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告白

展示会 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/02/27

 パンフレットを指先でしっかり持ち、大樹(だいじゅ)は小さく息を吐いた。人波の向こうから視線が刺さる。いつものことだ、と胸の奥で苦笑する。


 ダークネイビーのスーツは体に馴染み、胸元のネームプレートはきちんと光を返している。けれど、誰もがまず見るのはそこではない。照明を受けて淡くきらめく、鮮やかなピンクの髪。通り過ぎかけた来場者の足が、ほんの一拍だけ遅れる。その僅かな間を、大樹は逃さない


 ブースの端に立ち、通路の流れを読む。視線が合った瞬間、半歩だけ前へ。逃がさない距離感で、しかし圧はかけない。


「定番のボールペンや付箋『以外』で、御社の認知を一段引き上げるご提案があります」


 相手のバッジに目を走らせ、業種を拾い、間を置く。差し出すカタログは開きやすいページにすでに折り目がついている。声は通るが、押しつけがましくない。断られる前提も、立ち止まってもらう前提も、どちらも織り込んだ余裕が、言葉の端々ににじんでいた。

 そのピンクの髪に一瞬ぎょっとして目を見開く人もいる。視線だけを残して足早に去る人もいれば、逆に少し離れた場所から興味深そうに大樹を観察している人もいる。

 大樹はほんの少し口角を上げた。


「目に留めていただけたなら、嬉しいです。三分だけ、具体的な事例をご紹介します」


 一拍置いて、視線をまっすぐ返す。


「派手に見えるかもしれませんが、提案は堅実です」


 冗談とも本気ともつかない調子でそう添えると、空気がわずかに緩む。

 やがて好奇心に背中を押されるように、一人、また一人と足を止める。



 パンフレットをめくる乾いた音が、あちこちでぱらぱらと重なり合う。遠くのステージからはマイク越しのプレゼンの声が反響し、ところどころで拍手が弾ける。アナウンスが天井に吸い込まれ、少し遅れて、やわらかく降りてくる。

 見上げれば、鉄骨の走る高い天井から巨大なバナーが吊り下げられ、空調の風にゆっくりと揺れている。白いスポットライトが規則正しく並ぶブースを照らし、アクリル什器の縁をきらりと光らせる。モニター画面の鮮やかな映像が、通路を行く人のスーツに一瞬だけ色を映す。

 通路のあちこちに小さな人だかりができ、名刺が差し出され、引き抜かれ、また差し出される。淹れたてのコーヒーの香りが紙とインクの匂いに混ざり、ほのかに甘い。人いきれで少しだけ温度の上がった空気が、騒めきとともにゆるやかに会場を満たしていく。



「・・・ご興味があれば、要点だけ整理してご説明します」


 そう言いながら、大樹の視線は一瞬だけ、ブースの中へ滑る。


 受付のカウンター。来場者の波を静かにさばく、(あや)さん。


 背筋はすっと伸び、無駄のない所作でパンフレットを手渡している。落ち着いたブラウンのジャケットに身を包み、髪はきちんと纏められている。その横顔は涼やかで、笑みは控えめなのに、不思議と目を引いた。

 彼女が誰かに何かを説明する時、わずかに顎を引く癖がある。頷く角度も、声のトーンも、過不足がない。騒がしい会場の中で、そこだけ空気の密度が違うように見える。

 

 視線が合うわけではない。だが、大樹は無意識にネクタイの結び目を指先で整える。ピンクの髪が照明を弾くのを、今日は少しだけ意識する。


「・・・御社のターゲット層に合わせて、体験型のノベルティもご提案できます」


 言葉は淀みなく続けながら、胸の奥では別の鼓動が小さく跳ねていた。




「では、少しだけ」


 食いついた。


 大樹は胸の内で小さく拳を握りながら、表情には出さずに通路を半歩先導する。人の流れを縫い、受付カウンターへと自然に誘導する動きは、何度も繰り返してきた型だ。


「本日はお立ち寄りいただき、ありがとうございます」


 彩がパンフレットを差し出す。肘の角度、手首の返し、視線の高さ――すべてが計算され尽くしたように美しい。パンフレットは相手の胸元よりやや低い位置。受け取りやすく、見下ろさせない絶妙な距離感。


