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Second Real/Virtual  作者:
32/72

第31話-パンドラの復讐-

 


「私は……ナイトメアを抜けたい」



 非武装派の研究者:マティス・フォーランドは言った。

 2度と蓋を開けるようなことはしたくない、と。


 しかし、パンドラの(じっけん)はすでに砕けて存在せず、PandoraSR(さいやく)をこの世に散らしていた。



 

 

 明日の空は何色か。

 青く晴れ渡った空なのか、灰の色に染まった曇天、或いは白の吹雪きなのだろうか。 予測は出来るが確定は出来ない。

 それが人の限界であり自然の力である。



『はいもしもし、ただいまお茶漬け――』



 受話器の向こうから気だるげな声が伝わる。

 人気の無いビルの屋上で携帯電話を片手に1人の男が空を仰いで笑った。

 暗い暗い雨雲の下。傘も差さず、雨に濡れることを(いと)わず、男は笑う。



「寝言は寝てから言えよトウコツ。

 ククッ、マジックサーカス団が動いたぞ」



 明日の空が何色なのか、誰も確信を持って言うことは出来ない。 それは世界の動きも同じだ。

 電話の向こうの男の動揺が伝わる。

 気だるげであった男の声に緊張感が現れ、僅かにトーンが下がる。



「行き先は日本だ。

 おそらく……」


『芹真事務所かトキだろうな。

 それで?』


「そこでだ。

 直接俺が会いに行きたかったんだが、少々面倒臭いことになっている。

 それは知っているな?」



 知っている、と電話の向こうの男は呟いた。

 雷光が黒雲を灰色に変える一瞬、電話を握る手に篭る力が増す。



『だから俺に行けって言うんだろ?

 それは別に構わないが、コントン。お前はいま何処に――』



 電話の相手が自分の頼みを受け入れたことを確認し、男は通話を切り上げて雨空を睨んだ。

 相手に質問はさせない。

 相手の意見を汲んではいけない。

 少なくとも、今は下手に自分の場所を悟らせるわけにはいかなかった。 敵にも、味方にも……



(舟の位置は掴んだ。

 後は、妖精組合の連中と、サーカスの奴らをどう排除するか、だな)



 雨に打たれながら怒りに沸騰する頭を冷やし、コントンは歩きながら考え続けた。

 長く考え、深く思い、居場所を悟られないように移動し続け、自分の存在と必要性、本能という言葉に(すが)らない生の目的を模索し続ける。


 自分がここに居る理由。

 あらゆるモノを失い、その結果得たモノは何か。そもそもあったのだろうか。

 なぜ協会長は自分を生かしておいているのか。

 自分が世界に要る理由とは何だ。


 そんな世界の中で曖昧になってゆく自分という輪郭を持っていた(それ)


 “これは自分なのか?”


 自力で生きているのか。それとも見えない誰かに生かされているのか。

 疑問の中で自我の境界は次第に輪郭を失ってゆき、生まれてから積み上げてきた自分という像の崩壊がいつしか始まり、気付けばいまのいままで続き、尚もとまることなく続く。


 自分の中、自分にしか見えないその崩壊を止める術を他人は知らない。

 知るはずなど、無いのだ。


 “それが、君の運命だ。多くの人を殺める”



「俺は、どこに向かう?

 どう抗い続けたら、突きつけられた呪縛から解放されるのだ?」



 あの日、自分が自分でなくなることを予感しながらも彼は運命に従った。

 運命に巻き込まれて飲み込まれるくらいなら、自分から飲み込む。

 飲み込もうと抗い続けた結果、彼は今日という時間まで至り、彼の挑戦/目論見は悉く打ち砕かれてきた。

 敗戦に次ぐ敗戦が彼を更なる悪循環に落し入れ、いつしか運命の歯車の中に取り込まれていたのだ。


 誰も殺さずに生きる。

 彼の人生はそれに失敗し、悪循環を深化させ続けていく。



(もし、生まれ変わったのなら……)



 それは誰もが一度は考える夢想。

 自分の過去を振り返りながら目を瞑り、雷鳴と降り続ける雨を知覚し、静かに吹く風に耳を傾けた。


 暗き空の下を突き抜けるために必要な、光り標。

 形成されるべき夢を砕かれ、闇の暗示を受けたあの時。


“運命だ”



「誰がそんなもの……」



 炎が勢いを増す。

 思い返して怒りが増し、体の熱を上げる。


 そして、野望は(たぎ)る。



「フッ。まずは妖精どもを排除しないとな」



 雨と風が強さを増す。

 その中をコントンという名前の男は歩き続け――


 翌日、風邪をこじらせ、40度もの高熱にうなされた。










 Second Real/Virtual


  -第31話-


 -パンドラの復讐-










 トキの訓練が始まってから2ヶ月と数日。


 それはトキがこれまでに体験したことないほど充実した2ヶ月となった。

 日常生活、訓練、進級試験対策の繰り返しとその中で起こる変わったイベントの数々。

 必ずしも楽しかったわけではないが、楽しいことに加えて辛いことや新鮮なこと、恐ろしいことなど、いままで妄想の世界でしかなかったことを現実に体験した。パターン化された日常よりも、印象が薄いわけがない。

 ためになる訓練。

 死に直面した訓練。

 欠点を思い知らされた訓練、勉強。

 

 教わるだけではなく、トキ自身も持てる知識を絞って訓練相手の人々を相手にした。

 料理や部屋の片付け方。

 ゲームの攻略法からお勧めの映画。

 こちらの世界にしかない食べ物や飲み物についての説明。


 そういった生活の中で改めて、人と人は支え合って生き、栄え、発達していくものだと実感した。



「……」

「……」



 毎日のように繰り返される日常。

 しかし、毎日少しずつ違う味を持つ日常。


 白州唯(しらすい)高校 1階職員室


 本日の曜日は青い字で書かれた『土』の日。

 週休6日制に戻った現代とはいえ、午後ともなれば校内に残っている生徒の数はまばらで、多くても普段の半分程度であった。

 補習かまたは部活動で残っている生徒たちの声が時折校舎に響いては、静まり返る。

 そんな普段よりも静けさを増した学校の職員室で、1人の教師と生徒が長い沈黙の中で見つめ合っていた。進級テストの結果発表である。向かい合うトキと、クラス担任の登竜寺蓮雅(とうりゅうじ れんが)先生の姿を中立派+αの面々が廊下から覗き、見守っていた。



