第11話-喧騒と平和の狭間に/Enemy of the third kind-
トキのベッドでボルトが夢の中へ落ちるまでそう時間はかからなかった。
問題は1階に寝る予定の2人であるが、とりわけパイロンは問題なし。
問題があるのはハンズで、仕方なくソファをベッド代わりにするなどとゴネ、何だかんだ言って気持ち良さそうに寝やがった。
ともあれ、久々に我が家(色世家)に自分以外の誰かが寝る。
眠りにつく間際、トキはその事実を認識した。
新鮮なような不愉快のような……
丘の上に教会が見える。
そこから空へと視線を移すと、果てしない蒼穹が広がっていた。
地上から見上げる午後の青空。
トキは墓地に立っていた。
この墓地は、教会の所有地。
見たことのない土地、来たことのない場所。
これは夢だ。
なぜなら、トキにここを訪れる理由がない。
自分は何故ここにいる。
この無償に湧いてくる幸福感は一体何なのか。
同時に発生する寂しさ、切なさ。
いままで着たことのない服。何故、スーツを着ているのか。
葬式にしては妙だ。自分以外に人がいない。
かといって葬儀が終わったわけでもないようだ。墓には何の供えも無い。
数秒後にこれが夢だと再び認識し、心の隅で笑った。
誰かの墓参りに訪れている自分。
だが、知人や親族が死んだと言う出来事は、ここ数年起こっていない。
この墓は誰のモノだ?
考えに考え、ある人が頭に浮かんだ。
まさか。
「……母さん」
目が、墓石に刻まれた名前へと落ちる。
しかし、焦点が合わない。
刻まれた名前に、目が上手く向いてくれない。
どうしてなのか少し悩み――
自分はまだ、母の死を受け入れきれていないのか。
だから、死を証明する墓石に刻まれた母の名を直視できない。
そんな自分に情けなさを感じずにはいられない。 だが、どうしても受け入れたくない現実が目の前にある。
(でも……)
ふと、それが母の墓なのか疑問を抱いた。
――もし違ったら?
――他人の墓だったら?
――考えてみれば、母の墓参りに参加したことはあるか?
(いや、ない)
それどころか、墓があるのかどうかさえ知らない。
(そうだ。これは、母さんの居場所を知るチャンスだ)
これが夢だと分かりつつも、決心する。
そう。思い出したんだ。
トウコツのとの戦闘で、封じられていたらしい記憶が。
どんなに否定しようとも死人は蘇らない。SRであろうと死を簡単に覆すことはできない。
なら、『死』は受け入れなければいけない。誰も避けることの出来ない結末。
唯一決められた未来。
それでも、誰かが覚えてさえいれば、永遠に存在できる。
トキは目を開き、改めて視線を墓標に向けた。
母の死は、子供である自分が受け止めなくては。
しかし、それが叶うことは……。
ドドドンッ!
「………?」
静寂な夢に走る轟音。
揺れる視線。
その衝撃で体勢が崩れる。
トキは前のめりになる体を、目の前の墓石に手をつくことで支える。
そんなトキに、容赦なく銃撃が襲い掛かり続けた。
銃撃。
三点連射。
轟音に伴う衝撃。激痛。
視界が揺れる。体が熱い。力が、自分の中からこぼれていく。
(敵……!?)
3度目の銃撃。
呼吸が乱れる。
撃たれた。背後。遅い……
夢、という感じがしない。
トキは撃たれながらも何とか振り返る。
その先に――
銃撃。
(M…93R!)
無機質な表情で銃を構える、少年とも少女ともとれる子供がいた。
飾り気の無い服に、喜怒哀楽を知らない顔。
銃を握る白い手。
すでに10発以上の銃弾を喰らったトキは、これで自分の人生が終わるのだと悟った。
どこかの偉大で高名な預言者にきかなくたってわかる。
―この負傷、2分もせずに死へ至る―
これが自分の最期。
その呆気なさにトキは可笑しさを覚えた。
いくら強力なSRという力を持っていようが、必ず隙は生まれてしまう。
常に肩に力を入れて生きていける人間など居ない。弓とて弦を張りっぱなしでは緩んでしまうものだ。それではいざと言う時に使い物にならない。
だから、たまに外さなければいけない。
その外した時のことを『隙』というのだ。
目の前の暗殺者はしっかりとそれを理解し、モノにした。
自分の人生の最期がこれほど呆気ないとは。
「なぁ……」
銃を構えゆっくり歩み寄るその子供に、トキは声をかけてみた。
せめて、最期に教えてくれ。冥土の土産ってやつにさ。
「君は……誰だい?」
それまで無言だった子供は答えた。
「 」
更に銃撃。
最早、声さえ聞こえない。
だが、少女はしっかりと答えてくれた。
――---!