「こちらの佐藤が・・・」


 その言葉の途中で、彩の視線がふと横に流れる。


 目が合った。


 ほんの一秒にも満たない、静かな交差。


 騒がしい会場の音が、ふっと遠のく。


 自分のピンクの髪がどう映っているのか、急に気になる。派手すぎないか、軽く見えないか。

 だが、彩の目は驚きも戸惑いもなく、ただまっすぐだった。仕事相手に向ける、あの凛とした澄んだ目。

 それだけで、胸の奥に温かいものが灯る。


 認められたい。


 少しでも、仕事のできる男として。


「・・・このまま、詳しい説明を担当させていただきます」


 大樹は背筋を伸ばす。


 たった一瞬目が合っただけなのに、それだけで今日はもう、数字が伸びそうな気がしていた。



●●



「こちらへおかけください」


 大樹はテーブル席へと手のひらを柔らかく向け、椅子を軽く引く。座る位置からブース全体が見渡せる、落ち着いて話ができる角度だと、無意識に計算している。


 そのまま横の小型保冷庫の前へ立つ。透明な扉の向こうには、きれいにラベルを揃えたペットボトルの水。これも立派な『提案商品』のひとつだ。

 最近、問い合わせが増えているオリジナル飲料ノベルティ。ラベル全面に企業ロゴやキャンペーンビジュアルを入れられる。

 一般的な500mlの円筒タイプもある。だが今日はあえて、ボールのように丸みを帯びたタイプと、鞄に収まりやすい扁平タイプだけを並べていた。


 どちらにする。


 一瞬だけ視線を走らせる。

 柔らかい印象か、実用性の訴求か。


 大樹は扁平タイプを取り出した。薄く、すっとした形状。テーブルに置いたとき、ラベル面が正面を向く。ロゴがいちばんきれいに見える角度だ。


「どうぞ。まだ5月とはいえ、喉が渇く気温ですから」


 水滴が指先にひやりと伝わる。相手の前に、音を立てずに置く。押しつけにならない距離で、けれど確実に印象に残る位置。


「これは・・・御社のサンプルロゴですか?」

「はい。実際にイベントで配布した仕様を再現しております。この形状ですと、カバンに入れて持ち帰りやすいので、会場外でも目に触れる時間が長いんです」

「なるほど、確かに薄いですね」

「展示会は『その場の印象』で終わりがちですが、

 これは『持ち帰られる広告』になります」


 人好きのする笑顔を浮かべながら、大樹は名刺を差し出す。相手の名刺は両手で受け取り、社名と役職を一瞬で読み取る。視線を上げるタイミングも、ほんの少しだけ意識する。


「株式会社アイリアル・ジャパン様ですね。本日はどういった用途を想定されていますか?」


 相手が自社イベントの概要を簡単に説明する。

 大樹は小さく頷く。


「でしたら、来場特典として“限定デザイン”にするのも効果的です。SNS投稿キャンペーンと連動させると、拡散率が上がります」

「実際、どのくらい投稿されるものなんですか?」

「案件にもよりますが、平均で配布数の一五〜二〇%ほどが投稿に繋がっています」


「それでは、具体的な事例をご紹介します」


 背筋を伸ばし、声のトーンを一段落ち着かせる。

 

 テーブルの上の一本の水が、ただの水ではなく、『御社専用の広告媒体』へと変わる瞬間を、これから作る。

 扁平ボトルのラベル面を指先で示しながら、大樹は数字と事例を織り交ぜていく。


「配布後のSNS投稿率が高いのも特徴でして」

「イベント導線と組み合わせると・・・」


 相手は何度も頷き、時折メモを取る。笑いもこぼれる。空気はいい。手応えは、ある。


 その時、相手の視線がテーブルを越え、壁際をとらえた。


 簡素な棚に整然と並べられた、防災ノベルティ。

 金沢支店が企画開発し、東京本社に先んじて発売を始めた新商品だ。


 壁際の棚には、防災ノベルティが静かに存在感を放っている。

 アルミブランケットは、ぎらつきを抑えたマットシルバー。緊急時の『いかにも』な派手さを排し、企業ロゴを載せても違和感のないミニマルなデザインだ。手のひらに収まる薄型パッケージながら、広げれば体をすっぽり包み、体温の反射保持率は高い。また従来の一般的なものより音が軽減される素材になっている。軽量でかさばらず、配布にも備蓄にも向いている。

