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Second Real/Virtual  作者:
30/72

第29話-そこにいた彼女-

 

 一体、何ヶ月続けているのだろう。


 遭遇しては、止まり。


 逃がされても、次の遭遇で逃がされる前の状況に戻ってしまう。


 だが、それは昨日までの話だ。


 少女は外部での作業が順調であることを悟り、今まで以上に気合を入れてトキの救出へと向かった。


 


 上空をカラスが通り過ぎていった。

 夕のオレンジが暗やみ、暗い夜の訪れを報せる。


 人気の無い通りで、トキは1人蹲(うずくま)っていた。


 人は常に迷い続け、いつかは途方に暮れる。


 生きていくための標。

 死までの経歴。


 その一環が、迷走。

 個々に程度の差はあるものの、迷走は必ずしもやってくる。


 問題は、その暗闇に囚われ続けないか否かである。



「やっと見つけた」



 蹲るトキの前に立ち、周囲を見渡す。


 ここはトキの中。


 周りの景色は、トキが見てきた暗い記憶。

 母を失ってからの孤独な生活。いじめの絶えない学校生活。



「さ、立って」



 目の前に立つ、サイドテールの少女を見上げながら、トキは差し伸べられた手を取って立ち上がる。 そんなトキの目の前を空き缶が飛び過ぎていく。

 次の空き缶が飛んでくる前に少女はトキの手を引いて走り出していた。


 夕焼けを背に受け、夜闇を目指す。


 暗い道を走り続けると、真昼の校舎裏に出た。

 そこで握っていたトキの手の感触が消えたことに気付いて、周囲に目を配り、トキの姿を探す。



「早くやれよ」



 背後へ目を向けると、そこには指の数ほどの年上に囲まれた小学生のトキがいた。


 手には薬品の入った瓶。

 足元には、逃げられないようカゴに閉じ込められた兎。 兎は体毛の所々が短めに切られていた。

 そこで何が起こっているのか、少女は瞬時に理解する。



「殺さないと、お前殺すよ?」



 トキを取り囲む上級生らが脅迫を続け、兎に目を落としたトキは固まったまま動かない。

 それは典型的な暴力による虐め。

 小学生の――精神的に塞ぎこんでいる――トキに、この状況を切り抜けるだけの力はなく、また度胸さえ備わっていなかった。


 抵抗する気概はないが、トキには兎を殺せない理由があった。



(あの事故のことが頭から離れないのね……)



 本能的に“死”というモノを理解しているのだと解釈し、少女は少年達の輪に歩み寄る。

 トキの経験してきたことが警鐘を鳴らし続けていた。


 少しでも液体を降りかけてしまえば、兎は死んでしまう。

 この兎はそれほどまでに弱っている。

 自分が、殺してしまうのか。



「ほら!早くかけろよ!」


「いやだ……」



 震えを必死に止めようとトキは声を出したが、上級生の1人が手首を掴み、力任せにトキを促し始めた。

 力では勝てない。抗えない。

 薬瓶を握った手が兎の頭上で止まり、傾き始める。

 そうなる前に瓶を捨てれば良かったと後悔するが、遅い。打開策がひとつも浮かんでこないまま瓶は少しずつ角度を変えてゆく。


 トキの目じりから涙が滲み、流れてゆく。



「どうせ、お前のクラスの奴らが泣いてあげるんだからさ、いいだろ?」



 泣き出すトキに、上級生達は無理やり迫る。

 トキの泣く様に嗜虐性をくすぐられ、強制・強迫が加熱し、蓋の外れた薬瓶が更に傾く。


 懇願するトキ。

 零れ始める濃硫酸。

 短く切られた体毛では、濃硫酸から皮膚を守ることは出来なかった。液体が付着し、脱水作用を起こし、発熱が起こる。

 必死で液体から逃れようともがく兎。

 トキは目を逸らしながら懇願を続けたが、誰も聞く耳を持たない。


 罪悪感と怒りで周囲の景色、トキの記憶が歪む。



「行こう。トキ」



 歪みが校舎のコンクリートにひびを入れた瞬間、あらゆるものが停止する。

 零れる液体から、歪む景色、上級生、風の音や車の騒音まで、何もかも。有機無機を問わずに行動や現象が止まっていく。

 そんな停止した時の中、トキは上級生の腕の中から抜け出し、足元の金網を外し、痙攣する兎に触れた。

 手を当てたまま数秒、十数秒、数十秒と経過していく。

 が、トキが動き出す気配はない。



「無駄よ。

 ここは記憶の中。

 現実にあったものの反映で、現実だけど過去だから、いまそこに無い。

 仮想よ」


「……」


「クロノセプター」



 沈黙を続けるトキの姿が、小学生から中学時代の制服姿へと変わる。

 触れていた兎は消え、再び夕焼けが2人を包んだ。










 Second Real/Virtual


  -第29話-


 -そこにいた彼女-










 膝をつくトキを立たせようと少女が腕を伸ばしたが、それよりも早く、別の腕がトキの方へと伸びていた。



「大丈夫かトキ?」


(この人は確か……村崎翼)