それが、止めの銃撃だった。
Second Real/Virtual
-第11話-
-喧騒と平和の狭間に/Enemy of the third kind-
「――っ!?」
トキは、汗まみれの体に不快を覚えつつ飛び起きた。
その横では、どんな夢をみているのかわからないが、激しく両手両足をバタつかせているボルトが居た。
(何だよ……あの夢?)
あの夢を作り出した自分の脳みそに対して自問自答し、頭を振ってから時間を確かめる。
AM 05:49
芹真事務所に関わってからと言うもの、起床時間がやたらと早いトキ。
そういえば昨日の今朝は、と考え嫌なことを思い出した。
「ん〜、ぃやぁ〜〜」
トキが軽く鬱になっている横で、ボルトが寝返り――
だけで終わるかと思いきや、
「っちぃくう〜!」
ワケのわからん寝言と同時にボルトの蹴り――正確に言うなら踵――が炸裂。
もちろん金的で!
「l'*q#-ッ?!」
トキは激痛のあまりにベッドから落ちた。
股間に走る激痛!
(おぉぉ!
タマァァぁッ!!)
寝ているボルトに罪は無いだろう。
だが、これはちょっと抗議しなければ腹のムシが治まらない!
男子なら一度は体験したことがあるであろう、金的。
あのジワジワと体中に響く痛みを、それもまだ意識も朦朧としている朝の一番から受けた時のことを想像してみよう!
眠気+激痛。
この二つが伴う不快感は大陸棚のそれより深い。
食い物の恨みは海より何ちゃら〜、に勝らずとも劣らない憎悪が湧いてくる。
トキも健全な男子だ。
例外なくその痛みにもがき、歯を食いしばって堪える。
後で仕返ししてやろうかと頭の中によからぬ企みが浮かび上がる。
が、しかし……
トキがボルトに太刀打ちできないことは火を見るより明らか。
下手に罠を張って待っていたところ、お得意の読心術で看破されるのがオチだ。
なら、腕力では?
ハッキリと言おう……なおさら無理!まず命がいくつあっても足りません!
故に、後で文句を言うことでしかこの怒りを解消する方法がない。
うぅ、情けねェ。11歳の女の子に太刀打ちできないなんて……
少しずつ治まりつつある痛みを堪え、トキは二度寝を諦めた。
いつの間にかベッドの主導権を枕ごとボルトに奪われている。
昨日の不運がまだ続いているのかトキは考え、もしや今日もついていない日になるのか、と不安になった。
「……ん?」
トキは自分の部屋を抜け、階段を降りて1階の廊下で立ち止まる。
「ぐぉー……」
リビング。
ソファの上で夢の世界を堪能しつつ、豪快にいびきを立てているハンズが寝ている。
トキはどのようなリアクションを取っていいのか困り、あえて無視するという方針に落ち着いた。
それと同時――
玄関の扉が開いた。
『誰?』という疑問よりも、『何?』という疑問の方が先に浮かぶ。
「ぁ、おはようございます」
音量をセーブした声で挨拶するのは中国マフィア・首領の息子、パイロン。
功夫服の格好で両手に大量のビニール袋を携えているその姿はどこか尊敬できるものがある。
ものすごい袋の数だった。確実に10袋はあるだろう。
一体、その袋から覗く食材をどうする気だ?
