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君と僕の『あの日』

作者: 超山熊
掲載日:2026/06/16

新作です!



 あの夏の日、真夏の太陽と群青の空、人々のにぎやかな声と空の色を反射するように輝く海。

 美しく楽し気な景色の中で笑う君の姿を、今もまだ鮮明に思い出せる。


 彩葉との出会いは……よく考えれば思い出せない。

 別に忘れたわけじゃない。君は物心ついたころから、ずっと隣にいた幼馴染で。

 家も隣、両親は友達、幼稚園入園より前から、ずっと隣にいた彩葉との思い出は遡っても遡り切れないほどに沢山ある。

 

 彩葉はいつも僕の隣で色んな物に怯えていた気がするよ。

 初めて入る建物、初めて会う人、公園に行けば虫に驚いて、僕はいつも服の裾を引っ張って離れないようにいる彩葉を護る騎士みたいな気分になっていた。


 そうこうしてずっと隣にいた彩葉を意識し始めたのは、たぶん中学生あたりだったと思う。

 成長期に伴う男女の体格差、そこに出来る思春期特有の「女子といるなんて」という空気感から。

 徐々に彩葉との距離が離れた。


 ずっと隣にいた人が、ずっと隣にあった存在が、消えたことで僕はどうしようもないほどの喪失感を覚えた。

 そのとき君がどう感じてたのか、僕には知ることが出来ない。

 でも、それでも僕は単純で、その彩葉がいない寂しさを素直に『恋』だと感じていた。


 だから同じ高校へ進学を機に、その思いを伝えたんだ。

 学校の帰り道、いつもと同じ時間、同じ方向へ歩む隣の君に僕は立ち止まって言った。


「彩葉が好きです。僕と付き合ってください」と。


 君は照れていたのか、夕暮れに染まったからか、真っ赤な表情で一つ頷いた。

 それから僕らは、ただの幼馴染から恋人へ関係が変わり。

 くだらないことで喧嘩したり、仲良く一緒に出かけたり、二人で過ごす時間が、これまでよりずっと増えた。

 

 そして高校2年生へ進級を目前にしたある日、二人で散歩に出かけた先の公園で君はゆっくり言ったんだ。


「私、医師になるために目指す大学を決めたの」

「え……」


 別に進学先を決めるのが早いことに驚いた訳じゃない。

 僕らの通う高校は進学校なだけに大学進学へ向けて進路を決めるのが全体的に早い。

 だからこそ、時期ではなく、「医師を目指す」という目標に驚いた。


「医師……って」

「うん。大学も遠くなる……だから」


 会えなくなる。

 その言葉を彩葉が言うことは無かった。

 俯いて僕の言葉を待っている君に、僕が言えることはこれだけだった。


「彩葉なら出来るよ!頑張って!」


 泣きそうで寂しくなる気持ちを抑えて、ようやく紡いだ言葉だった。


 医学部受験ということで彩葉の勉強量は増えた。

 僕も隣で勉強していたが、彩葉の熱量と集中力は凄まじく、壊れてしまいそうなほどに毎日勉強していた。

 だから僕は夏休みに誘ったんだ。

 