「進級試験は、合格――」


『良しっ!』



 廊下で聞き耳を立てていた男子生徒2人が手を叩き合わせる。

 それをスズメバチこと崎島恵理が止め、覗き見グループは再び職員室の中へと、静かに視線を注いだ。



「――したからといって、気を抜かないように。

 では改めて、今年も私があなたの担任です。よろしく」



 頭を下げようとするトキの前に手が差し出され、トキはその手を握った。

 何度目かはわからないが、廊下からは聞き慣れた声で奏でられる喜楽の声が聞こえてくる。十数分前から続くその騒ぎを見かね、堪忍袋の緒が切れた教頭先生が立ち上がる。



「ところでトキ。

 芹真先輩に頼んで欲しいことがあるの。聞いてくれない?」


「え?」



 囁くような小声で言う担任に不審の感を覚えつつも、反射的にトキは頷くいていた。

 話を聞いている途中で2人が師弟のような関係にあることを思い出し、納得する。



「隣の県で起こっている事件は知っているわね?

 それについて調べて欲しいのよ」


「え? 事件……ですか?」


「隣の県。

 そう言えば分かると思うわ。お願い」



 頷くトキだがそれが一体全体どんな事件なのか分からない。

 情報皆無で、しかも初耳である。



「え? トキは知らなかったの?」



 真昼の帰路。

 中立派+αに囲まれたトキはコウボウの質問に頷く。



「まぁ、最近トキは勉強で缶詰だったし」

「多少世間に疎くても仕方ないな」


「……仕方ないのか?」



 同情する智明(ちあき)と岩井。

 容赦ない友樹。


 3人を眼中から外し、崎島が説明を始める。隣接する県で起こっている出来事。

 それが、



「連続殺人よ」



 テレビで報道された内容をありのまま伝える。


 最初の犠牲者は在日アメリカ人の軍隊崩れで、推定死亡時刻は3月22日の深夜AM01:40〜04:30。

 遺体として発見された場所は街中の路地裏だった。男の遺体は顔と胴体、右足の大半を失い、天を仰いだ状態で発見されたという。



「腹のところがバッサリ消えていたって話だぜ?

 上・下半身が見事にサヨナラだとさ。

 しかも、顔なんて顎んトコから頭上にかけてパーツが紛失ときた」


「何度聞いても気味が悪いな」

「ヤクザ絡みの殺人の可能性が――」

「うげぇ、グロ……」



 警察は犯人像の輪郭、使用された凶器の特定を急いだが、現場からは犯人の髪の毛すら発見されなかった。

 目撃者さえいない。

 犯人特定にいたる決定的なモノが何一つ残されていなかった。



「これは裏委員長から聞いた話だけどさ、どうやら刃物じゃないらしいんだ」



 同じような傷痕を持つ死体が発見されたのは、第1と思われる犯行からわずか6日後のことだった。

 死体の有様は前回と同じく、死因は体の部分的消失である。

 2人目の犠牲者は同県の県民議員だった。通りすがりのタクシーによる通報を受けて、日にちが変わろうという時間に自宅で死亡が確認された。

 1人目の犠牲者と明らかに違うのが、致命傷にいたる傷口、その痕である。



「2人目の犠牲者は下半身が完全に紛失していたそうな」

「そうそう。

 しかも、その議員の場合、自宅の一部までもが消えていたんだって」


「それから第3の犠牲者が出たのは、今から1週間前の4月10日――」



 前回の犯行から12日後。

 次の犯行現場はゴルフ場だった。

 乱開発によって開拓されたゴルフ場の一画で、朝方に死体となった男と護衛、震えるキャディが発見された。

 死因はやはり部位消失によるショック死。または失血死で、暗闇に紛れて護衛もろとも男性を殺害。

 先に起きた2件との違いは、3度目の現場で初めて目撃者が現れたことのみ。



「つっても、その目撃情報が全く使えないらしくてさ」


「決定的特徴をつかめたわけでもないらしいわ。

 それでも、犯人が男女かということと大まかな年齢が分かったそうよ」


「あれ、もう分かったって言ったっけ?」

「新聞読め」



 犯人の性別は女性であること。

 これはキャディが物陰に見た姿からの浮かんできたであった。

 僅かな光に照らし出されたその人物の服装がスカートであったこと。



「女性か……」

「それで、年齢は10代〜20代前半らしい」


「問題は、動機だな」

「殺された奴らには一切共通点が無いみたいだしな」



 友樹からため息が漏れる。



「その事件に関して裏委員長はおっかない顔してたし……」

「類家ウィルスなんか妙に興奮していやがったしよ」

「他人事と決め込んでいるんだろ」

「……愚かしい」

「高城先輩なんて、珍しくナーバスになっていたぜ?」

「へぇ」



 殺人事件は少なからずクラスにまで影響を及ぼしていた。



「奈倉さんも様子が変だったわね」

「普段からツッパっているが、こういう話が苦手なんじゃないか?」

「ビビってたしな」

「そう!

