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忘れない神に別れを告げる ―記憶神セファ=ノアと神凪ノエリアの物語―  作者: 宵待 桜


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第十七章 王子が書庫に足を踏み入れる夜


夜更けの城は昼とは別の顔をしている。


灯りの消えた回廊。


警備兵の足音だけが規則正しく遠ざかっていく。


アスベルは外套を羽織り直しながら書庫の前に立っていた。


本来、王子がこの時間に来る場所ではない。

だが今夜だけは、理由があった。


扉の隙間から、わずかな灯りが漏れている。


「……まだ、起きているのか」


小さく呟き、ノックをする。


返事は、すぐに返ってきた。


「はい。どうぞ」


その声に、安堵と躊躇が同時に混じる。


扉を開けるとノエリアは机に向かっていた。


髪はほどけ、昼間の装いとは違う簡素な衣。


「遅い時間に、ごめんなさい」


そう言って立ち上がる姿は神凪というより見慣れた幼なじみだった。


「いや……俺の方こそ」


アスベルは一歩だけ中へ入る。


「眠れなくて」


それは半分、嘘だった。


書庫の空気に何かが残っている。


重く、澄んだ気配。


「……話していたのか」


ノエリアは、少しだけ驚いた顔をしてから、うなずいた。


「ええ。ここは声が通りやすいですから」


アスベルは、それ以上踏み込まなかった。


代わりに机の上の紙束に視線を落とす。


「それは?」


「記録に残らなかった神凪たちの言葉だよ」


アスベルは、眉を寄せる。


「そんなものが、ここに?」


「正式な文書ではないの。だから…王族の目に触れないよう奥にしまわれていた」


言葉を選ぶノエリアを見て彼は悟った。


「知らない方がいい、と?」


ノエリアは、少し考えてから答えた。


「知ると簡単に割り切れなくなる」


アスベルは、苦笑する。


「それは、もう手遅れだな」


彼は椅子を引きノエリアの向かいに座った。


「俺は最初から割り切れたことなんてない」


ノエリアは、目を見開く。


「アスベル?」


「覚えているか?」


彼は書庫の天井を見上げた。


「小さい頃、君が泣いていた日」


ノエリアは、すぐに思い出した。


雨の日。


文字の練習がうまくいかず悔しくて泣いた。


「君は言った。“覚えられないなら意味がない”って」


アルベルトは、静かに続ける。


「俺は違うと思った」


視線を戻し彼女を見る。


「忘れてもいい。でも、一度“確かにあった”ことまで消えるのは、おかしい」


ノエリアは、息をのんだ。


「それを覚えていたんだね。忘れてると思ってた」


「忘れるわけがない」


アスベルは微笑んだ。


「その時、俺は決めた。君が何になるとしても“人だった時間”だけは消させないって」


ノエリアの胸が、きゅっと縮む。


「それは……」


「国のためでも神のためでもない」


彼は、きっぱりと言った。


「俺の、個人的な意志だ」


書庫の奥で、わずかに空気が動く。


ノエリアには、それが誰の気配か分かった。


だが、今は振り返らない。


「……アスベル」


声が、少しだけ揺れる。


「それでも私は神凪になるかもしれない」


「知っている」


「神に寄り添う立場になる」


「分かっている」


「それでも……?」


アスベルは、即答しなかった。


代わりに彼女の前にあった紙束を一枚だけ手に取る。


そこには震える文字でこう書かれていた。


――今日は、声がうまく出なかった。


アスベルは、そっと紙を戻す。


「それでも隣にいる」


ノエリアは目を伏せた。


「……あなたは、この国の王子だよ」


「だからこそだ」


声は低く、揺るがない。


「王子として、国を選ぶ日が来る。同時に人として、君を選ぶ」


その言葉に、書庫の空気が張り詰める。


沈黙の中で、別の声が重なった。


――王子。


アスベルは、顔を上げる。


気配は、はっきりと彼を見ていた。


――その覚悟は、軽くない。


「承知しています」


彼は、目を逸らさなかった。


「それでも退くつもりはありません」


長い沈黙。


やがて、空気が静まる。


ノエリアは、二人の間に流れたものを感じ取っていた。


「……ありがとう」


小さな声だった。


アスベルは立ち上がる。


「今夜は、それだけでいい」


扉の前で振り返り、付け加える。


「無理はするな。覚えすぎると…人も壊れる」


ノエリアは、微笑んだ。


「気をつける。大丈夫だよ」


扉が閉まる。


書庫に残ったのは、ノエリアと、整理されつつある記憶。


――お前は、支えられている。


「……知っています」


彼女は、机に向かい直した。


それでも、書くことをやめなかった。


忘れないために。

忘れさせないために。


そして、選ぶために。


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