「いま、食材を取りに行って来たんですよ」
「……しょくざい?」
パイロンの言葉の意味を吟味し………やっぱ、理由がわからない。
我が家の冷蔵庫もある程度充実しているはずだ。
「ええ。実は――」
パイロンは簡潔に理由を説明してくれた。
全員が寝静まった深夜。
いきなり、ボルトが寝惚けて眼で夜食を探しにふらっ、と降臨。
誘われるように冷蔵庫へ直行し、中の食材を全て貪り尽くしたのだ。
だが、それだけにとどまらない。
家中のいたる所に保存されている『食べ物』にカテゴリーされるものを見つけ次第貪るという暴食の限りを尽くした。
「というわけなんです」
パイロンの説明の締めくくりの途中、トキは冷蔵庫に駆けつけた。
それが本当の話なら、と脅威を覚えつつ冷蔵庫の扉を開き――
「うわぁ……」
冷蔵庫を新しく買ってきた時のような小奇麗さ、“だけ”がそこにはあった。
とても長い付き合いの冷蔵庫とは思えないほど、それは見事な伽藍洞っぷり。
理解していただけたでしょうか、と声がかかり……
「それも一切調理せずに食したのです」
「調理……なし!?」
驚くべき補足内容。
今度は慌てて台所を検索する。
その結果、ご丁寧にマヨネーズや唐辛子・ハブ酒・生卵・生肉・ココアパウダーまでとにかく食品関係材料の全てが食い尽くされている。
しかも、聞く話によれば全て『生』
(暴飲暴食もココまで来れば逆に驚きだなぁ)
そこでパイロンは三つ隣街にある自分の店まで足を運び、材料を揃えて再びここへ戻ってきたのだ。
「いやぁ、本当にボルトさんは料理人の敵ですね」
「……全くだ」
それから数時間後。
朝食の準備が整い終わりそうなタイミングでボルトは起きてきた。
「おはよぉ〜」
寝惚け眼で挨拶するボルト。
髪も枝毛だらけで乱れている。
「お……おはよぅ」
ボルトの挨拶にトキが返事する。
それはとても落ち着きのない声であった。
数時間前までボルトに恨みを覚えていたトキだが、いまはボルトに助けを求めていた。
その原因が、調理担当パイロン、盛り付け担当トキ、配膳担当ハンズ――という配置にあり、3人仲良く……
……調理できるか。
「だから、何でオレに包丁貸さねぇンだ?」
「さぁ何故でしょうね?
不思議と私の包丁は貴方に握られることを拒否しているようです。
私には得物の抗議が聞こえる」
全くと言っていいほど噛み合わないし、合わせようとしない錬金術師とマフィアの息子。
その狭間で右往左往するトキ。
「ざけんじゃねぇ!
テメェに負けないくらい上手い料理、俺にだって作れ……」
「ええ。じゃあ作ってください。
素手と空気のみで」
まるで子供の口喧嘩。
刃物をめぐって言い争う2人。
錬金術で作り出せばいい、という話も出たがハンズ曰く――
『昨日、この家を蛇の巣みたいにしたこと詫びたばっかりだぞ?』
などと言って頑なに錬金術の使用を拒否。
ハンズの心遣いを他所に、また我が家が壊れるのかと心配するトキ。
そんな、あまりにもレベルの低い争いにボルトは呆れ、洗面所へ消えていった。
食事が出来るまでは色々揉め事があったものの、いざ食事となればこれと言った問題は起こらなかった。
今日はいつもより早く起きたこともあって、時間的ににかなりの余裕が得られた。
「そうそう。早起きは3本の毒だよ」
「……ボルト。“3本”じゃなく“3文”
そして、“毒”じゃない“得”だ」
その後、何の問題も無く後片付けが始まる。
トキはパイロンに促され、台所の片づけをお願いして着替えるために2階へ上がっていった。
ベッドを直して鞄を用意。
ハンガーにかけてある制服に手をかけて袖を通す。
その隙に――
トキが2階で着替えているうちにハンズはとっとと帰ってしまった。
一声くらいかけてから行ってほしかった。が、そう思う反面で、トキは厄介そうな人物が減ったことに胸をなでおろしていたのもまた事実だ。
「おはようトキ。
上がるわよ」
タイミングよく1階に戻ってきた時だった。
入れ替わるように彼女が来た。
「おはよう」
芹真事務所の鬼登場。
迎えに来てくれたらしい。
折角なので上がってもらうことにし、そこへこれまたタイミング良くパイロンがお茶を出した。
登校時間になると全員が表に出て、それを確認しトキが家の鍵を閉める。
トキと藍は学校へ。
パイロンとボルトは芹真事務所へ向かった。
「あっ、そういえばトキさん!
いま、ウチの店は改装工事中なんですよ!アヌビスとの戦いでボロボロで!
