、自分の得物を思い出すに至った。

 生死繋綴。

 万物を切り裂くと言われ続けてきた秘刀にして妖刀。

 物理的なものから非物理的なものまで、実際に切り捨ててみた実績のある日本刀。



「おっと、失礼」



 振動する携帯電話を取り出す高城。

 愛院はトキの新たな質問に答えつつ、タバコの煙を吐き出す。

 タバコを吸いつつ、頭の隅で藍や高城に協力を仰ごうと考えていた。今回の事件は警察だけでは対処しきれないものだろうと。

 協会の警察部隊と繋がりのある高城は緊急時の連絡網として役立ち、藍は純粋な戦力になりうると思った。鬼の力に加え、正規のものでないにしろ、オリジナルの陰陽術はもしかするとあの力に有効かもしれない。

 問題は、トキである。

 訓練を始めて2ヵ月ほど経ったという話だが、それでもトキが戦力になるとは考え難かった。



「え、犯人と?」



 張り上げられた大声に、その場の全員が固まる。

 それは、あまりも突然すぎる知らせだった。


 内容はハルバート及びハンズが犯人と交戦し、負傷したというものだった。




 

 

「トウコツ」


『たまの電話に出たかと思えば、今度は何だよ?』


「君はまだ協会所属のSRだ。

 完全再生に会って伝えて欲しいことがある」


『あんだよ?

 そいつぁ、ジャンヌの姐さんに伝えてもいいことなのか?』


「新鮮な死体が日本に出来上がる。

 珍しい代物だ。

 フフッ、彼の変質はジャンヌだって知っているハズだ。伝えたところで何も出来ないさ」


『フィング・ブリジスタスに、だな?』


「頼んだぞ」



 混乱が続く。

 世界の混乱を構築するのは、各地域に発生する小さな渾沌。

 矛盾を生み、連鎖を紡ぎ、マイナスを創り出す。

 いま、日本のとある場所でそれが起こっていた。



「白州唯か……

 つくづく面白いことが続く街だが、何が引き金となっている?

 芹真事務所か?

 いや、カオストリガーになれるだけの要素が揃っていない。

 やはり、貴様が原因か?トキ。ククッ……」



 渾沌が行く。

 高熱を我慢しながら、海を渡って。


 まだ見たことのない、未知のSRを目指して。

 

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