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Second Real/Virtual  作者:
16/72

第15話-Chain of Daydream-


 まずはくくることから始めよう。


 楽しい層。

 悲しい層。

 怖い層。

 理解できない層。

 不快な層。

 虚無の層。

 荒廃の層。


 よし、次は堕とそう。


 君はあっち。

 お前はそっち。

 あんたはこっち。



「さぁ、皆。

 静かに眠りな」



 大抵の者は、何の抵抗もすることも無く、夢の箱へと入ってしまった。


 トキも例外ではなかったが……

 ある意味で、トキは例外だった。






 人は、無限に変わってゆく。


 その中で一般的にいう『成長』と、ひとつの『世界』としての成長。

 夏の空を窓の外に、彼女は発展途上にある彼の力を感じ取っていた。


 成長とは何か?

 変わるとはどういうことか?


 それらは日常生活において、あまりにも無意味な疑問だろう。

 人は常に変わり続け、しかし、その些細な変化の繰り返しに気付かない。


 しかし、体の不自由な彼女にとって、日常における些細な変化に気付くことは退屈な時間を潰すための重要な思考であり日常であった。

 空を眺めているのも悪くはないが、6年も同じ場所から見上げる空の価値観はほぼ皆無となりつつあり、それでも素晴らしいものだと時々痛感するが、その程度の価値しかもう無い。


 それに、今となってはもうほとんど見えないに等しい。


 だから、彼女は疑問を見つけることとそれを自分なりに解くことを最近の日課とし、退屈しのぎとしているのだ。


 今もそう……


 自らのSRセカンドリアルが勝手に彼の力の波動を汲み取り、疑問を与える。

 時々、それが腹立たしい。

 自分がベッドでの生活を余儀なくされているのは、紛れもなく自らのSRが原因である。

 勝手に世界を読み取るか、或いは取り込んでしまう。



(眠りについていながらも、こんなに可能性を秘めている……)



 しかし、最近はそんなことに頭が回らなくなっていた。


 彼女は、日増し――いや、僅かずつ、数秒毎に変化していく彼の力に不安も覚えていた。


 ――急すぎる


 成長が異常に早い。

 それでも遅い方だと芹真さんは言っていたが、自分のSRの成長速度とは比べ物にならない速さで力を増していた。

 増す、というよりは顕わになっていると言った方が的確だろう。



(もし、彼を敵に回した時……

 私の力で敵うの?)



 頭を振り、よからぬ考えを取り掃う。

 前向きに考えよう。彼には芹真さんがついている。


 きっとうまくいく。

 あと少し我慢すれば、また光の世界へ戻って行ける。






 解放の心地を漂わせる世界。


 温かい空気。

 安らぐ魂。


 ――ここはとても気持ちがいい。


 つい眠気を誘うモノ。

 まるで――――


 快晴の空から差し込む光。

 開け放たれた窓から吹き込む風。

 ついつい眠気を誘う。



(…………)



 力む必要が無い。

 死ぬとこういう心地でいられるのだろうか?


 そう考えると、自殺志願者の気持ちも解らなくはない。

 夢から現実へ戻る時のあの、夢心地への未練。

 その更に数段心地が良いこの感覚は、麻薬以上に依存性が強い。



(……)



 しかし――夏……



(…――っ)



 前言撤回。



(暑……)



 ――※直射日光の中で居眠りは危険です。やめましょう――


 なんて標識を見かけたのはドコだったか……

 ところで、俺の席はこんなにも直射日光降り注ぐ場所だったっけ?


 色々と思い出しながらトキは、奇妙な感覚に目を開いた。



「ん〜?」



 妙な静けさとあまり気にしたことのなかった太陽光線の量。

 さっきまで騒がしかったクラスが静寂に包まれている。


 カチッ


 あまり遭遇しない雰囲気。

 授業中でもこれだけ静かになることはまず無い。


 トキは自分が机に突っ伏し寝ていたことを頭で認識する。

 寝惚け眼をこすり、あくびを一つ。



(他の奴らはどうした?

 四式よしきあたりはいつも通り寝てそうだけど……)



 不気味なくらい静かだ。

 普段の授業でもこうだといいんだが……


 いま寝ているのが自分だけなのか、と後ろめたさと僅かな不安を感じて上体を起こす。

 寝惚け眼に映る視界が明確な輪郭を取り戻し――


 直後、多大な不安に陥った。



「へっ!?」



 思わず首を振る。

 前、左、右。

 上半身、イスの背もたれに肘を乗せ、後ろを振り返り……


 体の向きを戻す。


 つい数分か数秒か……とにかく騒がしいクラス。

 それが2年3組だ。


 しかし、今はドコに目を向けても――

 何度、ドコを確認しても――見知ったクラスメイトの姿がない――教室にはトキが1人だけだった。


 不安を隠す余裕は無く、素直に狼狽した。

 静寂であることもありも、不気味である。


 あからさまな異常事態。



「なん……?」



 自分を除き、完全に無人化した教室。

 トキは立ちあがり、窓へと駆け寄った。


 窓の外を覗き――夏の日差しに目が眩む、一瞬の眩暈。


 急いで校庭を確認するが、無人。

 そして、何の音も聞こえてこない。

 一切の動作に伴う音が微々として伝わってくることは無かった。



 カチ



(どうなってるんだ……!?)