「あ……あぁ」



 力なく答えるトキに対し、通称:エロティカで名の通る翼はトキを立たせ、それから笑顔で質問を始めた。

 一体何に悩んでいるのか。

 言い難いものか。

 深刻なのか、等々。

 立ち上がったトキと翼は信号が青に変わるのを待ち、少女もトキの隣――翼の反対側――に立って、信号が変わるのを見守った。



「本当に大丈夫なのか?」


「まぁ……な」


「顔色はいたって正常、とはお世辞でも言えないぞ?」



 寝不足だと答えるトキの手を、少女は強く握った。

 小学校時に比べていじめや陰湿なイタズラは減っていたが、全くなくなったというわけでもなかった。金銭目的でトキに群がる上級生や、上下関係を知らない後輩の嫌がらせに、頭を抱えていたのが、中学時代のトキである。



「そりゃ……」



 本気で心配してくれる翼に、トキは言葉を詰まらせた。


 直後に響く轟音。

 巡り巡っていた思考が、その音によって遮られた。


 数メートル先で起こった衝突事故。


 金属のぶつかり合う音。

 コンクリートを擦る音。

 吹き付ける爆風。

 弾ける飛ぶ残骸。

 周囲に衝撃を撒き散らし、トラックと乗用車が炎上を始める。


 信号を待っていた多くの人々がその衝撃で地面に伏していた。

 トキや翼、少女も例外なくその爆風から逃れようと地面に伏したのだ。が、



「事故だトキ!」



 起き上がった翼が叫ぶ。

 事故の起こった一帯が惨憺たる有様であることは明確だった。


 爆発による怪我人。

 二次災害に巻き込まれた人々。

 撒き散らされた火炎。

 集まる野次馬達。

 混乱に理性を掻き乱された人間たち。



「携帯を持っていたな!

 消防に連絡……――」



 翼が気付くより早く、少女はトキの異変に気付いていた。

 顔を抑えてもがくもがくトキに手を伸ばし、両手を押さえて顔を覗き込む。



(ガラスの破片)