 それで最近やたらヤニ臭いわけよ! マジで迷惑なんだよね、あの人!」

「お前、タバコ苦手か?」

「おう。苦手であって嫌いである。

 消えて無くなれと思っているが、何か?」

「愛煙家に謝れ」


「きっと暴力団絡みだぜ?」

「ヤクザさんか? そうなると委員長も怪しいな」

「私は快楽殺人だと思うけど……」

「どっちにしろ、あんまり関わりたくないな」



 少しずつ逸れていく話。

 それに拍車をかけたのがエロティカこと、村崎翼(むらさき つばさ)だった。



「ところでトキ、情報料ということで何か奢ってくれないか?」



 第1から第3回目までの犯行に共通するのは、体の部位消失が死因であること。

 犯人を特定するには情報不足で、しかも被害者に共通性がない。



「南屋のコロッケでいいからよ〜」

「あ、俺も食いたいな」



 一貫して凶器が不明である。

 それがもっともこの事件を深遠足らしめる要因であった。

 快楽殺人の可能性があがり、現場付近や街一帯では夜間警備が厳重化。

 その波は白州唯にまで影響していた。



「そうだな。たまには奢ってくれよ」

「テスト勉強も手伝ったろ?」



 連続した殺人。

 凶器不明の、動機不明。

 犠牲者の共通性不特定に、浮かび上がってこない犯人像。



「わかった。コロッケでいいんだな?」



 しかし、ここにいる学生の大半が猟奇殺人事件に深い関心を持っているわけではなかった。



「魚肉コロッケ頼んでもいいか!?」

「俺達もいいか? トキ」

「もちろんメンチコロッケだろ」

「ミソカツ!ミソカツ!」

「ここは普通、山菜コロッケでしょ」

「……じゃがいも」



 真昼の帰路。

 他の生徒達より少し遅い帰宅。

 空いた小腹を満たそうと中立派+αによる寄り道が決定し――



「魚肉売り切れ。

 メンチ売り切れ。

 ミソカツ売り切れ。

 山菜売り切れ。

 カボチャもミートも全部売り切れだよ。 タイミングが悪かったな、学生達よ」


『……』



 出鼻は挫かれた。


 目の前の現実に嘆く友樹とコウボウ。

 肩を落す、または(すく)める岩井と智明。

 灰と化すエロティカ。

 無言のまま立ち尽くすトキと崎島。

 何かを見つけたらしく、メンバーから離れる藍。



「売り切れって、まだお昼をちょいと過ぎただけっすよね?」


「ああ。

 しかし、申し訳ないがコロッケ類が完売ってことは事実だし……」



 嘆きが深化する。

 財布の中の小銭をポケットに移していた友樹、コウボウ、そしてエロティカ。



「買い占めていった奴はどこのどいつですか!?」



 激情顕わに友樹が南屋コロッケのおばちゃんに尋ねる。

 すると、店主であるおじちゃんの指が自販機の前にたむろする3人の外国人に向けられた。


 日に焼けた黒い肌。

 全身を黒で統一した服装と、所々に見られる戦闘用に鍛えられた丈夫な体躯。



「あの人たちが買い占めていったよ」

「コロッケ全部?」


「仕事あがりだとか……」

「コロッケ全部?」



 血眼で迫る友樹の迫力におじちゃんが一歩後退。

 友樹を羽交い絞めにしながらコウボウが笑顔で謝罪し、崎島が3人の方へ目を向けながら唸り始める。



(あの3人って、アヌビスじゃん……)



 思ってもいない遭遇にトキは驚き、心の底で平穏を願った。気性の荒いハルバートアヌビスと、バッファローと呼ばれる先走りタイガーヘッドの友樹がぶつかり合わないように、と。



「84、55、85といったところか」



 遠巻きに3人の内の一人、ジャベリンアヌビスのスリーサイズを服の上から大まかに測る翼(いつの間にかエロティカモードに切り替わっていた)。エロティカの呟きが聞こえたのか、遠目から見てもわかるほどジャベリンは赤みを増していく。頬を引き攣らせ、目に殺気の炎を宿していた。



「1個くらい譲ってもらえないかなぁ?」


「外人だぞ?

 学校で習っている英語じゃ通用しないと思うぜ」


「てか、あの人たち英語が通じるのか?」

「アメリカ人には見えないな」

「イギリス人にもね」



 どうしてもコロッケを口にしたいらしい智明と、半ば諦めモードの岩井。

 そんなトキや友樹、智明らに気付いた眼鏡のアヌビスが慎重にトキら、集団を伺ってから歩み寄った。



「どうかしましたか?」



 何となく、トキの口から出た言葉がそれだった。

 その言葉にアックスは笑みを浮かべて口を開くが、



「それはこっちの台詞だっつぅの」



 言葉の発声はアックスよりも僅かハルバートが早かった。


 ハルバートの背後ではジャベリンが1人の人物に対して色々な意味で熱い視線を注ぎ――どちらかというと睨み――それに応えるよう、その人物は視線を送り返していた。



「あ〜、コロッケ買おうとしたんだけど、全部売り切れたって聞いたから」


「悪いな。俺達は仕事明けでな。

 明けっつっても、また2時間後に仕事なんだ」



 ハルバートがそこまで話して静まる。

 入れ替わってアックスが口を開く。

 アックス自身は100近いコロッケを食べるよりも軽食屋に足を運んで優雅に、静かに休息を取ることを望んでいた。

 ファミリーレストラン、回転寿司、ラーメン屋、カレーハウス……etc。

 特に日本の麺類に興味があったアックスとしては、是非とも貴重な休憩時間を利用してラーメン屋という分類の店に足を運んでみたいところだった。が、ハルバートがそれを断固拒否。

 結果、街角で販売している手ごろな値段のコロッケに至ったのだ。



「正直、100個もコロッケを買ったのはハルバートだし?

 欲しかったら譲るよ。むしろ譲るよ。本心言うなら、容赦無く減らしてくれないかい?

