第28話-No Visitors and Trespass-
34度10分307時世界離れた人から〜〜
“明けましておめでとうございます。
人それぞれが持つ独特の世界が失われないことを、個性が輝く世界を祈りつつ、非連続の世界の完成を第1目標に、執筆を頑張っていこうと思っていま〜す。だって!”
「…………ボルト、誰と話しているんだ?
正月はまだ先だぞ?」
コーヒーカップを傾ける手を止め、芹真は1人呟くボルトを見守り、頭が痛くなるほど元気に働く電話の受話器を取った。
12月25日 PM 08:43
粉雪の降るホワイトクリスマス。
冷たい雪と風が踊る白銀世界。
その中を光の魔女は携帯電話を片手に、なるべく人通りの少ない散歩コースを進んでいた。
「もしもし、ナインちゃん?」
寒さで、携帯を当てた耳が痛む。しかし、少女の顔から笑顔は絶えない。
電話の向こう側に知り合いの顔――僅かに驚く表情――が浮かぶ。
『どうしたの?』
「うん。
トキの事なんだけどさ」
『あ、鍛えて欲しいっていう子…………やられちゃったんだ』
通信端末越しに心を読む彼女にボルトは肯定した。
「それでね、当分目覚めそうにないんだ。
だから、連れてきた人たちと一緒にどこかのホテルで待っててもらえないかなぁ〜、って」
『それならバッチリよ。
実は、いまチェックインしたところなんだ』
「へぇ……いい所見つけたんだね」
携帯電話越しに相手の状況を把握するボルト。
電話の向こうの彼女は嬉々とした声を上げた。
『インちゃんとホムラちゃんが気に入ったみたいなんだ。
でも、ちょっとヤバイかなぁ、ってこともあってね』
「あ、もしかして、クロードって人?」
声音が一変し、向こうの彼女はため息をついた。
『また何かやっちゃいそうでさ。
今は、カーチスとホムラちゃんが必死に言い留めてくれているからいいけど……』
「長くは持たないみたいだね」
深い、深いため息。
『下手するとこっちの世界でも無差別始めちゃいそうな勢いなの』
「え〜? ナインちゃんがやっちゃえばいいじゃん」
『そうしたいけどクロードってさ、あれで意外と殺気に敏感なんだよ?
捕まえる前に正当防衛〜、とか何とか言っちゃって凶行に出るだろうし……それに面倒くさいもん』
「後で酒樽届けてあげるから。
ね? 頑張って」
『え、ホント?
じゃあ、頑張っちゃうかな』
沈んだ声色が少しずつ喜びの色を取り戻す。 異世界の友人の嬉々とした声を聞き、ボルトは早速酒の種類を脳内リストからピックアップした。
「うん。
あと1、2ヶ月待ってちょうだい」
『OKOK!
みんな死人だからゆっくりこの世界を堪能しながら待たせてもらうから』
「うん。
用事はそれだけ。じゃあねぇ」
『はぁい』
通話を終え、ボルトは携帯電話をコートのポケットにしまった。
冷えた手を光で包んで暖めながら散歩道を外れ、大通りに出て病院に向かう。
(まだ起きないのかなぁ、トキ)
今日という日付を思い出しながら考えた。
“一体、何ヶ月過ぎたのか”
彼女はそれを考えていた。
暖められた病室のベッド。
横たわる彼女は、隣接されたベッドの少年の手を握ったまま思案を続ける。
夏の一件からどれだけ時間が過ぎたのかを考え、今日が何月の何日なのかを思い出し計算する。
(本当に、この方法で彼を救えるの?)
約5ヶ月前から続けられているこの方法。
どのように現在まで至るのか、その経緯も思い出しながら彼女は自分の役割を思い出し、同時に様々な感情が湧き上がった。
次々と浮かぶ疑問。
募る不安。
拭いきれない絶望。
彼の手を握り続ける――この行為に意味があるのだろうか。
(でも、芹真さんの言うことが正しかったら)
それは一縷の望みであり、いまトキを覚醒に導く唯一の手段だった。
見えない目を彼に向け、本当にそこにトキがいるのか時折疑問を抱く。しかし、握った手の感触から、確かに彼の存在を確信し、疑問は霧散する。
いつでもそこに在り、微動だにしないその手。
生きて居る、死んで居る。
そういう意味で、彼は居るようで居なかった。
(私は……空が好き。
青い空も、
赤い空も、
白い空も、
黄金の空も。
毎日、違う姿を見せてくれる。
だから、好き)
光を完全に失った彼女の目に、2度と空が映ることはない。
視力の落ちていく日々に、彼女は盲目を予測し、理解し――だが、それが実現してからというもの、自分の好きな空がそれまで以上に鮮明に脳裏に浮かび上がり、恋しくなった。
「色世、トキ。
あなたには、何か好きなものがありますか?」
静寂。
無言の時間。
定期的に鳴り続ける心電図の音と暖房の動作音。
一切の返答がないベッドの上。
何ヶ月も眠り続ける少年の手を強く握り、彼女は聞き続ける。
返答はない。
意識もない。
それでも聞く。
「何も好きになれず、生きていくって……難しい?」
無回答。
「いつまで、眠り続ける気……ですか?」
咳き込み、彼女の質問が止まり、働き過ぎた暖房が止まる。
隣で寝続ける少年は答えない。 応えられないから眠っている。眠っているから答えられない。
長い長い眠り。
しかし、それは眠りというよりも、幽閉と言った方が的確であり、またそう言っても過言でないほどの事態がトキの中で起こっていた。
色世トキの意識は、コントンという男の未来の睡眠時間が覆い隠していたのだ。 睡眠が睡眠を誘発し、トキは覚醒に至ることが出来ず、毎日毎日夢の中を駆け回っていた。
芹真や藍には分からないことだが、毎日手を手を握り続けている彼女にはそれがわかった。
――それは、トキ自身が望んだ眠りではない、強制睡眠。
眠りにつく度に、毎夜トキから伝わってくる夢の断片。
1日たりと途絶えたことのない凶夢・悪夢。
望まない幻想。
忘れたい過去。
思い出したくない記憶たち。
曖昧な境界線の上で踊らされ続ける眠り。
決して自分の意思で目覚めることのできない夢。
しかし、その夢の中にトキ以外の誰かが存在していた。
夢であるにもかかわらず、トキとは違う別の存在として夢の中にいるのだ。
(また、今日もいる)
握ったトキの手から伝わってくる夢の断片。
そこに、自分とさほど変わらない年恰好の女子がいた。
トキの過去をリプレイして苦しませる夢の中、彼女はトキを悪夢から逃し続けていた。
夢の中でトキを導く彼女がどういった存在で、何故トキの夢の中に居るのか。手を握り続けることしか出来ない彼女に、それをしる術などなかった。
Second Real/Virtual
-第28話-
-No Visitors and Trespass-
『現在、協会ではコントンの捜索に全力を注いでいます。
その為、警護に回せるほど人材に余裕がなく……』
芹真事務所。
お決まりのデスクに腰かけ、芹真は受話器に向かって呆れ顔を作り、手中のコーヒーカップを定位置に戻した。
「そんなことはどうでもいい。
問題は今回の事でナイトメアに動きがなかったか、だよ。
まさか、何もなかったと言うつもりじゃないよな? まさか。有り得ない」
『それは……』
「ジャンヌ。
アンタなら話す権限も持ち合わせているはずだ。
俺たちは被害者だ。
話してもらわないと矛先があんたたちに向くかもしれないんだぜ?」
『あなたたちが被害者だからこそ、話したくないのです』
「どういうことだ?」
『あなたたちの介入で厄介な事態につながる可能性を考慮した結論です。
内容を聞いてもナイトメアの肩を持つ恐れがないと判明したら報告するつもり――』
「意外と親切なんだな。
悪いが、俺たちはテロリストに肩入れするつもりはない」
『本当ですか?