 爆発の起こった場所に目を向け、トキへと視線を戻した。

 少女の目とトキの目が合い、右目に視線を注ぎ、現状を確認する。


 斜め下から、眼球に刺さっている。

 破片の形状は細長く、非常に鋭利なものだった。


 少女の手を振り解こうとトキがもがく。そんなトキの両手を押さえて伝える。



「抜いちゃ駄目。

 それを抜いたら、目から光が消える」


「抜くな! トキ!」



 少女の行動に、翼の行動が重なった。

 両腕を押さえ、懸命に叫び掛ける。



「現実……じゃ、ない……だろ?」



 ため息をひとつつき、少女の左手がトキの右目を軽く覆う。



「止まって」



 宣言と同時、周囲のざわめきが消え、静寂が訪れる。

 静止した世界の中で、少女は左手に意識を傾けた。

 突き刺さったガラスを抜こうと伸ばしたトキの手が、少女の意識を揺らす。


 手をのけると、トキの眼に刺さっていたガラスの破片は消え、傷も綺麗に消えていた。



「これで大丈夫だから。

 さぁ――」



 更に止まった世界に少女の声が響く。

 右手をトキの頬に当て、



「あっちに行こう」



 止まった世界にトキを引き込む。



「え――あれ?」



 負傷した右目を押さえるトキの手を取り、少女は走り出す。


 何も言わずに走り出した少女に連れられ、トキは夕方の街を抜け、海に出て、すぐに引き返して教室に戻り、そこから商店街に出たところでふと、気付いた。



「君は……いつも俺を引っ張っているけど、誰?」


「誰でしょう?」



 見向きもしない少女は蒼穹を見上げ、周囲に目を配って行き先を決める。



「やっと、私に意見できるようになったんだ」



 商店街を出て、高校の体育館に移動した時、少女はそう言った。あまりにも長い間に、トキは自分の投げた質問内容を忘れかけていた。



「え?」



 コウボウや友樹の質問と同時。

 タイミングの悪さにトキは台詞の前半を聞き逃し、遺憾なことにもう一度聞く余裕などなく、また与えられなかった。



「こっち!」



 体育館の2階ギャラリーへと続く階段を上り、そのまま放送室を目指して走る。

 手すりから見下ろす階下では、見慣れたジャージに身を包み、バドミントンにうちこむクラスメイト達の姿が見られた。



「順調に覚醒に近付いている」


「え? な――?」


「自分がいま、どんな状況にいるかわかる?」



 放送室の扉に手をかけるのと質問を受けたのはほぼ同時だった。

 トキは周囲と自分の服に目を落とし、ありのままを伝える。


 が、少女はその回答に首を横に振った。

 ドアノブを握ったまま少女は現実で起こっていることをありのままトキに伝える。



「眠っているってわからない?」


「眠っているって、何で――」



 普段施錠されているはずの放送室の扉が開く。

 少女は口をつぐみ、トキもそれに倣う。


 2人は暗やみに飛び込み、踏み入れた足が揺れる足場を捉えたことに軽く戸惑った。

 ソレが暗い場所から明るい場所に出た時、自分達がどんな状況に置かれているのか確認する。



「っ……電車?」


「この電車は覚えている?」



 少し間を置いてトキは頷き、後をふり返った。

 そこには揉める青年と老年の男の姿があり、周囲には2人の揉める様を他人事と決め込んで傍観する他の乗客たち。

 その中にが1年3組中立派の顔もみられた。



「……友達との旅行で、行きの電車の中で喧嘩が起こって大騒ぎになって、それで――」


「目覚めは近いわね」



 遮られた台詞にトキは肩をすくめる。


 寝ているという気がしない。 ここが夢という実感が無い。


 それらの感覚がトキにデジャヴュを実感させていた。

 寝ているらしい現実。現実のような夢の中。自分の記憶の連続。

 今回が初めてではない、この感覚。



「でも寝ているの。

 行こう。 ここにいても現実に辿り着けない」


「現実……本当に、俺は寝ているのか?」



 2人は人気の少ない車両を探して歩きまわり、最前車両まで来て足を止めた。

 後の車両で起こった喧嘩のため、車掌は運転席に居なかった。 オートパイロットで走り続ける電車の外に目をやる。



「ここが現実だと思っているの?」


「そんな気もするんだ」


「それはそうよね。

 これらはトキの過去だもの」



 少女の手がトキの手を取る。

 今見ているこの景色が自分の記憶の一部だということを認めたトキだが、



「でも、悪いが俺の記憶に君は――」


「今初めて見た、見たことが無い、でしょ?」



 心の内を読まれたトキの口が止まる。

 少なくとも、トキは目の前の少女と出会ったことはない。



「……君は、SRか?」


「止まれ」



 騒音と振動が消える。

 静止した世界で、トキと名も知らぬ少女の2人だけが動いた。



「タイム……リーダー?」


「トキも使えるはずよ?」



 握られた手を振り解き、トキは少女と距離を置く。

 自分(トキ)の意思を反映させたわけでもなく止まった世界。 平然と世界を止めてみせた少女。

 予想外な自分以外のタイムリーダーとの邂逅。



「この使い方も、トキにはできるのよ?」



 しかし、少女に敵意や殺意はなく、むしろトキに協力しようという姿勢を見せ付けていた。



「この使い方?」


「うん。

 トキは今まで、誰かをこういう世界に引き込んだことはある?

 今までは、自分ひとりだけが静止世界を動いていた。それは分かるよね」



 言われてトキは自分の能力を再確認する。

 イマルの時も、ウラフの時もそうだ。

 静止した世界で自由に行動していたのは自分ひとり。


 それと比較して、いま置かれた状況を整理してみると、



(電車の揺れが止まっている……人の声も聞こえない)



 完膚無き時間静止。

 タイムリーダーの効力と一致する現象。

 しかし、今までと違うところは静止世界に2人いることだった。



「君が、俺を引き込んだのか?」


「もちろん。

 これはトキにも出来ることよ」



 少女が手を伸ばす。

 トキはその手に目を落とし、素早く少女の顔に視線を持っていく。



「この悪夢から救ってあげる」


「悪夢……」



 差し伸べられた手を取ろうか、トキは迷っていた。

 本能が何かを訴えている。

 警告のような、推奨しているような、警鐘のような……



「ここにいたら、あと2年は眠ったままよ」


「2年も?」


「ええ」


「君は誰だ?」



 唐突な質問に少女は笑みを浮かべるだけで、電車の窓を指差す。

 トキは連れられ、そちらに顔を向け、体を向けるが、そこに特別な何かが見えたわけではなく、また何かあったわけでもない。



「そこから出るよ」


「出るって、窓から!?」


「そう。

 窓から行くわよ」


「ここ鉄橋の上だよ!?