すっかり忘れていました」
「わかった。
完成したら教えてくれ」
頭を下げてパイロンが背を向ける。
それから2人は登校を再開し、ボルトたちも事務所にむかって移動を開始した。
あまり変わらない日常。
通学路を進みながらトキはそれを実感した。
SRの力さえなければ、みな同じ人間だ。
物騒な世界は嫌いじゃないが、いざ実戦の世界に踏み込むとこういう日常も大切なんだと改めて思える。
平和な国、不安定な国。
世界中探せばあらゆる国があり、そこに独特の風景がある。
この日本の風景は『平和』だ。
争いごとが全く無いわけではないが、露骨に人が人を殺すことは滅多にない。
そんな平和を受け入れられない人間も探せばいるかもしれない。だが、この国の人間のほとんどがこの平和を受け入れている。
だが、受け入れることの出来ない――
この国の風景とは全く関係なしに常に戦いが付きまとう人々がいる。
どんな国にいようが関係ない。
力を持っているからという理由だけで襲われる人間もいる。
セカンドリアル。
協会に所属していれば、ある程度の平和な日常を保障されるらしい。
が、無所属・小規模集団となれば話は別だ。
小規模集団だと協会からの勧誘、脅威と見なされた場合は拉致部隊、あるいは討伐部隊が派遣されることもある他に、小規模集団同士潰し合い、取り込もうとし、そしていつかは協会に対して反旗を掲げて挑もうとする。
平和な日常とSRについて考えているうちに、トキの視界に目的地が映る。
-白州唯高等学校-
2人が校門をくぐってすぐ、あるものが目に飛び込んだ。
「汚ねぇぞ!」
朝から大声でわめき立てるクラスメイトの宮原。
その文句の対象というのが、これまた同じクラスメイトの岩井だった。
日常的な光景。
一方的に喧嘩を売る宮原と、一方的に喧嘩を売られては買い、その都度返り討ちにしてしまう無敗の岩井。
四の五の言わず仕掛ける男と、うんともすんとも言わず返り討ちにしてみせる男。
それが今日はどこか変だ。
宮原が仕掛けない。突っ込んでいこうともしない。
「ぐっ、岩井!
キサマは“決闘”という言葉を忘れたのか!?」
完璧に無視され、岩井に指を差す宮原。
めずらしく今日は喧嘩が成り立っていない。
「あ〜、なるほど」
トキはその原因に気付いた。
岩井の隣で肩を並べて歩を刻むクラスメイトの彼女。
同じクラスの中立派の1人、秋森 智明
大声の宮原を完璧に無視し、智明との会話に華を咲かせている。
熱血小僧の宮原も、2人の邪魔するような役割を果たしてまで喧嘩を売る気にはなれなかった。
『人の恋路を邪魔した輩は犬に喰われて逝ってよし!』
それが2年3組の裏委員長、木田村麻衣子の格言だ。人の人生の蜜月を邪魔することを許さない。
すでに他クラスで被害者が出ているという噂がある。
ちなみに、犬=奈倉 愛院。 彼女のことだ。
マホメドvs猪木よりも酷い。 決闘が成り立ってねー。
結局――やる気満々だった宮原は全く手を出すことが出来ず、そのやりきれない気持ちを野球部の朝錬に乱入して解消したという。
「……」
「……アホ?」
コメントに困った藍と呆れるトキ。
朝から妙に濃いモノを見てしまった気がする。
気を取り直し、そんなやり取りを見ていた観客一同は登校を再開した。
1時限目:化学。 今日に限って実験。
正直、朝から薬品の匂いはキツイ。
おなじグループの5人も同意した。
ちなみにグループは、中立派5人+藍の6人編成。
席やグループ別けは生徒の任意だ。
化学実験の先生も大胆――――だと思う人もいるだろうが、この2年3組の生徒からすればそうすることがごく当たり前で、教師が席を決めるという事態が信じられなかった。
他のクラスは教師が決めたグループで落ち着いている。が、2年3組の面々は何故それで落ち着けるのか、と理解できない者が半数以上を占めていた。
もちろん。
2年3組だけ生徒任せでグループを組ませるのは、教師側にもそれなりの考えがあってのことだ。
まず、2年3組は問題児と思われる生徒を無理やり押し込めて形成されたクラスである。
これは学校側が密として押し通してきた問題であり、今後も生徒達に悟られないよう鋭意努力する問題である。
問題児クラスの筆頭に――
ヤクザ委員長。
対立するように存在する裏委員長とやらも、警察の家の娘さんだ。
莫大な資金提供により入学を果たした大企業のお嬢様。
誰の喧嘩であろうと必ず買う殺戮マシーン。
痛いところを突くのが得意らしい、スズメバチと呼ばれる生徒。
あらゆる犯罪に手をだしているという女子。
相手が何であろうと突っ込む男。
過去に転校先で教頭を辞職に追いやった女。
同じく、過去に起こった大火災の真の放火犯と言われる女子生徒。
この面子だけでも大分手間なのに、他の生徒もやはり問題を抱えていたりする。
年上に対して極端に嫌悪感をあらわにすると言う妙な性格の男子。
やたらと喧嘩に強い男子が6人衆。
わざと留年したと噂が立っている男。
コミュニケーションを図りにくい女子。
超おしゃべり女。
超反則魔。
授業の大半を居眠りで過ごす男。
ニート候補×3(実際は、すでに就職先決定済み)。
転入して間もなく、不良間で『女帝』と噂されるようになった女子生徒。
……そう。
教師側はこのクラスを手懐けることをとうの昔に諦めているのだ!