 携帯トイレは、中身が透けない多層パウチ仕様。落ち着いたネイビーの外装に、視認性の高いピクトグラム表示。暗所でも使いやすいよう開封口は大きめに設計され、凝固剤や防臭性能についても明確にアイコンで示されている。説明を読まなくても直感的に使える工夫が、細部に宿っている。

 圧縮タオルは硬貨ほどの円形パック。白を基調にした清潔感あるデザインで、水に浸せば一瞬でふわりと広がる仕様だ。個包装には耐水加工が施され、長期保存を想定した密封構造。展示用のサンプルには『保存』『衛生』『携帯性』の三拍子が視覚的に整理されている。

 どの商品も共通しているのは、『配る防災』ではなく『使われる防災』を意識している事。

 パッケージの隅には、主張しすぎないサイズで金沢支店の名が入っている。誇示ではなく、責任の所在を示すような、静かなサインだった。


 ・・・来たな。


 胸の奥が、営業特有の勘でざわりと波立つ。


「防災系も扱われているんですね」

 

 相手が言う。トーンが少し変わった。興味本位ではない。


「はい。近年、企業様からのご相談が増えております。『配る備蓄』ではなく、『使われる備蓄』を意識した設計になっております」


 大樹は自然に棚へ視線を送りながら続ける。


 これは広がる。企業の防災意識は確実に高まっている。CSR、BCP、周年記念配布・・・切り口はいくつもある。


「現実に、数年に一度の割合で大きな災害が起きております。いざとなった時に必要なものは、その時の状況によって異なるとは思いますが・・・」


 言葉は滑り出す。悪くない。社会的背景から入り、共感を取り、企業価値向上へつなげる。組み立ては間違っていない。

 相手は頷きながら、棚のサンプルへ視線を戻す。


「このセット、例えば御社ロゴを入れた場合、耐水性はどのレベルまで担保されているんですか? あと保存可能年数はロットによって違いますか?」


 来た。


 鋭い。


 しかも具体的だ。


 頭の中で、商品説明会の資料が高速でめくられる。

 耐水加工、五年保存、ロット差・・・どこかで見た。確かに見た。だが、数字が、条件が、細部が、霧の向こうにある。


 一瞬、呼吸が浅くなる。


 詰めが甘い。


 喉の奥がひりつく。今さら曖昧な答えは出せない。

 ここで濁せば、「派手な営業」というラベルを貼られる。


 脳裏に、さっき一瞬だけ目が合った彩の視線がよぎる。

 あの、無駄のない、凛とした目。

 軽く見られたくない。


「耐水性については・・・」


 時間を稼ぐように資料へ手を伸ばす。ページをめくる指先が、ほんのわずかに硬い。見つけろ。あの表だ。スペック一覧。

 営業としての熱と、知らない事への焦りが、胸の中でせめぎ合う。

 さっきまで弾んでいた空気が、いまは試される場に変わっている。


 笑顔は崩さない。


 視線がふと彩に向く。


 目が合った。

 彩の目は驚きや不満ではなく、静かに、大樹の焦りを読み取っているようだった。大樹の心臓が跳ねる。

 すると彩は、ぱっと視線をブース内に走らせた。展示台、保冷庫、パンフレット、その中の人の動きを・・・すべてを一瞬で把握する。隣のテーブルでは支店長が別のお客様に対応中。人手は限られている。


 彩は小さく頷くと、ブースぎりぎりに立って集客していた(あおい)を呼び、低い声で何かを指示する。葵はすぐに理解し、軽やかな足取りで受付へ向かう。

 ブース内の空間が一瞬で整理される。

 すっと立ち上がる彩の姿に、大樹は息を呑んだ。背筋がまっすぐ伸び、肩の力を抜きながらも、動きひとつひとつに無駄がない。

 3歳年上の彼女の凛とした佇まい・・・年齢差はわずかでも、その落ち着きと余裕には圧倒される。ブース内のざわめきや人の流れを軽く遮るかのように立つその背中は、行動力と判断力を同時に伝えていて。