あなた方自身がテロとして見られているとしたら?』
「そんなものにはならないさ。
そう見られたとしても、黒幕をとっ捕まえて真相を暴ければいいだけの話だ。身の潔白を証明しろと言われたら証明するまでだ。
で、誰が俺たちをテロリストと認識するんだ?」
電話の向こうからため息が漏れる。
『軽はずみな行動は至極避けてもらいたいものです。
確かにあなた方のバックにはワルクス・ワッドハウスがついています。 が、彼だって万能ではない。
こちらからの任務だって背負っているのです。 妙な調査を押し付けることは可能な限り控えてください。
彼はあなたが親友だからこそ依頼を聞くのであって、そうでもなければ話を取り合っても貰えないはずです。
それに、あなたたちの行動がナイトメアに影響を与えていることはご存知ですか?』
「ワルクスが万能じゃないのは知っているし、ナイトメアの連中にも僅かながら影響を与えているのだって知っている。
だからこそ、説明して欲しいんだよ」
『そんな……』
「それでも言えないか?
じゃあ、これだけ教えてくれ。
どう動いたとか、誰々のメンバーが怪しいとか、どこの組織がどう評価しているとか、そういう事は一切言わなくていい。
だから、最低限これだけは教えてもらいたい」
英雄のため息が電話越しに伝わってきた。
コーヒーカップの取っ手を握り、芹真は持ち上げる。
『何です?』
「動いたのは武装派か? それとも非武装派か?」
『武装派です』
潔すぎる即答に芹真の言葉が詰まる。
協会の体勢が夏以来少しずつ変化してきていることを芹真は感じ取った。
「……わかった」
『くれぐれも妙な行動は起こさないよう、慎んでください』
「ああ、わかってる。
そっちこそ、四凶の動向には気をつけろ」
『十分に心得ています。
コントンを除いた3人はすでに監視下に置いてあるのです。
それから、Mr.芹真。 会長から伝言ですけど――』
今度は芹真からため息が漏れた。
「いつものあれだろ?
“協会に戻って来い”ってやつ。
毎日通り、お断りだ」
『ですが、本部でなら色世トキの療養も――』
「設備はいいが四凶がいる。だから却下。
これからもトキの護衛は、俺たちが独自で行っていく」
『そうですか……わかりました。
では今日はこの辺で』
「ああ」
芹真は受話器を戻してコーヒーを口に運び、その様子を正面から凝視していた藍に、会話の内容を伝える。
「動いたのは武装派の連中だ」
それまで静寂を貫徹していた藍が即座に応える。
「でも、あの夜襲撃してきたのは非武装派のSRたちだった……どういうこと?
なぜ武装派が動くの?」
「内部抗争さ。
今回は規模が違うだけで分かりにくいが。
非武装派が動いたから武装派も動いた。 だが、それだけじゃない」
芹真の目が、四凶全員の顔写真とプロフィールが転載されたファイルに落ちる。
ワルクスと孫に頼んで集めた四凶に関するありったけの資料。
「“非武装派は協会と接点を持っている”――そんな流言に武装派は焦っているんだよ」
「どうして非武装派とコントンが一緒に……ワルクスならわかるかしら?」
「いや、あいつにはわからないだろう。
ボルトやヒーローズ、協会長にさえ把握できなかった行動だ」
会話を続ける2人の脳裏にワルクスから伝えられた言葉が浮かぶ。
“叛乱”
あの夏吹雪の夜、ワルクスは非武装派のSR一人の捕獲に成功していた。
妖精のSR――レッドキャップ。
協会が彼らに質疑応答を繰り返し行った結果、妖精はただ一言“反乱”と言葉を残して自殺を謀った。
唐突な四凶の行動。 武装派と非武装派の対立の激化。 根も葉もない噂の数々。
何かが起こるということは予想できるが、その何かがどれだけの規模で、いつ起こるのかわからない。
それは大きな不安の種であった。
「藍、今日は俺がトキを護衛するから、お前は休め」
壁掛けの時計を確認し、芹真はコーヒーを飲み干す。
「芹真さん。
今日は私に護衛させて」
「……ん?」
イスから立ち上がった藍が放った言葉に、芹真は不意を突かれた。
「この1ヵ月間ほとんど寝ていない。
知っているのよ、夜中に外出していること」
「いつ気付いた――って、1ヵ月前か」
「行き先はワルクスの所?」
芹真はうなずき、藍は更に追求した。
「ワルクスへの用件なら私に任せるって……」
それは藍が白州唯高校へと通う理由のひとつであった。
「情報はな。
ただ、情報の行き来だけじゃ足りなくなってきたんだ」
「どういうこと?」
「もし、気になる噂が流れていたならその日の内に真相を確かめておく。
あの日はそれが決定的な敗因だ。
電撃的スピードで非武装派は仕掛けてきた。それはわかるだろ?」
藍は頷くしかなかった。
誰を護るでもなく敗北を喫した夏吹雪の夜を思い出す。
擦れ違ったマスターピースに一撃見舞うこともなく敗れ去った藍。
敗北に伴う後悔――もし、あそこで負けていなければ、トキを助けられたかもしれない――自分の弱さを改めて認めた夜。
「だから、今日くらい芹真は休んだら?」
「残念ながら今日も出かける用事があるんだよ」
「トキの方は私に任せて」
「いいのか?