 トキは慌てて自分の机に戻って鞄を開ける。

 鞄の中には今日の分の授業道具と細長い弁当箱がしっかりとその姿を見せていた。

 しかし、余計な物にかまっている時間はない。急いで時間割のコピーを取り出し、現在時刻と照らし合わせる。



(10:04……

 社会の時間のはずだよな)



 眠りについてから5分と経っていない。

 その間、何があったのか。


 なぜ、クラスメイトは消えた?


 考えながら拳銃――キンバーコンパクト――を取り出す。

 こんな異常事態、SRの仕業以外に考えられない。


 顔をあげ、机の中を確かめる。

 そこには見慣れた授業道具が納まっていた。



(あの時に似ている)



 脳裏に浮かぶ月光降り注ぐ夜。

 SRの世界に足を踏み入れた日、その夜の出来事。



(また、あの男の仕業なのか?)



 罪人予定者ゾンビを操る能力の男。

 しかし、よく考えてみればあの男:クワニーもホート・クリーニング店の店員だ。

 現在、芹真事務所と共闘体制を取っている。

 寝返ったのかもしれないが、何故かそうではないと否定する自分がいた。



(それとも、他のSRの仕業か?)



 どのみち異常事態であることだけはハッキリとしている。


 なら、自分は行動どうすべきか?


 銃を付属のホルスターに収め、制服の内側へと忍ばせる。

 軽く混乱していたとはいえ、訓練してもいない装備の装着をスムーズに行えた事にトキは疑問を抱かなかった。

 どちらかというと、気付かなかった。



(藍もいなくなっている。

 またどこかで戦っているのか?)



 もし、藍が戦っていたら、止めよう。



(三日連続で戦ってることになるじゃないか……)



 一呼吸おき、もう一度教室中を探る。

 後ろめたさを感じつつも他人の机の中身を確認。

 コウボウ、友樹、智明、崎島さん、エロティカ、岩井、二大委員長……etc


 誰も居ない。

 ついでに掃除ロッカーや教卓を覗いてみたが、やはり――











 Second Real/Virtual


  -第15話-


 -Chain of DayDream-










 自分の教室内の検索を終えたトキは、次に隣接するクラスの検索にかかった。

 教室の隅々、時々窓の外を覗く。

 廊下、それから、この階にあるトイレ全て。


 ――1人も見当たらない


 次に馴染みの昼食場所、特別棟の部屋を全て覗いて歩いた。やはり無人。

 それから職員室だ。

 人影はなかったものの、人が居た確かな証拠を発見。


 ――火のついたタバコ


 しかし、人との遭遇は皆無。


 学校は完全に無人の建物と化していた。

 自分達のクラス同様、人の気配がない。

 学校どころか、窓の外にさえ生物や機械、一切の活動を感じない。


 動いているのは自分だけ。


 自分達以外の一切の音が断たれたこの世界は、何が原因で発生しているのか、校舎を回りながらトキは考えた。


 こういった体験も、深く考えてみれば珍しい。

 普段人のいる場所に、自分以外の人が存在しない。



(まるで、自分だけが生き残っているような……

 他全部が死んじまったような……)



 それが率直な感想であり、自分の辿りついた感想に恐怖を覚えた。


 もし、世界がこのまま続いたら?


 カチン



(いや、そんなことない)



 これはSRの仕業だ。

 確たる証拠こそないが、霊的予感がそう告げる。


 トイレに寄り――やはり無人。

 廊下を進む途中も人の声が聞こえてくることさえなく、自分の足音だけがいやに大きく響き、伝わった。



(この調子じゃ、体育館も同じかな……)



 無人のゴミ収集所を後にし、トキは来た道を戻り始めた。

 半ば諦めつつも体育館を目指し歩き続ける。


 体育館へ通じる廊下を数歩、校舎と体育館をつなぐ渡り廊下でトキは足を止めた。



(一年生?)



 制服姿で蹲る男子が居たのである。

 制服の刺繍は学年を示していた。


 無人と思っていたこの世界で、初めて他人と遭遇したのである。



(やっと人がいたか……)



 安心しつつもため息が漏れる。むしろ、安心できたからため息が漏れたのだろう。

 とにかくトキはその生徒に歩み寄った。

 他人が居るのと居ないのでは大違いだ。

 寂寥感が紛れる。


 普段は耳ざわりに思っているはずの喧騒。 それが急に無くなった途端、人は寂しさを恐れる。

 トキはそれを実感しつつ、再び歩を進める。



(そうだ――

 もし、ここで敵が来たら……)



 丸刈り頭の一学年、男子生徒。



「なぁ、ちょっと」



 声をかける。

 だが、男子生徒は顔を上げない。その代わり、わずか頭を動かした。

 耳はしっかりと働らかせいている。



「先生たちがどこにいるか知らないか?」



 一年男子は職員室を指す。

 なるほど、普通はそう答えるよな。職員は職員室に。

 むしろ、普通なら質問をしてきた者の頭を疑うだろう。 何故そんな常識的なことを問うのか、と。

 しかし、いまは『普通』ではない。



「いや、職員室にはなぜか居なかったんだ」


「…………」



 沈黙が降り立つ。

 この状況を一言で言うなら不気味だ。

 セミの鳴き声が聞こえてもおかしくない季節だ。

 それなのに、虫の声どころか車の音・生徒や職員の声さえ……とにかく何かが運動する音が聞こえてこないのだ。


 目の前に他人が居るにもかかわらず静寂が続く。

 これでは1人でいるのと変わらない。



「君はどうしてここに?」


「待ってる」


「他にも誰かいるのか?」



 初めて声を聞いた途端――



 カチンッ



「皆消えるのをさ」



 瞬間的にトキの頭はフリーズした。

 快晴の日差しの下、トキは本当に凍ったかのように固まり、思考停止に陥ること数秒。


 トキの中で何かが吹き飛んだ。


 この世界に取り残されたのが自分だけじゃないという恐怖、それを払うための希望。

 恐怖と希望のカクテルがトキの頭を混濁させていく。



(まさか、こいつ……)