 しかも、下は谷――!」


「行く、の!」



 少女に手を取られ、トキはその怪力に虚を突かれ、少女と共に窓を割って外に飛び出した。


 割れた窓ガラスと共に宙を舞う2人の目に――目前に――地面が迫った。



(……これは!)



 トキの視界に、夏の学校敷地内の風景が飛び込んだ。

 快晴の日差し。

 揺れる新緑。

 静寂に包まれた白州唯高校と、その周辺一帯。

 少女はその場に膝をついて着地し、トキは着地に失敗して地面を転がり、その拍子にガラスの破片で皮膚と肉を切ってしまう。



「逃げなきゃ……」


「どういう状況かわかる?」


「イマル・リーゼって奴がいて、学校の皆を夢の住人って言う兵隊にしているんだ!」


「思い出した?」



 少女の質問に、踵を返したトキの足が止まる。



「毎日毎日、同じような夢ばかり見て、それでも異変には気付かない」


「……」



 振り返ると、目前に彼女はいた。



「……そうだ。俺は自覚していなかっただけだ」


「思い出せた?

 毎日毎日、似た悪夢を繰り返していることに」



 瞬きしたトキの視界から少女が消える。

 ふり返り、背後にその姿を見つけてから、少女の背中を追う。



「不思議なことに、初めて会う気がしない。

 そして、必ず夢のどこかにいて、俺の手を引いていた」


「そこまで思い出せたのなら、もう少しよ。

 トキはここで起こったことを覚えている?」



 左手で校舎の壁を指し、少女はトキに向く。

 トキは頷いて答える。

 忘れるはずない、と。


 2人は移動速度を今までよりも僅かに早めの速度で移動し、玄関の扉を押して、日陰の校舎内へと入った。



「問題はこの先よ」



 扉を潜る頃、トキはガラスの切り傷が跡形も無く消え去っていることに気付き、一呼吸置いてから応えた。



「何がある?」


「今までと同じ。トキの記憶。

 ただし、ここから先は……この先が最も厳しいわよ」



 扉を潜ると、そこはに暗闇が広がっていた。

 背後からの光は無い。

 どこが地面で、どこが壁なのか。

 立ちくらみさえ起こるような暗黒空間。


 ただ、前方に1つの光る扉があるだけで、他への寄り道を許さなかった。


 不意に暗闇の中にひとつの輪郭が浮かび上がる。

 人の形をしたそれは、トキにとって初対面ではなく、友好な関係を持つ者でもなかった。



「コントンよ」

「ああ、分かってる」



 正面から歩み寄るコントン。

 2人は足を止めずにコントンに向かって行った。

 少女が先頭となって進み、トキはその後を必死で追いかけながらコントンを睨む。



「私は、私の残留思念だ。

 何も出来ないから恐れることは無い。クククッ……」



 両者がすれ違う瞬間、先に口を開いたのはコントンだった。



「墓穴を掘ったわね」



 少女が放った言葉の意味を考えながら振り返ると、2人の背後でコントンは光の粒子となって散り、その姿を消した。



「前を見て、トキ。

 全力で走るよ」


「走る?」



 光に向かって暗闇を歩き続ける2人の視界に、オレンジが差し込んだ。



「行くよ!」



 少女に促され、トキは走り出す。

 前を走る少女の後を必死で付いて行こうとし、暗闇を抜けたそこに、オレンジ色の街を見かけた。


 足元の金属。

 左側へと曲がった少女を追う。



「止まれ!」

「一段:薄!」



 少女の声と、彼女の叫び声が重なる。

 その声に、トキは辺りを見回した。



(この光景は、アヌビス!)