今日はクリスマスだぞ?」
「だから?」
数秒の思案。
芹真は少し考えてから藍の提案を受け入れた。
「まぁ、確かに。
藍が行ってくれるなら俺も楽なんだけど……本当にいいのか?」
「問題ないわ」
彼女は頷き、時間を確認した。
「問題だらけだっつぅの!」
粉雪降る寒空。
寒さを忘れてしまうほどの怒りが男のうちに湧き上がった。
時計を確認しながら髪を逆立てた男が公衆電話に怒鳴り散らす。
「病院に行け!?
お断りだね!」
『何故です?
病院とその周辺を警護するのはいつものことでしょう?』
「芹真事務所に盗聴器仕掛けろって命じたのはどこの英雄だよ!
えぇ、ジャンヌの姉さんよ!」
右耳にはめ込んだインカムから、男は録音した音声を再生した。
『どうしたんです?
何が嫌でそんなに拒絶反応を見せるのですか?』
「アネさんよぉ、分かって言ってるだろ……」
『もしかして、哭き鬼ですか?』
「やっぱり分かってんじゃねぇか!」
『当たりでしたか。
しかし、命令は命令です。それにこれは私からの命令でなく、予知部隊からの指名です』
電子マネーで通話時間を延長しつつ、予知部隊の構成員の顔を思い浮かべる。
「なんか、私怨めいたものを色濃く感じるのは気のせいか?」
『私怨?
予知部隊に恨まれることでも仕出かしたんですか?』
「…………っ、何にもしてねぇよ!」
口から反対の言葉を放ちつつ脳裏に浮かぶ反論・反抗・講義・嫌がらせの数々。
(絶対にあいつらの仕返しだな……)
トウコツは半ば諦め、叩きつけるように受話器を戻して病院へと向かう。
“願わくば、鬼と出会いませんように”
芹真事務所はコントンの一件で神経過剰になっているという話があった。
同じ四凶にカテゴライズされる身であるトウコツにとって、コントンの及ぼした影響は迷惑極まりない。
四凶であるというだけで同罪疑惑。
(このクソ寒い中、何で病院なんかに……)
公衆電話を離れて4分。
文句をつぶやき、コントンと非武装派の襲撃に関するデータを頭の中にに並べて整理しながら歩くトウコツの前――病院の200メートル手前――に、
「え?」
「ありゃ、ヤベ……」
5分も経たないうちにトウコツの願いは粉々に砕け散った。
曲がり角から姿を現した――哭き鬼。
2人の目が合った最初の数秒間は静寂と静止が続き、やがて、最も避けたいなマッチングにトウコツは踵を返し、哭き鬼は道端の自転車を持ち上げ、投げつけるという行為に出た。
屈伸で飛び掛る自転車を躱わしつつ、次の自転車の未来位置を予測して回避を続ける。
藍は自転車から理壊双焔破界に得物を変え、追撃を始めた。 が、その頃にはトウコツは人ごみに紛れて逃走を始めていた。
「死になさい!」
哭き鬼のあからさま過ぎる殺気。
殺意の籠った言葉を聞き流そうと努力しつつ、トウコツは必死に逃げ道を探した。
こんな事態が容易に想像できた。 だから、嫌だったんだ。
(あぁ、クソ!
全力で断っときゃ良かったぜ!)
5分ほど前の通話を思い出し……
しかし、後の祭りであることを認識し、四凶は逃走に全力を注ぐ。
雪の降る白州唯の街で本物の鬼との逃走劇――鬼ごっこ――が始まった。
そんな2人――協会の四凶と芹真事務所の鬼――病院前を去ったのと同時、分厚いコートと帽子に身を包んだ男が病院を視界に捉えた。
右手に花束。
左手でコートの雪を払い、足を1歩ずつ前へと進める。
紅き双眸に映るものは、協会の所有物のひとつ――楼塔病院。
男は目の前に存在する施設の破壊如何について考え、破壊を後回しにすることにした。
緩やかな坂道を登り、凍りついた平らな道を進み、100メートルほど歩いたところで敷地内に入った。
自動ドアをくぐり、暖気と寒気が入り混じる。 クリスマスムード一色に染まった施設内を見回す。
イスに腰かける高齢、車椅子の若者、受付嬢、付き添いやお見舞いで訪れた人々、看護師、看護婦。
巡回する警備員に男は確信した。
(間違いなく、トキはここに居る)
男は受付に入り込み、事務内の管理用端末を操作して色世時の病室を探した。
誰にも止められることなく、咎められることなく検索を終え、男は受付を後にする。
階段を上る最中に汗が滲んでいることに気づき、コートの前面を開く。暖房の効いた屋内は男にとって暑すぎた。
患者、付き添い、看護婦、看護師、警備員。
誰一人、男に気付くことなく擦れ違ってゆく。
人々との衝突を避け、目的の階まで最短コースを進み、トキのいる階へ辿り着いた男は目的の部屋を探して回った。
(3つ先か)
はじめの角を曲がってから一度、男は足を止めて手中の花束を握り直す。
自分とトキが会うには早すぎる気もしたが、状況が男を駆り立てた。
世界中の状況が、芹真事務所や協会が考えているよりも遥かに酷い方向へと急進を始めている。
SRの世界を分裂させている原因である四凶の謀反疑惑。
拡大し続けるナイトメアと協会の対立規模。
武装派の今まで以上の不審な動きと、四凶との繋がり。
非武装派と協会を繋げる流言。
国連所属のSRの不可解な動向。
協会の本部へ仕掛けようと目論む非武装派。
過去にこれだけ慌ただしく動いたことは、少女たちの魔法使い狩り以外に例がない。
それだけ危うい状況の中で更に、幾つかの小規模集団が独自に動いていた。
芹真事務所を筆頭に、ホート・クリーニング店、FT学会、黒羽商会……etc。
その中でも特に大きく動いているのがSHMサーカスであった。
(武装派の動きを封じるためにサーカスが動きだした可能性は極めて――)
病室の出入り口まで歩いたところ、男は振り返った。
そのすぐ背後には知っている顔があり、それが見知った顔であることから男はわずかに身構える。
背後に立っていた男が笑みを浮かべた。
「やぁ、完全否定」
「協会長ともあろう男が、こんなところで油を売っていていいのか?」
協会長:オウル・バースヤードは首を横に振り、
完全否定のSR:メイトス・シュラヴァイトフ・ジヴィアはその返答を鼻で笑った。
「私に用事か?」
「お見舞いのついでにな」
そこでメイトスはバースヤードの手に果物が詰められた籠が握られていることに気付く。
「それでさ、ちょうどいいな所で会ったな」
「ほぅ?」
藪から棒に放ったバースヤードの言葉にメイトスは警戒を強めた。
予測される攻撃、仕掛け、完全支配のSRの特徴。それらがメイトスの頭に浮かび上がった瞬間――
「実はオレさ、結構恥ずかしがりなんだよ。
だからさ、完全否定の力でオレの存在を知覚できないようにしてもらえないか?」
予測は大きく外れた。
「断る」
「即答かよ……」
メイトスはスカを食らった感覚に少々苛立ちつつ断った理由を述べる。
「やれと言われて素直に自分の力をさらけ出す馬鹿が、どこに居る?」
「オレは何人か知っているけど?」
「私は知らない」
「そっか。
まぁ、それじゃあ、一緒に入ってくか?