 少しずつ混濁が収まっていくのと同時、状況整理が始まる。


 自分と同じ学校にSRがいる。

 しかも、一年生に。



「……やっと、98%の排除・整理が完了した」



 立ち上がりながらソイツは言った。

 1歩引き、トキは質問する。



「お前、SRか?」


「ああ」



 ソイツはあっさりと認め、トキは反射的にまた1歩引いた。



(こんな時間に襲ってくるなんて……)


「この体に馴染むのに時間が掛かった『所為』か、『お陰』か……

 ここに蹲っていたことで貴様と対面できたわけだ。

 こちらから足を運ぶ手間を省いてくれたことに感謝すべきか?」


「お前も協会か!?」



 自分より身長の低いはずのソイツにトキは気圧されていた。

 だだ漏れる殺意が足を引かせる。



「オレは無所属連合の第5位11番。

 呪術師のSR、イマル・リーゼ」


(無所属……連合?)



 名前と顔に違和感があった。

 どう見ても日本人。

 ハーフにも見えないし、名前だって日本人のそれではない。



「もちろん、この体は本体ではない。

 一時借りているだけだ。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 さっそく本題だ。

 早くこの世界を脱したいのなら、オレ達と一緒に来ることを承諾しろ」


「は?」



 あまりにも唐突な話に、トキの思考は呆気なく2度目の混乱を迎えた。

 無所属であって協会ではない。

 無所属だから小規模集団でもない。

 目の前のこいつは本体じゃない。


 一緒に来る……行く?

 それは無所属になれと?



「さぁ、早くこの夢から出たいだろ?」



 トキの質問を無視。

 まともに話を聞いてくれない相手であることは十分にわかった。



「まぁ……出たいさ」


「なら一緒に――」


「お断りだ!

 ココから出たい以外の理由がない。そんな理由で無所属の奴らとは組まない」


「理由として不十分だったか?

 しかし、貴様に理由がなくともオレ達には明確な理由がある」


「一体、どうする気だ?」


「利用……いや、使用だ。

 貴様ほど器にふさわしい人間はいない」


(器?)


「オレ達が協会に対抗するための手段だ」


「それこそお断りだ……嫌だね。

 何でオレが?

 お前らの兵器になんかならない。なってたまるかよ」



 一方的な要求など、誰が認めようか。

 強気に言い返すトキだが……



「兵器じゃない。

 同志だ」


「ドウシ?」


「貴様とて協会を憎いと思っているのだろ?

 なら、オレらと組もう。手を貸せ。

 そうすれば協会に一矢報いてやることもできる。

 うまく行けば我々が新たなルールとして世界に君臨できる」



 混乱は深まった。


 協会を打ち破る……同士? 同志?

 無所属は群れを成さない者たちの総称ではなかったのか?

 オレ達と言っている時点ですでに組織化している?


 無所属連合?


 しかし、返事は決まっている。

 No。

 芹真さん達と共に戦うと心に決めたんだ。



「オレ達に兵器は要らず。

 しかし、圧倒的人材に不足しているのが現状さ。

 まぁ、そうじゃない奴らもいるが……」


「俺は仲間になんかならない。

 それ以上話ても――」


「そうだな、無駄になるな。

 なら、貴様の友人を連れて行くとしよう」



 カチッ!



 トキの体中に電撃が走った。

 混乱がたったの一言で沈静化。


 おい……



「……何て言った?」


「貴様の友人を連れて行く。

 何も貴様だけが器の候補者じゃない。

 器に相応しき者が他にも2、3居るのだからな」



 絶句。

 それは無関係な人を無理やりSRの世界に引き込むということ。

 許されるはずが無い。


 つぅか許すかよ。



「……これは夢だ」


「そう。

 オレが創り出したモノ


「お前を倒す……

 決めたよ、絶対に倒す!」


「意気込むのは結構。

 しかし、それがどれだけ無駄なことか……体で思い知った方が早いか?」



 トキは銃に手を伸ばし――初めて異変に気付いた――ホルスターに収めたはずの銃がなくなっていることを知った。

 微笑むイマル。



「この世界を創っているのはオレ。

 全ては意のまま。

 お前に勝ち目があると思うな」


(銃が……)



 武器なしで対峙するのは困難。

 トキは、自分の戦闘能力の低さはここ2日で――今日で3日目か――嫌というほど味わった。


 だが、全て“武器/ネタ”が尽きたわけではない。



(もう一度、あの力が使えれば……)



 トウコツと対峙した時に使用したタイムリーダー。

 そして、時間剥奪クロノセプト

 問題は、奴が創り出したというこの世界で力を使えるかどうかにある。


 もし、SRが発動しなかったら……



「どうやって痛められたい?」



 2人は無言で睨みあった。

 これ以上、言葉は要らない。



(コイツ……先ず、武器を手に入れようとするな)


(そうだ、武器を手に入れないと太刀打ちはできない!)