むしろ、生徒達に任せておくと勝手にまとまり、自ずと良い方向へと向かっていくという。
自立している、と言えば聞こえはいいが、これは明らかに教師を受け付けようとしない態度の表れでもあった。従順性皆無な生徒の集まりだ。
故に、このクラス―― 下手にルールに従わせようとすれば、かえって接しにくくなるばかり。
しかし、最低限の仕事をこなせば文句は飛んでこない。むしろ、他のクラスよりも積極的に授業の取り組んでくれる典型的な押してダメなら引いてみろクラス。
少し前の話になるが、このクラスの現代国語の担当教員は生徒との口論で惨敗を喫している。
先生がそんなことを理由に授業をサボるな、と言われてしかたなく暴力を振るうことにした。
大抵は教える立場の教師が暴力を働く場合、生徒に非がある。
それでもあえて暴力に走るのは教員の忍耐力のなさではなく、現代の子供の態度の悪さが教員にそうさせるのである。叩かずには直らないだろう。
その教員もそう考えての行動だった。 叩かずには直らない。 鉄は熱いうちに打て。
それは教科書の角で叩くというしごく軽い体罰――
だが、いかなる罰であろうと関係ない。黙って叩かれるのを待つ裏委員長ではなかった。
彼女の合気の前にもれなく返り討ち。
教員は力でも負け、それ以来、必要最低限の授業をするだけにし、あまりこのクラスと深く関わらないように距離を置くことにし、他の教員も同じく距離を置いて見守ることにした。
「ふぅ〜ん」
さて、そんな爆弾的問題クラスに、存在が爆弾級の魔女が介入しようとしていた。
1時間目の化学実験が終わったあとの教室移動。
いつもの5人メンバーで移動をしていた。
藍はワルクス先生に用事があると言ってグループを離れている。
たわいもない世間話をしながら教室に戻る途中、何の前触れもなくトキは盛大にコケた。
「はぁ?」
コウボウが疑問を抱く。
トキが躓いた場所は段差も起伏も斜面も無い、真っ平らな平面が続く直進の廊下であった。
そのあまりにも見事なコケっぷりにコウボウは笑い、友樹は疑問を差し置きつつ心配し、崎島さんはノーコメントで手を貸し、智明は軽く心配しつつ落とした教材を拾ってくれた。
「すまん」(トキ)
「何でコケてんだ?」(友)
「いまの演技?」(智)
「それにしては見事だったね」(崎)
「いやぁ〜
芸人だなぁトキ!」(コウ)
5人は再び移動を再開する。
他の生徒にも結構目撃されたみたいだ。
恥ずかしい……
「目眩でもしたの?」
「いや、目眩じゃないけど今日はちょっと体調が優れないっていうか……」
昨日あたりから生活のリズム崩され……
いろんな事実を知ることになって、その時の動揺がまだすこし抜けてなくて……
なんつぅか、寝不足で……
しかも今朝に至っては、いままでにないほどリアルな悪夢を見て、しまいには踵で金的だ。
精神的衛生状態はとてもじゃないが健康とはいえない。
せめてもう少し眠っていたら……と、かなり鬱が入るトキであった。
「一応保健室行く?」
崎島さんは本気で心配していた。
真横でへらへら笑っているだけのコウボウよりも遥かに好感度が高い。
「いや、大丈夫だよ。
気分悪くなったの一瞬だから」
「それ、なおさら行ったほうがよくない?」
「う〜ん……
でも、つぎ歴史だろ?
トキの単位の中で最も危ない」
「あ、そうだったね」
「皆で卒業するためにはそっちを優先しないとな」
「……ああ。頑張るよ」
そんなやり取りをしながら5人は教室に到着し、クラス中央に人だかりが出来ているのに気付いた。
「何だ?」
友樹が疑問を口にする。
このクラスの連中が派閥問わずに肩を並べて何かを囲むなど、まったく前例がない。
早速、友樹がその囲みにつっこんだ。
「どうしたんだ?」
その質問を遠巻きに聞いている他の4人。
いつもなら大して関心を示さないコウボウも機嫌の良さから興味を抱いている。
友樹の質問に答えたのは、フォルテと呼ばれる男子:函音カイ(ハコネカイ)だった。
「外人の子供がこのクラスにいてさ。
職員室に連れて行こうか迷ってんだよ」
「は?