 邪魔で邪魔で、ホントに邪魔で困っているんだよ」


「あ、じゃあ、友達の分も含めて貰っていいですか?」



 すかさず阻止に入るハルバート――



「俺が黙って見過ご――!」



 ――だったが、拒絶姿勢を見せたハルバートの鼻先を何かが掠めた。


 誰の動体視力でも捉えることが出来ないくらいのハイスピードで通過した何か。

 何が掠めていったのか視認はできなかったが、それは的確にハルバートを黙らせることに成功していた。



「好きなのを持っていってくれ」


「おい、テメ――!」



 今度は耳を掠り、その高速摩擦から生み出される熱に耳を押さえるハルバート。

 足元のダンボールに詰め込まれたコロッケに目を落とすトキ。

 そんなトキの行動に友樹や智明、コウボウはコロッケの食感を期待した。



「じゃあ、選んでもいいですか?」


「ああ。ゆっくり選んでくれ。

 邪魔はさせないから」



 上機嫌なアックス。

 不機嫌なハルバート。

 殺意らしきオーラを纏ったジャベリン。


 軽く驚きながらコロッケを選ぶコウボウ。

 動揺しながらコロッケに噛り付く友樹。

 2人だけの世界に突入する岩井と智明が、そのまま2人の世界モードのまま周りの状況を省みず、帰路を行った。

 無言のままコロッケを手に取り、アヌビスに頭を下げる崎島。

 アヌビスと目を合わせたまま微動だにしないエロティカ。


 動かないエロティカの分のコロッケを手に取り、トキはアックスに礼を述べる。



「それじゃあ、遅くならないうちに帰るんだぞ、学生達」



 笑顔を振り撒き、アックスは踵を返す。

 そんな彼らの背中に、



「偉そうに指図するな……何様のつもりだ?」



 年上嫌悪癖を持つコウボウが反抗の言葉を吐き捨てる。

 アックスは肩を竦めて見せ、ジャベリンの肩に手を置く。



「俺達はこれでもケーサツだよ。クソガキが」



 反抗的態度のコウボウにハルバートが答える。



「物騒なのが出回っているんだ。

 知らないわけじゃないはずだぜ? 連続、猟奇、殺人事件。ん?」


「ふん……」



 発言を抑えてコロッケに噛り付くコウボウ。



「一般人の犠牲者なんて見たくないんだよ。

 だから、夜遅くの外出は控えろ。

 出かけるにしても多人数で行動しろ」



 その言葉を最後に3人は完全にその場を去った。

 トキは掛けられた言葉の意味を考えながらコロッケをひとかじり、咀嚼する。



「警察だったんだ……あの人たち」



 つぶやく友樹の方を振り返ると、友樹の後方でコウボウが背を向けて歩き始めていた。

 不機嫌が最高潮に達したことが原因で独り走りを始めたコウボウだが、たった今忠告を受けたばかりである。

 話題の猟奇殺人の動機が不明な以上、単独行動は危険だ。



「昼間だからといって、犯行が起きないわけじゃないのに」



 崎島の呟きに不安を覚えるトキと友樹、そしてエロティカ。

 遠ざかっていくコウボウの背中を見て、トキは一歩足を踏み出した。

 追いかけて行けば間に合う。

 トキと同じことを考え、しかし、実行力が違う友樹は、誰よりも早くコウボウを追いかけた。



「じゃあ、またな!」


「は?」



 別れの挨拶ということで友樹は走りながらトキたちに手を振った。

 早足で去っていくコウボウに追いつき、肩に手を回して歩いて行く。遠ざかる2人を見送りながら崎島が納得する。



「私もあの2人と一緒に帰ろうかしら。

 それじゃあまた。来週」



 別れの言葉を告げる崎島。

 岩井と智明の姿はすでに視界になく、友樹とコウボウも角を曲がってその姿は見えない。ほどなくして崎島の後姿も角の向こうへと消える。


 静寂。真昼の陽光。春の香り運ぶ風。

 残されたトキとコロッケに噛り付くエロティカは無言で歩き始め、住宅街へ向けて進んでいた。


 ……はずの足はいつしか、商店街へと向かっていて、気付けばトキはエロティカに肉まんを奢っていた。



「あ、そうだ。翼。

 少し手伝って欲しいことがあるんだけど」


「トキの方から頼みごととは珍しいな。

 して、手伝って欲しいこととは?」



 ピザまんを飲み込んだエロティカが耳を傾ける。

 歩きながらトキは僅かに悩んでいたのだが、手伝い程度なら心配はないと判断し切り出したのだ。



「ちょっと、俺の家で探し物を手伝ってもらいたいんだ」


「探し物か……ではさっそくトキの家に行こうではないか!」



 何か邪なものを秘めた笑みを浮かべるエロティカ。



「と、やはりその前に、前払いということでカロ■ーメイト奢ってもらえないかな?」


「え?」


「今すぐじゃなくてもいいさ。

 今週分のメシということで……」



 間をおいてから頷くトキ。

 廃工場に住んでいる村崎翼という人間の食生活を知っているトキは、頭に自宅の冷蔵庫の中身を想起する。 安定した食事を摂っていないのがエロティカの日常である。 日々の余裕を全てバイトに注ぎ込み、辛うじて食い繋いでいた。

 他人に頼ってくることもあるが、そういう事例は数えるほどしかない。

 奢っても良かったが、携帯食料の他にも手作り料理の方を最優先で食べさせようと考えていた。



「わかったよ。

 手伝ってくれたら食い物の詰め合わせをやる。保存食も込みで。

 それじゃダメか?」

「いやいや!そこまで言われては断れないさ」



 上機嫌な笑みを浮かべる翼。

 インスタントやファーストフードの味に飽きが来ていたのだろう。



「ていうか、ほとんど誘導じゃなかったか?」

「かも知れないな。

 ところで、探し物とはどういった物なのだ?」



 改めて商店街から住宅街へ。

 移動の最中、トキはコントンに言われた物の大まかな特徴を話し、必ずしも家にあるとは限らないという旨を伝えた。


 トキ自身もどこにあるのか知らない。



「黒い金属のような塊で、木片のように軽く且つ、小さい物か……」



 板チョコを丁寧に分割して口に運ぶエロティカの脳裏をこけしが横切った。



「つい最近発売されたバック用のバイ――」


「いかがわしい物じゃないからな。

 ていうか、真昼間から何度もエロモードに入らないでくれ。

 前に自分であんまりよくないって言ってたじゃん……」



 角を曲がり、信号で足を止める。



「ところで話を戻すけど、翼は不安じゃないのか?」


「不安とな?」


「また廃工場に戻ったんだろ?