 直後、2人は同時に動き出した。

 トキは踵を返し、全力疾走。

 一方イマルは、予想通りに動き出したトキの追撃に出た。



「“霞の彼方への咆哮、見えて観えないモノの追討!

 ただ一を狩り、一のみが得、得たもの真実に変わり、無限に繰り返される夢幻の誓約。

 追え 狩人たちよ!”」



 超早口を背中にトキは走り続けた。

 振り返っている暇など……耳を傾けている場合では、ない。

 奴の術か技、とにかく何かが迫ってくるだろう。


 ――出来るだけ距離を!


 体育館へ通じる通路から校舎内通路へ。

 全力で戻った時、思いもよらぬ事態にトキはスピードを落とさざるをえなかった。



「う、わっ!

 ってぇっ!?」



 突如、無人の校舎は大勢の生徒で彩られた

 廊下を半ば走ったところ、トキめがけて生徒達が殺到。

 しかも、一クラス単位。

 この狭い廊下に逃げ場が無い。


 階段――遠い!

 戻る――論外!



「くそっ!」



 人波の先頭集団がトキを抑えようと殺到する。

 捕まったら終わりだ。

 全てのチャンスを失う。負ける!


 トキは教室とは反対側の廊下の壁――ここは1階――窓に向かって加速した。

 ガラスの窓は開いている。



(うまく行けば!)



 しかし、開いていた窓がイマルにとって都合よく閉まってしまう。

 納得しながら悔やみつつトキは突っ込んだ。


 どうせ夢だ。



「だあぁぁぁっ!」



 水飲み場を足場に飛ぶ。

 その直前にトキの足を押しかけた生徒らの指先が掠めた。


 間一髪。

 トキが飛ぶ方が早い。

 ガラスを割り、トキは外に出ることに成功した。



「痛っ……!」



 しかし、着地にわずか失敗。

 地面を転がった時、ガラスの破片が皮膚と肉を切り裂いた。


 だが、止まっている暇は無い。

 立ち上がって出来る限り速度を上げる。


 ガラスで切った腕の部分から流れ落ちる血の温もり。

 教室で寝ていた時の温度。

 走る時の風の感触。



(とても夢とは思えない……!)



 奴らが追ってくる。

 そのままトキは裏門へ走り、


 ――屋外が屋内に――


 気付けば、校舎内へ戻っていた。



「なっ…にん!?」



 いきなり地面が床になっていた。

 太陽の下からいきなり校舎に入り、暗順応に少しだけ戸惑う。


 しかし、視界が明確さを取り戻すにつれ、戸惑いを軽く覆すほど絶望的な光景が目に飛び込んできた。

 目の前に大勢の生徒・職員達が待ち受けていたのだ。

 所狭しと玄関のロビーは人並みで溢れかえらんばかりだった。



(ちくしょう! 上等だ!

 お前らなんて、トウコツやアヌビスと比べたら全然怖くなんかない!)



 自慢じゃないが鬼ごっこだけは負けたことが無いんだぜ!


 しかし、この圧倒的人数差の前にそのスキルが生かされることはないだろう。

 何せ、無数の鬼vs逃亡者1人。

 逆鬼ごっこだ。

 そして怖くないと思っているのも表層意識だけ。

 捕まった時のことを考えると鳥肌が立ち、足が震える。



(そうだ!)



 無数の鬼の中に突っ込んだ瞬間、

 以前、1度見た映画――何だったっけ?――とにかくその行動をトキは模倣して試みよう。


 1人目のタックル。

 紙一重で躱わし、次にまた1人突っ込む。

 低めのタックル。



(まるで神風特こ……)



 躱わす!

 3人目が迫った。

 距離、タイミング、高さ……跳ぶならここだ!



「はっ!」



 ソイツのギリギリまでひきつけ、トキは直前で飛んだ。


 ――踏み台!


 トキは生徒の低姿勢でのタックルを逆手に取り、普段は取らない足場を選んだ。

 どうせ夢。

 そらなら、何をしても咎めはない。


 背中から他の生徒の肩へ、頭へ。


 普段ではありえない視点の高さに一瞬戸惑う。

 高い。

 落ちたら痛い。いや、次は無い。


 故に、落下は許されない! 

 そう。問題はココからだ。いかに早く、そして落ちずにこの密集地帯を切り抜けるか。



「これなら行けるっ!」



 その時、トキのSRは発動した。

 跳ぶ。

 他の生徒の肩や頭を足場とし、次々と足場を跳び移っていく。


 タイムリーダーの力で全てがスローに見えた。

 ほぼ止まっていると言っても過言ではない。

 意識はこの低速の世界でも通常速度で働いている。


 問題は、自分の体もほぼスローで動いていること。踏み外すことは許されない。

 それなのに、筋肉の伸縮がまた妙な感覚にトキは軽く戸惑っていた。



(運動している時の筋肉って、こんなに伸縮するんだ……)



 雑念にかられ、途中でバランスを崩すもののギリギリのところで持ち堪える。

 そして、5分にも10分にも感じられた数秒が経過した時、トキは玄関の密集地帯を切り抜けることに成功した。

 急いで自分のクラスを目指す。



(よし!)