それとも別々に行くか?」
「独りで言っていろ」
陽気に振舞うバースヤードを無視して病室の扉に手をかけ、メイトスは病室内へと足を踏み入れた。
その後を追うようにバースヤードが入室する。
それと同時、バースヤードの視界からメイトスが消えた。
(知覚否定か。 自分をこの世に存在しない者とし、人の視覚から逃れる方法……)
状況を冷静かつ迅速に分析しつつ、バースヤードはトキのベッドを探す。
不意に、静まり返った病室に若い女性の声が響いた。
誰、という質問が自分に向いていないことを確認し、バースヤードは一番奥のベッドを目指す。
声の上がったベッドを覗き込むと、そこには何本ものチューブにつながった少女と、ベッドをできる限り近づけ、手を握られたトキの姿があった。
「もう1人?」
彼女が自分の存在に気付いたことを悟り、バースヤードは自ら姿を晒した。
「やぁ、はじめまして。
協会長のオウル・バースヤードという者だ」
バースヤードは情報どおり、ベッドの少女が盲目であることを確認しつつ手に持った籠を掲げて見せながら聞く。
「お見舞いで来たんだが、持ってきたモノはその辺に置いておくけど、いいかな?」
「……本当に協会長さんですか?」
「本当だ。 っていいたいけど、キミが信じてくれないのなら俺は誰だっていいし、お見舞いの品が果物じゃあなくなるもんな」
目が見えないことをいいことに、協会長の名を借りた誰かかもしれない。
目が見えない相手だから、果物と偽って爆弾を置いていくことも……不可能ではなかったが、バースヤードはその気になれなかった。
「信じます。
あなた方が来たことは――」
「出来たら芹真とかワルクスには言わないで欲しいなぁ」
そう言いつつも、頭には読心術を習得している光の魔女の姿が浮かんだ。
「わかりました。
その代わり、今日はもうお引取りください」
強く言われ、バースヤードは確信した。 その娘のSRの正体。
「果物は脇に置いておくよ。
それじゃ、トキが目を覚ましたら1度は協会に来るように伝えてくれ。 それじゃあ」
手早く話を切り上げ、バースヤードは病室を後にする。
「あなたも帰ってください」
見えない視界に知覚した、存在を一切感じられない男に彼女は言う。
しかし、協会長と違って男は、メイトスは動く気配がなかった。
「トキ。
お前が私を殺すと言われた日、私はお前の死を遠くから見ていた。
雨の日で視界が悪かったとはいえ、なぜ今日まで生きていた?」
周りに聞こえないはずの声を聞きながら、彼女はトキの手を強く握り締めた。
生きていることに疑問を持たれる。
そんな屈辱的な言葉を受けているのが自分でないのはわかっていても、なぜか腹が立った。
「あの日死にさえすれば、こんな目に遭うこともなかっただろう。
何がお前を生かした?
死んだお前は、自分が生きていることに疑問を抱かないのか?」
「帰ってください」
「君もだ、風間小羽。
通常なら自らを死に至らしめるSRを持った君が、なぜ今日まで生き長らえている?」
ふいに、対象をトキから自分へと変えた男に恐怖を覚えた。
それは自由な体を持つ彼と、不自由な体を持つ彼女の決定的差。
自然と不利な状況であることを思い知らされる。
自分に出来ることが何なのか、それすら霞んでしまうほど……自由に動く体であるなら、すぐにでも逃げ出すであろう絶望的状況。
「生きてはいけないんですか?」
恐怖を押し殺しながら慎重に言葉を選び……反論する。
「死すべき者が生き続けて良いと、本気で思っているのか?」
「僅かな可能性で生き延びてはいけないの?