「急いで!」



 トキは躊躇わず、全力で階段を上った。

 芹真事務所の裏口、階段。


 脳裏にこの後の屋上でのアヌビスとの戦闘を思い出し、トキは奥歯を噛みしめた。


 静止した世界を2人が駆けて行く。

 階段を上りきり、コンクリートの敷き詰められた広い屋上が目の前に広がった。


 屋上に出た2人は反対側を目指して走る。



「起きる気か?」



 2人の足が止まる。

 男は止めるつもりでそこに現れたのだ。



「ええ。

 トキはあなたに探し物をして来いと言われたからね。起こしてあげるのよ」


「そりゃあ、傑作だ」



 笑うコントンの横を通過し、2人は鉄柵に手をかけた。



「何もかも忘れ、やり直したいと考えたことはないか?」



 鉄柵を乗り越え、建物の端に立ち、コントンと向かい合う。

 やり直しを考えたことは無いか。

 失敗も、成功も問わない。

 大きかろうが、小さかろうが、もう一度挑みたいと。

 違う結果を得たいと考えたことは無いか。



「無くはないわよ」

「……俺も、無いとは言い切れない」



 少女とトキは並んで答え、少ししてからコントンは笑った。



「今ならまだ間に合うぞ。

 全てを忘れて夢から醒めれば、今まで通りの世界が君を待っている。

 どうだ? トキ。魅力的だとは思わないか?」


「俺の夢を一度でも見ればわかるさ。

 いままでの俺になく、いまの俺に必要なモノ。

 それが自分から面倒や困難に立ち向かっていけるほどの強い意志だ」



 茜色の景色が歪む。


 辛いことから目をそむけ、生きてきたトキ。

 これといった主張を持たないまま自分の世界を形成してきたトキ。

 望むだけ望み、実行に移すことがなかったトキ。


 傍らの少女と走り抜けてきた記憶の中、トキは自分の不甲斐なさを幾度となく目撃してきた。

 今までも何度か考えてきたことだ。

 弱い自分と決別するために必要なもの。得手不得手に関せず、自分から踏み出していく一歩の大切さ。



「つまり、戻る気はないんだな?

 これからお前のの人生が辛い殺し合いの連続で、死ぬまで続くとしても」


「生き残ってみせるさ」



 少女がトキの手を引く。

 引っ張られ、2人は屋上から身を投げ出した。


 着地まで2秒とかからない。



「なら、生き残ってみるがいいさ」



 顔を上げてみると、そこは車で埋まった駐車場だった。

 素早く体勢を立て直し、2人は走り抜ける。



「ここが近道だよ、トキ!」



 車の上を飛び越える。

 その背後を銃弾が通り過ぎ、無数の同一人物が駆け抜けていく。



(藍、それに……トウコツ)



 様々な音が交じり合う駐車場を横切り、路上と駐車場を遮るフェンスを目指す。

 ウィンドウが砕け、フェンスが歪み、車の片側が浮く。

 金属が断ち切られ、ボンネットがひしゃげる。

 ぶつかる剣と金棒。



「アイツがお前を助けたって、知っているか?」



 フェンスを乗り越える最中、コントンはトキの背に向け言った。 フェンスを登るトキの手が止まり、背後で藍と戦うトウコツ、次にコントンへと視線が移る。

 停止したトキを少女が戒める。



「トキ!」

(どうして……トウコツが?)