 トキは生徒の少ない地面に着地し、再び走り出した。






 走り続けるトキの様子を、イマルは完璧に把握していた。

 この世界を創り出したのは自分で、自分が創り出たモノ以外の存在は、簡単に知覚出来る。



「さて、色世 時……

 貴様の夢を見せてもらおう」



 仮構の炎天下、呪術師は呟いた。






 ――あいつら、数はいるが反応速度が遅いうえに、走るのもそんなに速くないぞ!


 素手で奴を倒すことは無理だろう。

 しかし、何か武器さえ手に入れることが出来れば、倒せなくとも傷を負わせるくらいできる。

 そんな気がしていた。



(どうしてアイツらはいきなり現れた?

 ドコにこれだけ隠れていたんだ?

 何で今頃になってこんなに現れたんだよ?

 全てが奴の仕業なのか?)

 


 呪術師イマル。


 これが、無所属のやり方なのか考えているうちに2年3組に到着した。

 扉をくぐりトキは教室全体を見回し……



「うっ!」



 教室に入り、その異変に気づいた時、扉は自動的に閉まった。


 扉が勝手に閉まったことには驚かない。

 が、さすがに教室の外――窓の外――で昼夜が完全に逆転していたことには驚いた。



「さっきまで……

 青空……」



 更にトキを驚かせたのは無人だったはずの教室が、昼夜逆転の異変に気づいた途端、見慣れたクラスメイトたちで埋め尽くされていた。



「トキ、何をしているの?

 すぐ席に戻りなさい」


「え、あの、レンガ先生……?」


「ん、何?

 授業の邪魔をしたいの?」



 いつの間にか定時制になってしまった自分のクラスを見て、トキは夢と現実の混乱が始まったこと、自分がいま非の打ち所のない混乱にいることを認識した。


 目の前の光景はおそらく夢だろう。

 だが、感覚や感情は、夢の中にまで付きまとうモノだっただろうか。


 付きまとう。

 いや、錯覚だ……


 錯覚か?



(落ち着け!

 これも、あいつの仕業だ!)



 トキは焦り、同時に恐怖を抱いた。

 夢の中だと思っている世界で他の生徒たちの視線に恥ずかしさを覚え、夢の中であるにも関わらず、羞恥心が働く。


 この世界が夢で無いから?



(本当に夢なのか?)



 これまでの全てが夢で、目の前の光景が現実だったらどうであろう?


 今まで体験・体感してきたもの全てが偽りだったと受け入れることは出来るか。

 受け入れたことでどう変わる。

 自分の過去は夢だった。


 どのように変わることが出来て、自分はどうなってゆく?



(いや、現実じゃない!

 アイツが創り出した世界で、俺を惑わす気だ!)



 カチン



「先生、俺……ちょっと用事があって早退したいんです。

 それで、忘れ物を取りに来ました」


「そうか。

 で、どんな用事があってだ?」



 夢と分かりつつもいつも通りの会話口調になってしまう。

 目の前の蓮雅先生は現実と何一つ変わりない。

 口調から体格、威圧まで全て現実のそれと同じだった。



「えっ、と……」



 トキは言葉に詰まった。

 残念ながら、一般の人間に話せる理由はない。

 例え、コレが夢だろうと。



(そうだ、これは奴が創り出している世界だ。

 どんな理由があっても断られるか……)



 踵を返してトキは自分の席に走った。






(なるほど……

 コイツには人並みの“夢/理想”がない)



 将来、何になりたい。

 そういう明確な願望・欲望が、トキには皆無に等しいかった。


 何になろうとしているのか、将来の自己像が確定されていない。

 通りで、とイマルはため息をついた。

 面白い実験対象ではあるが、黙らせるとなれば面倒な相手でしかない。



(しかし……“夢/記憶”はあるか)



 イマルは“改層”をやめ――

 “回想/回層”でトキを囲んだ。






 机の脇に提げている鞄を手に取り、トキは走り出した瞬間――


 再び周囲の光景が変わる。

 外は晴天の真昼へ変わり、教室からはすべての机が消えた。



(あれ?

 何で上下逆さ……)



 トキは背中から地面に転がった。

 呼吸が乱れる。


 直前に僅かな感触があり、寝転んだ状態から起き上がろうとするトキの目の前に彼女が現れた。

 裏委員長こと、木田村 麻衣子マイコ



「色世君。

 先生の質問には答えなきゃダメでしょ?

 それに、早退にはそれなりの理由が必要なんだから」



 トキの中で、夢と現実の区別が一層曖昧なものになった。

 夢の中でも正当な理由を突きつけてくる裏委員長。

 いつでも、誰にでも平等だ。



「っ……」



 一瞬にして机が消えたのは幸いだった。

 机にぶつかってダメージを貰うことは無かったのだから。


 しかし、見知った生徒は誰一人として消えていなかった。

 そう。

 見知った生徒は。



「うっ……!」



 地面を背にしていたはずのトキは、2本足でクラスの真ん中に立っていた。

 またしても景色が変化したのだ。

 倒れているはずのトキは、しっかりと自分の足で立ち、そして、机・椅子の消えた教室でクラスメイトに囲まれている。



(何なんだこれ……!?)