それに、あなたはどうなんですか?」
沈黙が降り、完全否定と盲目の少女は成立しない睨み合いを続けた。
死者の人生。
それがどういうことなのか、小羽という少女は少しだけ知っている気がした。
様々な死の定義が存在する世の中で、小羽が経験してきた短い人生は、不自由という意味での死。
何事も自分から臨めず、いつしか夢を望まないようになり、理解すればするほど気が重くなる。人以上に他人に頼らざるを得ない生命。
他人にかけるその“迷惑/苦労”はいずれ矛となって自分に向き、いつか命を絶とうと迫ってくる。
自分の命が他人の人生を暗闇にまで追い詰めてしまい――それでも生きていたい――やがて、自分もそこに引き込まれていることに気付き――いや、死んだ方が皆を幸せにできるかもしれない――取り返しのつかいない場所まで来てしまったことに、心の暗闇が深さを増す。
その繰り返しが彼女の短い人生の大半だった。
生きていては迷惑をかけるばかりだが、生きていた。
しかし、自分ひとりでは何一つ決めることもできない。 右も無い。左もなければ、進むべき道さえ見えてこず、また選ぶことができない。
唯一、彼女が周囲の“不幸”を吸収することで、不幸を吸い取られた人々に笑顔が灯る。他人の不幸を取り除き、幸福と出会わせること。
それだけが、たった一つの救いであった。
自分が不幸の原因。 それを自分で拭う。
自分にしか出来ず、しかし、自分からできる唯一のこと。
「私達と同じではないんですか?」
メイトスが言ったことに間違いは無い。
彼の言葉を認めつつ小羽は、芹真と出会わなければ何年も前に死んでいたことを再認識する。
それと同時、メイトスの口が動く。
「お前達2人の命も、いつか私が正す。
不正な魂を裁くのはアヌビスだけでないことを忘れるな」
「……あなたは、不正ではないと?」
「その矛盾には疲れている。
結果だけなら既に出ているさ。不正な魂全てを裁いたら自害する。
この考えは変わらない。変えてはいけない」
メイトスの顔が一度トキに向き、それから踵を返して病室を去る。
「……頑張って」
最後に、メイトスの背中に小羽が送った言葉がそれだった。
病室を出てすぐ、肩に腕を回してくるバースヤードを躱わし、メイトスは復路を急ぐ。
急ぐメイトスを追いながらバースヤードは声を掛けた。
「初めて自分と対になるSRに出会った感想は?」
「貴様に話したところで価値はない」
擦れ違う人々の目がバースヤードに集まる。
その原因は、メイトスが他の人々の目に映っていないことにあった。
「俺は驚いたね。
まさか、あんなシンプルで厄介なSRが、未だ確認されていなかったとは……」
「黙れ」
階段を降り始めた所でバースヤードは1度口をつぐみ、降りきったところで本題をぶつけた。
「君は四凶をどうしてほしい?」
その問いにメイトスの足が止まる。
バースヤードはメイトスの横を通過し、喫煙所と隣り合った休憩室を目指した。
「無論、根絶してもらいたいが、お前はそうしないのだろう?」
「損得勘定の観点でいうなら、どちらでも構わない。
が、道徳的私見を言うなら根絶した方が断然いい。
しかし、永くこの世界を見てきた者として意見するなら、根絶はあまり望ましくない」
自販機の前に立つバースヤードにメイトスは次の言をぶつけた。
「私の目には優柔不断としか映らないが、間違いかな?
Yesでもあり、Noでもあって、またどちらでもないとは。 それでよく協会長という座にいられるな」
「有能らしく立ち回るのは得意なんだ」
わざとらしく肩をすくめてから自販機に硬貨を押し込み、ボタンを押す。
熱い缶コーヒーを片手にバースヤードは長椅子に腰を落とした。
ただの呑気にしか見えない協会長をメイトスは見下ろす。
「特にコントンとトウテツ。
この2人は真っ先に処分すべきだ」
「個人的にはキュウキを最優先でどうにかしてあげたいものさ」
「凶翼嘘口には個人的恨みがある。
そいつの処分はいずれ、私が直に行うから安心しろ」
「そうか……そりゃ助かる。
ところで話は少し変わるんだが、問題があるんだよ」
缶コーヒーを一気に飲み干し、バースヤードは続ける。
「四凶の奴ら、どうにかして自分達の遺伝子情報を次世代へと残すつもりでいるらしい」
「何だと? それは本当か?」
メイトスが話しに食いくのを確認し、バースヤードは続ける。
「確信には至っていないが、可能性は高い。
そこで現在、千里眼部隊に四凶の名を冠する者全員を監視・追跡させている。
また、遺伝子情報を記録できるSRや研究機関、病院も全てマークし、監視中」
「協会ではお前以外に誰がそのことを知っている?」
「答えても俺に得は無い。
それとも、協力してくれるのか?」
見上げた先で、メイトスの顔から冷静というマスクが剥がれていた。
「当たり前だ!
四凶は人の理を紙くずのように破る! 貴様ら以上に許されぬ存在だ!」
「もう少し声のボリューム下げてくれ。
こんな所で、あんたと話し合っているってだけで世界はへそ曲げちまうんだ」
周囲を見回す。 幸いにも、待合室には2人を除いて他の人間はいなかった。
咎められたメイトスが長椅子の反対側に座る。
「……その情報は確かなんだろうな?」
再度確認するメイトス。
背中を向け合う2人。
間を置かずバースヤードは答えた。
「英雄達の中に、コントンの言葉を直接聞いた者がいてな。命令違反を犯していたんだが、それが幸いし、現場に居合わせたんだ。
上でトキを見てきたろ?
四凶の保存には、どうしてか色世 時も関わっている。
直接関係しているのはトキの母親だろうが、もしかすると、今はトキが直接関係を持っているのかもしれない」
「なぜトキなのだ?」
「わからない」
「四凶の保存か……単純な交配生殖の可能性は?」
「それは無い。
単なる交配でSRが生まれる可能性はほぼ零だ」
言い切るバースヤードの言葉を否定するようにメイトスはひとつの可能性を挙げた。
「だが、人狼の一部や鬼、妖精、アヌビスの間には人為的にSRを継承させる方法が伝わると聞くが?」
「それはない」
「単なる噂ではないと聞いたが?」
「確かに継承方法は実在する。
だが、そういった方法はすべて収穫済みだ」
「収穫済み?」
「例えば、この国でSRの伝承方法を持っていた部族は5つあった。
陰陽師、忍者、哭き鬼、天狗、銀狼。
世間に流出する恐れのある者から潰していったんだ。
まぁ、陰陽師だけは未だに逃れ続けているが……」
「ある意味で乱獲だな。反吐が出る」
「ああ。
実行を命令しておきながら、後味の悪さに未だ目覚めは最悪さ。
もし、という事で四凶全員調べてみたんだが、誰にもそういった方法を盗むに至った奴はいなかった」
「んっ?
どういうことだ?