 さっき皆で話してた猟奇殺人のこととかさ……」



 心配するトキに対して節介無用と笑みを浮かべる翼。

 彼にとって、近隣の県で起こっている殺人事件よりも明日の食料の方がはるかに深刻な問題であった。

 それにまだ春先とは言え、お日様の出ない日は気温も低い。冬に比べればだいぶマシだが、それでも骨身に染みる。


 信号を通過し、角を曲がって直進する。



「トキは私の愚かさを知っているだろう。

 夢を果たすまでは死なん」


「それはわかっている。

 けどやっぱりさ、現実的に考えて死んだら元の子もない」



 トキの心配に自分の夢と信念と野望を改めて言い聞かせるエロティカ。

 住宅地に入り、角を曲がる。

 半ば現実逃避気味な翼。


 そんな彼の体が僅かに仰け反ったのは、角を曲がった瞬間だった。

 伝わる僅かな衝撃と、小さく短い悲鳴。

 コンクリートの上に転がる小さな篭、中からこぼれ落ちる花。


 2人の足が止まり、目は衝突して倒れた人影へと向く。

 自分達よりも身長が低く、全身をゴシックロリータ服で包んだ子供がそこにいたことを認めた。



「だ、大丈夫か?」



 ぶつかった翼が声をかけて安否を確認し、トキが慌てて手を差し伸べるようとする。

 上体を起こそうとする少女の姿を見た2人は、その子が隻腕であることに気付いた。


 その場に座り込んで2人を見上げる少女は、トキの手を見て警戒し始める。



「失礼した。

 こちらの前方不注意だった」



 謝罪する翼の目が地面に落ちた花々に向く。



「これは……この霞草は君のだな。配達の最中か何かかな?

 いや、どちらにしろ失敬。本当にすまなかった」



 警戒するばかりの少女を見て手を引っ込めるトキ。

 輝くブロンドの髪の奥に見え隠れする黒い双眸に、自分がどんな風に映っているのか考えながら次にかける言葉を捜した。

 どうすれば警戒を解いてくれるのか。


 連続殺人が近隣の県で起こっている。

 そんな緊迫した状態の中、見知らぬ人間との遭遇は場合によって恐怖に繋がりかねない。


 トキ自身の経験が言い聞かせる。

 怯えられても仕方が無い。

 警戒するのも当然だ、と。


 1人で霞草を拾い始める翼。

 そんな翼を凝視する少女。



「仕事中だったのかな?

 いや、それだったら尚のこと申し訳ない。とにかく謝らせてくれ」



 電柱に背を預けて右手を口元に運ぶ少女。

 トキも翼に倣い、落ちた霞草を拾い集めて篭の中に戻す。



「元通りかどうかわからないけど、一応戻しておいたから」



 電柱に背を預け、地面に座り込んだままの少女に翼が手を伸ばして立たせようとする。

 僅かしてから気付く。爪を噛む音が少しずつ大きくなり、少女の指には紅い液体が滲み滴り始めていたことに。



「翼!

 その子の指!」


「むっ!?」



 指摘された翼は手を伸ばし、無理矢理少女の腕を掴んで引いた。 引き離した右手の親指の爪は剥がれ、皮膚を破り、そこから肉を覗かせて流血が招いている。

 明らかな深爪。

 不自然なまでの警戒。

 何に怯えているのかトキには全く理解できない。

 翼にもその子が流血するまで爪を噛み、不安がり、警戒する理由が理解できなかった。が、



「“少年”……言葉はわかるかね?」



 それでも何とか不安を取り除こうと笑顔を見せ、話しかける。

 完全に対応に困っていたトキは静かに2人のやり取りを見守った。



「悪気はなかった。

 許してくれ。怒る気だって全くない」


「……」



 震えるその子に翼は頭を下げた。

 言葉が伝わらないなら動作で。

 伝わるまでとは言わないが、誤解が解けるなら土下座もするし、諦める覚悟も一応あった。



「こちらこそ……すいません」



 予想もしていなかった事態が発覚する。

 風貌から外人だと分かるその子の使った言語は日本語で、しかし、それ以上に声のトーンが女性のものとは思えない高さであったことに固まる。

 初めて口を開くその子が、少女でなく少年であると知ったトキは軽く困惑し、人が見かけに依らないものだと改めて思い知った。

 翼は頭を上げて、掴んだ少年の腕を引く。少年を立たせると花の入った篭を渡し、意味もなく笑顔を送る。

 隻腕の少年を見回した翼はトキに耳打ち、携帯食料を要求した。



「ふむ。

 私は村崎翼と言う者だが、もし風呂に入りたかったら……あっち。あの方角に古い廃工場があるのだが、そこに来たまえ。私の部屋だ。

 ただで水浴びが出来るぞ。

 無理に来いというわけではない。ただ、気が向いたらどうぞ、という事さ」



 2人の会話からトキが推測したことは、女装した目の前の少年も家無き子である可能性が高いということ。

 トキは村崎翼という人間の持つ、人の現状を見抜く力を大いに認めていた。

 水浴び=翼にとっての入浴。

 それを他人に勧めるということが自然とその可能性を導き出していた。


 住宅街の遥か向こうに見える緑の山々の麓を指差した翼に、感謝の言葉を述べて去る少年。



「よく少年って分かったな。

 女の子だと思ってた」



 再び歩き出した翼を追うトキ。

 その時零れた言葉に翼は口元を不敵に歪めて見せた。

 同じ家無き者、不安定な生活を続けている者にしかない共通点があの子供にあったと翼は言う。

 少年の性別を見抜いたのは腕を掴んだ時だ。



「性別を見抜くことなど、私にとって朝飯前よ」


「朝飯が食えるかどうかがまず問題だけどな」



 怯む翼と放った言葉によるダメージに気付かないトキ。

 少し経ってから、覆しようのない現実を突きつけたことを自覚し、トキは翼が黙り込んだ理由に辿り着いた。

 『旧知の仲にも礼』と崎島が言っていたことを思い出しながら、どんな言葉で謝ろうか考えるものの、いざ実行に移そうとなれば中々切り出すことが出来ない。


 静寂の時間が続く。

 トキが思考のぬかるみに嵌って数分。沈黙は、翼が先に口を開いて破った。



「なぁ、トキ。

 世界はどうしてこうも苦しいのか考えたことはないか?」


「……苦しい?」



 返す言葉に頷く翼。



「いま世界中で不法入国者やホームレスが爆発的に人口を増やしていると今朝のニュースで聞いたのだが、一体何が原因なのか考えたことはないか?