迷うところじゃないだろ?職員室だろ普通……」
そこまで聞き、中立派5人も一目見ようと人の輪に加わった。
「あ、かわいい」
これが智明の反応。
「金髪だ」
これはコウボウ。
「しかも子供じゃん?
何でココにいるんだ?」
友樹。
「…………」
崎島さん。
「ボル…!?
何でココ――」
と、これがトキ。
そのリアクションは愚行、いや、愚口だった。
何の考えもなしに口から出たトキの言葉を聴き取り、数人がトキに問い寄った。
「知ってんの?」
「あの小娘だれ?」
「どっから来たのか分かるか?」
「つぅか、知り合いか?」
ハタ、と気付いた。
トキの質問攻めを遠巻きに見ている藍の視線。 ワルクス先生に用事があるんじゃなかったのか?
やれやれと首を振る藍のその仕草はまるで――
他人のフリをしていればいいのに…、とでも言いたげなものだった。
「え、と……とにかく落ち着け。
特にエロティカ! 何で息が荒……!?」
トキに詰め寄ったメンバーは6人。
コウボウ。
エロティカ。
アキバこと、村越貫二
裏委員長:木田村麻衣子
通称メイド――五十嵐沙理奈
ダーティこと、隅田幸平
裏委員は、事情聴取という理由だろうから理解できる。
コウボウは面白半分。
エロティカは……エロティか!
アキバも――何て言ったっけ……肥えだっけ? 燃えだっけ? とにかくその類だろう。
しかし、なぜ五十嵐さんと隅田?
「学校にあんな娘持ち込むなんて、おまえ、オレ以上に外道じゃねぇか!」
「いや、違う!
オレは持ち込んでないし!」
「是非、妹に!」
五十嵐さんによる五十嵐さんのためのエロティカよりも上を行く問題発言。
ちょい待て。 欲しい?
しかも妹として欲しいだと!?
ハッキリ言いうけど、命の保障は無いぞ!?
「で、実際のところトキはあの金髪っ子を知ってるのか?」
「まぁ、えーっと、ちょっとお世話になったことが……」
「ほぅ、お前にロリ属性が――」
エロティカによるある意味ハイレベルな問題発言。
さすがに全員、とくに五十嵐さんは真面目に怒った。
5方向からの同時攻撃。 前後左右からの顔面同時攻撃が4。そして下から金的1。
「いや、何ていうか……」
トキの頭の中が目まぐるしく回転し、最初に出遭った時のことが思い起こされる。
いきなり訳わからないこと言い出した、と思ったらいきなり見知らぬ人に襲われ、その時に助けてもらった。
簡単にまとめればそうなる。
そうだ!
「前にさ、ちょっと暴漢の類に出くわした時に助けを呼んでくれたのがあの娘なんだよ」
既成事実を少しだけ加筆修正。
まぁ、あながち間違いではないけどな。
後は、怪しまれないようにあくまで冷静を装って答える。
「そうなの。偉い娘ね」
裏委員長、笑顔で関心。
コウボウも首を上下させた。
「もちろん、名前を知っているのだろう?」
5方向同時攻撃にめげず、平然とした声で質問するエロティカ。
コイツ……一体全体なにを企んでいやがる?ダメージ無いのか?
「……確か、ボルト」
「確か?
命の恩人の名前もロクに覚えられないの?」
この場を必死に凌ごうとするトキに、裏委員長は笑顔で青筋をたてた。
確実に怒っている。
下手をすれば四肢の3本は持っていかれる。
実際はそこまでやらないだろうが、トキは裏委員長の怖さを知っているが故に震え上がった。
「あ、トキ!」
そんな時にかかる一言。
ボルトの台詞で、状況が一変。
クラス全員の目がトキに向いていた。
何でトキの名前を知っているの? などと、いろんな意味で熱い視線がそう訴えている。
たじろぐトキ。駆け寄るボルト。そして、問い詰めるクラスメイトと傍観を続ける藍。
「知り合いか?」
委員長の視線が怖い。 ヤクザの息子とわかっていることで相乗効果を発揮しています。
2大委員長に挟まれた状態で問われるトキ。
前門の狼、後門の虎とはまさにこのことだ。
「え〜、知り合いっていったら知り合いだけど……」
「一緒に住んでるじゃん!」
トキは進退窮まったこの状況で、一生懸命頭を働かせて答えを考えた。
そんな答えを、ボルトの無邪気かつ後先全く考えていないであろう発言で台無しにしてくれた。
もとより、ボルトは責められることはない。何といっても年齢が11歳、外見は8、9歳といったところだ。 更に外国人というアビリティを兼ね備えている。
このクラスの連中のことだ、まず責めようとはしない。 その代わりにトキが皆に責められる。
よってボルトはそんなトキのことなど全く考えていないし、トキを慮るという考えさえ浮かばなかった。
クラスメイトほぼ全員がざわめき出す。 確実にヤヴァい。
トキはその瞬間、死を覚悟した。
おびただしい殺気。 特に五十嵐さんから。
「クソォ!負けたー!」
「は?」
傍観していた藍は眉をしかめた。
あれだけ殺気立たせておいて、悔しがるクラスメイト達。
「ヤベェよ!」
「トキの国際レベル急上昇中じゃん!」
「まさか、そこまで読んでいたとは!」
「悔しいわね……」
「株価上昇中ぅーーっ!」
「外国人と来たかっ!」
「いや、いいことだ」
「認めねぇぞ!」
「変態め〜〜」
「私達のクラスから早くも国際人の誕生か」
「今日外人街行こうぜ!」
「トキなんかに負けたぁっ!」
完全に予想外の反応だった。
国際化? なんでそういう方面に走るんだ!?