話が飛んでいないか?」
「話す順番狂ったな。悪い。
つまり、継承方法が流出する前に一族を壊滅に追い込む作戦を展開したんだが、四凶の奴らほぼ全員がそれらの作戦に参加しているんだよ」
「しかし、継承方法を得た形跡は無い。
故意に話を改竄するなよ」
「わかってる。
継承方法を得たという証拠も無い。
日本だけでも結構暴れたからもしかすると、と思っていたのだがな……」
「自分の手駒を掌握しきれないとはな。
それでよく完全支配などと名乗っていられる」
「まぁ、立ち回りは苦手じゃないからな」
「継承方法はお前達が管理しているのか?」
「ああ。管理場所は極秘扱い。
その居場所を知っているのは俺と、英雄達の……」
「ジャンヌ・ダルクか?」
「そっ。彼女」
「迂闊に手は出せんな」
「それでも、四凶はどうにかして遺伝子情報を残そうとしている」
「だが、極稀に単純な交配からでもSRは生まれるのではないか?」
「天文的確率でな。
しかし、四凶との交配に限って、関わった者は例外なく天国の扉を拝める。 知っていたか?」
「……」
メイトスの思考が一瞬停止する。
刹那の沈黙。
その直後に浮かび上がる可能性。
「器実験というものは、一般人をSRにできるのか?」
「ああ。
だが、その為には何らかの因子を持っていないといけないことが最近の調査で判明した」
「その因子とは?」
「……」
「誰ならわかる?」
「ナイトメア非武装派にはひとり、Dr.マティス・フォーランドのみ。
武装派は複数いるぞ。
まず、ビッキー・ジャレイ。
ルチアーノ・メランドリ。
エルネスト・ロアイザ。
ヘーン・ポック。
オリヴィエ・ロダン」
6人の名を挙げたバースヤードが逡巡したのをメイトスは見逃さない。
答えていいのか、また答えた結果メイトスがどのように動くのか気がかりで、バースヤードは踏みとどまっているのだ。
SRを遺伝させる方法を知る者達は、世界中に20人もいない。その内の半数以上は協会で保護対象として管理している。
問題は協会の管理下にいない数名のSR。
「他は?」
しかし、言いかけて答えない場合のメイトスの反応も懸念に値するものであり、半ば賭けで協会長はその名を口にした。
「SHMサーカスのパントマイマー、アルター・ノーヴィス。
それから、見習い兼花配りの男だ」
メイトスは横目で協会長の背中を睨み、8人目の名前を求めた。
「陸橙谷アサ」
その名がバースヤードの口から出たのは、一分もの沈黙の後だった。
「最後の男の顔は知らないな。後で顔写真を拝借しに行く」
「その必要は無い」
メイトスが立ち上がる。バースヤードは前を見つめたまま深呼吸し、回答を用意した。
「その理由は?」
「外見はトキと瓜二つだからだよ」
「……本当か?
そんなことが――」
予定通りの質問と予想通りの反応。
それを確認したバースヤードが続ける。
「事実さ。
俺も最初は驚いたよ。 いや、本当。
色世 時と陸橙谷 麻に血縁関係が無いか、両家の血筋を遡って調べてみたが、全くのシロ。
両家には一切のつながりは無い」
「それでいて2人は世界に大きな影響を及ぼすSR同士。
まさに奇跡、だな」
振り向きながらメイトスは腕時計を確認する。
時計から目を外すと、目下に居た協会長は忽然とその姿を消していた。
「外に出ようぜ」
左側へと顔を向け、メイトスは視界にバースヤードの姿を捉える。
往来する人々の間を縫って外界を目指し、足を進めるメイトスとバースヤード。
玄関口を後にし、雪の降る路上を2人は並んで歩いた。
「どうやら四凶の中でもトウコツは関係が無いらしい」
「トウコツか。
なぜ断言できる?」
「ジャンヌのお陰だ」
「そうか。彼女が言うなら間違いないだろう」
「それに、死にかけのトキを病院に運んだのもトウコツだ」
「そうか。
それより、問題は保存方法だ。
如何な方法を用いて自分達を保存するつもりなのか」
「全くだ。
それが分からないうちはどうしようもない。
なぁ……今、一時的に協会の一員として――」
「断る。
四凶も許せないが、お前達とてさして違わぬ。許すつもりなど毛頭無い。
ただ、矛先が同じというだけだ」
バースヤードは無言で頷き、反論を開始する。
「それは間違いだ。
俺はYesあって、Noでもあり、また、YesでもなければNoでもない。
必ずしも矛先が同じというわけではないわけさ」
「やはり、どうあっても互いに受け入れることは無いようだな」
「完全否定よ、人は誰しも生きている。
だから殺すな――とは言わない。
しかし、価値に関わらず存在し続けている限り、その生命は輝いていなくてはならない。 その輝きはいずれ価値を生む。違うか?」
バースヤードの頭に、隣り合ったベッドに横たわったトキと完全受容の姿が浮かんだ。
運命に逆らった生命、人生。
人一人の行動では、世界は決して動かない。
しかし、集合することによって世界は動き始める。 社会、国、集合から成る組織。人から成る人類。同じ血を分けあった者からなる家族。共通の目的を持つ同志。
バースヤードやトキ、メイトスもまた人々の関わり合いがあってこそ、今日まで生きている――生きてこられた――のだ。
家族や夢・思い出に動かされ、人は人を、人類は社会の中で次世代を育んでゆく。
それが生命の連鎖であり、生きとし生ける者の生存本能であり、歴史である。
ひとりで何も出来ないと嘆くより、何かを出来るように支えあう。
そうした繋がりが人を輝きへと導くのだ。
「違うな。
生きているなら死ななければいけない。 過ぎた輝きはいずれ非予定調和を生む。
その時、犠牲と言う名の鎖は打たれ、永く、果てなく繋がれていく。 命が輝きは続けることは至極当然だが、必ずしも世界の何かを照らし続けるとは限らない。時には影を生む。
分からないわけではあるまい」
「例えば、陸橙谷 麻」
「他にもいるだろ」
「彼はその典型的例じゃないか。
それに、芹真事務所やハンズ・ブリジスタスも」
メイトスが鼻で一笑する。
バースヤードも自分の言葉におかしさを覚える。
そんな2人の間を風が通り抜けた。
雪は強さを増し、少しずつ視界が白に支配されていく。
「まぁ、それはまた後で話し合おう。
頼みがあるんだが、聞いてもらえるか?」
その瞬間、メイトスは耳を疑った。
――頼み。
それはつまり、協会長直々の依頼ということ。
相容れない関係、敵対する間柄でありながら依頼をしてくる彼の神経に、メイトスは怒りとも驚きとも取れる感情を抱いた。
「武装派と非武装派、それから無所属の連中を3:5:2の割合で攻撃してくれないか?」
「……その理由は?」
「来年にはわかる。
非武装派が大きな計画を立てているらしい。
協会とナイトメア、非武装派と武装派の対立、四凶の件、小規模集団。
猫の手借りても足りないほど忙しくなってきたんだが、立ち向かう価値はある」
「猫でなく虎だったらどうする?」
「虎なら間に合ってるさ」
「キュウキだがな」
「ダメもとで言っているんだ。
ただ、あんたが動いてくれれば、ナイトメアとの戦争は早期終結を迎えられる」
「協会のひとり勝ちか?」
その質問にバースヤードは数秒の間をあけた。
不意に浮かぶ笑み。
「君次第なんだよ。メイトス」
その一言に足が止まる。
「どういう意味だ?」
「協会のひとり勝ちを望まないなら、是非とも君に動いて欲しい」
「何をするつもりだ?」
「だから、戦争促進さ。
その為、ナイトメア非武装派は既に動き出している」
戦争促進。
その言葉がメイトスの思考に絡みついた。
“戦争の終結”
すなわち、協会の転覆かナイトメアの壊滅。
それ以外に考えられなかった。
この戦争で厄介なのだったのが、2つの勢力争いが途中から3つの勢力による争いに変化したことである。
遥か昔から存在する協会。
それを転覆させようと存在をあらわにしたナイトメアの現武装派。
武装派の過剰なやり方を見かねて派生・分裂したナイトメア非武装派。
ナイトメアのどちらかが潰れても、残ったもう片方が戦争をやめることは無い。 打倒協会の言葉を掲げ、命すら惜しまず向かってくる組織である。
過程は違えど、目的は武装派も非武装派も変わらない。
だが、協会は潰れる可能性が皆無に等しかった。
例え、ナイトメア両派が元通りの一大勢力として結集したところ、良くて協会が六分、ナイトメアが四分という実力差。
お互いの消耗は測りきれず、また圧倒的物量で有利な協会に消耗戦は挑めない。
それでも、
「非武装派は協会に立ち向かう気か?」
「多分な」
「……ずいぶんと軽く言うものだな。
大した自信だ」
バースヤードは鼻で笑う。
「まぁ、全ては君次第なんだ」
「私としては、協会とナイトメアへの攻撃割合を教えてもらいたかったのだが?」
「ああ。いいぞ」
「いい、だと?