 何が原因で安心して暮らせる場所を得ることが出来ないのか」



 トキは静かに、口を開かず翼の放った言葉について考え始める。

 なぜ路頭に迷う人々が現れるのか。



「金の所為、かな?」


「それもあるだろうな。

 さっきの子もそうだし……あそこにいる外人たちもそうだろう。

 確信は出来ないが、あの集団も安住できる場所を持たない」



 滅多に通らない路地の向こう側。

 警官2人と身振り手振り、激しく口論している外人数名の姿が目に飛び込んだ。

 上下を白いジャージで包んだ男2人、女3人。



「不法入国が特に問題視されているいま、この世界は狂っていると思えないか?」


「思えなくはないな」



 人口増加に伴う様々な問題。

 治安から食糧、エネルギーに至るまで、多くの問題を抱えた人類はあらゆる危険を迎えていた。


 翼のように家を持たない者は食料・治安に関して多大な不自由を感じ、ついさっきぶつかった子供のような外人のホームレスは自由な外出さえ気が気でない。不法入国者の件で各国が騒いでいるこの時世、身分証明は過去最大と言えるほどの厳しさで実現されている。


 そんなホームレスたちに逃げる場所などあるのだろうか。

 どの国に逃げても現実がその人々を追い詰める。

 逃げることが出来ない。それが現実だった。



「なぁ、翼。

 やっぱり俺ん家に住んだ方がいいんじゃないか?

 その方が――」

「断る」



 ダメもとの質問に、翼は当然の如くダメを押した。



「私は、そんな現実に打ち勝ってみたいと思い続けて今日まで生きてきた。

 時には弱みを見せてトキに頼ったりもするが、人間一生のうちに一度か二度は弱気になるものだ」


「まぁ、確かにそうだが……

 でもやっぱ、さっきの連続殺人の話みたいにさ。わかるだろ?」



 終わってしまったモノは2度と始まらない。


 トキは根本に帰った。それが命だと。

 人間である条件であり、自然の下に発生した人間にも当然備わった循環機能のひとつ。

 どんな人間だろうとその命が終わってしまえば次は無い。たった一度の人生は自然にも終わるし、人の手でも終わらすことは出来る。

 だからトキは心配して言うのだが、翼はそれを聞かない。



「もしだ。

 私が猟奇殺人鬼に殺されたとしよう。

 誰かが私を覚えておいてくれるなら、例え自己満足と言われようが、私はそれでいい。

 そこで終わり、それまでを誰かが覚えていてくれる。

 それが私の現実だったというまでの話さ」


「随分諦めがいいんだな」


「それはお互いだろう」



 言われて自分も諦めがつきやすいことを自覚した。


 いざ殺人鬼に遭遇した場合、自分は潔く死を選ぶのか考えつつ、トキは歩を進める。

 翼はトキに伴って歩み、話題を変えていつもの調子に戻り、トキの家を目指した。






 トキが帰路についた頃、芹真は改装されたパイロンの店を訪れていた。

 テーブルにつき、正面のディマや隣に座るワルクスらと現在起こっている殺人について話し合っていた。

 巷で騒がれているの猟奇殺人事件である。



「つまり、殺された3人は揃って元武装派の関係者というわけだ」


「ああ。

 パンドラプロジェクト時代にまで話は遡る。

 その当時、研究施設のうちの一つであった屋敷の警備に当たっていた軍人が最初の被害者だ」



 定番の部屋に揃ったメンバーの顔をいま一度見回す芹真。

 夢中で料理に食らいつくボルト。

 あからさま不機嫌な表情で佇むディマに、真剣な面持ちで臨むパイロン。

 調査結果を持ち込んだワルクスと、関連する情報を持ち合わせる孫悟空の知り合いであり、物資輸送長兼厨房主任の沙悟浄。



「2人目は?」


「2人目もそうだ。

 2人目の議員は元々パンドラプロジェクトに対する出資者であり、日本支部で幹部の位にいただけ人物だ」



 ワルクスが手元の資料を読み上げていく最中、芹真は脳裏にとある廃墟を思い浮かべ、改めてパンドラプロジェクトがどういうものか思い出していた。


 素質ある人間を意図的にSRへと変える、人員増強・拡大をはかる無所属SR達による協会への対抗計画。

 第一人者であるマティス・フォーランドを始めとし、様々な人為的SR発現実験が行われてきた。

 実験方法はそれぞれ異なり、中には特別な儀式を行い発現させるものや、予防注射のように簡単なものまであり、多種多様で無限に近い可能性を秘めていた実験が世界中で行われてきたのである。



「3人目の男は、入野雅晴(いりの まさはる)

 元武装派の金づるで、協会でも前から必死で保護しようと行方を追っていた男だ」


「まさか死体で見つかることになるとは思ってもいなかった」


「協会の捜査能力も、大分落ちてきたわね」



 棘を突きつけられたワルクスは肩を落し、ボルトは雲呑麺に没頭する。

 最近の協会の力が目に余るほど低下しているということを思い出し、パイロンはディマの苛立ちを僅かながら理解した。


 ナイトメアの蜂起。 SRによる犯罪の急増と過激的鎮圧の繰り返し。

 トキとメイトスに見出された未来。 四凶の離反。



(よりによってこんな時にパンドラプロジェクト絡みのSRが出てくるなんて……)


「目撃情報では女性の可能性があると言っていたな?

 たぶん俺の船を沈めた奴と同一人物だと思う」



 視線が前掛け姿の沙悟浄に集まる。

 ボルトは沙悟浄の思考を読みつつ羊肉炸焦に箸を伸ばし、そんなボルトの思考をディマは読み取り、考察した。


 孫悟空と共に密輸を繰り返すライバルであり、幾度も海軍や海自の網を潜り抜けてきた密輸の猛者:沙悟浄。

 そんな彼の自慢のひとつである自前のステルス高速輸送艇が沈んだのは1ヶ月と数日前のこと。 世間で“騒がれている/確認されている”猟奇殺人は今のところ3件だが、彼は自分の船の中でその3件と同一の特徴を持つ殺人に遭遇した。



(犯人は不法入国者か……)