「息抜きに海へ行こうよ」


 彩葉は最初渋っていたけど、どうしても行きたいとゴネて海へ誘うことに成功した。


 真夏の海は太陽と砂浜の熱を押し返すほどの熱量で燥ぐ人々で溢れ、海はそんな熱量を冷ますように冷たく気持ちが良かった。

 ずっと気を張っているように見えた彩葉も少しずつ笑うようになり、昼食を食べる時間には僕の手を引くほどに楽しんでいた。


 そんなときだ。

 お腹が空いて、そろそろ海の家でご飯でも食べに行こうかと手を繋いで歩く彩葉に提案しようとしたら。

 彩葉は何故か沖のほうをジッと見つめ止まっていた。


「どうし——彩葉!」


 駆け出した彩葉は沖に向かって走り出す。勢いよく走り出してしまった彩葉の手を僕は離してしまった。

 海に飛び込んだ彩葉は沖へ泳いでいく。

 その先には、見れば子供が溺れているのが微かに見える。


 僕も行かないと。

 そう考えて足を止めた、今行っても彩葉と二人で向かうことになる僕は僕で浜辺で出来ることをしないと。

 すぐに救助のためのスタッフを呼びに行く。


 スタッフの人たちも助けに向かい、浜辺に溺れていた子と彩葉を抱えて戻ってきた。

 彩葉は抱えられた腕の中で意識を失っていた。


 そんな彩葉を見て真っ白になった頭のまま、彩葉を乗せた救急車に乗り、連絡を受けた彩葉の両親と会った。

 彩葉の両親は僕を怒ることも恨むことも無く、ただひたすらに「ありがとう」と言った。

 その感謝はすぐにスタッフを呼んでくれたことへの感謝だった。彼らの到着が少し遅ければ命は無かったのだと。


 でも、僕はその感謝を素直に受け取れなかった。

 僕が海になど連れていかなければ。

 僕が先に子供を見つけていれば。

 あのとき、冷静に行動したようで、僕は怖かったのだ。

 海の沖まで泳いでいく。ということに、自分の命をかけられなかった。

 そんな後悔と自分自身への悔恨が、感謝の言葉を塗りつぶすほどに上回ってしまっていた。


 彩葉が目を覚ますことは無かった。

 命は繋ぎ止められたが、目を覚まさず、病院としてこれ以上の処置は出来ないと。

 即座に専門の機器が揃う病院への移動が決まったらしいが、塞ぎ込んだ僕に知る由もなく。


 次に僕の耳に彩葉のことが入ったのは、病院移動の前日。

 彩葉の両親は僕に渡したい物があると言って一冊の日記帳を取り出した。


 中を読むと、それは彩葉と僕が付き合う前からつけられていた。


『いつも、貴方のことを考えてしまう』

『貴方は私のことを想ってくれていますか?』


 日付は、僕が彩葉へ恋心を意識し始めた頃と同じ時期。

 嬉しいような、気恥しいような、彩葉も僕と同じだったんだ。ということに嬉しくも、それを伝えられない寂しさも感じる。


 付き合ってからの毎日は、とても楽しそうに筆が踊っていた。

 毎日ページを埋めるほど、些細なことでも喜び怒り哀しみ楽しんでくれていたのが読み進めるたび深く分かっていく。

 いつの間にか流れていた涙は頬を伝い、日記帳へ落ちていく。


「君が彩葉と過ごしてくれて本当に良かった。出来れば彩葉との思い出を忘れずに強く歩んで欲しい」

「…………はぃ……」


 涙が止まらない僕に日記帳を託し、彩葉は遠くに行ってしまった。


 その夜、日記帳を読んでいると空ページが続いた最後、日記帳の最終ページに書いてあった文章。


『貴方はきっと、これからも私のために頑張りすぎてしまう。ずっと守ってもらっていたから、これからは私が守ってあげたい。貴方に何があっても治せるように、私は医師を目指します。』


 そういうことだったのか。

 でも、君に支えられ守られてきたのは僕も同じだよ。

 君を守るため君を支えるためなら僕は何だって出来る気がしていたんだから。


 さらに下、最後の文章に書かれていたのは、たった一言。


「貴方のことを、愛しています」

 




 それから僕は彩葉の想いを夢を受け継いで医師を目指した。

 彼女が目覚めないのであれば、自分が目覚めさせてあげればいいと。

 勉強は元よりしていた方だったが、量を増やし先生方や両親のサポートもあって進学することが出来た。

 忙しい大学生活も慌ただしく過ぎていき医師国家資格を取ることも出来た。


 それまでの間、一度も彩葉と彩葉の両親に連絡することは無く。

 それが僕の決意だったから、夢を叶え彩葉を迎えに行くまで、僕はただひたすらに進み続けるのだと。


 研修医として病院に勤務していた、ある日。

 いつも通り資料を持って歩いていた廊下で、すれ違った女性。


 どこか懐かしい雰囲気。

 見覚えのある優しい笑顔。

 でも、僕が知る頃より少し大人びたような綺麗な女性。


「…………いろ——」

「彩葉!診察は終わったかい?」

「うん。今日も変わらずだったけど……」

「大丈夫。少しずつ記憶も戻るさ」


 声をかけるため振り返った先で、女性は仲睦まじい様子の男性と話している。


 ……やはり彩葉だった。


 待合室へ向かう男性と彩葉は手を繋いで歩き出す。

 その様子を僕は黙って見ていることしか出来なかった。


「あぁ~、あの患者さんね。どうやら3年前に意識を戻して、それより前の記憶を失ってるんだよね。毎週付き添いにくる彼氏さんもよく頑張ってるんだけどね」


 彩葉を担当していた先生がそう教えてくれた。


 僕が連絡を取っていなかった間に意識を戻していた。

 でも、今の彩葉は僕のことを覚えておらず、すでに新しい彼氏と新しい人生を歩んでいる。

 それを知ってから1ヶ月は高校を卒業してから初めて体調を崩した。


 仕事も手につかず、ミスを連発しまくり、上司にも先輩にも同期にも迷惑をかけ続けた。

 一週間休むように言われ、その間考えることは、すれ違ったときの彩葉の表情だった。


 意識を取り戻したのであれば、僕のことも思い出して欲しい。

 また、あの頃のように、僕の隣を歩いて欲しい。

 そんな気持ちと。


 僕のことを思い出すと『あの日』のことも思い出してしまうのではないか。

 今、笑顔で幸せに生きているのなら、僕は関わるべきでは無いんじゃないか。


 そんな相反する二つの思いで揺らぎ続けた僕の心は、一週間経ったとき、全ての覚悟を決めた。


 それは偶然にも彩葉の定期診察日で、彩葉は彼氏と笑顔で来院した。

 たったそれだけのことで胸が張り裂けそうなほど軋む音をあげる。


 これまでずっと苦しかった。

『あの日』を思い出す度、辛かった。


 でも、君が今、幸せならば。

 僕はそれだけで良いと言える。


 でも、最後に。

 僕を強くしてくれた君に。

 僕を愛してくれていた君に。

 一つだけ、言葉を贈りたい。


 だから、彩葉の診察が終わり帰る寸前。

 これから何度もすれ違うだろう君との一瞬に。

 僕は心の底から伝えよう。


 聞こえなくてもいい。

 忘れてしまってもいい。

 ただ僕は君のことを忘れられないんだろう。

 これからも何度だって『あの日』を思い出す。

 そして思い出す度、この言葉を胸に抱くのだ。


「君のことを、愛していました」

 

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