貴様……」
「別に。俺は部下を失わなければいくら攻撃されても構わない。
もし、君が協会とナイトメアに攻撃をかけるんだったら、その割合は8:2だ」
「何を企んでいる?」
「言っただろう、戦争促進だって」
強く、風が横から吹きつけた。
遮られる視界から相手を見失うまいと2人は向かい合い……
風が止んだ時、2人の姿はそこになかった。
突風が協会長とメイトスの2人を隠してからというもの、完璧のSR:ワルクスと、呪術師のSR:クワニーは顔を見合わせ、困惑した。
「いまの、会長だったよな?」
「もう1人は、写真で見たメイトスと瓜二つだった。
一体、何が起こっているんだ?」
冷たい汗が額を伝った。
再び顔を見合わせつつ、2人は考えながら病院へと入っていく。
協会長とブラックリストの頂点にいる最強のテロリスト。
なぜ2人は病院から出てきたのか。
なぜ2人は肩を並べて歩いていたのか。
可能性を片っ端から模索し、考察しながらトキの病室へと向かう。
如何なる理由があろうと、あの2人が肩を並べて歩くということが全く想像できないし、理解できない。
見間違いであることを祈りながら2人はトキの病室へと入る。
暖められた室内で最初に口を開いたのはクワニーだった。
眠り続けるトキの様子を見て、ワルクスが口を開く。
「やはり、外部からの呼びかけには一切応じることが出来ないらしいな」
「しかし、前回来た時よりはいくらか悪夢が薄れているようだ」
「わかるのか?」
「だからココに来ているのだろう。
この娘がトキの睡眠を順調に奪っているからだ」
小声で話す2人の目がトキの隣で眠りについたばかりの小羽に向く。
「しかし、覚醒にはほど遠い……」
「どれくらいかかるか分かるか?」
尋ねるワルクスに対し、罪の呪術師は首を横に振った。
「計りきれん」
「そんなに長いのか? トキの、これからの睡眠時間は」
「ああ。
芹真にはどう説明する?」
「ありのまま伝えてくれ。
ただし、“解決法がみつかるかもしれない”という説明を添えて」
「光の魔女にはバレるが?」
「かもな……」
2人が読心術に対する暗示に関する講釈と、実際にトキを目覚めさせる方法を模索し始めてから約4時間。
本日の護衛である哭き鬼が姿を見せた。
「さて、そろそろ失礼させてもらうよ」
立ち上がったクワニーと、今来たばかりの藍の視線がぶつかる。
それを見てワルクスも立ち上がり、クワニーを後ろから押して藍に交代の旨を伝えてから、早々に退室した。
(後は任せる……ね)
PM 15:23
四凶の追跡を切り上げ、ワルクスたちと交代してから2時間。
藍は、いま自分がもつ仕事の責任の重さについて、改めて考えてみた。
協会が注目するSRの持ち主、色世 時。
芹真はトキを大切にし、滅多に人と親しくならないボルトがトキを認め、ディマや奈倉はトキの持つSRに興味を抱いている。戦力として注目しているらしい協会長と、それに賛同するワルクス。
(私は、トキをどんな存在だと思っている?)
自問と自答。
沈黙と静寂。
同じSR。
同じクラス。同じ日本人。
記憶の中にある遠き人と同じ顔。
ため息が漏れた。
自問自答を始めて半時間、もっとかかると思っていた問題の答えが出た。
認めたくなかっただけなのかもしれない。
(トキを、死んだ兄様と重ねている……)
未練だと認めざるを得ない、現実の感情。それが自分の弱点であることも認めなければならなかった。
亡き者たちを思い続けることが、善か悪か。
彼ないし、彼女達を覚えておくことが生者の務めだと思い、数時間して、それが根拠の無いただの言い訳でしかないと気付いた。
(忘れるなんて……私にできるの?)