 考えながらトキはフェンスを越え、一気にアスファルトまで飛び降りる。

 振り返ってフェンス越しにコントンと向き合い、トキは質問を始めた。



「お前は、何を探しているんだ?」


「破片だよ。言っただろう。

 黒い金属のような、木のような物だ、と」



 少女が手を引く。

 より一層力強く、強引にトキを夕闇の中へ引っ張っていく。



「少し教えてやろう。

 舟の破片だよ」


「船?」



 2人の姿が夕の闇に消える。

 それを見送り、コントンの体が光の粒子となり、空気中に散った。






 騒然とする協会の会長室で、バースヤードは静かに報告を受けていた。


 四凶の動き。

 世界中のナイトメアの動き。

 協会の内の動き。

 小規模集団のの中での動き。


 それらの中から特に変わったものを中心に対処法を考え――それらの情報の中――1つの報告に我が耳を疑ってしまった。



「ちょっとみんな、静かにしてくれ。

 それで、ピーター。何だって?」


「妖精組合がSHMサーカスと協定を結びました」



 一斉に静まり返った室内に会長と指名された少年の声が反響する。



「そんな書類は見ていないぞ?」


「どうやら勝手に結んだようです」



 騒然とした室内でざわめきの度が増す。

 バースヤードは、それについて詳しく検討する臨時会議を午後の予定に入れ、一通りの報告を終えてからジャンヌを室内に呼んだ。



「芹真事務所の様子はどうなった?」


「妙な行動を見せてから今日で2ヶ月。

 先程、トウコツからの報告でその詳細が分かりました」


「見張っておいて正解だな。

 芹真事務所は何をしようとしていた?」


「聞いた話では、トキが目覚める、と言っていたらしく、そのことからトキを覚醒させる方法を見つけたのだと」


「なるほどね」



 重ねられた書類の山から一冊の報告書を抜き出し、ペンを運ぶ。



「クリーニング店は?」


「しっかり芹真事務所を監視しているようです」


「なら良し、と。

 この書類を送ってくれないか?」


「分かりました。

 それで、午後の会議のメンバーはいかがいたします?」


「実行部隊と千里眼部隊、それから映像通信で仙太郎、ジーク、トウコツを呼び出してくれ」


「了解」


「あぁ、それとその書類。

 内容は機密扱いだからさ、間違っても覗かれないように色々施しておいてくれ」


「わかりました。

 どれくらいやっていいんですか?」


「触れた瞬間に心臓麻痺起こすくらい、かな」



 了解と一言残して室内を去ったジャンヌにバースヤードは冷や汗を覚えた。


 ――過去に放ったジョークのどれもが実現したっけ?

 ――そういえば、彼女に冗談は通じなかったような……


 5、6人が医務室送りにされる様子が易々と頭にイメージとして浮かぶ。

 死人が出ないことを祈りつつ、バースヤードは再び妖精組合とSHMサーカスの情報について頭を回転させた。



(四凶の動向に注目している最中にこれか。 彼らも何かを掴んだな……)



 数分の思考の果て、SHMサーカスと接触させるべきSRのメンバーをまとめた。






 火炎に包まれたトキと少女は、全力で壁から時間を奪ってそこに穴をあけていた。



「しつこく聞くが、これは本当に夢なのか?」


「しつこく答えるわ。感触があるのは当然よ。

 これはトキが過去に経験したことのリプレイなんだから。

 炎に触れなくても火傷はするし、どんなにその場から離れていても実際に切られたところが切れたり、撃たれたところに穴が開いたりもする」



 壁に大きな穴が穿たれる。

 少女が火炎に包まれた監獄から救った娘を抱えて空に飛び出し、その後にトキが続いた。



「ねぇ、トキ。

 あなたは何処まで行ける?」


「え?」


「おそらく、次が最後にして最大の試練になると思うわ。

 きっと逃げたくなるし、諦めるかもしれない」



 現実を避け、夢の世界を生きてゆく。

 容赦なく続く現実から逃れ、仮初の理想で安泰を望む。



「現実まで行ける気はする?」



 空中に飛び出したトキは、景色が雲と夜空に彩られた高空から、周囲を民家に囲まれた桜色の白州唯の一画に変わったことに僅か動揺した。


 周囲の変化と同時に体中に激痛が走る。

 意識を遠ざける痛みの高波。

 頭に、体中に、心に響く痛み。

 足が地面に着く頃、トキの顔は痛みで歪んでいた。

 体を支えていた両足から力が抜け、その場に崩れるのを少女は見届ける。



「それ以上の痛みが外の世界には待っているんだぞ?」



 激痛に耐えながら見上げるトキの視界に、残留思念のコントンが映る。

 少女の双眸もコントンを捉え、3人の間に重たい静寂が降りた。



「これ以上の……痛み?」


「今のそれが最大級の痛みだと勘違いするなよ。

 世の中、お前が想像するよりも遥かに巨大で絶望的なダメージが存在する」



 それがコントンからの最後警告だった。



「引き返せ、トキ。

 いま起きると、お前の人生は決して楽しめるものにはならない」


「だからって……寝ていて、俺の人生が明るく……なるわけじゃないんなら……」



 這いずるトキの傍に少女は移動し、腕を貸して立たせる。

 僅かな動作に伴う激痛に耐えながらもトキは言葉を繋ぐ。



「つまらなくても、進めば……それは、俺の現実だ」



 肩を借りて立ち上がったトキは、1歩ずつ前進してコントンの脇を抜ける。

 傍らでトキを支える少女は口をつぐんだままコントンを睨む。



「トキ。

 近い将来、私の本体がお前を絶望の淵へと追い込むだろう」


「やって……みやがれ」



 咳き込みながらトキは重たい足を1歩前へと出す。

 その背後でコントンは粒子となって散った。

 コントンの残留思念が消滅して数秒、少女が静寂を破る。



「トキ。

 あなたが進むなら私はいつでも、いつまでも見守っている」



 静止した世界で2人は前進を続ける。

 少女の言葉を理解することが出来ず、トキは困惑したまま耳を貸した。

 すると、多くの傷を負ったトキを支える腕を解きつつ、少女はトキの背後に回り、



「トキはさ、もう覚悟しているんだよね?」

 