 真夜中の航路で突然の悲鳴が上がり、数人がその船室に駆けつけた。

 悟浄も当然駆けつけ、悲鳴の原因を探ろうとしたが、あまりにも特異なその空間に思考が停止する。


 中の壁には大きな穴が穿たれ、肺から下を失った骸が血溜まりを作ってうつ伏せ、潮風と波飛沫に晒されていた。


 悲鳴を上げたと思われる人物――死体を落ち着いて観察すると、顎の部分も体と同様にどこかへと消えていた。

 無くなった部位が一切見つからない室内に悪臭。混じり合う血と潮の臭い。

 騒ぎ出す他の乗客たち。

 悟浄が部下に身元確認を指示し、被害者の身元が判明するまでに現場を部下に観察させた。


 死因は後に起こる3件の殺人と同じ、ショック死か失血死。凶器は不明。犯人像は不明瞭。


 それだけが判明した直後、彼のステルス艇は足を止め、沈没を始めた。



(何が原因で沈没したか不明……ね)

(きっと犯人の仕業だ)

(どう考えてもSRだな)



 ため息をつくディマとお茶を流し込むボルト。

 ふと――2人の脳裏にとある話が思い浮かびあがり――光と影の魔女の意見が一致する。



『何年か前――』



 重奏。向かい合う光と影。

 魔女2人の行動が不一致を始める。



「何年か前、プロジェクトの末期に研究施設の一つが炎上した事故が報告されていたわよね?」

「ねぇ、パイロン。

 菊華石榴鶏と翡翠炒帯子のブロッコリー少なめのやつと西米露と鳳梨蝦球のエビ多めのマヨ少量。それから家常豆腐と叉焼飯、辣子鶏丁。それぞれ5皿ずつね」



 注文を受けてパイロンが部屋を出ていく。

 ディマの話にワルクスが頷き、芹真が確認を求める。



「確か、カナダの孤児院じゃなかったか?」

「それよ」


「確か、ヒーローズのアイツもそこの出身だったよな?」


「本部にいるかどうかわからないが、これから確認を取ってみる」



 テーブルから離れた沙悟浄は、パイロンの手伝いに向かう。



「一般人と正SR、パンドラSRを含め、40名余りの死者を出し、それでも犯人が誰なのか特定できなかったあの……」



 ディマが頷く。

 ワルクスにとっても、芹真にとっても盲点だった過去の事例。



「確かにあの時、体の一部を失くした死体がいくつか確認されていたな」


「ああ。

 言われてみれば、今回の被害者と死因が一致する」


「最初はメイトスが関与しているのかと疑われたけど、手口が単独犯によるものじゃないことなどからメイトスである線は完全に消えた。

 そして凶器不明、犯人不定。捜査は難航して打ち切られた」


「ということは今回の事件、その孤児院と同じ犯人による可能性が高いってことだな」


「或いは孤児院の出身者という可能性が……」


「おそらく孤児に因るものだろう。パンドラSRの制御不能による事故は何件か確認されていたんだからな」



 絞られてゆく犯人像。

 芹真はそれを慎重に確認し、ワルクスは芹真の質問に答える。

 孤児院炎上事件解明に加わっていたディマの脳裏に写真で見た諸々の死体や、直接目の当たりにした焼け跡が浮かび上がった。

 どんなSRが死体調査を行っても一切手がかりが掴めなかった怪事件。

 姿の見えない凶器。刃物でなく、銃器の類でもない。


 他に考えられるものは、SRの力をおいて他にない。



(正体の分からなかった凶器が、今回でその正体を掴めるかもしれない)


「ワルクス〜、その孤児院から生き延びた人はいる〜?」



 功夫茶を啜りながらボルトは質問する。

 少なからずSRの生存者がいるという確信めいたものがあり、今も生きているのなら貴重な情報源になりうる存在であった。今回の事件を解く鍵になるなら護衛が必要になる。

 関係者ばかりが狙われているというなら、生存者というだけで狙われる可能性だってあった。



「ほとんどが行方不明だ。

 当時確認された生存者は指の数ほどしかいなかったはずだ」


「最初の軍人もか?」



 頭を抱えるワルクス。

 助け舟にならないかと犠牲者のことを思い出す芹真だが、しかし、



「いいえ。

 彼らは確認されてはいけない存在のはず。秘密裏に雇用されていた。

 SRと一般人に守られた研究所だった」



 ディマの代弁にワルクスが頷く。

 その事件の通報は協会にとってあまりにも印象が強く、当時連絡を受けたSRはそのことを克明に報告書へと電話越しの様相を書き残していた。

 その資料にはディマもワルクスも目を通していた。



「でも〜、当時パンドラに関わっていた誰かがこの近くにいることは間違いないんじゃないの〜?」


「そう、ボルトの言う通りだ。その可能性は高い。

 それで、清水峰(しみね)警察署長にも協力を仰げるよう手配してもらった。

 その事件に関わっていたと思われる人物の特定、現在地などを確認してもらっている」



 芹真はそれまでの話の中に、少しだけ気になる箇所を見つけた。

 過去に起こった孤児院炎上事件。

 生存の確認された者たちだ。



「なぁ、孤児院の生存者を確認、または目撃したのは誰だ?

 現場に居た誰かってことだよな?」



 芹真の質問にディマ、ワルクスの動きが止まる。

 ボルトは新たに茶を取りながらディマらの心境を読んでいく。



「誰なのか……それが、わからないんだよ」


「匿名の連絡があって、それで協会の部隊が駆けつけた。

 どこから掛けたのか特定する暇もなく電話は切られ、半信半疑で現場に急行したが時既に遅しよ」


「通話を録音していないのか?」


「当時の協会は大規模な改装・メンテナンス中。

 その他にもあらゆる条件が重なって録音はしていない……というより録音されていなかった」



 2人の説明に納得して芹真は頭を切り替えた。

 いま自分に出来ることは当時の生存者、或いは関係者を護衛すること。うまく事が運べば事件解決の糸口を掴める可能性もあり、また解決にまで至る可能性もあった。その代わり、犯人からの接触があることを可能性に入れると、そのリスクは以外と大きい。