トキの顔を注視しながら藍は考える続けた。
忘れようと努力はした。
その努力を無為にするかのように知ってしまった、色世 時という存在。
顔を近づけ、藍は決意した。
(起きたら、勝負しよう)
自分はアサに勝てない。
もし勝ってしまったのなら、それはアサじゃない。 トキだ。
「本気でね」
病院の規則どおり、面会時間一杯まで病室にいた藍は病院を出て、真っ直ぐ芹真事務所へと帰還した。
数時間の静寂が病院前に舞い降りた。
世界は平凡な人間ひとりを欠いたところで止まりはしない。 遅滞はするが、必ずしも全体に影響を及ぼすわけではない。
色世トキも例外なく、赤の他人からすれば気に止める理由など一切持たない外部情報の一つでしかない。
しかし、特定の者達にとって、色世トキの存在は非常に大きく、親しい故に心配でならない要素であった。
「バレるって!」
12月26日 AM00:50
『大丈夫だって、私に任せな。
10分だけセキュリティ騙すだけなんだからよ。
今まで一度もミスったことはないんだ』
通信機越しに自信の程を語る奈倉 愛院。
「そうだぞ友樹。
たまには彼女のことを信用してやりたまえ」
楼塔病院の50メートル離れた場所で友樹はエロティカの言葉にため息をついた。
「これ本当にお見舞いなのか?」
友樹とエロティカの背後で訝しむ岩井が2人に聞いた。
「確かに……これじゃあ、ただの犯罪者だ」
「トキの家に侵入して、今度は真夜中の病院に忍び込もうってんだからな」
「場所が病院というだけであって、私は友に会いに行くだけだ」
かじかむ手を擦って暖めようと試みる友樹。
疑問を拭えない2人の傍ら、エロティカは自信に満ちた顔で言った。
傲慢なその態度に通信機の向こうから文句が飛んでくる。
“じゃあ、手伝ってくれねぇ?”
直後、友樹の携帯に準備完了の合図が告げられ、3人は凍りついた路面の上を急いだ。
堂々と正面玄関から入り、静まり返った院内で奈倉と合流する。
「あと8分。
トキの病室は5階の0506号室だ」
4人は出来る限り音を立てないよう、気配を悟られないように慎重に進んだ。
10分という、決して長いといえない時間の中、発見されるわけにはいかない。 見つかっては面会どころではない。
暗い病院の通路を進み、エレベーターを使おうとする友樹を制止しつつ、4人は階段へと急ぐ。
すれ違う医師達の姿はなく、ナースステーションは奈倉の麻酔ガスで経過し、無事4人はトキの病室へと辿り着いた。
「あれ?」
突如、奈倉は疑問の声を上げた。
他の3人も足を止め、扉にかけた手を離し、1歩下がって扉の文字に注目する。
“面会謝絶”
それは道徳的、社会的に大きな障害となる4文字であった。
「ダメじゃん」
「これは予想外だ……」
「ということは、トキはそれだけ重態ってことか?」
「よし、入ろうか」
エロティカが再び取っ手を握り、扉を横へスライドさせた。
不法侵入していることを思い出し、諦めた岩井がエロティカの後に続く。
「ヤバイって!」
小声で咎める友樹を他所に、奈倉も2人の後に続いて病室に足を踏み入れた――その時だった。
「そこの4人、何しているんだ?」
暗闇に男性の声が走った。 その声は、先に入室したエロティカと岩井にも届いていた。
男の出現に友樹は肩を震わせ、奈倉は麻酔スプレーに手をかけ、岩井とエロティカは室内で息を殺すようにして固まる。
通路の奥から全身黒尽くめの男が歩いてくる。
(この匂い……アヌビスか!)
奈倉は麻酔スプレーから懐のナイフへと得物を変えようとするが、それより早くアヌビスは警棒を取り出し、友樹の眼前で足を止めていた。
エロティカと岩井が病室から出てくる。
至近距離で男と向かい合う友樹は、握られた警棒を目にした途端、恐怖を忘れ、湧き上がる闘志に駆られて男を睨み返していた。
「面会時間はとっくに過ぎてる。
さぁ、とっとと帰れ」
奈倉の鼻が同属の匂いを嗅ぎつけ、また、暗闇になれた目がアヌビスの正体を明確に捉える。
(ハルバート・アヌビス……よりによって、コイツかよ)
仕事中であることが、普段より綺麗な言葉遣いから容易に把握できる。
抵抗する気概を失い、4人は病院の外へ連行された。
外へ連れて行かれる途中で、ハルバートアヌビスは自販機でココアを購入して4人に渡した。
――大人しくしといてやる。だから、とっとと帰れ――そういう意味を込め、ハルバートは奢ったのだ。
「なるほど。
ダチが心配ね。なら、来んな」
それだけ言って、アヌビスは踵を返した。
再び雪の降り始めた空を見上げ、岩井や友樹はため息をつく。
無駄足。
顔をしかめる3人を差し置き、エロティカはアヌビスの背中を追い、すかさずアヌビスの警棒がエロティカの鼻の頭に突きつけられる。
「大人しく帰れ」
「わかった。大人しく帰らせてもらおう。
その代わりに、トキという男にコレを届けて欲しい」
持ち上げられたビニール袋を奪い取り、アヌビスはその中身を確認した。
「マフラー?」
わずか疑問に頭を回転させている間、エロティカは逃げるように走り出していた。
それに伴って奈倉や岩井、友樹も走り出す。
その内の1人が滑って転ぶのを目撃してから、ハルバートは肩を竦めて病院内へと戻った。
「どいつもこいつも……
色世トキは面会謝絶中だ。不法侵入お断りだぜ、馬鹿野郎どもが」
1人呟き、再び院内の巡回を再開する。
その途中でトキの部屋を覗き、意外と不法な侵入を果たした面会人が多かったことにため息を漏らした。
「あ、もしもし、ナインちゃん?」
『う〜ん?』
「あのさぁ、ちょっとお願いしたいことがあるんだ」
『何々ぃ?』
「前にさ、シンソウ、とか何とかに潜れる人いるって、言っていたよね? というか居たよね?」
『神層ね。
言ったけど、今回は連れてきていないよ?』
「連れてこられないかなぁ?」
『来られなくは無いけど……時間かかるよ?』
「どれくらい?」
『1、2ヶ月くらいかな』
「実は今日ね、友達がトキを調べていたらゲートみたいなのを見つけて、そこからトキを睡眠側から覚醒側に連れてこられるんじゃないかなぁって、言っていたんだ。
だから、そのゲートみたいなのまで潜っていける人が必要なの」
『見つけたって、面会謝絶中でしょ?』
「うん。
でも、私達はフリーパスなんだよ。
だから、連れてきてもらえるかな?」
『会えるんなら、あとは探すだけだから大丈夫。
じゃあ、明日から探しに行って来るから、こっちのメンバーもたまに見て頂戴ね』
「任せて。
悪いことしそうになったら、ちゃんと叱っておくから!」
『うん。あ〜……
やっぱり今から見つけてくるわ。
ボルトちゃんが言っているのって、もしかしなくても無我のことでしょ?』
「えぇと…………うん! そう、その人!」
『わかったぁ。じゃあ、行ってきまぁす』
「お願いね」