災厄の種
アンダーザローズというヴィクトリア朝を舞台にした漫画の影響をもろに受けてます(汗)気になる方は買ってみてください。隠れた名作です
黒塗りの車が、かすかな音を立てて、止まる。千里は、その様子を3階の階段の窓辺からじっと眺めていた。
車から人影が降りてくるのを見届けると、後ろを振り返り、声をかけた。
「母さん、父さんだよ」
「そう…」
物憂げに答えたのは、30代後半と言ったところの美しい顔立ちの女性だ。黒のワンピースに、アイボリーのカーディガン、首には細い真珠の首飾り。化粧を施してもなお蒼白い顔からは何の表情も読み取れない。数年ぶりに自宅に帰ってきた父をどう思っているのか、千里は母の気持ちに思いをはせた。
「さあ、父さんを出迎えなきゃ」
つとめて明るい声を出して、母を急かした。正直なところ、父が帰ってくるとは想像もしていなかった。岩沢累子が死んで一か月余り。内輪だけの葬儀が行われたらしい。もちろん、母も千里も参列していない。むしろ、来られたら向こうもさぞかし困惑する事だろう。正妻が夫の愛人の葬儀に参列するなんて。
父は4年ほど前から愛人のために別宅を設け、そちらで暮らすようになった。ところが、昨日になって、使用人づてで家に帰ると唐突に連絡をよこしたのだ。それ以外は何も言わなかったそうで、久しぶりに主を迎える家はあわただしくメイド達の手によって掃き清められた。
「奥様、千里様、旦那様がお見えになります」
古株の女中頭が声高に言う。
「大きな声を出さないで頂戴。頭痛がするといつも言っているのでしょ」
こめかみを押さえながら、母が氷の声で言う。いつもはびくついて母の言う事を聴く女中頭も、父が帰ってきたからには、これからは父の命を優先させると言わんばかりに一歩も引かない。
「出迎えに遅れてもわたくしは知りませんからね」
険のある言葉を投げかけ、年輩の女は大股で去って行った。
「嫌な女。今まで寛大にしてやったのに、図に乗って。辞めさせればよかったわ」
「父さんに言って辞めさせればいいさ」
「でもあの人は…」
言って、母は言い淀んだ。なんと言おうとしたのか、千里には分からなかった。
階段を下り、二人は玄関口へと降りたった。
「お帰りなさい、父さん」
母は、千里の後ろで身じろぎひとつせずにいた。
父は、記憶にある父とは別人のようだった。頬は病気でもしたかのようにこけ、虚ろな目をしていた。千里はとっさに死んだ魚の目を連想した。
それほど岩沢累子の存在が大きかったということか。
だったら自分たちは何なのだと、父を責めるような気分になった。母や自分が死んでも、父はこれほどまで悲しまないのではないかと言う想像が頭をかすめる。その想像はおそらく当たっているのだろうと、千里は内心思った。
「岩沢累子の息子ね」
母の言葉で初めて、千里は父の後ろに二人の少年が控えている事に気がついた。
一人は、まだ幼い幼稚園児くらいのふっくらとした少年。もう一人は、千里の通う高校の制服を着た気の強そうな少年だ。同い年くらいの少年は、千里と眼が合うと、一層きつくこちらを睨みつけてきた。
「ヒロと雅臣だ。母親が死んだんだ。父親の私が引き取るのが当然だろう。ヒロは4歳。千里と、雅臣は同い年だ」
腹違いの兄弟がいたとは初耳だった。同い年と言う事は、母と同時期に岩沢累子とも関係を持っていたということか。
「愛人の子となんか住みたくない。こいつらにこの家に住む権利はない」
「千里」
激情に駆られて口走った千里を遮ったのは、温度の低い母の声だった。
「わたしが、妻の千草です。岩沢累子には感謝しています。あなたたちの母親になるつもりはありません。しかし、あなた達には高倉家の息子として恥ずかしくないだけの教育と待遇を与えるつもりです」
前から考えてあったような流暢な口調で、感情をこめずに言う。母はこの兄弟の事を前から知っていたのだろう。
「僕は認めない。こんなの認めない」
千里はかすれた声で叫んだ。