 好き。その言葉がすとんと落ちてきた。


 背筋はすっと伸びているし、目線は周りをちゃんと捉えてる。言葉も動きも、無駄が全然ない。凛としていて、年上で。自分より背も高い・・・今まで俺が好きになってきたのは、ふわふわしてて可愛い子ばっかりだったのに、彩はまったく正反対のタイプだ。


 なのに。


 焦りと尊敬、そしてほんの少しの憧れが、思わぬ形で入り混じる。いつもなら、守りたくなる存在にしか胸は動かないはずなのに。

 自覚するのが怖かった。好みと違うからこそ、感情を整理できず、頭の中がぐるぐるする。だが、否定しても消えない。彩のひとつひとつの動きに、視線を追ってしまう自分がいる。


 俺、彩さんの事、好き?


 大樹は拳を握りしめ、少しだけ深呼吸する。


 その瞬間、彩がすっと近づいてきた。歩幅は無駄なく、音も立てず、自然と視界に収まる距離感。まるで空間を自分の思い通りに操るかのような落ち着きと余裕があった。


 大樹の前に置かれた開きっぱなしの資料に、彩の視線がすっと落ちる。

 

 大樹は資料の耐水性の文字をそっと示す。


 彩の目はぱっとページを追い、必要な情報を瞬時に拾い上げる目は鋭く、それでいて冷たくはなく、どこか優しさを含んでいる。


「こちらの詳細につきましては、私から補足させていただきます。まず耐水性についてですが、こちらの防災ノベルティは、通常の雨や水しぶき程度であれば問題なく機能する設計になっています・・・」


 立ち姿は凛として、声は落ち着きながらも説得力がある。


 大樹の目はお客の方を向きながら、ふと彩の方へ滑る。落ち着いた声、正確なジェスチャー、資料に目を落とす指先のしなやかさ。

 心の奥で密かに胸が熱くなる。彩が側にいるだけで、いつもの焦りも緊張も、少しだけ力に変わる。


「アルミブランケットや圧縮タオルの個包装は、防水加工が施されており、屋外での配布や一時的な湿気にも耐えられる仕様です。携帯トイレのパウチも同様で、内部の凝固剤や防臭成分が漏れないよう二重構造になっていますので、万一の水濡れでも安心です・・・」


 彩の説明は、的確でよどみない。彼女の凛とした目が、説明の説得力をさらに押し上げているように感じた。


「保存可能年数は通常5年間を想定しておりますが、ロットごとに製造日や包装条件によって若干の差が出ることがあります。ですが、基本的には長期保存が可能で、企業での備蓄や周年記念配布などにも適しています。」


「また、当社では現在、防災関連の商品に力を入れております。アートやデザイン視点を取り入れた防災商品は、日常にあっても違和感なく。隠す必要がない。すなわち、何か起きた時、すぐに手に取れる場所にある・・・」


 大樹は、パンフレットの上に置いた手を一瞬止めた。


 その簡潔で理路整然とした言葉に、全ての焦りがかき消される。視線の端で見せるわずかな微笑みに、心臓が跳ねる。


「またどなたでも使いやすく、持ち運びしやすい商品を心がけております。スタイリッシュなデザイン性と使いやすさを追求した工業デザイン性、両方の観点を追求するため、専門の人材を社内に・・・」


 彩は自分の説明を邪魔せず、自然に補足し、相手に安心感を与える。大樹の胸の中で、好意と尊敬がぐるぐると混ざり合った。


「なるほど・・・」


 お客様の声が、今までよりも素直に耳に入る。

 大樹は深呼吸し、再び説明に集中する。だが、心の片隅には、彩の立ち姿と声がくっきりと残っていた。


 深く息を吐く。


 この人と一緒に仕事ができるだけで、今日はもう十分だ。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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