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掌編小説集

骨の海

掲載日:2026/02/02

 朝、目が覚めると、骨が音を立てていた。

 関節と関節のあいだを、小さな波が通り抜けている。

 潮の匂いがする。

 どうやら私は、骨の中に海を飼っていたらしい。


 指先を動かすと、潮がひとすじ溢れた。

 掌に泡が浮かび、泡の中で魚が泳いでいた。

 透明で、心臓のような形をしている。

 それは、昨日失った言葉のかけらに似ていた。


 夜は潮が満ちていた。

 骨の奥で潮がうねり、肋骨の隙間をゆっくりと通り抜けていく。

 そのたびに私は、ひとつずつ、あなたの名を忘れていった。


 忘れるたびに、波は高くなった。

 血管を通って潮がめぐり、心臓の鼓動を模倣しはじめた。

 打つたびに、あなたの声が泡になって弾けた。


 泡はすぐに消える。

 けれど消える直前の、あの白さだけが、骨の内側に焼きついて離れない。


 気づけば、海の底に私は立っていた。

 見上げると、水の向こうに白い月があった。

 波にゆられて、輪郭が絶えず崩れては、また結ばれる。

 足もとは珊瑚のように脆く、触れるたびに砕けた。

 その砕けた音が、かつてのあなたの笑い声に似ていて、

 私は笑いながら沈んでいった。


 潮の流れが変わる。

 遠くで、ひとつの貝が世界をひらく音がした。

 あれは、あなたのまばたきの音。

 眠りの形をした死。

 死の形をした安らぎ。


 私はあなたの骨を探した。

 けれど、どこにもなかった。

 あるのは私自身の骨ばかりで、

 触れるたびに波が立ち、

 波が立つたびに、私の中のあなたが目を覚ます。


 海は静かに私を食べていく。

 皮膚をほどき、血を薄め、

 やがて骨だけを残していく。

 それは恐ろしいことではなかった。

 むしろ、そのとき私はようやく、あなたのいる深さに届ける気がした。


 骨と骨がふれあい、音を立てる。

 それは潮騒にも似て、

 あるいは祈りのようでもあった。


 私はもう言葉を失っていた。

 けれど、海が話してくれた。

 あなたが沈んだ夜のこと、

 私が泣いた朝のこと、

 世界がひとりで回っていく音のことを。


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