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忘れない神に別れを告げる ―記憶神セファ=ノアと神凪ノエリアの物語―  作者: 宵待 桜


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第二十五章 神官は記すことを恐れない


記録室は、昼でも薄暗い。


高い天井に近い窓から差し込む光は、書架の影を長く伸ばし、紙とインクの匂いを静かに閉じ込めている。


ノエリアは机に向かっていた。


羽根ペンを持つ手は震えていない。

だが、書かれる文字は慎重だった。


「……ここまで」


小さく呟き、ペンを置く。


羊皮紙の上には今日彼女が“語った”記憶の要約が並んでいる。


誰かの人生。誰かの後悔。


誰かが忘れたまま死んでいった想い。


それらは、神の中に在り続ける。


整理されなければ、重なり、絡まり、やがて神自身を歪めてしまう。


だから神凪は語る。


「……疲れましたか」


背後から声がした。


振り返ると、そこには年若い神官が立っていた。


彼は、まだ正式な位を持たない補佐官だ。


白衣の裾が、少しだけ床に触れている。


「少しだけ」


ノエリアは正直に答えた。


「でも、今日はこれで終わりです」


神官は安堵したように息を吐いた。


「よかった。最近、長い日が続いていましたから」


彼は一歩近づき書かれた記録に視線を落とす。


「……丁寧ですね」


「そうですか?」


「ええ。削りすぎない。飾らない。でも感情だけは落とさない」


それは、評価だった。


ノエリアは、少し困ったように笑う。


「そうしないと神様が、混乱する気がして」


神官は、視線を上げた。


「混乱?」


「記憶って、出来事よりも“その時どう感じたか”の方が重く残るでしょう?」


彼女は、言葉を探しながら続ける。


「だから、感情を削りすぎると神様の中で辻褄が合わなくなる気がして」


神官は黙って聞いていた。


やがて、ゆっくりとうなずく。


「……なるほど」


それは“理解しようとする者”の反応だった。


「あなたは、優しい方ですね」


ノエリアは、首を振る。


「優しくは、ないと思います」


「なぜ?」


「優しかったら、こんなふうに平気で人の記憶に触れられません」


一瞬、空気が止まる。


神官はしばらく考え、それから静かに言った。


「……それでも、必要なことです」


「はい」


「記さなければ、忘れられる」


ノエリアは、机の端に手を置いた。


「忘れることは、悪いことですか」


問いは、軽く投げられた。

だが、重い。


神官は、即答しなかった。


書架を見上げ積み重なった記録を眺める。


「……救いになることも、あります」


「ええ」


「ですが、国は“忘れない”ことで成り立っています」


彼は、こちらを向く。


「過去の失敗を忘れない。失われた名を残す。繰り返さないために記す」


ノエリアは、うなずいた。


「だから、この国は“書と歌”を大切にする」


「はい」


神官は、少しだけ表情を緩めた。


「あなたは、よく理解している」


その言葉にノエリアは小さく目を伏せた。


「……理解している、だけです」


「?」


「納得しているかは、別です」


神官は、何も言わなかった。


それ以上踏み込めば彼女の“人としての領域”に触れてしまうと、わかっていたからだ。


沈黙の中、書架の奥から微かな気配が満ちる。


――聞いている。


ノエリアは視線を上げない。


それでも確かに感じていた。


神は、今もすぐそばで彼女の言葉を記憶を受け取っている。


「……今日は、ここまでにします」


ノエリアは、立ち上がった。


「ありがとうございました」


神官は、深く頭を下げる。


「こちらこそ。あなたが語ってくれる限り、我々は記すことを恐れません」


その言葉は善意だった。


だが、その善意がどこへ向かうのかを

この時点で誰も知らない。


ノエリアは、静かに記録室を出る。


廊下の先でアスベルの気配がした。


物語は、人の側と、神の側の間で確かに揺れ始めていた。



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