 だが、最大の衝撃をトキ与えたのは、トキだった。

 中央に立つトキと、向かい合う――



(え……俺!?)



 トキを囲むクラスメイト。

 トキの真正面に立ち、鋭い目で睨み付ける、もう1人のトキ。


 現実と夢のトキ。

 呆気に取られた数秒。

 囲いは一気に縮まり、全てが一斉にトキへと襲い掛かった。


 最初の一撃は、背中。

 誰が押したのかわからない。また、どんな方法で押したのかわからない。

 押したのか、蹴ったのかさえ曖昧だった。


 体が前のめり、必死に支えを探す。

 地面に手を付くことでなんとかバランスを保つ。


 しかし――バランスを保った直後、トキは何もすることが…………させてもらえなかった。



 “逃げた意味な――……”



 殴る。

 蹴る。

 叩く。

 踏みつける。

 物をぶつける。


 袋叩き。


 その現実は、1対39という圧倒的差。



「―――ッ!!」



 1秒が5秒にも感じられる瞬間。

 それは時間の経過と共に体感時間も長くなっていく苦痛。


 見知った顔――クラスメイト――の容赦ない攻撃。


 つい数秒前まで、ただ視線を送るだけだった彼ら。

 それが今、微塵の殺意も抱かずトキを囲み、痛めつけていた。


 声をあげれば、少しは楽だろう。

 力一杯叫ぶことで少しは痛みを紛らわせられるだろう。


 だが、それも出来ない。

 床に手をついてすぐ、トキの顔面にローキックが打ち込まれた。


 揺れる視界。

 混濁する思考。

 蹴られた場所に響く痛み。

 歯はぐらつき、口の中は切れ、鼻から朱が滴る。



「――……!!」



 腕で顔を守る。

 脇を占め、両足を閉じ、トキは反撃や抵抗といった多くの『選択』を捨てた。


 急所を守る。

 声を上げることが出来ないトキに残された抵抗手段。


 ――痛い



(やめてくれ……友樹

 そんなすんな、翼……

 コウボウ――まで)



 背中。

 蹴られ、何らかの物で殴りつけられ……


 ――怖い



(やめてくれ……佐野代、裏委員長!)



 腕。

 骨が軋むのがわかる。

 一体何人に蹴られ、何度蹴られ……


 あと、何度痛めつけられる?


 ――もう……



(…………やめ……)



 脇腹。

 重たい何か。

 蹴り。拳。凶器。


 この体はいつまで保つ?


 悲鳴を上げる肉体。

 鍛えておけば良かったと後悔するが、後の祭り。


 ――やめてくれ



(――――)



 全身に痛みを覚えながらも、トキはただ縮こまるしかなかった。

 今、自分に出来ること――必死に、この場を切り抜けること。



(――で?

 何で?どうして?

 皆、どうして?

 俺は何もして……)



 加え続けられる打撃・衝撃。


 ――痛い、痛いっ

 ……痛い!痛いっ!


 蹴り。

 指や関節が異常を訴え始める。

 殴打。

 打たれた背中に熱が篭り、激痛として伝わる。

 凶器。

 制服を破り、皮膚へ直接攻撃を受け、体の所々から流血が始まる。



(これじゃあ……)



 脳裏に浮かぶ、記憶。

 今に始まった話じゃない。

 が、2度と思い出したくなかった記憶。



(小学の時とまるで同――……)



 再び顔面に蹴りが入る。

 床に側頭部を打ち、今一度力の限りを出して縮こまる。


 もう、どこをどうされているのか判らない。


 早く終われ。

 すぐに覚めろ。


 きっと、目が覚めればベッドの上だ。

 見慣れた自分の居場所で目覚め、すべてを共通の世界へと歩み出て行く。


 そう。

 これは夢だ。


 ――小学校の時の嫌な思い出を、夢で見ているんだ!


 夢の回層が一段と激しさを増す。

 トキを痛めつける全員が、得物を手に、袋叩きを続ける。


 すね、肘、首、尻、腕、背中、ヒザ、指、頭……


 痛みの度合いを増していく攻撃。

 何度も繰り返される痛み。


 何度も放たれる攻撃。

 考える余裕・冷静さを奪ってゆく痛み。


 執拗に――

 無限に繰り返される囲い。



(夢だ……

 夢なんだ!)



 夢という名の現実。

 まさにそれだった。

 それでも終わりが来ることを信じ、トキは自分に言い聞かせた。

 いつかは終わる夢だ、と。





 そんなトキを感じ取り、イマルは夢層のグレードをあげる。

 まだまだ。 これからだ。



「コイツらも混ぜてやるよ」



 トキを囲む袋にソイツらが追加された。






 ズッ……



 それは突然。

 何の前触れもなく訪れた。


 凶器攻撃を必死に耐えるトキを、新たに――更なる激痛が襲った。



「あっ!……!?」



 押し殺されていた声が上がる。

 鋭い、一瞬で通過する電撃のような痛み。


 今までの凶器、打撃によるものとは明らかに違う激痛。

 それが次々とトキに降りかかった。

 両手両足、脇、背中、関節、首。


 その中で、最も痛覚を伴ったのが背中である。



(刃物!?)