「え?」


「これから起こる現実……すべて受け入れられるよね?」



 唐突に切り出した少女の言葉にトキは無言で頷き、少女の言葉を待った。



「トキのお母さんがどうして死んだか、知っている?」


「……なっ!?」



 顔を向けると、背後にいたはずの彼女はいなかった。

 周囲に視線を配るが見当たらず、しかし、少女の声はトキの耳に伝わり続けていた。



『全ての糸を裏で引いていたのはコントンなのよ』



 次にトキは自分の体の異変に気付いた。

 先ほどまでの激痛が消えている。

 トキは夜の白州唯を駆け、暗闇の中に続く道を直進し、記憶に映っていないコントンを目指した。



『トウコツとクワニーの組み合わせもコントンによる改竄よ』



 その疾走速度にトキ自身軽く驚きを覚えつつ、姿を消した少女の身を案じて走る。

 積もった雪を踏みしめ、冷たい雪を押しのけ、暗闇の奥へ、奥へと突き進む。



『ある日、コントンの計画に気付いた私たちは、その計画の鍵となるモノの一部を分割し、部品としてそれぞれ隠し持ったまま世界中に散らばった。

 しかし、妖精と絶対神判による計画阻止は、コントンの逆鱗に触れた』


「計画?」


『四凶の保存よ』


「四凶の、保存?」



 様々な考えを巡らせながらトキは走る。

 四凶の保存。

 それが何を意味するのか、トキには見当がつかない。



『激怒したコントンはいくつもの布石と何重もの罠を張り巡らせ、部品を隠し持つ者を1人ずつ追い詰めて行った』


「母さんも、その1人だった……」


『……それでも、1つだけ誤算があった。

 コントンは私達が分割したパーツの入手に至らなかった。

 自分で張った罠が仇になって回収が困難になったのよ。その現場に誰が居たかわかる?』



 トキの脳裏に罪の呪術師が浮かび、トウコツが浮かぶ。


 そして、色世 時の復活。

 1人の目撃者も許さないほど追い詰められた状況で、コントンは破片の回収を諦めざるを得なかった。

 また、目撃者がたった1人というわけでもなかったこともあったのだ。

 視認できず、知覚出来ないが、クワニーやトウコツ以外の誰かがあの場所を見張っていた。



「君は、母さんを知っているのか?」


『よく知っているわ』


「母さんとコントン。

 どちらが強いかはわからないか?」


『そこまで分からないけど、どっちもどっちだと思うわよ。

 トキ、あなただってそう。

 自分に出来ることに全力を注げば、誰だってそれなりに現実と立ち向かっていけるもの。コントンとも対峙できる』



 視界に光り輝く輪郭が映る。

 コントン。

 暗闇の奥に向かって進むその途中、背後から迫ったトキへと振り返った。



「だが、忘れるな。

 ここがお前の記憶と半覚醒意識の狭間だから、俺に近づけるだけだ。

 現実で同じ通りに行かない」


「わかっている!」



 トキの手に光が集まる。

 それが――時間による創造――トキの力。

 光はトキの持つナイフのイメージを模り、次に質量を持つ現実へと昇華させる。



『残留思念を――!』



 トキの短剣による刺突がコントンの胸を捉える。

 その直後、傷口から目が眩むほど眩い光が漏れ出した。

 温かい光。

 優しい光。

 柔らかい光。

 それらがトキを包み、暗闇の白州唯を白闇に染めていく。



(温……かい?)