 それでもそれが自分にできることなら、やらない理由は無い。



「じゃあ、ワルクスはアヌビスや署長らと連携して夜間の巡回を強化してくれ。

 ディマは孤児院事件に関する資料を取り寄せられないか?」


「可能よ」


「頼む。

 俺の事務所で生存者を探してみる。

 殺人が終わる気配がない以上、近隣に生存者や関係者がいるのは間違いない」



 ワルクスの眉がつりあがる。

 何を根拠に芹真は“終わる気配がない”と言ったのか。



「芹真さんの勘だよ〜

 こういう時に限って、ほぼ確実に当たるんだ〜」



 ワルクスですら知らない一面を語るボルトが、新たな皿に手を伸ばす。

 伸びたボルトの腕を掴むディマが芹真に向く。



「芹真、あなたの口から聞きたい。

 あなたはこの事件をどう思っている?」


「なら、先に心を読むな。

 俺は、これがただの復讐劇ではないと考えている。

 犯人がパンドラの関係者とはいえ、それ以外の関係者複数人が何の理由も無く、同時に一つの国に集まるとは思えない」



 あくまで仮説である。

 幸運にも研究施設である孤児院から生き延びた者、またはそれに関与していた者達が、ほぼ同時にそれぞれ違う経緯を経て同じ場所に集まる。

 偶然とは考えにくい。

 一応偶然も可能性に入れておくにしても、その確率は極めて低い。



「もしかすれば、近隣の県の何処かで器実験が行われようとしているのかもしれない」



 詳しい動機が掴めない犯行。

 少しでも可能性があるものといえば、パンドラの系統実験“器”である。



「……確かに」



 不自然な現状に気付き、ワルクスは手元の資料にメモを始める。

 ディマは席を立ち、扉へと向かった。



「芹真。器実験は私達が見つけて潰す。

 あなたは関係者達の発見に全力を注ぎなさい。

 特にボルト。いいわね?」


「言われなくてもわかってるも〜んだ!」



 影の中に消えるディマ。

 すれ違いで入室するパイロンと沙悟浄。

 運ばれた料理に目を輝かせるボルト。


 リニューアルしたパイロンの店の食材の半分がボルトによって消費された頃、空はオレンジ色に傾いていた。


 協会が四凶の動きに注目するようになった矢先、自分の近くで起こった異変。

 芹真は心のどこかで四凶の気配を感じていた。



(例えば、悪を生む悪。キュウキ)



 人を自然に暗黒面へと導く者。

 今回の殺人が導かれた殺人だとしたら、黒幕の最有力候補に挙げられるのは四凶だろう。

 しかし、それが芹真には理解できない。

 仮に黒幕が四凶だとしたら、何が目的でこんなことをしているのか。



(犯人の目的は何なんだろう?)



 リビングでテレビと、カレーに夢中な翼へと交互に目を配るトキ。

 テレビで流れる特番を見て、トキは自分なりの殺人事件に対する感想を抱いた。

 凶器不明、動機不明。

 頭に浮かぶ翼の言葉――狂っているとは思わないか?――そのことについても真面目に頭を回す。

 人が悪いのか、国が悪いのか、人類が悪いのか。

 “そもそも何が悪い”などという概念は必要なのか。 本当は何も悪くなんかないのではないか。



(悪が悪くないんなら、正義が悪いのか?)



 そこでトキは自分の思考に発生した矛盾に気付いて一度考えるのをやめた。



(私にも分かんないや)



 腹を満たされたボルトは夕焼けの空を見上げながら思った。


 正直、怖いと。

 猟奇殺人がSRの仕業によるものということは理解できた。

 しかし、犯人のSRという凶器に対しては、まったく予測が立たない。

 空間圧縮の魔法でも、まして火炎、重力、光撃のどれとも違うものが被害者の傷口に僅かだけ残っていた。

 未知の何か。その何かが理解できない。

 魔法の類による殺人なら、ディマやセンを始めとする魔法使い達、そして協会が黙ってはいない。魔法使いにも掟はある。自分のように軽々と掟を破る者は滅多に出てこないという確信もある。


 だからこそ、恐怖すべきものがある。

 テレビで騒がれるほどの大事。大胆すぎるSRを用いた殺人。

 一般人まで巻き込む決意。

 浮かばない犯人像。 素顔の割れない候補者。 未知の殺傷能力、SR。

 自分が心の底から怖いと思うこと自体久しいボルトは、珍しく芹真と手を繋いだまま事務所まで帰った。


 “せめて最も犯人像に近い候補者さえ絞れるのなら……”


 不安を紛らわすために芹真を勝手に読心し、その意見に賛成した。



(居ない?)



 藍が初めて彼女の異変に気付いたのは1ヶ月前。事件が流れ始めた頃からだった。

 挙動不審から始まる連続殺人に関する異常な反応。

 その結果、藍は色々と気になり、ここに来た。

 表札に記された『奈倉』の2文字。

 互いにSRを持つ者同士、腹を割って話してもらえないかと密かな期待を抱いていた。


 しかし、今回の事件は藍が思っていた以上――

 奈倉愛院はこの事件に特別な思い入れがあるものだと――彼女の部屋に不法侵入をして――初めて知った。


 荒らされた部屋。

 床に散らばる弾丸やナイフの数々。

 防弾チョッキや符術士が使う対魔用の攻符に護符。

 呪詛を封じ込めた呪術用の剣など、数え切れない凶器が部屋一面に散らばり、壁や床を傷つけていた。



「まさか……彼女も関係者の1人だったの?」



 部屋の一角で写真を拾い上げ、その中に彼女の姿を確認する。

 焦りと苛立ちが募り、藍は踵を返して部屋を後にした。

 無人の個室に静寂と得物達が残され、部屋の一角に散らばる写真が僅かな風に揺れる。


 彼女(なぐら)が妙な行動を起こさないことを祈りつつ、藍は全速力で芹真事務所を目指した。

 部屋を出る際に手にした写真と共に。




 

 


「嘘……だろ?」



 4月18日――翌朝の早朝。


 白州唯の国道沿いの交差点にて――


 4人目の犠牲者が確認された。


 その日のうちにテレビで報道された情報はごく僅かで、しかし事件の発生に白州唯の街は騒然とした。

 あまりにも身近な殺人。

 現場となった自分達の街。

 知らない人の死。


 しかし、死んでしまった知人――アックスアヌビスの死。


 ハルバートの携帯電話が音を立てて落ちる。

 それは初めてのSRの殺害。であり、同僚との死別。


 受け入れられない同僚の死に、一頭のアヌビスが(こく)す。

 同じ街に残された数少ないアヌビスというSR。


 それは日本を中心とした様々なSR達に強い影響を及ぼした。



 

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