 直後、誰かが背後から首を掴み、持ち上げる。

 持ち上げられ、開けた視界から不思議と驚愕が同時に飛び込んだ。



(アヌ……ビス?)



 最初の不思議は、そいつら(アヌビス)が生きていたこと。

 しかも、複数。

 それから僅かして、ピタリと攻撃が止んでいた事に気付く。



(死んだはずのアヌビスが――)



 どうして。

 そんな疑問の言葉が浮かんだ頃、トキの体はガラスを割り、地上2階の空中に投げ出されていた。


 何をされたのか、トキには理解できない。

 思考が追いつかず、自分が投げ出されたと認識するのが精一杯だった。


 幸か不幸か、そのお陰か所為か……

 2階からの落下が頭になかったため、トキは簡単に生を諦めることはなかった。

 自ら、“死んだ”と悟らない。


 何故、アヌビスが生きているのか。

 どうして自分の目の前に再び現れたのか。


 更に、単純・明確に幸いだったことは、落下した場所が陸上部所有の砂場であったこと。

 それでも、着地の衝撃が半端なものでないことに変わりはない。

 一瞬止まる呼吸。

 全身に響き伝わる衝撃。

 飛びかけの意識を必死に繋ぎ止めることさえ苦痛に感じる。


 呼吸を整えるのに数秒。


 ――痛い


 すぐに追ってこないことが逆に不気味だった。

 全身の痛みを堪え、トキは砂場を這いずり出る。


 目に映る出入り口。 正門。



 カチン!



 ふと、トキの目がソイツに向いた。

 現状の原因、敵呪術師:イマル・リーゼ。



「貴様は何をしているのだ?」



 微笑むイマルを見上げ、トキは停止した。

 どうしてコイツはこうも面白そうな顔をしているのか……その理由を考えて腹立たしくなる。



「オレを倒すんじゃないのか?

 貴様はそう決めたんだろ?」


「…………」



 返す言葉を必死に探し――



「お前は夢の中にいるのか?」



 そんな言葉で探索を中断させられた。



「貴様は本当にコレが夢だと思っているのか?」


「……ば」


「もしそうなら、理由を聞かせてもらおう。

 “何を否定したくて”この世界を夢だと言いたい?」



 呼吸を整える。

 全身の痛みが思考を阻害し、上手く言葉が出てくれるか不安だった。



「……オレのクラスメイトは――」


「ん〜?」



 勝ち誇るイマル。

 怒りが傷に響く。

 だが、痛み以上に悔しさがこみ上げていた。



「意味も無く……人を――

 ……殴ったりする奴らじゃない!」



 僅かな呼吸の乱れ・多大な感情の流動からむせぶ。

 悔しさと怒りと、痛み。

 自分で吐いた唾は、虚しくも自分に降りかかるだけだった。



「その言葉を現実に何人のクラスメイトが聞き入れると思う?」



 イマルに気を取られていたトキは、再び囲まれていることを今更になって気付いた。

 見慣れたクラスメイト。

 死んだはずのアヌビス。


 極めて絶望的状況。

 再び逃げ場を失ったトキは、俯き、地面を叩いた。


 ――こんな奴にやられる

 ――自分独りでは何も……



「貴様のクラスに何人のSRがいると思う?」


「――……え……っ」



 顔を上げるのと同時、首が痛む。

 何かを突きつけられている。



「貴様は無意味に人を殺めるクラスメイトなどいないと言っているが、それは貴様が奴らの素性を知らないだけだ」


「素性……?」


「貴様のクラスには協会1人。鬼の娘が1人。

 その他にも、SRの器としてこれ以上無いという上質な素材が複数。

 更には器実験の痕跡者が居るではないか」



 2度目の絶句。

 それはトキにとってあまりにも衝撃的なものだった。


 巻き込まれないで欲しいと心の底で願っていた。

 どれだけさげすまれようと、どんなにいたぶられようと……皆と一緒に居たい。


 もし、そんな彼らが生死に関わる事件に関わっても、自分じゃ助けるだけの力が無い。

 だから、是と非と、心の底では願っていたのだ。

 巻き込まれないで欲しいと。



「貴様は甘い。

 考えが甘い。

 行動も甘い。

 やること成すこと中途半端で、賞賛できるものが一つも無い」



 弱く。

 また、愚かしい。



(あぁ〜、何か……)



 この状況を打破する閃きは無く、ただ――現状況下でトキの頭はどうでもいい結論に至った。


 どうして小学校の時に袋叩きにあったのか?

 考えてみれば、自分の両親はその頃から日本には居なかった。

 母親に至っては他界しているし、父は海外獄中。


 そうか。

 だから、親父はあんな所に籠ってしまったのか。

 養父との関わりもその辺りの時期からだ。


 どうしてその辺の記憶が曖昧だったのかは、昨日判明した。

 SRの襲撃と、自分が唯一の生存者であったこと。

 その為、SRに関わった記憶を封印されていた。


 一度殺されたらしい、俺。


 では、なぜ今まで――今、生きている?



(……あれ?

 オレ、生きている?)



 この世界は夢。


 夢の中に、生命いのちは伴うものなのか?