 目を開くと、トキはそれまでと一変した空間に居た。


 明るい白に包まれた空間。

 上下左右の概念が通じない純白世界。

 そこは時間さえ感じさせない。生命さえも。



「……ここは?」


「あれ?」



 突然、景色の変化に戸惑うトキの背に、若い男性の声がかかった。

 振り返ったトキは背後の日本人少年の姿を確認して戸惑いを深化させてしまう。


 自分と同じくらいの年恰好。



「もしかして、シキヨトキ君ですか?」


「……そうですが、あんたは?」



 一見大人しい風貌をした少年だが、トキは警戒を解かなかった。

 親しそうな態度を取っているが、ここが自分の記憶であると言われた以上、目の前にいる少年は一般人ではない。



「ボルト何とかさんに頼まれて君をここから連れ出しに来たんだけど……いや、君の神層も中々珍しいものだね。

 これだけ明るい神層なんて今まで数回しか見たことないよ。数回といっても、一人の神層を何回も見たってことだけどさ」


「……はい?」



 奇怪なことを言う少年が周囲に目を配りながらトキに歩み寄る。

 思ってもいなかった言葉や聞きなれない言葉にトキはスカを食らった気分になり、思わず肩から力を抜いた。



「えぇと、俺は無我。

 無我 ユウ」



 差し出された右手。

 握手を求める手を握り返し、それでも訝しむトキを察した無我は説明を始める。



「信じてもらえないだろうけど、俺、この世界の人間じゃないんだ」


「へ――?」



 トキは――異世界の人間――その言葉が脳裏を掠めた瞬間、性別が裏返った夏の日を思い出していた。

 が、体の異常はどこにも見当たらない。

 当然といえば当然だが、ここは心の世界である。精神に性別などない。養われていく知識が男女という概念をつくっていくのだ。

 よって、この世界で性別が反転していようがしていまいがトキはトキであって、自分の性別が男だと認識され無意識の中のひとかけらとして植えつけられた観念が優先される。



「俺達の世界じゃ、この場所は神層って言っているんだ」


「シンソウ?」


「意識的迷子は大抵ここに迷い込むんだ。

 だから、意識不明者を起こす場合はまずここに来て、ここにいなかったら他を探すっていうのが俺の仕事だったんだ」


「それで、今は俺を?」


「みんな心配してたよ」


「……いま、帰れるんですか?」


「俺が帰してやる」



 無我はそう言って自分の胸に拳を当てて誓う。

 トキは疑心暗鬼で、目の前の少年に聞いた。

 信頼できる人間であることは直感でわかる。



「どうして異世界の……しかも、赤の他人である俺を助けるんですか?」



 トキは、無我という人物が本当に信頼できる人間であると確信を持つためのもう一押しを求めた。

 世界を超えてまで現れた少年。

 今日初めて会うのに嫌そうな表情一つ浮かべない少年。

 無我 ユウ。

 彼の回答は単純だった。



「俺にしかできないからだよ」



 トキの中で針が音を立てた。

 何かがはまり、同時に何かが外れる。

 それが何なのかも分からないうち、トキは自分の意思を無我に伝えていた。



「お願いします」



 無我は四の五の言わず、トキの両手を取って握った。

 握られた手から無我の熱が伝わり、指先から透き通るような感覚が全身へと巡りだす。



「目を閉じていた方が良いよ。

 何ヶ月も寝ているんだから、いきなり目を開けたら痛いだろうし」



 無我の忠告を聞きながら、透けていく体を見回しながら、トキは先ほどまで一緒に居た少女のことを考えていた。

 悪夢に遭遇する度にその(ゆめ)から自分を遠ざけ、救ってくれた彼女は一体何者だったのか。名前も聞いていない、何故助けてくれるのかも聞いていない、聞きたいことは山ほどあった。



『気にしないで。

 私はいつでもここにいるから』


「え?」



 何の前触れもなく、再び少女の声がトキの頭に響く。

 虚を突かれて声を上げたトキに虚を突かれ、無我が肩を上下させてクエスチョンマークを浮かべる。



『どんなに辛い現実とぶつかっても、私はずっと――』



 少女の声が少しずつ変わっていく。

 幼い声は、少しずつ年を重ねて重さを帯びていき、やがて聞き覚えのある声へと変わった。



「その声――!」

「どうした?

 何かあったか?」



 完全な透明になってゆく体と比例し、トキに伝わる少女の声は小さくなっていった。






 白い世界を去ったトキの目に、次に映ったものは薄暗い白で染められた病室の壁だった。






 


「あ、起きた」



 室内に居た十数人の顔が一斉にトキに向いた。


 一斉に顔を向けられたトキは戸惑い――


 戸惑うトキの横で小羽は軽く寝息を立てていた。



「え…………えぇ、と、ただい……ま?」



 戸惑うトキを見た1人がベッドの横に移動し……

 なぜか蹴りが放たれ――ミドルキック――トキの顔面を直撃した。



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