(本当に掌握しにくいクラスね……)
意表を突かれたのは藍も同じだ。
つくづく下手には関わりたくないクラスだと思い改めた。
教師達の気持ちが何となくわかる気がした。 思い通りの反応を示してくれない。
「で、次の時間まで後1分だぞ?」
ざわめくクラスに、高城播夜の一声が響いた。
この問題クラスで唯一の留年生、年上ということもあって、それなりの発言力を持っている。
「大丈夫だろ」
「次はレンガだぜ」
「でも、何か言われそうじゃない?」
「確かに」
「エロティカの事件が良い例だ」
「でも、トキの知り合いだし」
「そうさ。怒られるのはトキだけだ」
「でもさぁ、連帯責任ってありそうじゃない?」
「何とか理由を作ってトキを孤立させれば?」
「なるほど、離間の計か」
「……ォい」
次の時間は、担任の登竜寺 蓮雅による歴史の時間だ。
見つかったら何を言われるかわかったもんじゃない。
しかし、
「何をしようにも、そういうことは早くから取り掛かるべきね」
あっさりタイムオーバー。
物音ひとつ立てずに教壇に上り、立ち尽くす我らが担任。 登竜寺 蓮雅。
このクラスを唯一、手懐けた――といっていいのか分からないが、とにかく誰も頭が上がらない――先生なのだ。
「はい。みんな席に戻りなさい。
じゃなきゃ、豚トロの刑」
執行すべき刑を宣言した瞬間――雑然としていたクラスが一瞬で静まり返った。
等間隔に配置された机と背筋をしっかり伸ばして着席する生徒たち。
クラスの中心にボルトだけが残った。
「やぁ、子供。日本語分かるか?」
「私?」
「よし。じゃあ、君の用件は何だ?」
躊躇いもなく質問を始めたレンガ先生。
一瞬で静寂な空間となった2年3組でボルトとレンガは向かい合い、質疑応答をはじめた。
全員の目がボルトかレンガに向いていた。
どうなる、と緊張して見守っているのだ。
「私の用件?
学校と、トキの見学だけ……です!」
いつもと変わらぬ元気な返事。
どうでもいいけどボルト、オレの名前を出さないで。
そう願うトキであったが、すでに遅い。
言葉として出たものは2度と戻らない。吐いた唾は飲めない。
「トキの? 見学して何とする?」
「うん、とね……トキって弱いじゃん」
本人を含めてクラスメイトのほぼ全員がその事実を承知。
弱さでいくならおそらく、最弱ランキングベスト3は確実だろう。
「確かに。
私から見ても、トキは即刻鍛えなおさねばならないほどの軟弱さ」
「だから、私が友達に頼んで鍛えてもらおうと思って、トキを見に来たの!」
クラス内にざわめきが発生する。
その話を信じきれない者。
なぜトキなのか考え込む者。
羨む者。
疑問を抱く者。
そこへ――強制鬼ごっこ、と――レンガの一言で再びクラスは静まり返った。
プチ支配政治、ココに在り。
誰も文句をいう度胸と実力を持ち合わせていない。
「理由になっていないわ」
「え〜っと。
友達の所に連れて行ったら、半年くらいは帰ってこれないから……」
「つまり、国外?」
「う〜ん………
まぁ、この地でないことは一緒だね」
「それで、トキを連れて行っても学業に支障がないか確かめに来た」
「あ〜、う〜、んっ!