 トキは脳心理学者でも医者でも、また夢を研究する人間でもない。

 故にそんなことわからない。


 夢の中で死ねば、現実でも死ぬ。

 なぜなら、魂は常に自意識と共にあるから。



(あぁ〜……エロティカめ)



 自分を囲む袋の中にそいつの姿を探す。

 といっても顔を上げる程度のことしか出来ない。


 ――トキは軽く混乱していることに気付いていない


 認めたくないが、人生における初めての親友。

 態度と性欲は最悪級だが、絶対に暴力には触れない男。



 ガチン



(……居た)



 イマルの左側、3番目のところにその姿はあった。

 見慣れた面。

 それが再びこの世界を夢だと認識させる。

 ここは現実であって夢だ。


 夢の中という現実だ。



「――うるせぇ」


「ん?」



 踏ん切りがついた。


 いいや。どうなっても。

 分かったんだよ。



「もう、お前は喋んな……」


「よかろう。

 だが、どうしようとこの袋は黙らないぞ。

 なぜなら、全てオレの思い通りに動くんだからな」



 呼吸が、少しずつ整う。

 痛みが消えたわけじゃないが、痛みを忘れることは出来た。


 せめて、1発。

 例え効果や意味が無くても、1度くらいは叩いておきたい。


 這いずり、トキはイマルに接近した。

 見上げるトキと、見下すイマル。


 本当に無言だった。

 何も語らず、イマルはトキを見下し、トキは視線に憎悪をこめて見返す。


 関係ない。

 相手がどうしようと、どんなだろうと、とりあえず殴る。

 相手が動かないんならそれに越したことは無い。


 どうせ夢だ。

 やれるだけやって終わろう。

 死ぬかどうかは後回しだ。

 やらないと目覚めが悪い。

 怒り任せにトキは、イマルの足元まで這いずっていた。


 イマルの足に。

 立ち上がることができないトキには、それが精一杯だった。


 放たれる、遅々とした拳。

 狙いは、脛。


 結果――

 イマルの言う通り、袋は黙っていなかった。

 トキの放った右拳は、イマルに届く前に阻害される。



 ズンッ



 スローイングナイフ。

 右手の皮膚を切り裂き、肉を破り、甲の骨を砕く。

 貫いたナイフは、その刀身を地面に深々と突き刺した。


 今までの攻撃の中で、最も痛みを喚起した。

 全てをくじく一撃。

 いままでに出遭ったことのない痛み。


 トキは左手で手首を押さえた。

 少しでも、痛みが和らぐなら。

 涙を流しつつも、イマルを睨み付ける。



(――藍だって……っ!)



 ガチンッ



 トキの頭に彼女の姿が浮かぶ。


 初めて出会った夜の驚異。

 非力すぎる自分を救ってくれた戦鬼。

 流れるような動きと、圧倒的スピードと、火力。

 そして人並み外れた底力。


 どんなに多くの敵と向かい合っても決して逃げようとしない。

 全てを打ち砕かんという強い姿勢。

 ゾンビに立ち向かい、アヌビスと渡り合い、トウコツと対峙した。

 どんな敵だろうと関係なく、常に全力で戦っている。


 それが、トキの目に映った藍。

 自分の求める強さを纏いし、哭き鬼。



「あいつだって……!

 こんなに耐えたんだ!」



 同じアヌビスに、同じ攻撃をくらい――だから、同じ痛みに耐えてみたい――だからこそ、諦めたくない。

 アヌビスと戦っていた彼女は最後の最後まで諦めようとしなかった。



(俺だって!)



 トキの叫び声にイマルの顔が驚きで彩られた。

 再び、袋が縮まり、嵐のような攻撃が再開される。


 だが、先程とは違う。

 凶器攻撃に無数の刃物が追加され、急所を避けるよう、じわじわ痛めつけるように浅めの斬撃が断続的に繰り出された。

 攻撃されるたびに痛めつけられるその感覚は、ひと思いに死を乞いたくなる痛覚の波。



(ちっ……

 しぶとい!)



 しかし、先程とは違う。

 トキの目はイマルをにらみつけたまま動かない。

 涙溢れる激痛の中、闘志は膨らむ一方だった。

 どんな痛い目に遭おうと、決して屈するつもりはない。


 思い返せば自分の理想像が手の届くような、身近に存在した。

 非力なんだ。

 少しでも強い奴の真似をして、近づきたい。


 強い奴の真似をして何が悪い?


 とにかく、1人でも困難を乗り越えられる力が欲しい。

 その為にはまず諦めない。

 逃げない。

 そうすれば、いつかはチャンスがくる。

 トキはひたすら耐えた。


 それがトキに出来る唯一、精一杯の『抵抗』だった。








「あん?

 何だお前?」



 タバコを踏み潰し、奈倉愛院はソイツと遭遇した。

 SRの匂いが嫌なほど漂ってくる。



「色世 時のクラスはどこかな?」


「あんた誰だよ?」



 鋭い目付きの番犬に対し、男の目は殆ど死人に近いものだった。



「この夢を創り出している男を捜している」


「皆を夢から逃がしてくれるのかい?」


「そうだ」



 愛院は手早く男に場所を教えた。

 すぐに男は移動を開始。校舎へと消えていった。


 通りざまに嗅いだ匂いから、あまり相性の良くない相手だとわかった。



(まぁ、敵対意志は皆無だし、害は無ぇか)



 あっさり認め、愛院は次のタバコを取り出した。


 いま、呪術師イマルにとって最大のイレギュラーが裏門から侵入を果たしたのである。






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