そういうこと!」
ボルトの問題発言に再びクラス内がざわめき出す。
「海外留学!?」
「そうか! だからあの外人っ娘と住んでいるんだ!」
「眠ぃ……」
「そういえば、トキの父親も海外にいるって噂だぜ?」
「海外か〜」
「ブラジル行きて〜!」
「先生〜、暇だからトイレ行ってきます」
「いや、やはり今時はシンガポールでしょ」
「古っ!」
「いや、“いまどき”なんて無い!」
「海外ねぇ……」
「そうだな。行きたいところ、人の心それぞれだし〜!」
「じゃあ、ハワイか」
「定番だね」
「よし!絶っっ対、外人街行こうぜ!」
「心の在り処っていうか……」
「……インド?」
「いや、アメリカとか?」
これ見よがしにざわめき出す生徒達に、
「ガムボールマシンの刑」
ボソッと一撃……じゃなくて一言。
再びクラス内が静まり返る。
「寝るな四式。
愛院、トイレでタバコを吸わないように。苦情が来てるから。
それから、28(ニィハチ)とその不愉快な仲間達。いかな理由があろうとも外人街には近付くな」
1人も聞き逃さない我らが担任。
どうでもいい――よくない――が、彼らの命令無視間違いない。
いきなり言い出したことは必ず実行してしまうのが彼らなのだから。
ごん!
そして、これまたいきなりだった。
このクラスでは最早おなじみ。クラス1の居眠り君:樋口四式が勢いよく夢の中へダイブ。
担任の恐怖支配政治より眠気が勝ったらしい。 注意された直後によく寝られるもんだ。
そして毎度のことだが……
なんで机に額を強打しておいて眠れるんだ?
(あれ……?)
もらい笑み。
じゃなくて、もらい眠みぃ。
四式が眠ってからすぐ、トキも眠気に誘われる。
「それで、私はトキの担任であるのだけど……」
レンガの上体が前のめりになり、すぐに体勢を立て直す。
「――?
おかしいわね?」
眠ってしまおうか迷っているトキ。
しかし、単位の心配がある。
不安と眠気の狭間を行き来する意識。そんなトキの耳に担任の言葉が流れてくる。
「睡眠はとっているはずだけど……」
「先生眠いんですか?」
少し心配そうに見ていた裏委員長が聞いた。
トキは自分の腕を枕にして夢の中へ向かうことを選んだ。夏だと言うのにまるで春のように心地よく、つい眠りたくなってしまう。
仕方がない。
後で崎島さんにノートを見せてもらおう。
睡魔がトキを夢の中へと誘導を始める。
「ええ。
何故かいきなり眠くなってきたんだけど」
「じゃあ先生。
今日は、オレも眠いんで今日は睡眠授業ってことで」
「じゃぁ、私も〜」
「オレも」
「僕も……」
「あなたたちね、寝言は寝て――ZZz」
その異変に気付いたSRが6人いた。
藍もその内の1人である。
(この眠気は……バク!)
気付いた時にはすでに遅い。
敵の仕業と分かっていながらも体が機能しない。
狙いはわかっている。トキだ。
私がいながら……
そう分かった瞬間に、悔しさが込み上げてきた。
しかし、既に相当な眠気を誘われているこの体では身動きひとつ出来ない。
これではトキを護ることが出来ない。
これでは、アヌビスの時と同じではないか……
「藍ちゃん」
強制的に夢の中へと引きずり込まれる意識。
机の上で身動き出来ずにいる藍の前にボルトが立った。
かすむ視界に映るボルトは、優しく微笑み――
「今日はゆっくり休んで。
2日も強い人と戦ったんだから」
「パル……」
「アヌビスでしょ、それにトウコツだよ。
しかも、アヌビスで大怪我したんだし、今日は装備も少ないんでしょ?」
「トキを、ま――」
睡魔に押し負け、藍の目蓋が閉じていく。
限界まで意識を保とうとしたこともあり、睡眠反動は怒涛の如く勢いで藍を侵した。
「きょうは休んで。ねっ?
私が――」
返事もできず、藍は完全に夢へと堕ちた。
睡魔に侵される他の生徒達。
老若男女を問わない無差別侵攻。
ボルトの体が光り始める。
その顔に――
藍に見せた微笑みは一片たりとも残っていない。
「――皆を護ってあげるから」
「むっ?」
学校の敷地内に侵入する他のSRに混ざり、男は警戒した。
自分でさえ勝てないSRがいる。
そして、自分達に対してただならぬ殺気を放っている。
他のSRもそろそろ気付くだろう。
その時は忠告してあげよう。
潔く逃げよう――と。